月曜日のクリスマス、そして終業式の日。
午前中で学校が終わる今日も教室の空気は非常に熱い、というか危ういものだった。
とうとうクリスマス当日となった本日、我らがクラスメイト達は高みを目指すのではなく、強者の足を引っ張ることに専念し始めたのだった。
「出席番号一番相川ァ! 貴様の今日の予定は!?」
「は! 今日は帰宅後、速やかに家でこたつに籠ります!」
「……本当か?」
「ほ、本当であります!」
教卓に立つ袴田さんが鬼教官のような顔でクラスメイトを詰問している。
伝え聞くところによると、このクラスでクリスマスに男子と予定がある子はゼロ。見事全滅した、ということになっているらしい。
だが実際は違うと、前野さんがこの間移動教室の時に言っていた。なんだかんだ言いつつ、ちゃっかりデートする子もいるんだよ悔しい、なんて愚痴を聞いた。
そんな裏切者が今、一人炙り出されようとしている。
「こいつ、この後塾の子と遊びに行くらしいっすよ」
「な、お、おま、おま、それは内緒にって」
「てへっ? 裏切者には死を」
「貴様、貴様―!」
ディストピア顔負けの密告社会だ。ここ本当に中学校か?
相川さんは能面の女子二人に両腕を掴まれ、虜囚のように引きずられて行く。そろそろ全校集会の時間なんだけど。
「連れて行け」
「了解であります、委員長!」
「あぁ、だが、デートに間に合う時間には解放してやれ。裏切者はともかく、その男の子に罪はないからな」
「その寛大なお心、さすがであります!」
「……もしかしたらこの許しを通じてその子から、ワンチャンが広がるかもしれないし」
「深き慧眼、さすがであります」
ごにょごにょと呟く袴田さんに満面の笑みを浮かべた後、その子は勢いよく顔を近づける。
そしてぼそりと、感情のない声で囁いた。
「それで抜け駆けしたら、委員長でも殺すからな?」
「う、うむ。承知しておる」
内乱の予感がする。
「続いて二番朝地、さん!」
「……なにかしら?」
「い、いえ、すみません。なんでもないです。じゃあ次三番!」
弱い。いや朝地が強いのか。今日は一段と声に凄味があるし。
それからも次々に尋問を重ねるクラスメイトを見学しながら、極めて呑気な感想を口にする。
「今日の教室は、なんか、凄いね。関ケ原って感じだ」
「まさに天下分け目、人生の勝ち組と負け組が決まる日、ということか」
「たかがクリスマスでそんなに変わる?」
昨日楽しんだ身としてはあれだけれど、仮にデートが出来なくても死にはしないし、生きていれば来年もある。人生はかかっていない。
心底疑問に思う俺に訳知り顔で眼鏡を光らせながら、財前はいきなり爆弾を投げて来た。
「それで、朝地とは話せそうか?」
「……もしかしてバレてる?」
「ああ。君はいつだって筒抜けだ」
取り繕うのが上手いと自負している俺からすれば、ただ財前が鋭いだけな気がする。
そう言い返しても、財前は眼鏡を弄りながらうっすらにやけるだけだった。照れているらしい。そっちの方が分かりやすいと思う。
そんな分かりやすさを押し付け合う二人で、ちょっとした相談を交わした。
「教室だと難しい、隙がないよね。過去最高に殺気立ってるし」
「あの朝地と言えども、この空気の中で君と話し込めば吊るされるかもな」
本人には悪いけれど、想像した感じシュール過ぎる。
もちろん現実になればまったく笑いごとじゃないから、学校で話すのは難しいだろう。
「終業式の日って授業ないんだよね?」
「ああ。朝の集会とホームルーム、あとは掃除くらいだ。午前中には終わるぞ」
なにせ財前の言う通り、今日の学校は半日しかない。休み時間もそれ相応、合わせて一時間もない。仮に声をかけられても、落ち着いて話すのは無理があるような。
どうしたものかと腕を組む俺を励ますように、財前は薫陶染みた言葉を述べる。
「どんなものであれ、いずれ必ず隙は生じる。焦らず、どんと構えていればいい」
「……構えてたら、今日になった訳だけど」
「ふっ」
財前は鼻を鳴らして誤魔化した。いや誤魔化すなよ。
帰り道、天辺まで上った太陽を見上げながら一人呟く。
「なかったじゃん、隙」
見つからなかった。いやまったくもって、全然なかった。
全校集会への移動中も集会中も、通知表を配っている間もホームルームが終わった後も、一切なかった。というか気づいた時にはもう朝地はいなかった。帰るのが驚くほどに早かった。
今日を逃せば、自然に朝地と会う機会はない。だから焦っていたのだけれど、結局はこのざま。
このまま中途半端な状態じゃ年越しなんて出来ないから、いっそ家まで行ってみるべきか。でもそれ色々と変というか、はっきり言ってハチャメチャに頭おかしい振る舞いのような。
「時枝くーん、こっち、ちょっとこっち来てっ」
そんな悩みながらの下校中に突然聞き慣れた、小声の呼び声が耳に届いた。
「前野さん?」
音に振り返れば、前野さんがきょろきょろと辺りを注意深く窺いながら、子猫のように手招いている。
前に興味本位で聞いた時、前野家はこっちの方向じゃないって教えてもらった覚えがある。なのにどうしてここに。
不思議に思いつつ、誘われるまま近づく。
「どうしたの?」
「あの、突然で申し訳ないんだけど、少しだけ付き合ってくれる?」
「うん。あんまり遅くならない場所なら」
安心して胸をなでおろした前野さんに、それからしばらくの間ついて行く。
二人で適当な雑談をしながら歩いて歩いて、ちょこちょこ曲がったと思えば大きな坂に辿り着いて。更にはそこをせっせと上って。
街中だけど、そこそこ辺鄙な場所だ。平日の日中とはいえ人気もない。
加えて向かう先が不透明で、いい加減疑問も湧いてきた。前野さんの目的地はいったいどこ、そもそも俺を連れて何しに行くんだろう。
「これどこ行くの?」
「もうちょっと行くとね、途中に休憩するところが、屋根のあるベンチがあるんだ。そこだよ。時枝くん、もう少しだけど大丈夫?」
「平気、心配してくれてありがとう」
俺の返事にふにゃりとした笑みを浮かべた後、前野さんは続けた。
「そこは結構有名な告白スポットで、実は一時ちょうどに告白すると、必ず成功するってジンクスが」
「……あー、あの、前野さん」
兆候は感じていた。とうとう来てしまったか。
前野さんは最高レベルに優しい、とても親切な人だ。ただし、他のクラスメイトと同じくらい頭が女子、元の世界の考えに照らし合わせると童貞である。性欲に頭が支配されて、暴走する可能性がいつか来るんじゃないか、とは思っていた。
恐らくはクリスマス当日が訪れた故の、焦りからの暴挙。まさに破れかぶれの告白。
そんな自爆をどう傷つけずに断るか頭を回し始めた時、何かに気づいた前野さんが大きく目を見開いた。
「ああっ、待って、お待ちくだされ、時枝殿! で、殿中、殿中でござる!」
「お天道様が見てるでござる。ここ屋外でござるよ」
「いやほんと待ってください。時枝くん、抜いてない相手を斬り捨てるのは武士道に反するよ?」
必死に止められた。告白してないのに振るな、なんて抗議を言外にされている。
この様子から察するに、前野さんは別に告白するつもりじゃなかったらしい。
最近が最近だったとはいえ、我ながら相当な思い上がり、恥ずかしい勘違いだ。
「ごめん、自意識過剰だった。それで、結局どうしてここに?」
「ううん、こっちこそごめんね。ええと、そういう訳でここは告白スポットとして有名なんだけど、もう今日ってそれどころじゃないというか、その先の話を皆してるでしょ?」
「クリスマス当日。確かに今更感はあるよね」
「だから今日は人があんまり、特に明るい内はいないだろうから、二人で真剣な話をするならいい場所だと思って、今回提案させていただきました」
二人で真剣な話? という疑問は、ようやく辿り着いたベンチに佇む人影で解消した。
「……こんにちは。今日は、来てくれてありがとう」
その子は、朝地は音もなく立ち上がると、俺達に向けて深く頭を下げる。
「前野さんも、こんな日にこんなこと、ごめんなさい」
「ううん、このくらいお安い御用だよ!」
「でも」
「いいからいいから。それより朝地さん、最終確認!」
びくりと肩を上げる朝地に対し、前野さんはびしりと指を指す。
「今日は、告白的なことじゃないよね!?」
「え、ええ、もちろん」
「ノットラァブ!?」
「の、のっとらぶ」
「ならよし! 頑張ってね!」
満足げに頷いて、朝地の両肩を正面から叩いて、ついでにサムズアップまでして。
前野さんは颯爽と踵を返し、クールに去ろうとしていた。やたらと素振りがアメリカン、妙に似合っていて格好いい。
「あ、待って前野さん」
その後ろ姿を呼び止めるのはほんのり躊躇いがあったけれど、声をかけざるを得ない事情があった。
俺は前野さんの連絡先を知らない。病院暮らしが長かったせいか、どうも人に連絡先を聞く習慣がなくて、毎度聞きそびれしまう。だから今聞かないと、前野さんとは冬休み明けまでさよならだ。
「冬休みさ、よければまた皆で遊ばない?」
「え」
「もちろん予定が合えばだけど、どうかな」
沈黙は一瞬。
「う、うおおぉぉぉぉぉ!」
そう雄たけびを上げて前野さんは走り去っていった。イノシシのような、坂の途中で転ぶんじゃないかと心配になるほどの勢いだった。
果たしてこれは、オーケーという返事と受け取っていいんだろうか。確認しようにも本人は消え、やっぱり連絡先は聞けていない。あとで知ってるかもしれない人に聞いておこう。
全てを苦笑いで誤魔化し見送る俺とは対照的に、朝地はどこか沈んだ声で呟く。
「……また皆って、私も一緒なのかしら」
「俺はその方がいい」
「……」
返事はない。それでも、その続きを聞くために今日は朝地と話をしたかった。
重い空気の中、流れに従いそのまま並んでベンチに座って。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れ始めた。
ここまでのこと、さっきの会話を考えると、俺と二人で話す機会を作るため、朝地は前野さんに協力をお願いしたんだろう。それこそ昨日ガイアが言っていた、なんとか勇気を懸命に出して。
だから朝地が口火を切るまで黙っておくべき、とは思うのだけれども、この沈黙は辛い。
坂の上だと街がよく見えるな、と現実逃避しそうになったその時、突然天啓が舞い降りた。
『なんにしたって、場の空気ってものがあるでしょ? 温めてあげると相手も話しやすくなるから、最初は雑談とかした方がいいと思うわ』
きっかけはなんだったか。もう覚えてないけれど、いつか教えてもらった真面目な話を聞く時のこつを不意に思い出した。
ありがとう鈴木の姉ちゃん。田中の兄ちゃんと違ってアドバイスがいつも的確だ。
その教えに従い、おもむろに雑談を振ってみる。
「そうだ、ありがとう朝地。この前朝地にも相談したクリスマスプレゼント、おかげさまで七海ちゃん喜んでくれたよ」
「……結局、何を贈ったの?」
「シュシュの手作りセット、みたいなやつ」
いつもお下げの七海ちゃんは大体ヘアゴムで髪をまとめている。そのバリエーションを彩る一部にでもなれたら、というチョイスである。
ついでに手ずから作るもの、ということでガイアから貰った一緒に何かする、というテーマも解決した。今日この後、七海ちゃんが帰ったら一緒に作る予定だ。
「えーっと、それで、昨日はそれ以外にも大盛り上がりで」
「時枝」
新しい話題を絞り出す途中呼びかけられ、目が合ったから分かった。これ以上場を温めるようとするのは余計なお世話になるらしい。
俺が理解してからいくつか呼吸を重ね、一際大きく息を整えた朝地が、俺に向けて再び頭を下げた。
「この間は、本当にごめんなさい」
いいよとか怒ってないとか、そんな許しを朝地は求めていない。
だから俺は無言で頷いて、話の続きを促す。
「……貴方はもう気づいているかもしれないけれど、私、男の人が苦手で」
それに合わせて、朝地も重々しく語りだした。
「昔、最近の貴方みたいに何度も強引に迫られたことがあって。その時も私は助かってしまったのだけれど、それ以来、どうしても駄目になって。でも最近は落ち着いてきて、勇気を出したら貴方とハイタッチも出来たから、もう大丈夫だと思ってたのに。だけど、あの時急に手を握られて、驚いて、怖くなって」
まとまりのない散り散りな口ぶりは、朝地の心をそのまま表しているように思えた。
納得があった。あの馬鹿げた告白会場の時、まだそこまで仲良くなかった朝地が、どうしてあそこまで親切にしてくれたのか。
あれは優しさ以上に同族意識というか、一種の同情からだったんだろう。自分で言うのもなんだけど、ここ最近のあの空気は異常だった。
性的な興奮に目が血走った異性に、何日も何回も何人にも囲まれる。らびらびや魔法という保証があった俺以外なら、普通の子ならトラウマになってもおかしくないかもしれない。
しかし貞操逆転世界っぽいのに男に迫られることがあるのか、という疑問は浮かんで、すぐに消えた。
前の世界でもそういうこと、女が男に無理矢理迫る、という事件はあったらしい。田中の兄ちゃんが羨ましいとか迂闊にも零して、鈴木の姉ちゃんに滅茶苦茶説教されていた。
朝地は綺麗で大人っぽいし、誰かに強く憧れられるのも分かる。それに男に言い寄られた時、需要と供給の関係からして、ある意味元の世界よりも断りにくいものなのかもしれない。
なんて、朝地が語ってくれたことから推測するのはもういい。それよりも今は目の前の子に、勇気を出してくれた友達に向かい合う時間だ。
「こっちこそごめん。男子苦手かもって気づいてたのに、これぐらい平気だろうなって、勝手に判断してた」
「それでも、あんなことをするほどじゃ」
「朝地はつい突き飛ばしただけで、あの時車が来たのは運の問題だから。朝地が謝ることじゃないよ。こう見えて俺、運の悪さには定評があるからね!」
なにせ生まれからして不幸だぜ、は今まで一人として笑ってくれなかった渾身のブラックジョークだ。大体同情か説教が返って来る。鈴木の姉ちゃんなんて泣いちゃったし。
よって今日も封印、続きは言わずに朝地から距離を取った。
元々一人分開けて座っていたのを三人分、ベンチの端ぎりぎりまで移動する。
「……どうして、急に後ずさりしたの?」
「男苦手って言ってるのに近かった気がしたから。これくらいなら平気?」
「そんなに心配しなくても、私が言えることじゃないけれど、普通に接する分には大丈夫よ。今までもそうだったでしょう」
「それもそっか」
納得して元の位置に戻る。三人分はさすがに他人行儀が過ぎたかもしれない。
さて、お互いに謝り合って、ここからどうしよう。俺もここまでは予想していた。この先は、結局は朝地が自分を許してくれないと、どうにもならないのだけれど。
不安に手をこまねく俺に対し、朝地は一歩踏み込んだ。
「……それで、その、手、出してくれる?」
「うん」
返事と一緒に手を伸ばすと、朝地は深呼吸を重ねる。そして鞄から上品な巾着袋を取り出して、俺の手の上にそっと乗せた。
「これ、あげる。償いにはならないけれど、受け取って」
滑らかな手触りの袋はとても軽い。
許可を貰ってから口を開けてみると、そこには四つお守りが入っていた。
一つ一つ手に取りしげしげと眺める姿がよほど信心浅そうに見えたのか、朝地から不安そうに尋ねられる。
「……時枝は、あまり信じない人?」
「正直信じてないけど、嬉しい。お守りは好きだから」
朝地が不思議そうな顔をする。お守りを信じてないのに嬉しい、好きだなんて、一見矛盾しているから当たり前だろう。
「お守りって思いやりそのものでしょ? 人の優しさの象徴だよね」
人が人を想うことは素晴らしいことで、温かな想いは生きる希望すらくれる。
でも、それだけだ。誰が何をどれだけ想おうと、気持ち程度で現実は変わらない。
どれだけ誰かを大切に想っていたとして、それで病気が治ることはない。死が覆ることはない。命の危機を前にして、所詮素人に出来ることなどほとんど存在しない。誰だってそんなことは理解しているはず。
それでも何かしてあげたい。大切な人の力になってあげたい、何かになって欲しい。
そんな尊い気持ちの表れの一つが、このお守りだと思っている。
「……大げさじゃないかしら」
「あげた人が、実家で売ってる人が言うの、それ」
心から疑問に思っているように見えて、ちょっと笑ってしまう。
嬉しいのは本当だ。だってこうしてお守りを貰うのは、多分二年ぶりぐらい。毎年プレゼントしてくれた田中の兄ちゃんが貰う側、病気になってしまったから。そして亡くなってしまったから、相当久しぶりになる。
「無病息災に交通安全、家内安全。この、四つ目は?」
「……幸運とか、そういうものじゃないかしら」
「いきなり適当だ」
赤と青の布を黄色で縫い留めたこの派手なお守りは、他のものと違ってどうも手作り感がある。ついでに何かプレッシャー、は失礼か。何かしらのパワーを感じる。
見た目からして、多分これは売り物じゃなくてお手製、恐らく朝地が作ってくれたものだろう。
変に追及、確認すると恥ずかしがって没収されそうだから、聞かずにそのまま大事にしまう。
貰ってこれが一番嬉しかった。大層ないわれとか歴史とかはないけれど俺理論、思いやりの結晶としては最上級のお守りだ。
「どこに付けよっかなー。あっでも、落としちゃうのやだな。このまま袋に入れて持っとこうかな」
「そんなに、嬉しかったの?」
「さっきから言ってるじゃん。お守り好きだって、嬉しいって」
行動範囲が極狭だった昔と異なり、今はあちこち歩き回っている。失くしてしまったら二度と戻ってこないだろう。どこが一番安全か。
お守りを元の巾着袋に入れてあーでもないこーでもないと騒ぐ内、
「くしゅんっ」
小さく可愛らしいくしゃみが響いた。
朝地の耳が赤いのは今のが恥ずかしかったのか、それとも寒さのせいか。
どっちにしても、いいきっかけにはなった。
「そろそろ帰ろっか。ここ風通しいいし」
「ごめんなさい。昔から身体が弱いって聞いていたのに、こんなところで長々と話を」
「大丈夫大丈夫! この通り今は、退院してからは馬鹿みたいに元気だから!」
俺の魔法は身体強化。願いの中身を考えると、確実に内臓や免疫機能なんかも人外染みて強力になっているはず。この程度なら問題はない。
ただ、俺は平気としても朝地が体調を崩したら大変だから、もう帰ることにした。幸い太陽は一月にしてはさんさんと輝いていて、下り道を長く歩いたこともあって身体はすぐに温かくなった。
朝地先導のまま歩いて、途中でいつもの下校道に合流して、この間の事故前のような雰囲気のまま、帰り道を進む。
ようやく到着した時枝家の前で、俺は一つ不思議なものを見た。
「あれ、車がない」
「今日も葵さんはお仕事なの?」
「クリスマスは両方休みで、ずっと家にいるって言ってたけど」
家で二人の帰りをスタンバってる、なんて朝見送られたから、てっきり家にいるのかと。
首を捻る俺に対し、朝地が的確な確認を取る。
「携帯は?」
「今見たら連絡来てた」
いつかの雨の日、朝地が七海ちゃんに送ったのと同じだ。葵さんからの緊急連絡が入っていた。
『どうしてもと後輩に泣きつかれたので、一二時間ほど職場に行ってきます。一発決めて助けたら、すぐ帰ってくるからね!』
グーかハグか、いずれにしても後輩さんは叩き込まれるらしい。
とにかく深刻な問題ではなかったようで俺も安心。メッセージを見せると、朝地もどこか穏やかな雰囲気で頷いた。
そんな訳で疑問も解決、緩んだ空気のままお別れしようとしたところで、とうとう本当の問題が顔を覗かせた。
「……あの、朝地さん。すみません、大変言いにくいのですが」
「?」
「鍵が、ないです」
絶句、そして大きな瞳を更に大きく開けて、信じられないものを見る目を向けられる。
「まさか、また今日も忘れたの?」
「うっす」
連絡先を聞く以上にまったく身についてない習慣、それが鍵の持ち運びである。
個室とはいえ病室の扉に鍵はないから、今までほとんど触れる機会すらなかった。部屋にある金庫は番号の奴だったし。
ここ数か月忘れた時も大抵は七海ちゃんが先に帰宅していて、
『もうっ。ちゃんと持って行かないとダメだよ、兄さん』
なんてお叱りと共に鍵を開けてくれていたから、あまり困っていなかった。俺が先でも、最悪そのまま帰りを待てばいいし。
魔法のおかげで風邪は引かないし、七海ちゃんはいつも早く帰って来るし、今日は葵さんという最低保証もある。
だからいつも通り、玄関前に立っていればいいのだけれど。
「それでその、朝地さん、恐縮なんですが、また」
「……どちらかが帰って来るまで、うちに寄らせて欲しい?」
「はい」
俺は味を占めていた。
我慢出来るとはいえ、外は寒いし何より暇だ。七海ちゃんの帰りを待って延々と一人家の前で待ち続けるのは、正直とても寂しい。
そこでちょうど一緒にいる友達の朝地さんちである。前も行ったし、なんと今日は仲直りしたし、もうこれは行かない方が嘘では。都合のいい考えが頭を占める。
それが露骨に出ていたのか、朝地が俺を見る目は呆れに満ちていた。そして同時に、今日もやっぱり優しさに満ちていた。
「ええ、いいわ、分かった。仕方ないから、今日もついてきて」
「お世話になります」
「まったくもう。あんな話をした後なのに、緊張感がなくなっちゃったわ」
そう言って大きく溜息を吐いてから、一転して朝地はくすくすと小さな笑みを零す。
「貴方って本当、仕方ない人ね」
そして俺に柔らかい微笑みを向けた。
「……」
「どうしたの?」
「や、ううん、なんでもない」
適当に誤魔化して、先に歩き出した朝地の後を追って、こっそりと思う。
なるほど、いつか陽香さんが言ったことはまんざら冗談でもなかった。
朝地の笑顔は女神もかくや、今まで見た何よりも、誰よりも美しいものだった。