今回はアニメ三期・第十一話のお話です。
この作品の結末をどうするか悩んでる今日この頃。
冬休みが明け、三学期最初の連休を迎えた日、オレは自室の机に向かっていた。
「よし、今日は一日勉強するぞ!」
いよいよ試験本番まで残り一ヶ月。
東京の高校に進学するという目標を叶えるためにも、ここから気合いを入れてラストスパートをかけないといけない。
幸い、先生が宿題として、オレのためにテスト形式のプリントを用意してくれた。まずはこれを解いて、今の自分がどれくらいの実力なのか再確認することにしよう。
そう思い、ペンを握ったはいいが。
「…………あれ?」
手が進まない。
問題文を読んで、答えを考える。ただそれだけのことなのに、なぜか頭がうまく働かない。
いや、正確には、問題を解こうとするたびに、胸のあたりが妙に苦しくなるのだ。
「……なんだこれ?」
気のせいだろうか。
「とりあえず、少しトイレにでも行って気分転換するか。」
オレは椅子から立ち上がり、部屋を出た。しかし用を済ませて戻ってきても、身体の不快感は消えていなかった。
「うーん……」
何度か深呼吸をしてみる。
「さて、やるぞ!」
改めて問題集を開く。しかし、やはり手が動かない。
なんだろう。勉強をしなきゃいけないと思えば思うほど、胸のあたりが落ち着かなくなる。
「そうだ! 初詣のときに、ひか姉からお守りをもらったんだった!」
ひか姉がオレのために買ってくれたお守り。きっとご利益があるに違いない。
オレは鞄からお守りを取り出し、両手で握りしめた。
「よし、これで大丈夫! オレは絶対に東京の高校へ行くんだ!」
気合いを入れ直し、再び問題集に向き直る。
「さあ、勉強を……」
…………。
「あれ?」
なんか、手が震えてきた。
「えっ、ちょ、ちょっと待て……?」
ペンを持つ手が小刻みに震えている。
さらに、心臓がやけに速く動いているような気がした。
「駄目だ、なんか動悸までしてきやがった!」
これはいったいどういうことだ!?
まさか、オレの身体が勉強を拒絶しているとでもいうのか!?
いや、今更そんなバカな話があるか! もう試験本番まで後一月だぞ! 東京の高校に行くために、今まで頑張ってきたのに……!
「くっ……せめて問題集を眺めるくらいは……!」
問題集を開き、ひたすら問題文を眺める。無理に解かなくてもいい。今は問題を見るだけでもいいんだ。
そう自分に言い聞かせたが、結局この不調は一日中消えず、その日は殆ど勉強できないまま終わってしまった。
まあ、こんな日もあるだろう。明日になれば、きっと元に戻っているはずだ。
最初は、そう軽く考えていた。
しかし、翌日になっても不調は消えなかった。
机に向かうだけで落ち着かなくなり、ペンを握れば手が震える。昨日は何とか問題集を開けたのに、今日はそれすらためらってしまう。
勉強しなければならない。なのに、できない。時間だけが過ぎていく。
このままでは、本当に東京の高校へ行けなくなってしまう。そう思えば思うほど焦りが募り、とうとうオレは机に向かうことすらできなくなってしまった。
――――――――――――――――――――――――
とりあえず藁にもすがる思いで姉ちゃんに相談した。
「よしおくん、勉強が手に付かないんだって?」
するとフルートの練習の為に、我が家に訪れていたあかねさんも心配そうにこちらを見て尋ねてきた。
「はい……机に向かうと、身体が震えて、息も苦しくなってきて……ひか姉に貰ったお守りもこうして握ってんだけどな……」
「それ、もしかして、ひかげちゃんを意識して胸がドキドキしていたり……!?」
「うーん、ドキドキよりも勉強が捗らないイライラの方が勝るかな?」
「じゃあ恋煩いとは違うか……」
以前あかねさんに、ひか姉に告白した過去を話してから、妙に期待されるような目を向けられるようになってしまっていた。
というか、あの当時は雰囲気に流されてつい口走っちゃっただけで、今はひか姉に対してそこまで露骨な感情は抱いてないと思うけどな。
「けど身体が震えて息が苦しくなる……か。私も人見知りで、初対面の人の前に出ると不安になって息が苦しくなるから、よしおくんの気持ちもよく分かるよ……」
「うーん、勉強関連だから、人前に出る事とかは考えてないかな?」
「じゃあ人見知りとは違うか……」
割とすぐに仲良くなれたイメージあるから、あかねさんが人見知りだったことをさっきまで忘れていたのは秘密だ。
「うーん……じゃあ、試験に落ちるのが怖いとか?」
「それは……、あるかもしれない」
あかねさんの言葉に、思わず口をつぐんだ。
東京の高校に行きたい。ひか姉と同じ場所に行きたい。
そのために今まで頑張ってきた。
だからこそ、もし失敗したらと思うと、どうしても焦ってしまう。
「そっか……。私も、人前で演奏するときは失敗したらどうしようって考えちゃうことがあるよ」
あかねさんは、膝の上でそっと手を握った。
「そういうときって、失敗したらどうしようって考えれば考えるほど、余計に緊張しちゃうんだよね。練習では普通に吹けてたところまで、急にうまくいかなくなったりして……」
「練習ではできてたのに、本番でできなくなるのか……」
「うん。だから、失敗しないことばかり考えるんじゃなくて、今できることを一つずつやろうって、自分に言い聞かせるようにしてるんだ」
なるほど。
オレは試験に落ちないことばかり考えていた。けど、そのせいで目の前の問題にすら向き合えなくなっている。
これじゃ、本末転倒じゃないか。
「じゃあ、よっくんは考えすぎってことかな?」
「……姉ちゃん、オレ大分深刻に悩んでるんだから雑にまとめるなよ」
「あはは、ごめんごめん♪」
あかねさんはまだ心配そうにオレを見ていたが、姉ちゃんは相変わらず気楽な様子だった。
「とりあえず、勉強する場所を変えてみるとか? 自分の部屋だと緊張するならいっその事、ここでやればいいんじゃないかな?」
「なるほど、その手があったか!」
確かに机を見ると勉強しなきゃいけないという気持ちが出て、それが焦りにつながるのだろう。いつもくつろいでいるリビングならいけるかもしれない。さすがは姉ちゃんだ。
オレは早速、自室から問題集を持ってきて、リビングのテーブルに広げた。
よし、いくぞ……!
「よっくん、ジュース飲む?」
「飲む!」
「お菓子もあるよ?」
「食べる!」
「テレビもつけようか?」
「見る!」
「いや、勉強しなよ……」
「姉ちゃんが誘惑してきたんだろうが!」
「あはは、ごめんごめん♪」
「だーもうっ! こんな場所で勉強出来るか! 外歩いてくる!」
「いってらっしゃーい♪」
オレは一旦深く考えるのを止めて、鞄に勉強道具を詰めて持ち歩くことにする。軽く歩けばこの不安も解消されるだろうと信じて。
―――よしおが去った後の富士宮家、このみの部屋
「センパイ、よしおくん大丈夫なんですか? もうちょっと親身になってあげた方が……」
「それはそうなんだけどね。よっくんが東京に行ったら、私がすぐに助けてあげることが出来なくなるでしょ? ひかげちゃんがいるっていっても、ずっとよっくんの事を気にしていられないだろうしさ」
「それは……そうですけど……」
「だから、今のうちに自分で乗り越える経験をしてほしいんだ。もちろん、本当に困ったときは頼ってほしいけどね」
「そこまで考えてるんですね……」
「……まあね」
このみは小さく笑った。
「でもさ、よっくんには、ずっとこっちにいてほしいって思う私もいるんだよ」
「センパイ……」
「今までずっと近くにいたからね……」
そう言って、このみは少しだけ目を伏せた。
「……なんて、そんなこと言ってたら、よっくんが困っちゃうか」
「そんなことないです。センパイの気持ち、よしおくんにも伝わってると思いますよ」
「だといいけどね」
このみは、いつもの調子で笑った。
「でも、せっかく自分で決めた目標なんだから。私はちゃんと応援してあげたいんだ」
「…………」
「……だから、よっくん。頑張ってね」
* * *
駄菓子屋へ向かう途中、小さな木のそばに見覚えのある二人の姿を見つけた。
しおりちゃんとれんげだ。二人は並んで立ち、何やら木の幹をじっと眺めている。気になったオレは二人に声をかけた。
「おや、二人とも何を見てるんだい?」
「あ、よっくん、これ!」
「お、カマキリの卵じゃん」
れんげが指さした先には、木の枝にくっついたカマキリの卵があった。
冬の寒さにも負けず、こうして春を待っているのか。なんとも自然の神秘を感じる光景である。
……しかしカマキリと聞くと、オレにはどうしても引っかかる事がある。
そんなことを考えていると、しおりちゃんが卵を見つめたまま、こちらに話しかけてきた。
「これ、今度生まれてくる妹へのプレゼントにしようと思ったんだけど、れんげちゃんがまだ早いって言って」
「確かにな」
「だからお兄ちゃんにあげる!」
「んー気持ちは嬉しいけど、昔カマキリを持って帰ったら姉ちゃんに凄く怒られてな……」
「そっかー」
気持ちは本当に嬉しい。だけど、こればっかりは遠慮させてもらおう。
大分昔のことだから、あのとき何があったのか、詳しい顛末までは覚えていない。いや、正確には、詳しく思い出したくないと言った方がいいかもしれない。
しかし姉ちゃんの怒った顔だけは、なぜか今でも鮮明に思い出せるのだ。あの一件以来、オレは生き物を家に持ち込まないと心に誓っている。
そんなオレの過去など知る由もないしおりちゃんは、しばらくすると、何かを思い出したように顔を上げた。
「私そろそろ帰らなきゃ」
「なにかあるのん?」
「お昼寝の時間だから」
「なるへそ」
「お家すぐそこだから、一人でも帰れるん?」
「うん、大丈夫! れんげちゃん、お兄ちゃん、ばいばーい!」
「おう、バイバイ!」
「バイバイなのーん!」
元気よく手を振ったしおりちゃんは、そのまま家へと続く道を歩き始めた。
小さな背中が、少しずつ遠ざかっていく。
あの子は以前迷子になったこともあるから、ちゃんと家に着けるか少し心配だ。
「しおりちゃんは大丈夫なん!」
こっそり後を付けようとしたら、隣かられんげの力強い声が飛んできた。
思わず足を止め、しおりちゃんの方へ向けていた視線をれんげに戻す。
……むう。そこまで断言されると、オレとしても返す言葉がない。
確かにしおりちゃんだって、もうすぐ「お姉ちゃん」になるんだ。いつまでも子供扱いするのではなく、ここは本人を信じてあげるべきなのかもしれない。
後ろ髪を引かれる思いはあったものの、オレはしおりちゃんの背中を見送ることにした。
「じゃあウチもおうちに帰るん。よっくん、バイバイなん」
「おう、またな」
れんげの別れの言葉に何気なく応えた時、オレはふと思いついた。そうだ! れんげの家には先生がいる。
勉強が手に付かなくて困ってたし、先生なら何かいいアドバイスをくれるかもしれない。
そうと決まれば、善は急げだ。
「れんげ! オレも一緒にれんげの家まで行っていいか?」
「別に構わないん」
あっさりと許可をもらえた。
こうしてオレは、駄菓子屋へ向かう予定を変更し、れんげと一緒に宮内家へと向かうことになった。
――――――――――――――――――――――――
程なくして宮内家に到着すると、玄関前に見覚えのある三人の姿があった。
越谷姉妹と蛍ちゃんだ。
思いがけない顔ぶれに、オレは軽く手を上げて声をかける。
「おや、みんなお揃いで奇遇だな」
「あれ、よっくん。れんちょんと一緒だったんだ」
最初に気づいたなっちゃんが、こちらを振り返った。
その隣では、小鞠ちゃんと蛍ちゃんもオレ達に視線を向けていた。
「みんな、家の前でどうしたのん?」
「私達、ちょうど遊びに来たとこだったんだけど、どこか行ってたの?」
れんげが不思議そうに尋ねると、小鞠ちゃんが答える。
「しおりちゃんと遊んできたとこだったのん」
「そうなんだ、まだ遊べそう? 疲れてない?」
なっちゃんが何気なく尋ねる。
確かに、さっきまでしおりちゃんと一緒にいたのだから、れんげもそろそろ休憩したい頃かもしれない。
そう思ったのだが。
「ウチは遊びの申し子なん。これくらいで疲れてはいられないのん!」
れんげは胸を張り、チッチッチと指を振りながら自信満々に言い放った。
「「「おおっ!」」」
感心したような声が重なり、みんなの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあ中当てするん! ウチ、ボール持ってくるん! よっくんも一緒にやるん!」
「おっけー!」
れんげの提案に、オレは即答した。
最近は勉強ばかりで身体を動かす機会も減っていた。たまにはこういう息抜きも必要だろう。
今まで溜まった鬱憤もまとめて吹き飛ばすつもりで、オレはボールを取りに走るれんげの後ろ姿を見送った。
――――――――――――――――――――――――
全員で近くの空き地へ移動し、地面に線を引いて簡単なコートを作る。準備ができれば、いよいよ中当ての開始だ。
「行くぞ小鞠ちゃん! 今や絶滅危惧種のー! サブマリン投法だ!」
オレは大きく振りかぶり、地面すれすれからボールを投げた。
しかし、小鞠ちゃんはひらりとそれを避ける。
「ふふーんだ! 下から投げるなんて、私の事なめすぎじゃない?」
得意げに胸を張る小鞠ちゃん。
――シュッ! バァン!!
「ぎゃあああ!!!」
しかし背後から飛んできたなっちゃんのボールが、小鞠ちゃんのお尻に見事命中した。
最初のボールを避けたことで、すっかり油断していたようだ。
「うう……」
小鞠ちゃんはその場で四つん這いになった。
良い尻だ……。
「はい、姉ちゃんアウトー! 交代ね」
「ちょっと! いきなり当てて来ないでよ!」
「いや、だってそういうゲームだし」
お尻を押さえながら抗議する小鞠ちゃんに対し、なっちゃんはどこ吹く風だ。
小鞠ちゃんはすぐに立ち直り、「次はこっちが当ててやる!」と息巻きながら外野へと移っていった。
さて、次は誰を狙おうか。
そう考えていたところ、なっちゃんがこちらにボールを構えた。
「それじゃあいくよ、よっくん!」
「望むところだなっちゃん! 東京に行く前に、決着をつけてやるぜ!」
「東京……ふ、ふん! よっくんごときに負けるつもりはないよ! いざ尋常に勝負!」
こうして、久しぶりの真剣勝負が始まった。
「いっくよー! 夏海ちゃん!弾丸シューットォ!!」
速いっ!!
とっさに両手を伸ばしたものの、ボールの勢いを殺しきれない。
ボールはオレの膝に当たって跳ね返り――そのまま、ノーバウンドでなっちゃんに直撃した。
「「なっ!?」」
まさかの展開に、オレとなっちゃんの声が重なる。
「……よ、よし! カウンター成功! オレの勝ちだな!」
「いや待った! よっくんは取れなかったんだから、ウチの勝ちでしょ!」
お互いに自分の勝ちを主張したものの、最終的な判定を下したのは第三者であるれんげだった。
「ここは公平に、引き分けなのん!」
こうして久しぶりの真剣勝負は、引き分けに終わった。
* * *
しばらく中当てを続けたところで、オレ達はひとまず休憩することになった。
冬の空気は冷たいはずなのに、身体を動かしたせいか、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。久しぶりに思い切り遊んだ気がするな。
「はー疲れた……結局夏海に当てられなかったし……」
小鞠ちゃんは肩を落としながら、大きく息を吐いた。
どうやら、なっちゃんに一矢報いることができなかったのが心残りらしい。
「でも、楽しかったですよ」
隣にいた蛍ちゃんが、にこやかに答える。
勝ち負けはともかく、みんなで遊べたことが嬉しいのだろう。そんな和やかな空気の中、れんげがふと思い出したように口を開いた。
「そういえばなっつんの兄々は来なかったのん?」
「あー、兄ちゃんは受験勉強だって」
「そういえば卓先輩、来年は高校生ですもんね。どこ行くか決まってるんですか?」
「近くのとこだって、まぁ電車で結構かかるけど」
なるほど、最近卓の影が薄いと思っていたけど、あいつも受験勉強に励んでいたのか。
……受験勉強。
あ!? オレは、自分の部屋では勉強に集中できないから、先生に相談しようと思って宮内家まで来たんじゃないか!
それなのに気づけば額に汗を流すほど中当てに熱中していた。
いや、楽しかったから後悔はしていない。していないけど……。
そんなことを考えていると、小鞠ちゃんがこちらを向いた。
「よっくんも、もうすぐ試験だって聞いたよ? 勉強しなくて大丈夫なの?」
「そ……、そんなもの、今の時期にやってるようじゃ駄目だって、新世界の神が言ってた……」
「漫画の話でしょ……」
危うく言葉に詰まりかけたものの、なんとかそれらしい言い訳をひねり出す。
もちろん、漫画の受け売りである。
小鞠ちゃんは呆れたようにツッコミを入れた後、何やら別のことを考え始めた。
「というか来年から私が一番年上になるのか、責任重大だなー」
「そんな責任重大になるような事、無い気がするけど」
小鞠ちゃんの言葉になっちゃんがツッコミを入れる。
「いいの! 気持ちの問題なんだし……」
「ていうか、兄ちゃんとよっくんが何か年長者らしい事してた覚えもないし」
「失敬な! ちゃんとあったろ、ホラ! その……えっと……うーん……」
「無理して考えなくても良いから……それに、よっくんがどこにも受からなかったら、来年もいるし!」
なっちゃんがとんでもないことを言い出した。聞き捨てならないので、そこは反論しよう。
「それだけは無いと言えるぜ! 一応滑り止めに姉ちゃんの高校とかも受けるし!」
「わお、凄い自信……あのよっくんとは思えないな……」
なっちゃんが目を丸くする。
ふっふっふ。普段のオレの行いを考えれば、その反応も無理はない。だが、この一年でオレの学力は飛躍的に伸びた事は疑いようがないだろう。
そんなオレ達のやり取りをよそに、れんげが突然立ち上がった。
「そういえばしおりちゃん、もうすぐ妹が生まれるって言ってたん。ウチ、もっとお姉さんになるん!」
そう言いながら、れんげは足元に置いてあったボールを手に取る。その表情は普段の無邪気なものとは少し違って見えた。
「もう一回中当てするん。もっとうまくなって、しおりちゃんに教えてあげるん!」
れんげは、ぎゅっとボールを握りしめて宣言した。
……なるほど。
れんげもすっかり年長者としての自覚が芽生えたんだな。思わず感心して、オレは小さく息を吐いた。
周りを見れば、小鞠ちゃんも蛍ちゃんも、そしてなっちゃんも、どこか温かい表情でれんげを見つめていた。
どうやら、みんな同じ気持ちらしい。
「おーし、疲れも取れてきたし、もういっちょやるか!」
「やるん! 最初の目標は、こまちゃんを簡単に倒せるようになる事なん!」
なっちゃんが勢いよく声を上げると、れんげも負けじと宣言する。
「目標にされるのは良いけど、何か含みを感じるな……」
れんげの目標を聞いた小鞠ちゃんは、嬉しいような納得がいかないような、微妙な顔をしていた。
これは、もう一度中当てを始める流れだな。みんな楽しそうだし、ここで一人だけ抜けるのも少し気が引ける。
しかしそろそろ勉強にもどらないといかんな。さっきは強がったけど、いつまでも遊んでいる場合じゃない。
「オレはこの辺で……用事があるからまたな!」
できるだけ自然にそう告げる。
「じゃあね、よっくん」
「また明日、学校でお会いしましょう」
「よっくん、バイバイなのん!」
小鞠ちゃんと蛍ちゃん、れんげの言葉に、オレは手を振る。
「またね、よっくん……」
……ん?
なっちゃんの声が、いつもより少しだけ元気がないように聞こえた。
振り返ると、なっちゃんは手にしたボールを眺めていた。まだ勝負の続きがしたかったのかな?
それとも、せっかくみんなで遊んでいたのに、オレだけ帰るのが気に入らなかったとか?
……まあ、考えても仕方ないか。オレは小さな引っかかりを覚えながらも、みんなに背を向けた。
――――――――――――――――――――――――
帰り道。冷たい風が頬を撫でる。
さっきまで思い切り身体を動かしていたせいか、宮内家に来る前のような息苦しさは、少しだけ和らいでいた。
先生に相談するつもりでここまで来たけれど、今すぐ答えを出さなくてもいいのかもしれない。
焦ったところで、試験までの時間が増えるわけじゃないし。
だったら、今できることから少しずつやっていくしかない。
そう考えると、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。
よし、帰ったら早速勉強だ!
……とはいえ、問題は勉強する場所である。
うーん……。
自分の部屋は駄目。リビングは誘惑が多すぎる。外で勉強するには寒すぎるし、駄菓子屋に長居して楓ちゃんに迷惑をかけるわけにもいかない。
静かで、誰にも邪魔されず、余計なものも目に入らない場所……。そんな都合のいい場所、どこかにないものか。
……ん? 待てよ。あるじゃないか!
オレは名案を思いつき、思わずニヤリと笑った。
――――――――――――――――――――――――
―――その夜の越谷家
「なっちゃん、こんばんわ」
「あれ、このちゃん? こんな夜遅くにどうしたの?」
「実はよっくんがトイレから出てこなくてさ……トイレ貸してほしくて……」
「えー……」
―――同時刻、富士宮家のトイレ
「凄い! 勉強が捗る! トイレには神様がいるって話! 本当だったんだな!」
家に一つしかないトイレを占領していたよしおは、後で家族全員に怒られたのであった。
当初は中当ての後に宮内家に行ったよしおが間違えて酒を飲んで大暴れするオチにしようかと思いましたが、いろいろ展開に無理があったのでボツになりました。
さて、次回はいよいよアニメの最終話の話になります。
ほぼ間違いなく一話では収まらないでしょう。
あと少しだけお付き合いください。