レギオンが盛大に病院へと突き刺した足は、大樹のように太く大きい。
当然それ相応の重さ、破壊力がある以上病室は、中にいた耕太郎とらびらびも粉砕されるはずだった。
しかし現実はそうならず、突如発生した輝きがレギオンの足を止め、それどころか勢いよく押し返した。レギオンはその力に吹き飛び、盛大に転がっていく。
おかげでいくらかの猶予が生まれた耕太郎は、不思議そうに目の前の光に触れた。それはうっすらと灰色の輝く半透明の壁。たった今彼らを守った障壁の一種だった。
「なにこれ、バリア?」
「変身時に出る障壁ぴょん。初回限定サービスでちょっとだけ強力になってるぴょん」
「親切だけど初回限定サービスって。なんか生臭いな」
通販の運送料かよ、などと小声で漏らしてから、耕太郎は無意識に辺りを見回す。
当たり前ではあるが、そこは惨状だった。
壁や床はあちこちが崩れ、どこもかしこも罅や傷が刻まれている。そしてベッドをはじめ、部屋の中にあったものは全て粉々に砕け散っていた。
もちろん今日彼が家族(仮)と遊んだトランプも千切ればらばらとなり、床中に広がっている。
もはや掃除で解決出来る範囲を超えた光景を前にして、彼は恐々と問いかけた。
「これ、後で元に戻る?」
「基本的に結界内での出来事は、現実世界には反映されないぴょん」
「よかった。いきなり家なき子になるとこだった。あとさ、らびらび」
耕太郎は周囲を見回していた。その流れで自然と、彼は自分の姿も確認することになる。
「俺、女の子に見える?」
「見えないぴょん」
「なってないじゃん、魔法少女」
そしてどう見ても服装以外、何一つ変わっていないことに気がついた。
「はい」
「いやはいじゃないよ。というか格好もなにこれ、ただのコスプレじゃない?」
「その姿は耕太郎の考える力のあり方ぴょん。耕太郎のイメージの問題だから、らびらびに文句を言われても困るぴょん」
「さっきからそればっかだな!」
黒い燕尾服に赤いネクタイ、首からぶら下げた変身にも使った懐中時計、そして医療用の白衣を纏う。
珍妙な組み合わせと十四歳にしては小柄な耕太郎の体格も相まり、残念ながらあまり似合っていなかった。有体に言えば、背伸びしたちんちくりんの少年に見える。
彼もその自覚があるのか、それとも他に理由があるのか。顔を顰めて何度も、特に燕尾服の部分を不愉快そうに引っ張っていた。
そんな耕太郎の気持ちなどいざ知らず、らびらびはおもむろに仮説を呟く。
「……元々魔法少女は女の子がなるものぴょん。だから変身魔法に女の子へ変化する機能が搭載されてないのも、よくよく考えてみれば当たり前の話ぴょん」
「わぁ、マジカルなのにロジカル」
「大抵のオカルトも土台が違うだけで、中身自体は結構ロジカルぴょん」
現状確認を兼ねた漫才が出来たのはそれまで。巨大なものが身動ぎする轟音に、二人は揃って顔を見合わせた。
かつて窓があった大穴から外を覗けば、家屋よりはるかに大きな黒い蜘蛛と目が、レギオンに目はないため厳密には違うが、視線が合う。
ぞくりと背筋に走る寒気を無理矢理笑みで流し、耕太郎は傍らのらびらびに問いかけた。
「それで、あれどうすればいい?」
「想像している通りあのレギオン、蜘蛛型だからスパイダーレギオンを倒せばいいぴょん」
「隣人には欲しくないタイプだな。武器とかある?」
「君の中にあるぴょん。目を瞑って集中すれば分かるはず、君の願いが、君が戦うための魔法となっているはずぴょん」
「アドバイスはロジカルじゃなくて感覚派なんだ……」
皮肉げに呟いて、それでも耕太郎は言われるがまま目を閉じていた。それが正しいとなんとなく理解出来たからだ。
暗闇の中に言葉はない。説明はない。ただ、彼が心の底から願ったものがそこにある。
よってそれを理解した耕太郎が浮かべるのは、言葉と同じ皮肉に満ちた笑みだった。
「……そっか、なるほどね。そりゃそうなるか」
「そう、それが君の魔法。君が欲した願いの形。君の祈りが」
「とりあえず、ぶん殴ればいいってことだ!」
「は?」
意味深に語るらびらびの言葉を置き去りに、耕太郎は勢いよく元病室から跳び出す。高さ四階からの跳躍だったが、そこに一切の躊躇はなかった。
上空から突如襲い掛かられようと、スパイダーレギオンに動揺はない。そもそもの話、思念の集合体である彼には感情自体存在しない。
彼は己に迫る敵に向け、備えられた防衛機能を設計通り発揮する。
蜘蛛のそれを模した無機質な口。言葉を発せず食事も呼吸も必要としないレギオンには本来無用な長物。彼はそれを開き、粘着質な白い何かを打ち放つ。
それは糸だった。咄嗟に身を捻った耕太郎には当たらず、代わりに病院の壁に当たり炸裂する。べちゃりと気色の悪い音、何かが砕ける音が響いた。
耕太郎は振り向かない。届いた破壊音を無視し、勢いそのままスパイダーレギオンの顔面に拳を叩き込む。
常識で考えれば意味のない行動。互いの質量、飛び降りた高度を考慮すれば、ただ耕太郎の拳が砕けるだけの愚行。どう考えても全てが自殺行為でしかない。
だがここには埒外、魔法がある。
「お、らぁッ!」
気合一声。彼が腕を振りぬけば、実際に吹き飛んだのはスパイダーレギオンの方だった。
巨体が転がり再び大地が揺れる。それから遅れて着地した耕太郎は、追うように降りて来たらびらびへ顔を向けた。
「どう?」
「……これは、身体強化?」
「そういうことみたい」
「魔法感全然ないぴょん」
「少女もどっか行っちゃったから、もう魔法少女要素何も残ってないね」
「もはやただの耕太郎ぴょん」
「身一つで立ち向かう。いいじゃん、男らしくて!」
適当な言葉を投げ合いながら、耕太郎は振るった右手を嫌そうに摩る。
「にしてもかったい。手が痛い」
「なら関節を狙うぴょん。構造的にもそこなら脆いはずぴょん」
返事の代わりに耕太郎は踏み込み、立ち上がったスパイダーレギオンの下へ潜り込む。
頭上には黒鉄の天井。その巨体にのしかかりでもされたら最期、いくら魔法で強化されていたとしても彼は肉塊となるだろう。
スパイダーレギオンもそれを狙ったのか、小さな人影が己の腹に潜った瞬間身を落とそうとする。
だが、それよりも遥かに耕太郎は速い。一切の躊躇がない身体は滑らかに動き、スパイダーレギオンの足の関節目掛けて強烈な蹴りを放つ。
らびらびの助言通り、顔と異なりあっさりと足は逆関節に曲がった。のしかかろうとしていたこともあり、支えを失ったスパイダーレギオンはバランスを崩す。
「まず一本!」
そして耕太郎には躊躇以上に容赦もない。地面に倒れたスパイダーレギオンの他の足へ、幾度となく追撃を叩き込む。
「二、三、四五六七八ッ!」
早口言葉染みた掛け声に続き連撃をしかけ、すぐに全ての足をへし折った。
支えが全て明後日の方向に向かったことで、スパイダーレギオンはあえなく地面に崩れ落ちる。通常の生き物であれば完全に死に体、耕太郎の勝利は既に決まっている。
だが。
「全然死なねぇなこいつ!」
「レギオンには核があるぴょん。それを砕かない限りすぐに再生するから、このままだと倒し切れないぴょん」
「そういうのは早く!」
耕太郎が苦情を言い切る前に、スパイダーレギオンが口元から糸を飛ばす。
その速度は音速の数倍、生半可な銃弾をも優に超える。魔法少女であっても反応が難しいそれを、耕太郎はいとも簡単に見切り避けた。
そんな自身の特異性に気づく余裕などなく、彼は回避を続けながら声を荒げる。
「核の場所は!?」
「大抵はレギオンの能力の起点ぴょん。だからあれは」
「口!」
横へ続けていた動きを変更、耕太郎は前へ踏み込む。そして二度三度と軽く糸を避けたところで跳躍、大ぶりの拳がスパイダーレギオンの口元に突き刺さる。
衝撃によりもう一度巨体が吹き飛ぶものの、感触は最初の一撃とまるで同じ。土煙が空けて見えたスパイダーレギオンの姿は、殴り飛ばされる前と何一つ変わっていなかった。
「やっぱり硬い! このままだと」
千日手になる。なるとどうなるか。体力、魔法の源、結界、レギオンの力。
無数の単語が耕太郎の脳裏に過ぎる。彼には知識も経験も足りず、まだ断定は出来ない。それでもこのまま戦い続けた時、どちらが不利になるのかは予想できた。
ならどうするか。短期決着。どうすれば。思考が走る。周囲を見回す。壁、病院、空、遠く歪んだ満月が耕太郎の瞳に映る。
その瞬間、彼はらびらびへ端的に問いかけた。
「らびらび、結界って触れる? 固い?」
「レギオンを留めるためのものぴょん。めちゃかたぴょん」
「天井は?」
「数十メートルか、百か、それかもっと先に。規模にも寄るけど必ずあるぴょん」
「なら、試してみるか」
言うや否や、彼はスパイダーレギオンに背を向け駆け出し助走、唖然とするらびらびを置き去りにして病院の屋上に向かい跳ぶ。
邪魔なフェンスを蹴り飛ばし、そのまま屋上の端に着地した。
「ごめんね、院長先生!」
そして罪悪感が欠片も見えない謝罪と共に、屋上の入口を力一杯殴る。スパイダーレギオンの一撃に劣らない拳は、扉や壁をあっさりと粉々にした。
耕太郎はばらばらになった壁の欠片を一つ、自身よりも少し小さい手頃なサイズを持ち上げ屋上の淵へ歩く。
遥か下には周囲を見回すスパイダーレギオン。不気味に蠢く敵に向け、彼は挑発するかのように慣れない大声で叫んだ。
「俺は、ここだ!」
スパイダーレギオンに感情はない。だが反射はある。よって彼は音に反応し、これまでのように敵へ向け己の武器、砲撃の如く糸を放った。
速度は変わらず、距離は伸びた。よって耕太郎であれば簡単に避けられる程度の攻撃。
しかし彼はあろうことか屋上から軽く飛び降り、レギオンの糸を真正面から受け止める。
「耕太郎!?」
「これでいい」
熱の籠った悲鳴に耕太郎が返したのは、氷のように鋭い言葉。そこに恐怖などなく、ただ怜悧な殺意のみが冷ややかに流れている。
スパイダーレギオンの糸は確かに耕太郎に直撃していた。正しくは、彼が手に持つ壁の欠片に。
砲撃のような勢いで撃たれた糸にはそれ相応の威力がある。よって空中で受けた耕太郎が、壁の欠片と共に空高く吹き飛ばされるのは必然である。
飛んで飛んで飛んで、屋上の数倍まで飛ばされて、糸が伸びきって、それからようやく動きが止まる。
その瞬間耕太郎は曲芸のような身のこなしで壁の欠片の上に乗った。そして欠片を蹴り捨て、更に上へと跳躍する。
「あった!」
叫ぶ彼の前には微かに光を放つ半透明の壁。とうとう彼は結界の天井にまで辿り着く。
距離や勢いからして既に激突は避けられない。だがそれこそが耕太郎の狙いだった。
彼は空中で器用に身を翻し、天井へと着地する。腰が、足が、結界が衝突の勢いを吸収していく。反発のため力を溜めていく。踏みにじられた結界がバチバチと悲鳴を上げる。
「お返しだ」
その力が頂点に達した瞬間、視界の中心に黒い塊、スパイダーレギオンを収めたその時、彼は全力で飛び立った。
「はああああああああッ!」
これが耕太郎の考えた秘策。重力を利用した渾身の跳び蹴り。
流星のように加速する彼に対しスパイダーレギオンは何も出来ない。未だ足の折れた巨体では回避も、糸を放ったばかりの口では迎撃も出来ない。
よってその一撃は怪物に届き、黒鉄の巨体を容易く貫いた。
飛び蹴りの勢いはそれでも止まらず、彼は盛大にアスファルトの上を滑っていく。その軌道は焦げ、微かな煙を上げていた。
何度も踏ん張ることでようやく止まり、彼は敵へ振り向く。
その瞬間スパイダーレギオンはいかなる理屈か光を放ち、盛大に爆発した。
爆散の後しばらくしても、その場には光がまだ残っていた。まるで質量でも持つかのように留まり、耕太郎を明るく照らしている。
「……この感じ、終わった、のか?」
「お疲れ様ぴょん。無事レギオンの撃破を確認したぴょん」
耕太郎が発した無意識の独り言に、ぷかぷかと浮遊するらびらびが近づき答えた。
「ならよかった。で、らびらびは何してんの?」
「後始末ぴょん」
「ふーん」
らびらびの語る後始末、かつてスパイダーレギオンだった光をかき集め、水晶のような物体に収める姿は誰がどう見ても不審である。
しかし病院の人々の命がかかった激戦、それも人生初の戦いを終えた耕太郎に気にする余裕はない。
今の彼から生まれ出るのは猜疑心でも興味でもなく、ただひたすらに気の抜けたため息だった。
「はー、疲れた。初陣にしてはまあまあ良く出来た方かな」
「まあまあなんてものじゃないぴょん。最高だったぴょん!」
「そう? なんにしても勝ててよかった」
大興奮するらびらびとは反対に、耕太郎の反応は非常に冷めている。
彼の顔に浮かぶのは心の底からの安堵と、ちょっとしたお使いを終えた時のような微かな達成感のみである。
ぼんやりと彼が空を眺めている内に、不意に彼の身体が光に包まれた。彼が慌てる、疑問を口にするまでもなく答えはすぐに現れる。
光が収まった彼の服装は燕尾服と白衣という珍妙な組み合わせから、元のシンプルな寝間着に戻っていた。要するに変身が解けていた。
そして変化が訪れたのは周囲の光景も同様。どこかくすんでいた光景が色づき、病院や電灯、周囲の明かりが一斉に灯っていく。
その光の下にある建物や駐車場は全て、先ほどまでの荒れ模様が嘘のように元の様子を取り戻していた。
「あー、これあれ? 結界とか言ってたやつのおかげ?」
「レギオンが消滅したから解除されたぴょん。この通り、壊れたところも元通りぴょん」
「現代異能ものによくあるパターン。定番だけどやっぱ便利なんだなー」
他人事のように笑ってから、耕太郎は夜空を眺めながらしみじみと呟く。
「ねーらびらびー」
「どうしたぴょん?」
「こんなことした後言うのなんだけどさ、身体動かすのって結構楽しいんだね」
「……君はもう健康になったぴょん。だからこれから先は絶対運動でもなんでも好きなことが、君のやりたいことがいつでも出来るぴょん」
「そっかぁ。楽しみだなぁ」
耕太郎は幼い子供のような笑みを零し、生まれて以来ずっと自分の居場所だった病院を見上げる。そして彼はようやくそこで、向き合うべき大問題に気がついた。
「ところでらびらび、俺ってこの後どうやって病室帰ればいいの? 宿直の先生とかいるし、正面からだと絶対怒られるから嫌なんだけど」
「ダッシュ&ジャンプぴょん!」
「……まさか、ノーマジカルで?」
「もちろんノーマジカルで」
「いやいやいや、そこはなんか用意しといてよ、ほら、マジカル帰宅手段とかさ」
「若い頃からそういう便利なものに頼ってるとよくないぴょん。不便を楽しむべきぴょん」
「……マスコットのくせに、ちょくちょく言い回しがおっさん臭いんだよな、こいつ」