期末試験が終わっても学校はまだまだ終わらない。冬休みに突入するのは十二月二十五日の午後、ちょうどクリスマスかららしい。
そのため来週も普通に授業がある。俺は疲労感から部屋で項垂れていた。
『耕太郎、まだ今日の分が終わってないぴょん。後三ページ頑張るぴょん』
『えー、休憩だよー。いいじゃんこれくらいー』
『もう十分経ったぴょん。早く机に戻らないと、罰として耳元でお経を唱え続けるぴょん』
『……それ大丈夫? らびらび成仏したりしない?』
『らびらびはお化けでも妖怪でもなく、この通り愛らしい妖精ぴょん。心配ご無用ぴょん』
試験期間中、らびらびはあれでスパルタだった。実際テストはよく出来た気がするから文句も言えない。でもなんかむかつくし、今度出てきたら何回か突っついておこう。
そんな試験の疲れに加えてもう一つ、未だ俺に頭を抱えさせるものがある。
「なんでもいいから美しいと思うものを描きなさいって言われてもなぁ……」
真っ白のスケッチブック、美術の授業で出された明日月曜日が提出期限の宿題だ。
国語や数学をはじめとした五教科と同じく、他の実技系科目にもテストのようなものはあった。
ちょっとしたペーパーテストだったり、今まで練習していた歌を歌ったり。こういうのはよかった。結果はともかく、流れのままに挑戦するだけで無事に終わった。
問題なのはこの課題、美術の期末テスト代わりに出されたもの。美しいと感じたものをスケッチブックに一枚描くように、という宿題。
美しいものとか、範囲が幅広過ぎていったい何を書けばいいのやら。
外へ探しに行こうとしてもついこの間までは植木鉢が降って来たし、それなら人がいるところへ、なんて移動すると痴女が寄って来る。どっちにしても命の危機、スケッチなんて出来るはずもない。
おかげさまで悩みに悩んで放置して、いつの間にか期限ぎりぎりになってしまった。
いっそ家の中で済ませてしまおうかな、なんて考えつつ、スケッチブック片手に自分の部屋から一階へ降りる。水か何か飲んで、一度意識を切り替えよう。
そうして入ったリビングでは、ついこの間出したこたつでお客様がくつろいでいた。こたつに深く潜ってみかんを剥く姿は、俺以上にこの家に馴染み切っている。
「陽香さん来てたんだ、いらっしゃい」
「ええ、お邪魔してる。耕太郎さんは、どうしたの? スケッチブックなんて抱えて」
当たり前の疑問に答えるより早く、七海ちゃんがジュースをお盆に乗せて台所から姿を現す。そして俺の抱えるものを見て問いかけて来た。
「兄さん、絵は描けた?」
「全然さっぱり。描くものすら決まんない」
陽香さんは瞬きを繰り返し、なんのことやらと俺達のやり取りを聞いている。
せっかくだし、学校生活の先輩である陽香さんにも相談してみよう。
七海ちゃんが言うには、小学校でも似たような課題を出されたことがあるらしい。ここで聞けば新しい意見がもらえるかも。
かくかくしかじかと陽香先輩に説明した結果、興味深そうに息を漏らしていた。
「ふーん、美しいものねぇ……」
髪を弄りながらの呟きはぼんやりと思考に沈んだもの。どうもアイデア出しを手伝ってくれるらしい。さすが陽香さん、今日も面倒見がいい。本当に先輩みたいだ。
けれども次の瞬間浮かべた笑みがとても悪戯っぽかったから、印象が一気に年齢通りのものに戻った。
「ならとりあえず、七海でも描いてみれば? 耕太郎さん的にも美しいものでしょ?」
「え、よ、陽香ちゃん?」
「いや、七海ちゃんはどう見ても可愛いから、系統が違うから」
「か、かか、かわっ、兄さんっ、前も言ったけど、そういうのは」
「そっか。言われてみれば、七海に美しいはまだ早いか」
「陽香ちゃんは私の何なの!? もうっ、二人して揶揄って!」
そういうところが可愛い所以なんだけど、言ってもますます顔を赤くさせるだけだろう。もちろん二つの意味で。これ以上の揶揄いは限度を超えてしまうから、落ち着くまでそっとしておく。
それでも七海ちゃんの顔はしばらく赤いままで、陽香さんに対抗するため手を挙げてもなお、頬の色はまったく戻っていなかった。
「じゃ、じゃあ、私は陽香ちゃんがいいと思います!」
「うーん。でも陽香さんって、格好いいの方が似合うからなー」
「た、確かに。……だって、陽香ちゃん!」
納得した後、表情を切り替えた七海ちゃんがぱっと振り返る。陽香さんを見るその目には、自分の受けた辱めを倍返しにしてやろうという意地と期待が宿っていた。
「ふふん、どうもありがとう」
だがその陽香さんは大きく胸を張り、超得意げな顔で、とても自信に満ち溢れた笑みを浮かべている。恥ずかしさなど一切見受けられない。
完全敗北だ。七海ちゃんは勢いよく両手両膝をついた。
にしても、これはまったく照れないんだ。多分陽香さんは見た目じゃなくて、性格を褒められる方がくすぐったいんだろう。俺も似たような感覚だから分かる。
そんな感じで惜しくも二つの候補が消えてからも、陽香さんはアイデアを出してくれていた。
「それなら姉さんは? あたしが言うのもなんだけどすっごく美人だし、特に笑顔の時は女神様もかくや、なんて評判もあるし。……まあ、たまにしか笑わないけど」
「笑ったところ見たことないからなぁ。それに綺麗は綺麗だけど、クラスメイトにこれ頼むってもはや告白じゃない?」
「そうかも。だったら葵さんとか」
「……それ、絶対一番ヤバいやつでしょ」
「どう考えてもマザコンね」
朝地も葵さんも美人ではあるけれど、選ぶのにはとても大きな問題がある。二人とも俺の社会的命が危ない。それどころか、前者は物理的な命すら危うくなる予感がする。
そもそも人を描けないというのは置いておく。俺に絵心はない。かつてお互いに描いた似顔絵を笑い合い、エスカレートして田中の兄ちゃんと喧嘩になった思い出がある。
とにかく、色々とアドバイスをもらったけれど、今の俺では到底生かせそうにない。
「ならもう、最終手段を取るしかないか」
だから俺は用意していた切り札を使うことにした。
鉛筆を握り、こたつに置いたスケッチブックの上で大きく、大胆に滑らせる。描いたのは我ながらとても美しい、まるでコンパスでも使ったような円形。こんなところでも身体強化の魔法は役に立っていた。
これでよし。満足して鉛筆を置いた瞬間、七海ちゃんが思い切り眉をひそめた。
「……兄さん、これは?」
「太陽」
「まさかこれ提出する気なの!? 絶対怒られるよ!?」
一筆書きに大きく作り上げた丸を前に、七海ちゃんが至極真っ当なツッコミを叫んだ。
対照的に陽香さんは真剣な顔で手抜き太陽を見つめた後、スケッチブックの空白部分をいくつか指差す。
「この辺にいくつか雲でも付け足して、空ってことにすればいいんじゃない?」
「なるほど。これだけじゃ手抜きがバレちゃうか」
「それでもバレバレだよ!?」
「いけるいける。病室から見える空は綺麗だったー、とか言えばいけるいける」
「に、兄さんが自分の立場を悪用してる……!?」
伊達に十四年間も入院生活を送っていない。自分がどう見られていたかも理解している。
病弱だった俺の描いた空。無限の物語性が勝手に発生しそうだ。
幼稚園生顔負けのくるくる雲を数か所に描き、ついでに太陽にもいくつか線を付け足しておく。拙い漫画感とそれっぽさが増した。
「これで、よし。あとはなんかいい感じに色つければ終わり」
「大作の完成ね」
「……もうっ、先生に叱られても知らないからね!」
陽香先輩の指示の下、雑極まりない空が大体完成した。七海先輩は心配してくれているものの、多分なんとかなるだろう、なんとか。
あとは色をどうするか。青空にするか、夕焼けにするか。どっちも好きだから迷うな。
「二人は赤と青、どっちが好き?」
「私は青の方が好き」
「あたしは断然赤」
「イメージ通りだ。七海ちゃんは海で、陽香さんは太陽っぽい感じするよね」
名前に加え、性格もそんな印象がある。
優しさは深海よりもはるかに深く広く、心穏やかにさせる雰囲気は潮風香るさざ波のよう。それはそれとして怒る時は荒波のよう。そんな七海ちゃんである。
陽香さんは、たとえるまでなく太陽そのもの感がある。今日も瞳には人を惹きつける強い輝きが見える。生命の熱に満ちたこの輝きよりも眩しい光を俺は知らない。
そんなポエムじみた言葉を頭の中で整理して、ふと思いついた。
「なんていうか、オーシャン、シャイン、って感じ」
「んんっ!?」
「げほっごほっ!」
二人して急にむせた。
魔法少女二人のことを思い出して付け足したのだけれど、やっぱり余計だったか。なんでいきなり英語にしてるんだよ、みたいなツッコミが自分の中でも生じているし。
幸い二人からはそんな手痛い指摘はなく、代わりに誤魔化すような苦笑いを二つ、なんと陽香さんからも送られてしまった。いや本当に幸いかこれ?
俺の心にダメージを与えるそんな一幕はあったものの、とりあえず今回の絵は赤色、夕焼けに決めた。青と赤の代理戦争、七海ちゃんと陽香さんにじゃんけんしてもらって、陽香さんが勝ったからだ。
何はともあれ、これで色も決まった。あとは色鉛筆なりなんなりで塗れば無事宿題終了、期末テスト系列も終わる。ようやく肩の荷が下りる。
ほっと一息吐き、最後の作業をするため立ち上がろうとした時、ふと袖に抵抗を感じた。
「兄さん」
七海ちゃんがじっと俺を見上げ、か細い声で呼びかけて来る。そして幾ばくかの沈黙の後、もっと小さな声で問いかけて来る。
「…………その、海は描かないの?」
両手の指を合わせてもじもじと、そわそわとしていた。上目遣いで俺を見つめていた。
それを向けられた俺は、横で見ていた陽香さんは、お互いに目を見合わせてから同時に力一杯頷く。
「ほら、やっぱり七海ちゃんは可愛い。俺の勝ちだ」
「悔しいけど今日はあたしの負けね。普段のこの子は可愛さ百パーセントだった」
「二人はいったいなんの勝負をしてるの!?」
この後ちゃんと海も描いた。
そして月曜日、美術の時間。
提出した絵は無事受け取ってもらえた。最初こそ手抜きで選んだものだけど、実際のところ俺は空も海も好き、美しいものだと思っていた。その気持ちがちゃんと絵にも表れていたのかもしれない。
しかし今の俺は課題が終わったという安心感よりも、クラスメイトが提出しようとしている絵への関心の方が大きかった。関心というか、なんというか、これは。
「……財前、それ何?」
「僕だ」
「…………そっか」
その絵はクラスで、それどころか学年で一番上手かった。なので最終的に、美術室前の廊下にお手本として飾られることになった。
そしてそれからの財前は一緒にそこを通る度、思い切り自慢げにアピールを繰り返すようになった。
もはやうざいを通り越していっそ尊敬する。俺の友達は色々な意味で凄かった。