今回はアニメ三期、第二話後半のお話です。
前半はあかねちゃんの話で、後半はほたるんの話の二本立てになります。
ある日の昼下がり。
みんなで越谷家の居間でのんびりしていると、姉ちゃんがこの前知り合ったあかねさんを連れてきた。
「この子は、私の部活の後輩のあかねちゃん! みんなよろしくしてあげてね♪ ほらあかねちゃん、挨拶して」
「う、うう……、ど……、どうもです……」
声は震え、顔色は真っ青。額には汗まで浮かんでいる。ここまで緊張している人を初めて見たかもしれない。
「えっと、大丈夫? 汗がすごいけど?」
「ちょっとまずいね」
小鞠ちゃんが心配そうに声をかける。姉ちゃんも苦笑していた。
「胸とか触ったら緊張解けるかな?」
「やめなさい」
「冗談だから怖い顔しないで……」
即座に姉ちゃんから制裁が飛んでくる。最近みんなオレへの当たりが強くない? 姉ちゃんはため息をつきながら話を戻した。
「実はこの子、人見知りらしくてさ。人に慣れさせようと思って紹介しに来たんだ」
「そうなんだ、あかねちゃんって言ったっけ? ウチ、越谷夏海! ヨロシク!」
「こら夏海、なに年上にタメ口聞いてんの!」
「い、いいよいいよ! タメ口の方が私も話しやすいし……!」
小鞠ちゃんがなっちゃんに注意をする。しかし当の本人は慌てて首を振った。どうやら気を遣われる方が緊張するらしい。
「そ、そう? じゃあお言葉に甘えて……私は小鞠、よろしくね!」
「う、うん! 夏海ちゃんも小鞠ちゃんも、よろしく!」
少しだけ表情が柔らかくなった。そこへ蛍ちゃんも前へ出る。
「初めまして、私は一条蛍って言います」
「い、一条さん! よろしくお願いします!」
「へっ? 私だけ敬語?」
蛍ちゃんが首を傾げた。まあ蛍ちゃんの見た目を考えたら無理もない。そんなやり取りの後、話題は自然と部活の話へ移っていった。
「へー、このちゃんと同じフルートなんだ!」
「う、うん……」
「ずっと笛の音は聞こえてきてたし、今は休憩中?」
「そうだよ」
「じゃあ丁度良かった! これからみんなでクッキー作る事になっててさ! どうせなら練習の合間に食べて行ってよ!」
「おー、いいじゃんいいじゃん! あかねちゃんも一緒にやらない♪」
「あ、はい!」
こうして全員でキッチンへ移動することになった。材料も道具も既に揃っている。
「よし! 準備完了! ……で、ここからどうすれば良いんだっけ?」
「躓くの早!?」
開始数秒で小鞠ちゃんが詰まってしまう。
「確か、まずバターを混ぜるんじゃないかな?」
「お、あかねさん。お菓子作りの経験あるんですか?」
「えっと、この前、丁度家庭科の時間にやったくらいだけど……」
「それから、小麦粉をふるいにかけて、クッキングシートに敷くバターも用意した方が良いですよね?」
「そうそう、さすがは蛍ちゃん! よく知ってるね♪」
「ちょっとよしおくん、一条さんに失礼でしょ!」
あかねさんがオレの言葉に少し眉をひそめる。
「はうっ! すいません! 蛍さん!」
「いえいえ……って、なんで敬語になってるんです?」
「いや、つい……」
なんでだろう。叱られたから反射的に敬語になってしまった。その様子を見ていた姉ちゃんが、何かに気付いたように口を開く。
「さっきから思ってたけどあかねちゃん、もしかして蛍ちゃんの事、年上だと思ってる? 小学生だよ? この子」
「あはは、何言ってるんですか? さすがにそんな冗談、間に受けませんよ!」
あはははと笑いながらバターを混ぜ続けるあかねさん。だが誰も笑わない。オレも黙っていた。しばらくして異変に気付いたあかねさんが手を止めて恐る恐る顔を上げた。
「……え? ええええ!? 本当なんですか!?」
「はい、一応五年生で……」
「うえええ!? すいません! なにか早とちりしてたみたいで!!」
ものすごい勢いで頭を下げ始めるのを蛍ちゃんは慌てて止めていた。
「いえ、全然大丈夫ですよ。後、年下なんで、敬語じゃなくても……」
「ううう……、そうしたいんですけど、さっきまで年上だと思ってたので、タメ口が出てこなくって……」
「でも、れんげちゃんの話だと、驚いたら緊張が解れるみたいだし、怖い話とかしたら敬語も取れるんじゃない?」
「な、何言ってんですか!?」
姉ちゃんの提案にあかねさんが慌てた様子で否定する。後は緊張を解く目的なら、前回のやりとりから考慮すると……。
「エロい話でもしてみる?」
「よしおくんは、ふざけないで!」
「す、すいません……」
「よっくん弱いな」
再びあかねさんに注意されるオレを見て、なっちゃんが呆れたように笑った。なんか力関係が決まってしまった感あるな……。
「でも、心なしか緊張は解けてるような……」
「解けてません! もう……私、バター混ぜ再開します!」
そう言いながら作業へ戻ったあかねさんだったが、ふと周囲を見回した。
「あ、そうだ。砂糖はありますか? 一緒に混ぜないと……」
「そこの流し台の上に無い?」
「げ、もう空っぽじゃん!」
「シンク下とかに予備は入ってないの?」
「うーんと、ちょっと待ってね、どれどれ……、これは塩か……」
「じゃあオレは戸棚の上探してみる。……うーん、古いフライパンに、色とりどりのボウルに……、調味料の類は無いか……」
みんなで手分けして砂糖を探し始めるが見つからない。そんな時だった。
――ドサッ
「あ、ありがとうございます! ……ってあれ……?」
「どうしたの?」
「いや、今誰かがここに砂糖を置いてくれ……て……」
あかねさんは辺りを見回すが、人影は見当たらない。もっとも、オレは見ていた。卓が無言で砂糖を置いて、無言で去っていくところを。
「まさか……?」
「おばけ…………?」
小鞠ちゃんとあかねさんが顔を見合わせる。
「クッキーは居間で焼こう!」
「うん!」
「水回りはまずいからっ! 水回りはほんとにマズい!!」
「う、うん!!」
次の瞬間には二人ともオーブンを抱えてキッチンから飛び出していった。
「あの二人は何してんの?」
「まあ、多少は協調性出て良かったんじゃないの?」
姉ちゃんは楽しそうに笑っている。
(卓の奴、せめて一声かけてやれよ……)
オレは心の中でため息をつく。犯人が喋らないせいで、幽霊騒ぎになってしまったのだった。
――――――――――――――――――――――――
別の日の休日。
買い物帰りの電車の中。車内は無人同然で、蛍は大好きな両親の間に陣取るように座っていた
「はー、買い物楽しかったー!」
満面の笑みを浮かべながら、今日買ったお菓子の袋を抱きしめる。
「車が故障して、電車でお出かけになっちゃったけど、疲れなかった?」
「ううん、大丈夫! 電車も久しぶりで楽しかったし!」
蛍は元気よく首を振った。
車で出掛けることが多い一条家にとって、電車での遠出は少し新鮮だった。その意味でも、今日一日はとても楽しかった。
買い物もできた。アイスクリームも食べた。そして今は、買ってもらったお菓子が気になって仕方がない。
「ねぇねぇパパ! 家帰ったらこのお菓子食べても良い?」
期待に満ちた目で父親を見上げる。
「デパートでアイスクリーム食べただろう? 夕飯食べられなくなるからやめときなさい」
「ええー!?」
思わず大きな声が漏れる。蛍は不満そうに唇を尖らせると、そのまま父親の膝の上へ倒れ込んだ。
「やだやだー! 早く食べたい! 食べてもいいでしょー!?」
じたばたと身体を揺らしながら駄々をこねる。学校での落ち着いた彼女の姿を知る者が見れば、同一人物とは思えないだろう。
「こらこら蛍」
父親は困ったように笑う。蛍は顔を上げると、少しだけ上目遣いになった。
「ねぇパパ、ダメ……?」
その一言に父親は弱かった。
「……仕方ないなぁ、ちゃんと夕飯も食べるんだよ?」
「本当!? わーい! パパだいすきー!」
「もう、蛍ちゃんたら」
ぱっと表情を輝かせて父親へ抱きつく。そんな娘の様子を見て、母親も苦笑いをした。
やがて電車が減速し始めて、聞き慣れた駅名のアナウンスが流れる。最寄りの駅に到着したのだ。
「パパ、ママ! 駅ついたよ! 早く行こ! はやくー!」
「ふふ、はいはい」
「こら蛍、あんまり慌てない」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
蛍は満面の笑みで、右腕を父親に、左腕を母親に絡ませる。大好きな両親に挟まれながら歩くこの時間が、蛍は昔から好きだった。
何気なく視線を動かした、その時だった。離れたドアから降りてくる二人の姿が目に入る。
「…………あ」
富士宮このみ。そして、その弟のよしお。二人揃って、なんとも言えない気まずそうな顔で視線を逸らした。
まるで見てはいけないものを見てしまった人の反応だった。
「はっ!? ああわあわあわ…………」
それを見た蛍は、今までの自分の姿を省みる。両親に抱きつきながら甘えている真っ最中の姿。しかも、さっきまで駄々をこねていた。その一連の流れを全部見られていたかもしれない。そう思ったら一瞬で顔に熱が集まる。
「こ、このみさん……!? よしお先輩……!」
「こ、こんにちは、蛍ちゃん……」
「ど、どうも……」
耳まで熱い。恥ずかしさで頭から湯気が出そうだった。今すぐ消えてしまいたい。そんな蛍の心情など知る由もなく、電車は再び動き出し、ホームから去っていった。
そして残されたのは蛍と両親、そして富士宮姉弟だった。
「あら、蛍、お知り合い?」
蛍の母親が不思議そうに首を傾げる。
「どうも初めまして、富士宮このみです。いつもお世話になってます」
「こ、このみの弟のよしおです……。初めまして」
このみが丁寧に頭を下げる。よしおも少し緊張した様子でそれに続く。蛍の母親は柔らかく微笑んだ。
「誰も乗ってないと思ってたから、うるさかったでしょう? ごめんなさいね」
「あ、いえいえ……」
「大丈夫、です……」
二人は笑顔を浮かべるも、その表情は、どこか引きつっていた。蛍は恐る恐る尋ねる。
「お、お二人とも……いつから電車に……?」
「あ、いやー、なんとなく街の方まで行ってたんだけど……」
「特に何もなくて、そのまま帰ってきて……」
「そ、そうなんですね……」
そんな微妙な空気の中、蛍の母親がふと思いついたように言った。
「蛍、せっかくだし、お友達と遊んでくる?」
「えっ? あの……」
「じゃあ蛍、夕飯までには帰ってくるんだぞー」
「う、うん……」
戸惑う蛍を余所に、父親はいつも通り優しく手を振った。
そうして一条夫妻は帰路につく。後に残されたのは、蛍と富士宮姉弟の三人だけだった。
そして誰からともなく、微妙に気まずい沈黙が流れ始めるのだった。
――――――――――――――――――――――――
……そんなわけで、オレ達は蛍ちゃんと一緒に歩いている。正直に言うと、電車の中でご両親に甘える蛍ちゃんは可愛かった。
可愛かったんだけど、それ以上に「見てはいけないものを見てしまった」という感覚の方が強かった。
だからオレと姉ちゃんは、一条家が駅からいなくなるまで電車の中に隠れていようと頑張った。いっその事、乗り過ごしても構わない覚悟で。
だけど運悪く乗っていた車両の終点の駅だった為に、車内点検に入って来た駅員さんから「お降りくださーい」と言われてしまい、これ以上粘ることもできなくなった。
そして見事に鉢合わせした結果が今である。
「なんか、ごめんね」
姉ちゃんが苦笑しながら顎を撫でる
「あ、いえいえ、私も用事があった訳ではないですし!」
蛍ちゃんは慌てて首を振る。その顔はまだ少し赤い。さっきの出来事を思い出しているのかもしれない。
「あー、えっとその……、蛍ちゃん、家だとあんな感じなの?」
会話に困って、迂闊にもそんな事を聞いてしまっていた。蛍ちゃんの肩がぴくりと震える。しまった、聞くべきじゃなかったかもしれない。
「ち、ちちち違うんです! ち、違わないですけど! その……っで、電車の中、誰もいないと思ってて……えっと……、お父さんとお母さんの前だと、あんな感じになっちゃって……」
しどろもどろになりながら必死に説明する。耳まで真っ赤だ。なんだか申し訳なくなってきた。
「あー、忘れてたけど、蛍ちゃんまだ小学生だもんね。親に甘えたがっててもそんなおかしくないと思うよ」
「そ、そうでしょうか……?」
「そういえばそうだよねー……、まだ甘えたい盛りだよねー……」
不安そうに尋ねる蛍ちゃんに、姉ちゃんは大きく頷いた。
「よしっ! じゃあ私にも甘えていいよ!」
「えっ!?」
急に何を言い出すんだこの人は?
「小鞠ちゃんが同じくらいの頃は、すごい甘えん坊だったもん」
「は、はぁ……」
「だから蛍ちゃんにも小学生らしく接した方がいいよね♪」
そう言うなり、姉ちゃんは満面の笑みで両手を広げた。
「そういう事だから、私の胸に飛び込んできて! 子どものように!」
「ええっ!? あ、あの! このみさん!?」
「どうしたの、蛍ちゃん?」
「お気持ちは嬉しいんですけど、ちょっと恥ずかしいような……」
「無理してない?」
「し、してないですしてないです!」
「うーん……、あ、じゃあ、よっくんが私の胸に飛び込んでくる?」
「……………………いや、何言ってんだよ!? 飛び込まないから!」
「物凄く悩んでましたね……」
「いや!? 悩んでナイヨ!? ぜんぜん! まったく! これっぽっちも!!」
「そこまで必死にならなくても……」
蛍ちゃんの視線が痛い。実際一瞬だけ悩んでしまった。……ほんの、一瞬だけな!
「あはは、さすがに蛍ちゃんの前じゃ恥ずかしかったかな?」
「蛍ちゃんがいなかったら飛び込んでいたみたいな言い方は、やめて貰おうか!!」
姉ちゃんは楽しそうに笑っている。この人絶対わざとだ。後で覚えてろ……。
「まぁ、このまま立ち話もなんだし、私達の家に行こう! 手をつなぎながらね♪ それくらいなら恥ずかしくないでしょ?」
「え、えっと……」
「手をつながないと迷子になっちゃうからね♪ 蛍ちゃんは迷子とかある?」
「な、何度か……」
「やっぱり! よっくんや小鞠ちゃんが同じくらいの頃は月一だったからね♪」
「つ、月一!?」
「……そんな多くは無かったと思うよ? せいぜい年に5、6くらい?」
「迷子になってた事は否定しないんですね……」
そこは否定できなかった。子供の頃のオレや小鞠ちゃんは、デパートとか行く度に店員さんに保護されて、館内放送で呼び出されてた覚えがあるし……。
「だからはい、手をつなぐよ♪ よっくんもこっちの手、繋ぐ?」
「……………………うん」
「あ、手は繋ぐんですね……」
蛍ちゃんの呆れた声が聞こえた。いや、姉弟だし、これくらい普通だと思う。卓となっちゃんだって、少し前までは、これくらい距離が近かったし!
そんなこんなで真ん中に姉ちゃん、右側に蛍ちゃん、左側にオレの三人で並んで歩き始めた。
「そうそうこんな感じ♪ みんなが小さい頃を思い出すなー。あの頃は誰が私と手をつなぐかで喧嘩してたっけ?」
「そ、そうですか……」
「小鞠ちゃんは特に姉ちゃんに懐いてたからな……。小鞠ちゃんの自我が強くなった頃に、オレも卓も自然と譲るようになっていった感じだな」
その代わり、一時期なっちゃんと手を繋いで歩く機会が増えていたような気がする。
「えっと、小鞠先輩が小学生の頃はどんな感じだったんでしょうか?」
「うーん、今とあまり変わらないかも、よく泣いてたし、身長も今とそんなに変わってないかも」
「へー……」
実際、小鞠ちゃんは小五くらいから現在まで、身長がほとんど伸びてなくて、新しい服を買って貰えなくなった事を嘆いていたな。
「哺乳瓶使ってたのは――」
「ほ、哺乳瓶!?」
「……小鞠ちゃんの名誉の為に補足するけど、それは小五じゃなくて、五才くらいの頃の話だよ?」
「そういえばそうだったね♪」
「それでも、大分遅いような……」
「まぁ、小鞠ちゃんもそんな感じだったし、蛍ちゃんも気にしなくていいよ? 子供は子供らしく! ね♪」
「は、はぁ……」
姉ちゃんの言葉に、蛍ちゃんはまだ納得しきれていない様子だった。
「それとも、抱っこの方が良かったかな?」
「い、いえいえ!? 今のままで大丈夫です!」
抱っこと聞いたらオレも黙ってられないな。ワンチャン狙ってみよう……。
「蛍ちゃん。なんならオレが抱っこしてあげても良いけど!!」
「遠慮します……」
「よっくん、汚いからヨダレは拭きなさい。……この子が蛍ちゃんくらいの頃には、もうスケベ盛りで、私も手を焼かされたよ……、今もそんなに変わってないけどね」
「そ、そうなんですね……」
やめてほしいな、蛍ちゃんの前でオレの過去を掘り返すのは……。流石に今は自制出来ていると思うし。……昔と比べればだけど。
そんな話をしているうちに、我が家が見えてきた。
「あ、私の家見えてきた。迷子にならずに着いて来れたね! えらいよ、蛍ちゃん♪」
「あ、あはは……」
見ると、姉ちゃんと蛍ちゃんはまだ手を繋いでいた。オレは途中で恥ずかしくなって離したのだが、その時に姉ちゃんが本気で残念そうな顔をしていた気がする。たぶん気のせいだと思うけど。
「あれ? 二人とも、手なんか繋いでどうしたの?」
家の前には小鞠ちゃんがいた。
「こ、ここ小鞠先輩!? 違うんです! これは、その……!」
「いやあ、蛍ちゃん小五だから、小学生として接してみようと思ってね♪」
「そ、そうです!!」
「成程、忘れてたけど、蛍まだ小学生だったね……、そうだ、良い事思いついた。こっち来て!」
小鞠ちゃんが何かを思いついたように家の縁側に座ると、自分の腿をたたく。
「さあ、蛍、こっちおいで! 膝枕してあげる! お姉さんとして!」
「ひ、ひざまくら!?」
「私もよく、そうしてあげたっけなぁ。蛍ちゃんも思う存分して貰いなよ♪」
「え、えぇっ!?」
「ほら、蛍ー、おいで!」
「あ、あわわ……せんぱいの……、ひざまくら……」
蛍ちゃんの顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。電車の中で、お父さんを相手にしていたのを見たけど、それとこれとは別みたいだ。
「蛍ちゃん?」
「蛍、どうしたの?」
「ひ、ひ膝枕はさすがに恥ずかしすぎます!! きょ! きょきょ、今日はこれで失礼します!!」
そう言い残して蛍ちゃんは全力で走り去っていった。
「あ、行っちゃった……」
「やり過ぎちゃったかな……、今度会った時に謝っておかないと……」
まあ、少し揶揄い過ぎてはいたな。……それはそれとして、オレは小鞠ちゃんの程よい感じの気持ちよさそうな太腿を眺める。
「じゃあ小鞠ちゃんの膝枕は、オレが貰うね! 良い?」
「駄目に決まってるでしょ!」
予想通りの返答だった。姉ちゃんも呆れ顔だ。
「しょうがないな、よっくんは、……私の膝枕で良い?」
「……………………いや、小鞠ちゃんがいる前で良いって言えるわけないだろ! 帰る!!」
またまた何を言い出すんだよこの人! 今さっき蛍ちゃんを揶揄いすぎた事を反省してた癖に! 姉ちゃんも大概懲りないよな!
「拗ねちゃったかな……?」
「私がいなかったら良いって言ってそうなセリフだったね……」
後ろからそんな声が聞こえてきたけれど、聞こえないふりをして家の中へ入った。
この後自宅にて、姉ちゃんは改めて笑顔で提案をして来た。
「よっくんにご褒美だよ♪ あの日から今日まで、毎朝勉強を続けてるご褒美でさ♪」
そして現在、オレは姉ちゃんの膝を借りて横になっている。
「どう? 今の感じは?」
「……まあまあかな?」
「まだ拗ねてる?」
「拗ねてないし……」
「そういう事にしとこうかな♪」
姉ちゃんも自分から言った事だからか、拒む事もなく、優しい顔で膝を貸してくれた。
膝枕の感想を率直に言えば、心地よく、懐かしい思いが蘇って童心に戻れたような気がした。……たまにはこんな日も悪くないかもしれない。
――――――――――――――――――――――――
翌日、晴の陽気が漂う昼下がり。オレは特に目的もなく村の中を歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あ、蛍ちゃんだ。昨日は悪いことしたし、謝っておかないと……」
蛍ちゃんは一人ではなく、飼い犬が一緒だった。その犬は道端の草むらへ顔を突っ込んでいる。蛍ちゃんがそれを見て慌ててしゃがみ込んだ。
「あ、こらペチ! 草食べたらお腹壊しちゃうよ、ほらこっち来て!」
ペチって名前なのか。そう思った次の瞬間、ペチは勢いよく蛍ちゃんの胸へ飛び込んだ。ぺろぺろと顔を舐め始める。
「もうペチったら、くすぐったいよー!」
楽しそうな笑い声が響く。その姿は昨日の親に甘える蛍ちゃんとはまた別の顔だった。
自然な笑顔。年相応の無邪気な表情。なんだか微笑ましいな。しばらく眺めてても良いけど、昨日の事を謝らないと……。
「蛍ちゃん、昨日は姉ちゃんがゴメン……、蛍ちゃんはやっぱり普段通りの方が――」
「もー! 本当ペチカワイイなー!! わしゃわしゃしてあげるー!」
思わず足が止まった。蛍ちゃんの目が完全に据わっている。犬好きの人が限界を突破するとこうなるのか……。
「わしゃわしゃわしゃ! わーしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ!!」
ペチの頭を撫で回しながらハイテンションで笑っている。さっきまでの年相応の少女はどこへ……?
昨日に引き続き、またしても見てはいけないものを見てしまった気がする……。
「おうち帰ったらもーっとワシャワシャーって――」
そこでようやく蛍ちゃんがこちらへ顔を向けた。
「えっ……?」
そして固まる。
「えっ……?」
オレも固まる。
しばらくの間、蛍ちゃんは言葉が出なかった。オレも何も言えなかった。鳥の鳴き声だけがやけに大きく聞こえる。ペチだけが何も気にせず尻尾を振っていた。
どうしようこの空気……。頭の中に選択肢が浮かぶ。
選択肢1 今日も暑いねと言う。
選択肢2 無言を貫く。
選択肢3 蛍ちゃんをわしゃわしゃする。
三番は絶対違う。
でも一番も不自然じゃないか?
かといって二番も先が続かない……。
どうすんの、この状況!?
どうすんだよオレ!?
どうする!?
つづく!!!
※続きません。