ゲートを通ってからしばらくの間、目の前は真っ白で何も見えなかった。
分かるのは近くにある先輩の気配だけ。それだけを頼りに自分を保つ。
「ここは……?」
いくらかすると今度は一転、瞼に感じていた光が消滅する。
恐る恐る目を開けると周りは真っ暗に、星のない宇宙のようになっていた。
ただ、それでも空気も重力もあるようで、呼吸は出来るし何故か立ってもいられる。
こうして辺りを確認している途中、変身が解けていることにも気がついた。
「……内的宇宙って言ったって、見た目までそれっぽくする必要なくない?」
そんな意味のない文句を片手に溜息を吐いた途端、見慣れた白い物体が視界に入る。
「無事に辿り着いたようだ」
「うわっ、らびらびいたんだ」
「どうやら、私も彼に招かれたらしい」
らびらびの視線の先には光り輝くスフィアクオリアが、先輩が浮かんでいる。
先輩は俺達の視線を受けると、ほんの少し横にずれてから斜めの方角へ進む。
更にふわふわと少しだけ前に進み、すぐに止まった。そんな不思議な動きが何回か繰り返される。
まるで道案内をする人が心配して振り返るような素振りだ。
「ついて来い、いや、ついて来てってこと?」
「違いがあるのか?」
「ニュアンス的に? なんか先輩、そういう雰囲気あるから」
我が英雄、なんてヴェインさんにごつい呼び方されている割に、先輩が放つ光はとても柔らかい。
例えるなら春の暖かい日差しのようで、こうして浴びているだけでも穏やかな、優しい気持ちになれる。
加えてなんとなく、田中の兄ちゃんと一緒にいた時のような心地になる。
この人といれば大丈夫、なんとかなる、みたいな安心感と親しみが、さっきからずっと胸に湧き続けている。
おかげでもっと焦るはずの状況にもかかわらず、今の俺は不思議と落ち着いていた。
「宇宙なのに歩けるのって不思議だよね。てっきり泳ぐものかと」
「夢を壊すようだが、宇宙は泳げない。泳ぐ素振りをしたところで運動エネルギーが得られず、精々姿勢と向きを変えるぐらいだろう」
「へー、そうなんだ。あーでも俺、そもそも多分泳げないや」
おかげでこんな適当な会話をする余裕すらあった。
それから歩いたのは数分くらいのこと。先輩は止まったと思えば、またしても魔法陣を描き出す。そしてすぐにそこから、光る扉のようなものが現れた。
見た感じ、ここへの入口と同じもの。ゲート、と呼ばれるものだろう。
今更躊躇う理由もない。らびらびと、先輩とも一緒にその門を通りぬける。
その先の景色は、宇宙とはまるで正反対のものに変わっていた。
「周り、山ばっか。らびらび、ここどこか分かる?」
「今私達は悠乃の精神世界にいる。彼女に縁がある山と言えば」
「お母さんの故郷? そっか、じゃあここ、例の因習村なんだ」
右を見ても木と山、左を見ても同じ、後ろを向くと薄暗い森林、ついでに足元は土と砂利でアスファルトの気配すら感じられない。
そして正面にはあぜ道。その頼りない道の向こうには木製の、とても年季が入った家屋がちらほらと見える。
なるほど、これが因習村。
人の気配がない、寂れ切った雰囲気を前にして、そんな失礼な納得を得た。
「こんな感じだったんだ。ちょっと、行ってみたかったな」
「……」
「あー、あれだよ、山的な意味でね? 俺、山なんて見たことも行ったことないから。村はいいよ。興味はあるけど、まったくシャレにならなそうな場所だし」
お母さんと葵さんの話を聞く限り、興味本位でこの村に手を突っ込んだら大火傷をしてしまうだろう。間違いなくホラー系の冒頭で犠牲になる人と同じ目に遭う。
喉元まで来た、お爺ちゃんとお婆ちゃんはどういう人だったんだろう、という疑問も呑み込んだ。色々考えるとこっちも多分、神野家の方と同じくらいどうしようもない人達だろうし。
「ほら、早く先輩について行こう」
「……ああ」
だから再び動き出した先輩に導かれるまま、俺達は村を進んで行った。
土と草の匂いに満ちた道を進み、小さな橋のような木の板の上を渡り、何かキノコ的なものを干している竿の前を横切る。
ほどなくして到着した一際古風な家の前で、またまた先輩が光る魔法陣を描き、ゲートを作り上げる。
もはや一切警戒せずに飛び込むと、景色はまったくの別物に変わっていた。
「それで多分、今度は大学、だよね。こんな雰囲気、動画で見たことある」
ここはさっきとは打って変わって、今度は人気に満ちている。
もちろん満ちているとは言っても、幻影みたいなものだ。時の止まった半透明の人影が、それぞれ思い思いに笑みを交わしている。
人によっては不気味な光景だ。七海ちゃんが見たら半泣きになりそう。
苦笑いをしかけて、その人を見かけて、どういう顔をすればいいのか分からなくなった。
「……お父さん」
半透明のお父さんは、俺の記憶よりも遥かに若々しい。
そしてそれ以上に、雰囲気が違った。あの凍り付いた、鉄の牢屋みたいな無表情ではなく、朗らかな笑みを浮かべていた。
ここはお母さんの精神世界のような場所だ。つまりあれは、お母さんから見た大学時代のお父さんのはず。
昔の俺なら絶対に反発していた考え、光景も今なら納得出来る。
神野家以外から聞いたお母さんとお父さんの関係は、きっと全部本当だったんだろう。最後は分からないけれど、少なくとも大学時代の二人はとても仲が良いカップルだったんだろう。
若干気まずい結論に至った時、らびらびがふらりと大きく揺れて、一瞬落下しかけた。
「らびらび大丈夫? ちょっと休憩する?」
「……いや、問題ない、むしろ急ごう。情けない話だが、今休めば私は休眠状態に陥るはずだ」
「休眠状態って?」
「文字通り、眠って動けなくなる。外で放った魔法の反動によるもので、そうだな、今回は起きるまで二週間はかかるだろう」
らびらびがついさっき放った魔法は、皆の合体魔法にも匹敵するほどの威力だった。
そんなの使えるなら最初から一緒に戦えよ、なんてこっそり思っていたのだけれど、この感じだとそれは無理があるらしい。一発撃つ度に眠っていたらキリがない。
だからとりあえずは納得したけれど、それはそれとして、いい加減俺にも思うところはある。
「さすがに気になって来たから、今度ちゃんと話してね?」
「……ああ、もちろんだ。私もそろそろ、全てを話そう」
そんな約束を交わしつつ、動き出した先輩の後を追う。
大学の門を通り抜け、いくつかの棟も通り過ぎて、向かう先は更に奥。途中見かけた学内図からすると、この先にはホール的なものがあるようだ。
近くの掲示板にはここで活動している軽音や落語のサークル、演劇部の勧誘ポスターが所狭しと貼られている。
先輩はそのホールの入り口の前で、くるくると回って魔法陣を描いていた。またゲートが生まれる。
もう一度ゲートを潜った先は、なんとなく見覚えがあるような。
「ここは、家?」
そんなごくごく普通の、青い屋根の家の前に俺達は立っていた。
見える限り、周囲にも特徴はない。見慣れたアスファルトや電柱、家々があって、油断すると元の世界に戻ったかも、なんて勘違いをしてしまいそうになる。
困惑して何度も左右を確認していると、今度は先輩が墜落しかけた。
「わ、せ、先輩?」
「限界が訪れたんだろう。たとえあの男が言う通り特別な代物であっても、担い手のいないスフィアクオリア単体では限度がある。ましてこれほどの力を使えば、なおさらだ」
「……そっか、ありがとう先輩。ここまで来れたの、全部先輩のおかげだよ」
両手を差し出すと、先輩は明滅を繰り返しながらそこに着地する。
そのままポケットにしまおうとして、気が咎めて、先にハンカチを取り出した。お気持ちに過ぎないけれど、これで包んでおこう。
ハンカチを被せようとしたところ、先輩はいきなりまた浮かんで手をすり抜けて、俺の身体の中に入り込む。
驚き声をあげそうになった途端、頭の中に穏やかな声が響いた。
『君と、君の絆を信じて』
多分俺よりちょっと年上の、高校生くらいのお兄さんっぽい声。
先輩って男だったんだとか、先輩喋れたんかいとか、思ったことはいくつかある。
けれど、いの一番に浮かんだ感想は、我ながら情けないものだった。
「難しいこと言うんだな、先輩」
「……耕太郎?」
「ううん、なんでもない」
そしてどうも、先輩の声は俺にしか聞こえなかったらしい。
だから告げられた忠告は胸にしまって、改めて目の前の建物に注目する。
青い屋根の、二階建ての家。見覚えはないはずなのに、どこか懐かしくなる自分がいる。
らびらびはどうせ知っているだろうから、その理由を考える前に聞いてみる。
「らびらび、ここのこと知ってる?」
「……悠乃が亡くなるまで、君と葵と共に暮らしていた家だ」
「そっか。だから俺、ちょっと懐かしいんだ」
記憶はないのに不思議だ、なんて納得してから、別の疑問が生じた。
「あれ? でもお母さんと葵さん、こんな家買うお金とかあったの?」
「酷く呪われていた事故物件を、悠乃が諸々の謎を解決してから貰い受けたそうだ」
「えぇ、なにそれ、お母さんってそんなことまで出来たの?」
「因習村出身だから超余裕だった、らしい」
「出身地免罪符にし過ぎでしょ……」
なんでもかんでも因習村を理由にするのはよくないと思う。お母さんは結構なところで適当だ。
呆れつつ、そのまま家に向かって進む。
扉の横にあるインターフォンに手を伸ばして、押す直前でなんとなく止めた。
代わりにドアノブを握り、深呼吸をしてから開く。抵抗はなかった。
「おかえりなさい、こーちゃん!」
そして開いた瞬間、優しい笑みを浮かべたお母さんが迎え入れてくれた。
予想はしていたはずなのに、どう反応すればいいのか分からない。自然と視線が下がって、お母さんの顔が見れなくなる。
だからお母さんが続く言葉をどんな顔で言ったのか。それも俺には分からなかった。
「さあさあ、帰って来たらまずは手洗いとうがいだよ!」
「え、や、別にここじゃ洗わなくても」
「こういうのは習慣だから! ほら早く早く!」
手を引かれて家に上がって、続いて背中を押されて洗面所まで連行される。
こうして流されるままに手洗いうがいを終えた後は、すぐにリビングまで誘導された。
勧められてこたつに足を突っ込んだ瞬間、今度は温かいお茶を目の前に置かれる。
「どうぞどうぞ、粗茶ですが」
「け、結構なお点前です?」
「ははー、ありがたや、ありがたや」
何もかもで困惑が止まらない。
少しでも抑えるため、お母さんから目を逸らしてリビングを見回す。
どことなく今の家、時枝家に雰囲気が似ている、気がする。
具体的にどこがと聞かれたら困るけれど。家具の配置とか、色合いとか、こたつとテーブルの二種類あるところとか? いやそれだけかい。
この通りまったく混乱は収まらなかったけれど、一つだけ気がついた。
「やー、こーちゃん、ごめんね?」
「えっと、何のこと?」
「あの、ほら、多分だけど、何か問題が起きたんだよね? だからこーちゃんが来てくれて。えぇと、最期まで面倒なお母さんで、ほんとにごめんね?」
お母さんもまた、俺と同じように困惑しているということに。
だから頭を悩ませたまま、回らない考えの中、ありのままのことを告げる。
「……ううん。これは、俺のせいでもあるらしいから」
「こーちゃんの?」
「俺の未練も、あるんだって」
首を捻るお母さんに外での出来事、ヴェインさんの解説を伝えた。
魔法を解除する途中、イデアが暴走し始めたこと。それは俺とお母さんの未練によるものだということ。『クリアクロス』の、先輩の力を借りることで、こうして会いに来れたということ。
全てを聞いたお母さんは、にへらと口元を緩ませた。
「そっか。喜んじゃいけないけど、駄目だね、嬉しくなっちゃう」
それからぺしぺしと頬を叩いてから腕を組み、もう一度、さっきよりも深く首を捻り始める。
「未練、未練かー。そう言われてもなー。どれのことだろ?」
やっぱりあの時、もう心残りなんてない、とか言っていたのは嘘だったらしい。
俺の周り、本当に嘘吐き多いな。
大半は誰かのための優しさだとは思うのだけれど、そろそろ辟易としてきた。
積み重ねに疲れを感じる俺をちらちら見ながら、お母さんがらびらびに囁く。
「ねぇ、らびさん。これから何をどうすればいいか、とか考えある?」
「ああ。あの男から手段は預かっている」
らびらびがそう言って取り出したのは、何か幾何学的な模様の刻まれた紫色のカードだった。
朝地と違って魔法の知識がさっぱりの俺は、これがどういうものなのかまったく理解出来ない。
だからお母さんと一緒に説明を求めると、らびらびはつらつらと解説を始めた。
「これは無数に散らばる未練を一つの糸に束ねる、『クリアクロス』の力を参考にした魔法だ。心の糸を編み出してから未練を果たすことで、イデアとの繋がりを一時的に断つことが出来るらしい」
説明の途中、カードが光る。
すると俺とお母さんの胸の辺りに紫の魔法陣が出現し、そこから糸が生まれた。
「そしてこの場合、解消すべき未練は言葉に限る」
「なんで?」
「人の用いる術の中で、言葉こそが最も意思を示すものだ。それ故だと奴は言っていたが、すまない、私にも本当のことは分からない」
らびらびが語る途中も糸は動きを止めず、次々と魔法陣から生じていく。
あまりにも多く出て来るから心配になったところで、やっと糸の発生は止まった。
ただし、今度はそれらが全部蠢いて一つに纏まろうとする。だいぶグロテスクな光景だ。お母さんも若干引いている気配がある。
そしてようやく一本になった俺とお母さんの糸は、らびらびが持つカードへと伸びていった。
「……結局細くなるんだ」
摩訶不思議な糸の挙動に気を取られていたせいか、その他への注意が散漫となる。
そのおかげで頭に手を置かれるまで、お母さんが隣に来ていたことすら気づけなかった。
「おぉー、ほんとだ。糸、全然びくともしないね」
「急に何?」
「言葉以外の未練一個解消してみようかなーって。よしよし」
「……」
お母さんは優しく、宝物を扱うように手を動かしていた。
これも未練の一つらしいから、黙って享受する。
らびらびはそんな俺達のやり取りを、気のせいじゃなければ眩しそうに眺めていた。
それからしばらく俺達のことを見守った後、らびらびがおずおずと尋ねて来る。
「さて、耕太郎。悠乃に伝えそびれたこと、伝えたいと思っていることはないか?」
「……」
「その様子だと、やはりあるようだな」
「……らびらび、でも、これは」
「突然で戸惑う、恥ずかしく思う気持ちは分かる。だが言わなければきっと、絶対に君は後悔することになる。だから頼む。耕太郎、勇気を出してくれ」
薄々察しはついていたけれど、この説得で確信した。
らびらびは俺の心残りに気付いていても、その中身は盛大に勘違いしている。
俺の言いそびれたことは、そんな綺麗なものじゃない。伝えそびれたらではなく、むしろ伝えたら後悔するような話だ。
けれど、長年こびりついたこの気持ちは、言葉は頭から離れない。他にも言えなかった、言いたいことはたくさんあるはずなのに、今はこれ以外が思い浮かばない。
「こーちゃん」
黙って思い悩む俺に、お母さんが声をかける。
「私、なんでも受け止めるよ」
お母さんは微笑んでいた。
けれどその笑みは、いつもよりずっと硬かった。影が差し、緊張と後悔が滲み出ていた。
それで、俺も分かってしまった。
らびらびと違ってお母さんは俺の言いたいことを、なんとなくでも悟っているらしい。
ならもう黙っている、隠している意味はないはず。
「……お母さん」
「うん」
頷いてくれたお母さんを前に、何度も深呼吸を重ねる。
恐れも躊躇いも飲み込む。軋むほどに手を握りしめ、一度だけ強く目を瞑る。
そうしてなんとか意を決して、お母さんの死因を知った時から何年間も、今までずっと抱えていた、誰にも言えなかった思いを告げる。
「生まれて来て、ごめんなさい」
糸が一本、切れる音がした。