色々回収する最終章なので、まあまあ重めの話になります。
最終章プロローグ「約束」
田中の兄ちゃんは、鈴木の姉ちゃんも見た目は真面目そうだけど、二人揃って結構ファンキーな人達だった。
学校の屋上に入ってみたいとピッキングを練習したり、高校の弁当はどこまで許されるか試した結果、最終的にクラスで寄せ鍋大会を開いたり、帰宅部なのに何故か部費を上げるデモに参加して、重ねて意味不明なことに、教師の賃金交渉に発展したり。
伝え聞いた偉業はこれ以外にも数知れず、加えて病院で椿先生、俺の担当医に叱られた回数も両手両足では数えきれない。
一番怒られていたのは確か、俺を忌み子と呼んだ、俺の叔父にあたる人をボコボコにした時の話だ。
「気持ちは分かるけど、いくらなんでもマウントポジション取るのはやり過ぎ。神野さん、二人のこと訴えるってキレてたよ」
「へっ。何が訴えるだよ。耕太郎にあんなこと言っといて、どの口が言ってんだあのカス」
「そうそう。だったらこっちもさっきのやり取りSNSに晒して大炎上させるわ。自爆覚悟で全部燃やし尽くしてやるから」
「……まあ、この病院はあいつのお膝元だし、あいつも君達には手を出させない、そもそもあの人に誰かを訴える余裕なんてもうないだろうけど。それでもけじめとして反省はしなさい。ほら、院長に出すから、ちゃんと反省文も書いて」
「やだ」
「やです」
「じゃないと、担当医権限でここ出禁にするよ?」
「うっす。何枚でも書きます」
「はい。私もめっちゃ書きます」
結局二人とも十枚以上提出したらしい。
こんな風に大暴れしていたかと思えば、揃って急にまともになることもあった。
例えば俺が十歳くらいの頃、勉強を放り出した時のことだ。
「耕太郎、院内学級ずっと行ってないって本当?」
「……だって、勉強なんてしてもしょうがないもん」
「ううん、そんなことないよ。した方が将来」
「しょうがないよ! 勉強しても俺、学校行けないんだから!」
俺の八つ当たりを受けた鈴木の姉ちゃんは息を呑み、瞳を潤ませた。
今思い出しても、とても申し訳なく感じる。鈴木の姉ちゃんは何も悪くなかった、いつもと同じように優しくしてくれていただけなのに。
時折こんな風に作り出してしまう気まずい空気が病室内に流れる。
そしていつも通り、ではないけれど、この時も田中の兄ちゃんがその雰囲気をぶち壊してくれた。
「はー、しゃばい。しゃばいなー、耕太郎―」
なんか妙なスカジャンを着て、鬱陶しい変な口調だったけれども。
当時不良漫画にはまっていた田中の兄ちゃんは、しょっちゅうこんなヤンキー仕草の猿真似をしていた。
いや言うほどまともか、これ? 本人もあとで黒歴史にしてたし。
挟まったノイズはさておき、この時の俺は愚かにも、田中の兄ちゃんにも八つ当たりしようとしていた。
「しゃばいって何? 田中の兄ちゃんは俺が学校行けると思うの?」
「んなもん医者じゃねぇから知らねーよ。じゃあ逆に聞くけど、行けたらどうすんだよ」
田中の兄ちゃんはそんな俺の癇癪なんかさらりと受け流し、真正面からドストレートな問いをぶつけてくる。
「せっかくやっと学校行けるってなったのに、授業は分かんねーからつまんねーし、テストもボロボロで馬鹿にされたりしたら最悪だろ?」
「でも、学校なんて」
「だから今は行けた時の話してんだよ。どうよ?」
「……恥ずかしいかも」
「じゃ、勉強しようぜ」
ぽん、と俺の頭に手を乗せた後、田中の兄ちゃんはにやりと笑みを浮かべる。
「大体、お前学校とか抜きでも勉強結構好きじゃねーか。なら意地張ってないで好きなことしようぜ」
「……うん。分かんないとこあったら、田中の兄ちゃん教えてくれる?」
「分かるのはな。分かんねーのは奈美に聞けよ」
そしてヤンキー仕草を放り投げて、高らかに笑い始めた。
「あいつ俺より成績悪いけどな! がっはっは!」
「はあー!? この間ちょっと数学負けただけでしょ!? 合計ならずっとあたしの勝ってるけど!?」
「ははは、短い天下でどうこう言ってるぜこいつ、笑える」
「十年以上下にいるのに偉そうだな、こいつ!」
こんな感じで勉強やら言葉遣いやら、マナーの類、はたまた箸の使い方まで、
二人は変に小姑染みたところがあったから、病院の中では役に立たないことを何度もしつこく、ずっと辛抱強く俺に教えてくれていた。
まるで、何も諦めるなとでも言うように。
だから俺は一度も病院の外で暮らしたことがなくても、いざ出た時にはそれなりに過ごせる程度には仕上っていた。
全部、二人のおかげだった。
そんな俺を人にしてくれた二人と離れることになったのは、一昨年の春のことだ。
「田中の兄ちゃん達、来週に引っ越すんだよね」
「……おう。だから悪ぃな。今までみたいに遊びに来るのは難しいわ。まあ、それでも土曜か日曜には顔見せるからよ」
「大丈夫。二人とも大学大変だろうから、無理しなくていいよ」
生まれてこの方ほとんど環境が変わったことがない俺だけれども、新生活というものがとても大変だということくらいは聞いたことがある。
まして二人は大学進学に加えて引っ越し、一人暮らしまで始める。だからもう甘えてなんていられない。
そんな強がりなんて鈴木の姉ちゃんにはお見通しのようで、くすりと俺を安心させるために微笑んだ後、続いて意地の悪い笑みを浮かべた。
「気にしないで耕太郎。こいつ、最低でも一年間は週一で帰って来るよう親に言われてんのよ。じゃないと家族揃って家まで様子見に行くって脅されてんの。普段の行いよねー」
「はあ? それはお前も同じだろ」
「はー? 違いますけど―? あたしは女の子だからですー」
鈴木の姉ちゃんも田中の兄ちゃんと同じ大学に進学して、同じように一人暮らしをすることになっていた。
こっちもまた聞いた話でしかないけれど、女の子の一人暮らしは家族にとってとても心配なものらしい。
だから田中の兄ちゃんより比較的、あくまでも比較的素行がマシな鈴木の姉ちゃんも、こうして毎週のチェックを課されているとか。
この間聞いた話を耳にして、改めて前にも思ったことを口にする。
「なら、二人で一緒に住めばよかったのに」
半分冗談で言ってみたのに、二人の反応は奇妙なものだった。
鈴木の姉ちゃんはやれやれと肩を竦めているし、田中の兄ちゃんは目に炎を宿している。何故かやる気に満ち溢れている。
解説を心待ちにする俺に向け、鈴木の姉ちゃんは呆れ切った声をあげた。
「家賃とか生活費とか折半出来るし、あたしも最初はそのつもりだったんだけどね。こいつがどうしてもって言うから」
「えっ? 田中の兄ちゃん、鈴木の姉ちゃんとじゃ嫌なの?」
「嫌ではねーよ。ただそれだと、大問題が起きちまうからさ」
大問題。口に出して呟いてみる。空回り感が凄い。
だから全然そんなことないんだろうな、という予想は普通に当たった。
「だってこいつと一緒だと、家に女の子連れ込めないだろ!?」
「……夢を追うのは、自由だよね」
「大学は人生最後のモラトリアムってよく言うしね。この馬鹿にも四年間妄想する権利くらいあるわ」
「お前ら酷くない?」
田中の兄ちゃんの迷走を聞き続けてもう数年経ったけれど、未だに一つたりとも成功した覚えがない。
だからこその反応なのだけど、田中の兄ちゃんはお気に召さないらしい。とても鼻息荒く、俺達を勢いよく指差し宣言した。
「決めた、よし決めた! 絶対速攻で超絶可愛い巨乳彼女作って、お前らに目にもの見せてやるからな! 覚悟しとけよチビ助、ド貧乳!」
「はいはい。頑張れ短小」
「はあ!? 見たこともねぇくせに!」
「あるでしょ、お互い」
「そりゃそうだった」
生まれた頃からセットで扱われてきた二人は、小学生くらいまではお風呂も一緒に入っていたそうだ。だからこんな反応に困ることをしれっと言い合うこともある。
幼馴染って不思議だな、なんて何度したか分からない感慨に浸っていると、不意に頭に重みを感じた。
これまた何回してもらったか覚えていないことだ。田中の兄ちゃんが俺の頭を乱暴に撫でてくれていた。
「へっへっへ。耕太郎、楽しみにしておけよ。夏には、いやゴールデンウイークには、俺がお前に恋愛の素晴らしさというものを教えてやるからな」
「……へー、うん、たのしみにまってるね」
「もうちょっと感情込めろ」
「絶対無理じゃない?」
「そっちじゃねぇよ、逆方向突っ走ってんじゃねぇよ」
このお仕置きと称して、ほっぺたを適当に引っ張るふりをするのも、何度目だろう。
「あのなぁ、今まで散々色んなこと、お前がつまんねーってぼやいてたことも、俺達で面白おかしく教えてやったろ? 今回も同じだ。ついついお前が大恋愛したくなるくらいの光景、滅茶苦茶見せつけてやるからよ」
ついでにこの大言壮語も。
叶いっこない夢物語を聞かされて、頬を引っ張っられたままでも、笑いが堪えきれなかった。
「ふふ」
「おいおい笑うな笑うな」
「だって、ふふふふ」
「重ねるな重ねるな」
口ではそう言いながらも、田中の兄ちゃんだってちょっとにやけている。
「おっと、そうだ耕太郎。せっかくだから競争しようぜ」
「競争ってなんの?」
「俺が彼女作るのと、お前が新しい友達作るの」
首を傾げる俺のおでこに指を突きつけながら、田中の兄ちゃんは宣戦布告をした。
唐突な提案でも意図は分かる。二人がいなくなった後の俺を心配してくれているのだろう。
けれども、これだとそもそも競争にならない。
「……でも、無理と難しいじゃ勝負にならないよ?」
「なんだとこら」
「ノーゲーム。ゲームセット。ユールーズ」
「やめろ奈美、始まる前に終わらせんな。てかどさくさに紛れて敗者にすんな」
そんな感じにわちゃわちゃといつも通りじゃれ合っている内に、壁に掛けられた時計がふと目に入った。
もうすぐ四時半になる。この後引っ越しの準備があるって言ってたから、今日は四時には帰らなくちゃいけないって言ってたのに。
疑問が浮かぶのと同時に田中の兄ちゃんと、鈴木の姉ちゃんとも目が合う。
二人とも俺の視線の先、時計をちらりと確認したのに、まったく帰ろうという素振りを見せない。むしろ深く椅子に座り直した。
それでやっと気がついた。
考えてみればそうだ。寂しいのは俺だけじゃない。二人とも同じなんだ。
そう思えば、俺も勇気が湧いて来た。
「うん。競争、乗った。新しい友達が出来たら、ちゃんと二人に紹介するね」
「おう。出来れば美人な姉ちゃんがいる奴を頼む」
「いても田中の兄ちゃんには教えないよ」
「そこをなんとか」
「今下手に出られてもなぁ……」
そんな二人の気持ちが嬉しくて、安心してしまって。勇気のついでに、ずっと喉元でつかえていた甘えが、するりと漏れ出てしまった。
「ねぇ、兄ちゃん、姉ちゃん」
「おう」
「……引っ越した後も、用がなくても電話とかしていい?」
「当たり前だろ」
「もちろん、いつでもいいからね」
迷いに迷っていた俺とは違い、二人の返事には何の揺らぎもない。
特に田中の兄ちゃんなんてどんと大きく胸を張り、今日一番元気よくはっきりと、晴れやかな笑顔で俺のおでこにデコピンする。
「俺はお前の兄ちゃんだからな。お前が呼んだら、てかもし呼ばなくても、俺の方から押しかけてやるよ!」
この日から大体半年後、田中の兄ちゃんはガンで入院することになって、次の春には亡くなってしまった。
田中の兄ちゃんが彼女を作るよりも、俺が新しい友達を作るよりも、早く。
だから結局二人で交わした約束は守れなくて、田中の兄ちゃんが俺のピンチに押しかけてくれる機会も永遠に失われてしまった。
それはいい。一番辛かったのは、絶対に田中の兄ちゃんだから。
けれど約束を破ってしまったのは、新しい友達を紹介出来なかったのは、最期に兄ちゃんを安心させてあげられなかったのは、今でもずっと後悔し続けている。
耕太郎が「田中の」兄ちゃん、「鈴木の」姉ちゃんと名字を強調して呼ぶのは、自分と名字が違うこと=家族ではないことを忘れないため、自分を戒めるためです。