ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第十話「雨の日の帰り道」

 昔から雨は好きだった。

 

 外で生きる人には色々とあるのだろうけど、だって雨が降っている間はいつでも音がする。皆寝静まった、誰もいない病室でも雨はこつこつと窓を叩き続ける。

 

 まるで誰かがそこで歩いている、すぐ近くにいてくれるような気がして、その間は少しだけ孤独が紛れた。だから俺は雨が好きだった。

 

 こうして外に出られた今でも、雨は好きだ。

 

 もっともあの頃とは違って、最近の雨がくれるのは静けさ。良くも悪くも俺の周りは、俺自身も含めて、少し前よりも明るく賑やかになった。

 

 それはとても幸福なことだけれど、贅沢なことに静かな時間が欲しくなることもある。

 

 俺は変わった。世界もおかしくなった。それでも雨は周囲のざわめきをかき消して、今日もいつもと変わらない足音だけを俺に届けてくれる。

 

 なんとなく感傷に浸りながら、雨音を聞きながら昇降口に向かう。

 

 もう放課後だ。昼休みから降り始めた雨は止むことなく、今もぽつぽつとあちこちに体当たりを続けている。

 

 新田先生に授業の質問をしていたからか、他の生徒とは下校の時間がずれて昇降口に人の気配はない。ここ一二週間よく突撃してくる類の人も辺りにはいなかった。

 

 ほっと一息吐きかけた時、外に人影を見つけた。一瞬警戒が高まる。

 

 だけど俺はすぐさまそれを取り下げて、代わりにその子へ声をかけた。

 

「朝地、何してるの?」

「……なんでも。ただ、待ってるだけよ」

 

 白い息を吐く朝地はそれだけ言って、再び憂鬱そうに空を見上げた。釣られて見た先は灰色の暗雲。雨は今も強く降り続け、それ以外は何も映らない。

 

 何を待ってるんだろうと視線を下げて、すぐに分かった。朝地の手には鞄だけ。あるべきものがなかった。

 

「もしかして、傘忘れた?」

「ええ、この通りね。だから弱くなるのを待っているの」

 

 そうは言うものの、雨の勢いはここ数時間まったく変わらない。薄暗い空の色はどこも同じ、雲の厚さまで一緒だった。

 

 そもそも弱くなったとしても、雨は雨だ。十二月の気温もあって、濡れたまま帰れば風邪をひいてしまう。仮にそこまでいかなくとも、道中とても寒くて辛いだろう。

 

 もう知らない仲じゃない。俺は右手に持った黒い傘を朝地に差し出す。

 

「この傘使う?」

「遠慮しておくわ。大体、私に貸して貴方はどうするつもり? 濡れて風邪でも引いたら」

「そっちは大丈夫。俺も傘使うから」

「……貴方まさか、一緒に、相合傘なんて馬鹿なこと」

 

 不思議と動揺する朝地の前で、俺は自信満々に大きな折りたたみ傘を取り出した。

 

 

 雨の中、朝地と並んで下校する。

 

 偶然出くわして一緒に登校したことは何度かあったけれど、帰りは初めてだ。ほんの少し緊張しているのが自分でも分かる。時々朝地怖いし。

 

 それでも一緒に下校するのは、方向は同じなのに傘だけ渡してはいさよなら、なんていうのはどこか冷たい感じがするから。

 

 加えてもう一つ、例のマシュマロの出現を避けたいという欲もあった。

 

 あれは植木鉢よりよほどマシだけれど、雨の日にぶつかるといつも以上にべたつく。それに避けた時にどうしても濡れてしまう。命の危機はなくても未だ厄介ではあった。

 

「天気予報って外れることあるんだね」

「あれはあくまで予報だから、当たり前よ」

 

 体調と歴代院長の指示によって病院の外に出られないかつての俺からすれば、天気予報なんて朝の占い程度の価値しかなかった。おかげで朝地にツッコまれるくらいの理解度しかない。

 

「それにしては、貴方もこうして傘を持って来てるみたいだけど」

「七海ちゃんのおかげ。兄さん濡れたら大変なんだからって、ゴリ押ししてくれて」

 

 傘なくなっちゃうこともあるからね、と追加で鞄に入れられた折りたたみ傘も絶賛大活躍中だ。まさに七海ちゃんさまさまである。

 

 帰ったら目一杯お礼を言って、全力で褒め称えよう。

 

 今日の予定を決めた俺をちらりと横目に映した後、朝地は雨の音にかき消されそうな声で問いかけてきた。

 

「……その七海とは、上手くやれているの?」

「うん。とても仲良くさせていただいております」

「そう」

 

 空っぽの相槌に朝地が続けたのは、どこか重さすら感じる忠告だった。

 

「あの子はいい子よ。素直で真面目で、とても優しい子。貴方も大切にしてあげて」

「気をつけます。ところで朝地先輩、大切にするってどうすれば」

「自分で考えなさい」

「冷たい」

「……今も上手く、仲良く出来ているならそのまま、貴方らしいやり方で大丈夫でしょ」

 

 兄もどきとして聞いてみれば、身になるようなならないような、励ましに近い助言を贈られた。薄いお墨付きだった。

 

 そんな感じでぽつぽつとなんでもない話をしていく内に、やがて家に到着する。

 

 どこにも明かりは点いていない。七海ちゃんはまだ帰って来ていないみたいだ。

 

「朝地、傘はその内返してくれればいいから」

「明日返すわ。借りっぱなしはなんだか、とても落ち着かないから」

「よろしく。じゃあまた明日ね」

 

 小さく手を振り返す朝地の前を横切り、玄関を開けるため鍵を取り出そうと鞄の中に手を伸ばす。

 

「あれ?」

 

 あるはずのものがなかった。

 

 最初はぱたぱたと、続いてばたばたと鞄をひっくり返す勢いで中身を捜索する。まさかこれ、またやったのか。嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 

 立ち去りかけた朝地も、俺のその奇妙な振る舞いにすぐ足を止めた。ついでに何がどうなっているかも察したらしい。

 

「……貴方、もしかして」

「うん。鍵、忘れたっぽい」

 

 これ家の中にあるわ、鍵。

 

 

 

 雨が窓を叩く音がする。

 

 雨風ですっかり冷えてしまった指先をこたつの中で温めながら、緊張感と共にこっそり周囲を見回す。

 

 テレビも電話も、机やその他家具なども、家とは違うものが並んでいる。特にこのこたつ、時枝家のより大きい。一つの辺に二人も入れるくらいだ。

 

 このこたつも含め、どれもどこか年季を感じさせ、どことなく和の空気が漂っている。家の間取りもそんな感じだから、ここはリビングというより居間という風情を覚えた。

 

 見慣れない、落ち着かない風景だ。特に見ててそわそわするのはとても居心地の悪そうな朝地、そしてちょうど居間に足を踏み入れた初対面のおじさん、朝地のお父さん。

 

 その人は俺達の前に熱そうなお茶を置いた後、両手を高く広げて高笑いをした。

 

「ふははは、本日は寒い中よく遊びに来てくれたね耕太郎君! 桜が欲しいなら、まずはこの私を倒したまえ!」

 

 こんな世界でも朝地家にはお父さんがいるんだ、なんて衝撃は訳の分からない発言で消し飛んだ。思考がまとまらないまま、俺はお茶のお礼も言えずに首を捻る。

 

「逆、合ってる、いやこれ、どっちなんだ?」

「何もかも間違ってるに決まっているでしょ」

 

 鋼鉄よりも冷たくカッチカチな朝地のツッコミで冷静になれた。ぐちゃぐちゃになった世界以前に、俺達はそもそも嫁とか婿とかそういう関係ではない。的外れな悩みだった。

 

 けれども戻りかけた正気は続いてお盆に大福を載せてやってきた朗らかなおばさん、朝地のお母さんにより容易く破壊されることになる。

 

「駄目ですよ、お父さん。せっかく桜ちゃんのお友達が来てくれたんだから、そんな風に変なことを言って」

「でもママ、一度くらいこういうことを」

「それにそれは、私の台詞です」

 

 朝地のお母さんは俺達の前に一つずつ大福を置いた後、音もなく立ち上がった。歩き姿や立ち姿、どれを取ってもどこか上品なものを感じさせる。

 

 だがそれも次の瞬間には粉砕された。朝地のお母さんが両手を腰に当て、高らかに笑い出したからだ。

 

「ふははは、今日は御足もとが悪いところよく来てくれました、耕太郎くん! 桜ちゃんが欲しいなら、この私を乗り越えてみたまえ!」

 

 この人達ヤバい。

 

「朝地のお父さんとお母さんって、その、あれ、なんか、た、楽しい人、だね?」

「……ごめんなさい。本当、本当に今だけは、何も言わないで」

 

 辛うじて絞り出したフォローは何の役にも立たず、両手で顔を押さえる朝地の耳と首は燃え上りそうなほど真っ赤だった。ここで暖が取れそう。

 

 家の鍵という概念を持っていなかった俺は、時々こんな風に鍵を忘れることがある。今日は七海ちゃんがいないパターンだったから、いつも通り軒先で帰りを待つつもりだった。

 

 確か委員の当番で少し遅いとは聞いていたものの、それも精々五時くらいには終わるはず。一時間もかからないだろう。

 

 若干横殴りになった雨は傘でなんとか防ぐとして、それまではさっきの朝地よろしく俺も空でも眺めてればいいか。

 

 そんな呑気に構える俺を見た朝地は、数分ほど立ち尽くした後とても親切な提案をしてくれた。

 

『………………………………………………そこだと風邪引くから、うちに来なさい』

 

 大いなる葛藤を感じたけれども。

 

 それで眉間に皺を寄せた朝地に連れて来られたのがここ、朝地家。

 

 辿り着いた俺を驚かせたのは現代的なその家の隣に立つ、真っ赤な鳥居と長い階段。その先には結構な規模、家数軒分は広い神社が建っていた。

 

 名前はまんま朝地神社。なんと朝地家は神社の家系だったらしい。

 

 家に入れて貰ってすぐとんでもないものを見せられ聞かされたものの、こうして落ち着いて居間を観察すると、神社なんて関係なさそうな普通の家に見える。

 

 間取りや家具、雰囲気なんかは当然まったく違うけれど、漂う生活感は初めて見た時の時枝家と同じだ。いくら神社の家と言っても、住んでいるのは人だから当たり前ではある。

 

 そんな俺の好奇心は分かりやすかったらしく、こたつに入った朝地のお父さんに笑われてしまった。

 

「ふふふ、やっぱり神社の家というのは珍しいかな」

「すみません、じろじろ見て。よそのお家に入るのってこれが初めてで」

「……なるほど、そうなんだね。ならもっとじろじろと、舐めるように見てくれていいからね!」

 

 本当にそれだけ見たら朝地に始末されそうだ。二度と朝日は拝めない。

 

 苦笑いで今回の冗談も流す俺に、朝地のお母さんが微笑みかける。さきほどの狂気はなかった。

 

「ごめんね。お父さんったら、桜ちゃんが友達を連れて来たからはしゃいじゃって」

「……友達」

 

 朝地が口の中で転がすように呟いて俺を見る。なんとなく俺も返す。お互いの視線に宿っているのは観察、もしくは確認。

 

 その様子を目の当たりにした朝地のお母さんは、限界まで大きく目を見開いた。

 

「まさか、友達の枠をもう飛び越えて?」

「それはないから」

「違います。友達です、友達」

 

 妙な誤解を受けそうになったから慌てて訂正する。そんなの朝地に失礼、そして最終的に俺が死ぬ予感がする。

 

 この言い訳に限らず、朝地のことは友達だと思っている。一回遊べば、何回か楽しく話せたらもう友達だ。それになんだかんだ言って、朝地は凄く親切でいい奴だし。

 

「………………そうね。そういうことだから、二人とも変なこと言わないで」

 

 そして朝地自身、俺の言葉を否定しなかった。この場を切り抜けるためだとしてもちょっと安心する。いつもみたいにばっさり切られたら、さすがに結構傷つく。

 

 この問答で身の危険を感じる誤解は解けたのか、朝地の両親が俺に変な質問を投げかけることはなくなった。

 

「桜ちゃん、学校だとどんな感じなのかしら?」

「尊敬というか、一目置かれてるらしいです。なんでも、一部からは『氷の」

「それはやめて」

 

 代わりにあれこれと、主に学校での話を聞かれた。それはもう聞かれた。

 

 普通こういう時、友達が遊びに来た時って親は引っ込むものなんじゃ。ここ居間だからどこにと言われたら困るけれども。

 

 ただ、そう思っても当の朝地は諦め切った目で俺と両親のやり取りを眺めるだけ。時折口を挟むだけでそれ以上はない。

 

 だから俺も雨宿りの料金と考えて、矢継ぎ早に話しかけて来る朝地の両親に対応した。

 

 こうして繰り返した会話の切れ目、ふと時計を見上げれば五時を過ぎていた。サンタレギオンを囲んでボコボコにする約束の時間がそろそろやって来る。

 

 やって来るけれど、今日参加するのは無理だろう。反省会を抜きにしても、ここからの移動も含めて往復最低十数分はかかる。

 

「時間気になる?」

「はい。七海ちゃん、そろそろ帰る頃かなーと思いまして」

「うーん、でも陽香がまだだから、まだまだじゃないかな。今日も二人は一緒だろうし」

 

 なにせ失礼ながら、朝地の両親は震えるほどに俺を歓迎している。これじゃ十数分も席を外せないし、雨の中帰ろうとしたらさっきの勢いで引き留められそうだ。

 

 それでもトイレの名目で一度中座して、なんとか居間から抜け出した。

 

 逃げた先、雨音だけが響く静かな廊下の中、部屋にいる朝地の人達に聞こえないようぼそっと呟いてみる。

 

「……らびらびー、いるー?」

「呼んだぴょん?」

「うわいた」

「その虫見たみたいなリアクションはやめて欲しいぴょん」

「ごめんて」

 

 俺のことを見守るのが使命だとかライフワークだとか言っていた記憶があるから、もしかしてという試し気分だった。なのに上から降って来た。滅茶苦茶びっくりした。

 

 というかこれ、普通に不法侵入では。

 

 らびらびは自称妖精、実質怪異だから治外法権なんだろうか。お化けには学校も、いやでもこいつ大卒らしいし、しかも法律勉強してたらしいし。怪異裁判所(仮)で訴えられたら負けるんじゃ。

 

 そんな寄り道しがちなどうでもいい思考は投げ捨てて、さっさと本題に移ることにした。

 

 かくかくしかじかと頼みたいこと、皆への欠席連絡について説明する。

 

 俺は魔法少女達の連絡先を知らない。だから直接伝えるしかないのだけれど、そもそも今は行けないから困っている。

 

 どうしようかと考えて、らびらびに伝書鳩、伝書ウサギ? になってもらえないかな、という結論に至った。

 

「雨の中悪いけど、お願い」

「大丈夫ぴょん。この通り、らびらびには素敵なレインコートがあるぴょん」

 

 そう言ってらびらびはどこから取り出しのか、黄色い雨合羽を華麗に纏う。

 

 似合ってはいる。何かのホラーゲームでこういう怪異いたなって思った。頼んでる立場だから口には出さなかった。

 

 ひらひらと手を振って見送って、ついでにトイレにもしっかり立ち寄って。人心地ついた後戻った居間には予想外の子がいた。

 

 その子は俺と異なり驚く様子一つ見せず、代わりにぱあっと雨雲も消し飛びそうな笑みを浮かべる。

 

「兄さん、ここ空いてるよ」

 

 こたつに入って自分の隣をぽんぽんと叩くのその子は、そろそろ家に到着しているはずの七海ちゃんだった。

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