ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第13話「身体に悪いものが食べたい」

 魔法的なあれこれは悩み事が多いけれど、かと言って日常が平和そのものって訳でもない。むしろ退院前の、世界が変わる前の常識もあって、非日常以上に首を傾げるようなこともある。

 

 今朝登校する前に見たニュースの内容もその一つ。けれど朝はばたばたとしていて、調べる暇も七海ちゃんに聞く時間もなかった。

 

 こういう時は聞ける人に聞いておこう。自分の席から教室を見回し、ターゲットを見定めた。

 

 早速前に座るターゲットの椅子をシャーペンで叩く。注意がこっちを向いたところで小さく呼びかけた。

 

「朝地朝地」

「……どうしたの、急にそんな小声で」

 

 同じような囁き声で、朝地は微かに首を傾げながら返事した。

 

 我ながら賑やかな教室では聞き取りづらい声量、朝地が疑問に思うのも当たり前のこと。

 

 でも話の内容が内容だ。このおかしな世界でも元と同じような、俺の想像通りのものなら、大手を振って語るのは少し憚られる。

 

「バレンタインってどんなことやる日だっけ?」

「……」

 

 何故沈黙。

 

「前野さん、バレンタインってどういうことをする日だったかしら」

「え、急に何事?」

 

 いや朝地も分かってないんかい。

 

 俺から出されなければ問題ない話題だからか、朝地は一生懸命宿題をしていた前野さんへ普通に投げかけていた。

 

 前野さんはちらっと横目で俺の様子を窺った後、シャーペンを顎に当てながら答える。

 

「女の子同士でチョコを贈り合う日、だよね」

「らしいわ」

「横流し」

 

 真顔でしれっと宣う姿は、いっそ感心するほどに堂々としたものだった。

 

 一月も後半に差し掛かり、二月の背中がそろそろ見える今日この頃。そして二月と言えば一年に一度の戦場、バレンタインである。今朝のニュースで、そして田中の兄ちゃんも昔そう言っていた。

 

 実際戦場かどうかはともかく、俺としても意識せざるを得ない。同じく田中の兄ちゃんが決戦と語っていたクリスマスを巡り、先月はとんでもない目にあったからだ。

 

 けれども前野さんの説明的に、バレンタインは女の子だけで完結していそう。

 

 おかげで俺も一安心して二人の会話に口を挟む。

 

「来月のひな祭りといい、女の子主役のイベント二回連続であるんだね。羨ましい」

「あー、えっとね、バレンタインは女子がチョコ贈り合う日でもあるんだけど」

「あるんだけど?」

「言いにくいか。ならその先は僕が説明しよう」

「うわ財前」

 

 にょきっと前野さんの後ろから財前が生えて来た。あまりの唐突さに前野さんと朝地の机が揺れる。

 

 その反応に満足げ、普段以上に得意げな顔からして、どうやら悪戯のつもりだったらしい。ところでこいつこの身長で、どうやって前野さんの背中に隠れていたんだろうか。

 

 無数に湧く疑問の中、財前が答えたのは一つだけだった。

 

「端的に言えば、僕達男子も無関係ではない。むしろ主役と見てもいい」

「主役かぁ。てことはあれ? 俺達は本命とかそういうのを、何か贈るとか、貰うとか」

「国によって違うとは聞くが、日本ではチョコを受け取る方だ」

 

 聞いたことのある、というよりも前の世界とほとんど同じ内容だ。

 

 そして前野さんが言っていた、女の子同士でチョコを贈り合う日、というのも間違いではないそう。いわゆる友チョコだ。人口比率的にこっちの方が絶対需要高いし、先に挙げられるのは納得。

 

 だけども前野さんが俺を見て言い淀んだあたり、何かしらまた妙な問題が、この世界特有のへんてこな事情があるんだろう。

 

「だが君も先日のクリスマスで学んだとは思う。ことこうしたイベントにおいて、女性の活力は常にも増して凄まじい。身体の弱い僕達では容易く蹂躙されてしまうだろう」

「……まあ、うん。あの勢いでチョコ渡されたら、多分胃袋が破裂する」

 

 仮に先月の女子の一党が、そのまま全てチョコの群れに変わるとする。

 

 たくさんチョコを食べると鼻血が出るのは迷信だとしても、物理的にも栄養的にもあれだけの数は絶対に処理しきれない。

 

 魔法のある俺でさえそうなのだから、財前のような一般男子が立ち向かえば尚更のこと。まず間違いなく死に至るだろう。

 

「そのため僕達が産まれるよりも前に色々とルール、というよりマナーが出来たそうだ」

 

 一言でまとめれば、予約制になった。

 

 バレンタイン当日までに意中の相手へメッセージカードを贈り、その返事次第でチョコの贈呈可否が決まるんだとか。

 

 一人に許可を、更に二人三人へ、もしくはそれ以上に、あるいは誰からも受け取らない。

 

 その判断は全てカードを贈られた男に委ねられている。少なくとも、表向きにはそう言われているらしい。

 

「財前はどうするの?」

「学校では特に考えていない。クリスマスを考えるに、僕が狙われる可能性は著しく低いだろう」

「でもゼロではないでしょ」

「……だとしても、お婆様から許可が下りないだろうな。誰からも受け取ることは出来ない」

 

 チョコレートは高糖質かつ高脂質、刺激が強い虚弱体質の人には不向きな食べ物だ。周りが止めるのも分かる。

 

 チョコ美味しいのに、大変だな。

 

 かつての俺同様、チョコを食べられないらしい財前を不憫に思う。本人はけろっとして、まったく気にしていなさそうではあるけれど。

 

 そんな財前を一瞬気の毒そうに見た後、前野さんがわざとらしくこほんこほんと咳をした。

 

「えー、時にー、時枝くん」

 

 そしてこそこそと、声量を落として尋ねて来た。

 

「そういう時枝くんは、バレンタインは、いかがされるおつもりでしょうか?」

「誰から貰うかってこと?」

 

 前野さんが無言でこくこく頷く。

 

 返事を期待する瞳を前にして、俺は困ってしまい頬をかく。

 

「……うーん。正直、どうしようか迷ってて」

「意外だな。君なら全て断ると踏んでいたんだが」

「ええ。心変わりでもしたの?」

 

 途中から我関せずにしていた朝地まで会話に入ってきた。それぐらい意外だったらしい。

 

 別に心変わりはしていない。今も誰かと付き合う、恋愛をするつもりは毛頭ない。

 

 けれども渡してくれる人にとても失礼な、一部心惹かれるところがあった。

 

「えっと、去年退院してからも俺、一応隔週で病院に通ってるんだけど」

 

 魔法なんて常識外れのおかげで健康にはなったものの、今まで診続けてくれた先生からしたら訳が分からない状況だろう。

 

 なにせ入院期間およそ十三か四年、しかも直近の昏睡期間は三か月で、おまけに記憶喪失までしていた(していない)患者。それが俺だ。

 

 どうして身体が急に良くなったのか。この回復傾向は続くのか、それとも再び悪化するのか。してしまうのなら、どう対策すればいいのか。そして記憶はどうなったのか。

 

 諸々の確認や診断のため、定期健診のような形で今も病院にはお世話になっている。

 

「その時にまあ色々と生活のこと、食事のこととかも聞かれる訳で」

「当然だな。僕も主治医には毎日提出している」

「俺の方はそこまで厳密じゃないんだけどね。それでこの間行った時、一緒に来てくれた七海ちゃんが凄く、献立のバランスとか褒められてて」

 

 七海ちゃんは元々忙しい葵さんのことを気遣って、なんとなく栄養バランスを考えてご飯を作っていたらしい。

 

 それが俺も同居を、つい最近まで入院してた男が一緒に暮らすようになったから、本腰を入れて気にするようになったそうだ。

 

 七海ちゃんの優しさに満ち溢れた、俺なんかにはもったいない気遣いだ。だからとてもありがたいことではある、あるのだけれど。

 

「そのおかげか七海ちゃん、最近張り切っちゃって。いや、うん、いつもご飯作ってもらってる身だし、そういうの全部、毎日感謝してるんだけど」

 

 ちょっと、ほんのちょっとだけ、口うるさいというか。中学生の頃田中の兄ちゃんが愚痴っていた、合唱コンクールの女子感あるというか。

 

 一緒にお菓子を食べてると、途中からもの凄くもの言いたげな目で見つめて来たり。一緒に買い物へ行った時にカップラーメンを眺めていたら、もの凄くもの言いたげな上目遣いをされたり。その上結構な力で袖を引っ張られて、犬みたいに連れて行かれたり。

 

 それ以外にも色々あってここ二三週間、俺の食事はかなり窮屈な感じになってしまった。

 

「だから七海ちゃんの知らないところでチョコをたくさん、好き放題食べられるのはいいなーって」

「……呆れた。貴方、どうして自分がチョコを貰えるのか忘れたの? 渡された分だけ、貴方は先月以上に告白されるのよ?」

「そこはこう、なんかこう、いい感じにね?」

「驚くほどノープランだな」

「チョコ欲しさで知能が低下してるわ」

 

 言葉にはしないものの、財前の目には朝地同様呆れが満ちていた。無言の苦笑いをしている前野さんの瞳にも、時枝くんはアホだなぁ、みたいな色が鮮やかに浮かんでいる。

 

 それでも俺はチョコが、お菓子が諦めきれない。ずっと我慢していたのに、やっと食べられるようになったのに、ちょっと身体が悪いくらいで止められたくはない。

 

 そんな往生際の悪さが伝わったのか、珍しく朝地が分かりやすく目尻を吊り上げた。

 

「いいから、そういう馬鹿なことはやめておきなさい。その手の感情を逆なですると、絶対に後で痛い目を見るわ」

 

 お説教されてしまった。現役姉だからか、どこかお姉ちゃんっぽい雰囲気がある。

 

 こういう言い方をされると元気だった頃の、引っ越す前の鈴木の姉ちゃんを思い出してしまう。思わずしんみりして、素直に頷いてしまう。

 

 それで反省が見て取れたのか、朝地はあっさりと矛を収めた。もしくはさっくりととどめを刺しに来た。

 

「それにもし貴方が隠れてチョコを食べても、私が全部七海に伝えるから」

「横流し」

 

 学校にはスパイがいた。

 

 

 

 新しい敵が現れても、いや現れたからこそ、今日も続けている恒例の特訓が終わった。

 

 これまた恒例の、特訓を終えた後の雑談中のことだ。唐突にガイアが変な、ではないけれど、出すと思いもしていなかった話題を口にした。

 

「……身体に悪い物って、美味しいと思わない?」

「どうしたの急に」

「…………ふと思い至っただけよ。誰でもそういうもの、カップラーメンとかは時々食べたくなるでしょ?」

「分かる。あたしはトマトのが好き」

 

 深々とシャインが頷いていた。全体的に赤い子だから、カップラーメンも赤いものが好きなんだろうか。

 

 ラーメンなんてほとんど食べたことがないから、そんなよく分からない想像しか出来ない。この場合、白衣の俺は豚骨とかになるんだろうか。黄色いガイアは味噌で、青いオーシャンはいったい。

 

「カップラーメンねー。興味はあるんだけど、まだ食べたことないんだよなー」

「え、そうなんですか?」

「この間プレゼントの相談した妹的な、最近そういうことになった子に、身体に悪いからそういうのは駄目って禁止されちゃって」

「なにそれ、束縛強過ぎじゃない?」

 

 シャインが腕を組んで眉を顰める。やっぱり七海ちゃんは束縛強めらしい。

 

 共感を得られて安心しつつ、それでも本心からのフォローも入れておく。

 

「や、身体のこと考えてくれてるのは分かるから」

「にしたってねぇ。カップラーメン一つでぶっ倒れはしないでしょ」

「……まあ、うん。それならまだ退院出来てないよね」

「じゃあそいつが気にし過ぎってこと。カップラーメンぐらい勝手に買って食べたら?」

 

 全部現物支給だった世界が変わる前と違って、今は保護者の葵さんからお小遣いは貰っている。レジに向かうのも緊張していた最初の頃とは異なり、もうセルフレジだって悠々と使える。

 

 だからカップラーメンの一つや二つ余裕で買うことは出来る、出来るんだけど。

 

「心配を無にするのはなぁという気持ちと、別にいいでしょこれくらい、みたいな思いが喧嘩してて」

「しょっぱい天使と悪魔ね」

 

 腰に手を当て、シャインが溜息交じりの笑みを浮かべる。本日何回向けられたか分からない呆れ顔だ。

 

 そしてその向こうで、何故かオーシャンがはわはわしていた。

 

「あ、あの、グレイさんがああいうこと嫌そうにしてるなら、もしかして、兄さんも」

「……そうね。彼も似たようなことを、少しくらいは思っているかもしれないわ」

「はわわ」

 

 言葉にもしていた。現実にいるのか、言葉にする子。

 

 オーシャンの恐ろしいあざとさに戦慄する俺とは違い、ガイアは普段通り至って冷静なままだった。さすがの貫禄だ。

 

「でも貴方の心配はもっともだし、何もかも彼の自由にさせるのもおかしな話よ」

「じゃあ、どうすれば」

「どちらもほどほどにするのがいいんじゃないかしら」

 

 けれども何かしらの助言をするガイアの口調は、いつもよりどこか柔らかい気がする。あざとさに負けたのかな。ガイアって基本オーシャンには甘いし。

 

 

 

 そんな雑談をしたことすら忘れかけた週末の買い出し中、スーパーのトイレから戻ると見慣れないものがカートに積まれていた。

 

 背の低い茶色のダンボール。表面にはCMやコンビニ、病院の売店でもよく見たカップラーメンの名前が刻まれている。味は多分醤油。

 

「七海ちゃん、これって」

「か、カップラーメンだよ」

「えぇっと、非常食とか? もしもの時はそういう備蓄が大事って聞いたことが」

「ううん、兄さんが食べると思って」

 

 俺が。あんなに駄目だよって言ってたのにいきなり。なんでやねん。

 

 衝撃のあまりツッコミを入れるタイミングを外した俺に、七海ちゃんは容赦なく追撃を加える。

 

「箱で買うから、好きなだけ食べてね!」

 

 ちょっと心配になる心変わりだった。おでこに手を当てても熱はなかった。

 

 それで家に帰ってから早速確かめた、好きなだけと言われたカップラーメンの味はというと。

 

「……うーん?」

 

 美味しいことは美味しい。でも、一度食べればしばらくいいかなってなる味。

 

 醬油ベースのスープやそれを持ち上げる麺、謎の肉っぽい具材も美味しい。

 

 けど全体的に味が濃い。はっきり言ってしょっぱい。あとなんか飲み込んだ後、舌に変な感覚が残る。

 

 そして量もそこまでなかった。スープを残してさくっと食べ終えてから両手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

 

 それを待っていたかのように、七海ちゃんがすぐさま俺に尋ねる。

 

「美味しかった?」

「なんていうか、なるほどって感じの味だった」

 

 しょっぱくてしつこくて変な感じがして、それでもどこか後を引くものがある。ガイアが言っていたように、時々なんとなく食べたくなる、という気持ちは分かった。

 

 けど時々だ。間違っても毎日は嫌だ。足りないし身体に悪そうだし、絶対に飽きる。

 

 その真反対を行く食事をいつも用意してくれる七海ちゃんに対し、改めて感謝の念が浮かぶ。

 

「七海ちゃん、いつもありがとう」

「……どういたしまして?」

 

 こんな感じで、色々ありつつも時枝家は平和だった。

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