耕太郎の漏らした言葉に、誰も動くことが出来なかった。
いち早くその意味を理解したクリアガイアも、答えに至り思考の凍り付いたクリアオーシャンも、イデアを発動させたリードアルファですら、予想外の事態に立ち尽くす。
そしてただ一人冷静なドクターは周囲の観察を続け、データの収集に勤しんでいる。
よって最初に口を開いたのは、何も知らないクリアシャインだった。
「へ、へー。一番求めてる女がお母さんって、あんた、意外とマザコン」
「シャインっ!」
乾いた音が結界に響く。
その衝撃に、何より親友に頬を叩かれたことに、クリアシャインは目を白黒とさせた。
「な、なにするの? マザコンにマザコンって言って、何が」
「やめなさい」
「姉さんまで、なんでそんな、怒って」
「……グレイのお母さんは彼が小さい頃に、赤ちゃんの頃に亡くなっているの」
十一月の厄災の日、らびらびに対し耕太郎が話した内容をクリアガイアは一言一句違わず覚えている。その際語られた、彼の母の死因も同様に。
だからこそ滲む悲嘆に、クリアシャインは大きく息を呑む。
「なんで、姉さんはそれを知ってるの?」
「……それは」
「オーシャンも、あんなに怒るってことは」
「……」
「っ」
そして同時に、何故姉がそれを、クリアグレイの母について知っているのか。親友も何故同じ素振りを見せるのか。
一人だけ何も知らない、仲間外れにされたこと。そのせいで大切な仲間を傷つけたこと。
露になった事実が悲しみ、嫉妬、怒りを生み出す。心に生じた全てを義憤に変え、あるいは身勝手な八つ当たりとして振りかざし、彼女はドクターのもとへ飛び立つ。
未だ制御し切れていない飛行魔法であっても、ただ愚直に進む分には十分だった。
「全部、あんたたちが悪い! あんたたちが、あんなもの使ったから!」
クリアシャインは杖の先から赤い刃を生み出し、一種の鎌として振り下ろす。
大岩をも切り裂くその一撃は、紫に輝く半透明の壁にあっさりと弾かれた。
自らの勢いに負け撥ね飛ばされる彼女に対し、ドクターは侮蔑の息を吐く。
「君の言葉は君の責任だろう。私達に押し付けられても困る」
「うるさい!」
「そうか、なるほど、これが子供の癇癪か。噂よりも面倒なものだ」
ドクターの見下した言葉によって怒りは更に燃え上り、魔力は高まっていく。
けれど乱れた刃に断てるものなどない。紅の鎌も、これでは防壁を叩き甲高い音を奏でるだけの玩具にしかならない。
「お母さんを呼んだ……? でも、ボクが聞いた話だと、あの子の、本当のご両親は、もう」
その音を、刃を叩きつけられる光景を前にしながら、リードアルファは茫然自失としていた。
彼女が見つめているのは、今もなお立ち上がることすら出来ていない耕太郎、クリアグレイの様子。膝を着いたまま俯く姿は、親に捨てられた子供のように儚く脆く見える。
無意識に一歩退いた彼女に何を思ったのか、ドクターはクリアシャインをあしらいながら声をかけた。
「イデアの発動後、彼らの放つレムナントの量が格段に増加している。君はこれを狙っていたのか。いささか感心した」
「……な、ち、ちが、違うっす! ボクが考えてたのは、こんな、酷いことじゃ」
「そうか。だが結果は結果だ。これだけのレムナント、あの願いでなければ発生しなかっただろう。君の成果だ、誇るといい」
「これは、あれは、ボクがした、こと」
リードアルファにとってその光景が成果だったのか、それとも別の何かだったのか。
未だに人情を解さないドクター以外であれば、すぐに察しがついただろう。
しかし誰も彼女に注目などしておらず、魔法少女達は暴走するクリアシャインのフォローに回る意識すら追いついていない。
「……ガイア」
不意に小さく声をかけられ、クリアガイアの肩が跳ねた。
それにすら気づかないまま、耕太郎は弱弱しい声で続ける。
「この人、人、なのかな」
「それは、どういう」
「魔法って、なんでもありだからさ。この人も、形がそれっぽいだけで、本当は」
「……確認するわ」
幻影、あるいは模倣品、偽物か。
可能性に縋る友人から目を逸らしつつ、クリアガイアは魔法をもって女性を調べる。
だが結果は、耕太郎の求めるものではなかった。
「反応は、人間そのもの」
「……」
「それよりもこの方、凄い熱よ。四十度を超えているわ。だから、早く病院に」
この女性は間違いなく耕太郎の母親、月原悠乃である。
「ここ、は?」
そうクリアガイアが断じた瞬間、悠乃は目を覚ました。
目を見開き言葉を失う魔法少女達の前で、彼女は両手をつき、よろよろと上半身を起き上がらせる。
それからクリアガイアに目を向けると、頼りない動きで頭を下げた。
「夜分遅くに、突然、すみません。神野家の方、ですよね」
「……いえ、違います。私は、倒れている貴方に声をかけただけで」
「あ、あれ? そう、なんだ、ごめんなさい、じゃなくて、ありがとう、の方がいい、かな」
雪のように溶け消えそうな笑顔を向けてから、悠乃はぼそりと呟いた。
「おかしいな、呼び鈴あんなに押して、すぐ来るって言ってたのに」
命を零している。そう感じるほど重い、熱い息を吐いてから、悠乃は改めて辺りを見回した。
明かり一つない薄暗い街並み、離れて生じる戦闘音、星のない空で不気味に輝く月。
全て紛れもなく異常事態であり、どれ一つ取っても一般人であれば頭を抱える状況である。
だが彼女が最も違和感を覚えたのは、自身の両手が空いていることだった。
そのことに気がついた彼女は身を震わせ、高熱があるとは思えないほどの勢いでクリアガイアに詰め寄る。
「きゃっ」
「あ、あの、こーちゃん見てませんか!?」
その表情は、クリアガイアが思わず息を呑むほどに鬼気迫るものだった。
「男の子、私の子なんです! このくらいの、まだ十ヶ月の赤ちゃんで!」
「お、落ち着いてください」
「あの子、まだ歩けないから、一人で遠くまで、行ける訳、ごほっ」
熱で痛めた喉が音を拒み、咳で身体を守ろうとする。
それを退け、悠乃はなおも言葉を重ねようと試みる。
「だ、だから、早く見つけてあげないと」
「『眠れ』」
「こーちゃんが、危ない……」
くらりと崩れ落ちる悠乃へ無意識の内に耕太郎は手を伸ばし、咄嗟に抱き抱えた。
触れるだけで火傷しかねない。そう錯覚するほどその身体は熱い。
その熱に、放たれた言葉と思いに、見上げた先の相棒に対し、耕太郎の頭はただただ混乱をするだけだった。
「……らび、らび?」
「眠らせただけだ。それよりも、これはいったいどういうことだ? 何故、彼女が」
「俺が、呼んだんだって」
それでもぽつぽつと、耕太郎はらびらびにこれまでの経緯を語る。
イデアのこと、願いのこと、現れた人のこと。
時系列も言葉も乱れた、まとまりのない説明だった。しかし、らびらびはそれで現在起こっている事象全てを理解した。
「そうか、奴らはイデアを利用したのか。度し難い、なんて悪辣な」
「らびらび、この方は」
「君なら魔法で分かっただろう。……間違いなく、この子の母親だ」
だが、彼は事態の対処法についてまでは分かっていない。
「ねぇ、らびらび、どうしよう。俺、どうすればいいんだろう」
「……耕太郎」
「分かんないんだ、何も。頭ぐちゃぐちゃで、こんなの」
亡くなったはずの母親を抱きかかえ、項垂れる耕太郎へすべきことも。
クリアガイアもまた、友人にかける言葉が見当たらない。良き両親と可愛い妹、家族に恵まれた彼女に、耕太郎へ今手を差し伸べる勇気はない。
しかし、クリアオーシャンは一歩踏み出した。
「オーシャン?」
「まずは、この人のこと治してあげよう? 熱があって、凄く苦しそうだから」
「……治せるの?」
「うん。私も自分で治したことあるから大丈夫」
杖から光が生じ、青い魔法陣が悠乃を包み込むように輝く。
僅か十数秒の輝きだったが、もたらした変化は歴然だった。
燃えるように赤かった頬は白く染まり、浅く荒かった呼吸も静かに整っている。
「なんだか、楽そうになった。ありがとうオーシャン」
「ううん。私には、これくらいしか出来ないから」
「それでも、ありがとう」
無意識のうちに手を伸ばし、耕太郎はクリアオーシャンの頭を撫でる。彼女はそれを大人しく受け入れる、それどころか自分から押し付けるように身を寄せる。
仲間として親しみながらも、異性として一歩引いていた今までとはまるで違う姿勢だ。
その様子を見て、クリアガイアはお互いの正体を隠すことを諦めた。正しくは、既に意味がないことを悟った。
「ちぃっ!」
一方何も知らぬまま八つ当たりを続けていたクリアシャインは、一度もドクターに痛撃を与えられていなかった。
反対に彼女の風体はずたぼろ、その上これは敵の攻撃ではなく、単純に自ら放った攻撃の反動によるものだ。
その見るも無残な姿を冷たく見下した後、ドクターは周囲、レムナントと耕太郎達の様子を窺う。
今後どうするべきか。すぐさま結論を下した彼は、虚空からロードリアライザーを呼び出した。
「どうやら今日はこれ以上の発展は見込めないようだ。潮時か」
「逃げるつもり!?」
「逃がすつもり、と言い換えてもらおう。愚かで無力な君に選択権などない」
弾丸を一発、クリアシャインの顔面目掛けて放つ。
彼女がそれを防壁で防いだ後に、ドクターとリードアルファの姿はなかった。
こうして敵を見失い、怒りを向かる矛先を失った彼女は仲間のもとへ戻る。
矢のように飛び立った先ほどとは異なり、その足取りは酷く重いものだった。
「グレイ、あの、私」
「……ごめん、シャイン。一人で戦わせて」
「あ、いや、その、私こそ」
「ごめんね、行かなきゃいけないって分かってたのに、なんか、足が、動かなくてさ。おかしいよね。俺だって昔と違って、もういつでも一人で歩ける、車椅子もいらないはずなのに」
車椅子、とクリアシャインの口の中で、音にならない声が響く。
彼女は何も知らなかった。
こうして寒々しい沈黙が結界を満たし始めた時、らびらびがゆっくりと口を開く。
「オーシャン、君はもう帰りなさい」
「でも、私も」
「そろそろあの子が、君のお母さんが部屋まで様子を見に来る頃合いだ。だが、君達が揃っていないと分かれば大騒ぎになるだろう」
クリアオーシャンが大きく目を見開いた。
「戻れるようになるまで、恐らく時間がかかる。それまではフォローを、あの子には気分転換で散歩に出かけている、とでも伝えてくれ」
「……分かりました」
静かに、それでいて力強くクリアオーシャンは、時枝七海は頷いた。
らびらびはその振る舞いに胸を撫で下ろしつつ、残る二人にも続けて指示を出す。
「君達も帰りなさい。奴らも撤退した以上、今日はもう解散だ」
「……待って、グレイは」
「君の思いやりには感謝する。だが君にはより優先すべき子が、ケアするべき子がいるだろう」
ちらりと、らびらびはクリアシャインを横目に映した。
「これから私とグレイは、彼女を安全な場所まで運ぶつもりだ」
「……その後は、どうするの?」
「分からない」
今は考えることすら難しい。
そう締めた言葉は、誰が聞いても真実だと分かるほど沈痛な響きに満ちていた。
らびらびに誘導されるまま、お母さんを抱えて移動して、安全な場所へ移して。
それからすぐ、俺も今日は帰るように言われた。面倒は自分が見るからあとは任せろと、らびらびはそう言っていた。
「遅く、なっちゃったな」
言われるがまま家まで戻って、玄関の前で携帯を見ると、そろそろ八時になる。
何も言わずに飛び出したから、しかもあんな話をした後だから、二人とも心配してるだろうな。
ここで一度連絡した方がいいのかなとか、窓から入って最初から出かけてないことにすべきかとか、浅い考えは何個か浮かぶ。
けれど決めるのも、悩むのすら面倒になって、無心のまま鍵を開ける。
そして玄関の扉を開いた途端、何かが猛烈な勢いで胸元に飛び込んで来た。
「兄さん!」
「わっ、な、七海ちゃん?」
「……」
七海ちゃんは俺に抱きつくだけ抱きついて何も言わない。
その温もりに困惑している内に、葵さんが静かな足取りで歩いて来た。
「おかえりなさい、こうくん」
「た、ただいま。……あの」
「なーに?」
「………遅くなって、ごめんなさい」
言い訳も何も思い浮かばず、七海ちゃんの背に手を回したまま、小さく頭を下げる。
そんな反省の色が一切見えていないだろう俺に、葵さんはふんわりとした温かな笑みを携えて、穏やかに問いかけてきた。
「ご飯は食べた?」
「え、まだ、だけど」
「なら、お腹空いてるよね。用意して待ってるから、手洗いとうがいよろしくね!」
予想外の言葉にひたすら頷く俺に、葵さんはなおも笑顔でお願いを続けた。
「実は私たちもまだなんだー。私お腹ぺこぺこだから、早くしてくれると嬉しいなー」
「う、うん。分かった。じゃあ、七海ちゃん、俺洗面所に」
「……」
「え、えーっと、い、一緒に行く?」
肩に埋まった顔が微かに動いた。一緒に行くらしい。
ただ、さすがにこのままでは動けないので一度離れてもらうと、靴を脱いで上がった途端今度は背中にぴったりくっついてきた。
そのまま一緒に洗面所まで進んで、手を洗っている途中、七海ちゃんが小さく呟いた。
「……ごめんなさい、兄さん」
「謝られるようなこと、何かあったっけ。むしろ、俺こそ待たせて、心配させてごめんというか」
「そんなこと、なんでもないよ。私が全部悪いのに、こんな」
七海ちゃんがいったい何に謝っているのか。悪いけれど考える余裕がない。
でもこの状態は、訳分からないけれど七海ちゃんがひたすら一緒にいてくれることは、今の俺にはありがたかった。
「俺的には、ありがとうかな」
「え?」
「あー、そのー、なんだろ。今は温かいだけで、誰かとくっつけるだけで、安心するから」
そこまで言って、自分で苦笑いしてしまった。
「なんて、ごめんね。滅茶苦茶気持ち悪いこと言った」
「そんなことないよ」
「いやでも」
「そんなこと、ないから」
七海ちゃんは強く背中に顔を押し付けながら、流れる水の音にかき消されそうなほど小さく、微かに囁いた。
「私に出来ることなら、なんでも言って」
なんでもなんて、冗談でも口に出しちゃいけません。
そんなお説教すら出せない程度に俺は弱っているらしくて。
「じゃあ、もう少しだけ」
「……うん」
だから、もう少しだけ、なんてのも弱虫の、嘘の言葉で。
結局その後もずっと、七海ちゃんは出来る限り傍にいてくれて。いつかのように寝る前に部屋に突撃してきて、また一緒に眠ることになって。
考え事すら覚束ない布団の中、温もりに意識が遠のく途中、青く優しい光を瞼に感じた気がした。