軽く膝を曲げ、迫る黒い槍を屈んで避ける。
切られた風が圧となって顔にぶつかる。同時に槍の匂いにも襲われる。普段は嬉しい甘いチョコレートの香りが、今はとても鼻についた。
その苛立ちは暴力として開放する。曲げた膝を戻す反動で足を振り上げ、槍の持ち主、黒光りする兵士の顔面に叩き込んだ。
「邪魔だ!」
一見すると鉄にも思えるこの兜、蹴ってみれば意外なことに柔らかい。
よって変身前にもかかわらず、回し蹴り一撃で兵士の頭は粉々に砕け散った。
けれど相手は人外、そもそも命なんて持っていなさそうな怪物だ。頭部を失った衝撃で一瞬ふらついたものの、すぐに体勢を取り直す。再び槍を構え、俺達に突き出そうとする。
「しゃらくせぇんだよ!」
もちろんそんなことはさせない。
回し蹴りの動きを利用して更に踏み込み、今度は腹部を押し込むように蹴りを入れる。
相手を吹き飛ばすための一撃は狙い通り、黒い兵士を強く突き飛ばした。むしろ飛ばし過ぎて、兵士は吹き抜けから一階へと転落していく。
焦って覗き込んだ先、一階には黒い欠片だけが散らばっていた。幸い落下現場には誰もいなかったらしい。
ほっと息を吐く。そして頬を軽く叩いて気を引き締め直し、少し離れた場所でしゃがみ抱き合う親子に声をかけた。
「いなくなりました。今の内に行きましょう」
「は、はい!」
頷く母親の手を握り、なるべく優しく立ち上がってもらう。この人にあまり激しい運動はさせられない。まして全力で走るなんて、絶対にそんな無茶はさせられない。
緊張と警戒で鋭くなる意識をこの親子に向けないよう、辺りの観察に集中する。
今のところ周りに気配はない。あの兵士、何かのレギオンが襲い来る様子は無い。
警戒し音を拾い集める耳は、当然俺の後ろの会話も明瞭に届ける。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ。さつきこそまだ歩ける?」
「うん! げんき!」
だからこそ、改めて決意が固まった。
突然結界に取り込まれたあの時、ほとんどの人はいつも通りその場から消えた。そう、ほとんどの人は。
けれど、何故か今回はいくらか残っていた。今俺と一緒にいるこのとても仲睦まじい親子、礼子さんとさつきちゃんもその内の二人だ。
いや、違うな。礼子さんの大きなお腹をちらりと見て訂正する。
ある意味ではもう三人だ。なにせこの人は妊娠している。だから俺がこうして、靴屋まで付きっ切りで案内している。
この結界に飲み込まれてすぐのことだ。通路でお互いを見つけた時、理由は違っても俺も向こうも揃って混乱していた。
『二階の靴屋に結界を用意したわ。巻き込まれた人を探して、そこに誘導してあげて』
俺のそれをおさめたのは、その時ちょうど届いたガイアからの連絡だった。
けれど探して誘導してと言われても、この親子のことを放っては置けない。走れない母親と三歳くらいの子供。二人ではあのレギオンからは逃げられない。
だからそっちは、他の人の誘導はらびらびに任せることにした。
ふわふわと浮かび去った相棒の背中を思い出しながら、一つの後悔が胸に過ぎる。
「……禁止事項のこと、ちゃんと聞いときゃよかったな」
どうせ破らないからと放置していたのが仇となった。時すでに遅し、今となっては確認も出来ない。
遥か昔にらびらびが言っていた魔法少女の禁止事項、正体のことやら何やら。そしてそれを犯した時の罰、記憶消去やら爆発やら。
あの時一緒に語っていた協会云々が嘘だった以上、こっちも多分根も葉もない冗談なんだろう。
けれどもし本当だった場合、それで何かしらの罰が起きてしまったとしたら。それが意識や戦う力を失うもので、その瞬間あのレギオンに襲われてしまったら。
間違いなくこの親子は俺の浅慮の犠牲になってしまう。それは絶対に認められない。
だから俺はこうして変身もせず、ずっと生身でじたばたと暴れているのだった。
幸いなことに今回のレギオンは弱い。何体も湧き出て鬱陶しいけれど、このままでも蹴り壊せる程度だ。今のところ問題はない。
「もう少し、あのエスカレーターの先です!」
「分かりました!」
常連らしい礼子さんはショッピングモールの構造に詳しかった。おかげで初心者の俺でも、迷いなく目的地に向かうことが出来ている。
時折現れるレギオンを殴り飛ばし、安全を確保しながらゆっくりと歩く。その繰り返し。
やがてようやくあとはまっすぐ進むだけだとなった時、最悪の事態が訪れた。
「ひっ」
それを見た親子が恐怖に息を漏らし、きつく抱き合うのも無理はない。
端的に言えば、待ち伏せされていた。
剣や槍、盾や斧まで持ったバリエーション豊かな黒い兵士が十三体、進路上に隊列を組んで待ち構えている。
その向こう側に、微かに金色の光が見えた。恐らくはガイアの張った結界によるもの。よってあそこがゴール地点だ。
けれど一体二体ならともかく、変身前にあれだけの数を相手にするのは難しい。それに今は守るべき人がいる。無理は出来ない。
対策を考えるため、一度退きかけた足を悲鳴のような声が止める。
「う、後ろからも……!?」
振り返れば、黒い兵士が道を塞ぐように十二体揃っていた。
いつの間にとか、音もしなかったのにとか、そういう疑問は脇に捨て置く。
今確かなのは、考えなくてはいけないのは、これで退路も塞がれたということだ。
前後はレギオン。左右は壁と止まったエスカレーター。行き場はない。八方塞がりとはまさにこのことだろう。
素人目でもそれは分かってしまったらしい。礼子さんは青い顔で震えた後、つばを飲み込んだ。そして震える手でさつきちゃんを撫で、その肩を軽く押した。
「お、お願いです。私のことはいいから、どうかこの子だけでも」
「駄目です。お姉さん一人の身体じゃないでしょ」
「でも、このままだとこの子も、君だって!」
「……目の前で母親に死なれると、子供って結構嫌な気持ちになるんですよ」
たとえ記憶に残らなくても心のどこかには、永遠に傷として刻まれてしまう。
何も覚えていないはずなのに、俺を抱く温もりが消えていく感覚は今も脳裏に焼き付いている。冷えて固くなる身体の感触が、ずっと頭ではないどこかに残り続けている。
「だから諦めないでください。二人のことは絶対俺が守ります」
「……さつきも?」
「もちろん。ごめんね。怖いかもしれないけど、お母さんと一緒にここで待っててね」
「うん」
一度さつきちゃんの頭を軽く撫でる。七海ちゃんより、もっと小さな温もりだ。大切にされるべき命だ。あんなものに傷つけなんて、まして奪わせはしない。
そんな話をしている間に、前後のレギオンはじわじわと迫りつつある。このまま待っていてもジリ貧、作戦を考える暇もない。こっちから攻めるしかない。
踏み込む先は当然前の軍団だ。ここを蹴散らして道を作れば、あとは二人に進んでもらえばいいだけ。
盾を避けて腕を砕き、奪い取った盾で剣と槍を叩き落とす。数回でひびの入った役立たずの盾は投げ捨て、今度は地面に落ちた剣で斧を迎え撃つ。
その繰り返しで半分は粉砕した頃、後ろの方から震える叫び声が響いた。
「こっち、こないでっ!」
三体の兵士が槍と剣を親子に向けていた。
後方のレギオンはまだもう少し後ろにいる、数十秒は届かない。だから恐らくあれは、止まったエスカレーターから現れたもの。
そんな事後予想はどうでもいい。今はあの刃から二人を守らないと。
「チッ!」
辛うじて、なんとかレギオンと親子の間に滑りこむことは出来た。だがそれだけ。
迫る武器は三本、俺の腕は二本、迎撃には足りない。避ければ後ろの親子に刺さる。素手で防御は不可能。万が一を考えれば変身も出来ない。
よって選択肢は一つ。
一番弱そうな槍の形状とこれまでの戦いからして、前にくらったシャインの鎌より威力はないだろう。
だからこのまま肩で受けても精々貫通するくらい。内臓さえ避ければ死にはしない。まだ戦える。一分くらいはもつだろう。
それにいざ考えてみれば、回避なんてしなければもっと早く敵を蹴散らせる。それでさっさと前方のレギオンを潰せば、この人達が逃げる道くらいは作れる。
ならいいか。この方向性でいこう。
スローになる視界の中、黒い槍が迫る。近く訪れる痛みに備え、歯を食いしばる。全身に力を入れ、カウンターの用意をしておく。
その時死の気配か、首筋にひやりとした寒気を覚えた。
「『アイシクルカノン』!」
だけどもそれは、どうも物理的なものだったらしい。
突然後ろからバカでかい氷、俺より二回りは大きい氷柱が飛来した。
それは黒い兵士を、俺を刺そうとしたのも含めて何体も貫き吹き飛ばし、やがてショッピングモールの壁に張りつけにする。
そして中心部、腹部から派手に爆散した。黒い欠片が辺りに巻き散る。
今の氷柱が倒したのは俺の前にいた分だけ、まだ周囲には黒い兵士が無数にいる。それでも、あまりのえげつなさに頬が引きつる。
その頬に、今度は熱を感じた。視界の隅に火の粉が映る。
「『ブレイズケイジ』」
それは瞬く間に俺と親子を包む檻となって、
「『バースト』」
次の瞬間には、周囲のレギオンを薙ぎ払う火炎の波動へと変化した。
突き刺さるような眩しさに、反射的に目を閉じる。
役に立たなくなった目の代わり、耳が情報を届けてくれた。誰かが、見なくても分かる二人がこっちに駆け寄る足音がする。
次に目を開いた時、予想通りの二人が目の前に立っていた。
「間一髪ってところね。まったく、無茶しちゃって。ダッシュしといてよかった」
赤の魔法少女、クリアシャイン。よく見る格好つけた笑い方に安心して、つい肩から力が抜ける。
「……あー、えっと」
「そっちの親子も無事みたいで安心。だけどあのね、危な」
「ばかっ!」
もう一人、クリアオーシャンに速攻で詰め寄られ、全身に力が入ったけれど。
「もうっ、もうっ、もうっ! 何考えてるの危ないよ! 怪我しちゃったら、死んじゃったらどうするの!?」
「え、あ、は、はい。すみません……?」
しかも滅茶苦茶キレてる。腕掴まれて滅茶苦茶ぶんぶん振り回されてる。
敬語をぶん投げてキャラもぶれてるオーシャンに、俺は困惑しながら謝ることしか出来ない。この子こういう子だったっけ。こんなキレる子だったっけ。
やられるがまま揺らされていると、今度は唐突に腕を開放された。ぐらつく視界の中、オーシャンは両手を口元に運ぶ。
「あ、け、怪我、怪我! そうだ、怪我! ここまでで、どこか怪我とか」
「落ち着きなさい」
「あいたぁ!?」
見惚れるほどの美しい一撃がオーシャンの脳天に突き刺さった。ナイスツッコミ。
「今のあんたがそんなぶんぶん振り回したら、それこそ怪我しちゃうでしょ」
「あ、ご、ごごご、ごめんなさい! だ、大丈夫!? 痛くない!?」
「う、うん、平気。全然大丈夫」
本当はまあまあ、主に肩が痛い、外れるかと思った。たとえ非力なオーシャンでも、変身前の今じゃ向こうに分がある。危うくもげそうだった。
とりあえずシャインのおかげでオーシャンも少しは落ち着いて、こっちが口を挟む余裕も出来た。
今までずっと様子を窺っていた礼子さんが、おずおずとシャインに話しかける。
「あの、危ないところをありがとうございました。それで、貴方たちは……?」
「見ての通り、通りすがりの魔法少女。名乗るほどの者じゃないから」
もう半分名乗ってるような。
下手なことを言いそうだから、そのツッコミも含めて俺は黙っておく。隣のオーシャンが凄い見て来るし。少しは冷静になったけど、やっぱりまだキレてるみたいだし。
それから礼子さんがこれまでの経緯を説明してくれた。突然世界が薄暗くなったこと。辺りを観察する途中、俺と遭遇したこと。その時白いウサギのようなものが、二階の靴屋は安全だと教えてくれたということ。
「……らびらびか。あいつ一応仕事してたのね」
信頼が薄い。
とにかくこうして魔法少女が二人合流して、そもそも既に目と鼻の先だったということもあって、目的地には一瞬で到着した。
「到着っ。うん、やっぱり姉さんの結界は凄い。全然あいつら寄ってきてない」
店内には既に数十人ほど集まっている。シャイン達とガイア、あとはらびらびの成果だろう。
薄っすらと輝く金色はいつか見た、クリスマスの夜に俺もかけてもらった魔法に近い気配がある。確か、身体と心を回復させる効果があったはず。
「ここなら安全だから、しばらくじっとしておいて」
「皆さん、本当にありがとうございました」
深々とお辞儀をした後、礼子さんは俺に重ねてお礼を告げる。
「特に君には、なんてお礼を言えばいいか」
「俺のことは気にしないで休んでください。大切な身体なんですから」
何か月目かなんて判別出来ないけれど、可能な限り大事にすべきということは分かる。ここまで歩いて来たのも、この状況自体も、とても大きな負担になってしまったはず。俺のことなんて放置して、お腹の子とゆっくり身体を休めておくべきだ。
それでもと礼子さんが食い下がる気配を感じたから、近くの椅子を運びつつ適当なお願いを考えた。
「それなら、なるべくあの子の傍にいてあげてください。お母さんがいないと、子供ってすぐ不安になっちゃいますから」
なるべくいい感じの椅子に座ってもらった後、続いてさつきちゃんの方を指差す。
さっきまで不安に震えていたあの子には、お母さんの温もりが今は一番必要だろう。
「安心して! お姉ちゃんたちが悪い奴ぶっ飛ばして、すぐお家に帰してあげるから!」
「うん! がんばって!」
そのさつきちゃんはお目目キラキラだった。本物の魔法少女に出会ったおかげで、さっきまでの恐怖も忘れてテンション爆上げだった。
気持ちは分かるんだけど、今は説得力が。
苦笑いで誤魔化そうとする俺を見て、礼子さんがくすりと笑みを零す。リラックスしてくれたならよしとしよう。
それで礼子さん達とは一旦お別れし、早足で店内を見て回る。
個人、友達同士、親子連れ。多種多様な人々が各々不安そうに時を過ごしている。あちこち服がほつれている、赤く染まっている人もいる。その度に焦りが生じて歩く速度は上がる。
けれど、どれほど歩き回っても探し人はいなかった。
「……やっぱりいないか」
ここに到着しても誰も来ない辺り、半分予想はしていた。
ならこんなところでじっとしている暇はない。逸る気持ちを抑えて外を目指す。
靴屋から一歩踏み出した瞬間、腕を強く掴まれた。その手はまたしてもオーシャンのものだった。
「な、え、ちょ、ちょちょ、ちょっと、にい、お兄さん、待ってください!」
「いいけど。ごめん、急いでるからなる早で」
「い、急いでるって、どこに!?」
「外。人探しに行かなきゃいけないから」
七海ちゃんと陽香さん、それに朝地。ショッピングモールにいた三人の姿は靴屋になかった。
この結界に巻き込まれた人は少ない。だから三人ともそもそもここにはいない、今も結界の外で買い物を楽しんでいるのかもしれない。俺のこれは単なる杞憂なのかもしれない。
けれどそれは、探しに行かない理由にはならない。もしかするとまだ三人が、誰かがどこかで助けを待っている可能性もある。
未だに腕を掴み続けるオーシャンのしかめっ面を見て、ふと思い至った。行く前にまず聞いた方がいい。
「そうだ。君は女の子見てない?」
「……どの女の子?」
「ごめん、言葉足りなかった。えっと、これくらいの身長、ちょうど君と同じくらいの、青いシュシュしたおさげの子。七海ちゃんって名前で、いやこれ聞いても分からないか」
俺もまだ頭が少し混乱しているらしい。いきなり知らない子の名前を告げられても、オーシャンだって困るだけだろう。
他に何かヒント、分かりやすい特徴を考えて、人の方がいいなと思った。七海ちゃんよりもあっちの方が物理的に目立つ。
何故かぴしりと固まったオーシャンと、不思議そうに駆け寄って来たシャインに向け質問を続けた。
「それでその子と一緒に二人、背が俺と同じくらいの子ともう少し高い子もいるはずなんだ。同じくらいの子はセミロングで、高い子はロング。どっちも雰囲気あってかなり目立つから、分かりやすいと思うんだけど」
「……」
「その反応だと、どっちも見てなさそうだな。なら早く行かないと。二人はこれまでどこを見て回って」
「……ふふふっ」
俺の話を聞いていたシャインが、突然噴き出すように笑みを零す。
はっきり言って、とてもイラっとした。もし人となりを知らなければ、絶対苛立ちをそのままぶつけていたはず。それくらいにはイラっとした。
当然顔にも出ていたらしく、シャインは口元を押さえてから慌てて頭を下げる。
「あぁごめん。でも安心して、三人とも大丈夫だから」
「……本当?」
「うん! だからにい、お、お兄さんも! 危ないから、ここで待ってて、ください!」
「お、おお。は、はい、うっす」
その後に続くやたら圧の強いオーシャンのおかげで、苛立ちもすっ飛んだけれども。
腕を強く引かれたから顔も近いし、よく見なくても頬も赤い。ついでに鼻息も荒い。なんでこの子、こんなに興奮しているんだろう。今日のオーシャンはよく分からない奇行が多い。
内心首を傾げつつ、俺と入れ替わりで靴屋から飛び出す二人を一旦見送る。
二人曰く、三人とも無事らしい。今ここにいなくてそう言うってことは、ちょうどガイアが見つけたところとかそういうことなんだろうか。
分からないけれど、とにかく二人があんなに迷いなく、絶対大丈夫と言うなら問題ない。その言葉を信じて、俺は改めて一歩前に踏み出した。
「……とりあえず、俺も行くか」
まずはどこかで変身しないと。