ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

58 / 72
第9話「ドッグランの不思議な出会い」

 前野さん案内のもと辿り着いたドッグランは、この間行ったボウリング場のすぐ近くにあるところだった。

 

 背の高い、数メートルはあるフェンスに囲まれた草原のような風景。大体学校のグラウンドの半分くらいの大きさだろうか。

 

 今日は比較的暖かいけれど、季節は冬真っただ中。そのせいか利用者の数は少ない。

 

「いくよーこころー! それっ!」

 

 この場合、おかげでと言った方が正しいだろう。

 

 今七海ちゃんとこころがしている遊び、思い切り投げたフリスビーをキャッチさせるなんてこと、人が多い時には絶対に出来ない。

 

 こころはお腹を出していた時には想像も出来ないほど、とても俊敏な動きでフリスビーを追いかける。そして勢いを殺さず跳躍、空飛ぶフリスビーを華麗に咥える。

 

「わあ、すごいすごい! ナイスキャッチー!」

 

 七海ちゃんもその場でぴょんぴょんと何度も跳ね、喜びと興奮を露わにしていた。

 

 こころはそんな七海ちゃんのもとへ素早く駆け戻り、顔を上げてフリスビーを差し出す。

 

 受け取って、なんて言葉が出なくても伝わる素振りだ。更に尻尾はぶんぶんと大きく振られ、次への期待までも感じさせる。

 

「ねえこころ、もう一回、もう一回やる?」

「わんっ!」

「よーし、次はもっと高く投げるからねー!」

 

 そんな風にきゃっきゃわんわんと跳ね回る一人と一匹を、前野さん持参のシートに二人で座って眺める。

 

 あのはしゃぎっぷりはもはや犬と子犬、いっそ二匹で勘定してもいいかもしれない。我ながらとても失礼な感想が頭を過ぎった。

 

「いやぁ、微笑ましいねぇ」

「うん、ごちそうさまって感じ。……ああ、朝のあれって」

「へへへへ」

 

 凄い誤魔化し笑い。

 

 まったく何も誤魔化せてないのに、しょうがないなぁまあいいかぁ、なんて気持ちにさせるのが特に凄い。結果的に誤魔化せている。前野さんの人徳だ。

 

 俺も苦笑いでそれは見過ごして、再び七海ちゃん達の方へ視線を移す。

 

 ちょうどこころがフリスビーを七海ちゃんに届け、ついでに撫でろ撫でろと言わんばかりに纏わりついているところだった。

 

「わっ、あーもー、くすぐったいよぅ」

 

 全力でじゃれ合う姿は本当に微笑ましい。

 

 ここから遠目で見ていても分かる。七海ちゃんは無邪気に笑っている。こころとの時間を心底楽しんでいて、悩み事なんてすっかり忘れ切っている。

 

 ほっと一安心していると、不意に小さく声をかけられた。

 

「ね、時枝くん」

 

 体育座りの前野さんが自分の膝に顔を乗せ、俺のことをじっと見つめている。

 

「今日来てくれたのは、七海ちゃんのため?」

「……えぇっと、それは」

「いつも皆のお誘い断ってる時枝くんが今日は頷いてくれたの、朝から不思議に思ってたんだ。さっきまではこころのことそんなに気に入ったのかな、なんて思ってたんだけど」

 

 話の中身とは反対に前野さんの口調、瞳に疑問はない。確信に満ちている。

 

「でもずっと、こころじゃなくて七海ちゃんのことばっかり気にしてるから」

「……そんなに分かりやすかった?」

「うん」

 

 何の迷いもなく頷かれた。めっちゃバレバレだったらしい。

 

 ここまではっきり言われてしまうあたり、もう誤魔化しようはないだろう。俺にはさっきの前野さんのような振る舞い、達人レベルの誤魔化し笑いは出来ない。

 

 だから俺は隠しておいたこと、今日前野さんの誘いに乗ったとても失礼な理由を告げた。

 

「気のせいじゃなければなんだけど七海ちゃん、ここ最近なんかそわそわしてるというか、緊張してる感じしててさ。だから、いい気晴らしの方法とか考えてて」

「こころに白羽の矢が立ったの?」

「うっす」

 

 七海ちゃんの様子がおかしくなり始めたのは、十二月に入ってすぐのことだった。厄災の日、サンタレギオンの卵が現れた時期のことだったからよく覚えている。

 

 時々不安そうにしていたり、妙に疲れた雰囲気をしていたり。こたつで居眠りしてしまっている時もあった。

 

 それが終わったのがクリスマス、終業式の日。冬休みに入ってからの七海ちゃんは常に明るく朗らか、毎日楽しそうだった。一言も口にせずとも、悩み事が全て解決した、なんてものを感じさせる笑顔をしていた。

 

 おかげで俺と葵さんは一安心したのだけれども、この間学校が始まってまた七海ちゃんの纏う空気が変わった。先月ほどではないものの、どこか物憂げな顔をしているのを見かけるようになった。

 

 またしても七海ちゃんが悩み始めた理由。葵さんと一緒に考えて、時期的に学校が関係しているんじゃないか、という結論に至った。

 

「もしかして中学校に上がるのが不安なのかな。それなら前野さんと遊べば、こういう優しい先輩もいるから平気だよー、みたいな励ましになるかなと、はい」

 

 気まずさから早口で言い訳をまくし立てる。

 

 だってこれ、前野さんには何の関係もないことだし。前野さんからしたら、せっかく遊びに誘ったのに、黙って知らない妹の出汁にされてたってことだし。

 

 申し訳なくて顔が見れないまま、なおも言い訳は続く。

 

「俺からしたら、前野さんがそういう先輩みたいな感じだから」

「私が先輩?」

「そう、学校生活の先輩。今日まで色々なこと散々教えてもらったから」

 

 ちょっと怪しい時はあるけれど、明るくて穏やかでとても親切な前野さん。かなり変なところはあるけれど、凄く気が合って頼りになる財前。

 

 ランドセルを背負ったことすらない俺がこうしてまともに中学校に通えているのは、間違いなくこの二人のおかげだろう。

 

 だから今回も、七海ちゃんの不安を晴らすのも、前野さんの力があれば出来るはず。

 

 そんな皮算用を一人で、しかも本人に黙ってしていたがバレたのだから、それはもう気まずい。完全なる自業自得ではあるけれども。

 

 話を聞き終えた前野さんはゆっくりと立ち上がり、俺の間で仁王立ちする。

 

「では時枝くん、罰として先輩命令です」

 

 言葉に釣られ見上げた先で、前野さんは神妙な顔をしていた。

 

 罰。一体どんなことを命令されるのか。緊張で唾を飲み込む。

 

「せっかくここまで来たんだから、時枝くんもこころと遊んであげて?」

 

 けれどもいざ出された命令はとても拍子抜けする内容だったから、きっと俺は間抜けな顔を晒していたんだろう。

 

 前野さんはくすりと笑みを零した後、どこか誇らしげな素振りで語り始める。

 

「こころの体力は凄いよー。私がくたくたになるまで遊んでも、あの子いつも全然へっちゃらな顔してるんだから」

「前野さんでそれじゃ、七海ちゃんだともっと駄目かも」

「だからほら、早く! 先輩の言うこと聞いてね!」

 

 先輩命令ならしょうがない。

 

 俺は指示されるまま立ち上がり、前野さんと共に七海ちゃんのもとへ走って行った。

 

 

 

 それから三人で、こころも入れて三人と一匹でしばらく遊んでいると、七海ちゃんが何かを見ていることに気がついた。

 

「何か面白いものでも見つけた?」

「……えっと、面白くはないんだけど、うん。兄さん、あの人って」

 

 言葉通り、七海ちゃんは一切面白がっていない。むしろ不安と心配を感じる。

 

 その視線の先では小さな犬を連れた銀髪の男の人が、三人のお姉さんに囲まれていた。

 

「今お一人ですか?」

「実はお兄さんのこと、ここ来た時から気になってて」

「ですです。良ければ、私たちとこの後お茶でも」

「……ふむ」

 

 微かに聞こえる猫撫で声とその内容は、もう教科書に載せたいほど典型的なナンパだ。

 

 そんな声を出す気持ちも分かるとは絶対に言えないけれど、よくよく観察すれば納得は出来た。その銀髪のお兄さんは、この遠目からちらっと見ただけで分かるほど整った容姿をしていた。

 

 髪と同じ色をした切れ長の瞳、シャープな輪郭にすっと通った鼻筋。どれもこれもガラスのように冷たく鋭くて人工めいた印象、それ故の美しさを感じさせる。その上足はすらっと長く、背も高く、ついでに佇まいは落ち着きに満ちている。

 

 しかもあの人、どう見ても日本人じゃない。顔の作りからして外国の人だ。おかげで年齢もよく分からない。物珍しさもあって、ナンパはともかく興味を惹かれるのも分かる。

 

 不安げに俺と向こうを交互に見て、躊躇するようその場で足踏みする七海ちゃんは違うとして、実際前野さんは普通に目をキラキラと輝かせていた。

 

「が、外国人の、イケメンだぁ。まさか、生で見れる機会がくるなんて……!」

 

 昔病室でおじさん達とグラビアアイドルのきわどい写真を見ていた時の、鈴木の姉ちゃんに怒られる五秒前の田中の兄ちゃんみたいな表情をしている。

 

 その顔が懐かしくて面白くてつい眺めていると、すぐに気付かれてしまったらしい。前野さんは思い切り驚き慌てふためき、手足を奇妙な動作で振り回す。儀式めいた動きだ。こっちも面白い。

 

「や、あ、あの時枝くん、あのね、これは、違くてね」

「偉い格好いい人だね、俳優みたい。あれこそ自称とは違う、まさにダンディな男の人って感じがする」

「……その反応もちょっと寂しい!」

 

 前野さんは忙しい人だなぁ。

 

 それ以上は触れると悲劇が起こりそうだからそっとしておくことにして、お兄さんの方はそういう訳にはいかないだろう。

 

 感覚的にはまだ違和感が大きいけれど、この色々と逆転した世界で男が女に囲まれるのは大したことだ。このまま見過ごせない。

 

「にしてもああいうのってどこにでもいるんだなぁ。退院した日思い出す」

「退院した日って?」

「七海ちゃんと出かけた時に高校生、大学生? とにかく知らないお姉さんに公園で、結構強引に声かけられて」

 

 そこを陽香さんに助けてもらって、なんだかんだで仲良くなれて。たった三か月前なのにすっかり懐かしい、今となってはいい思い出だ。

 

 なんて、しみじみと浸っている場合じゃない。さっさと、何かトラブルになったら大変だから、ここは俺一人で行こう。

 

「まあその辺の話は後にして。前野さん、七海ちゃんのことお願い。ちょっと行って来る」

「兄さん!?」

「え、ちょ、と、時枝くん!?」

 

 二人が戸惑っている間にすたすた歩いて現場へと向かう。ちなみにこころはフリスビーを咥え、我関せずと尻尾を振っていた。大物だ。

 

「この辺りに美味しいお茶を出してくれる喫茶店があるんです」

「ここは寒いですから、少し温まりませんか?」

 

 向かう途中そんな誘い文句が聞こえて、俺は正直意外に思っていた。

 

 お姉さん達は瞳のギラつきこそ隠し切れてはいないものの、それ以外は見事に取り繕っている。驚くほどとても穏やかな口調と雰囲気で紳士的、いや淑女的だ。俺がされたナンパとはまるで違う。

 

 この分だとわざわざ間に入る必要はないのかもしれない。けどここまで来た以上、助け舟は出すだけ出してみよう。無駄な出航なら戻ればいい。

 

「先生、こんなところで何やってるんですか?」

「……おや、君は」

「もしかして迷子ですか? まったく、引率の人がなってちゃ世話ないですよ」

 

 あたかも知り合いのような口ぶりで声をかけ、自然な流れで連れ出し逃げる。

 

 漫画なんかでもよく見る、ナンパされた人を助けるための典型的な手法だ。まさか実践することがあるとは思っていなかった。

 

 果たしてこのお兄さんは気づいてくれるか、そもそも日本語が通じるのか。

 

 今更の心配と共に様子を窺うも、どっちも杞憂だった。幸いすぐに察しがついたらしい。早速俺の演技に乗り始めた。

 

「それは失礼した。どうにもこのような場所は不慣れでね。他の子はどちらに?」

「向こうです。ほら、行きますよ」

 

 七海ちゃん達がいるところ、とは少し別の方向を指差し、お兄さんの腕を引く。

 

 それからナンパしていたお姉さん達をちらっと見上げる。三人ともそれぞれ困惑、もしくは申し訳なさそうな顔をしていた。やっぱり俺の時は違う。

 

 これならそこまで警戒しなくてもよかったのかもしれない。

 

 モンスターみたいな扱いをして、逆にちょっと申し訳なくなってきた。そんな気持ちも込めて、お姉さん達にお別れの会釈をしておく。

 

「すみません、この人この通り色々とあれで。ご迷惑かけませんでしたか?」

「い、いや、そんな、私たちは全然」

「そっか。ならよかったです。じゃあ俺達はこの辺で」

 

 お兄さんの腕を引き、視線を感じながらそのまま指差した方向へ進む。いくらか歩いてから、背中に感じるものがなくなってから後ろを振り返ると、お姉さん達の方も移動し始めたらしい。感覚通り、もうこちらを見ていなかった。

 

 これなら七海ちゃん達のところに戻っていいだろう。

 

 切り返して到着してすぐ、七海ちゃんが飛びつくように聞いてきた。

 

「に、兄さん、大丈夫!?」

「この通り平気平気。今日の人達は俺のこと趣味じゃなかったらしいよ」

 

 見た目も雰囲気も落ち着いていたあの人達は、多分立派な大人の社会人。そして俺は貴重な男とはいえまだ中学生、子供に惹かれないのは当たり前の話だ。

 

 その証拠にあの人達も声かけ始めは困惑していたけれど、別れる時には穏やかに手を振って見送ってくれた。

 

「お兄さんも大丈夫、というか間に挟まっちゃってよかったですか?」

「もちろん、君が来たのは都合がよかった。このような場と同様、ああいったものも不慣れでね。適切な対処法を考えているところだった」

 

 淡々とした、どこか他人事のような口調だ。声色もとても平坦で、直前まで絡まれていたとは思えないほど。表情も似たようなもので、どこを切り取っても冷静沈着百パーセントって感じだ。

 

 こういう人にはどう返したものか。

 

 どうやら反応に困っているのは俺だけじゃないようで、七海ちゃんは目を逸らしてちらちらと下の方を、いや違うこれ、この子はこの人の連れてる子犬が気になってるだけだ。

 

 そして前野さんもちらちらと、あっこっちも違う、これは、この人の顔とかあちこちをチラ見してるだけだ。スカート丈の短い人を見つけた時の田中の兄ちゃんと同じような目してる。

 

「失敬、このような時はまず礼を言うべきだと、先日知人に読まされた本にもそう書かれていた」

 

 そんな感じでろくな返事もしない俺達を観察して、その人は明後日の方向に納得をしたらしい。独りでに呟いてから、緩やかにお辞儀をした。

 

「ありがとう、君のおかげで助かった」

「どういたしまして。……えぇっと」

「なるほど、重ね重ね失礼した。初対面の人間に対しては、何よりも自己紹介が先だと言われたことも忘れていた」

 

 お兄さんは顔を上げてこちらを見る。銀色の不可思議な輝きと目が合う。

 

「私の名前はヴェイン・ウォーカー。姓に馴染みはないため、名前で呼んでくれたまえ」

 

 いたって普通の自己紹介だったにもかかわらず、何故か不思議と耳に残った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。