君達に出来る、すべきことはよく遊び、よく学び、よく眠ること。
らびらびが大人ぶって、実際おじさんだから大人なんだろうけど、俺達に言ったこと。
それを聞いたシャインとガイアは揃って眉間に皺を寄せていた。でも確かに、実際その通りではある。
今の俺達が新たな脅威、ドクターに備えるため出来ることは精々訓練くらい。しかもそれは前からずっとしている。
だから俺達はあの後いつも通り特訓して、反省会して解散して、家で眠って。
そして次の日、俺はらびらびの助言に従い、七海ちゃんを伴って朝地家にお邪魔していた。
「それでは七海ちゃん先生、今日はよろしくお願いします」
「うむ、任せて!」
すっかり師匠役にも慣れた七海ちゃんが、大きく胸を張って答える。なお、こなれてはいるものの、全身愛嬌に満ち溢れていることに変わりない。
それでのほほんとした心地になっているのは俺と、分かりづらいけれど多分朝地も。表情はいつも通りつんとしているけれど、纏う雰囲気はどこか柔らかい。七海ちゃんパワーは偉大だ。
対照的にもう一人の参加者、陽香さんは何故か緊張しているように見えた。
「陽香さんもチョコ作るんだ」
「ええ、まあ、うん。せっかくだし、ね?」
本日朝地家を訪れたのは、七海ちゃん監修の下でバレンタインのチョコレートを作るため。主に陽香さんが七海ちゃん先生に協力を求めたからだ。
以前の世界の話ではあるけれど、女の子同士でも手作りチョコレートを贈り合っていた。色々付き合いとかあるのよねー、とは鈴木の姉ちゃんの談。
陽香さんもそれかと思いきや、それにしてはこの緊張感、本気感。
どうしてここまで気合を入れてるんだろう、という疑問には、早速先生が答えてくれた。
「実は陽香ちゃん、贈りたい人がいるんだよねー?」
「わ、な、七海!?」
「あのね兄さん。陽香ちゃんねー、その人のこと凄く尊敬しててー、憧れててー」
七海ちゃんがにやにやと、珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべている。
対する陽香さんもこれまたレアな表情、頬が焦りと何かで紅潮していた。
「こ、こら、七海! なんでそういうこと言っちゃうの!?」
「えへへ、いつものお返しだよー」
いつだか恋愛なんてー、とクールに言っていた陽香さんでもそういうことはあるらしい。正直意外だ。
まあでも、考えてみたら相手が男とも、そもそも憧れが恋愛感情だとも限らない。この世界の男女比率からして、遭遇するのは女子のが多いだろうし。無限の可能性がある。
下衆の勘繰りになりそうだからこの辺にして、じゃれ合う二人をそろそろ止めよう。
「陽香さんが憧れる人かぁ。想像もつかないくらい格好いい人なんだろうね」
「まあね! この間の耕太郎さんも中々だったけど、もっともっと凄いんだから!」
「……この間? 俺、何かしたっけ?」
「あ」
ちょくちょく陽香さんと話すことはあっても、そんな感心されるような出来事はなかったはず。
もしかすると何気ない振る舞いが琴線に触れた、のかもしれないけれど、それでもまったく心当たりはない。現時点だと、陽香さんは人のいいところを見つける天才だった、というのが最有力候補だ。
疑問を露わにしている俺の前で、陽香さんは目を泳がす。ついでに七海ちゃんのも一緒に泳いでいた。こんなところでも二人は仲良しだった。
「な、なんでもない。えっと、そう、そうだ。そういう耕太郎さんこそ、誰かあげたい人はいるの?」
露骨な誤魔化し、でもわざわざ追撃しなくてもいいか。なにせ元が女子の憧れがどうこうとか、相当デリケートな話だ。
こういうものは迂闊に触れたら火傷すると、昔鈴木の姉ちゃんが教えてくれた。現に田中の兄ちゃんは何度も大火傷したらしい。
先人二人を参考にして、陽香さんが逸らした話題に移ろう。
「本命とかはないよ。お世話になった人へのお礼的な」
「ふーん?」
「何よりほら、イベントへの参加権を手に入れるため、みたいな?」
陽香さんと、聞いていた他二人も首を捻る。伝わってないみたいだから、説明のために分かりづらいたとえを続けた。
「チョコ待ってるだけだと、なんかの防衛戦やってる気分になるんだよね」
迫り来る女子を斬っては捨て、斬っては捨て。頭の中はタワーディフェンスに近い。
これも大変な戦いではあるけれど、田中の兄ちゃんが楽しそうに燃えていた一世一代の戦とはきっと違う。ちなみに、田中の兄ちゃんの一世一代は一年に何回もあった。
このまま無為な戦いを続けるだけでは、せっかくのイベントが苦行に終わってしまう。受け取る側がこんなに大変なら、せめて贈る側で楽しい気持ちも体験したい。
けれど俺の変な説明は、陽香さんには言い訳に聞こえたようだ。
「そんなこと言ってー。わざわざ手作りなんてするんだからー、耕太郎さんにも特別贈りたい相手がいるんじゃないのー?」
「さっきもいないって言ったけど、そんなに俺に相手がいるか気になるの?」
「もちろん」
片手は胸に、もう片方は腰に当て、そして深く頷く陽香さんの声は堂々としていた。
「あたしがじゃなくて、七海がだけどね!」
言うことはあんまり堂々としていなかった。他責。
「よ、陽香ちゃん、どうしてそういうこと言うの!?」
「ふふん。あたしもお返し―」
「もう、もうっ!」
今度は反対に、七海ちゃんが陽香さんの腕を掴んで振り回している。さっきよりも格段に勢いは弱い。
きゃっきゃっきゃんきゃん言い合いながらも、二人の口元は緩んでいる。微笑ましい戯れ、とても和やかな光景だ。
「平和だなぁ」
呟いてからちらっと横を見る。こっちの口はへの字で、しかも眉は逆八の字だった。
「こっちは不機嫌だなぁ。何かあった?」
「……別に。考えなければいけないことを思い出しただけ」
「悩み事? 俺でよければ手伝うけど」
朝地の不機嫌顔は何か困りごとのせいらしい。
俺に何が出来るかはさておき、朝地の力にはなりたい。
そう思って提案したものの、どうにも反応は渋い。頭痛を堪えるようこめかみに添えた右手は、朝地の酷い葛藤を感じさせる。
小さく息を吐いた朝地は、首をそっと横に振ってから囁いた。
「ごめんなさい。これは、自分で蒔いた種だから」
「そう? 気が変わったら言ってね」
「……無理よ。種にじゃあよろしくなんて、絶対言えないもの」
もう一度首を横に振られる。
こっちとしてはその頑な遠慮とよく分からないたとえに首を捻りたい。さっきの俺の話よりも分かりづらいものが出るとは思わなかった。
俺が一瞬意味を考え込む隙を突き、朝地は未だじゃれ合う七海ちゃん達に声をかける。
「ほら、二人ともふざけてないで。台所で遊ぶのは危ないわ」
ごもっともな話だ。そしてここは無理に悩みを聞きだす場所じゃない。
二人は揃って返事をして、すぐに七海ちゃん先生のチョコレート教室が始まった。
冬の太陽が眩しく照らす公園で、俺は前野さんにチョコを差し出す。
「そんな感じで作ったのがこちらのチョコレートです」
「……ま、待って、時枝くん。なんか、なんかさりげなく、凄く自然に桜ちゃんのお家お邪魔してなかった!?」
「うん。もう何回も行ってるし」
「何回も!?」
目を見開いた前野さんが、とても大げさな動きで朝地の方へ振り向いた。本人はいたって真剣なんだろうけれど、どこか仰々しくてシュールだ。
一方驚愕の眼差しを向けられた朝地は冷静そのもの、とても涼しい顔でチョコレートを取り出す。
「……はっぴーばれんたいんー」
「棒読み!? え、何、まさか、それで誤魔化そうとしてるの!?」
「朝地も芸風が広がって来たなぁ」
いつも通りの真顔がいい味を出している。よく見ると目だけは挙動不審なのも面白い。なんて思っていたら睨んで来るのは普通に怖い。あんまりこの人冷静じゃなかった。
なら俺が話した方がいいだろうということで、これまでの経緯をなんとなく語る。
元々妹、七海ちゃんと陽香さんが親友であること。その流れで朝地と七海ちゃんも仲がいいこと。同じ感じで俺が陽香さん、朝地と接する機会もそこそこあったということ。初めて訪問したのは雨宿りがきっかけで、それ以来故あってちょこちょことお邪魔することがあるということ。
朝地は男が苦手という話は当然抜いた。克服のために特訓をしているということも。あれはどう説明していいか分からないし、むしろ未だに俺が解説して欲しい。
説明の途中、前野さんがはっと朝地のことを見上げた。
「もしかして、この前言ってた頼み事?」
「……ええ、そんな感じ」
「そっかー。じゃあ頑張ってね、桜ちゃん!」
二人が何を話しているかは分からないけれど、どうやら納得はしてくれたらしい。妙な誤解や問題は消えたようでよかった。
なので続いて、今度は前野さんの番だ。
この意味不明な世界におけるバレンタインの謎マナー、チョコレート贈呈事前予約制。
前野さんからは先週お手紙を貰って、もちろんオーケーで返した。その時一緒に俺も予約申請をしてみた。苦笑とオーケーが返って来た。
「で、では、時枝くんも、どうぞ」
「ありがとう、嬉しい!」
手渡されたのは丁寧に丁寧に包装された長方形の小さな箱。王道の柄、茶色と赤のストライプが期待感をくすぐる。友達から貰ったもの、というのがますますテンションを上げた。
感情のまま、つい高く掲げてまじまじと眺めてしまう。チョコそれ自体も嬉しいけれど、貰えたことはもっと嬉しい。プレゼントはいつも存在を認められたような心地をくれる。
そんな喜びがあまりにも露骨だったのか、前野さんはひそひそと朝地にすり寄った。
「桜ちゃん。もしかして、もしかしてなんだけど、私、まさか脈ある?」
「……その」
「あ、はい、言わなくても結構です。むしろ言わないでください」
変な会話にそちらを向けば、ですよねー、なんて言葉が前野さんの顔に書いてあった。実際脈はないので、俺からは何も言えない。
こうして無事にチョコを贈り合えたから解散、とはならず、なんとなくその場で雑談を続ける。テーマはもちろん明日に控えたバレンタイン本番について。
そう、明日だ。当日は予想出来ないトラブルが多発するかもということで、俺達は前日の今日チョコを交換し合っていた。
「明日はとうとう本番か。どうなるかなぁ」
「大丈夫だよ。学校にはチョコ持ってこないようにって、新田先生も言ってたから」
「だけど多分、皆ルール無用でしょ?」
「あ、あはは」
学校にチョコ持ち込み禁止? ならバレないようにすればいいだろ!
田中の兄ちゃんなら間違いなくそう言う。そして似たようなマインドを持っている女子はきっと同じことをする。そんな子が学校にどれくらいいるのか。両手両足の指では到底足りないだろう。
明日の波乱万丈を想像しげんなりする俺を、前野さんは懸命に慰めてくれた。
「で、でもでも、時枝くんはちゃんと断ってたし、そういう決まりだし」
「だけど多分、皆ルール無用でしょ?」
「あ、あはは」
苦笑い二回目。
前野さんが、一応俺もした許可を得るというマナーは確かに存在する。
けれど、所詮はマナーだ。燃え上るリビドーの前でそんなものは役に立たない。絶対無視する人はいる。
というより今ここにいる朝地もそうだったし、なんとあの七海ちゃんまでもが無視勢だった。一緒にチョコを作った時、そんなものもあったっけ、なんて顔を揃ってしていた。一応その時聞いてくれたのは陽香さんだけだ。
皆でこれなんだから、他の野性的な人ならどれほどになるのか。
当日起こる問題に再び思いを馳せていると、不意に朝地が声をかけて来た。
「時枝」
俺を呼んだ朝地の眼差しはとても透き通っていて、真剣な輝きが美しく光っている。
それでなんとなく俺も佇まいを整える。そして前野さんは何故か俺以上に姿勢を正していた。
「明日は必ず誰かと一緒にいて、絶対一人にはならないように。何を渡されても受け取るのも、呼び出されてついて行くのも駄目。もしどうしてもという時は財前、私でもいいからすぐに声をかけなさい。いつでも付き合うから」
神妙な口ぶりでずらずらと並べられたのは、明日の注意事項と親切心。
分かりにくい普段のものとは違い、今日の言葉は俺を心配していることがどれも明瞭に伝わる。
伝わるのだけれど、どこかくすぐったい。素直に受け取るのは照れくさい。
だからつい照れ隠しで、軽口で返してしまった。
「なんか朝地、お姉ちゃんみたいだね」
「いい?」
「あっはい」
有無を言わせない念押しに屈服し、俺は言われるがまま頷く。
前野さんは最後まで苦笑いしていた。