らびらびは魔法の専門家である妖精を名乗り、俺のことは助手だと、クリアグレイとして説明したそうだ。
どうしてこんな風に紹介されたのか。どうして俺がそれを受け入れ、今も変身したままなのか。
それはホテルへ向かう途中に、らびらびからとても鋭い指摘を受けたからだ。
『いきなり親子として対面させても、まともに話せるとは到底思えない』
ありがたいお気遣いである。ぐうの音も出ない。実際話せそうにもなかった。
それに向こうだって急に、俺は成長した貴方の子供だ、なんて言われても困るだけだろう。
なにせ向こう目線では十四年分も吹き飛んでいる、赤ん坊だった子がいきなり中学生になっているのだから、普通なら絶対に信じられない、受け入れられないはず。
なので、俺はこの期に及んで逃げの一手を打っていた。さっさとはっきり言えばいいのに。
外へ遊びに行こう、早く行かないと時間がもったいない。
そんな子供っぽい発言はどうやら本音だったらしくして、あの人は俺達の手を引いてすぐにホテルから飛び出した。
そして何がそんなに嬉しいのか、きらきらとした朝日を浴びながら上機嫌に笑う。
「やー、いい天気! これはもう、完全なお出かけ日和だね! お天道様がウェルカムドリンク出してるレベルだよ!」
ドリンクは雨の時の表現だろとか、宗教全般舐めてる割に信心深そうな発言とか、その辺は置いておく。
なんとなく気になったのは、昨日とはまるで服装が変わっていたことだ。
使い込んでいそうだった昨夜のものとは違ってコートは、よく見ると靴や鞄も真新しい。その下のブラウスやスカートも、さっき部屋にいた時を思い出すと新品、それも上等なものだったような。
「あっこの服気になる? 実はねー、らびさんが用意してくれたんだー」
踊るようにステップを踏み、俺達に見せつけるよう軽やかに一回転する。
それを一瞥した後、らびらびに尋ねてみる。
「あのホテルでも思ったけど、らびらびって結構お金持ってたんだ」
「……ある程度はな。悠乃の服を仕立てることくらいは出来る」
「ふーん。どうやって稼いだの? マジカル大道芸とか、マジカル窃盗とか?」
「後者はただの犯罪だろう」
ツッコミは入れつつ、らびらびはそれ以上語らなかった。これはまた俺に話したくないこと、話せないことってことなんだろう。
それだとますます犯罪疑惑が増すのだけれど、らびらびは気づいているんだろうか。
気づいていそうだな。信じられて卒倒するくらい、俺に疑われてもいいみたいだし。
「悠乃の分も含めて今日は私が全て出す。君も好きにしなさい」
「太っ腹だ。でもそれ、本当に綺麗なお金?」
「綺麗な金か。子供に言うのも酷だが、そんなものはこの世に存在しない」
マジで言ってる、怖い。
「二人ともどうしたのー? 早く行こうよー!」
らびらびの闇に戦慄している間に待ちくたびれのか、不満げな顔が目と鼻の先に接近していた。
滅茶苦茶顔が近い。というよりそもそも距離感が近い。この人目線だと、俺は初対面のはずでは。
聞けるはずもない質問を胸に秘めつつホテルから駅へ向かう道中、ふと湧いた別の疑問を口にする。
「今更なんだけど、俺って出歩いても平気なのかな?」
「どういうこと?」
「ほら、俺中学生だし。こんな真っ昼間から歩いてたら、補導とかされちゃうかも」
「おぉ」
「なんの感心? それで、されても多分、俺は怒られるくらいで済むけど」
お巡りさんにはそこそこの、葵さんからは強烈な説教をもらう予感がある。そして多分七海ちゃんがキレる。どうして体調悪いのに外遊びに行ったのって。
でも今俺の横でぼけっとした顔で歩く人は、絶対その比じゃないだろう。年齢とか、この世界での男の扱いとか、諸々含めて考えると誘拐で現行犯逮捕される気がする。
そして捕まったら最後、絶対とんでもないことになる。だってこの人死人だ。
らびらびも同意見らしく、低く唸りながら頷いた。
「確かに今の悠乃は戸籍がない、というよりも故人だ。捕まり調べが進めば、いずれ大騒ぎになるだろうな」
「……とうとう私も全国デビューか。わくわくしてきたね!」
「しないで?」
当の本人はこの緊張感の薄さだけれど。
なるべく見られないように裏路地使うべきか。だけどそれだと怪しさが増すから、むしろこのまま大通りを堂々と歩くべきか。
「ふんふふふーん、ふふふふーん」
悩み選ぶ間もなく、この人は鼻歌混じりで大通りをずんずんと進んでいく。
けれども。
「意外と平気だ」
こんな時間に駅前をふらふらとしているのに、一切声をかけられない。さっき交番の前を通った時も、何事もなかったかのように無視された。
ついでに普段なら刺さり続ける多数の目線、男を物珍しそうに眺める視線も感じない。
一度立ち止まって考えてみると、男とか年齢以前に俺の格好はかなり変だ。燕尾服の上に白衣という異次元のファッションセンスを発揮している。
にもかかわらず、注目度はやっぱり低い。制服の時よりよほど見られていない。
だからこれは、変身の隠蔽効果が超頑張ってくれている、のかもしれない。
これからお忍びしたい時は変身するのもありかもな、なんて悪巧みする俺の耳元で、らびらびが突然囁いた。
「耕太郎、これから私は悠乃の鞄で待機する。何かあればいつでも呼んでくれ」
「え、なんで? らびらびも一緒にいてくれないと」
「いや無理があるだろ。この見た目で街歩くのは」
「それはそう」
ショッピングモールの時のように巨大化しても怪しすぎる。納得するしかなかった。
そうして鞄の中に妖怪が飛び込んだことにも気づかず、あの人は駅を物珍しげに眺めている。
ここの駅は十年前に建て替わったらしいから、あの人からすると不思議な気分になる、お求めだった時を越えた感覚を得ているんだろう。
俺がそうして駅ではなく人を観察していると、すぐにその視線には感づかれた。好奇心に満ちていた瞳がぱっと輝き、今度は別の光を浮かべる。
「さて、ぐーちゃん。私たちはこうして駅前まで悠々と歩いて来たわけですが」
「はあ」
「これからどうしようか?」
まさかのノープラン。
呆れとツッコミを込めた視線に対し、向こうも似たような目で対抗してくる。
「だってさぁ、私十四年もブランクあるんだよ? 十年一昔理論に則れば、一周半も世間様から遅れちゃってるところ。もう背中より横顔のが見やすいくらいなんだから」
「よく分かんない例えだけど、まあ、気持ちは分かるよ。俺もそうだったし」
「ぐーちゃんも?」
「えぇと、実は子供の頃からずっと入院してて、あんまり世の中のこと知らないというか」
買い物の仕方も分からなかった十月頃よりは格段にマシになったけれど、まだまだ俺は世間知らずだ。
この間も横断歩道の信号がボタンを押さなければ変わらないことを知らず、数分もぼけっと赤信号を眺めていた。通りすがりのお姉さんが声をかけてくれなければ、俺はもっとあそこで待ちぼうけしていただろう。
そんな話を聞いてこの人は、
「……そっかぁ」
とても苦しそうに、寂しそうに微笑んだ。
「あっでも、今はこう、この通り、退院出来て元気だから。最近はあちこち、駅前にも、友達と遊びに行くことも結構あるし」
「……そっか」
なんとなくそれが見ていられなくて、慌てて続けた現状に今度は口元を綻ばせてくれた。
更に次の瞬間には穏やかだったそれを、既に何度も見た晴れやかなものへと移り変える。
「それならここは、ぐーちゃんのエスコートに期待しようかな!」
「お、俺の?」
「うん! ぐーちゃんが好きなもの、好きになったものを教えてくれると、私は大層嬉しくなります」
「さっきまであんなに、ジェネレーションギャップがどうこう言ってたのに」
「女心は秋の空。もう天気は変わっているのですよ、ほほほ」
「うっざ」
続いて今度は冗談めかした笑みに。忙しい人だ。
目まぐるしい勢いに、考える暇も与えてくれない振る舞いに、自然と溜息が漏れる。
「……楽しくなくても、文句言わないでよ」
「大丈夫! この悠乃さん、箸が転がらなくても大爆笑すると評判の女だから」
「それはそれでやりがいないんだけど」
「ふふふ、男心は難しいねー」
そして最後には、揶揄うように微笑んだ。
こうしてエスコートなんてものを頼まれたけれど、俺が案内出来るところなんてほとんどない。
例えばこの間初めて行ったばかりのゲームセンターとか。
「銃撃つゲームは安心感あるなー。昔から全然変わってなくて、私でも出来るよ」
「その割に下手だけど」
「へへへっ、お恥ずかしい。避ける方は得意なんだけどねー」
「……ん?」
ご飯も好みが分からないから、昼食はなんでもありそうなファミレスになって。
「見て見て、ジュース三種類も混ぜちゃった!」
「……いい年なんだから、食べ物で遊ばないでよ」
「ちっちっちっ、分かってないなー。バランスはちゃんと考えて作ってるよ。大人の世界ではね、こういうのをカクテルって言うんだよ?」
「うざい」
「ふふん。あっぐーちゃん、ハンバーグ来たよハンバーグ! 私好きなんだよねー」
「舌子供じゃん」
しかも途中には、いきなり手を引かれて服屋に突入されたり。
「やー、男の人本当に少ないんだねー。その割に服屋さんすぐ見つかってよかった!」
「……自分の服見ればいいのに」
「いいの! 今日の私はこれ、らびさんコーデで決まってるから。今はそんなことよりぐーちゃんの格好決めないと!」
「俺も別に、いいよ。それにお金が」
「大丈夫! このらびさんの汚いお金があるから!」
「大声でそういうことは言わない」
「ごめんなさい」
こんな感じで案内したり引きずられたり、一日で駅前のあちこちを訪れた。
それだけ色々していれば当然時間も過ぎる。気がつけば空には赤みが差して、周りを見れば同年代、制服姿が朝よりずっと増えている。
いつだかサンタと戦った広場に立つ時計を見上げ、いい時間になっていることを知った。
「もうこんな時間だ。そろそろ帰らないと」
「あれ、ぐーちゃん門限あるの?」
「門限というか、妹が頑張って早く帰って来るって、朝宣言してて。出来れば、家で出迎えてあげたいから」
「へえ、妹?」
相変わらず朗らかな口調、笑顔、イントネーション。
なのに何故か突然、空気が少しぴりっとした気がする。一瞬、あの人の持つ鞄が大きく震えた気がする。
別に気がつかなかった振りをしてもいいのだけれど、なんとなく放っておけない。
「血縁的に言うと、そうじゃないらしくて。実際には確か、はとこ、なんだって」
「……そっか。でも咄嗟に妹って言っちゃうくらいなんだよね?」
「まあ、うん」
「なら二人はソウルブラザー、シスターかな。私とあーちゃんと一緒だ」
「またそれか」
「Soul sister」
「……やっぱりうざい」
冗談っぽい言い方なのに、本気でそう信じているのが分かる。
でもそれを認めてしまえば負けたような気分になるから、悪態と共に目を逸らした。
そんな負け惜しみすら察しているのか、この人は満面の笑みを浮かべている。
「じゃあ急いで帰らないとだね! 私のことはいいから」
「送るよ」
咄嗟に言ってしまった先を、誤魔化すように続ける。
「その、道、迷うかもだし」
「……ふふふっ、ありがとう!」
やっぱり、何もかも見透かされているようだった。
言葉にし難い敗北感を覚える俺を置いて、あの人は駆け足で路地裏へ向かう。
「帰りは裏道から行こっか! 近道近道!」
「いや道迷うかもって話したばっか」
ツッコミを入れる口が止まる。強化された耳に突然入ったのはエンジン音、タイヤの嬌声、道路の軋む悲鳴。
一時期何度も聞いた音、何度も避けた命の危機の気配を感じる。
「危ない!」
だから咄嗟にお母さんの手を引いて、それから遠ざける。
路地裏に入ってすぐ、目の前の細道をトラックは走り去って行った。常識で考えればありえない道、ありえない速度の運転だった。
「うわー、すっごい暴走トラックだったね。走り屋かな?」
「……この辺、裏道でも運転荒い人多いから。やっぱり大通り行こう」
変な人も多いし、なんて口の中で呟く。
今もお母さんの鞄に入っているはずのらびらびは、目の前の出来事に何も言わなかった。
ついでに何故かお母さんに手を何度も、とても感慨深げに握られて気が削がれたから、それらを理由に思考は打ち切る。
「……手、大きいねー」
「そう? 同級生の女の子と同じくらいだけど」
「あ、あはは、そっか。それより、ありがとうぐーちゃん。ナイスエスコートだったよ!」
「これ、エスコートなの?」
「手に手を取ってるからね! これはもう、エレガントエスコートと呼んでもいいと思う」
「俺はよくないと思う。エレガントの意味が分かんない」
真正面からの否定もなんのその、ご機嫌な笑顔は変わらない。たった今トラックに轢かれかけたことなんて、もう忘れていそうだ。
露骨に呆れる俺の視線もやっぱり効かない。掴んだままの手を持ち上げ、上機嫌に俺へ告げる。
「それじゃあ、このまま最後までエスコートよろしくお願いします」
「……はーい」
「ふふふっ」
結局それから部屋の前で別れるまで、この人はずっと幸せそうだった。