ガイアが俺に早く消えろと囁いている   作:差六

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第八話「知ってるけど知らない香り」

 カスのセクハラをまき散らす畜生ぬいぐるみから逃れ、俺は一階のリビングへと移動した。あのまま一緒にいたら、俺は引っ越して早々部屋を血で染めていたかもしれない。

 

 リビングでは七海ちゃんがテレビをぼうっと眺めていた。何か考えごとでもしているのか、テレビの内容はまるで頭に入っていないように見える。

 

 そのどこかに行っていた意識も、俺がリビングに足を踏み入れた音で戻って来た。

 

「あっ兄さん、その、大丈夫?」

「平気平気。ちょっと慣れない散歩で体がびっくりしたから休憩してただけ」

 

 散歩で体がびっくりってなんだ。咄嗟に出た言い訳にしても雑。自分で言っててよく意味が分からない。

 

 謎の発言はさておき、ここまで放置してしまったことも含めて七海ちゃんに告げる。

 

「七海ちゃん、さっきはごめんね」

「さっきは、ごめんなさいっ」

 

 そして何故か同時に、七海ちゃんも俺に謝っていた。

 

「さっきのって、あの声かけて来た人達のこと?」

「う、うん。兄さんが困ってたのに、私、助けに行けなかったから」

 

 武士なら切腹しそうな勢いで七海ちゃんはあれを後悔しているらしい。

 

 自分よりも小さい子、それも女の子にこう言われると恐ろしいくらい違和感あるな。俺からすれば守るべきは男の俺で、守られるべきは女の子の七海ちゃんの方だ。

 

 それにあの人達は恐らく高校生か大学生か、とにかく七海ちゃんよりも相当年上だった。元の世界の感覚、逆の性別で考えても小学生が立ち向かうのは難しいだろう。

 

 朝地さんは、あれはあの子が格好良すぎるだけだ。おかげで今もさん付けが取れない。

 

 とにかく、だから七海ちゃんが気にする必要はまったくないのだけれど。

 

「うぅ、そう、そうだよ。ただでさえ兄さんは体が弱いんだから、私がしっかりしないと」

 

 こそこそ呟く背中はもの凄く責任を感じているようにも見える。ただでさえ小さな体がますます縮んで見える。ハムスターみたい。

 

 これは、よくないな。世間的などうこうじゃなくて、俺の気分がよくない。

 

 最近ずっと意味不明な状況に混乱しながら対処しているのに、これ以上気に障ることが続けば、いずれ俺も変な風に爆発するだろう。

 

 だから自分の思い通りにするため、俺は七海ちゃんの後悔を誘導することを決めた。

 

「七海ちゃんって俺の何だっけ?」

 

 ずるい言い回しだ。自覚はしつつ今は流す。どうしても自分から明言は出来ない。

 

 俺の問いかけに七海ちゃんは不思議と息を呑んだ後、これまた不思議と頬を染めながら宣言した。

 

「わ、私は、兄さんの妹ですっ」

 

 何故敬語。この疑問も流して次の質問に移る。

 

「じゃあ俺は、七海ちゃんの何でしょうか?」

「………………兄さんは、私のお兄ちゃんですっ」

「うん。つまりはそういうこと」

 

 つまりどういうことって顔をしている。予想通りの反応、本当に素直な子だ。

 

「七海ちゃんは俺の後ろに隠れて、遠慮なく盾にするぐらいでちょうどいいってこと」

「……だけど、私は女の子だから」

「男とか女とか以前の問題だって。年下の子は上の子を適当に使って、困ったら便利に頼るくらいでいいんだよ」

「便利にって、そんなの」

「いいからいいから」

 

 ちびっこから自分がいいように使われているのは普通に分かる。だけどそれはそれで頼られている気がして嬉しいものがある。

 

 かつて田中の兄ちゃんと鈴木の姉ちゃんが笑って言っていたことだ。

 

 俺がその境地に辿り着けるかなんて分からない。今はまだ、舐められたらほぼ確実にイラっとする。つい最近まで俺は小学生とガチで喧嘩するタイプだった。

 

「という訳で、この話はこれでおしまいです」

「えっでも」

「でもじゃなくて終わり。大体、ああいう人達のせいで無駄に頭悩ませてもしょうがないでしょ?」

 

 人の時間は有限だ。嫌な、それも二度と会わないだろう人のことを考えても意味がない。世間ではそれを浪費という。

 

 七海ちゃんの貴重な時間をあの二人、そして俺のために使うのはあまりにももったいない。もっとこの子のためになるもの、この子がしたいことに使われるべきだ。

 

 だからさっさと話を切り替えるため、これまでとはまるで違う話題を口にする。

 

「そういえば、晩御飯も七海ちゃんが作ってるの?」

「えっうん。お母さん、いつも帰り遅いから」

「弁護士だっけ。凄いよねー」

 

 入院中聞いたところによると、葵さんは市内にある弁護士事務所に勤めているそうだ。

 

 いくら世間知らずの俺でも弁護士、司法試験の難しさは耳にしたことがある。勉強がそんなに好きじゃない俺としては尊敬の念が堪えない。

 

 こうして上手く話はすり替えられたのだけれど、どうも選ぶ話題を間違えたようだ。

 

「晩御飯、兄さんは何食べたい?」

「えぇっとー、今回も、七海ちゃんシェフにお任せというのは」

「……年下の子は遠慮なく上の子を頼りなさいって、さっき言ってたのに」

 

 つい数分前に言い含めたことを早速応用している。恐るべし七海ちゃん、学習が早い。

 

 感心はさておき、どうするか。食べたいものは思いつかないし、七海ちゃんが楽出来そうなものなんて知らない。

 

 不安げに俺を見る七海ちゃんの視線に一人でプレッシャーを感じていると、玄関の方で不意に物音がした。

 

 ガチャガチャと何かを動かす不思議な金属音。その音ではまだ何も分からなかったけれど、突然ぱっと表情が明るくなった七海ちゃんでぴんと来た。これって鍵が開く音か。

 

 俺の予想は正しかったようで、続いて扉の開く音、元気な声がリビングまで届く。

 

「ただいまー、愛しの我が子たちー!」

「あっお母さん帰って来た」

 

 こういう時ってリビングで待つべきなのか、それとも出迎えにいくべきなのか。

 

 判断がつかないから、とてとてと玄関へ向かう七海ちゃんの後を追うことにした。

 

 揃って出迎えに来た俺達を目にし、葵さんは満面の笑みを浮かべる。この対応で正しかったらしい。やっぱりこれからも一般生活関係は七海ちゃんの振る舞いを参考にしよう。

 

 葵さんからコートを受け取る七海ちゃん先輩を見守りながら、俺は内心今後の方針を固めていた。

 

「おかえり、今日は早かったね」

「早く二人に会いたくて帰って来ちゃった!」

 

 俺と七海ちゃんが二人切りで心配だったから、というところだろうか。

 

 今はある程度緩和したけれど、俺達の間に微妙な緊張感があることくらい葵さんも察していたはずだ。

 

 ただ、俺達が二人で一緒に現れた時、葵さんは一瞬密かに胸を撫で下ろしていた。だから今日一日が悪くないものだったということもまた、彼女はもう察しているはずだ。

 

「ななちゃんは今日も偉い! いつもありがとうね!」

「わっ急に何?」

「偉い偉いっ! それわしゃわしゃー!」

「あ、もうっ。髪ぐしゃぐしゃになっちゃうのに」

 

 恐らくはその証拠として、葵さんは奇妙なハイテンションで七海ちゃんを突然抱き締める。唐突だけど優しい手つきには、どこかほっとしたものを感じさせられた。

 

 そしてそれを受け止める七海ちゃんも、軽くぶつくさ言ってるものの頬は緩んでいた。

 

 はいはいと言いたげながらも背に手を回し、適当にぽんぽんと叩く手つきには照れ隠しと愛情が浮き出ている。まさに親子って感じの微笑ましい光景だ。

 

 俺はこの家族の抱擁というとても温かい、自分には縁がない出来事を前にして、完全に油断していた。やっぱりいいものだなー、なんて呑気にしていた。それがいけなかったのだろう。

 

 七海ちゃんから離れた葵さんが続いて俺を狙うなんて、考えもしていなかった。

 

「こうくんも!」

「えちょ」

 

 避ける暇もなく、問答無用で俺も抱き締められた。

 

 暖かくて柔らかい。控え目な化粧品の香りに混じって何か、とても懐かしい匂いがする。

 

 深い深い記憶の底、遠い昔に置き去りにされた何か。あの男に手渡された、あの人の遺品の香りに似た気配がした。

 

 七海ちゃんに倣って背中へ回すべきだろう手も動かせない。母とは思えないから、なんて言い訳も今はいらない。頭が完全にフリーズしている。どうして。名前も顔も違うのに、どうしてこんなそっくりの。

 

「充電終わり! 二人とも今日はどうだった? ちゃんと仲良くしてた?」

 

 温もりが離れて、ようやく脳が働き始めた。それでもまだ表情は動かせない。顔色は戻らない。これを見られたら不味い。間違いなく動揺がバレる。変な心配と詮索をされる。

 

 だから無理矢理な冗談で、話の矛先を七海ちゃんへ咄嗟に傾けた。

 

「……今は七海ちゃんシェフより、尋問を受けておりました」

「えぇ!?」

「ほほう尋問。ななちゃん、それは本当かね」

「じ、じじ、尋問って、私兄さんに晩御飯何がいいか聞いただけだよ!?」

 

 葵さんのターゲットが固定されたのを確認してから、ひっそりと息を整える。冷静になれ。何を勘違いしている。目の前の光景をよく見ろ。

 

 そうだ、あの人と葵さんを同一視するなんてどうかしてる。こうして七海ちゃんとじゃれ合っている様子、これまでのたかだか一週間の記憶でも分かる。葵さんはいつだって親切で頭のいい、とても強い人だ。

 

「そっかー。でもななちゃんなー、時々明後日の方向に張り切り出すからなー」

「お母さん!?」

 

 全てを捨てたあの人とは、何もかもが違う。

 

 

 それからなんとか、不自然なところは疲れと不慣れということにして、寝るまでの時間を辛うじてやり過ごした。

 

 眠る準備を全て終えて部屋に行き、電気を点けるとらびらびがベッドの上に佇んでいた。

 

「もしかしてずっと待ってた? だったらごめん、暗い中放置して」

「気にしなくていいぴょん。らびらびは妖精だから、この通り夜目が利くぴょん」

「うわ目怖っ」

 

 突然らびらびの瞳が紅く光る。今時怪異と殺人ロボットにしか許されない輝き、夜道で見たら死を覚悟しそうだ。

 

 らびらびはその眼差しで時計を眺めながら首を傾げた。お前を殺すまであと十秒みたいな前振りだろうか。あの目だと何をしてもそんな意味合いしか読み取れない。

 

「まだ八時ぴょん。なのにもう寝るぴょん?」

「先に言っとくけど、葵さん達から逃げて来た訳じゃないよ? 元々いつもこのくらいだったし、今日は色々疲れたし」

 

 さっきのあれをなしにしても、今日は時枝家に初めて泊まる日だ。諸々のトラブルもあって気疲れしている。身体はまだ元気だとしても、明日のためにもさっさと寝た方がいい。

 

「そんな耕太郎に申し訳ないけれど、これから少し夜更かし出来るぴょん?」

「……まあ、少しだけなら。話の続き?」

「続きと言えば続きぴょん。実地での体験講習みたいなものぴょん」

 

 実地という言葉に自然と意識が切り替わった。

 

「レムナントの集積を確認したぴょん。耕太郎に回収をお願いするぴょん」

「分かった」

「即答ぴょん」

「あれが街中に出る可能性があるなら、早くなんとかしておかないと」

 

 先週戦ったスパイダーレギオンの姿が脳裏に過ぎる。

 

 この家よりもはるかに巨大な黒い怪物。あんなものが街で暴れたら、いったいどれだけの被害が出るか。現実に怪獣映画はいらない。

 

「場所はここからそう遠くないぴょん。耕太郎なら変身して走ればすぐぴょん」

「現地でじゃないんだ。ここで変身したら途中で滅茶苦茶見つからない?」

「魔法少女には隠遁と認識操作の魔法が基本機能として搭載されているぴょん。少し隠れていれば普通の人にはまず見つからないし、仮に見つかっても耕太郎だってバレることはないぴょん」

 

 ついでに俺のことを知っている人があの状態を見ても、あれが俺だと気づくことはないそうだ。基本的に正体がバレるのは目の前で変身、もしくは変身解除した場合のみらしい。

 

 らびらびから不快な懐中時計、変身アイテムを受け取る。いつ見ても腹立つなこれ。

 

 内心の苛立ちを宥めつつ、今日も今日とて幻聴というか、不思議な気配を感じる。今回は声こそ抑えられていたけれど、誰かが息を呑むような音、信じられないものを見た時のような呼吸は漏れ出ていた。

 

「らびらび、この時計って意思があったり喋ったりするの?」

「そういうアイテムじゃないぴょん」

「系統、時間帯が違うかー」

 

 らびらびにも心当たりはなさそうだ。もたもたしているとレギオンが出て来るらしいから、今はこれくらいにしておこう。この声、この間から困惑と心配しかしてないし。

 

 疑問を棚上げにして部屋の扉とカーテンを閉じる。それからベッドに潜り込み、毛布で全身を包んでから変身コードを口にする。

 

「幻葬」

 

 微かな発光の後、全身に力が滾るのを感じた。ゆっくりと毛布から這い出て手足を確認すれば、この間も見た趣味の悪いコスプレ染みた格好。

 

 姿はともかく、今回も変身は成功したようだ。

 

 安堵と落胆、色違い二つを混ぜこぜた溜息を吐く俺に、らびらびは心底不思議そうに問いかける。

 

「なんで毛布被って変身したぴょん?」

「この間はやけに光ったから、蓋しておかないとご近所迷惑になるかなって」

「変身時の設定を変えて弱くしておいたから、その辺りは気にしなくてもいいぴょん」

「充実したオプション。そういうことは早く言ってよ」

 

 そんな緊張感のない会話をしつつ、俺達は窓から夜の街へと飛び出した。

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