窓辺から差す夕日に赤く照らされる教室。そこで向かい合う制服姿の男子と女子。
女の子はもじもじと身動ぎをし、可愛らしい便箋をお守りのように握り締めている。その様子を、彼女が勇気を出すのを、男の方はただ見守っている。
脇になんかいる眼鏡のイケメンをなんとか意識から外せば、まるで漫画かドラマ、手垢のついた青春劇のような光景だ。今時逆に貴重なほどに。
自分がその最中に立っていなければ、俺もそのもの珍しさを無邪気に楽しめていただろう。当事者の今は普通に気分が重い。
それを表に出さないよう抑えている内に、向こうも覚悟を決めたらしい。少し皺の出来てしまった便箋を、見知らぬ女子は両手で勢いよく俺に差し出した。
「時枝くん、よかったらバレンタインに」
「ごめんなさい」
「ぐわーっ!?」
そしてそれを俺はお断りした。これで今日何人目だろうか。
クリスマスに彼氏を求める女子が暴走した結果開催されてしまった奇祭、時枝耕太郎告白会場。
バレンタインが近くなった今、何故か第二回が本日執り行われていた。開催の経緯は大体第一回と同じなので割愛する。
財前は今回も付き合ってくれて、例の如く隅っこでマネージャー的に眼鏡を光らせている。その面倒見の良さには感謝をしつつ、疲れのあまりアホの思い付きを尋ねてしまう。
「財前家にロボットとかない?」
「……また秘密兵器の話か?」
「いや、全自動告白お断りマシーン的な」
「ある訳ないだろう、そんな馬鹿みたいな機械」
呆れ全開のため息を吐いた後、財前は続けた。
「それに必要ならそんな機械を作るより、代理人を雇った方が格段に安く済む」
「資本主義……!」
現代社会の闇を見た。
そんな漫才染みた会話で脳を癒していると教室の戸が控え目に、規則正しく叩かれた。
こちらの返事を待たずに扉を開き、顔を覗かせるのはこちらもまた受付をしてくれている朝地桜さんだ。今日も頭が上がらない。
「次、もういいかしら」
なお、陸上部の前野貴子さんは本日部活のため不参加である。手伝えなくてごめんね、なんて言われたけれど、こんなことに誘っただけでも謝るべきは俺だと思う。
「朝地も、今日もごめん。ありがとう」
「……気にするなら、早くちゃんと終わらせて。もし休み休みで後回しにしたら、明日はもっと大変なことになるわ」
「うん、頑張る」
前回のクリスマスを受けて、俺のスタンスは校内にそこそこ広がった。つまりそういうことを今望んでいない、誰とも付き合う気はないということは既に知られている。
それでも告白しに来るのは本人なりに真剣な人達か、もしくは。これ以上は悪口になるから考えもしないでおく。
ただ、どちらも自分の気持ち、欲望を抱えるのに精一杯で、相手と周りのことを思う余裕がないことは共通している。
だから平穏を守るためには、朝地の言う通りに早くちゃんと返事をしなければいけない。
そんな決意を胸に、新たに入って来た女子生徒、恐らくは後輩と向き合う。
「し、失礼します! ここ、こんにちは、時枝先輩!」
「こんにちは。足は大丈夫だった?」
「え!? わ、私のこと、覚えててくれたんですか!?」
「目の前で階段から落ちかけたら、さすがにね。覚えてるし、心配にもなるよ」
「あの時は、ありがとうございました。時枝先輩が手を握ってくれたから、私」
こんな感じにちょっとした会話を挟みつつ、来る子達を的確に捌いて行く。何故か時々財前が呆れているのを尻目に、何人も何人もお断りしていく。
俺達の戦いはこれからだ!
そんなフレーズを脳裏に浮かべても、中々列は打ち切りになってくれなかった。
掛け軸のある和室なんて初めて入った。そもそも客間というもの自体、初めて足を踏み入れたかもしれない。足元、畳と座布団も不思議な感触でそわそわする。
おかげでどうも肩肘が張るというか、変な緊張感があるというか。対面に美しい姿勢で座る朝地とは、我ながら正反対の構えだ。
そんな落ち着かない様子の俺に穏やかな笑みを向けながら、朝地のお母さんは目の前に温かいお茶を置いた。
「今日も来てくれてありがとう、耕太郎くん。あったかいものどうぞ」
「あっはい。あったかいものどうも」
葵さんの趣味なのか、時枝家でお茶と言えば紅茶になる。だから緑茶を目にするのは久しぶり。以前このお家に、朝地家にお邪魔して以来だった。
嗅ぎ慣れないけれどどこか落ち着く香りに、ほんの少し肩から力が抜ける。
「じゃあ、あとは若いお二人でごゆっくり~」
そうたおやかに告げてから、朝地のお母さんはゆっくりと戸を閉めた。
正しくはほぼ閉めた。普通に一センチくらい空いてる。しかもそこから二つ、中を覗き込む目がはっきり分かる。
「さてさてー、若い女の子と男の子がお家で二人きり。これはもう、何かが起こらない方が絶対間違いよねっ。でも本当に間違いが起こっちゃったら大変だから、こうして見守るのは大人の義務よねっ」
「耕太郎さんと姉さんなら、お母さんが期待してるようなことにはならないと思うけど」
「そういう陽香ちゃんだって見守ってるじゃない」
「それはそれ、これはこれ。今度七海に大げさに教えて、面白い顔してもらわないと」
いるよ、めっちゃ。お二人でごゆっくりって言ってたのに。
あんな分かりやすい覗き見、誰であってもすぐに気がつく。朝地は音もなく立ち上がり、戸の前まで移動すると勢いよく開いた。
そして絵に描いたような姿勢で覗きをしていた朝地親子を、地獄よりも冷ややかな瞳で見下ろした。俺からは背中しか見えないけれど、それはもう冷たいのが分かる。
「二人とも」
朝地はただそう呼びかけただけ。けれどかえってそれしか言わないからこそ恐ろしいのか、二人はそそくさとその場を立ち去った。
静かに戸を閉じ直した朝地は溜息と共に俺の前に座り直し、
「ごめんなさい、毎度騒々しくて」
軽く会釈をしてから、訝しげに俺を見た。
「……何か言いたげね」
「朝地のツッコミスキルは日々こうして磨かれていったのかなぁ、と思いを馳せてた」
「……」
渋い顔をした朝地は、お茶を口に含んでますます眉をひそめた。苦かったらしい。俺も試しに飲んで見ると、確かに結構濃い味だった。でも渋みの中に、出汁のような旨味も感じる。飲み慣れないけどこれはこれでよし。
なんてお茶を楽しんでいる間に、朝地の準備が終わったようだ。心なしか姿勢を正して、気持ち普段より鋭い眼差しを俺に向ける。
「さて、放課後にわざわざ家まで来てもらったのは他でもないわ」
「学校で出来ない話って言ってたよね」
「ええ。誰かに聞かれたり、見られたりしたら誤解されそうだから」
その上二人きりじゃないと難しいこと、なんてことも既に伝えられている。
二人きり。この時点で誰かに学校で見られたら、それはもう大いなる誤解をされそうだ。
いったいどんな話なんだか。いい意味でも悪い意味でも緊張してきた。
どうやら向こうもそれは同じようで、続く声は普段よりも数段硬い。
「時枝には、私の特訓に付き合って欲しいの」
それから朝地が語ったのは先月教えてもらった、男への苦手意識を克服したいということ。特に反射的に拒絶してしまうのをなんとかしたいとのこと。
女子が男子を苦手。この訳分からない世界では珍しい話に思える。むしろ女子のあのパワーを思えば逆の人、女子が苦手な男子の方が多そうだ。
実際同級生の男子には、女子の目が怖くて引きこもりになってしまった子もいるという。気持ちは分からなくもない。
それは関係ない余談として。
「……別に、無理しなくてもよくない?」
朝地の決心には申し訳ないけれど、本心からそう思った。
「だって身体が勝手に反応しちゃうなら、それもうアレルギーみたいなものでしょ。俺が言うのもなんだけど、素人判断で変に治そうとすると悪化するかもだし」
たとえば食物アレルギーに関して言えば、原因になるものをちょっとずつ食べて耐性を得る治療法が存在する。
でもそれは専門医、朝地の場合は精神科の先生やカウンセラーが見てるところでやるべき手法だ。素人が下手に手を出すと逆に悪化、最悪の場合死に至ることもある。
もちろん朝地のこれは精神的なものだから、失敗しても直接命を失うことはないだろう。けれど強いストレスを感じて、心に新しい傷を負ってしまうかもしれない。
俺の心配を聞いた朝地はじっとこちらを見返すと、静かに要求した。
「手、出して」
言われるがまま手を差し出す。
朝地はそれを見ながら、胸に手を当てて何度か深呼吸を繰り返す。それからたっぷり十秒ほど経った後、まさに恐る恐るという手つきで手を重ねた。
緊張のせいか、朝地の手はとてもひんやりしている。うっかり温めようと、咄嗟に握りかけたくらいには。
「……ほら、今はこの通り、触れるだけなら平気だから」
「いや滅茶苦茶準備してたじゃん。平気な人の動作じゃなかったじゃん。全然駄目じゃん」
「うるさい」
「逆ギレ」
まさかの反応に超びっくりした。朝地逆ギレするんだ。
辛うじて出したツッコミは気にもされず、朝地は不満げな様子で要求を重ねた。
「いいから手を貸して。昨日手伝ったお礼、まだしてもらってないわ」
すっかり恒例になりそうで嫌な告白会場。
あれを手伝ってくれたお礼になんでもすると言ってしまったあの瞬間を、俺は今結構な勢いで後悔していた。なんでもなどと軽々しく言うな、という財前の忠告が今更身に染みる。
しかし吐いた唾は呑み込めない。言ってしまった以上、責任は取るべきだろう。
「まあいいけどさ。それで特訓ってなにやるの?」
「さっきみたいに、今の私は自分から触れる分には平気になったわ」
今度は何も言わなかった。またうるさいって言われるだけだし。
「けれど、不意に触れられると駄目。身体が言うことを聞かなくなってしまうの」
「そんなの誰でも一緒でしょ。俺だっていきなりはびっくりするし」
「それは、相手を車に突き飛ばすほど?」
ぽつりと呟いた質問が俺の口を閉ざした。
「あんなことはもう、したくないから」
先月のクリスマス前に起きた事故、うっかり俺をトラックの前に突き飛ばしたことを、朝地は今も気にしている。
表面上の冷たさとは裏腹に、実はとても人のいい朝地だ。人を殺しかけた自分を許せないんだろう。そしてその罪の意識は、苦手を克服しない限りこの先も増えるかもしれない。
「……分かった、続けて」
そう思うと、俺の気持ちも手伝う方に傾いてきた。
「それで、自分で色々と治療法を調べてて」
「自分で? お医者さんとかには?」
「言ってないわ。両親を心配させたくないから」
「だとしても、相談くらいはした方がいいと思うんだけど」
黙って首を横に振られた。
そのことに何か意見を言う前に、どこか先生ぶった口調で朝地が続ける。
「アレルギーの治療法に経口免疫療法、あとは舌下免疫療法というものがあるらしいの」
前者は朝地の話を聞き始めた頃、俺も思いついた手法だ。後者は確か、花粉症とかに用いられるものだったはず。どちらも専門家の指導のもと、継続的に行う治療法なのに変わりはない。
この時点で何か嫌な予感がしてきた俺は、自然と返事が適当になるのを自覚していた。
「解説を読んでも専門的なことはよく分からなかったけれど、要するにこれは慣れを作るための方法よ」
「はあ」
「アレルギーは身体の過剰な防衛反応。それを防ぐために、これは危険じゃないと身体に教え込んでいくの。少しずつ、長い時間をかけて」
「はあ」
知ってる。やってるところも見たことある。多分朝地よりも詳しい。
「時枝がさっき言っていたように、私のこれも、きっとアレルギーみたいなもの。だから少しずつ男の子と触れ合えば、怖いのも和らぐと思って」
だからこそ、朝地の考えが頓珍漢に思えてしまって、
「時枝は、どう思う?」
「朝地って意外と馬鹿なの?」
つい正直に言ってしまった。
当然むっとする朝地に対し、素人の医学的見地から指摘する。
「ああいうのは適量が分かる人だから、ちゃんとした知識や経験があるから出来るんだよ。気持ちの問題だとしても、素人の判断でやるのは駄目だって」
「私の気持ちの問題だから、私が一番分かるわ。怖くて動けなくなったところで、時枝がやめてくれたら大丈夫だから」
「いや動けなくなってる時点で駄目じゃん。それ新しいトラウマ出来そうじゃん。本末転倒じゃん」
「うるさい」
「またかい」
いくら意外でも二回目ともなると反応出来る。向こうはしてくれなかったけれども。
アレルギーどうこうに限らず、治療には専門的な知識や判断が必要だ。そしてそれは身体だけじゃなく心も、むしろ心だからこそ、慎重に考えなくてはいけないはず。
それにもう一つ、もっと大きな問題がある。朝地はあまりにも不用心だ。
「そもそも動けなくなるまでって。そしたらもう抵抗出来ないじゃん。もし俺がやめてって言ってもやめなかったら、変なことしようとしたらどうするの?」
時折俺も財前に忠告されること、異性への警戒心の欠如。男子が苦手だという癖に、朝地のアイデアにはそれが一切存在しない。
けれど言った後で、これミスったなと思った。
この世界の常識からすれば主に変なことをされるのは逆、男の方。だからこれはとても非常識、不自然な問いかけだ。
それに何より、男が怖いという朝地にこんな脅しめいたこと言うのは最低過ぎる。触れる云々以前に、また朝地を怖がらせてしまうかもしれない。
失言に恐る恐る様子を窺うと、
「……貴方が?」
朝地はきょとんとしていた。
長いまつ毛をぱたぱたと忙しそうに揺らし、幼い子供のように首を傾げている。
不思議そうに俺を見る目には七海ちゃんにも負けないほど無垢な輝き、疑念が付け入る隙は欠片も感じ取れない。
その眼差しに負けた俺は気持ち早く、いやもうはっきりと早口で答えた。
「まあ、はい、分かりました。それで朝地先生は、具体的にどのような流れを計画されてるんですか?」
「……どうして急に敬語になったのかしら?」
「なんでもないです。なんかこう、あれ、勢いで進めようとしてるだけ!」
自分でも分からない感情、多分照れくささに近いものを吹き飛ばすため、とは言えない。
それで気もそぞろになったおかげで、部屋の外の気配にようやく気がついた。閉じていたはずの戸がもう一度開いて、五ミリ程度の隙間が生じている。
当然の権利のように、そこには覗きがいた。
「おぉ、本当だ。よく聞こえないけど桜ちゃんがあんな自然に、楽しそうに男の子とお話を。これは大変だ、ママの言う通り」
「ええ、義息子が出来ちゃう! でも駄目よ、二人はまだ中学生。それに耕太郎くんは他家の、大事な大事なお子様だもの。間違ってもプラトニックの一線を越えないよう、私たちが見守らないとっ!」
「何言ってるのかしらこの人たち」
しかも三人に増えてる。お仕事中と聞いていた朝地のお父さんまで参加してる。
俺の視線を追って、朝地も気づいてしまったらしい。深く大きなため気を吐き、再び立ち上がろうとする。
「……少し待ってて。追い出すから」
「朝地朝地、指出して」
それを呼び止めて、我ながら変な要求をした。でも朝地の言う特訓を試すなら、まずは人目がある時にした方がいいだろう。
呼ばれた朝地は座り直し、言われるがまま人差し指をこちらに向ける。
不思議そうにしていてもあえて何も伝えず、俺も指を立てて手を伸ばした。
お互いの人差し指がぴったりとくっつく。
白く細い指が一瞬びくりと動いた。けれどそれだけだった。微かに首を傾げる朝地の表情に恐怖はなく、代わりに困惑と疑問がありありと浮かんでいる。
「うむ。友情」
「……これは、なに?」
「友情のあれだけど、えっ、あの超有名古典SF知らないの?」
「あまりそういう映画は見ないから。どういう映画なのかしら」
そんな風になんでもない話をする内に、気づけば戸は閉じられていて。
結局その後は、特訓なんて一ミリも関係ない雑談を過ごして終わった。