「あと、三日?」
言っていることの意味が分からず、ただ復唱する。
ヴェインさんは俺の、俺達の無理解を知ってか知らずか、無遠慮に語り出した。
「今回イデア制御の実験をするため私が用意した術式は二つ、捧げた願いの維持と反動を抑えるための魔法だ。どちらも動作確認用の試作品に過ぎず、長期の使用は想定されていない」
願いの維持、お母さんを今の時代に留めるためには、イデアを使用し続ける魔法が必要になる。これは非常に複雑な術式だから術者の意思にかかわらず自動的に、半永続的に発動するようになっている。
一方反動を、世界の抗体作用を抑えるための魔法は、稼働実験に邪魔が入らないことを目的として用意された。
そのため常に維持する必要はなく、術者の末永さんが意識的に魔法を保たなければ発動しないように設計されている。
だから末永さんが眠りについたあの時、魔法が切れた時、オックスレギオンは結界もなく出現した。世界に生じた異常を消すため、お母さんを殺すために。
ヴェインさんの説明は複雑すぎて、そもそもは多分前提知識も足りなくて、分からないことが多い。
そんな俺でも、最後の説明だけは理解出来た。
「どちらも常人が耐えられるのは、今日仮眠したことを考えても一週間程度だ。故に繰り返しになるが、もって三日となる」
そうまとめられても、いきなり現実を受け止められるはずもない。
室内に満ちたしんとした空気を、ガイアの神妙な問いかけが破る。
「……末永さん、確認させてもらえますか?」
「もちろんっす」
手枷を付けられたままの末永さんの周囲に黄金の魔法陣がいくつも展開され、何度もせわしなく動き回る。
認めたくない事実を疑うように、何度も何度も。
やがて魔法陣が消え去った後、ガイアは瞳を伏せながらぽつぽつと語った。
「全て、その男の言う通りよ。この魔法とこの人の体調から考えると、どれだけ無理をしていただけても、願いを維持出来るのはあと三日が限度」
「……そんな」
あのガイアが、朝地が、そんな酷い嘘を吐く訳がない。
だからどんなに認めたくなくても、これはどうしようもない事実ということで。
「でも、私がなんとかするから」
「君が持つイデアを用いるつもりなら、やめておくべきだろう」
ヴェインさんは口を挟んだ後、俺達全員を見回しながら続ける。
「初めから我が英雄の力、クリアクロスの恩恵に与る君達は知らないだろう。本来魔法とは、特に同種の系統は強く反発し合うもの。仮に使えば互いのイデアが暴走し、一帯を更地にするのが関の山だ」
さっきの説明と同じくまた専門知識が多い。英雄がどうとかクリアクロスがどうとか、心当たりすらもない。
けれどヴェインさんはいつも通り、何も嘘を吐いていないことだけは察しがつく。
「そして君が持つイデアに、現状を変えるほどの余力はない」
「奪って使った貴方が、それをっ」
「私が干渉せずとも、既にイデアの容量は限度を迎えていたはずだ。そして元々あれは君のものではない。何度も伝えたはずなのだが」
ガイアが吠え、シャインが杖を構え、オーシャンがお母さんを庇うように立つ。
一触即発の空気の中、小さな声が響いた。
「そっかぁ」
そんな中、お母さんは何でもないようにそれだけ呟いた後、
「まあ、しょうがないよね」
朗らかな笑みを浮かべて、簡単に言ってのけた。
「しょうがないって」
「だってこーちゃん、私、本当はもう死んでいるんでしょ?」
「そうだけど、そんな簡単に!」
「きっとお盆みたいなものだったんだよ。何日間だけ此岸に幽霊が帰って来て、その後また彼岸へ戻る、みたいな。や、そろそろ三月だから、お彼岸の方が近いか」
しかも冗談みたいなことまで交えて、ずっと穏やかに続ける。
「……取り返しのつかない間違いをしたはずの私がこうやって、もう一度こーちゃんやあーちゃん、なーちゃんにも会えた。それだけでも奇跡、これ以上は罰が当たっちゃう」
十四年も前に亡くなった人と、二度と会えないはずの人と会えた、話せた、笑い合うことが出来た。戻らないはずの時が戻って、ありえないはずの幸福を手に入れられた。
その幸運にケチをつけるのは、更に欲深く求めるのはいけないこと。
きっとお母さんの言う通りで、これは全て正論で、全部全部認めるべきで。
それでも、受け入れることが出来なくて。
「だから、そんな顔しないで、こーちゃん」
微笑みかけるお母さんと、俺は目を合わせられなかった。
それからほどなくして、俺達は解散した。
本当ならヴェインさん達、ドクターと改めて戦うとか捕まえるとか、そういうことをした方がいいんだろう。
けれど俺は、皆も何も言い出せず、立ち去る二人をただ黙って見送った。
そして俺はお母さんの送迎を七海ちゃんに任せて、押し付けることで先に帰ってもらって、寄り道をしていた。
いつも一人は嫌なくせに、贅沢なことに、今は一人になりたかった。
「……今日は風が強い。これ以上身体を冷やす前に、早く家に帰りなさい」
なのに、らびらびは俺を一人にしてくれない。
ホテルの屋上、その縁に座り込んでいた俺の前に今日もどこからか飛んで来た。
「変身してるから、これくらい平気」
「それは、そうかもしれないが」
らびらびだってこれくらい知ってるはず。だから言いたいのは、早く帰れの方で。
俺を気遣っているのは分かる。分かるからこそ、これ以外もきっと全部分かっていたからこそ、お腹の上の方に苛立ちが募っていく。
なるべくそれを抑えながら、らびらびの顔も見ずに問いかけた。
「らびらびは、最初から知ってた?」
「……ああ」
「じゃあなんで教えてくれなかったの?」
「耕太郎と悠乃の間に、余計なノイズを挟みたくなかった。君は優しい子だ。彼女に思うところがあっても、限られた時間だと分かれば全て我慢してしまうだろう」
文句を言いたくなって、それでも呑み込んだ。
お母さんに残された命が一週間もないと聞いたら、あの人が可哀想な人でしかないと思い込んでいた時の俺なら、きっとらびらびの言う通りにしていたからだ。
「……何より、私自身が言い出せなかったのも大きい」
「らびらびってそういうとこあるよね。考えたくないこととか言いにくいこと全部後回しにして、結局後でなんとかするのに苦労して」
「ああ。恥ずかしい限りだ。私は昔から、あの頃から何一つ成長していない」
らびらびは悔いるように呟く。
違う。本当に恥じ入るべきなのは、俺の方だ。
「八つ当たりして、ごめん。俺も人のことなんて言えないのに」
「耕太郎……」
「このままずっと続けられるなんて、自分でも信じてなかった。亡くなった人が生き返るなんて絵空事、無限に叶う訳ないんだから」
イデアがどれほど凄いものなのか、俺は未だに理解していない。
でもどんなものであれ、死者を完全に蘇らせるような奇跡は存在しないはずだ。
もしもあるのならこの世界はもう絶対に死人で、誰かの大切だった人で満ちている。人は死なんかで、大事な人を諦めることは出来ないから。
その弱さを俺は知っている。去年も、今も、ずっとその苦しみに囚われている。
「ねぇ、らびらび、本当に無理なの?」
「……すまない」
らびらびはそれだけ口にして、あとはずっと頭を下げていた。
いつも変なことばかり言って、冗談や戯言、妙な言い回しで誤魔化してばかりのらびらびが、こうして謝って、後は黙りこくっている。
「そっかぁ」
だから俺も、今度ばかりは本当のことを告げていると信じるしかなかった。
朝の目覚めは、思っていたよりも悪くなかった。
目の前に青い魔力の輝きが、それはおまけとして七海ちゃんがいたからだろう。
もっとも、とても罰の悪そうな顔をしていたけれども。
「……七海ちゃん?」
「お、おはよう、兄さん」
「おはよう」
挨拶を交わしながら起き上がり、浮かんでいた魔法陣ごと七海ちゃんの手を握る。
それで魔法は解かれ消えた。気持ちは嬉しいけれど、これはよくない。
「また、魔法使おうとしてくれたんだ。ありがとう。でも、平気、大丈夫だから」
「……平気に、見えないよ」
「昨日は色々あって疲れてただけだから。それにほら、朝地もこういう使い方、あんまりするなって言ってたし」
あんまり回復魔法に頼っていると依存しかねないから、とか。要するに、睡眠薬がないと眠れない人みたいになるのだろう。
親切を断られた七海ちゃんは何を思ったのか、すかさずベッドに上がる。そしておずおずと、再び俺に手を伸ばして来た。
「じゃあこっちは、いい?」
今度は返事も待たず、そのまま七海ちゃんは俺を強く抱きしめる。
情けないな、と思う。
朝からここまでこの子に気を遣わせて、慰めてもらって、小さい子供みたいに抱き締められて。
実際これで心が落ち着いているという事実が、何よりも情けなかった。
「……ん。ありがとう、七海ちゃん。ちょっと元気出た」
「よかった。私に出来ることがあったらなんでも言ってね」
「これ以上甘えるのは怖いなぁ。七海ちゃんから離れて生きていけなくなりそう」
「そうなの? なら、もう少しだけこのまま」
「いや待って怖い怖い」
「……?」
何が怖いの、という心の底からの疑問が上目遣いに表れている。冗談の色はない。怖い。
時折感じる七海ちゃんの末恐ろしさのおかげで残っていた眠気が、憂鬱とか葛藤とかも一旦全部吹き飛んだ。
それどころではなくなったから、と言ってもいい。俺は七海ちゃんが時々怖い。
その恐怖の大王に手を引かれながらリビングまで移動する。
「今日の朝ご飯はね、悠乃さんが作ってくれたんだよ」
「へー、期待半分、四分の一、十分の一、いや、もっと」
「どんどん小さくなってる!?」
お母さんには悪いけれど、キャラがキャラだ。葵さんの師匠を自称していたものの、腕前というか、それ以前の素行に大きな不安がある。変なもの出してきそう。
異臭がしなければいいな、と願いながら扉を開いた途端、朝から元気な声が届いた。
「あっ! こーちゃん遅起きだね、おはよう!」
「……遅いのか早いのか分かんないんだけど」
あんなことがあったのに、お母さんはすっかり平常運転だ。
葵さんですら昨夜タイムリミットを聞いて、今もどこか浮かない顔をしているのに。
けれども、そのおかげで俺もなんとかまともに振る舞うことが出来ている。
背中に回って来たお母さんに二人して押されて席について、すぐに目の前にお皿が、お母さんお手製という朝ご飯が配膳された。
「じゃーん! フレンチトーストでーす!」
現れたのは食パンを卵に漬けて焼くやつ。なんと、洋風だった。
雪のように散らばる砂糖と、あちこちにある焦げ目がいい味を出している。バターの香りも相まって、こんな朝でも強く食欲を誘った。
割とまとも、というよりはとても美味しそうだ。チョイスは意外だったけれど。
「美味しそう。でもてっきり、出身的にイナゴとかだと」
「因習村のイメージ酷すぎない? 私あれ嫌い」
「食べたことはあるんだ……」
「まあね。年寄り共は有難がってたかな」
「お母さんは?」
「大嫌いだからねー。いつもは釣りの餌にして、それで魚釣って食べてたよ」
お母さんは昔からたくましかった。
七海ちゃんの師匠の師匠、大師匠を自称するのは伊達ではなくて、お母さんの作ったフレンチトーストは実際に美味しかった。
食べ慣れた、七海ちゃんのものと似た味付けだ。お母さんの方が若干バターの風味が強くて、七海ちゃんの方はこれより甘味が強かった気がする。
脳内レビューをしながらフォークを動かしている途中、先に食べ終えていたお母さんが不意に立ち上がる。
「えー、お食事中のところ申し訳ありませんが、ここで大事なご報告がございます」
「……悠乃お姉ちゃんが敬語使う時って、大体ろくでもない話が多かったなぁ」
「そこ、余計なことは言わない」
ぼそっと呟いた葵さんを牽制しつつ、お母さんは高らかに宣言する。
「私、月原悠乃は、本日より終活を行います!」
終活。
その言葉の意味を咀嚼する間に、お母さんは腕を組みながら続けた。
「あーちゃんにも昨日話した通り、私は今日含めてあと三日で帰らなくてはいけません。泣いても笑っても、です。なので、心残りを解消するお手伝いをしていただけば、というお願いです」
「……本当にお食事中にする話じゃないね」
「あはは、そうだね。だけど今言っておかないと、特にあーちゃんには中々伝える機会もないから」
今日もお仕事だしね、なんて笑うお母さんに対し、葵さんも七海ちゃんも何も答えない。
それは、そうだろう。いきなり終活がどうこう言われても、しかも目に見えた期限がある人とくれば、何か言う気にもならない。
でも放置は放置でお母さんが可哀想だ。
「心残りって、何?」
だから俺が代表して、相槌も兼ねて質問してみる。
「聞くだけ聞くよ。叶えられるかは保障しないけど」
「ありがとう、こーちゃん。えっとね」
言いかけて、お母さんが止まった。
人差し指を顎に当てて、眉間に皺を寄せて、むむむとわざとらしく唸って、止まった。
「……」
「もしかして、言いづらいこと? 別に、今更だからなんでも」
「……いかも」
「え?」
「ないかも」
「は?」
「私、この二日間で大満足しちゃってた!」
晴れやかな笑顔にぽかんとしたのは、俺だけじゃなかった。