のんのんびより ― ある田舎男子の日常 ― 【ばけーしょん編更新中】 作:NIZI
アニメ二期 第二話の前編となります。
黒板の前に立った少女は、チョークで自分の名前を書き終えると、背筋を伸ばしてぺこりと頭を下げた。
「初めまして……、
その瞬間、教室内の空気に、いつもの騒がしさが戻る。
「凄い! 東京から!?」
「"ほたる"って読むんだ」
「初めて見たん」
口々に飛ぶ声。
東京という単語だけで、在校生達のテンションは一段階上がっていた。
「何年生?」
「あ、小五です……」
「下!? 私より年下!?」
「小五には見えないなぁ」
蛍の返答に、小鞠は思わず声を裏返す。
夏海は腕を組み、改めて蛍の全身をじっと眺めた。
「で、前の学校で何かやらかしたの?」
「いえ、父の仕事の都合で……」
「なんだ、普通だね」
拍子抜けしたように言いながらも、夏海はにっと笑った。
どうやら悪い意味ではなく、純粋に安心したらしい。
そんな女子達のやり取りの横で、男子二人は妙に静かだった。
卓は相変わらずの無口で、状況を観察しているのか、単純に興味がないのか分からない顔をしている。
そして、よしおはというと。
――デカっ。
心の中で、まずそれが浮かんだ。
可愛いとか綺麗とか、そういう感想にたどり着く前に、彼女の物理的な存在感が強すぎた。
身長、肩幅、全体的なバランス。
彼の中の「小学生」という単語が、脳内で渋滞を起こしている。
――小五? 小五って、こんな完成してたっけ……?
混乱のあまり声も出ない。
よしおは固まったまま、蛍に質問攻めをしている中二の小鞠と中一の夏海――その姉妹が小五だった頃の記憶を必死に思い出し、目の前の現実とすり合わせていた。
その末に――。
――東京って凄ぇ……。
ひとまず、そんな結論に落ち着いた。
そんな中、教室で一番小さな影が、そっと席を立つ。
小一のれんげだった。
「にゃんぱすー」
「え……? にゃ……」
突然投げられた謎の言葉に、蛍の思考は停止する。
目を瞬かせたまま困惑する蛍の前で、在校生たちは誰一人として驚くこともなく、いつもの教室と同じ空気で過ごしていた。
全校生徒五人だった旭丘分校に、六人目の新しい仲間が加わったのだった。
蛍が転入してきてから、まだ間もない休み時間のある日。
教卓の周囲には、よしお、小鞠、夏海、れんげの四人が陣取っていた。
「よっしゃあ! よっくん討ち取ったり!」
「ああ! そんな!」
床に落ちたよしおの定規を見て、夏海はガッツポーズ。対するよしおは、思わず頭を抱えて驚愕の表情を浮かべる。
その様子を少し離れた机から、蛍がノートを広げたまま、ちらちらと盗み見ていた。
定規を拾おうと、しゃがんだよしおは、その落ち着かない視線に気づく。
「蛍ちゃんもやろうよ、定規落とし」
無意識に、そんな言葉が口をついて出た。
「定規落とし、何ですかそれ……?」
「定規でやるゲームさ。……頼む! オレのカタキをうってくれ!」
「その……、どんなゲームか全く知らないんですが、それでも良ければ……」
「オッケーオッケー! 定規とペンを持ってきて!」
蛍は少し戸惑いながらも、シャーペンと三角定規を取り出し、教卓へと近づいていく。
「ようこそほたるん! じゃあ、やりながら説明するね」
「ウチも! なっつんの家でやったから説明するのん!」
夏海が身を乗り出し、れんげも負けじと張り切る。
定規落とし。
定規をペンで弾き、相手の定規を机から落とせば勝ちという、シンプルながら奥の深い遊びだ。
「じゃあまず、ほたるんからやって良いよ」
「わかりました。……えい!」
そして蛍が弾いた三角定規は、れんげの定規の上に乗った。
「あ、すいません! 上に乗っちゃいました……」
「いや、それでいいんだよ。相手の定規を抑え込んだ場合。相手が三回弾いて脱出できなかったら、相手の負けになる」
れんげの定規を押さえ込む形になったことで、形勢は蛍有利に見えた。
「そうなんですね、良かった……」
「ふっふっふ……、ほたるん、まだ勝ったつもりになるのは早いん!」
ほっと息をつく蛍。しかし、れんげは不敵に笑う。
「よく見てみるん! この定規の位置で何か気が付かないのん?」
「定規の位置……? えっと、あ、メモリの板が薄い部分が下になってるって事?」
「そうなのん! それが何を意味してるか! 今見せてあげるのん!」
れんげは、鉛筆の背を定規のメモリ部分に――ドスン、と叩きつけた。
重なっていた二本の定規は宙を舞い、教卓の上へと散らばる。
「"滝登り"出たぁ!」
「え? "滝登り"!?」
「説明しよう! "滝登り"とは、定規の薄い部分にペンを叩きつける事によってジャンプさせる技! 数年前にひか姉が命名した!」
「あ、技の名前なんですね……」
蛍と場所を入れ替わって、外野に回ってるよしおが、バトル漫画の解説役のように声を張る。
「これで押さえ込みから逃げたり、逆に押さえ込みに持って行けたりするん!」
「だが、その技は定規の寿命と引き換えの諸刃の剣! 何度も使うのは、控えた方がいいぞ! オレの先代も"滝登り"の代償でお陀仏になった!」
そう言って、ヒビの入った定規を掲げる。尚彼の定規は、すでに三代目である。
「次は私の番だね」
小鞠が定規を弾く。れんげの定規に当たり、今にも落ちそうな位置で止まった。
「あ、惜しい! れんちょん、これ"ツバメ返し"しかないわ」
「わかってるのん! "ツバメ返し"するん!」
「あの……、"ツバメ返し"って?」
「"ツバメ返し"は定規の一部分が机からハミ出た時、ペンに乗せて押さえ込みに持っていく技なん」
れんげは説明しながら定規の端を鉛筆に乗せ、器用に押し上げる。
「こうやって……、こうするのん」
そのまま、れんげの定規は倒れて小鞠の定規の上へと乗っかった。
「反撃なのーん!」
だが――。
「それ! 脱出できたよ!」
小鞠は、すぐに押さえ込みから抜け出した。
「あ、こまちゃん倒せなかったのん……」
「こら! こまちゃんって言うな!」
「こまちゃんって呼ばれてるんですか? 先輩……」
「先輩……! 先輩って呼んでもらえた! 夏海もれんげも先輩扱いしないから何だか新鮮!」
蛍の一言で、小鞠の顔がぱっと明るくなる。
「私も新鮮です! 中学生の先輩が同じ教室にいるのって!」
蛍もまた、純粋にこの時間を楽しんでいた。
「ふっふっふ……、おふたりさん! 楽しそうな所悪いけど、実はウチ、今日の為に定規をカスタムしていましてね!」
談笑していた小鞠と蛍の前に、夏海が得意満面の表情で割って入る。
まるで秘密兵器を披露するかのような態度だった。
「定規の両面に蝋を塗ってきた! これで摩擦力が減り! より高度な弾き込みが可能!」
「何!? 最初の一撃。何となく違和感があったが、そういう事だったか……!」
夏海の宣言に冒頭で真っ先に倒されたよしおが、外野から大げさに反応する。
「さて、姉ちゃん辺り脱落させようかな?」
「マズいですよ、先輩!」
「で、でも! 滑りやすいって事は自滅もしやすいって事だし大丈夫!」
小鞠は明らかに動揺しながらも、必死に自分に言い聞かせるように言う。しかし夏海は気にも留めない。
「そう言ってられるのも今の内だぜぇ! それじゃあ姉ちゃん! 覚悟!」
気合と共に弾かれた夏海の定規は、小鞠の定規へと一直線――
……しかし。
ツルリ、と音が聞こえそうなほど滑らかに、定規はその真上を通過し、勢い余って教卓の端へと飛んでいった。
「あっぶなぁ、上通過しちゃった! 蝋を塗り過ぎたか……?」
教卓の縁で止まった自分の定規を見て、夏海は首をかしげる。
「ほら言ったじゃん。そんなの塗ったら自滅するって!」
一人勝手に改造してきた罰だね! と、小鞠は胸を張る。さっきまでの不安は、どこかへ消えていた。
「蛍、そのまま夏海の定規落としちゃいなよ」
小鞠に背中を押され、蛍は一瞬だけ視線を定規に落とす。
「あ、はい!」
そして小さく息を吸い、集中。
「よーし、ここから私の快進撃始めちゃおうかな? れんげも覚悟しときなよ!」
「えい! あっ……」
「次に私の番が来たら、さっきの"ツバメ返し"のお返しするからね♪」
小鞠が勢いよく宣言している、その最中。
蛍の定規が、一直線に――小鞠の定規へとクリーンヒットした。
乾いた音と共に、小鞠の定規は教卓の上を滑り、そのまま床へと落ちていく。
「じゃあ私の番♪ ……あれ? 私の定規は?」
「すいません! 手元が狂って!」
「会心の一撃だったな……。初めてで、ここまでの威力を出せるなんて凄すぎる……」
自分の定規が消えた教卓を見つめ、小鞠はしばらく呆然と立ち尽くす。
蛍は申し訳なさそうに頭を下げ、
よしおは後方で腕を組み、感心したように唸っていた。
夏海はふと視線を教室の後方へ向け、窓際の席に座る卓に声をかけた。
「兄ちゃんもやる? 定規落とし」
卓は一瞬だけ眼鏡越しにこちらを見返すと、静かに立ち上がり、皆が集まる教卓へと歩き出す。
「姉ちゃん脱落しちゃったし、その場所からで良いよ ちゃちゃっと始めてね!」
夏海の言葉に促され、卓は教卓の端に立つ。
「卓、見せてやれ。匠の技ってやつを!」
よしおが卓の側でフッと息を吐くように耳打ちする。
卓は無言のまま、しかし確かな意思を込めてコクリと頷いた。
そして深く息を吸い、気合を入れた表情で――定規を弾いた。
――ゴッカッカンッ!!!
乾いた衝突音が立て続けに響く。
卓の定規は、まるでピンボールの球のように跳ね回り、三人の定規を次々と弾き飛ばしていった。
「なっ! 一回の行動で三人同時に攻撃をしてきた!? やべぇ! 兄ちゃん強い!」
「どうだ! もはや勝負ですらない! 一方的な蹂躙劇のスタートだ!」
「なんでよっくんが得意気になってんの!?」
見なよ、オレの卓を! と言わんばかりによしおは高笑いする。
小鞠が即座にツッコミを入れる中、当の卓は無言で眼鏡をクイッと直すだけだった。
「れんちょん! これ、みんなで力を合わせないと勝てないぞ! 次の攻撃で落としに行っちゃえ!」
「わ、わかったのん……!」
れんげは夏海の声掛けで小さく気合を入れ、全力で定規を弾く。
「よっしゃ、れんちょん! 兄ちゃんの定規を落とした!」
卓の定規は宙を舞い、そのまま床に落ちる――かと思われた、その瞬間。
ブンッ! カツンッ――
卓は飛び上がるように動き、空中の自分の定規へと正確にペンを振り当て、教卓の上へ弾き返した。
「し……、"白刃取り"だぁぁっ!!」
「"白刃取り"!?」
「落とされても、床に落ちる前にペンで弾き返して、机まで戻せばセーフになる技なん……!」
「口で言うほど簡単じゃないぞ! ポイント、位置取り、タイミング。全てが揃わなきゃ成功しない超上級技だ!」
「……というかお兄ちゃん。いつの間にそっちに移動したの!?」
誰一人、卓の動きを追い切れていなかった。
気づけば卓は、完全に場を支配している。
「くっ……、とりあえず、真ん中に戻して安全を確保しないと……」
全員が慎重に定規を動かし、脱落を避けようとするが――
「うおっ! 危なっ!」
卓の次の強烈な一打で、夏海の定規が中央から一気に弾かれ、教卓の端、脱落寸前の位置へ追い込まれる。
「ああくそ……、せっかく安全地帯まで戻したのに……」
肩を落とす夏海に、れんげが意を決したように声をかけた。
「なっつん! ウチ、兄にぃに勝つ為に、なっつんに全てを託して賭けに出るん!」
「どういうこと……?」
「それは……、見てれば分かるのん!」
れんげは鉛筆を叩きつける。
弾かれた定規は宙を舞い、カランと音を立てて、夏海の定規の上へと落ちた。
「ここで"滝登り"だと……? 一体何が狙いだ……?」
「でも夏海の定規の上に乗っちゃったじゃん……。もしかして失敗?」
すでに脱落しているよしおと小鞠は首をかしげる。
だが、れんげは少しも動揺していない。狙い通り――そんな表情だった。
「……そうか! わかったぜ! れんちょん!」
少し考え込んでいた夏海が、ハッと顔を上げる。
「このまま、れんちょんの定規を乗せたまま"ツバメ返し"をしてっと……よし!」
夏海はれんげの定規を乗せたまま、自分の定規の端にペンをかけ、持ち上げる。
二本分の定規が、そのまま卓の定規の上へ――協力して押さえ込む形となった。
だが卓は、涼しい顔のまま定規を強く弾き、一発で押さえ込みから脱出する。
「あ! せっかく二つ重ねたのに、すぐ脱出されちゃったじゃん……」
「だが二つ分の定規から脱出するために相当強く弾く事を強いられた……。今ので卓の定規の位置は一気に危険地帯へと誘導されたぞ……」
もはや実況と解説に徹する外野の二人。
「よし、次はウチの番……。慎重に打って位置を合わせる……」
夏海は軽く定規を弾き、卓の定規のすぐ側へと移動する。
「え? 何で落としに行かないの?」
「見な、既に卓は"白刃取り"の構えをしている……。これじゃ落とせない……」
今ここで仕掛けても、結果は同じ。
夏海は、勝負を託す相手へと視線を向ける。
「今だほたるん! そこから思いっきり強く打って、ウチらの定規ごと、兄ちゃんの定規を落とすんだ!」
「えっ? 良いんですか!?」
「それしか兄ちゃんに勝てる方法は無い!」
「よ、よーし……!」
蛍は深呼吸し、全身に力を込める。
その場にいる全員が、自然と息を呑んだ。
「……えいっ!!」
全力の一撃。
蛍の定規は、まず夏海の定規を弾き飛ばす。
「あ! 夏海の定規がお兄ちゃんの定規の上を滑って場外に!?」
「そうか! なっちゃんの定規には、蝋が塗ってある!!」
「その通り! 兄ちゃんが高速で飛び出したウチの定規に気を取られてる間に……、れんちょんの定規が、兄ちゃんの定規諸共に自爆!!」
卓は一瞬、横を通過する夏海の定規に視線を奪われる。
白刃取りのタイミングが、ほんのわずかに遅れた。
すぐに気づいて自分の定規を見るが、そこにはれんげの定規が重なっている。
ポイントが、見えない。
「これが! 三人で力を合わせた! "白刃取り封じ"だ!!」
――カランッ!!
ついに、卓の定規が床に落ちた。
「い……、いよっしゃぁ!! 力を合わせて兄ちゃんに勝ったぁ!!」
卓とよしおを除く女子全員が、バンザーイと声を上げる。
「いやぁ、どうだった? ほたるん! 定規落とし!」
「面白かったです! もう一回やりませんか!? 次は自分一人でどこまでやれるか挑戦してみたいです!」
「ふふ……、よーし! もう一回戦行くぞー!」
「「「おー!!!」」」
再び教卓を囲む女子達。
「次は一番取るのん!」
「今度は負けないからね!」
「がんばろうね!」
「フフン、ウチの本領はここから!」
「卓……、蛍ちゃん、もう打ち解けてるよ。良かったな……」
よしおは、楽しそうに輪の中に溶け込む蛍を見て、穏やかな表情で呟く。
卓もまた、負けはしたが満足そうな顔で自分の席へ戻っていく。
二人は後方保護者面で、女子達が楽しく遊ぶ光景を見守っていた。
「君達……、休み時間、とっくに終わってるんだけど……」
教室の入口付近から、ゆったりとした声が響く。
一穂は教卓に集まる生徒達と、床に落ちた定規を一度だけ見渡すと、軽く苦笑いを浮かべたのであった。
定規落としで何気なく検索したら、アプリにもなっててビビった。
追伸
ks-3700様、誤字報告ありがとうございます。