【アニメ第三期編開始】のんのんびより ― ある田舎男子の日常 ―   作:NIZI

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お待たせしました。遂にあかねちゃんの登場です。


第2話 姉の後輩と出会った

 私の名前は篠田あかね。

 

 私は昔から、家にあったフルートをなんとなく吹いていた。今年になって高校に入学した私は思い切って吹奏楽部へ入部した。ずっと憧れていた場所だったから。

 

 そして入部して間もない放課後の音楽室。

 

 窓の外では夕日が校庭を赤く染めている。部員達はとっくに帰り、広い音楽室には私一人だけが残っていた。

 

 静かな部屋に響くのは、自分のフルートの音だけ。

 

「駄目だ、上手く音が出ない……」

 

 思わずため息が漏れる。家で一人で吹いている時は、もう少しまともに吹けるのに、人前に立った瞬間に頭が真っ白になっちゃう。指も思うように動かなくなって、音まで震えちゃう。

 

 やっぱり私みたいな人見知りには、吹奏楽なんて無理だったのかな……。そんな考えが胸をよぎる。

 

「って弱気になっちゃいけない! とにかくもっと練習しなくちゃ!」

 

 慌てて首を振った。せっかく憧れて入った部活だ。ここで諦めたくない。私は気合いを入れ直して再びフルートを構える。けれど思いとは裏腹に、音は思うようについてきてくれなかった。

 

 

「あれ? まだ練習してたの? もう時間だから閉めるよ」

 

 突然聞こえた声に肩が跳ねた。音楽室の入口を見ると、そこには吹奏楽部の三年生、富士宮このみ先輩が立っていた。

 

 慌てて時計を見る。いつの間にか完全下校時刻を過ぎていた。練習に夢中で全然気づいていなかった。

 

「あ、すいません! すぐ帰ります!」

 

「慌てなくていいよ。それと、貴方は絶対上手くなるから頑張ってね、あかねちゃん♪」

 

「えっ? 私の名前、覚えてくれてたんですか!?」

 

 思わず大きな声が出てしまった。だって私は大勢の新入生の一人に過ぎない。名前を言ったのも、入部した時に一度自己紹介した時くらいなのに。

 

「そりゃあ同じフルートだもん。それに毎日遅くまで熱心に練習してるから、前々から注目してたんだよ?」

 

「あ、あうう……」

 

 優しく微笑む先輩。長い髪も、柔らかな雰囲気も、全部が絵になる。同じ女の私から見ても綺麗だと思う。

 

 富士宮先輩は新入生歓迎会で、大勢の演奏者の中で堂々とソロパートを吹いていた。

 

 私にとっては雲の上の存在。そんな凄い先輩が自分の名前を覚えていてくれた。それだけで胸が熱くなってしまう。

 

「本当に偉いなぁ。何か困ったことがあったら、なんでも言ってね♪」

 

「!! じゃ、じゃあ、えっと……その事、なんですけど……」

 

 きっと私は舞い上がっていたんだと思う。気付けば、胸の中に溜め込んでいた悩みをぽつぽつと話し始めていた。

 

 人見知りで人前で演奏できないこと。緊張すると音が出なくなること。大勢の人の前に立つのが怖いこと。

 

 まとまりのない話だったと思う。それでも先輩は途中で話を遮ることなく、最後まで真剣に聞いてくれた。

 

「ふむふむ、人見知りだから大勢の前では恥ずかしくて演奏できない。それをなんとかしたいと……」

 

「あ、はい」

 

「ふーむ、なるほどなるほど……」

 

 先輩は腕を組みながら少し考え込むが、すぐに顔をパッと上げた。

 

「じゃあさ、私の家で一緒に練習しよう!」

 

「え!?」

 

 思わず間抜けな声が出てしまった。

 

「人見知り克服するには、誰かと一緒に練習するのが一番だしね」

 

「えっと……」

 

 突然の提案に頭が追いつかない。

 

「今度の休みの日、空いてる?」

 

「あ、はい……」

 

「じゃあ次の休みの日に私の家の最寄り駅まで来てね。そこに案内人呼んでおくから♪」

 

「えっ、案内人? 先輩は来ないんですか……?」

 

「これも人見知り直す訓練だから♪ その日は案内人と仲良く話しながら家まで来てね♪」

 

 にこにこと笑う先輩に押し切られる形で、私は先輩の家へ行くことになった。

 だけど、せっかくの機会だ。気合いを入れて頑張らなくちゃ!

 

――――――――――――――――――――――――

 

 そして練習当日。

 

 教えられた通りに電車とバスを乗り継ぎ、ようやく最寄り駅へ到着した。駅を出た瞬間、思わず立ち止まる。

 

 見渡す限りの田んぼ。遠くに見える山並み。風に揺れる稲の音。私の住んでいる街とは全然違う景色だった。

 

 まるで別世界みたいだ。先輩、こんな所に住んでいたんだ……。

 

 そんなことを考えていると、こちらへ駆け寄ってくる二人の姿が見えた。

 

 

「初めまして、富士宮よしおと言います! いつも姉がお世話になってます。本日はわたくしと! こちらの宮内れんげが我が家まで案内いたします!」

 

「にゃんぱすー! ウチ、れんげって言うのん。家まで案内したら、このみ姉がリコーダーを教えてくれるって約束なん」

 

 目の前で元気よく頭を下げる男の子。そして、その隣で手を振る小さな女の子。男の子の方は、少し声こそ低いけれど、笑った顔が富士宮先輩によく似ていた。先輩、弟さんがいたんだ……。

 

 ――って待って!? 案内人って男の子だったの!?

 

 急に心臓がどきどきし始める。今日の服、変じゃないかな。髪はちゃんと整ってるかな。変な顔してないかな。頭の中が一気に慌ただしくなる。

 

「ふむ、少し緊張してるご様子で……、れんげ、後は頼んだ!」

 

「あい! あなたのお名前を教えて欲しいのん!」

 

 だ、大丈夫。落ち着こう。ただ自己紹介するだけなんだから! ゆっくり、一言ずつ、丁寧に……。

 

「あっ! あの……、あかねって……、言うんだけど……」

 

「そうなんな、あかちゃんなんな!」

 

「うぇっ? あか、ちゃん……?」

 

 いきなりの呼び方に思わず変な声が出た。

 

「それじゃ、案内しますん!」

 

「え? あ、あの……、あかねって呼んで貰えたら……」

 

 れんげちゃんはすぐに走り出して、私の抗議の声が空しく通り過ぎた。

 

「それじゃあ、よろしくお願いします! では、お言葉の甘えて、あかねさんと呼んで良いですか?」

 

「え、あっ、はい、よろしくです……。富士宮くん……。」

 

 あれ? れんげちゃんに言ったつもりだったんだけど、話の流れで名前で呼ばれてしまった……。

 

「富士宮だと姉と被ると思うので、よしおで大丈夫です! それに、オレは年下ですから、敬語は使わなくていいですよ♪」

 

「えっと、……うん、わかった。よろしくね、よしお、くん……」

 

 そう言った途端、よしおくんはさらに嬉しそうに笑った。そんな真っ直ぐ見つめられると恥ずかしい。

 

 ううっ……、初対面なのに男の子と名前で呼び合う仲になっちゃった……。人見知り克服の訓練だって言われたけど、最初から難易度が高すぎる気がする。私はこれから先、上手くやっていけるんだろうか……。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 時は少し遡って前日のこと。

 

 夕食を食べ終えた後の富士宮家のリビング。

 

 オレはソファに寝転がりながら漫画を読んでいた。姉ちゃんはテーブルに何やら学校の課題らしきものを広げている。

 

 いつも通りの平和な夕方だった。

 

「よっくん、明日は私の部活の後輩が家に来る事になったからよろしく」

 

「なん……だと……!」

 

 姉ちゃんの言葉に、オレは思わず漫画から顔を上げた。

 

「……なんでそんなに驚いてんの?」

 

「いやだって、今まで姉ちゃんの高校の友達が家に来た事なんて無かったし……」

 

「そういえばそうだったね。まぁ、こっちの方は遊べるような場所がないから」

 

「いや、あるじゃん! 木の実が沢山採れる裏山とか、大きな川とか、なんなら珍しい虫が出る秘密のスポットもオレ知ってるし!」

 

「いや、どこも女子高生が遊ぶような場所じゃないじゃん……」

 

「ひか姉なら大喜びで走り回りそうだけど」

 

「比較対象不足だよ! っといけない、話がそれちゃった。何が言いたいかというと、明日私の部屋で、その子と一緒にフルートの練習をするから、よっくんは自分の部屋で大人しく勉強してる事! 良い?」

 

「ん? その言い方だとオレは会っちゃ駄目なの?」

 

「まぁ、その子は人見知りみたいだから、免疫が無いうちに、いきなりよっくんみたいなのに会わせたらトラウマになっちゃうかもだしさ……」

 

「オレは病原菌か何かか!?」

 

 酷い言われようだった。今まで散々やらかしてきた自覚はあるが、それにしたって言い方というものがあるだろう。

 

 ……とはいえ、下手にでしゃばって、本当にやらかしてしまったらいけないな。

 

「わかったよ、邪魔しない……。それはそうと、その後輩の子は何時頃に来るの?」

 

「……聞いてどうするの?」

 

「いやだって、何時頃来るか分かれば、鉢合わせしないよう動けるし」

 

 もちろん半分くらいは本音だ。残り半分は純粋な好奇心である。一体どんな子なんだろうか。

 

「ふーん、まぁそういうことなら教えた方が良さそうね。お昼を食べた後に家を出るって言ってたから、こっちに着くのは午後の二時くらいになりそうかな?」

 

「午後の二時か。おっけー把握した!」

 

 ぬふふ……。先回りして、その顔を拝んでやるぜ!

 

「……よっくん、明日はれんげちゃんに駅まで迎えに行って貰うように頼んだんだけど、何かあるといけないから、念の為によっくんも一緒に行ってくれる?」

 

 そんなオレの顔から何かを察したのか。姉ちゃんは若干警戒した目をしていた。

 

「うほっ!! いくいく!!」

 

「…………言っとくけど、当日は、れんげちゃんのやりたいようにさせてあげてね。よっくんは何かあったらフォローする役目で」

 

「ふむ、了解! オレが完璧に、その子をエスコートしてやるさ!」

 

「だ・か・ら! その子は人見知りだって言ったでしょ! 余計な事はしないで! わかった!?」

 

「お、おう……、だけど人見知りの子に、いきなりれんげをけしかける姉ちゃんも大分イカれてると思うんだが……」

 

「なんか言った?」

 

「いえっ! なにも!!」

 

 こうしてオレは、姉ちゃんの後輩の子を駅まで迎えに行くことになったのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 そして現在。

 

 駅から少し離れた田舎道。

 

 オレは姉ちゃんからの厳命を守り、多くを語らず、緊張感を漂わせたイケメンモードの営業スマイルを維持していた。

 

 後ろでは、初対面のあかねさんがぎこちなく歩いている。

 

 そして案内役のれんげは――。

 

「あれはウチの因縁の敵! いつもウチの服に引っ付いてくる、オナモミ! 今日こそ覚悟するん!」

 

 叫んだ次の瞬間、棒を振り上げて突撃した。

 

 ――ばしーん!

 

 見事な一撃でオナモミを討伐する。

 

 案内開始から数分。早くも本来の目的を見失っていた。

 

「これあげますん!」

 

「は、はあ……」

 

 れんげは戦利品のオナモミをあかねさんへ差し出した。

 

 ……そんなもんいらんだろ。案の定、あかねさんも困ってるし、少し助け舟を出すか。

 

「えっと、別に捨てても構いませんけど……」

 

「いやいや! せっかくれんげちゃんがくれたのに、そんな事出来ないよ!」

 

「お、おぉう、スイマセン……」

 

 ……怒られてしまった。確かに思いやりに欠けた提案だったかもしれんが、地味にショックだ。

 

 落ち込むオレをよそに、れんげは今度は道端の茂みにしゃがみ込んだ。

 

「おいれんげ、今度はどうしたんだ?」

 

「かえるー!」

 

「かえる……、そっか、かえる可愛いもんね」

 

 するとあかねさんが、自分かられんげの隣へ歩み寄った。

 

 おっ。少し打ち解けてきたか? 姉ちゃんの作戦、案外成功してるのかもしれん。

 

 

 れんげが両手いっぱいに抱えた大きなガマガエルを掲げてあかねさんの方へ身体を向ける。

 

 ほほう、水の無い場所で、このレベルのカエルをよく見つけられたな。

 

 

「ヒュっ!? ○!※□◇#△!!」

 

 あかねさんが飛び上がった。

 

 そのまま勢いよく後ずさりをして、ゴンッ!と見事に電柱へ頭をぶつけた。

 

 痛そうだ。

 

 いや感心してる場合じゃない。

 

「おいおいれんげ。あかねさん、どうやらカエルは駄目みたいだ」

 

「そうなん……。よっくんはこのガマガエルいりますん?」

 

「いや、いらん……」

 

 こんなの持って帰ったら姉ちゃんが発狂して大暴れした結果オレが死ぬ。

 

「おおお願い! はははやくそのカエル下に置いて!!」

 

 あかねさんは半泣きになりながら叫ぶ。

 

 するとれんげはカエルを地面へ置くと、そのまま両前足を持って立たせた。

 

 巨大ガマガエル、直立。中々に壮観な光景だ。

 

「それじゃあ下に置いて、このまま"あんよはじょうず"ごっこするん」

 

 そして、よっ、よっ、よっと歩かせ始めた。この絵面、面白過ぎるな。なんか興奮してきたわ

 

「おほっ、すげぇ! カエルが二足歩行してて面白え!」

 

「いや感心してないで止めてよ! ちょちょちょっと歩かせないで! 向こうに逃がしてえええ!!」

 

「こいつの名前はアブラミンなん!」

 

「名前とかいいから! こっちに来ないで!! ああ、いやああああ!!!」

 

「あ! あかねさん待ってー!」

 

 田舎道に響き渡る悲鳴。

 

 暴走するれんげ。

 

 迫り来るアブラミン。

 

 そして逃げ惑うあかねさん。

 

 それを追いかけるオレ。

 

 ……うん、駄目だこりゃ。

 

 姉ちゃん、人見知り克服計画はものの見事に崩壊しました。

 

 てへぺろ♪

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 ドタバタの騒動を経て、私はようやく先輩の家に辿り着いた。

 

 案内された先輩の部屋の窓からは、広い田んぼと山並みが見える。

 

 街で育った私には、それだけでも少し新鮮だった。

 

 フルートケースを抱えたまま座布団に腰を下ろすと、先輩がくすりと笑った。

 

「れんげちゃんにカエル持って追いかけ回されたんだって?」

 

「はい……」

 

 思い出しただけで背筋がぞわりとする。

 

 あの巨大なガマガエルと、悲鳴を上げながら逃げ回った自分の姿が脳裏によみがえった。

 

「なんか大変だったみたいだねー。まぁ子供がしたことだし、許してやってよ♪ 一緒に楽しんで助けなかったよっくんの方は、私が修正しておいたからさ♪」

 

 その言葉に首を傾げる。修正とは一体何をしたのだろう。

 

「手を洗ってきたん」

 

「その、すみませんでした。あかねさん……」

 

 部屋の扉が開き、れんげちゃんとよしおくんが入ってきた。

 

 よしおくんの方は、身体を震わせていて怯えてる様子だ。一体何かあったのだろうか。

 

 

 

「ほおー……」

 

 れんげちゃんは私の膝の上に置かれたフルートに興味津々といった様子で床にしゃがんで覗き込んだ。

 

「ほほー……」

 

 すると今度は、よしおくんもれんげちゃんの隣にしゃがみ込んで――

 

 同じように私の膝の方へ顔を近づけてきた。

 

 えっ、ちょっと近くない? しかも視線が下の方に――。って、もしかして私のスカートを覗いてるの!?

 

「あっ!? ……って、いで、痛でっ! 耳! 耳つかまないで!!」

 

「よっくーん♪ おイタするなら部屋から追い出して、階段から突き落とすよ♪」

 

「部屋から追い出すだけで良くないっすか? …って、痛ででで! ご、ごめんなさい! つい出来心で!」

 

 すると、先輩に耳を引っ張り上げられて涙目で謝るよしおくん。それを微笑みながら見下ろしている先輩。れんげちゃんはそれを眺めてるだけで特に反応していない事から、どうやら見慣れたやり取りらしい。

 

 私は自分のスカートの中を覗かれた事よりも、その光景そのものに少し引いてしまった。

 

 先輩、家だとこんな感じなんだ……。

 

 

「それ、ウチのリコーダーとは違うん! どんな音鳴るん!? 吹いてみて欲しいん!!」

 

「あ、うん……」

 

 なにはともあれ、私はれんげちゃんの純粋な好奇心に押されるように、フルートを構えた。そんなにじっと見られると緊張しちゃう……。とりあえず深く息を吸い込んだ後、そっと音を出す。

 

「おお! ちゃんと音出たん! それにボタンいっぱいでタコの足みたいでカッコいいん!」

 

「……カッコいいならもっと他の例えは無かったの?」

 

「たしカニ! 穴がいっぱいでタコの吸盤に見えるかもな!」

 

「いや見えないって……」

 

「はー、それにつけてもタコ笛すごいんなー! ウチもタコ笛吹きたいん!」

 

「タコ笛じゃなくてフルートだって……」

 

「オレも! あかねさんの吹いたフルートを吹きたい!」

 

「……よしおくん、その言葉は、人によっては二度と口を聞いてくれなくなると思うから、やめた方がいいよ?」

 

「うぐっ! ごめんなさい……」

 

 私が注意すると、しゅんと肩を落とすよしおくん。その様子がおかしいみたいで、先輩は吹き出しそうになりながら口元を押さえていた。

 

「へぇ、人見知りだって言ってたけど、れんげちゃんともよっくんとも普通に喋れるじゃん」

 

「え? そ、そうですか?」

 

「大方、カエル持って追いかけられたから、逆に緊張がほぐれたとかじゃない?」

 

 そうなのかな? けど言われてみれば、そうかもしれない。人と話すと緊張するはずなのに、不思議と二人に対しては自然に話せてる気がする。駅で会った時は、まともに話すこともできなかったのに。

 

「うんうん! オレとあかねさんは、同じカエルに追いかけられた仲だからな!」

 

「……よしおくんは楽しんでたような気がするけどね」

 

 気が付くと、私は自然と笑顔になった。

 

「ふふ、それはそれとして、まーたおイタをしたよっくんは、後で階段さかさすべりの刑ね♪」

 

「"さかさ"って、それ、頭から落ちちゃってるから!! 命にかかわるから!!」

 

 少なくとも、この姉弟のやり取りを笑いながら見られるくらいには、私は楽しい時間を過ごせていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

「じゃあウチは"ド"の音練習するん」

 

 れんげちゃんはリコーダーを取り出して一生懸命に音を出そうとする。

 

 だけど音は安定していない。その様子を見ているうちに、私は自然と口を開いていた。

 

「れんげちゃん。ドの音はね、ちゃんと指の腹で穴を押さえて……」

 

 教えるつもりなんてなかった。けれど気が付いたら、口が先に開いていた。

 

「それから、さっきはフンって強く吹いちゃってるみたいだったから、力を抜いて、フーって、軽く息をする感じで吹いてみて」

 

 れんげちゃんは真剣な顔で頷く。もう一度吹いてみると、先ほどよりも綺麗な音が鳴った。

 

 れんげちゃんの目がぱっと輝いた。

 

「出たん!」

 

 嬉しそうに何度も吹いてみせるれんげちゃん。

 

 そのれを見ていると、私の胸も少し温かくなった。自分の言葉で誰かの音が変わる。そんな経験は初めてだった。

 

「そうそう! そんな感じ!」

 

「きれいに出たね!」

 

 自分が褒められたわけでもないのに、なぜだか少し嬉しい。誰かと一緒に音楽をするのって、こんな感じなんだ。家で一人で演奏しているだけでは分からなかった楽しさだった。

 

「次はみんなで何か吹いてみようか?」

「それじゃ"かえるのうた"を吹くん!」

「あ、それなら私も吹ける」

「よっしゃ、オレもリコーダー持ってこよっと!」

「よっくんは邪魔だから、自分の部屋に行って勉強してなさい」

「ひどっ!」

 

 そんなこんなで、和やかな時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 夕方。

 

 空が茜色に染まり始める頃、私は駅まで送ってもらっていた。

 

 一両編成の電車の前で立ち止まる。朝、この駅に降り立った時のことを思い出した。不安でいっぱいだった。上手く話せなかったらどうしよう。場違いだったらどうしよう。そんなことばかり考えていた。

 

 けれど今は違う。

 

「今日はありがとうございました。そ、その……」

 

 胸の奥から湧き上がる気持ちを押さえながら、私は三人を見回した。

 

 言いたいことは決まっている。それなのに、いざ口にしようとすると少しだけ勇気がいる。

 

 私は小さく息を吸い込んだ。

 

「ま、またここに練習に来ても良いですか?」

 

「うん、もちろん♪」

 

 先輩は即答だった。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふわりと軽くなる。

 

「ウチもまた一緒に練習したいん!」

 

「お、オレも! オレもその……、今度はゆっくり話がしたい……です!」

 

 れんげちゃんとよしおくん。今日一日で知り合ったばかりの二人。

 

 なのに不思議だった。もう少し一緒にいたい。また会いたい。そんなふうに思っている自分がいた。

 

 私はしばらく二人の顔を見つめる。

 

 そして――

 

「うん! 今日はありがとう! よしおくん、れんげちゃん!」

 

 自然と今日一番の笑顔がこぼれた。

 

 電車の扉が閉まる。ゆっくりとホームから離れていく。三人の姿が少しずつ遠ざかっていく。

 

 それでも私は、見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 電車が走り出す。

 

 車内には私以外、誰もいなかった。座席に腰掛けながら、私はそっとポケットに手を入れ、指先に触れたそれを取り出す。れんげちゃんからもらったオナモミの実だった。最初は困っただけだった。正直、こんなの貰ってどうしようと思った。けれど今は違う。掌の上に乗せたそれは、今日一日の思い出が詰まった宝物みたいに見えた。

 

 人前で話すのは、まだ少し怖い。大勢の前で演奏するのだって、きっとすぐにはできそうにない。明日になれば、また緊張してしまうかもしれない。

 

 それでも――。

 

 今日は確かに、一歩前に進めた気がした。

 

 誰かと話した。

 

 誰かと笑った。

 

 誰かと一緒に音楽を楽しんだ。

 

 今までの私なら、きっとできなかったことだ。胸の奥から嬉しさが込み上げてくる。

 

 その気持ちを抑えきれなくなって、私は思わず拳を握った。

 

「よし!!」

 

 誰もいない車内だからこそできる、小さなガッツポーズ。

 

 少しだけ恥ずかしくなって辺りを見回したけれど、やっぱり誰もいない。そのことにほっとして、私は小さく笑った。

 

 窓の外では夕日が田んぼを赤く染めている。その景色を眺めながら、私はオナモミをぎゅっと握りしめた。

 

 夕日を浴びながら走る電車は、どこかいつもより軽やかに感じられた。




あかねちゃんは高校以前から家で一人フルートに触れていた、という独自設定を入れてみました。かなり短期間で上達している様子なので、以前から少し経験があったのかもしれないな、と考えています。
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