のんのんびより ― ある田舎男子の日常 ― 【ばけーしょん編更新中】   作:NIZI

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アニメ二期、第一話の後半。入学式準備と本番。
前半はよしお視点の一人称で原作補完的な内容。
後半は三人称で入学式当日の様子をお送りします。


第2話 一年生になった

 

 教室の中は、いつもの授業風景とはちょっと違う空気に包まれていた。

 今日は入学式準備。通常授業ではなく、午前だけで終わる半ドンだ。学生にとっては実質ご褒美みたいな日である。

 

 オレと卓は、教室のイスを足場代わりにして、事前に作っておいた紙飾りを窓際にぶら下げていた。

 正直、イスの上に立つのは怖い。怖いが、卓が平然としているので弱音も吐けない。

 

 視線を横にやると、小鞠ちゃんとなっちゃんが黒板の端に花飾りを貼っていた。

 

「れんげも、とうとう小学生かぁ……」

 

 思わず口から零れた。赤ん坊の頃から知ってるあいつが、もう小学生。そりゃオレも年を取るわけだ。

 

「ウチも中学生になるのかぁ……」

 

 なっちゃんも、しみじみとした声で呟く。

 そうだ。彼女もこの春から中学生になる。時の流れ、早すぎないか?

 

 ……と、感慨に浸っていた、その次の瞬間。

 

「ねぇよっくん。ウチが中学の制服着たら、興奮したりする?」

 

「!?」

 

 足元が、ぐらりと揺れた。物理的にも精神的にも。

 

「わわっ!? な、何言い出すんだよ急に!?」

 

 イスから落ちそうになりながら必死で体勢を立て直す。心臓に悪いからやめてほしい。

 

「いやだってさー。よっくんの過去のやらかしって、大体みんなが中学の制服着てる時じゃん?」

 

 なっちゃんは悪びれもせず、指を折り始める。

 

「駄菓子屋のスカート捲ったのもそうだし、公衆の面前でひか姉に告白した時とか、白昼堂々と姉ちゃんのスカートに顔突っ込んだ時とか……」

 

「ちょっと夏海! 思い出させないで!!」

 

 視線を向けると、小鞠ちゃんは右手でスカートを押さえながら「うわ……」って顔をしてるし、卓に至っては完全にゴミを見る目だ。

 やめろ、オレのライフはとっくにゼロだ。

 

「春って季節が悪いんだよ。新生活ってやつが、人を前向きに、そして衝動的にするんだ。……だから悪気はなかった」

「悪気がなかったら何しても許されるわけじゃないからね!」

 

 正論が刺さる。グサッと。

 

「い、いや! そうだ! 姉ちゃんには何もしてないから! 今までの事は間が悪かっただけだから!」

 

「実の姉にまで何かしてたら、……流石に正気を疑うから……」

「え、そこまで行っちゃう……?」

 

 小鞠ちゃんの冷静な指摘に、さすがのオレも言葉を失った。

 

 このままじゃオレの立場が危うい。そう悟ったオレは、意を決してイスから降り、なっちゃんの前に立った。

 

「なっちゃん。大事な話がある」

「な、何? 急に改まっちゃって」

 

 真剣な顔で近づき、両肩に手を置く。なっちゃんは身体を硬直させて、ちょっと緊張した様子だ。顔も、気のせいか少し赤い。

 

 オレは深呼吸を一つして、全身全霊で言い切った。

 

「入学式当日! もし制服姿のなっちゃんを見て、気持ちが抑えきれず何かやらかしても! 嫌いにならないでください! お願いします!!」

 

 勢いよく頭を下げた。予め予防線を張っておけば最悪の事態は防げるだろう。

 

 ……と、本気で思っていた。

 

「…………はぁ」

 

 そう思ったが、返ってきたのは、盛大なため息だった。

 なっちゃんは、真面目に話を聞いた自分が馬鹿だった。とでも言いたげな顔をしている。

 

「あれ? オレ、何か変なこと言った?」

「さっきから変なことしか言ってないでしょ……」

 

 小鞠ちゃんのツッコミが、妙に優しく聞こえた。

 

「これもまた、青春かねぇ」

 

 背面の黒板で飾り付けをしていた担任の一穂先生が、穏やかな声でぽつりと呟く。

 

 いや先生。

 それ青春で片付けていいやつじゃないです。

 

 

 

 

 入学式に向けて、どうにも拭えない不安を抱えてしまったオレは、一人で悩むよりはマシだろうと、卓を家に誘って対策会議を開くことにした。

 越谷家に行かなかった理由?

 なっちゃんと小鞠ちゃんに聞かれたくないからに決まっている。

 

 オレ達はリビングに腰を落ち着け、テーブルの上に広げたお菓子を適当につまみながら向かい合っていた。

 

「卓……。流石になっちゃんに嫌われたらオレは生きていけない。どうしよう……?」

 

 同年代の男は、オレと卓だけだ。

 こういう話題で頼れる相手は、必然的にコイツしかいない。

 今のオレは、まさに藁にも縋る思いだった。

 

 卓はしばらく無言のまま、首を傾げ、顎に手を当てて考え込んでいる。

 

「お前の妹にも関わる事だぞ。何でもいいから案をくれ……」

 

 言葉を絞り出すようにそう頼むと、卓はようやく動いた。

 

 無言のまま鞄に手を伸ばし、取り出したのは――数珠だった。

 それをそっと、テーブルの上に置く。

 

「オレの問題は煩悩の数じゃない。納める方法を聞いてるんだ。そもそもオレの煩悩の数が百八で済むと思うな。」

 

 間髪入れず、次。

 今度はピンク色のアイマスクが差し出される。

 

「視界を遮れば解決、みたいな顔をするな。入学式で目隠ししてる男の方が危ないからな?」

 

 卓は何も言わない。

 だが、その沈黙が次の行動を予告していた。

 

 置かれたのは、アラームが十秒に設定されたストップウォッチ。

 

「なるほど、衝動を感じたらまずは落ち着いて、じっくり計測しろと。理屈は分かるが、オレの衝動が十秒で収まるなら、今までの人生もっと順風満帆だったわ……」

 

 さらに卓は、小さな防犯ブザーをテーブルに並べる。

 

「オレはどちらかと言えば鳴らされる側だと思うが……。

 何? 変な気持ちになった瞬間自分で鳴らせって? 羞恥プレイにも程があるだろ!」

 

 まだ終わらない。

 次に机の上に置かれたのは、首輪。どう見ても犬用だ。

 

「いやいやいや! 自制心以前に、人権の問題だろ! どこまでオレを信用してないんだ!」

 

 思わず声を張り上げると、卓は最後の切り札とでも言いたげに、封筒を差し出してきた。

 中を開けると、二つ折りになった紙が入ってた。

 これ、三国志で諸葛孔明がやっていたやつだ。これに何か策でも書かれてるのか?

 

 期待しながら紙を開く。

 

 ……白紙。

 何も書かれていない、真っ新な紙だった。

 

「そうか、策は無いのか……」

 

 卓は顔を伏せる。それにつられて、オレも深く溜息をついた。

 

 わざわざ封筒まで用意させて悪かったな、卓。

 オレ達二人は、テーブルに向かって項垂れた。 

 

 すると、玄関のドアが開く音がした。

 

 「ただいま! あ、すーくん来てたんだ。いらっしゃい!」

 

 姉ちゃんの、やけに明るい声が廊下から響いてくる。

 今日は帰りが早いな。もう部活は終わったのか。

 

 足音が近づき、居間に入ってきた姉ちゃんは、俺と卓の並びを見て、一瞬だけ状況を察したような顔をした。

 ……これ、勘づかれたか?

 

 話の内容が内容だけに、正直言って姉ちゃんに話すのは躊躇われた。

 

 でも――なっちゃんに嫌われるよりはマシだ。

 

 この際だ。一時の恥もプライドも一旦横に置いて、姉ちゃんにも相談してみよう。

 そう腹を括って、オレは一連の事情をかいつまんで説明した。

 

 

「ふむ、なるほど、よっくんは、"春になるとバカになる"って事ね……」

「言い方ぁ!」

 

 思わず即ツッコミを入れてしまったが、姉ちゃんは気にする様子もなく、くすくすと笑った。

 

 「あはは、でも心配いらないと思うよ? 少なくともこのままじゃいけないって悩んでるわけだからさ。悪い事にはならないんじゃないかな?」

 「……でもさ……」

 

 それ以上、言葉が続かなかった。隣に座っていた卓も、無言のまま小さく頷く。

 言葉はないが、表情は真剣そのものだ。

 

 妹が関わる事だけに、コイツも本気で考えてくれている。それが分かるから、余計に気が重くなる。

 

「何か起こったら、すーくんが殴ってでも止めてくれるでしょう? 小鞠ちゃんの時もそうだったじゃない」

「そうだな……、割と本気でボコられて生死の境を彷徨ったような気がするが……」

 

 あの時の事を思い出すだけで、背中の辺りに冷や汗が湧き出てくる。

 洒落にならなかった。本当に。

 

 コイツ――卓は、毎朝早く起きて、独学で功夫の稽古をしているらしい。

 聞いた時は冗談かと思ったが、あの時の拳の重さで、納得してしまった。

 

「でもそのおかげで小鞠ちゃんも、逆に怪我をしたよっくんを心配してくれて、そこまで気まずい事にはならなかったでしょう?」

「そうだな……、本気で死ぬかと思ったから感謝はしたくないが、礼は言う」

 

 結果的に丸く収まったのは事実だ。

 だからこそ否定もしきれないのが、また腹立たしい。

 

 とはいえ――もう痛いのはコリゴリだ。

 二度と味わいたくない。あんな経験一回だけで十分だ。

 

 そんな俺の心情などお構いなしに、姉ちゃんは何かを思いついたように手を叩いた。

 

「そうだ! 入学式の日は、私も部活休みで一日暇だし。学校までついていってあげようか?」

 

 ……え?

 

 突拍子もない提案に、思わず言葉を失う。大丈夫かな、それ。本当に。

 

 俺の不安をよそに、話はそのまま流れていき、気づけば時間だけが過ぎていった。

 結局、明確な答えは出ないまま。

 

 

 

 

 入学式前夜の越谷家。

 部屋の隅に置かれた鏡の前で、夏海はそわそわと身体を揺らしながら立っていた。

 

「サイズどう?」

「よくわかんないけど、丁度良いんじゃないかな?」

 

 鏡の中には、新しい制服に身を包んだ新中学一年生の夏海が映っている。

 まだ少し生地が硬く、動くたびにかすかな音を立てる。どう見ても“新品”だ。

 

 シャツの襟元をつまんで引っ張り、次はスカートの丈を確かめる。

 落ち着きなく鏡を覗き込むその様子に、小鞠は少し羨ましそうな声を漏らした。

 

「いいなぁ、新しい制服」

「ウチがもっと大きくなって、姉ちゃんがもっと背が伸びたらお下がりあげるよ」

「妹のお下がり!?」

「仕方ないじゃん、ウチの方が大きいんだから」

 

 胸を張る夏海に、小鞠はむっと唇を尖らせる。

 中学二年生の小鞠は、身長だけ見れば小学生と間違われかねない。

 この手の話題になると、どうしても立場が弱い。

 

「そういえば、れんちょんが入ってきたら、ウチに後輩が出来るって事だよね」

「そっか。れんげ、私の事先輩って呼んでくれるかな?」

「どうだろうねぇ……」

 

 期待に満ちた小鞠の声に、夏海は曖昧な返事を返すだけ。

 視線は鏡の中の自分に向いたままで、意識はどこか遠くに飛んでいる。

 

 ふと彼女は学校での、よしおとの話を思い出していた。

 

 胸の前で軽く手を握り、スカートの裾をつまんで、くるりと回ってみる。

 少しぎこちない動きに、自分でも照れたように姿勢を正した。

 

「よっくん、私の制服姿を見てどんな反応してくれるかな?」

 

 独り言のつもりだったのか、それとも誰かに聞いてほしかったのか。

 答えが出ないまま、夏海はもう一度、鏡を見つめる。

 

 小さい頃から家が隣で、気づけば一緒にいるのが当たり前だった幼馴染同士。

 お互い笑い合って、時に喧嘩して、呆れられたりして。

 それでも、いつの間にか横にいる存在だ。

 

 特別な意味なんて、たぶんない。

 ただ、新しい制服を着た自分を見て、少し驚いたり、変な顔をするかどうか。

 それが、ほんの少しだけ気になるだけ。

 

「うーん、とりあえず“かわいい”くらいは言ってくるんじゃないの?」

 

 小鞠はそう言いながらも、夏海の様子を見て、わずかに表情を曇らせた。

 以前、よしおの不用意な行動で恥ずかしい思いをしたことがある。

 悪気がなかったのは分かっている。それでも、あの日以来、視線には少し敏感になった。

 

「まぁ、最近姉ちゃんには、よく言ってるよね。ウチはあんま言われないけど……」

 

 夏海はそんな空気に気づかない。

 よしおの距離の近さも、だらしなさも、今までずっとそうだったから。

 良いとか悪いとか、考えたこともない。

 

 それでも。

 

 制服姿の自分を見て、慌てたり、目を逸らしたりする顔を想像すると、

 理由は分からないけれど、なんとなくおかしくて、少しだけ胸が落ち着かない。

 

 その気持ちに、夏海は名前をつけない。

 つける程の物でもないと思っている。

 

 ただ、明日の朝が、いつもより少し楽しみなだけ。

 

 そんな夜だった。

 

 

 

 

 入学式の朝の越谷家。

 玄関先には、よしおと姉のこのみが並んで立っていた。

 

「入らないの?」

「まだ心の準備がね……。なっちゃんはまだ寝てるかな?」

「寝てたら起こしてあげなくちゃね」

 

 夏海は昔から朝に弱い。

 目覚ましを止めては二度寝し、気づけば遅刻寸前――そんなことも珍しくなかった。

 分校に通っていた頃、このみが毎朝のように起こしに行っていた日々が、ふと胸に浮かぶ。

 

「よっくんは、すっかり一人で起きられるようになったみたいだね。えらいえらい」

「流石に姉ちゃんが朝練行ったら、家はオレ一人だけになるし、寝ていられないだろ……」

 

 もっとも、そのよしお自身も朝は弱い。

 かつては夏海と並んで眠そうな顔をして、このみの声に急かされていた側だった。

 二人分のそんな朝の光景を、このみはどこか懐かしそうに思い出していた。

 

 その視線をよそに、よしおは小さく息を整え、玄関のドアを開ける。

 ガラガラ、と少し大きな音が家の中に響いた。

 

「おはようございまーす!」

「なっちゃん、起きてる?」

 

「あ! よっくん! このちゃんも!」

 

 廊下の奥から、いつもと変わらない明るい声が返ってくる。

 そして姿を現したのは、分校の中学制服に身を包んだ夏海だった。

 

 よしおは、思わず息を止める。

 

 淡い色のベストに白いシャツ。

 胸元のリボンは少し歪んでいて、まだ着慣れていないのが一目で分かる。

 紺のスカートの折り目だけが、やけにきれいだった。

 

 夏海は両腕を後ろに回し、落ち着かない様子で立っている。

 昔から、緊張するとそうなる。

 

「……大きくなったな」

 

 それは変な意味じゃない。

 ただ、妹分が確かに一歩先へ進んだ――その事実を、受け止めただけだ。

 

 ――先ほどまで浮かべていた不安の色は、もうない。

 このみは、優しく声をかけるよしおの横顔を、穏やかな表情で見つめていた。

 

 一瞬の静けさを破ったのは、夏海の方だった。

 

「……なんか思ってた感じと違うな」

 

 首をかしげながら、少し不満そうに続ける。

 

「もっと、がっついてくる感じかと思ったのに……」

 

「は?」

 

 よしおは間の抜けた声を上げ、思わず眉をひそめた。

 

「オレをなんだと思ってんだよ……」

 

 夏海は悪びれた様子もなく、にやりと笑う。

 

「スケベ」

 

「ぶっ――くふふっ……」

 

 このみは耐えきれず、口元を押さえたまま吹き出した。

 

「お前な……」

 

 よしおは、ため息まじりに肩を落とす。

 さっきまでの感慨が、見事に霧散した瞬間だった。

 

 その後、小鞠と卓の待つ居間へ移動し、五人は揃って朝食を取る。

 このみはもう心配はいらないと、安心した様子で学校へ向かう四人を見送った。

 

 

 

 

 朝の学校。

 今日から晴れて、新小学一年生となった宮内れんげは、入学式用の正装に身を包んでいた。

 

 親から「車で送ろうか」と言われたが、それをきっぱりと断った。

 予行演習はもう済んでいる。今日は一人で行ける――そう言って家を出た。

 

 バスに揺られ、降車ボタンを押し、見慣れた停留所で降りる。

 れんげは足元に目を落とし、以前、自分が木の枝でつけた跡を見つける。

 

「道しるべ、消えそうなんな……」

 

 小さく呟きながら、そこを踏み越える。

 

 そこから先は、丘の上へと続く坂道だ。

 一歩ずつ登るたびに、胸の奥がそわそわと騒ぐ。

 

 校門が見えた、その先。

 校庭越しに見える校舎の入口に、見知った顔が並んでいた。

 

 越谷三兄妹に、富士宮よしお。

 在校生の四人が、揃ってれんげを待っている。

 

 れんげは表情を変えない。

 いつも通り、落ち着いた顔のままだ。

 けれど、抑えきれない気持ちが足を速める。

 

 気づけば、小さな身体は駆け出していた。

 

 四人の前に辿り着いた頃には、肩で息をしている。

 急に走ったせいだと分かっていても、胸の高鳴りは収まらない。

 

 小鞠がそっと近づき、視線を合わせて微笑んだ。

 

「おはようれんげ」

 

 その挨拶と同時に、小鞠はれんげの胸元に、ピンクの花飾りを留める。

 そこには「入学おめでとう」と書かれていた。

 

「これ何なん?」

「一年生がつけるお祝いの花だよ」

 

 れんげは少しだけ視線を落とし、花を見つめる。

 自分が「一年生」なのだと、ようやく実感が湧いてきた。

 

「行こう、れんちょん」

 

 夏海が声をかけ、自然な動きで背中を押す。

 れんげは一度だけうなずいて、校舎の中へと足を踏み出した。

 

 

 れんげは教室に足を踏み入れると、ゆっくりと周囲を見渡した。

 

 木の床は朝の光を受け、やわらかく艶を帯びている。

 窓から差し込む低い日差しが、紙で作られた花飾りや色とりどりの輪飾りを、そっと照らしていた。

 風に揺れるはずもないそれらが、なぜか楽しそうに見える。

 

 黒板いっぱいに描かれた文字。

 

 「入学おめでとう」

 

 チョークの線は少し不揃いで、花や小さな絵が添えられている。

 誰かが一生懸命に描いたのだと、ひと目で分かった。

 

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 ここが、今日から自分の場所なのだ。

 

 そう思うと、れんげは少しだけ背筋を伸ばした。

 

「ほら、れんげの席だよ! 座って座って!」

 

 小鞠に案内され、教室の中でもひときわ小さな机に腰を下ろす。

 座ったばかりの自分の席から、れんげはもう一度黒板を見上げた。

 これから始まる授業のことを思い、胸の奥が小さく膨らむ。

 

「そろそろ入学式、始めるよ」

 

 教室のドアが開き、担任の宮内一穂が声をかけた。

 入学式ということもあり、いつもよりきちんとした服装で、ほんのりと化粧もしている。

 

 その声に促され、生徒たちは教室を出る。

 自分たちの教室とは別の、職員室の隣にある入学式会場へと向かっていった。

 

 入学式が行われる教室には、すでに保護者たちが静かに腰を下ろしていた。

 新中学一年生となる越谷夏海の母、雪子。

 そして、新小学一年生になる宮内れんげの両親。

 後方の席に並ぶその姿からは、誇らしさと、ほんの少しの緊張が伝わってくる。

 

 在校生の三人は軽く会釈をして挨拶を済ませると、所定の位置についた。

 

 やがて、拍手が起こる。

 

 その音に迎えられながら、新入生である夏海とれんげが、並んで教室へと入ってきた。

 わずかな足音が床に響くたび、式場の空気が少しずつ引き締まっていく。

 

「一年生。宮内れんげさん」

「はい!」

 

 一穂に名を呼ばれ、れんげは少し背伸びをするようにして、元気よく返事をした。

 その声は、小さな体からは意外なほどはっきりとしていて、教室の隅々まで届く。

 

 そして――校歌斉唱。

 

 誰かが歌い出すと、それに続くように声が重なっていった。

 まだ覚えたての旋律。

 少し不揃いな音程。

 それでも、一つひとつの声はまっすぐで、教室の中にやさしく広がっていく。

 

 窓から差し込む春の光が、歌う子どもたちの横顔を照らす。

 保護者席からは、静かに見守る視線が注がれていた。

 

 ――旭丘分校校歌。

 

 歌声は決して大きくはない。

 けれど、山に囲まれたこの小さな学び舎には、十分すぎるほどだった。

 

 こうして、れんげの学校生活は、確かにこの瞬間から始まったのだった。

 

 

 

 その頃――。

 

 一人の少女が、引っ越し先となる家の前に立ち、じっと建物を見上げていた。

 

「蛍! ちょっと手伝って!」

「あ、はーい!」

 

 家の中から聞こえてきた母親の声に応え、少女は振り返る。

 そして小さく息を整えると、家の中へと駆けていった。

 

 一条蛍(いちじょうほたる)

 彼女は数日後、旭丘分校の新しい仲間になった。

 彼女の転入により、物語は更に動き出す事になる。

 




後半は、ほぼアニメ沿いの内容だけど、過去最高に文章にするのにエネルギーを使いました。
「りぴーと」の第一話としてカットしたくなかったから仕方ない。
旭丘分校の校歌を聞きながら余韻に浸って貰えたら幸いです。
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