ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第十一話「朝地家の食卓」

 七海ちゃんに誘われるまま隣に座り、困惑のままこたつに入る。

 

 首を傾げる俺を見て微かに笑ったのはさっきまでいなかったもう一人の子、陽香さんだった。

 

「あたしが連れて来たの。雨酷いし、ちょっとうちで休んでいきなさいって」

「それに、兄さんも陽香ちゃんのお家にいるって聞いたから」

 

 はにかむ笑顔を前に、無粋な疑問が不意に浮かぶ。

 

「あれ、それどこで聞いたの?」

「え? 桜さんが教えてくれたか……あっ」

 

 はっと七海ちゃんが両手を口元に運んだ。

 

 俺がこの家に来たのは鍵を忘れたうっかりと朝地の親切のおかげだ。だから七海ちゃんが知るタイミングなんてなかったはずだけど。

 

 なんてことない疑問を感じている間に、七海ちゃんの手が口から胸元へ移動する。そこでいくらか指先を遊ばせていると、我関せずにスマホを弄っていた朝地が小さく呟いた。

 

「今聞いてたでしょ。貴方が帰って来ないって心配をしないよう、私が携帯で教えたのよ」

「そっか。そういえば、七海ちゃんも学校に持って行ってたっけ」

「そ、そうそう、そうだよ! きんきゅーれんらくさきで、うん!」

 

 俺も七海ちゃんも諸々の事情から学校に申請して携帯を校内に持ち込んでいる。本人の言う通り俺達のすれ違いを防ぐため、という名目でそこに連絡してくれたんだろう。

 

 さすが朝地。この気の利かせ方は見習わないと。

 

 感心する俺の隣で七海ちゃんがほっと息を吐き、その頭を朝地姉妹がわざわざ立ち上がり、それぞれぽんぽんと撫でるように叩いていた。前から思っていた通り陽香さんだけでなく、朝地もかなり七海ちゃんとは仲良しらしい。

 

 朝地のお母さんはそんな微笑ましい光景を眺めた後、視線を窓の方に移す。雨音はここを訪れた時から変わらない。伝書ウサギをお願いしたらびらびが心配になるほど、雨は今も強く振り続けていた。 

 

「雨全然弱くならないわねー。そうだ、七海ちゃんに耕太郎くん、今日はこのままうちで晩御飯食べていかない?」

「えっでも」

「もちろん、二人がよければだけど。でも今から帰って作るの、七海ちゃんも大変じゃない?」

 

 朝地のお母さんの親切を受けた七海ちゃんが窺うように俺を見る。

 

 七海ちゃんと葵さんのことを少しの間考えて、すぐに答えは決まった。

 

「せっかくのお誘いだし、お世話になろっか」

「……兄さんは、それでいいの?」

「うん。ここだけの話、よそのお家のご飯も気になるし」

「…………むぅ」

 

 気のせいか、俺をじっと見つめる七海ちゃんの目は冷たかった。こたつの熱を足で感じつつ、一瞬だけ背筋に悪寒が走る。

 

 訳が分からず、何故かと問う前に七海ちゃんは瞬きを繰り返した。開き直した瞳にはいつもと同じ柔らかく温かい輝きが宿っていて、先ほどの冷ややかさは嘘のよう。

 

「それじゃあ、今日はよろしくお願いします」 

 

 折り目正しくお辞儀をする七海ちゃんに釣られて頭を下げつつ、俺は内心首を傾げた。今のはいったい。

 

 

 それから葵さんに晩御飯は食べて帰って来てね、なんて連絡したり、陽香さんや朝地も交えた子供組で適当に話したり。

 

 あれこれしている内にすっかり時間は経って、早速晩御飯となった。

 

「さあ出来ましたー! みんなどんどん食べてねー!」

 

 そう言って朝地のお母さんがどんと卓上コンロの上に置いたのは、大きな鍋。

 

 たくさんの野菜やキノコ、そして肉に豆腐が美味しそうにぐつぐつと煮立つそれは、まごうことなき寄せ鍋だった。

 

 今のところ時枝家で鍋が出たことはないから、生で見るのは初めてだ。なるほど、これがあの。鈴木の姉ちゃんが鬼奉行になるという、あれなのか。

 

 退院して以来、これまでも何度か未知の食べ物に出くわすことはあった。そしてそんな時、俺が取るべき道はいつも一つ。

 

「七海ちゃん先輩、鍋の作法を教えてください」

「さ、作法? えっと、取り皿に取ったものは、ちゃんと全部食べなきゃ駄目だよ?」

「了解っす。師匠、私至らぬ身なんで、他にも色々とお教え願います」

「う、うむっ。なんでも、どんどん私に聞いてねっ」

 

 最初は意外だったけれど、これで結構、七海ちゃんは頼られると嬉しいタイプの子だ。ご機嫌取りも兼ねて、朝地家に失礼がないよう細かな質問をしてみる。二度漬け禁止は何の作法だったっけ。

 

 そんな感じで朝地家を尻目に七海ちゃんを構い続けた結果。

 

「兄さん、お肉取ってあげるね!」

 

 にこにこと上機嫌に世話を焼いてくれるようになった。これはこれで、正直そこそこ恥ずかしい。年上の威厳的なものが削れて、いやそもそもそんなものなかったか。

 

 それに俺の尊厳を生贄にこうも笑顔になってくれるなら、無駄に抱え続けるよりはよほど有効に使えている。

 

 頬に手を添え微笑む朝地のお母さんを前にして、そんな強がりで自分を支えた。

 

「七海ちゃんと耕太郎くんは本当に仲がいいのねぇ」

「そうですか? その、いわゆる世の兄妹は、大体どこもこんなものじゃ」

「兄妹の形は皆それぞれ、ご家庭ごとに色々とあるんじゃないかな。うちも仲はいいと思うけど、普段はあんな感じだから」

 

 朝地のお父さんの視線に釣られて見た先では、姉の暴虐が存分に振るわれていた。

 

「陽香、豆腐が足りてないんじゃないかしら?」

「三つ目、姉さんそれ三つ目だから。あたし、今日まだ豆腐しか食べてないから」

「体にいいからいいでしょ。はい、四つ目」

「姉さん、熱くてまだ三つ目食べれてないんだけど。あたし肉一つも食べれてないんだけど」

「私が貴方の分も食べておくから、そこは安心しておきなさい」

「全然出来ないんだけど!?」

 

 ぎゃーぎゃー言い合う二人には、外での神秘性も格好良さも欠片もない。本人達が真剣だとしても、傍から見ればはっきり言ってアホのコントみたいだった。

 

 笑いの方向性をなんとか苦笑いの方角へ変える。朝地は鋭い。ここで爆笑したことがバレたら、後がとても怖くなる。

 

「昔桜がトイレに行ってる間に、陽香が残ってたお肉を全部食べちゃったことがあってね。いやぁ、あの時は最終的に取っ組み合いの喧嘩になって大変だったよ」

「へー、意外です。でも食べ物の恨みは怖いって言いますよねー」

「……あの、どうしてこんなに小声なんですか?」

「だってこれ聞かれたら、後で滅茶苦茶二人に怒られるからね!」

 

 小じわの目立つウィンクを朝地のお父さんが決めた。俺と異なり、そのお茶目な振る舞いに朝地への恐怖は見えない。

 

 この余裕に娘への理解、さすがだ、きっとこれが本当の父親というものなんだろう。責任から逃げたあれとは全然違う。

 

 うんうんと納得する俺の耳に、陽香さんの甘え交じりの声が届いた。

 

「お母さん、姉さんが豆腐ばっかり入れてくる!」

「はいはい。食べ切れないのはお父さんのところに入れていいから」

「え、私?」

「体にいいですよ」

「そうそう、代わりにあたしがお父さんの分の肉は食べておくから」

「な、これが略奪の連鎖……!?」

 

 気づけば陽香さんと朝地のじゃれ合いに両親も巻き込まれ、参加していた。

 

 父親がいて、母親がいて、姉や妹もいて。それぞれふざけてはしゃいで、とても幸せそうな光景。

 

「……これが普通の家族の団らん、なのかな」

 

 知り得ることのなかった景色を見せられて、心からの疑問が声になってしまった。幸い声量は歓談にかき消される程度で、隣の七海ちゃんにもほとんど届かない。

 

「兄さん?」

 

 それでも俺が言葉を発したことには気がついたのか、七海ちゃんは不思議そうに首を少し傾けた。すっかり見慣れたおさげが緩やかに揺れる。じぃっとこちらを見つめる澄んだ瞳の中に俺が映る。

 

 普通も何も、贅沢な話だ。胸に浮かんだ微かな憧憬を握り潰す。

 

「なくなっちゃいそうだけど、七海ちゃんも豆腐食べる?」

「うん」

 

 よそった豆腐にふーふーと息を吐き、火傷しないよう懸命に食べる姿は小動物のよう。

 

 俺の普通なんてものごころつく以前に終わった話、今更じたばたしてもどうにもならないことだ。

 

 それにもう、今となっては。

 

 隣のいつも通り微笑ましい妹を見て、素直にそう思えた。

 

 

 

 夕食後、いくらか食休みした後朝地のお父さんが車で送ってくれることになった。

 

 朝地家の車はごくごく普通の自家用車だった。強いて言えば赤いのがどこかめでたい。

 

 玄関で朝地家の皆さん、姉の朝地にも見送られた後、車内で改めてお礼を告げる。

 

「すみません、送ってまで貰っちゃって」

「いやいや、気にしないで。誘ったのは私達だし、こんな暗い中見送るだけなんて出来ないから」

 

 そう言って、ミラー越しに朝地のお父さんが微笑んだ。

 

「こちらこそ、今日はありがとうね。二人とも、特に桜が友達を連れて来るなんて珍しいから、私達もついはしゃいでしまったよ」

「朝地って面倒見いいから、今日みたいなこと結構あるんじゃないかと思ってました」

「おぉ」

 

 今のは何のおぉだったんだろう。

 

 疑問に首を傾きかけたところで、温かく硬いものに止められた。さらさらとしたくすぐったいものが頬に触れ、ミルクのような香りを感じた。

 

「……すぅ」

 

 ついでに耳元にはささやかな寝息。

 

 七海ちゃんは出発してからすぐ、俺の肩に頭を預け眠りに落ちていた。

 

 どうもここ最近、ちょうどサンタレギオンの卵が出現した辺りから、七海ちゃんもなんだか色々と忙しくなったらしい。家でもこたつでうたた寝する姿をたまに見るようになった。

 

 時枝家に到着するまで十分もないとしても、ここまで気持ちよさそうなら寝させてあげたい。

 

 起こさないよう声を潜め、そしてこっそり頭を撫でておく。身動ぎしたと思えば、ますますくっついてきた。七海ちゃんは体温が高いから若干暑い。

 

 ふと生暖かい視線を感じたから手を引っ込め、誤魔化すために話をすり替える。

 

「神社の方でもクリスマスって何かするんですか?」

「もちろん、は変な返事かな。一般の家庭と同じようにプレゼントを贈ったりはするよ」

「いいんですか、それ、神社的に」

「朝地神社の御祭神はとても大らかだからね」

 

 存在しないものに大らかも何もないだろう、なんて生意気な口答えはしない。

 

 神はともかく宮司さんやお坊さん、神父さんは実在する立派なお仕事だ。病院でもそういう人のお話に救われた人を何人も見て来た。たとえ意味のない夢物語、都合のいいフィクションであっても、死に希望をくれるのであればそれは本物以上だ。

 

 そもそも縋るものがないと人は生きていけない。俺もそうだったから、何年も縋って生きて、そして今年亡くしたからよく理解している。

 

 雨漏れみたいに沸くしみったれた思考をいつも通り脇に除ける。話題を元に戻し、わざわざクリスマスを引っ張り出した理由を口にする。

 

「相談なんですけど、家族へのクリスマスプレゼントってどういうもの贈ればいいんですか? 女の子、というかどっちも何贈ればいいのか分からなくて」

「あー分かる。難しいよね、どうしても感覚が違うから。私も会心のもの贈ったと思ったのに、皆にとんだ大ブーイング受けたこともあったよ」

「知り合いからは、その子には思い出の方がいいんじゃない、みたいなアドバイスは貰ったんですけど。でもやっぱり何か物もあった方がいいかなー、なんて欲もあって」

「そうだねー。あくまで私見だけど、そういう時はいっそ両方を」

 

 それからはこんな感じに七海ちゃんを起こさないようひそひそと、家に着くまで朝地のお父さんとずっと相談し続けていた。

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