ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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三章エピローグ「取り返しのつかないこと」

「あらあらー」

 

 葵さんはそう言って、にやにやしながらリビングを後にした。

 

 反論とか言い訳とか、色々頭には浮かんだ。でも結局は封じた。俺も多分、反対の立場だったら似たような反応をしていた自信がある。

 

 それに今下手なこと言うと嫌な、怖い思いさせちゃうかもしれないし。

 

 そう考えた上で、葵さんがにやにやしていた原因に視線を落とす。その先でぎゅっと、強く強く俺の腕を抱く七海ちゃんに対し、無駄な抵抗を試みる。

 

「……七海ちゃん、暑くない?」

「暑くない」

「……汗、かいてない?」

「かいてないもん」

 

 もんと来た。

 

 こたつに並んで座って、しかもこんなにくっついて。いくら冬とはいえ、絶対暑くないはずないんだけど。ていうか俺が暑いんだけど。ここまでべったりだと、正直かなり照れくさいんだけど。

 

 溜息、はしっかり呑み込んで、代わりにこうなった原因を思い出す。

 

 ショッピングモールに突然生じた結界とレギオン、そしてそれを生み出したというドクターとの戦い。

 

 何度思い返しても相当な急展開だ。夜になった今でも、まだ理解は追いついていない。

 

 特にあのドクターとかいう男については、まったく全然何も分かっていないまま。

 

『もしかして、あれってヒューマンレギオンだったりする?』

『……いいえ。魔法の反応からして、少なくとも人間だとは思うわ』

 

 世界を滅ぼすというヒューマンレギオンかも、という思いつきはガイアに否定されたし。

 

 あの武器とか変身アイテムとか、世界観に合わない何もかもは一体なんなのか。レムナントを集めているとか言っていたけれど、それで何をするつもりなのか。

 

 どれもこれも分からない。今の俺達は考えることすら出来ない。

 

 とにもかくにも、最後の最後にドクターは結界内の時間を巻き戻した。それはすなわち、巻き込まれた人達の記憶も元に戻った、結界での出来事を覚えていないということ。

 

 癪な話、それ自体はいいことだと思う。命を脅かされるような体験、絶対忘れておいた方がいい。更に怪我した人の傷も消え、まるで何事もなかったかのようだ。

 

 けれど、実際はそうじゃない。頭は覚えていなくても、心に刻まれてしまう傷はある。

 

 結界が消えた後、俺を見つけた途端必死に抱きついて来た七海ちゃんが、今もこうして離れないこの姿がそれを証明している。

 

 あの結界にいたらしい七海ちゃんにも中での記憶はないはず。だから本当に何も覚えていければ、普段となんら変わらない態度でいるのが自然なこと。

 

 にもかかわらずこれだ。帰り道も帰った後も、ずっとこんな調子でくっついている。俺が言わなければ、もしかしたら風呂やトイレにも付いて来たかもしれない。それくらいの勢いだ。

 

 ここまで引っ付いて来るということは、結界でのことを忘れてもなお、それほどまで一人になりたくないということ。つまりそれだけ、七海ちゃんがあの中で怖い思いをしてしまったということ。

 

 考えれば考えるほど、あのドクターへの怒りが生じる。今度は絶対に逃がさない。

 

 この怒りパワーは次まで溜め込んでおくとして、ふと時計を見ればいい時間、いつもならそろそろベッドに入る頃合いだ。

 

「……もう寝ようかなー」

「うん」

 

 ちょっとした催促と期待を込めて呟いてみると、意外なことに七海ちゃんはあっさり手を放してくれた。

 

 そのまま一緒に洗面所まで移動、並んで歯を磨く。どうやら七海ちゃんも寝るらしい。

 

 怖がっている七海ちゃん一人で眠れるかは心配だ。でも幸い、今日は葵さんも早く帰って来ている。親子は一緒に眠るものらしいから、葵さんにお任せすれば七海ちゃんは大丈夫だろう。

 

 そんな風に思っていたのが十分前のこと。

 

「に、ににに、兄さん、今日は! 一緒に、寝るから!」

 

 そして七海ちゃんが枕片手に乗り込んで来たのが一分前のこと。

 

「七海ちゃん、狭くない?」

「う、うん、平気。兄さんこそ、大丈夫?」

 

 俺はあっさり押し切られていた。

 

 葵さんの方がいいんじゃない、とかそういうことを言う暇すらなかった。

 

 こう、と決めた時の七海ちゃんのゴリ押し力は想像以上で、気がつけば二人揃ってベッドの中にいた。強い。

 

 幸いベッドは大人サイズで、俺も七海ちゃんもまだ子供サイズだ。並んで寝るだけの余裕はある。

 

 あるのだけれど。

 

「……」

「……」

 

 心に余裕がない。何故か緊張している。息、体温、身動ぎ。ベッドの中に誰かがいるという事実で眼が冴えて来る。普段ならもう眠ってる頃合いなのに。

 

 七海ちゃん相手にどうして、なんて考えて、理由はすぐに見つけられた。

 

「……そういえば、誰かと一緒に眠るのって初めてかも」

「えっ、そうなの?」

「ほら、病院で添い寝は、ちょっとね」

 

 素人目でも、衛生面とかでだいぶ問題がある。

 

 それらをガン無視して、かつて田中の兄ちゃんと鈴木の姉ちゃんが挑戦してくれたこともある。五分後、二人とも床の上で正座させられていたけれども。次の日はテントと寝袋持ち込んで、もう一度揃って正座させられていたけれども。

 

 そんな添い寝絶対禁止の病院で育った俺に、誰かと一緒に眠った思い出は当然ない。ベッドの上で感じるのはシーツと毛布の温もりだけだった。

 

 だから今隣にいる、温かい存在なんて知らなかった。

 

「なんか不思議な感じ」

「……ごめんね」

「ううん、全然嫌じゃないから。むしろ楽しい、も変だよね。じゃあ面白い、も的外れな気がする。なんだろね、この感覚」

「聞かれても分からないよー」

 

 困ったように返事をしながら、七海ちゃんはくすくすと笑みを零す。その音はベッドに入りたての頃よりも随分と柔らかい。

 

 いつも通り話すにつれて七海ちゃんの、俺の緊張も解けていくのを感じる。温かさに肩から力が抜ける。

 

 弛緩した頭は勝手に身体を動かし、毛布の下で七海ちゃんの手を握った。一瞬硬くなった手は、えへへ、なんて照れ笑いと共にすぐ柔らかくなる。

 

「でもこうしてよく、寝る前に手は繋いでもらってたっけ」

「誰に?」

「色んな人に。友達とかお医者さんとか、患者のお爺ちゃんお婆ちゃんとか。これでも俺、病院じゃ結構モテモテだったからね。主に超年上に」

「ふふふっ」

 

 ころころと笑っていた七海ちゃんが不意に口を閉ざした。

 

 気になって横を向くと目が合った。七海ちゃんはじっとこちらを見ている。そこに宿る感情は窺えない。

 

「今も、もてもて?」

 

 部屋は真っ暗なはずなのに、どうしてかその瞳は青く輝いて見えた。

 

「……まあ、こんな世の中だから。男は皆、引く手あまたでえらいことになってるよ」

「兄さんは誰かとお付き合いしたりしないの?」

「そういうのは全然。避けられる内は避けときたいなぁ」

 

 財前曰く、義務教育の間はこのスタンスでも問題ないらしい。高校に上がると色々と状況が変わって、誰とも何も、なんてのは難しいだろう、とも言っていた。

 

 まだ一年以上先の話、想像もつかない未来のことだ。鬼も笑い死ぬ。

 

 そんな考えても無駄なことは投げ捨てて、ようやく得られた貴重な今を俺は満喫したい。

 

「それに今はそういうのより、七海ちゃんのお兄ちゃんを頑張りたいなって」

「……もうっ」

 

 握っていない方の手で軽く胸を叩かれる。声は笑っていた。

 

 こうしてこそこそと、ベッドの中でどれくらい話していたんだろうか。

 

 俺も七海ちゃんも、いつの間にか眠っていたらしい。眩しさに目を開けば朝日が差し込んでいる。一階からは、微かにテレビの音が聞こえてくる。

 

 寝ぼけながら起き上がろうとして、身体が動かせないことに気がついた。

 

 金縛りではない。七海ちゃんが全身に纏わりついている。繋いでいた手は俺の背中、足はタコみたいに足に絡みついている。ついでに顎は俺の肩に載せられている。完全に抱きつかれていた。

 

 なんて寝相の悪い、いやむしろいいのか? 

 

 呆れを超えて感心する俺の耳元で七海ちゃんが囁く。耳がくすぐったい。

 

「にぃさんのことはぁ、わたしが守るからー」

「……変な寝言」

 

 寝息混じりの妙な宣言に、つい小さく笑ってしまう。

 

「でも、まあ」

 

 目が覚めて、すぐ傍に誰かが、大切な人がいる。その人の温もりを全身に感じる。鼓動を、命を確かめられる。

 

 これも悪くないな、なんて。

 

 誰も聞いてない胸の内で、俺は照れ隠しの誤魔化しをしていた。

 

 

 

 犯人は現場に戻る。

 

 ミステリーものでよく言われることだけれど、現実でもそういう傾向はあるらしい。放火の犯人が、実際に消火現場を見学していたこともあるとかなんとか。

 

 手法こそファンタジーではあるものの、昨日のあのドクターとかいう男も立派な悪事の犯人だ。もしかするとありえるかもしれない。

 

 そんな思いで俺は、またしてもこのショッピングモールを訪れていたのだった。

 

「兄さん、今日じゃないと駄目なの?」

「駄目じゃないけど、善は急げだから。バレンタインまでもうあんま時間ないし」

 

 今回は七海ちゃんもセットで。

 

 本日名目上の理由は昨日と同じ、バレンタインに贈るチョコレートの参考と材料。サプライズのつもりだった俺の企みは、すっかり七海ちゃんに知られてしまっていた。

 

 というのも昨日、あの後容赦なく朝地がバラしたからだ。

 

 もちろんすかさず文句は言ったけれど、返す刀でさっくり斬り捨てられた。

 

『前教えた気もするけれど、七海はサプライズよりも一緒に作る方が嬉しいと思うわ』

 

 言われてみればそれはそう。サプライズ云々は俺の希望で、しかも事故率の高い愚行である。俺はチョコを作ったことなんて一度もない。

 

 それにしても、前っていつのことだったっけ。似たようなことは聞いたけど、それは別の人から教えてもらってたような。でも朝地がしっかり前って言ってたし、俺の記憶違いなのかな。

 

 この思考は現実逃避。昨日から右腕に感じる熱、今も引っ張られた感覚が俺を引き戻す。

 

「……あの、七海ちゃん」

「大丈夫だよ! 兄さんのことは、私が絶対守るから!」

「あぁうん、ありがとう。でもちょっと、この体勢は」

「はぐれちゃったら大変だからっ!」

 

 七海ちゃんは今日もずっと俺の腕にくっついていた。

 

 正確には、寝起きだけはちょっと離れていた。はわわ、なんて言って顔を真っ赤にしていたから、冷静になったのかな、と安心していたのが今朝の俺。現状から分かるように、それは普通に勘違いだった。

 

 それにしても、七海ちゃんはいったい何から俺を守るつもりなのか。昨日した話から考えて、多分ナンパ系だとは思うんだけど。

 

 そして実際、七海ちゃんの存在は俺を守っていた。

 

「わぁ見て見て、あそこ! あのカップル可愛くない?」

「うわほんとだ。あんなにくっついて所有権主張して。ワンちゃんみたいで可愛いー!」

「ねー。私にもあんな頃あったなぁ」

「存在しない記憶?」

 

 おかげで寄っては来ないけれど、違うダメージは受けた。こういうのもあるのか。

 

 七海ちゃんは周りを警戒するのに忙しく、幸運にも冷やかすような眼差しには気づいていないらしい。

 

 辟易している途中ひときわ邪な、とてもプレッシャーを感じる視線に気がついた。

 

「あぁいいっすねぇ。初々しい美ロリと美ショタの、それも兄妹のカップリング。インモラルを超えない、プラトニックだからこそ感じられるこの滋味! はー、視力と寿命が回復するっす!」

「……恐らく日本語だとは思われるが、まるで意味が分からない」

「ふっ。ヴェインさんにはまだ早かったっすかね、この境地《レベル》の話は」

 

 しかも知り合いだった。ヴェインさんととても背の高い女の人。確か、あれは末永さんだ。

 

 こうして見つけてしまった以上、というかこれ以上あんな目を向けられないためにも、こっちから近づく。

 

 緊張に身体を固くする七海ちゃんには、ちょっと申し訳なく思った。同じく固まる末永さんには一切思わなかった。

 

 挨拶を適当に交わした後、覚えた疑問を冗談交じりで聞いてみる。

 

「なんかよく会いますね。もしかして俺のこと追いかけてます?」

「そうだと言ったらどうする?」

「えっ」

 

 この間から妙な好意、らしきものを感じると思いきや、まさか。

 

 今度は俺が恐怖に固まる、七海ちゃんが躍り出て俺を庇う番だった。

 

「……ふむ。冗談を試したつもりだったのだが、分かりづらかっただろうか」

「はい、滅茶苦茶。真顔のマジ感が凄かったです」

「今後の参考にしよう」

 

 幸い、向こうも冗談だったらしいけれども。

 

 正直まだ疑っているのは俺だけじゃなく、七海ちゃんも同じらしい。眉を八の字にして俺とヴェインさん、ついでに末永さんを何度も見比べる。

 

 そして真偽を確かめる問いを思いついたようだ。七海ちゃんはそれを、予想外にキレのいい一手を振りかざす。

 

「あの、もしかしてお二人はデートですか?」

「や、や、違うっす、それはないっす、時枝ちゃん。いくらボクでもこの人とはイヤっす」

「ガン拒否されてる。じゃあ、どうして二人で?」

「うっす」

 

 返答になってない。

 

 一丁前に邪な視線を寄越すくせに、末永さんは俺と目を合わそうともしない。童貞を極めていた頃の田中の兄ちゃんのようだ。

 

 答えはヴェインさんに求めよう。視線をずらすと、すぐにこちらは答えてくれた。

 

「今日の予定はアインのトリミング」

「へー、いいですね!」

「そして人間観察、彼女はその補佐だ」

「へ、へー、い、いいです、ね?」

 

 暗黒中二病みたいですね、とはさすがに言えなかった。

 

 その趣味に引いたこともあるし、七海ちゃんはやっぱり居心地悪そうだし、末永さんも大人しくなったし。

 

 そろそろお別れを切り出そうとしたその時、舌っ足らずで元気な声が急に響く。

 

「あっ、おにいちゃんいたー!」

 

 そう叫び、俺を指差し駆けて来るのは昨日結界に巻き込まれた小さな女の子、さつきちゃんだ。

 

「す、すみません!」

 

 そしてその後を出来るだけ早足で、慎重に歩いて来るのはさつきちゃんのお母さん、礼子さん。今日も大きな、大切なお腹が重くて大変そうだ。

 

 礼子さんは俺に周りをくるくると走り続けるさつきちゃんを抱きとめ、至極真っ当なお説教を始める。

 

「こら、さつき! いきなり走ってこんなことして、お兄ちゃんに迷惑でしょ!」

「だってぇ」

「だってじゃないの! 怪我したり、させちゃったりしたらどうするの?」

 

 母親のお説教、というものをこんな間近で見たのは初めてかもしれない。七海ちゃんもあんまり怒られない子だし。

 

 唐突な展開にもかかわらず、そんな物珍しさでついつい眺めてしまう。

 

 やがてしゅんとしたさつきちゃんが、礼子さんに背中を押されて俺の前に立つ。

 

「……ごめんなさい」

「大丈夫だよ。えぇっとそれで、さつきちゃん、だよね。どうしたの?」

「おにいちゃんにね、お礼が言いたかったの」

「お礼って、なんの?」

 

 もしかして、昨日のことを覚えていて。

 

「ぜんぜんわかんない!」

「分かんないかー」

 

 なんて予想は満面の笑みに裏切られた。

 

 釣られて笑ってしまう俺に対し、礼子さんは申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すみません。この子ったら、昨日からこの調子で」

「……昨日から?」

「はい。あの、買い物途中にいきなりこんなこと言い出して。お礼言ってなかったから、あのお兄ちゃん探さないとって、ずっと」

 

 買い物途中、あの結界に巻き込まれた後のこと。だから覚えているはずはなくて。でもこうして、あの時一緒にいた俺をわざわざ探してまで。

 

 どうしてだろうと考え込んでいる内に、礼子さんはもう一度俺に深く礼をした。ただ、今度はとても華やかな笑顔を携えて。

 

「私からも、ありがとうございました」

「え?」

「なんて、ごめんなさいね。私も君を見たら、何故だかどうしても、もう一度お礼を言わなきゃいけない気がしてしまって」

「……なんか質の悪い、ナンパみたいなあれですね」

「ふふふっ、そうですね。君は格好いい男の子ですから、こういうおばさんには気をつけてください」

 

 そう上品に笑った後、礼子さんとさつきちゃんは手を繋ぎながら歩き去って行った。

 

 楽しそうに談笑する姿、ここからも見える交わし合う笑顔は、俺に向けたものよりも数段温かく柔らかく、明るく美しいもの。

 

 疑問はある。分からないことは多い。それでも、あれを見たら今はどうでもよくなった。あんな目にあっても二人は笑えている。幸せそうに過ごせている。

 

 あの光景を守れたという事実で、俺は満足出来た。

 

「……まあ、なんでもいいか」

「兄さん?」

「仲良きことは美しきことー、なんて思っただけ。俺達も行こっか」

 

 ヴェインさんと末永さんに別れを告げて、俺達もその場を後にした。二人に倣って、なんとなく手を繋いで。

 

 今日もショッピングモールは人が多く、楽しげな店内BGMや館内放送がせわしなく響いている。少し歩けば離れた人の話なんてほとんど聞こえない。

 

 だから俺には、後ろで話す二人の声は届かなかった。

 

「昨日の礼、感謝か」

「……ヴェインさん、あの人達は」

「記憶はないだろう。しかし」

 

 話の内容も、そこに込められた熱も意味も。

 

「どうやら彼の言う通り、取り返しのつかないこともあるらしい」

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