ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第8話「犬には勝てない」

 らびらびが言うには、魔法による肉体強化は元々の身体能力にも影響を受けるらしい。

 

 だから俺が強くなるためには、結局は普通にトレーニングするのが一番の近道だとか。色々と嘘を吐いていたと分かった今でも、らびらびが俺に強化アイテムをくれる気配はない。

 

 そういう訳でトレーニング、手始めに早朝ランニングでも始めようとしたところ、なんと葵さんから待ったがかかった。

 

『ごめんね。こうくんの気持ちは尊重したいけど、最近はどこも物騒だから』

 

 今は一月、真冬の季節。朝はまだまだ暗い。俺が、男の子がその中を一人で走るのはとても不安になってしまうとのこと。

 

 葵さんの心からの心配を感じて全身がむず痒くなった。ちょっと嬉しくもなった。

 

 だけどこの先のことを考えるとトレーニングはしておきたいし、何より単純に俺が運動したい。走るの楽しい。

 

 その思いのもと何度かお願いを重ねた結果、最終的に葵さんの方が折れてくれた。

 

『うん、このルートならいいよ。でも走るのは外が明るくなってからにしてね!』

 

 人通りが多いところ、コンビニとかお店がある通り、監視カメラが設置されている場所。葵さんが示したのはどの道もいずれかを満たしている、つまり犯罪に巻き込まれにくいルートらしい。

 

 そんなことまで知ってるなんて、やっぱり弁護士って凄い。改めてそう思った。

 

 ただし、葵弁護士の出した条件には一つ大きな問題があった。明るくなったらいいよ、の一言である。

 

 繰り返しになるけれど今は一月の真冬、朝はまだまだ暗い。だから登校時間を考えると、平日の朝は満足するまで走る余裕なんてない。

 

 そのためちゃんとランニング出来るのは、本日土曜日のような休みの日だけとなる。

 

「らびらびー? ふぁい、ぴょん! ふぁい、ぴょん!」

「どんな掛け声だよ。近所迷惑だからやめなって」

「確かにそうぴょん。テンションが上がってしまってつい、申し訳ないぴょん」

「今上がる要素あった?」

 

 いつも通りどこかからやってきたらびらびの、いつも通りよく分からない言葉に走りながら適当に返す。

 

 ランニング中足は忙しいけれど頭は暇だ。持て余して思考は横道にずれる。

 

 そこで一瞬考えたのは、先日のレギオンが残した不思議な丸い物体のこと。

 

「あのバイクと丸いのは、とりあえずガイアの調査待ちと」

 

 あれから大体一週間。ガイアも頑張ってはいるものの、まだ成果はないらしい。

 

 けれども餅屋は餅屋。殴る蹴るしか能のない俺があれこれ妄想するより、専門家のお仕事を待った方が賢明だろう。

 

 それにしてもと、ガイアの名前を口に出したからか、別の疑問が続いて浮かび上がる。

 

「前から助けてくれてたのは嬉しいけど、やっぱりなんでマシュマロなのか。というか飛んでくるもの変えるんじゃなくて消してくれたらいいのに」

「耕太郎達が戦っている間に聞いたぴょん。なんでも襲撃そのものを消すと別の形で抗体作用が発現する可能性があるから、危険度を下げるのがベターな対応らしいぴょん」

「あー、ゲームのバグとかボツデータみたいなものか」

 

 悪いところを取り除いた結果、何故か別のバグが生じる。そんな悪夢みたいな状況がプログラミングの世界ではしばしば発生するらしい。

 

 俺はそっちも、魔法がどうこうもさっぱり分からない。だからかつての身体の時と同様、専門家の助言は素直に聞き入れる。やっぱり餅は餅屋だ。

 

 このマシュマロとも長い付き合いになりそうだ。

 

 早速顔面目掛けて飛んで来たものをサイドステップ、着地寸前に足元を狙った一撃は電柱を掴み、空中に留まって避ける。

 

「この通り、修行になるからいいんだけどね」

「……襲われている耕太郎には申し訳ないけれど、とてもシュールな光景ぴょん」

「それは俺もそう思う」

 

 四方八方から迫るペンデュラムを剣で弾くとかなら格好もつくけれど、現実はなんかデカくて柔らかい謎の飛行マシュマロを避け続ける。変な夢でもそうそう出来ない経験だろう。

 

 そんな修業を重ねる内、不意にマシュマロの襲撃が止んだ。代わりにすぐ目の前、曲がり角の向こうから穏やかな足音が耳に届く。

 

 らびらびが無言で立ち去ろうとしている辺り、その人はこっちに向かって来るらしい。

 

 せっかくのいい朝なのに、またいつもみたいな痴女なら最悪だな。

 

 訪れかけた憂鬱は杞憂だった。曲がり角から現れた人影は見慣れた、親しい人だった。

 

「前野さんじゃん。おはよう」

「うえぇっ!? と、時枝くん!?」

 

 朝から凄い声。

 

 聞いた俺としては今日も元気でよかったな、という話になるけれど、奇声を発した本人としてはとても恥ずかしかったらしい。目は泳いでぐるぐると回り、頬も耳も少しずつ赤くなっていく。

 

 健康そうな顔色だ。それはそれとして、前野さんはこんな朝っぱら何してるんだろう。俺と同じように朝の運動とかそういうのだろうか。

 

「わんっ!」

 

 そんな疑問は足元からの挨拶で解消される。

 

 声に従い見下ろせば、そこには犬がいた。

 

 全身にふわふわした茶色の毛、柴犬みたいな雰囲気を纏う、多分中型犬くらいの子。耳は三角にとがり、澄んだ黒い眼で俺を見上げている。その子は足を止めた前野さんに合わせその場で座り、尻尾を大きく早く、何度も左右に振っていた。

 

 前野さんは散歩は散歩でも、どうやら犬の散歩だったらしい。

 

「前野さんち、犬飼ってたんだ」

「う、うん。こころ、女の子、雑種」

「……へー」

「時枝くん?」

 

 カタコトの説明を聞き流してその場にしゃがみ込み、犬の顔をじっと見る。

 

「……」

「……」

 

 つぶらな瞳で見つめ返された。

 

 そのまま見つめ合うこと十数秒。堪えきれず先に動き出したのは俺の方だった。

 

「……お手!」

 

 唐突に伸ばした右手にその子は躊躇いなく前足を乗せる。見事なお手だ。

 

「わふ」

「おー凄い。じゃあ、おかわり!」

「わふ」

 

 交代して出した左手にも同じ。素早い動作で反対側の足を重ねられる。

 

 俺には犬の表情なんて分からない。でもなんとなく、自慢げな雰囲気を醸し出しているような気がする。褒めて褒めて、なんて言葉が辺りを漂っている気がする。

 

 よしよし、ならばそのお願いを聞いてあげよう、などと半ば自問自答染みた思考のもと犬の頭に手を伸ばす。

 

「頭いいなぁ、偉いなぁ。撫でていい?」

「ハッハッ」

「ありがとう。オッケーってことにしとくね」

 

 息遣いを勝手に了承として、そのまま両手でわしゃわしゃと犬の頭を撫でてみる。

 

 温かい。柔らかい。ふわふわとした手触りが心地いい。その奥に感じる熱と感触が命を伝えて来る。触れていて安心する。もっと触りたい。どこがいいかな。

 

 そういえば、耳の後ろがいいって前にどこかで聞いたことがあるような。

 

 聞きかじりの知識を試そうとしたところで、上から強い困惑の視線を感じた。顔を上げると、前野さんの目が点になっていた。

 

「……ごめん、前野さん。よそ様の子に、というか勝手に」

「や、その、この子も喜んでるし、それはいいんだけど」

 

 なんでこの人こんな夢中になって触ってるの、なんて疑問が前野さんの顔に出ている。

 

 口に出して聞かれる前に、言い訳するように、心なしか早口で俺は答えた。

 

「犬が、そもそも動物触るの、こんな近くで見るのも初めてで」

 

 当然のことながら、人間の病院に動物を担ぎ込んでくる人はそういない。

 

 夜中の病院で肝試しをしようとこっそり忍び込んだり、そのまま俺の部屋でお泊りしようしたり。その他にもだいぶ無法なことをしていた田中の兄ちゃんと鈴木の姉ちゃんでさえ、さすがに動物を持ち込むようなことはなかった。

 

 だから触れるなんてもってのほか、生の動物を見たのもその辺の鳥とか散歩中の犬猫とかだけ。

 

 今まではそれで満足していた、そもそもそこまで関心がなかったのだけれど、いざ出会ってみると衝撃が走った。動物園行きたくなってきた。

 

「皆が夢中になるのも分かる。可愛いね、犬」

「わん!」

「ごめん、犬じゃなくてこころだよね。お詫びにもう一回撫でていい?」

「わふ」

「ありがとう」

 

 優しい返事だったから許可を頂いたことにして、もう一度こころに手を伸ばす。

 

 膝に摺り寄せてくる頭を撫でて、耳の後ろを優しく揉んで、背中を大きく撫で回す。

 

 そんなことを繰り返すうちに、やがてこころは寝転がってお腹まで見せて来た。もちろんそこも撫でた。背中とも感触が違って面白かった。

 

 初対面の俺にもこうだなんて、飼い主の前野さんと同じくとても人懐っこい子だ。

 

 そんな失礼なことを考える俺に、ちょうどその人から小さく声がかかる。

 

「と、時枝くーん?」

「………………ほんとごめん。いきなり路上で、こんな夢中に」

「ううん、それはうん、むしろありがとうというか、ごちそうさまというか」

 

 何がごちそうさまなのかは聞かないことにする。

 

 それよりもどうやらその先があるようだから、前野さんが言葉を続けるのを待った。

 

「えぇっと、その、時枝くんさえよかったら、なんだけど」

 

 

 

 ドッグラン。ドッグとラン。犬と走る。

 

 どちらもこれまでの人生で縁遠かった、遠いどころか欠片も縁がなかったものだ。

 

 そして今回前野さんが遊びに誘ってくれた場所がそのドッグランである。

 

 集合場所の噴水広場、先月ボウリングに行った時と同じ場所で前野さんとこころと合流してから、早速今回の目的地について聞いてみる。

 

「犬専用の公園、みたいな場所だっけ」

「そんな感じだよ。最近は普通の公園だとあんまり遊べないから、こうやって住み分けしてるんだって」

 

 田中の兄ちゃんも住み分けは超大事だとよく言っていた。

 

 純愛とNTR、相反するものが交わってしまうから争いが生まれる。純愛派は街で、NTR派は森で暮らせばいい、なんて戯言と共に。タタラ場じゃないんかい。

 

 そんな田中の兄ちゃんの妄言はともかくとして、今日これから向かうドッグランは大きな公園みたいなものらしい。

 

 大きな公園、想像するだけでわくわくしてきた。その気持ちで二人きりで遊ぶのはちょっと、なんて言っていた記憶は抹消する。

 

 それにお誘いを受けた時はともかく、実際今日遊ぶのは二人きりじゃない。

 

 隣にいるもう一人の子、緊張でカチカチに固くなっている七海ちゃんの肩を軽く叩き、挨拶を促す。

 

「と、時枝七海です。今日は、よろしくお願いしますっ」

「……おぉ、か、可愛い。この子が、あの」

「あ、あの?」

「えぇっと、そう、時枝くんが凄く可愛がってると噂の妹さんなんだぁって」

「か、可愛がってる、妹……」

 

 もじもじと胸の前で指を擦りながら、七海ちゃんが照れくさそうに復唱した。

 

 さて、こうして七海ちゃんを誘った理由はいくつかある。その内の一つは一緒に生活するようになってからおよそ三か月、長期休みも経験して確信した七海ちゃんのとある性質である。

 

 それは出不精。振り返ってみるとこの子は、驚くほど家に引きこもりがちな子だった。

 

 これまで休みの日で買い物、もしくは葵さんか陽香さんに連れ出される時以外に外出していた記憶がほとんどない。大体は家でやたらと凝った家事をしているか、もしくは俺と一緒にだらだらしていた気がする。

 

 もちろんそれが悪いとは思わない。人それぞれ趣味嗜好は異なるし、インドアにもアウトドアにも違った面白さがある。

 

 けれどもせっかくいつでも外に遊びに行けるのに、ずっと家の中で過ごし続けるのはもったいない。外も中も楽しいんだから、両方バランスよく過ごした方が絶対お得だ。

 

 かといって世間知らず、もはや世界知らずとも言っていい俺では七海ちゃんに外の楽しさを教えてあげられる自信がない。むしろ俺が誰かに教えて欲しい。

 

 だからこそ今日は前野さんを頼りにして、七海ちゃんを連れ出させてもらった。

 

 実は他にも理由があるけれど、そっちも前野さんなら平気だろう。今も七海ちゃんに優しく笑いかける姿を見れば確信が持てる。

 

「なんて、ごめんね。急にそんなこと言われても困っちゃうよね」

「あっいいえ、その、嬉しいです。え、えへへ」

「……本当可愛いなこの子、じゃなくて、私は前野貴子です。時枝くんの、お兄さんの同級生やらせてもらってます」

 

 丁寧にお辞儀する前野さんを見て、七海ちゃんがはっと両手を口元に運ぶ。

 

「あの、前野さんって、もしかしてあの前野さんですか?」

「あの?」

「えっと、兄さんがお家でよく話してくれるクラスメイトの」

「ふんふん」

「凄く親切で頼りになる人で」

「おぉ、へっへっへ」

「何よりいつも滅茶苦茶面白い、リアクション芸人みたいな友達だって」

「時枝くん!?」

 

 今回も見事な反応を見せてくれた前野さんから目を逸らし、お利口さんに御主人様の動きを待つこころの前でしゃがみ込む。

 

 朝と同じくまたしても俺の膝へすり寄る頭を撫でながら、適当な気持ちで問いかけた。

 

「こころはどう思う?」

「わんっ!」

 

 元気な返事だ。もちろん意味は分からないから、俺に都合がいいよう受け取った。

 

「おかげさまで毎日抱腹絶倒だって」

「こころの声を捏造しないで!?」

「心だけに?」

「今日の時枝くんなんかテンションおかしいね!」

 

 自覚はあった。

 

 朝には初めて犬と、こころとあんなに戯れられて。午後はこうして友達と外に、公園にまで遊びに行けて。しかも七海ちゃんも一緒に来てくれて。まだ集まっただけなのに、既に満足している自分がいる。

 

 七海ちゃんもそんな俺には困惑しているようで、ちょっと不思議そうな目で見上げられた。

 

「……今日の兄さん、ちょっと変?」

「楽しいからね。さあさあ七海ちゃん、前野さんも早く行って遊ぼう」

 

 七海ちゃんの手を取って、意気揚々とドッグランに向かおうと歩き出す。

 

 けれどその足も数歩で止まった。

 

 すぐに俺は振り返り、首を傾げる七海ちゃんの向こう側、まだ動き出していない前野さんに問いかける。

 

「前野さん、目的地どっちだっけ?」

「……今日の時枝くん、本当テンションおかしいね」

 

 今度は苦笑いだった。お恥ずかしい。

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