のんのんびより ― ある田舎男子の日常 ― 【ばけーしょん編更新中】 作:NIZI
前半のラジオ体操は三人称。後半の朝食はよしお視点の一人称です。
夏の朝特有の涼しい風が、境内に立ち並ぶ杉の葉をざわりと揺らした。
鳥の囀りが響く中、神社の石段では分校の生徒達が整列し、ラジオ体操が古びたスピーカーから流れている。
体操終了と同時に、ひときわ元気な声と共に、れんげの豪快なスピンが繰り出される。
一般的な体操の動きから大きく逸脱した、リズムに乗ったステップ。最後に右手の人差し指をまっすぐ天に突き上げて、堂々とフィニッシュ。
「おちょろけ! ダンシンッ!」
他の参加者全員が唖然と固まり、れんげを凝視していた。
「どうですか? ウチのダンスは?」
ポーズを維持したまま、得意満面に尋ねるれんげ。
「初日と比べて明らかに音声と動きのズレが無くなっている……! たった三日でここまで仕上げるとは、流石はれんげ……見上げたモノだ……!」
よしおが芝居がかった大げさな口調で両手を震わせてみせる。その声には本気で感心した色も混じっていた。
「最終日には完成させますん!」
れんげは鼻を鳴らし、自信たっぷりに宣言する。
「これ、ダンスじゃなくて体操だけどね」
夏海が静かにツッコむと、周囲にクスリと笑いが広がった。
体操が終わると、担任の一穂がいない為、成り行きで引率役になった雪子が子どもたちの持つ出席カードにスタンプを押していく。
「こういうの本当は、かずちゃんの役目だと思うんだけどねぇ」
雪子にとっては、幼い頃からの妹分である一穂のだらしなさに、肩をすくめて呟いた。
「姉々は今日も寝てるのん」
「今度ビシッと言ってやらな、いかんね」
「言ってやって欲しいのん」
れんげが本気で困っている様子で言うと、越谷姉妹の背筋に冷たい汗が伝った。
「今日の朝の占い……『知人に災難が』だったんだよね」
「海行く前に保護者がKOされちゃうかな……」
ひそひそ声の会話に、気づく者はいない。
当の一穂は、自宅で呑気に爆睡しているのだった。
「そういえば、れんげちゃんのご両親、朝から畑仕事だっけ? かずちゃんも寝てるなら、家でご飯食べてく?」
「たべるん!」
れんげは迷いなく即答した。
「蛍ちゃんも食べてく?」
「いいんですか……?」
蛍は遠慮がちに両手を胸の前で握り、生真面目な表情で問う。
「いいよ、人数多い方が楽しいしね」
雪子が柔らかく微笑むと、蛍の表情がぱっと明るくなった。
「おばさん! おばさん! オレも行きます!」
よしおも連られて勢いよく前へ出る。
「えぇ~? どうしようかなぁ?」
雪子はわざとらしく頬に手を当て、いじわるな笑みを浮かべる。
「お願いしますよ! 姉ちゃん今日も朝練で、家オレ一人だけなんすから……!」
必死に訴えるよしお。その姿が微笑ましく、雪子はくすくす笑う。
「冗談よ。一緒に来なさい」
「よっしゃあ!!」
全力で喜ぶよしおを尻目に越谷姉妹は蛍に話しかけた。
「そういえばほたるん、ウチ来るの初めてだっけ?」
「はい、お邪魔ではないでしょうか……」
「後で一緒に海行くんだし、おいでよ」
「はいっ!」
越谷姉妹の歓迎の声に、蛍は嬉しさを隠さず、少し跳ねるほどの元気な返事をした。
朝の境内には、笑い声と夏の光が満ちていた。
分校の子どもたちにとって、こんな何気ない時間こそ宝物なのかもしれない。
今日の越谷家は、朝とは思えないほど活気があった。
れんげと蛍ちゃんが来たことで、いつもより人数も賑やかだ。
蛍ちゃんが初めて来た事と、海に行く日だからと、献立も豪華にするらしい。
雪子さんは帰宅して早々と台所に立ち、次々と準備を進めていた。
オレが以前、姉ちゃんに褒められた玉子焼き。今日はそれを自分が作りたいと雪子さんに申し出ると、にっこりと頷いてくれた。
卵に調味料を加えてしっかり溶き、温めたフライパンへそっと流し込む。
一気に入れず、少しずつ、少しずつ。 固まってきたところを丁寧に巻いていき、開いたスペースにまた卵液を流す。――こだわりの厚焼きだ。
一つ目は理想通りの仕上がり。 越谷一家にオレ、れんげ、蛍ちゃんで七人分。 同じ大きさのものをあと二つは焼かないといけない。
冷蔵庫に残ってた卵はほとんど使い切りそうだが、雪子さんは「気にせず使って」と気前よく笑った。
失敗はしたくない。そんな緊張から額にうっすら汗をにじませながら焼き上げて全員分の小皿に盛りつける。
――我ながら会心の出来だ。 そのまま料理屋に出してもいいくらいだ。ここに姉ちゃんがいないのが、少しだけ惜しい。大鍋で味噌汁の味を確認している雪子さんに声をかけた。
「おばさん、出来ました!」
「ありがとう。テーブルに持ってっちゃって」
雪子さんは鮭の焼け具合を確かめながら答える。
毎日家族のために台所に立つ主婦の人達を、思わず心の中で尊敬した。
リビングの大きなテーブルの上には、冷奴と自家製のたくあんを卓が並べている。
その反対側から、オレは自慢の玉子焼きを順番に置いていった。
トマトを買って戻ってきた蛍ちゃんと小鞠ちゃんに、そっと伝える。「これ、オレの自信作」 と。
少し鬱陶しかっただろうかと気になったけど「よっくんの料理、手が込んでて好き」と笑う小鞠ちゃんを見て、自然とこっちも頰が緩んだ。
「ごはん持ってきたん!」
少ししてから、全員分のご飯を盆に乗せてれんげが運んできた。
相手ごとに盛り付けの量が違うのは、れんげなりの気遣いなのだろう。背の高い人ほど大盛りになっていて、オレと卓、それに蛍ちゃんは多め。
一方で、明らかに量が少なめの小鞠ちゃんは怪訝そうな顔をしていたが――気のせいだと思っておいてくれ。
最後に雪子さんが一人ひとりに味噌汁を配り、準備完了。
「いただきます!」
「すみません、何もお手伝いせずに……」
そんな蛍ちゃんに対してオレは景気良く答える。
「いいっていいって、蛍ちゃんはお客様なんだから気にしないで」
「それよっくんが言う?」
小鞠ちゃんが苦笑する。
「家が隣同士だし、ここには半分自宅みたいに出入りしてるだろ? 家族みたいなもんだよ」
「隣同士でも、そこまで他人の家に入り浸るのは、珍しいですけどね……」
都会っ子らしい遠慮がちの指摘に、思わず苦笑。
「ま、よっくんとは付き合い長いからねぇ。にいちゃん*1がハイハイしてる頃からだから、ねえちゃん*2と夏海よりも長いのよ」
雪子さんが懐かしむように言う。
会話もそこそこに皆でいただきますの挨拶をして、朝食が始まった。
蛍ちゃんはその光景に感動するように息を吐く。その蛍ちゃんに小鞠ちゃんが話しかけた。
「どうかしたの?蛍」
「友達の家でご飯食べるの初めてなので……」
「こんなのいつもの事だよ」
蛍ちゃんと小鞠ちゃんの会話に対してれんげが一言。
「もごにょもごにょもごにょのん!」
"のん"しか聞き取れなかった。
「蛍ちゃん、如何?こっちの夏休みは?」
「朝、みんな揃ってラジオ体操とか、野菜の置き売りとか……初めてのことが多くて、毎日が新鮮です」
「ほー、そんなもんなん?」
雪子さんの問いかけに対する蛍ちゃんの答え、それに対するなっちゃんの疑問に、蛍ちゃんは元気よく「はい!」と返事した。
「蛍ちゃんは本当に礼儀正しくていい子ねぇ。ウチの夏海にも爪の垢煎じて飲ませたいくらいだわ」
「わざわざ引き合いに出さないで!」
雪子さんが苦笑いで隣のなっちゃんの頭をわしゃっと雑に撫でる。なっちゃんは鬱陶しそうに手を振り払った。
そんな家族特有の雑なやり取りに自然と笑みがこぼれる。
オレは、ふと周囲を見渡すと、れんげがオレの作った玉子焼きをじっと味わっていた。
そういえばれんげに料理を振る舞うのは初めてだ。
「どうだ、れんげ?その玉子焼き、オレが作ったんだぞ。美味いか?」
オレの料理がれんげの口に合うのか気になって声をかけた。
「甘さのなかに、かすかにかおる塩気が、はしを進ませますん」
れんげは モニュモニュ噛みながら答えた。
テレビの食レポみたいな言い回しに、思わず吹き出しそうになる。不評ではなさそうでよかった。
「うん!やっぱりよっくん料理上手いね!母ちゃんのより美味しい!」
さっきの引き合いに出された仕返しなのか、なっちゃんが雪子さんに対してとんでもないコメントを放り込んでくる。それオレにも流れ弾が来るんだが?
「いやぁ、今回は玉子焼きだけに集中したから、ね……。 他のおかずも作りながらだったら、こんなに上手く焼けなかったと思うよ」
「おやおや、私より美味しいって所は否定しないのかい?」
雪子さんがニヤニヤと笑いながら、なっちゃんのコメントに負けないくらい返答に困る絡み方をする。……こういうところ、親子だな。
「へ? いや、毎日作るとなると……、どうしても慣れとか感覚になるでしょうし……」
「あはは、かーちゃん、がさつだからなー」
おいコラ夏海!(マジギレ)
「ふふふ、じゃあ明日のご飯はよっくんに作ってもらおうかしら?」
笑顔のまま迫ってくる雪子さん。怖い。
「ご、ご勘弁を……!」
「冗談よ。真に受けないでね」
と言いつつも笑顔の圧はそのままだ。本当に怖い。
そんな中、味噌汁に入ったトマトに蛍ちゃんが目を丸くしている。
濃い味付けの味噌の中にトマトの酸味がアクセントになるのだが、初めての味らしく、口に入れた瞬間、酸っぱそうな顔をした。
――かわいい。
トマトを前に苦戦している蛍ちゃん。
そのすぐ横では、なっちゃんが雪子さんに小言を言われ「もう!」と頬を膨らませている。
――こんな朝が、ずっと続けばいいのに――そう思った、その瞬間だった。
――ガラガラガラガラァッ!!
玄関の引き戸が、爆発したかのような勢いで開いた。
(え、何事!?)
全員がそちらを見る。いつもの能天気な笑顔をぶら下げて、一穂先生が現れた。
「おはようございまーっす! 朝ごはん、食べに来ましたぁ!」
そのまま陽気なテンションでずかずかと入ってくる。 手には大きなマイボトル――中身は多分カフェオレ。雪子さんが、すっと立ち上がった。
テーブルの空気が、一瞬で凍りつく。
「……かずちゃん」
感情の消えた平坦な声に背筋が冷えた。
「ん?どしたの雪子さん?そんな怖い顔して。あ! 今日の朝ごはん豪華だね〜。玉子焼きの匂いとか最高!」
本人はニコニコ。脳内はきっとお花畑だ。
待って、嫌な予感しかしない……。ゆっくり、深く、雪子さんの笑顔が沈み込んでいく。
「質問していいかしら?」
「んー? なんですか?」
「今日は何の日か、覚えている?」
「もちろん! 今日はみんなで海に行く日!」
蛍ちゃんが小声で「そこはわかってるんですね……」と呟いた。
雪子さんは一歩、詰め寄る。
「じゃあ、もう一つ聞くわ。朝6時30分から広場で何があった?」
「ん? ラジオ体操でしょ?」
少しも罪悪感のない、不思議そうな顔。むしろ 『それくらい常識だよ?』 という態度ですらある。
雪子さんの圧力だけが、確実に上昇していく。一穂さんは、それに気づく様子もなく上機嫌で続けた。
「いや〜今日は珍しく、すっごく静かな朝でさ〜! 家にも人っ子ひとりいなかったんだよね〜! だから二度寝したら体調バッチリになって!」
――全員、固まった。
れんげの箸が床に落ちた。
蛍ちゃんは味噌汁でむせた。
小鞠ちゃんは白目をむいて倒れ。
なっちゃんは即座にテーブルの下へ逃げ込み。
卓は廊下へ飛び出して、早々と避難。
オレも身体を丸めて頭を抱えた。
このあと――口にするのも恐ろしい、修羅場が訪れた。
「今日……海行けるかな……大丈夫かな……」
テーブルの下で震えるなっちゃんの呟きだけが、耳に焼き付いた。
――今日という日は、まだ始まったばかりだ。
よしおの料理は、このみが作るのを見て一緒に手伝いながら覚えた感じ。
他人に振る舞う時は気合いを入れて自分で食べるだけの時は適当で済ますタイプ。