朝、今日は卒業式。これが分校へ通う最後の日だ。
思えば、長いようで短かった。毎日のように通っていたこの学校とも、今日でお別れだ。そう考えると、やはり感慨深いものがある。
そんな卒業式を前日に控えた昨日、既に高校を卒業した姉ちゃんから、こんなことを言われた。
「暇だから私も行くね♪」
今日はさすがに母さんも休みを取って来てくれるから、別に来なくても良いと言ったんだが、
「せっかくのよっくんの晴れ舞台を見逃すなんてするわけないじゃん♪」
と、満面の笑みで言い切られてしまった。
まあ、来ては駄目なわけではないし、そう言われるとオレには拒否する理由もない。
「じゃあよっくん、学校でね」
「わかった」
後から来ると言っていた姉ちゃんに軽く返事をして玄関を出る。
そのまま隣の越谷家へ向かうと、ちょうど三人が家から出てくるところだった。
「おはようなっちゃん、今日は起きられたみたいだな」
「よっくん、ウチだって毎日寝坊してるわけじゃないんだけど」
「ほう、なっちゃんも、この一年で中学生としての自覚が芽生えたって所かな?」
「まーねー、いつまでも遅刻を繰り返す夏海ちゃんではないのだよ!」
なっちゃんは胸を張り、得意げな顔で答える。
なるほど。どうやらこの一年で、随分と成長したらしい。
「今日は卒業式だから絶対に遅れるなって、お母さんにしっかり起こされてたからね」
「姉ちゃん、ネタバレは良くないよ」
ところが、そんな彼女に小鞠ちゃんから容赦のないツッコミが入った。
どうやら自力で起きたわけではないらしい。
雪子おばさんが、なっちゃんの布団をひっくり返している光景が目に浮かぶ。思わず笑みがこぼれてしまった。
「兄ちゃん、そろそろ行くよ」
屋根に止まっている雀をじっと見つめていた卓は、なっちゃんに呼ばれると、その場で軽く一礼をしてから、こちらへ向かってきた。コイツはコイツで何か思うところがあるのかもしれない。
……いや、これは卒業証書を受け取るときの動作の練習だな。
最後まで真面目な奴だ。
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そして分校に到着すると、入り口で姉ちゃんと母さん、それに雪子おばさんと合流した。
下駄箱で先生とれんげ、蛍ちゃんとも顔を合わせ、そのままみんなで校舎の中へと入っていく。
「お、かず姉今日はちゃんとした服着てる!」
「まあ卒業式だしね」
前を歩いているなっちゃんと先生の会話が聞こえる。
確かに、今日の先生はいつものだらけた格好とは違い、お化粧をして、きちんとした服装に身を包んでいる。
普段とのギャップもあってか、こうして見ると不覚にもドキッとしてしまった。
これが馬子にも衣装ということなのだろうか。
「ふーむ……」
「よっくん、またくだらない事考えてる?」
どうやら考え込んでいるうちに、隣を歩いていた姉ちゃんに気付かれてしまったらしい。
「いや、結構真剣だぞ、今のオレ」
「じゃあ何考えてたの?」
「姉ちゃんに言うほどの事じゃないな」
「ふーん……」
なぜかジト目を向けられてしまった。別にやましいことを考えていたわけではない。……多分。
「おはようございます、おばさん」
「おはよう。とうとうよっくんと卓にも、この時が来たんだね……」
「そうですね、あまり実感は湧きませんけど」
今度は雪子おばさんにも顔を向け、軽く挨拶を交わす。
おばさんも今日はフォーマルな格好をしていて、いつもとは少し雰囲気が違っていた。
こうして改めて卒業する立場になってみても、まだどこか実感が湧かない。毎日当たり前のように通っていた場所だからこそ、今日が最後だと言われても不思議な感じがするのかもしれない。
「かずちゃん、今日は変なヘマしないでよー」
「あまり言うとフラグになっちゃいますから……」
雪子おばさんに釘を刺された先生は、苦笑いを浮かべていた。
恐らく、授業参観のときのことでも思い出しているのだろう。先生も先生で、今日は何事もなく終わらせたいところだと思う。
「まあ、今回の主役はオレと卓だから、ヘマなんて起きようもないですって!」
「よっくん、あからさまなフラグを立てないで」
自信満々に答えたオレに、姉ちゃんからすかさずツッコミが入った。
流石のオレも卒業式でまで、おふざけしようとは思わんよ。
……多分、きっと、メイビー。
――――――――――――――――――――――――
そんなこんなで会話を弾ませながら歩いているうちに、ようやく教室へと到着した。
教室の中は、いつもとはまるで違う雰囲気になっていた。
窓には色とりどりの花の飾り付けが施され、黒板にも花が飾られている。中央には大きく『卒業おめでとう』の文字。そして廊下側には紅白の天幕まで張られていた。
普段は見慣れているはずの教室なのに、こうして飾り付けられるだけで随分と印象が変わるものだ。
「いつもと違うん」
「そうだね、いつもの教室じゃないみたい」
れんげと蛍ちゃんも、教室の様子を見回して感心したような声を漏らしていた。
オレと卓は卒業生ということで、式が始まるまでは廊下で待機することになった。
「じゃあ、始めるか」
先生のその一言を合図に、いよいよ卒業式が始まった。
* * *
「それでは、卒業式を始めます。卒業生は入場してください」
先生の声が教室に響く。
オレは一度だけ後ろにいる卓と目を合わせ、それから教室のドアを開けた。
そのまま二人揃って教室の中へと入っていく。瞬間、みんなから拍手で出迎えられた。
なんとか表情には出さないようにしているものの、こうして改めて祝福されると、どうにも照れくさい。
「卒業証書授与。富士宮よしお殿」
「はい!」
先生に名前を呼ばれ、オレは返事をして一歩前へ出た。
「あなたは旭丘分校の全課程を修了したことをここに証します! 卒業おめでとう」
差し出された卒業証書を両手で受け取り、丁寧に礼をする。
それから、みんなの方へと向き直った。
途端に教室いっぱいの拍手が沸き起こる。
……ああ、本当に卒業するんだな。
手元の卒業証書を見つめながら、そんなことを思った。
これまで楓ちゃんや姉ちゃん、ひか姉の卒業式を見送ってきた。
あのときは、みんながこの学校を離れていくことが寂しくて、卒業する本人よりも泣いていた気がする。
それなのに、今度は自分が卒業する側だ。
いつもと変わらないはずの教室が、今日は少し違って見える。
そんな不思議な気分のまま席へ戻ると、隣では卓も卒業証書を受け取っていた。
あいつも、いつもどおり落ち着いた様子で礼をしている。
……本当に最後までブレない奴だな。
そんなことを考えながら、オレは卓の姿を見守った。
* * *
「では次は、在校生のみんなで卒業生に歌を贈ります」
「あれ、歌うのは良いけど、誰がピアノ弾くの?」
「さあ?」
続いて在校生により合唱の時間。小鞠ちゃんとなっちゃんが、ピアノを弾く人が誰なのかと話している。
そんな会話の途中で、卓が卒業証書を片手にピアノの前へ歩いて行った。
「自分への歌を自分で弾くのか……」
卓は鍵盤を前にして、気合いを入れた様子だ。
ふむ、ここは卓に対抗して、オレも何かしてやろうか……。
「よっくん?」
姉ちゃんの声に振り向くと、そこには笑顔の姉ちゃんがいた。
……なぜだろう。笑顔なのに妙な圧を感じる。
いやいや、断じて良からぬことを考えていたわけではありませんよ! ほんの少し場を盛り上げようと、芸を披露しようとしていただけで……。はい、ここはそういう場ではありませんでした!
とはいえ、卓だけに良い格好はさせられない。
そんな対抗心が芽生えたオレは、みんなの方へ向き直ると、一歩前に出た。
そして大きく深呼吸をしてから、オレは両手をゆっくりと持ち上げ、四拍子を刻むように腕を振った。
それを合図に、卓がピアノを弾き始める。
どうやら意図は伝わったようで一安心。
こうしてオレは卒業生にして指揮者となった。
――――――――――――――――――――――――
卒業式が終わり、帰り道。
式の後片付けも済ませ、オレ達はいつものようにみんなで下校していた。
「卒業式終わり、帰ろ帰ろ」
小鞠ちゃんの声を合図に、みんなが歩き出す。
「しかし卒業式だというのに、なんの感慨も無く終わってしまった」
「まあ去年のひか姉の時と内容自体同じだしね。泣くかと思ってたよっくんも泣いてなかったし」
なっちゃんの言葉に、小鞠ちゃんも頷く。
確かに、式そのものは去年のひか姉の時と大きく変わらなかった。卒業証書を受け取って、在校生の歌を聴いて、最後に校歌を歌う。大まかな流れは同じだ。
違う部分といえば、今年は卒業生が二人いたという所くらいだろう。
「いやさ、ノリで指揮者なんてやっちゃったもんだから、ヘマしないように必死でさ。泣くタイミングを逃しちゃったんだよ、残念ながら」
「そこ、残念がる所なんだ」
「まあいいさ! 次はもっと上手くやってやるし!」
「いや、もう卒業しちゃってるから……」
オレの言葉に小鞠ちゃんが呆れたようにツッコミを入れる。
そんな調子でいつものように会話を交わしていると、蛍ちゃんがふと口を開いた。
「それにしても不思議ですね。お二人とも、もう学校には来ないなんて」
その言葉に、少しだけ足取りが重くなる。
確かに明日からはもう、あの教室に通うこともない。そう考えると、ようやく卒業したという実感が湧いてきた。
「でも、ちゃんとお礼言っておくん」
すると、れんげがオレと卓の前にやってきた。
そして、いつになく真剣な表情でこちらを見上げると、
「どうもお世話になりましたん!」
深々と頭を下げた。
……やばい。
その一言が、妙に胸に響いた。
目の奥がじんわりと熱くなってくる。
「よしお先輩、卓先輩、今までありがとうございました」
蛍ちゃんは、丁寧に頭を下げた。
「おつかれさま」
なっちゃんが短く声をかける。
「まあ、確かに不思議な感じかも」
小鞠ちゃんも、少し寂しそうに頷いた。
みんなの顔を順番に見ていると、これまで一緒に過ごしてきた日々が頭の中を駆け巡る。
何気ない会話も、くだらないことで騒いだことも、みんなで遊び回ったことも。
どれも当たり前だったはずなのに、もう同じようには過ごせない。
……そう思った途端、目の奥が熱くなった。
「う、……ぐすっ」
……ああ。
ようやく泣けた。
「おお、やっぱり泣いてんじゃん」
「ぐすっ……なっちゃん、なっちゃーん!」
気が付けば、目の前にいたなっちゃんに抱きついていた。
「うおっ!? ちょ、よっくん!?」
突然のことに、なっちゃんは驚いた声を上げる。
少し戸惑ったような様子を見せた後、オレの背中に手を回してくれた。
そして、ぽんぽんと軽く叩いてくれる。
「よしよし……ったく、こんなところで泣くなんてさ」
……あれ? 思っていたよりも優しい。
てっきり突き飛ばされるか、せめて頭を小突かれるくらいは覚悟していたんだが。
予想外の反応に、オレは少しだけ顔を上げて、なっちゃんの様子を窺った。
「……ホラ、いつまでも泣いてないで帰るよ」
そう言ってオレを促すなっちゃん。
その顔は、いつもの調子とは少し違って見えた。
「……あ、ああ」
返事をしながら、ふと目に入った彼女の表情。
目元が、少し潤んでいるように見えた。
……そっか。
なっちゃんも、寂しいんだよな。
それでも、いつもみたいに強がっているのかもしれない。
オレはそれ以上何も言わず、そっと彼女から離れた。
* * *
「じゃ、またね」
「はーい」
「またなーん」
そんな会話を交わしているうちに、いつもの分かれ道へと到着した。
ここでれんげと蛍ちゃんに別れを告げ、二人はそれぞれ帰っていった。
こうして、オレ達の卒業式は終わった。
いつもと変わらない帰り道。
いつもと変わらない田んぼや山の景色。
だけど、今日だけは少しだけ、いつもと違う景色に見えた。
――――――――――――――――――――――――
「それで卓、この場に残ったのは、一体なんでだ?」
れんげと蛍ちゃんに別れを告げた後、オレはしばらくその場に立ち止まっていた。
卒業式が終わったことや、みんなとの別れを思い返しながら、しんみりとした気分に浸っていたのだが……。
ふと気付くと、卓もまだその場に残っていた。
てっきり先に帰ったものだと思っていたのに、どうやらオレと同じように足を止めていたらしい。
それどころか、まるでオレと二人きりになれる機会を待っていたかのようにも見える。
……なるほど、何か用があるというわけか。
卓は周囲を見回し、オレ達以外に誰もいないことを確認すると、そっと顔を寄せてきた。
どうやら内緒話らしい。
誰が聞いているか分からないから、ということか。用心深い奴め。
耳元で小声の話を聞き終えたオレは、何度か頷いた。
「ふむふむ……ほうほう……、よしわかった。じゃあ昼飯を食べたら、オレ達だけの秘密基地で落ち合うとしよう」
卓は力強く頷く。その様子を見て、オレの口元にも自然と笑みが浮かぶ。そういうことなら話は早い。
卒業式の余韻に浸るのも悪くないが、せっかくの今日だ。まだまだ楽しみは残っている。
しんみりしていた気分も、すっかり吹き飛んでしまった。……みなぎってきたな!