明治初期に突然貿易で頭角を現した、新しいんだか古いんだか分からない商家。それが神野家である。
一応その血を継ぐ俺ではあるけれど、どういう家なのかは全然詳しくない。
知っているのは昔は財閥だったとか、今も医療に金融にエネルギー、そのほかにも手の届かない分野はなくて、現代でも神野グループとして日本経済に君臨しているらしいとか。
あとは当主が総理大臣と毎年元旦に握手してるとか、そういう眉唾物の、はっきり言って陰謀論混じりの噂くらい。
庶子の俺に家のことを教える人はいなかったし、小さい頃ならともかく、今更調べる気はなかった。
それに思うところもあって、世界が変わった後は尚更知ろうとも思えなかった。
けれども、さすがに血縁上の父親が死んだと聞いたら確認せざるを得ない。
誰もいない家の中、こたつに突っ伏しながらタブレットを弄る。
「神野雷蔵っと」
その名前を検索エンジンに入力した途端、一拍置いてインターネットは死亡と予想してくれた。おかげで手間が省けた。
検索結果にはずらずらとネットニュースの見出しが並んでいる。「突然の死」やら「心筋梗塞」やら、中身を読まなくても大体分かってしまった。
それでも一応そのうち一つ、ネットニュースを適当に選んで開く。簡素な説明と動画が掲載されていた。
数十秒程度の、葬式の映像だ。葬儀場の外観と参列する大勢の人々と、遺影が僅かな間画面に映る。
今時燕尾服なんて着ている変な格好の、見覚えのある人だった。毎朝鏡を見ると、いつもどことなく面影を感じる顔だった。
けれど毎回覚える苛立ちは、不思議なことに今日はなかった。
「耕太郎、それは」
なんとなくその映像を繰り返し眺めていると、不意に頭上から声がする。
見上げればそこには、今日も不法侵入のらびらびが浮かんでいた。
「これ、前話した血縁上の父親の葬式。もう死んでるって、今日偶然財前から聞いて」
「……そうか」
「あー、あんま気にしないで。元々年に数回しか顔合わせない、ろくに話もしてくれなかった人だし。それにほら、今日まで俺、調べもしてなかったし。それくらいだから」
そうまくし立てた後、自然と苦笑いになる。
「なんて、ずっと高い入院代とか払ってもらって、今まで生かしてもらってた奴の台詞じゃないんだけどね」
「いや、耕太郎こそ気にする必要はないぴょん。好きなだけその男を憎み蔑み、罵るといいぴょん。君にはその権利があるぴょん」
「お、おぉ」
圧が強い。
らびらびはやたらと俺に甘いから、あの人のことをよく思っていないだろうな、とは予想していた。
それにしても圧が強い。気のせいか殺意すら感じる。もう死んでるんだけど。
「まあ、実を言うと俺も昔はそんな風に思って、実際もっと口汚いこと言ってた時期もあったんだけどさ」
「……何か、変わったのか?」
俺を気遣っているのか、恐々と尋ねるらびらびに迷いなく頷く。
「うん。自分でもびっくりしちゃった。いざ死なれると、案外嫌な気分になったみたい」
「……」
いつも血縁上の父親、なんてわざとらしい言い方をして、なるべく心から遠ざけるようにしていた。
実際物理的にも精神的にもずっと離れて生きて来て、親子なんて意識はお互いになかったはず。あったらもっと、あの人は俺に会いに来ていたはず。
それでも何故か、胸のどこかに穴が空いたような感覚がする。お腹と肩が重くなって、全身から力が抜けてしまう。
どうしてこうなるのか。理由から目を逸らす。思考を逸らす。今更考えても仕方のないことだ。死んだ人は蘇らない。もう話せない。意味がない。
「駄目だな、全部後ろ向きになってる」
今日あの家に、お母さんが亡くなった場所に行ってから、お父さんの死を知ってから、頭がごちゃごちゃしてどうしようもなくなっている。
そして多分、周りにもそれを察せられている。さっきのらびらびも、お見舞いから帰る時の皆も、俺を気遣っている雰囲気だった。
この分だときっと、いや絶対に七海ちゃんと葵さんにも気づかれてしまう。また余計な心配をかけてしまう。
幸い二人はまだ出かけていて時間はある。この間に、せめて空元気だけでも取り戻しておこう。
それで楽しい情報を探すつもりで指を動かして、結局何故か、俺は父親のことを改めて調べてしまっていた。
「うわぁ、村潰してゴルフ場作ってる。さすが神野家、あの人も立派な暗黒金持ちだったんだなぁ」
数年前の地方ニュースにひっそりと、ふた昔前くらいの悪役がやりそうな所業が掲載されていた。
ただ、どうやらその村も真っ当なところではなかったらしい。ゴルフ場開発への反対運動で村長が傷害事件を起こしたのをきっかけに、銃刀法違反などの余罪がぼろぼろ溢れ出て来たそうだ。
しかもその余波で他の村人の罪も暴かれて何人も逮捕され、特に村の上層部なんて今ではほとんど塀の中にいるとか。
ここまで規模の大きい逮捕劇になったのは、この村がとても閉鎖的で罪を罪と思っていなかったから、もしくはお互いに隠し合っていたから。そう記事には書かれている。
そんな割とセンセーショナルな事件にもかかわらず、この事件は全然ニュースにもなっていなかった。俺も見つけられたのはゴルフ場から興味本位で調べて、偶然開いたこの地方サイトの一報だけ。
陰謀論染みたものを感じるなぁ。これも財前の言ってた、後継者争いで生じた真偽の分からない埃かなぁ。
そんな風に頭を空っぽにして、その村があった場所の地図を開く。狭間市から遠く離れた、秘境のような場所だった。
「……こうくん、それ」
「影月村だって。かなり山奥の、結構歴史ある村だったらしいよ」
「そこは、お母さんたちが産まれた村だよ」
「へぇ、そうなんだ」
葵さんが産まれた村、つまりは例の因習村だ。叩けばあれだけ埃が出るのも納得。
「……え?」
納得したところで、頭が真っ白になった。
ゆっくりと振り向くと、葵さんが静かに、じっとタブレットの画面を見ている。その透き通るような眼差しは、とても綺麗なはずなのにどこか恐ろしい。
そして葵さんはすぐさま、その瞳を俺に向けた。
「こうくん、お父さんのこと思い出したの?」
「いや、えっと」
「もしかして、お母さんのことも?」
「それは」
言い訳と迷いと、何かの反射で身体が動き、葵さんと目が合う。
「……私のことじゃないよ」
それは、そっと逸らされ、
「神野雷蔵さんと、月原悠乃さんのこと」
続けて、知っている名前を告げられた。
買って来た夕飯の材料をゆっくり冷蔵庫に詰めたり、温かいお茶を丁寧に淹れたり。
そんな風にあれこれ時間稼ぎをしていた七海ちゃんは、とうとう葵さんに捕まった。
「ななちゃんは部屋にいて」
「やだ、大事な話なら私も聞きたいっ」
けれど七海ちゃんはそれを一蹴し、勢いよく俺の隣に座った。そしてへばりつくようにテーブルに倒れ込み、絶対離れないと意思表示をしている。振動でコップが揺れた。
この分だと、いくら説得しても無駄だろう。
そう確信したから、淹れてもらったお茶を一口含んだ後、葵さんに告げる。
「七海ちゃんにも聞いてもらった方がいいと思う」
「でも」
「俺も同じ立場だったら気になったと思うし」
それに、と隣に座る七海ちゃんを見る。
「駄目って言っても、きっと盗み聞きとかするだろうから」
「……えへへ」
もはや自白と呼んでもいい笑顔だった。
話に集中してしまえば、恐らく覗き見盗み聞きの気配なんて感じられないだろう。それに、いくら家の中でも廊下は寒い。そんなところにずっといれば、風邪をぶり返してしまうかもしれない。
俺の説得を聞いた葵さんが珍しく、とても深い溜息を吐く。
「……ななちゃんには、こうくんにも、まだまだ伝えるつもりはなかった。忘れているなら、悲しいけれどそれはそれでいいと思ってたの。もっと落ち着いてから、大人になってから、改めてお話するつもりだった。絶対にショックを受けちゃうって分かってたから」
そして溜息以上に稀な、初めて聞くほど重々しい口調で語る。
七海ちゃんがその重さにびくりと震えるのを、葵さんは見逃さなかった。そのまままっすぐ見つめ、真摯に問いかける。
「それでも、聞きたい?」
「……うん。そんなに大変な話なら、私も聞かなきゃいけないと思う」
「どうして?」
「お母さんと兄さんと一緒に悩んで、考えて、力になりたいから」
「そっか、そうだよね」
浮かんだ優しい微笑みは咳払いで影に消える。
続けて生じたのは、今まで見たことがないほど真剣な面持ちだった。
「改めて、言います」
「はい」
「私とこうくんは、血の繋がった親子ではありません」
平然としていたのは俺だけだった。
葵さんは硬い表情の裏にある痛みを隠し切れておらず、七海ちゃんは目を大きく見開き、言葉を失っていた。
それでも葵さんは表面を整えながら、いつものような温かい口調で語り続ける。
「私はこうくんの従叔母、だと分かりにくいよね。こうくんのお母さん、悠乃お姉ちゃんのいとこにあたります」
「……じゃあ俺と二人は、一応親戚?」
「うん。ななちゃんとこうくんは、いわゆるはとこだね」
「そっか。俺ちゃんと、二人と血繋がってたんだ」
話が進む度に沈む二人には申し訳ないけれど、俺は付け加えられた情報に安心していた。
俺の知る限り俺と血が繋がっている人、親戚である神野家の人々は、はっきり言ってろくでもない人ばかりだ。
だから俺に流れる血は全て汚物だと思っていた。でも葵さんと七海ちゃんと少しでも同じものが流れているのなら、話は変わる。俺にも優しい人の血が流れていることになる。
まさか、この話で安心出来ることを聞くなんて。
そんな風に心温まっているのは俺だけだった。
「……兄さん」
七海ちゃんが袖をぎゅっと握り、上目遣いで俺を見上げている。瞳は不安に揺れている。
だから手を伸ばし、優しく髪を撫でつけた。
「はとこってことは、俺は親戚のお兄さんポジかぁ。なら兄さん呼びはあながち間違いじゃなかったってことだね!」
「……」
「あー、ごめん。変なこと言っちゃった」
「……ううん」
今度は俯き、小さく首を振る。それから七海ちゃんは一度だけ、一瞬だけ俺の腕に顔を押し付けてから離れた。
最初から知っていた葵さんと血縁はないと踏んでいた俺とは違い、覚悟をしていなかった七海ちゃんのショックは大きいのだろう。
なら、早く終わらせた方がいいかもしれない。俺としても、あんまり長々と話しているとその内ボロが出る。かつてのように、また汚泥を口から出してしまうかもしれない。
葵さんも似たような結論に至ったのか、続きを促すとすぐに口を開いてくれた。
「お正月の時に話した、私を村から連れ出してくれたお姉さんの話覚えてる?」
「うん。それが多分、月原悠乃さん、なんだよね」
「そうだよ。十五歳の誕生日に、村長の息子に召し上げられそうになった私を助けてくれたんだ」
「召し上げ、られ?」
その意味に七海ちゃんはピンと来ていないようだ。俺は来てしまった。気まずい。
語る葵さんはもっと気まずいようで、なるべく柔らかい表現を探そうとあがいていた。
「あー、なんていうか、強制的にお嫁さんにしちゃう、みたいなね?」
「……えっ!? お母さん、お父さんじゃない人と結婚してたの!?」
「してないしてない。危ないところを悠乃お姉ちゃんが、どっせいって感じで全部ぶち壊したから」
「思ってたより物理」
跳び蹴りで襖と村長の息子をぶっ飛ばした後、止めに来た村人共々全員ぶちのめしたらしい。自分の時も同じくぶち壊したから、村長一家がボコボコにされたのはそれで二度目だったとか。
というかこの家、お父さんいたんだ。今いなくて今まで話題にしなかったってことは、もう亡くなられているんだろうか。
予想外に強かった血縁上の母から目を逸らすため、新たな事実に思考を移す。こっちも結構な驚きだったのに、大乱闘のおかげでインパクトが薄い。
「こうして村の因習をぶっ壊したおかげで当然私たちは針の筵になったんだけど、キレた悠乃お姉ちゃんがまたまたぶちかましてね。最終的にお姉ちゃんは村から出ることを決めて、その時私のことも誘ってくれたんだ」
「ぶちかますって、なんて言ったの?」
「『うるせークソ田舎のカス共! 文句あるなら正面から来い!』」
「思ってたより口が悪い」
絶対中指立ててる。
「そのまま勢いで村を飛び出した後、私たちは頑張ってアルバイトで生計を立てて、空いた時間に勉強して、それでなんとか二人とも学校に、高校と大学に入って。悠乃お姉ちゃんはすっごく、本当誰よりも綺麗だったからなぁ。村にいた時も、大学に行った時もモテてモテて、色んな人に声かけられて、もう街中歩くだけでスカウトされるくらいで」
「はあ」
「その頃の写真見る? 見るよね?」
誰の返事も待たずに、葵さんは素早くスマホを操作する。
宝物を自慢するかのように差し出されたその画面には、黒髪の女の人が映っていた。
「……わぁ」
七海ちゃんが感嘆の息を漏らす。
ここまで反応するほど、葵さんが言うほどに綺麗、なんだとは思う。整った目鼻立ち。強い意志を感じさせる美しい瞳。艶やかな髪。華やかな笑顔。
けれどそれ以上、どう思っていいのか分からなかった。だって、お母さんの顔をここまできちんと見るのは初めてだったから。
どんな人だったんだろう。
思考が乱れる間にも、葵さんの話は進んでいく。
「そうやって声をかけて来た人の中にね、こうくんのお父さん、雷蔵さんもいたんだ」
その名前で、更に思考が歪んだ。
「こうくん的には複雑だろうから、過程は省略することにして。なんやかんやで二人は付き合うことになって」
「……」
「あの頃は凄かったなぁ。悠乃お姉ちゃんは、雷蔵さんも大人気だったから。二人の交際を認めないぞーって文句も大きくて。やっぱりなんやかんやで色んなイベントやトラブルを乗り越えたあげく、最終的には大学中にベストバカップル、なんて異名を轟かせたりして」
語る葵さんは楽しそうで、誇らしそうで、話が違えば、見てるだけで幸せになれただろう。
お母さんと二人で頑張って生きて来た葵さんは、お父さんとも知り合いだったはず。もしかすると仲良しだったのかもしれない。
だからきっと、それはとてもいい思い出なんだろう。
「それくらい二人は愛し合っていたんだよ」
「でも結局、あの人はお母さんを捨てた」
けれど俺には、聞くだけで耳障りな話だった。
「始まりや途中がどうでも、結論はこうでしょ? 飽きたから捨てて、捨てられたから憎んで、それで」
「……あのね、こうくん。神野家の人たちに何を言われたのかは分からないけど、そうじゃないよ。二人は本当に愛し合っていて」
「本当に愛し合っていたなら、こんなことになってない」
もしそうなら、お母さんは生きてた。お父さんとはもっと話すことが出来た。俺はあんな身体にならなかった。
「だから全部、葵さんの勘違いだよ。お父さんは、ただ田舎者のお母さんで遊んでただけ。お母さんも、そんな奴の子供なんて、俺のことなんて愛してなかった」
「違うっ、そんなことないよ。悠乃お姉ちゃんは雷蔵さんを、こうくんのことを」
「だったら、なんで心中なんてしたんだよ!」
テーブルを両手で叩き立ち上がる。その音と大声が、しばらくの間沈黙を作る。
「……心、中?」
七海ちゃんの呆然とした呟きが生まれるまで、その張り詰めるような空気は続いた。
「ごめん、急に大声出して」
「……兄さん、心中って」
「あー、うん。まあ、そのままの意味なんだけど。えっと、ごめんね? いきなりこんな話に飛んで」
家族の大事な話と聞いて、私も力になりたいと言っていた七海ちゃんからすれば、これは予想も出来なかった話のはず。
それに何より、これはこの子にはまったく関係のない、聞くだけ嫌になる話だ。
なんとか誤魔化そうと、この場は流そうと、意味のない無駄な抵抗を試みる。頭を回そうとする。
その結果が出るよりも早く、じわりと、七海ちゃんの目に涙が浮かんだ。
次の瞬間にはぽろぽろと、涙が次々と零れ落ちる。
七海ちゃんは俺に、葵さんにそれを拭わせる隙も与えず、転げ落ちるように椅子から立ち、部屋から飛び出して行った。
「ななちゃん!」
呼び止める葵さんへの答えは、階段を駆け上る乱れた音。そして乱暴に扉を開き、力任せに閉じる音。
その衝撃で葵さんは、へなへなと椅子に崩れ落ちた。
「ごめん。本当に、ごめんね。私はもっと、こうくんの気持ちを考えて、もっと慎重に伝えなくちゃいけなかったのに」
「大丈夫。俺こそ、変に反応しちゃってごめんなさい。こんなこと、全部今更だし。終わったことだから、もうどうでもいいことなのにね」
「……こうくん」
それでも葵さんはなんとかもう一度立ち上がると、頼りない足取りで俺の傍まで歩きしゃがむ。そして目線を合わせると、そっと俺の頬に手を伸ばした。
温かくて優しい手だ。今更、ようやく得られた、縋りたくなるような手だ。
その手に俺も手を添えて、一秒だけ目を瞑ってから、なんとか頬から外す。これ以上は耐えられない。
「ありがとう。でも、俺は大丈夫だから。俺よりも七海ちゃんのことを気にしてあげて」
どうして七海ちゃんがあそこまでショックを受けて、あんなにも泣いてしまったのか。
俺には分からない。今は考えても、ヒントにすら辿り着けない気がする。だから葵さんに任せた方がいい。葵さんならきっと分かる。だって二人は本当の家族、親子だから。
何度も振り返りながら、それでもなんとか二階へ向かう葵さんを見送ってすぐ、慣れた気配を背後に感じた。
「耕太郎、今、話してもいいか?」
「見ての通り。わざわざ聞かなくても、らびらびなら分かるだろ?」
「……すまない」
「いいよ。で?」
「ドクターが展開したと思われる結界を感知した。来てくれ」
思わず舌打ちでした返事を、らびらびは黙って聞いてくれた。