一月にバイクレギオンが発生した駅前のスクランブル交差点。またしてもその一帯に結界が展開されていた。
今回クリアガイアが集合場所に指定したのは、辛うじてその範囲から外れた高層ビルの屋上。監視カメラの類が周辺に存在しないことは、既に彼女が確認済みである。
クリアシャインは眉間に皺を寄せて下を、結界を睨んだ後、傍らの親友に声をかけた。
「オーシャン」
「……」
「ねえ、オーシャンったら、聞いてる!?」
何度も呼びかけて、大声を出して、最終的には強く肩を揺することで、ようやくクリアオーシャンは反応した。
「あ、ご、ごめんね、何の話?」
「あのドクターとかいうやつ、今日はどうやってボコボコにするかって話! もう、久しぶりの戦いなんだからしっかりしてよね!」
「う、うん、そうだよね、ごめんなさい」
「……むぅ」
深く頭を下げつつも、依然気はそぞろなまま。
親友のあからさまに注意、集中力に欠けるさまを見て、クリアシャインは不服そうに口を噤んだ。
その様子を年長二人は少し離れた場所から心配そうに窺っている。
「オーシャン、大丈夫かな。なんだか具合悪そうだけど」
「……」
そう零す耕太郎の顔をじっと覗き見た後、クリアガイアは恐々と尋ねた。
「貴方こそ、どうなの?」
「何が?」
「……貴方も、どこか調子が悪そうに見えるから」
耕太郎の瞳孔が極めて僅かな間、限界まで大きく開く。
それを無意識のうちに、瞬きの内に隠した後、彼はとても朗らかな笑顔を浮かべた。
「俺はこの通り元気だよ。だから気のせい気のせい」
「本当?」
「こんなことで嘘吐いてどうするのって。ほら、俺なんかのことより、ガイアもオーシャンのこと気にしてあげて」
「………………気にするより、一刻も早く対処しましょう。そちらの方が早いわ」
「おー、今日は好戦的だなぁ」
感心する耕太郎を一瞥し、未だ噛み合わない妹達のやり取りを遠目で確認し、クリアガイアは内心息を吐く。
どこか気が遠くなっているクリアオーシャンを今呼んでも、まともに作戦会議に参加出来るとは思えない。そしてその様子にクリアシャインは今のように突っかかるはず。それでは話し合いが滞りなく進むとは考えられない。
そう判断したクリアガイアは、ひとまず目の前の耕太郎と二人で現状を整理する。
「調べた限り、あの中にいるのは例のドクターだけよ」
「だけ? レギオンとか、普通の人とかは?」
「いないわ。一瞬中に入ってみたけれど、あの男以外の反応はなかった」
最大限の警戒を持ってクリアガイアが覗いた先、結界の中は通常と変わらない光景だった。
世界を写し取ったような景色、不気味な薄暗さ、生命の気配を感じない空気。
ドクターの目的から考え疑問を覚えつつ、報告を聞いた耕太郎は咄嗟の思い付きを口にする。
「……なら思ったんだけどさ、このまま封印とか出来ないの?」
「封印?」
「漫画とかでよくあるじゃん、魔王とか妖怪とか封印する結界。そういう感じで、この結界ごと外からドクターも封印する、みたいな」
戦場ごと対処してしまえという逆転の発想、ある種の禁じ手である。
一考に値するそれを聞き、クリアガイアは顎に手を当て、瞳を伏せた。だが数十秒後、彼女は緩く首を振った。
「どう?」
「……残念だけど、難しいわ。あの男はきっと私よりも魔法に詳しい。中から抵抗されて、そのまま封印も弾かれるはずよ」
「そっか。いいアイデアだと思ったんだけど」
「あとは、世界の抗体作用のこともあるから」
世界の理に反する存在を消すため発生する事象、それが世界の抗体作用だ。
元の世界の記憶を持つ耕太郎もそのためにかつては植木鉢に襲われ、今も一人の時はマシュマロに襲撃されている。
なお、彼はその理由を、らびらびの推測を内心では疑っている。多分これも何か誤魔化しているんだろうな、と予想している。聞かないのは、以前と同じく相手の話したくないという気持ちを汲んでいるからだ。
「それほど大規模な魔法を維持し続ければ、あれは必ず私たちに牙を剥くわ」
「あー、なるほど?」
「それに、もし抗体作用を克服出来ても、結局一年以内には解かないといけないの」
「時間制限あるんだ、あれ」
「結界というより、世界にあるの」
首を傾げる耕太郎の前にクリアガイアは二つの、大きく白い布と小さく黄色い無地のワッペンを虚空から取り出す。
そして魔法陣から糸のようなものを生じさせてから、白の上に黄色を縫い合わせ始めた。
「結界は世界の上に特殊な空間、疑似的な世界を展開する魔法だから。例えるなら、そうね、アップリケやワッペンで伝わるかしら?」
「服の上に別の布縫うやつだっけ?」
「ええ。この例え通りのもの、ワッペンなら、糸を外せば服からいつでも取れるわ。だけど魔法は世界に定着してしまう。長期間展開し続けていた魔法は、そのまま世界に残り続けてしまうの」
「そのまま、ドクターごと結界が残るってこと?」
「いいえ。結界が世界を塗り潰してしまうのよ」
こんな風に、と魔法の布を見せつける。
耕太郎の前で布から糸が外れていく。本来なら白と黄色は再び別れるはず。
しかし、結び合わせていたはずの糸が消滅しても白と黄色は離れない。それどころかまるで元々その模様であったかのように、境界線すらなくなっている。
これは結界と世界にも同じことが言える。
今回はクリアガイアが加速させたため一瞬で起きたが、融合事例は望まなくとも発生する。展開し続けた結界はいずれ世界を呑み込み、自身が本物だと主張する。
そしていずれ、元々そこにあった世界を消失させる。
耕太郎にその理屈が理解しきれたとは言えないが、とにかく封印が無理なことだけは伝わった。
「分かった。なら諦めて、さっさとあいつボコりに行こう」
そう言い切り、耕太郎は早足でクリアオーシャン達のもとへ進んでいく。
その足取りに、乱暴な会話の打ち切り方に、魔力の源泉たる魂の乱れに。
「……やっぱり今日の時枝、少し変よね」
鋭い棘を感じる友人の背中に、クリアガイアは、朝地桜は眉を下げた。
結界内は無風だ。
自らの呼吸音以外何も響かない中、白銀のローブに身を包むドクターは交差点の中心で空を見上げていた。
雲の存在しない空には、怪しげな月だけが煌々と輝いている。
「ようやくか。私への対策でも考えていたのだろうか」
その呟きに応えるように、月光をかき消す強烈な輝きが夜空を照らす。
「『シャイン・レイ』ッ!」
クリアシャインの十八番、強力な熱線を放つ魔法。
予告なしで突如放たれたそれを、あろうことかドクターは無造作な裏拳で弾く。
逸らされた魔法がビルを粉砕していく光景を横目に、彼は上空を、空で杖を構えるクリアシャインを見上げる。
その瞳は救いがたい愚者を見るような、冬の空気よりも冷たい眼差しだった。
「不意打ちをするのなら撃つ前の気配も隠しておくといい。滑稽なほど敵意が漏れ出ていた」
「……はっ! 何勘違いしてるの? 今のはただの挨拶だから!」
「あれが挨拶か。奇特な教育をする親もいたものだ」
そう零してすぐ、ドクターは後方へ振り返る。
「少年も戦意は素晴らしいが、それは誇示するものではない。君も奇襲を狙っていたのであれば、だが」
「……アドバイスどうも」
「青の少女、君もだ」
作戦上、クリアシャインは本命であり、同時に陽動でもあった。
派手で強力な一撃を正面上空から不意打ち。それが防がれた場合、後ろから耕太郎とクリアオーシャンの二人が奇襲する。
この二段構えが今回の作戦の概要だった。
だがドクターは平然と見破り、背後に隠れていた二人へ助言する余裕すら見せている。
前回と同様、もしくはそれ以上の底知れなさに戦慄する彼女達に、彼は平坦な口ぶりでアドバイスを続けた。
「理由は分からないが、君の魔力は乱れ切っている。とても戦える精神状態とは思えない。今日は帰るといい」
「ば、馬鹿にしないでくださいっ!」
「そうか。であれば、始める前に伝えよう」
魔法少女三人を、そして結界の向こう側に一度ずつ視線を移してから、ドクターは告げる。
「心配せずとも、結界内に私達以外の者はいない」
それはクリアガイアが事前に調査した結果と同じ内容だ。
魔法少女達は彼女の報告を疑っていない。そして実際、ここまでの道中で人の気配を感じていない。
彼女達が分からないのは、ドクターが今回このような結界を作り上げた理由だ。
「何の罪もない人からレムナントを絞り取る。それがお前の狙いじゃなかったのか?」
「語弊を感じるがその通りだ。だが、いくつかの問題から先日の手法は取りやめた」
「問題?」
「最も大きい課題は、あれでは取り返しがつかなくなることだ」
ぴくりと、耕太郎の眉が動く。
「それは我が英雄と交わした約定に背く。更に言えば、コストパフォーマンスも極めて悪かった。やはり一般人の魂では質、量ともに間に合わないようだ」
「……なら、なんで今日また結界を」
「無論、レムナントの収拾を続けるためだ」
言うや否や、ドクターは眼前に魔法陣を展開し、その内部から紫の宝玉を取り出す。
≪リードブレス≫
そして起動させた右腕の腕輪に装着、次の瞬間には回転させる。
≪Set Code『Violet』 Reading≫
「チェンジクオリア」
≪Compleat Inspection 『Malice』≫
こうして流れるような手つきで変身が完了し、紫の鎧が再び姿を現した。
自分達とはまったく世界観の違う異形、先日体験した力を前にして、魔法少女達は無意識の内に身構える。
「検証の結果、現状は君達と戦うことが最も効率的な方法だと判明した」
「……仲良く殴り合って、それでレムナント出してくださいってか?」
「その通りだ。では、今日もお付き合い願おうか」
レムナントは強力な魔力をぶつけ合うことでも生じる。
そのため今回の結界はある種の闘技場、ドクターが耕太郎達と戦うために用意した場所だった。
戦えばドクターの狙いを叶えることになる。だが放置すれば何をするのか分からない、よって戦わない訳にもいかない。
そのジレンマで生じる苛立ちが、クリアシャインにドクターを挑発させた。
「なーにがお付き合いよ! 前も結局あたしたちにボロ負けしたくせに!」
「君如きに負けた覚えはないが」
「あたしたちって言ったでしょ! 三対一で勝てると思ってるのかしら?」
前回四対一で辛勝だったことも忘れ、クリアシャインは堂々と言い放つ。
幼さ故の無鉄砲、思春期特有の全能感、そして何より仲間達への信頼。それらが彼女に今回の勝利を確信させている。
一方挑発されたドクターは僅かな間考え込み、ぼそりと納得の声を上げた。
「……なるほど。君達が悠長にしている理由がようやく分かった」
「何?」
「まさか、少年も気づいていないのか。……しかし青の少女と同様、よく見れば君の魔力も著しく不安定なようだ。何か思い悩むことでもあったのだろうか」
「ッ! お前には関係ないだろ!」
強く怒気を露わにする耕太郎に、彼の怒りに慣れない魔法少女二人は肩を震わせる。
だがドクターは平然と、確かにその通りだ、などと返した。それが更に耕太郎の神経を逆なでする。
「ならば明言しよう」
殺意を誤認するほど鋭い視線に対し、ドクターはどこまでも平静に返す。
「私は一人だと伝えた覚えはない」
耕太郎の頭は、その言葉で一瞬にして冷えた。
怒りの代わりに浮かんだのは動揺。耕太郎はすぐさま、傍らのクリアオーシャンに指示を飛ばす。
「オーシャン、通信!」
「……だ、駄目です! ガイアが出てくれません!」
「それじゃあ、まさか」
一人ではないというドクターの言葉。結界の外でサポートをしているはずなのに、一向に通信に出ないクリアガイア。
これら二つの意味するものは単純だ。
現在クリアガイアは、極めて戦闘力の薄い彼女が、ドクターの仲間に襲われている。