のんのんびより ― ある田舎男子の日常 ― 【ばけーしょん編更新中】 作:NIZI
書いてて楽しかった。
駄菓子屋回としてよしおの過去も少し挿入。
田んぼの真ん中を、まっすぐ一本の道が伸びていた。
朝の光が水面に反射してきらきらと揺れる。
遠くの家から、風鈴の音がかすかに届く。
――今日もこの村は、特別なことなんて起こりそうにない。
「……田舎は娯楽が少ないからなぁ……」
富士宮よしお、十五歳。旭丘分校に通う中学三年生。最近“思春期”という言葉にやたら反応してしまう。どこにでもいる男の子である。
今は駄菓子屋の店先で、うまい棒をかじりながらぶつぶつと不満を漏らしていた。
「何度聞いても意味が分からんなあ。娯楽がないからって、なんでウチに来るんだ?」
店内から、雑誌を片手に気怠そうな声が降ってくる。
加賀山楓、二十歳。祖母から受け継いだこの駄菓子屋を一人で切り盛りしている。よしおの五学年上の先輩だ。
「いやぁ、この店はオレの青春スポットだからね」
「前は“ここが俺の初恋の墓場だ”って言ってただろうが」
「過去を清算しに来てんの。大人になるために」
「……お前、清算って言葉の意味わかってんのか?」
楓がじとっとした目で見てくる。よしおは肩をすくめて苦笑いするしかなかった。
――小学二年の夏、初めて楓を“女の人”として見てしまった、あの瞬間。多分あれがすべての始まりだったのだ。
「ま、昔の話だ。オレも成長してるのさ」
「そうか。じゃあこれ、運べ」
「結局、肉体労働かよ……」
「成長したなら言われなくても動け」
よしおがため息をつきながら段ボールを抱えた、その時――
「おーっす、よっくん。何? また駄菓子屋で扱き使われてんの?」
弾丸のような声とともに、越谷夏海が勢いよく駆け寄ってくる。
元気がそのまま二足歩行になったような中学一年生で、よしおの幼馴染だ。
「働かされてるんじゃない。自分から奉仕してるの」
「嘘つけー、絶対シメられたでしょ!」
「違う。まぁ、拳骨をちょっとな……」
「意味同じじゃん」
夏海がケラケラ笑い、楓は「よしおの教育は力仕事だ」と平然と言い放つ。
田舎の春らしい、湿った空気。
田んぼの向こうでは、カエルの合唱が力強く響いていた。
どこまでも広がる空は、今日もやけに高い。
――相変わらず、退屈で、でもちょっとだけ楽しい朝だった。
春の気配が、まだ部屋の空気に淡く溶け込む午後の昼下がり。休日の部屋には、カチ、カチと時計の針の音だけが静かに響いていた。
薄く開いた窓から吹き込む風が、カーテンをそっと揺らす。外では遅咲きの桜が、翼のようにひらりと舞い落ちていた。
一条蛍は机に向かい、手のひらの上で飴玉を転がしていた。
大好きな先輩——越谷小鞠からもらった宝物のような飴だ。頬は、自然と緩む。
そのとき——
「蛍ー、友達から電話よ」
友達? 誰だろう? 彼女は首をかしげながら、受話器を取った。
「はい、蛍です……」
『あ、もしもし蛍? 私、小鞠だけど』
「せっ、先輩っ!? な、何か御用でしょうか!?」
慌てて姿勢を正す蛍。受話器の向こうで、小さな笑い声が聞こえた。
『たいした用じゃないんだけどね。今、近くにいるから……一緒に遊べたらって思って。どうかな?』
「遊べます!すごく、はい、遊べます!!」
『よかった。じゃあ近くの電話ボックスで待ってるね。後でね』
通話が途切れた瞬間、蛍の胸で喜びが弾けた。
「先輩とお出かけ……二人で遊ぶって……つまりデート……!」
甘い想像が一気に広がり、現実に戻った瞬間、顔が真っ赤になる。
「ど、どうしよう!!」
今の蛍は完全なる休日スタイル。髪はぼさぼさ、唇も乾いて、服に至っては言うまでもない。
「ママー! 綺麗な服! 大人っぽいの何か無い!?」
半泣きで叫ぶ蛍に、母親は笑顔で手を貸した。——デート(と蛍は固く信じている)へ向け、急ピッチの支度が始まった。
日差しを避けるため、越谷小鞠は電話ボックス横の日陰で蛍を待っていた。
「全く……夏海もれんげも……せっかく大人っぽいワンピース買ったのに、全然興味示さないし……。二人とも、ほんとダメダメだ……」
最近おしゃれに目覚めた小鞠は、友人たちの反応の薄さに肩を落とす。
ちなみに、よしおは何を着ても「可愛い」しか言わないため早々に論外だ。
「すみませーん。お待たせしました!」
小鞠は呼びかけられて顔を上げると、道の向こうから一人の女性が息を切らしながら駆けてくるのが見えた。
淡いグレーのカーディガンは袖を肘までまくり、胸元には落ち着いた赤のリボンタイ。薄緑色のティアードスカートが風に揺れ、足元で涼やかに広がる。ワインレッドの眼鏡の奥の瞳が、小鞠の前で立ち止まり、申し訳なさそうに笑った。
「はぁ……はぁ……それじゃあ、どこへ……あれ?」
小鞠は言葉を失った。目の前の女性が、こちらを心配そうに覗き込む。
「どうかしましたか……?」
(だ、誰……!? すっごい綺麗なお姉さんなんだけど!?)
「あの〜、私、この村のことあまり知らなくて……。案内してもらえたら嬉しいんですけど……」
「えっ、えぇっと……もしかして、他の街から来たんですか?」
「はい、東京からです……」
小鞠は納得した。東京から来たから道に迷っているのだろう、と。
「その……行ってみたい場所とか、ありますか?」
「あの……駄菓子屋さんに行きたいんですけど……」
「駄菓子屋!? 東京から来て、わざわざ!?」
「だ、ダメですか……?」
今にも泣き出しそうな顔に、小鞠は慌てて手を振った。
「だ、ダメじゃないです! 全然!」
「よかった〜。じゃあ、行きましょうっ!」
キラキラした笑顔で差し出される手。
気圧された小鞠は、断るタイミングを失ってしまった。
(あ……蛍を待たなきゃいけないのに……)
そう思いながらも、流れに押し流されるように後をついていく。
「先輩と駄菓子屋〜♩ 先輩と駄菓子屋〜♩」
上機嫌にスキップする女性。
なお、彼女は——小鞠と遊ぶと聞いて気合を入れ、全力で大人っぽく装った 一条蛍*1である。
だが、小鞠はその事実に全く気付いていなかった。
七年前。黒歴史の一幕――――――――――――
富士宮よしお八歳。小学二年生。
夏の終わりの休日、駄菓子屋の前。
分校中学の制服姿で玄関掃除をしている加賀山楓の姿に、彼の心は大きく揺れた。
「…………見えそう!」
その光景に胸がドキドキして、息が苦しくなった。
好奇心に駆られ、よしおはそっと近づく。
子ども心に"恋"や"性欲"という概念を理解しきれず
ただ衝動に任せて行動した。
――バサッ。
――スカートが舞う。
――そして、沈黙。
「…………何してんだコラァ!」
次の瞬間、楓の拳が見事によしおの頭に落ちる。
よしおにとって、初めて味わう痛みと驚きが“恋”の始まりを告げた。
性の目覚めとも言う。
後日、よしお少年は、たどたどしく語った。
「痛かったけど、目の前の楓ちゃんの姿がね……なんか、頭の中が"好き"ってなったんだよ……」
楓は再び、この悪ガキの頭を叩いたそうだ。
――――――――――――――――――――
駄菓子屋での手伝いに勤しんでいたよしおは、店の外に近づいてくる二つの人影に気付いた。
ひとりは、毎日のように顔を合わせる幼馴染――夏海の姉、越谷小鞠。
そしてもう一人は、この静かな村では、まず見かけない洗練された服装の、よしおから見て初対面の“綺麗なお姉さん”だった。
「ここが……駄菓子屋さん……」
鈴の音のように澄んだ声。
その瞬間、よしおの胸が高鳴った。
(……かわいい……)
「よっくん! ちょうど良かった! 助けて!」
小鞠に呼びかけられ、よしおは慌てて現実に戻る。
「あっ、いらっしゃいませ……(小鞠ちゃん、この綺麗な人は誰……?)」
営業スマイルのまま小鞠に近づき、小声で話しかける――が。
「お仕事、お疲れ様です」
「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」
お姉さんの丁寧な社交辞令に反射的に返事をしてしまい、肝心の質問はスルーされてしまった。
もちろんこの“綺麗なお姉さん”の正体は、全力で大人っぽく装ったクラスメイト――
一条蛍*2なのだが、よしおも小鞠も全く気付いていない。
「わぁ……お菓子がいっぱい……」
都会では見かけない駄菓子屋の雰囲気に、蛍はゆっくり店内を見渡して目を輝かせた。
「あれ?姉ちゃん? 今日は、ウチらとは遊ばないって言ってたのに、結局同じ場所来ちゃったんだ?」
蛍に連れられて店に入った小鞠を見て、夏海がニヤニヤしながら言う。
小鞠は頬を赤くし、そっぽを向いた。
「う、うるさいな……」
「ご、ごめんなさい……。私が駄菓子屋に行きたいって言っちゃって……」
本当に申し訳なさそうに頭を下げる蛍。
「あ、いえいえ全然! こんな姉ですが、どうぞご自由にお使いください」
「誰が"こんな"だ!」
「お前ら、バカ話は外でやれ。初見のお客さんが困ってるだろ」
姉妹の取っ組み合いのような掛け合いを、店主・楓が容赦なく止めた。
「「あぅ……」」
二人が肩を落とす。蛍も心配そうにその背中を見る。
「さ、気を取り直して。どうぞ、ごゆっくり見てください」
そんな空気を変えるように、臨時店員のよしおが明るく声を張った。
「あ、はい、ありがとうございます」
蛍は店内を見渡して、窓際のかき氷の幟に気づいた。
「かき氷って、ありますか?」
よしおがもちろん。と頷くと、蛍は迷いなく注文する。
「じゃあ……宇治抹茶金時を四つください」
宇治抹茶金時味 七〇〇円!四つで 二八〇〇円!高い!しかし――
「えっと……支払いはこれで」
「まいどー」
差し出されたのは、輝く一万円札。楓は笑顔で受け取り、お釣りを用意する。
その光景に、居合わせた全員が固まった。
(((これが噂に聞く……大人買い……!)))
三人の心がひとつになった瞬間である。
(――お年玉貯金してて良かった♪)
蛍は心の中でガッツポーズを決めた。
「いやぁ、悪いですなぁ。 ウチらまでご馳走になって♪」
胸を張って満面の笑みを浮かべる夏海。
「なっちゃん、お礼はちゃんと言わないと……。すみません、本当に……。持ち合わせがあったら、ボクが払うべきところなのに……」
恐縮しきりのよしお。普段は軽薄だが根はとても真面目である。
「いえいえ、 いつもお世話になっていますから。これくらいさせてください」
柔らかな笑顔でそう言う"お姉さん"。その笑顔が、よしおの胸に突き刺さった。
(て……天使だ……!)
もちろん、この"お姉さん"の正体に、よしおは未だに気付いていない。
「いつもお世話に」など初対面ではおかしいが――大人特有の社交辞令だと思い込み、違和感ごと飲み込んでしまった。
(く、苦っ……!)
小鞠は抹茶のかき氷にスプーンを入れながら内心で呻いていた。
(先輩と一緒だから、つい見栄張って苦いの選んじゃったけど……
先輩と一緒なら……苦いのも……おいしい!)
隣で蛍は、宝物でも抱いているかのように満面の笑みでかき氷を食べていた。
「しっかし、ほんと苦いなコレ……」
空気を読まない夏海が、素直すぎる感想を放つ。
「ちょっと夏海! 奢ってもらっておいて失礼でしょう!」
「い、いえ、私が勝手に選んだんですから……」
慌てて笑顔でフォローする蛍。しかし甘党には厳しい顔色は隠せない。
そこで――
「(むむむ……)――そうだ!」
よしおが突然立ち上がった。
「楓ちゃん、ちょっとここ開けるよ」
駄菓子屋の奥へ消え、ガサゴソと物色する音。
しばらくして、得意げな表情で戻ってきた。
「じゃじゃーん! 練乳~~!」
掲げられたのは、白く輝く練乳チューブ。
「これをかければ、たちどころに甘くなる!」
勢いよくかけると――
「あっ、おいしいです!」
「緑茶にまんじゅうみたい。相性良い!」
「よっくん気が利くなー」
一気に場の空気が華やぐ。
そんな中、静かに駄菓子屋の店主・楓が笑顔でよしおの前に現れた。
「あ、楓ちゃん!どう!? 見直してくれた!?」
期待に満ちた瞳。
楓はゆっくりと手を差し出す。
「ーー練乳代。四人で四〇〇円」
よしおの笑顔がピキッと固まる。
震える拳を握りしめ、絞り出す。
「……バイト代から引いといて!」
「そんなものはない」
即答だった。容赦など存在しない。風のような冷徹さ。
店内には、風鈴の音だけが涼しく響いた――。
夕方の帰り道。
西日が田んぼの畦道を金色に染め、四人の影が長く伸びていく。風に揺れる麦の香りが、ふわりと鼻先をかすめた。
「のどかで……良いですね」
蛍が、照れくさそうに微笑む。
「私、東京にしか住んだ事なかったから……。こっちに来るときは、凄く不安だったんです。……でも、いいところですね。」
そっと景色を見渡して、言葉を続けた。
三人は、自然と歩く速度を緩めた。夕暮れと一緒に、胸の奥まで静かな温度が満ちてくる。
——その空気が、よしおには、こそばゆかった。
「お、オレも……ここは、東京に比べたら不便で、何もないかもですけど!」
深く息を吸い込んで、真正面から言う。
「オレ、この村が大好きです! だから、その……あなたにも、好きになってもらえたら嬉しいなって……!」
普段の軽口とはまるで違う、まっすぐな声。蛍はぱっと花が咲くように笑った。
「はい!」
その瞬間、小鞠と夏海は同時によしおの顔を凝視した。
(だ、誰だコイツ!?)
(よっくんが……かっこいい……だと……!?)
心の中に走る衝撃で、二人の頭の中に雷が落ちた。
——そして数歩後ろで、夏海が小さくつぶやく。
「姉ちゃん……わらべ歌に出てくる、別人取り替えっ子の妖怪って……」
「それ以上言わないでッ!」
夕暮れの道に、麦の波と二人の悲鳴が揺れた。
「今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。今日は楽しかったです」
小鞠が最初に出会った公衆電話の前で、静かに頭を下げ合う。
去っていくお姉さんを眺める一同。
三人は無意識にお辞儀をしていた。
涙は流さなかったが無言の真心があった。
奇妙な友情があった。
「かかかか、かっこいい~~っ!!」
小鞠は爆発したように叫んだ。他の二人は、そのリアクションに苦笑いするが、彼らもまた似たような想いであった。
結局三人とも、“お姉さん”の正体には最後まで気づく事は無かった。
夜の越谷家。
卓とこのみも交えての五人での賑やかな会合。
みんなでテーブルのぶどうをつまみながら、今日の出来事を語り合う。
「って事があったんだ」
よしおが誇らしげに語る。
「私も、あんな大人のお姉さんになりたいな」
胸を張る小鞠。
「いや~かき氷美味かった」
夏海は安定の感想。
「で?結局その人って誰だったの?」
「「「名前は聞きそびれた!」」」
このみはあっけらかんとする三人にジト目を向けた。卓はやれやれと言った表情を浮かべる。
「名前を聞くなんて不粋だよ、姉ちゃん」
よしおは思春期特有の謎のプライドを燃やしながら言った。
小鞠は会話中突然ハッとなって立ち上がる。
「あっ――蛍!」
今日、蛍と遊ぶ約束をすっぽかしていたのを思い出したのだった。
夜の一条家
帰宅した蛍は、上機嫌で針と糸を動かしながら鼻歌を歌っていた。
今日の出来事を思い返して、自然と頬が緩む。
「蛍、電話ー」
「はーい」
受話器から、爆音。
『蛍!今日はほんっっっとうにゴメン!!』
「……はい??」
状況を理解できず、蛍の頭上に巨大なクエスチョンマークが浮かんだ。
かき氷700円。放送当時(12年前)は高っ!?と思ったけど
今見たら何も違和感を感じなかった。物価上昇コワイ……。