当然のことではあるが、結界に取り込まれたのは耕太郎だけではない。
「結界、どうしていきなり……!?」
ショッピングモールの通路を歩いていた時枝七海と朝地陽香もまた、こうして結界に閉じ込められていた。
困惑のまま見渡す景色は慣れた灰色の世界。明かりの消えた屋内ではあるが、いつも通り一定の薄暗さを保っている。
光がなくても僅かに明るいのは、結界に反応した世界の魔力が輝いているから。
以前クリアガイアが語った説明など、今の七海に思い返す余裕はなかった。
落ち着きなく首を振る彼女とは対照的に、もしくは彼女のおかげで、陽香の振る舞いは冷静そのものだ。
彼女は注意深く、姉譲りの鋭い瞳で辺りを観察する。
「なんでかはさっぱり分からない。けどそれより、もっと不思議なことがあるでしょ」
「……うん」
だがその陽香の瞳にも、すぐさま隠し切れない戸惑いが滲み始めた。
その原因とは。
「は、え、なに? 急に暗くなったけど、停電?」
「えー、スマホも圏外じゃん。どうなってんのー?」
「てかあれ、店員さんいなくない? あたしまだお金払ってないんだけど」
陽香達の目と鼻の先、つい先ほど前まで寄ろうかと相談していたクレープ屋で言葉を交わす、いたって普通の女性達だ。
七海と陽香よりいくつか年上、高校生ほどの彼女達は驚きに声を上げ囁き合っている。
ただし、二人と違いそこに深刻さはない。何も知らない彼女達からすれば、単なる電気トラブルとしか考えられないからだ。
通常、レギオンを隔離するため生じる結界は只人の侵入を許さない。
仮に対象外の存在が入り込んだとしても、数秒数分の内に探知され排出されることになる。この世界ではそのように設定されている。
にもかかわらず、今この瞬間普通の人間がいる。一向に立ち去る気配はない。
理解が及ばない二人は、揃って首を傾げた。
謎と疑問だらけの空間。今こそ彼女達の中でもっとも思慮深い、『探知』の力を持つ朝地桜の助けが望まれている。
「どうして、結界の中に人が。早く桜さんに聞かないと」
「あたしもしたいけど今本屋行ってるし、まだ帰って来ないし」
だが折り悪く、現在彼女は別行動中だった。
「それに、そんな時間はなさそう」
そして陽香の語る通り、探しに行く暇すら今の彼女達には与えられない。
彼女が見つめる、強く睨む先には一体の黒光りする鎧。十二月のものとは違い、西洋風に象られた異形の姿。
それは身体と同じ色、同じ大きさの剣を引きずりながら、死霊のように緩慢な足取りで進んでいる。
二メートルほどの巨体が向かう先は、クレープ屋に集う高校生達のもと。
「……なにあれ、鎧?」
「ヤバ、本格的じゃん」
「あっ分かった、これ何かの撮影なんだよ。さっきも変な着ぐるみ見たし」
ゆっくりと、それでいて確かにその鎧は彼女達を目指して歩む。
その速度は著しく遅い。たとえ子供、仮に幼稚園児であっても、駆け足ならば逃げられるほどだ。
しかし何も知らない、命の危機に陥ったこともない彼女達ではそれを脅威と感じることも出来ない。故に危機感なく、むしろ非日常を楽しむような素振りすら見せる。
だが七海と陽香は知っている。それは、レギオンは人を傷つける危険な存在だと。
「姉さんはあと。まずはあのレギオンをぶっ飛ばしましょう!」
「うん! あの人たちを守らないと!」
判断は一瞬。すぐさま七海と陽香は近くの物陰に身を隠す。
そして胸の中、魂の内に生じる内的宇宙へと呼びかけた。
「クリアシフター!」
途端二振りの、それぞれ赤と青の水晶が輝く杖が光とともに虚空から飛び出した。
二人はそれを、クリアシフターを掴み取り、力強く世界に告げる。
「コール『フレア』、アクセスッ!」
「コール『フロスト』、アクセス」
それは杖に封じられた概念、イデアによって与えられた力と繋がるための言葉。
クリアシフターは少女達の決意に応え、魔力をもって身体の似姿を形成し始めた。
杖から放たれた炎が、氷が人型へ変わる。同時にその身体を包み込むように展開された魔力が服を編み、髪を染め、全身を彩っていく。魔法少女が完成していく。
けれどその瞳に光はなく、その装いは輪郭が薄く、その存在は曖昧である。
それは当然のことだ。まだ、最も重要なものがそこには収められていない。
「シフト、オンッ!」
「シフトオン!」
そしてその言葉共にそれが、肉体を収納した少女達の魂が器に入れられる。存在が切り替わる。
瞳には希望の輝き。装いは煌びやかに美しく。その存在は世界を眩しく照らす。
魔法少女、クリアシャインとクリアオーシャンの変身が今ここに完了した。
一方、何も知らない者達は未だ逃げも隠れもしていない。
迫り来る黒い兵士を前にして、呑気に電波の入らない携帯電話を構えていた。
「うわすっごい。鎧なんて初めて見たわー」
カメラのフラッシュが何度も兵士を照らす。幾度強烈な光を向けられてもなお、その足取りは微塵も揺るがない。
それでようやく、一人の少女が不安を覚えた。
「……ねえ。さすがになんか変じゃない? 離れた方が」
「平気だって。こんな気合の入ったコスプレ」
けれどそれも不審程度、到底現状に足り得るものではない。
「見なきゃ損で」
もしも足りていたのなら、振り上げたその剣に反応を示すことも出来ただろう。
覚悟の不十分な頭では、突然の暴挙に音を出すことすら不可能だ。友人に向けられた刃をただ、その見開いた眼に映すことしか出来ない。
もう一つ出来ることと言えば、あえなく真っ二つにされる友人を目に焼き付けること。もっとも、その記憶も数秒後には命ごと失うだろうが。
「『フレイムシャッター』!」
だがその未来をクリアシャインは許さない。
少女を守るよう発生した炎の防壁が刃を拒み、その使い手を焼き尽くす。
クリアシャインは彼女の前に躍り出ると、燃える兵士を勢いよく蹴り飛ばした。
死の淵に立っていた少女はへたりこみ、呆然と赤の魔法少女を見上げる。
「あ、貴方は……?」
「通りすがりの魔法少女、覚えておかなくていいから」
燃え盛る火を背に、杖を肩に担いだクリアシャインは勝気な笑みを浮かべていた。
先んじた友人のもとへ駆け出そうとしたクリアオーシャンの杖が、その時不意に輝きを放つ。通信の合図だ。
『二人とも、聞こえる?』
「ガイア! はい、聞こえて、シャインも近くにいます! あっガイア、それで近くに、結界に人が一緒にいて」
『よかった。ならシャインも呼んで。状況を説明するわ』
一つ咳払い、頭の中を整理しながらクリアガイアは語る。
『先に言うけれど、まだ結界内に人がいる理由は分からない』
「姉さんでも?」
『ええ、今は調べる余裕もなさそう。そのレギオンは結界内、ショッピングモールのあちこちに出現しているみたい。既に数十体は確認しているわ』
「数十体? 数だけはご立派ね」
『そうね。けれど私でも対処出来る程度でしかない。だから感触的に、恐らくこれは分身体のようなもの。このレギオンを生み出している本体が、どこかにいるはずなんだけど』
今回のレギオンの外見、兵士に例えるのであれば隊長のような存在がいる。クリアガイアは現在確認出来る特性からそう考えている。
そして雑兵をいくら倒しても無駄。その隊長を倒さなければ、このレギオンを打破することは不可能である。彼女の勘と思考はこのような結論に達した。
しかし、それよりも優先すべきことが今回はある。
『とにかく今は、巻き込まれた人を助けるのが先決よ。二階にある靴のお店、シャインなら分かるでしょ? そこに私も結界を用意したから、人を見つけたらそこまで連れて来て』
私は五階から助けに行くから、貴方達は一階からお願い。
そう指示されたクリアシャイン達は居合わせた高校生を連れ、早速二階の靴屋まで向かった。
途中巻き込まれた人々を更に回収、襲い掛かるレギオンを蹴散らしながら、彼女達は猛烈な勢いで突き進む。
そうして辿り着いた靴屋はうっすらと金色に輝いており、既に避難をした人が何人か身体を休めていた。
「ここなら安全だから、しばらく隠れてて!」
「あ、ありがとうございましたー!」
お礼を受けながら、クリアシャイン達は速やかに踵を返す。
その足で向かったのはエスカレーター。彼女達の目的は別の階へ移動すること、ではなく付近にあるフロアマップだ。
クリアシャインは二階の地図を指差しながら、傍らの友に提案する。
「ここは回ったから、次はあっちの方行きましょう」
「うん。あっでもシャイン、この辺りにもしかしたら見逃した人とかいるかも」
「あー、そうね、確かに。なら遠回りになるけど、こっちのルートにして」
当初こそ困惑に動揺、深い混乱に陥っていた二人だったが、ある程度の時間を経て冷静さを取り戻していた。巻き込まれた人々の救助が現状上手く進んでいることもその要因の一つだろう。
そうして情報をまとめる間、不意にクリアオーシャンが安堵の息を吐く。
「今日兄さん、遊びに行ってくれててよかった」
「……どうしたの?」
「だって兄さんがお家にいたら、私きっと一緒に行こうよって誘っちゃってたから。そうしたら、もしかしたら兄さんも、こんなことに巻き込まれちゃったかもしれないから」
ショッピングモールの利用者は、全員が全員結界に取り込まれてはいない。クリアガイアが確認出来る範囲では数十人程度であり、こちらの方が圧倒的に少数派である。
そのため訪れた者の大半が今も平和を享受しているが、もし耕太郎がいれば確実に巻き込まれていたはず。クリアオーシャンこと七海はそう考えている。彼女は兄のことを、とても運の悪い気の毒な人だと思っていた。
だからこそ、何も知らない彼女は今胸を撫で下ろしているのだが。
「なんて、こんなこと考えちゃいけないよね」
「……」
曖昧な笑みを零すクリアオーシャンを前にして、クリアシャインは迷いに迷った。
彼女も先ほど出会った耕太郎のことを忘れていた訳ではない。むしろ、親友のため優先して探すつもりではあった。
だが彼を探すためのあてはなく、そもそも結界内にいるかどうかすら判別も出来ない。故に探すだけ探しても、ただの徒労となる可能性が高い。七海を悪戯に悩ませるだけの結果になるかもしれない。
しかしそれでもクリアシャインは、朝地陽香は友人に隠し事など出来ない。
「……あのね、七海。実は」
続く言葉にクリアオーシャン、時枝七海は目を見開いた。