世界で初めて紅茶が生まれたのは、実はイギリスではなく十七世紀の中国である。
十七世紀、福建省で「正山小種」が誕生したことから始まり、当時は輸出用の緑茶が主流だったヨーロッパでの人気が高まるにつれて発酵茶である紅茶の生産が開始されたのだ。
「あわわ……」
紅茶を淹れた孔明の目の前の親友が持つティーカップとソーサーが、手の震えによりカチャカチャと音を立てている。中身を溢していないのは奇跡と言えよう。
なんとか紅茶を啜る彼女の顔は相変わらず青ざめている。親友の可愛らしさが損なわれているのは悲しいと孔明は思う。
「どう、雛里ちゃん。美味しい?」
親友を落ち着かせようと出来るだけ優しい声色で孔明は声を掛けた。
「あ、味なんてしないよ、朱里ちゃん……」
ふむ、と朱里こと孔明自身も紅茶を啜る。孔明の舌は確かに少し、普段より味が薄いかも知れないと感じた。普段孔明が淹れるそれとの味の差は、本当に微小ではあるが。それでも、流石に親友の舌は誤魔化せないかと孔明は僅かに微笑んだ。
そして外で振る舞ったが為に、風の影響で紅茶の香りが飛んでしまっているという紅茶の楽しみの一つが失われているのも、親友の顔色が青ざめたまま戻らない、いまいち楽しめていないと思われる原因の一つなのかもしれないと孔明は己の未熟さを恥じた。
「確かに少し味が薄いかも。風の強さで湯温が少し下がっちゃったかな。ふふ、流石だね雛里ちゃん」
魔女のような大きな帽子に薄青髪をツインテールにした、孔明と同じく水鏡女学院出身の美少女ロリっ娘である雛里こと龐統士元は手を振るわせながらもようやくティーセットをテーブルに置いた。
お茶というのは中国では有史以前からその葉を摘んで不老長寿の霊薬として珍重していた。薬として高貴な人々が飲用し、飲み物として一般化したのは六世紀以降である。ちなみに普及の仕方は、紅茶にもコーヒーにも共通している。
「濃いお茶を淹れることのできる茶葉を準備すべきだったね。私としたことが失敗失敗」
「朱里ちゃん、そうじゃなくてね?」
紅茶の樹は、紅茶やウーロン茶と同じツバキ科の常緑樹で原種は中国の雲南省からチベット、ミャンマーにかけての山岳地帯に自生してる。それを知っていた孔明は自分で紅茶の茶葉を作って持ち歩いていた。そして孔明はその茶で商売もしていて、王家御用達ブランドとなり一代で地位を築いた商家を持っていたりもする。
『恋姫』、という世界に置いて、食文化が現代並みであり食器類も現代のような有様であり、なんなら洋菓子まで一枚絵に登場するので紅茶くらい別にいいだろというのが孔明の判断である。
「どうかしたの雛里ちゃん」
「朱里ちゃん! だってここ……戦場だよ!?」
「ふふ……変な雛里ちゃん。ここまで攻め込まれたら私達どうせ死んじゃうから焦っても一緒だよ?」
「そんな!?」
実はこの孔明。幼い頃に空を飛ぶほぼ裸体な三つ編みの筋肉達磨を目撃した時に脳に電撃が撃たれたような衝撃が走り、その時不思議なことがおこった!
性格がガラリと変わった、というか孔明はバグった。
その時にある種の走馬灯のように彼女の脳裏に幾つかの『諸葛亮孔明』としての記憶、そしてこの世界が『恋姫』と呼ばれる三国志を性転換させた世界であるということを認識。更にその『恋姫』を産んだ現世とも呼べる世界の知識を、ざっくりではあるが何故か知ってしまったのである。
その筋肉達磨こと貂蟬は、孔明と目が合うとウインクをしてそのまま何処かへ飛んでいってしまい、その後は不明である。
なので孔明はこの世界が『恋姫』の中の『外史』の一つであることも、あの変態が『外史』の管理者の一人であることも、そして自身が何故か見逃されていることまで把握している。
そして孔明は、後漢の後に建国する劉備、曹操、孫策、三人のうち誰かの前に『北郷一刀』が降り、その国が勝つことまで知っているのである。
「あわわわわ……」
「ふふ、雛里ちゃん大丈夫だよ。いざとなったら私がぱーっとやっつけちゃうんだから」
「朱里ちゃん……」
この孔明の言、虚勢ではない。孔明は幾つかの記憶を頼りに羽扇から軍師ビームを出すことに成功していた。なので、実は無双ゲー孔明並みの戦闘力も持っていたりするが、必要に駆られなければ一切自ら戦闘する気はない。親友の隣にいることができないからである。
別の『外史』孔明の記憶、だけじゃなく色々な世界の孔明の記憶を見てしまった『朱里』は、勿論『三国無双』孔明としての記憶もあるので敵兵がわらわらと群がってこようが慌てることは一切ないのだ。だって軍師ビームあるから。
だがもし、ここで『無双』の赤兎馬in呂布が現れたらさしものこの孔明も、「はわわ」と言ってしまうだろう。ていうかこの世界の呂布こと『恋』も大概チートで理不尽だから敵対してしまったら「はわわ」と言ってしまうだろうが。
「ふふ、そもそも策に穴なんて無いのは雛里ちゃんだって分かるでしょ?」
全ての結末を知っている孔明としては、『北郷一刀』は自身の主となる、最終的に仲良しこよし全員が手を取る『蜀』の王、劉備の元に来て欲しい、とは思っていなかった。
実はぶっちゃけ曹操の元で良いや、と思っているくらいである。曹操の元で、『魏』として天下は統一はされるが、事実とは異なり皆死ぬこともないし、そもそも頭は一つのほうが良いと思っていた。
劉備の元で三国仲良しこよし。それでも数年は良いがどうせ破綻する未来しか見えない。そもそも魏が戦力も地の利も圧倒的に有利過ぎる。時間が経てば経つほど魏が有利過ぎるし、曹操が大人しくするはずがない。
あとは、『北郷一刀』が孫策の元に降りた場合はどうするか。その場合は親友の龐統を連れて、多分将来そこにいるはずである妹の諸葛瑾子瑜でも頼れば良いかと思っていた。孔明の妹は『恋姫』では影も形もないが、ちゃんと存在していたのである。そんな妹はきっと地味なポジションにいるのでそこにいけばあの極道一家のような孫家にそこまで絡まなくて済むだろうと、孔明は考えていた。あそこ身内で固まり過ぎだし。
まあ別にいかなくても『恋姫』なら蜀と呉は同盟を結ぶだろうから別にどう転ぼうがなんとかなるかとも思ってはいたが。
つまりだ。実はこの孔明、そんな知識があり能力も当然あるのだが、知っているだけにやる気が消えていた。未来を変えよう! なんて気は起きなかった。だって結局この世界は『北郷一刀』次第なのだから。
なので孔明、こと『朱里』の行動原理は、臆病ながらも正義に燃える親友が心配だから付いてきているだけである。
「その策が問題なんだけどね……」
「何か言った雛里ちゃん?」
「う、ううん。なんでもないよ朱里ちゃん」
ぼそっと呟いた鳳士元の言葉は空に消えた。はて、と不思議そうに孔明は士元の顔を見るも、戦で気が昂っているのだろうと考えた。
「二人とも、こんな所にいたんだ」
「劉備さん」
※ 「諱」(いみな)は、人が生きていた時の実名、つまり本名で劉備玄徳の場合は『備』を指します。古代東アジアの習慣では実名を口に出すことを避けるため、「忌み名」とも呼ばれました。
が、数多くの日本の三国志小説や中国の翻訳小説にて普通に『劉備』や『曹操』という風に呼ばれているのと、『恋姫』は『真名』が存在するため『劉備』や『曹操』という呼び方を普通に使うこととします。恋姫二次を書くと「諱」警察の方が注意しにくるので念の為。
「お茶してるの? 凄いなあ。私なんて初陣の時は気が動転しちゃって大変だったのに」
「いえ、私たち初陣は済ませてますから」
「え!? そうなの!?」
孔明の返答に劉備は驚いた。劉備が二人に年齢を確認した訳ではないが、二人は明らかに幼い。だというのに諸葛亮孔明と名乗った子は同じ服装のもう一人と比べて異常な程の落ち着きを払っている。鳳統士元と名乗った子のように緊張か恐怖で震えているほうが普通である。
いや年齢を考えれば恐怖で逃げだしたりしていないのだから充分に気が強いと言って良い。
劉備と共にいる張飛が異常だと思っていたが、諸葛亮も張飛と同類なのだろうかと劉備は思案した。
孔明、士元と劉備ら一行の出会いは偶然である。というか平原ど真ん中で賊らを羽扇で口元を隠しながらじっと見ていた孔明と、その後ろで震えていた士元を劉備らが危険だと保護したことから劉備たち義勇軍、その数五十余りと賊軍百余りで争うこととなったのが今回の戦の発端である。
その数の差は二倍。しかし劉備たち義勇軍はなんら問題ないと考える。何故なら劉備の義姉妹である関羽と張飛は共に一騎当千の強者。
ぶっちゃけ百くらい二人であっという間である。
だが、そこに孔明が口を挟んだ。
「こうなったのは私たちの責任です。何か考えがあるようですが、どうでしょう。水鏡女学院を共に主席で卒業した私たちの策を聞いてはみませんか?」
劉備は少し悩んだが話を聞くことにした。関羽も劉備と同様だったが、張飛はどっちでも良いと言った具合だった。
劉備と関羽が話を聞くことにしたのも、正直な話、関羽と張飛さえいればなんとかなる、といった事情が大きい。
だが、今は軍師役を劉備と関羽が兼ねてはいるものの、後々を考えれば、あの水鏡女学院の主席だというのであればその意見を聞いてみるのも悪くないように二人は思えたのだ。
「……あ、勝ちましたね」
孔明が横目でちらっと戦場を確認した。
共に先陣を駆けた関羽と張飛も信じられないといった顔をしていた。およそ一人の怪我人も出さず圧勝した人間がする顔ではなかった。
義勇軍が歓声を上げた。
何故か二百人程いる劉備たち義勇軍が勝利の雄叫びを上げた。
なんで増えたの???
孔明を除く全員が狐につままれたような顔をした。
「寝返らせますよ。相手に信念は無く、食うに困っているだけですから。これからを考えれば数も必要でしょう」
孔明は確かにそう言った。だがこちら五十。相手は百。
単純に数が合わない。
「どうやったの!?」
「ふふ。どうやったんでしょうねえ」
劉備の問いに孔明は涼しげな顔で微笑む。
やっぱりなんかやったんだ、と士元は孔明に対してやはり震えていた。
「そういえば、どっちの陣営にいるんだろうなぁ」
孔明は劉備たちに同行していなかった、かつてご主人様と呼んだ『北郷一刀』にもはや興味はない。だってどの世界線でも見境ないし。だからはよ曹操のとこいけ、こっち見んなくらいにしか思っていないのである。
しかし『北郷一刀』は曹操の魏が一番安牌だろうと思ってはいても、孔明は曹操の元へ行こうとはしなかった。曹操が百合百合し過ぎて無理、というのもある。猫耳軍師が面倒、というのもある。しかしそこはある程度魏が出来てからしれっとそこそこの文官としてお目通りしない程度の地位にいる、という手も考えないでもなかった。が、一番の理由は妹がこの世界にはいる、ということは、この世界にはあの司馬懿仲達が存在している可能性がある、ということだった。
孔明の中にある幾つかの諸葛亮孔明としての記憶が、司馬懿仲達を拒絶しているのでどうしようもないのである。色々な孔明が脳内でディベートを行った結果なのである。
「あわわ……」
空を見つめ何やら思案する親友、孔明を士元が見つめる。
いつからか、自身の親友の性格がガラリと大人びた。かつての自身と同様に震えていた親友はいなくなった。
「要は外気功と同じ筈……、やった! 軍師ビーム出たよ雛里ちゃん!」
「あわわ……、そのびいむで裏山が消し飛んだよ朱里ちゃん……」
「竹中半兵衛が十八人で城を落としたんだから私は手勢九人でやるよ! 本物を見せつけてやるんだから!」
「待って朱里ちゃん誰それ私知らないよ!」
「ま、先立つ物って必要だよね」
「朱里ちゃんのお茶が皇帝献上品になった!? なんで!?」
「肉屋に金を握らせたよ雛里ちゃん」
「ええ……」
そんな孔明と共にいれば、流石に士元もちょっとやそっとでは動揺しなくなってきた。士元が動揺するのは、孔明関連ばかりである。
「いい? 雛里。朱里はもう、伏龍では無いわ。孔明という龍の牙や爪は鋭くなり過ぎた。天を駆ける姿は正しく雷鳴にも似るでしょう。でもあの子は雛里、貴女に付いていくと言っている。分かるわね? 貴女が正しくあろうとする限り、朱里は暴龍とはならないわ」
「はい、水鏡先生」
「ごめんなさい。私ではあの子は止められないわ」
「……大丈夫です。朱里ちゃんは優しいんです」
と、口には出すものの、やはり孔明が何か行動に移す際は震えてしまう士元なのであった。
続く?