二章プロローグ
あれは確か五年前の十二月、病院がクリスマスに模様替えする時期の話だ。
この日は調子が良かったから先生にお願いして、俺も病室で飾りつけの手伝いをさせてもらっていた。拝命したお仕事はロビーに飾るツリーを彩るリボンや星を作ること。
お隣の、病院の隣に住んでいる田中の兄ちゃんはこの日も高校受験の息抜きだー、なんて名目で遊びに来てくれて、しかも一緒に準備を手伝ってくれていた。
『クリスマスは滅びろ!』
けれどもきらきら光る緑の折り紙でクリスマスツリーの飾りを作りながら、田中の兄ちゃんは怨霊のように喚いていた。せっかくのクリスマスなのに全然めでたくない。
それ自体はよくある発作だからいいとして、今回は言ってることとやってることが全然違った。
『でも田中の兄ちゃん、そう言いながらクリスマスの準備してるよ?』
『……悪い、取り乱した。俺が滅びを願ったのは聖夜じゃなくて性夜の方だ』
『せいやと、せいや?』
『ああ。俺が消したいのはお前が楽しみにしてる方じゃなくて、カップル共が夜に』
『アンタは子供に何教えようとしてんの!』
鋭い拳が田中の兄ちゃんの脳天に直撃する。下手人は一緒にツリーの飾りつけを、きらきらの星を作っていた鈴木の姉ちゃんだった。
『痛ぇな、なにすんだよ! これ以上馬鹿になったらどうする!』
『ばーか。今まで散々殴ったのに、まったく壊れも直りもしてないじゃない。もう手遅れでしょ』
『幼馴染に言うことかぁ、それ?』
暴力はいけないことだけれど、大体の場合田中の兄ちゃんより鈴木の姉ちゃんの方が正しい。だからあれも正義の鉄槌だったんだろう、多分。
そんなことより俺は、田中の兄ちゃんが語る二つのせいやの方に興味があった。
『鈴木の姉ちゃん、どういうこと?』
『……あのね耕太郎、それは、えっとね』
『うわこいついっちょ前に照れてる。ぷっ』
二発目が炸裂した。威力は上がっていた。
ほんのり頬を赤く染めた鈴木の姉ちゃんは、こほんと咳ばらいをしてから説明し始める。あの勢いで殴られた田中の兄ちゃんが血に赤く染まっていないのは、きっと早めのクリスマスの奇跡とかだろう。
『要するに、こいつは僻んでるの。周りがイチャイチャしてるの見て嫉妬してるだけ』
『……田中の兄ちゃん、恋人いないの?』
『ぐっ』
『あんなにいつも女の子のこと語ってるのに、どうして?』
『純粋な疑問が一番傷つく……!』
両手で顔を押さえて田中の兄ちゃんがむせび泣く。泣いちゃった。でもどうせウソ泣きだしいいや。
呆れていつも通り放置して、代わりに興味のまま鈴木の姉ちゃんに聞いてみる。
なお、放って置かれた田中の兄ちゃんは、ちらちらと指の隙間からこっちを見ていた。もう絶対騙されないからね。
『というか俺、鈴木の姉ちゃんと付き合ってると思ってた』
『あーそれ、よく言われんのよねー。いくら幼馴染でも仲良すぎー、みたいな』
『ふっ、まあ俺達はソウルメイトだからな! ……いや、待てよ? まさか俺がもてないのは、周りにこいつとそういう関係だと思われてるから』
『それはアンタ自身の問題』
『現実逃避くらいさせてくれよ!』
縋りついた机上の空論を切り捨てられ、田中の兄ちゃんは今日も嘆いていた。
それから大きく溜息を吐いて、らしくない様子で、とても言いにくそうにぼそりと呟く。
『今だから正直に言うけどな、中学入りたてのくらいに少し、ほんの少しだけ、実はこいつのこと意識した時期があったこともなくもなかった』
『予防線張り過ぎでしょ、ヘタレ』
『うるせー。だけどそこで一つ、どうしようもない問題が発覚したんだよ』
『問題って、どんなの?』
『こいつじゃ勃たねぇ』
三発目が一番強かった。傷つけられたプライドの分らしい。
星もなく月だけが照らす夜、レギオンを隔離するため世界が張った結界の中。
駅前広場の明かりを忘れたイルミネーションに囲まれて、その黒い物体は不気味な脈動を重ね続けている。
厄災の日の度に見る巨大なレギオンの黒い卵、繭のような物体の前で、俺は暇つぶしに適当な自説を語っていた。
「という訳で、あのレギオンは恋人がいない人の怨念から出来たものかもしれない」
「いや何がという訳なの?」
「この時期集まる強い思念と言ったらそれかな、なんて」
レギオンはレムナント、心の欠片から生まれる。この世界でもあの嘆きがあちこちで湧き上がっているのなら、それはもうぽろぽろと心から崩れ落ちているはずだ。
けれど田中の兄ちゃんの名誉のためにもろくでもない箇所は修正、削除したからか、それともそもそも説得力がないせいか、魔法少女二人組はまったく納得していなさそうだった。
特にクリアシャインは眉間に深く皺を寄せていて、そのまま胡乱気な口調で問いかけてくる。
「クリスマスに恋人ねぇ。実際、あんたくらいになるとそんなに欲しいものなの?」
「どうなんだろう。オーシャンはどう思う?」
「えっ私ですか!? わ、私は、家族と一緒にいられたら、それで」
胸の前で指をすり合わせる姿は大変微笑ましい。返答に困って受け流した俺もつい、変身中なのにほのぼのとした気持ちになってしまう。
そんな相棒とは対照的に、クリアシャインが要求するものはとても明瞭なものだった。
「ちなみにあたしはケーキが食べられるならそれでいい」
「即物的。でも分かる」
「プレゼントもあるとなおよしね!」
「もっと分かる」
うんうんと頷き合う俺達を、今度はクリアオーシャンが微笑ましげに眺めている。まるでちびっこを見守る視線だ、慈愛すら感じる。だから少し恥ずかしいけれどお互い様だった。
それからも適当な雑談を重ねる俺達に、心から呆れた視線を寄越す子が一人。
「……貴方たち、緊張感がまるでないわね」
「だってこいつ、時間にならないと出てこないんでしょ? ならしてても無駄じゃない」
「それはそうなんだけど、それにしても貴方ね」
金色の魔法少女、クリアガイアが額に手を乗せて溜息を吐いている。真面目が服を着ているようなこの人は、今日も自分から苦労を背負っていそうだった。いつも通り幸が薄い。
「オーシャンも、貴方が倒れたら終わりなんだからもっと警戒しなさい」
「ご、ごめんなさい。気をつけます」
「……今日は家で家族と、三人でクリスマスを祝うんでしょ? これで遅刻したら台無しだわ」
「はい!」
そしてそれ以上に今日も優しさに満ちていた。さすがはあのクリアシャインのお姉さん。兄素人として俺も見習わないといけない。
なんて生暖かい目で見られていることに気づいたのか、向こうから視線が返ってくる。
ただし、氷にも負けないほどその瞳は透明、無感情に見えた。
「グレイは、まあ、死なない程度に頑張りなさい」
「俺だけ雑じゃない?」
「帰れと言ってないだけありがたく思って」
後ろ髪を盛大に払い、瞳を伏せて逸らして、クリアガイアはそう言い捨てる。
当たりが強いのは毎度のことだから傷つかない。というか毎度毎度こんな台詞を述べながらも親切にしてくれるから、もはやただの照れ隠しにしか思えない。
そんな余裕が滲み出ていたのか、今度は伏せた瞳を上げて鋭い視線で睨んできた。俺が滅茶苦茶身震いしてしまったのはこれだけのせいじゃないだろう。
その原因はすぐそこの黒い巨体、レギオンの卵。長い長い眠りから、こいつはとうとう目覚めようとしている。
いつも通りの地響き、胸のざわめき、背筋に走る悪寒。何度経験しても本能的な恐怖は未だに訪れて、気を抜けば息も声も震えてしまいそうだ。
そんな自分を誤魔化すため、今日も適当な軽口を垂れ流す。
「ようやくお目覚めの時間か。今日はあわてんぼうじゃないらしいな」
「当日だもの。むしろ寝坊助の時間でしょ。低血圧、いやレギオンに血は流れてないか」
「……最近妙に格好つけた変な軽口が増えたのって、まさか」
「あ、え、えっと、め、目覚まし、付け忘れたのかもね?」
「貴方も、別に無理して言わなくてもいいのよ?」
付き合ってくれるクリアシャインとクリアオーシャン、俺を冷たく睨むクリアガイアも顔色はよくない。
模造品でさえあれほど苦戦した相手だ。本物となればどれほどになるか。
けれども俺達はあのレギオンを倒すため作戦を立て、今日まで戦いと特訓を重ねて来た。その成果を発揮すれば、全員で協力すれば必ず勝てると信じている。
それでも未だに残る不安を消すため、疑いそうになる自分を説得するため、俺はこの一か月を、十二月のことを少しだけ振り返ることにした。