PSYCHO-Archive 透き通る世界に落ちた猟犬   作:elimin

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ども( ᐡ. ̫ .ᐡ )
この数ヶ月で展開を練りに練って大まかにプロットはできました。
書くのに時間がかかる…


Case.05 覆面の下の顔

「お待たせしました。変動金利等を諸々適用し、今月のお支払いは利息788万3250円となります。こちら、全額現金にてお支払いいただきました。以上となります」

 

乾いた砂埃が舞うアビドス高等学校の校門前。

黒い現金輸送車の横に立つロボットは、手元の端末を確認すると、事務的な口調でそう告げた。

その前には、五人の生徒と一人の男が立っていた。

 

彼女たちが差し出したのは、学校を維持するために、そして借金を少しでも減らすために集めた金だ。アルバイトをして、仕事を請け負い、時には危険な目に遭いながら、どうにかこうにかかき集めた金。そのすべてを渡しても、返済できるのは元金ではなく、利息だけだった。

 

「カイザーローンをご利用いただき、毎度ありがとうございます。来月もよろしくお願いします∧∧」

 

ロボットの液晶画面に、にこやかな顔文字が表示される。

 

「…………」

 

縢秀星は、無言でその顔を見つめていた。

殴りたい。率直に言えば、今すぐその無機質な頭部を叩き割りたい。

別に、目の前のロボットに罪があるわけではない。こいつはただ、決められた手順に従って金を受け取り、決められた文句を口にしているだけだ。

分かっている。分かっているのだが。

 

「……っ」

 

縢は拳を握り締めた。こめかみが、ぴくりと動く。

 

「……先生?」

 

隣にいたノノミが、少し心配そうに顔を覗き込んだ。

 

「……なんでもねぇよ」

 

「本当ですか? なんだか、すごく怖い顔をしてますけど……」

 

「気のせいだ。気のせい」

 

縢は笑顔を作った。もっとも、本人としては笑ったつもりでも、傍から見れば獲物を前にした肉食獣の顔に近かったかもしれない。

やがてロボットは、最後まで変わらぬ笑顔を浮かべたまま現金輸送車へ乗り込んだ。

重い扉が閉まり、エンジンが唸る。黒い車体は砂埃を巻き上げながら、ゆっくりと校門から遠ざかっていった。

縢は、その後ろ姿が見えなくなるまで睨み続けていた。そして、ようやく口を開く。

 

「……なあ」

 

「はい?」

 

ノノミが首を傾げる。

 

「これ、あと何年続くんだ?」

 

「309年」

 

シロコが即答した。

 

「…………は?」

 

思わず聞き返す。

聞き間違いだと思いたかった。というか、聞き間違いであってほしかった。

しかし、シロコはいつもどおりの無表情で、淡々と言葉を重ねる。

 

「単純計算で、あと309年」

 

「おい待て」

 

縢は反射的にシロコの肩を掴んだ。

 

「300年ってなんだよ。俺が死んでるどころか、墓まで苔むしてるわ!」

 

「先生なら長生きしそうですけど」

 

「そういう問題じゃねぇ!」

 

「でも、先生ってなんだかんだ丈夫そうですし」

 

「ノノミちゃんまで何言ってんだよ!?」

 

「ふふっ、冗談ですよ☆」

 

そう言って笑うノノミだったが、その表情もすぐに曇った。

 

冗談で済ませられる話ではない。

309年。

もちろん、今後の金利や返済額が変わらないと仮定した単純計算だ。それでも、その数字が示している現実はあまりにも重かった。

 

毎月、働いて稼いだ金をかき集める。

そして、その大部分を利息として支払う。

残った元金は、ほとんど減らない。

来月も、その次の月も、同じことを繰り返す。

 

「……笑えないわよ」

 

セリカが、深いため息とともに呟いた。

 

「どれだけ頑張ったって、これじゃ元金なんてほとんど減らないじゃない。いつまでこんな生活を続けなきゃいけないのよ……」

 

「…………」

 

誰もすぐには答えなかった。

 

砂埃の向こうに、古びた校舎が見える。

塗装の剥がれた壁。ところどころ傷んだ窓。手入れが行き届いているとは言い難い校庭。

それでも、ここは彼女たちにとって大切な場所だった。

 

誰かにとっては、ただの寂れた学校なのかもしれない。

しかし、彼女たちにとっては違う。

一緒に笑い、喧嘩し、失敗して、それでもまた明日を迎えるための場所。

苦しい状況の中でも、何とか守り続けてきた居場所なのだ。

 

「働いても働いても、利息を払うだけ……か」

 

縢は、現金輸送車が消えていった方向へ目を向けた。

元金を減らすために働いているはずなのに、実際には利息を支払うために働いている。

そのために働き、その結果として、また次の利息を支払うために働かなければならなくなる。出口のない輪の中を、延々と走らされているようなものだった。

 

「……そりゃ、銀行強盗の一つも考えたくなるわな」

 

思わず漏れた独り言に、シロコが反応した。

 

「……だったら」

 

「ん?」

 

「銀行を襲えばいい」

 

「…………」

 

風が吹いた。砂が、さらさらと地面を滑っていく。

 

「……は?」

 

縢はゆっくりとシロコを振り返った。

 

「銀行強盗」

 

「聞こえなかったわけじゃねぇよ!」

 

「なら話は早い」

 

「早くねぇ!」

 

縢は頭を抱えた。

 

「お前なぁ……!俺は教師だぞ?銀行強盗を提案する生徒がいたら、止めるのが教師の仕事だろうが!」

 

「でも、このままだとアビドスはなくなる」

 

「…………」

 

シロコの声は、いつもと変わらなかった。

冗談を言っているわけではない。本気で、学校を守るための方法として銀行強盗を口にしているのだ。

その事実に、縢は言葉を詰まらせた。

 

「……だから、まずは調べたい」

 

シロコが続けた。

 

「調べる?」

 

「カイザーが、どうしてこんなにお金を要求できるのか。その仕組みを」

 

彼女は、黒い現金輸送車が去っていった方向を見つめた。そんな中で縢が声を出す。

 

「……なあ、セリカちゃん」

 

「な、何よ?」

 

「前に襲ってきた連中、覚えてるよな?」

 

「ヘルメット団のこと?」

 

「そ。あいつら、ずいぶん物騒なモン持ってたよな」

 

セリカは少しだけ表情を険しくした。

 

「……ええ。あのとき使ってた兵器の一部は、今じゃ違法扱いになってるものだったわ」

 

「だよなぁ」

 

縢は顎に手を当てた。

 

「普通に学校生活送ってる生徒が、そんなモンをぽんぽん手に入れられるとは思えねぇ。どっかに流してる奴がいるか、連中自身がそういう連中と繋がってるか……」

 

「それで、便利屋68の連中も関係していると?」

 

アヤネが尋ねる。

 

「まだ分かんねぇよ。あいつらはあいつらで、依頼を受けて動いてるようだったしな」

 

縢は、先日の戦闘を思い返した。

自称社長の陸八魔アル。妙に堂々とした態度のわりに、どこか締まらない立ち振る舞い。そして、その下にいる三人の部員たち。

あの連中は確かに問題児だった。だが、ただ暴れたいだけの集団とも少し違う。少なくとも、何らかの依頼を受けて仕事をしているつもりではあるらしい。

 

「……ただよ」

 

縢は顔を上げた。

 

「便利屋もヘルメット団も、武器や仕事の話が出てくる。んで、こっちはカイザーに毎月金を取られてる。別々の話に見えて、どっかで繋がってる可能性はあるんじゃねぇかな」

 

「カイザーが、裏社会と?」

 

ノノミが尋ねる。

 

「可能性の話だって。今んとこ、カイザーが直接あいつらに武器を流してる証拠もねぇし、便利屋がカイザーの依頼で動いてたって証拠もねぇ」

 

縢は肩をすくめた。

 

「ただ、キヴォトスの裏側に、武器や金や仕事を仲介する場所があるんなら、そこを調べる価値はある」

 

「……ブラックマーケット」

 

シロコが呟いた。

 

「そういうこと」

 

縢は頷いた。

 

「違法なモンが出回ってる場所なら、誰が何を売ってるのか、どこから仕入れてるのか、何かしら手掛かりがあるかもしれねぇ」

 

「でも先生、ブラックマーケットって危ない場所なんですよね?」

 

アヤネの声には不安が滲んでいた。

 

「危ないだろうな。今の話を聞く限り、少なくとも観光気分で行く場所じゃねぇ」

 

「だったら、私たちだけで行くわけにはいかないわね」

 

セリカが腕を組む。

 

「……先生も来るの?」

 

「当たり前だろ」

 

縢は即答した。

 

「お前らだけで行かせたら、何が起きるか分かったもんじゃねぇ。俺が一緒に行って、危なそうなら引き返す。それでいいだろ」

 

「ん。先生がいるなら安心」

 

「いや、シロコちゃん。そういうときは、もうちょっと慎重になろうぜ?」

 

「先生が守ってくれる」

 

「信頼が重てぇんだよなぁ……」

 

縢は苦笑した。

 

そのとき、ホシノがふと口を開いた。

 

「でもさぁ、先生。カイザーが本当に裏社会と繋がってるとして、何が目的なんだろうねぇ?」

 

「そこなんだよな」

 

縢の表情が少しだけ引き締まった。

 

「アビドスから金を取るだけなら、わざわざ面倒なことをする必要はねぇ。契約を盾にして取り立てりゃいい。なのに、もし裏社会にまで金を流してるんなら……その金が何に使われてるのか、調べる必要がある」

 

「借金そのものに、何か仕掛けがあるのかもしれませんね」

 

ノノミが静かに言った。

 

「契約の内容や利息の計算に不自然なところがあれば、交渉の材料になるかもしれない」

 

「そう。金の流れを追うのも大事だけど、借金の記録そのものも見てぇところだな」

 

縢は校舎を振り返った。

古びた校舎。砂埃の舞う校庭。ここを守ろうとしている五人の生徒たち。

彼女たちが毎月どれほどの苦労をしているのか、縢はまだすべてを知っているわけではない。

それでも、目の前であんな金額を持っていかれれば、黙って見ていられるはずがなかった。

 

「……よし。まずはブラックマーケットで情報を集める。カイザーに関係する取引記録や、銀行のことを知ってる奴がいないか探す。何か出てきたら、そこから次を考えようぜ」

 

「分かった」

 

シロコが頷く。

 

「……あ、そうだ」

 

縢は思い出したように指を立てた。

 

「一つだけ約束しとけ」

 

「何?」

 

「勝手にケンカを売らない。怪しい奴を見つけても、すぐ銃を抜かない。危なくなったら、俺の指示に従って引く」

 

「……善処する」

 

「シロコちゃん?」

 

「……分かった」

 

「よし。今、ちょっと間があったのが気になるけどな……」

 

縢はため息をついた。

 

「ま、いいや。行くぞ。何も分からねぇまま帰ってくるわけにはいかねぇからな」

 

こうして、縢たちはブラックマーケットへ向かうことになった。アヤネはアビドス高校で待機する役割だった。

 

「こちらは通信機器を準備しておきます。何かあれば、すぐに連絡してください」

 

アヤネの声が通信機越しに届く。彼女は学校に残り、遠隔から全員の状況を確認する役目を担うことになっていた。

 

「おう、頼んだぜアヤネちゃん」

 

「はい。皆さんも、くれぐれも無茶はしないでくださいね」

 

「……努力する」

 

「シロコ先輩、そこは『はい』って言ってください!」

 

いつものやり取りに、縢は小さく笑った。こうして、アビドスの五人と縢は、ブラックマーケットへ向かうことになった。

もっとも、この時点ではまだ、銀行強盗などという話が本当に実行されることになるとは、縢自身も考えてなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラックマーケット。

 

そこは、キヴォトスの表側ではまず見かけないような商品が並び、怪しげな取引が平然と行われている場所だった。通りには露店が並び、大小さまざまな看板が雑然と掲げられている。違法改造された銃器。出所の分からない機械部品。ラベルの剥がれた薬品。用途も製造元も不明な装置。

 

売り手も買い手も、そうした品々を前にして何ら不思議そうな顔をしていない。まるで、これが当たり前の日常であるかのように、値段を交渉し、金を払い、商品を受け取っていく。

青空の下に、堂々と闇が広がっている。そんな奇妙な場所だった。

 

「……すげぇ場所だな」

 

縢は、思わず周囲を見回した。

露店の片隅では、何に使うのか分からない機械が甲高い音を立てて動いている。その向こうでは、見るからに危険そうな銃器を手にした男が、店主と値段の交渉をしていた。

少し先には、怪しげな液体の入った瓶を並べている店まである。

 

「先生、あまりキョロキョロしない方がいいですよ」

 

通信越しにアヤネが注意した。

 

「別にいいだろ。こんなもん、見たことねぇんだから」

 

「だからといって、あまり目立つのはよくありません。何かあってからでは遅いんですから」

 

「分かってるって」

 

そう答えながらも、縢の視線は、露店に並んだ機械部品へ吸い寄せられていた。

 

「……先生も、こういうの好きなんですか?」

 

ノノミが楽しそうに尋ねる。

 

「珍しい機械があったら気になるだろ。ほら、あの部品なんか、何に使うんだ?」

 

「さあ……?」

 

「いや、さあって。気にならねぇの?」

 

「私は、どちらかというとお買い物の方が気になりますねぇ」

 

「お前はお前でブレねぇな……」

 

「ふふっ、そういうところは男の子ですね☆」

 

「うるせぇ」

 

ノノミがくすくすと笑い、セリカが呆れたようにため息をつく。

 

「先生、遊びに来たんじゃないんだからね?」

 

「分かってるよ。ちょっと見てただけだろ」

 

「その『ちょっと』で、さっきから何回立ち止まってると思ってるのよ……」

 

「細けぇなぁ」

 

そんな調子で歩いていた、そのときだった。

 

「た、助けてくださいぃ!」

 

悲鳴にも似た声が、通りの喧騒を突き破った。縢は、ぴたりと足を止める。

 

「……ん?」

 

声のした方へ顔を向けた。路地の奥から、一人の少女がこちらへ向かって走ってくる。その後ろには、数人の武装したチンピラの少女たちが続いていた。少女は何度も後ろを振り返りながら、必死に逃げている。

 

「待てコラァ!」

 

「逃げんな!」

 

「大人しく捕まれ!」

 

チンピラたちの怒鳴り声が響く。周囲の人々は、ちらりとそちらを見るだけで、誰も止めようとしなかった。ブラックマーケットでは、こうした騒ぎも珍しくないのだろう。

少女の足が、路地の段差に引っかかった。

 

「ひっ……!」

 

体勢が崩れ、今にも地面へ倒れ込みそうになる。

 

「危ねぇ!」

 

考えるより先に、縢は駆け出していた。少女の身体をかばうように前へ出る。そして、追いついてきたチンピラの腕を掴むと、相手の勢いを利用して地面へ叩きつけた。

 

「ぐあっ!?」

 

チンピラの身体が路面にぶつかり、鈍い音が響く。

 

「なッ──」

 

「はい、まずは一人」

 

縢はチンピラの腕を放し、何事もなかったかのように立ち上がった。残るチンピラたちが足を止める。

その隙に、シロコたちも少女の前へ出て、それぞれ武器を構えた。

 

「全員、止まりなさい!」

 

セリカが声を張り上げる。

 

「その子を追い回すのはやめなさい!」

 

「うるせぇ!てめぇら、何のつもりだ!」

 

チンピラの一人が怒鳴り返す。

 

「こっちにはこっちの事情があんだよ!」

 

「事情があれば、何してもいいってわけじゃないでしょ!」

 

セリカが言い返した。しかし、チンピラたちは引き下がらなかった。

 

「舐めんな!」

 

一人が懐から銃を抜いた。その瞬間、縢の表情から軽さが消えた。

 

「……おい」

 

低い声だった。

 

「銃を下げろ」

 

「うるせぇ!」

 

チンピラは銃口をこちらへ向けた。

 

「死ねぇ!」

 

引き金に指がかかる。次の瞬間、縢の身体が動いた。

踏み込むと同時に足を振り抜き、銃を持つ手元を蹴り上げる。乾いた音が鳴り、銃がチンピラの手から弾き飛ばされた。

 

「なっ!」

 

「先生!」

 

「俺の生徒に銃向ける奴は──」

 

縢はチンピラの懐へ潜り込む。

 

「教師として見過ごせねぇんだよ!」

 

肘打ちがチンピラの身体に叩き込まれ、直後に逆の手に握ったM93Rが火を吹いてゼロ距離で命中する。チンピラはうめき声を上げ、後方へ吹き飛ぶ。

その一瞬で、残る連中も完全に戦意を失ったわけではなかった。

 

「くそっ、やっちまえ!」

 

チンピラたちが一斉に動く。だが、相手が悪かった。

シロコが迷いなく銃を構え、チンピラの一人を撃ち抜く。弾丸は相手の防具を弾き、チンピラを地面へ転がした。

ノノミはミニガンを構え、逃げ道を塞ぐように銃撃を浴びせる。チンピラたちは身をかがめ、思うように前へ出られない。

 

「ちょっと! こっちに来ないでよ!」

 

セリカが叫びながら、銃を構えて側面へ回り込む。逃げようとしたチンピラの進路を塞ぎ、牽制射撃で足を止めた。

 

「はいはい、そんなに慌てなくてもいいのにねぇ」

 

ホシノは、迫ってきたチンピラを盾ごと受け止めると、そのまま力任せに押し倒した。

 

「ぐえっ!?」

 

「はい、おしまい」

 

あまりにも軽い口調だった。

 

数秒後、路地に残っていたのは、地面に転がるチンピラたちと、銃を構えたまま周囲を警戒するアビドスの生徒たちだけだった。

 

「……終わった?」

 

ホシノが、のんびりと周囲を見回す。

 

「終わりだな」

 

縢は倒れた連中の武器を確認しながら答えた。アビドスの生徒たちは、他の学園と比べて人数こそ少ない。しかし、それぞれが厳しい状況の中で戦い続けてきた分、個々の戦闘能力は高い。今の一幕だけでも、それがよく分かった。

 

「ったく……ブラックマーケットってのは、どこもかしこも物騒だな」

 

縢は、銃を拾い上げて安全な場所へ蹴り寄せた。

 

「先生、それ、普通に危ない場所だからね?」

 

セリカが呆れたように言う。

 

「分かってるよ。……いや、分かってたつもりだったんだけどな」

 

縢はため息をついた。すると、背後からおずおずと声がかかった。

 

「あ、あの……!」

 

振り返ると、先ほど助けた少女が、申し訳なさそうに頭を下げていた。

 

「助けていただいて、ありがとうございます!」

 

「おう。大丈夫か?」

 

「は、はい!」

 

「怪我は?」

 

「ありません!」

 

「ならよかった」

 

縢は少女の顔色や手足をざっと確認し、ひとまず問題がなさそうだと判断すると、ようやく肩の力を抜いた。

 

「それで、どうしてあいつらに追われてたんだ?」

 

「あ……それは……」

 

少女は、少しだけ言いにくそうに視線を泳がせた。縢は急かさず、返事を待った。

 

「実は……探しているものがあったんです」

 

「探し物?」

 

「はい!」

 

その瞬間、少女の表情がぱっと明るくなった。つい先ほどまで、追いかけられて怯えていたとは思えないほどの変わりようだった。

 

「モモフレンズっていうキャラクターグッズなんですけど!」

 

「……お、おう?」

 

縢は思わず曖昧な返事をした。

 

「その中でも、特に有名なのがペロロ様というキャラクターでして!」

 

「ペロロ様?」

 

聞き慣れない名前に、縢は眉を寄せた。少女は、はっとしたように姿勢を正す。

 

「あっ、申し遅れました! 私、阿慈谷ヒフミと申します!」

 

「阿慈谷……ヒフミちゃんか」

 

「はい!」

 

「この辺の生徒じゃなさそうだけど……」

 

「トリニティ総合学園の生徒です!」

 

ヒフミは丁寧に頭を下げると、再び目を輝かせた。縢はアロナから学園の説明を受けたときのことを思い出した。

現在キヴォトスにおける三大校「ゲヘナ学園」「トリニティ総合学園」「ミレニアムサイエンススクール」。そのうちの一校の生徒がヒフミだった。

 

「実は最近、ブラックマーケットでペロロ様の限定グッズが裏取引されているという噂を聞いたんです! しかも、普通のお店ではもう手に入らない限定品で……!」

 

「…………」

 

「それで、どうしても実物を見てみたくて、ここまで来たんです!」

 

「そ、そうか……」

 

縢は、思わず後ずさりそうになるのをこらえた。さっきまで命の危険にさらされていた少女が、今は自分の好きなキャラクターについて、ものすごい勢いで語っている。

その熱量に、縢は完全に圧倒されていた。

 

 

「先生、ペロロ様ですよ!」

 

(……なんだ、この鳥)

 

ヒフミがスマートフォンを取り出し、画面を縢へ向けている。そこには、独特な顔立ちをした鳥のキャラクターが映っていた。

もちろん、口には出さない。しかし、網膜には妙に目の離れた鳥の顔が刻まれていた。

 

「ほら! この愛らしいお顔!」

 

「…………」

 

縢は画像を見つめた。

 

(愛らしい……のか?)

 

「この絶妙なフォルムも素晴らしくてですね! それに、この表情! 見るたびに新しい魅力が発見できるんです!」

 

「お、おう……」

 

「それから、こちらのグッズなんですけど──」

 

「ちょっと待て、俺は別にそこまで詳しく──」

 

「こちらなんてですね!」

 

「聞いてねぇ!」

 

気づけば、完全にヒフミのペロロ様講座が始まっていた。限定品の希少性、キャラクターごとの魅力、グッズのデザイン、そしてペロロ様の素晴らしさ。次から次へと話題が飛び出し、縢が相槌を打つ暇すらない。

 

その横では、シロコたちが微笑ましそうに様子を眺めていた。

 

「先生、頑張って」

 

「何をだよ!」

 

「ん。大事な情報収集」

 

「今のどこが情報収集なんだよ!」

 

「ヒフミが、ペロロ様に詳しいこと」

 

「そりゃ見りゃ分かるわ!」

 

ノノミが口元を押さえて笑い、ホシノは眠そうな顔のまま肩を揺らしている。セリカに至っては、もはや助け舟を出す気すらないらしい。

 

「……先生、人気者ね」

 

「お前ら、後で覚えてろよ……!」

 

ようやくヒフミの話が一段落したところで、縢は大きく息を吐いた。

 

「……それで、ペロロ様を探してたところを、あいつらに絡まれたってわけか?」

 

「はい……」

 

ヒフミは、今度こそ少し気まずそうに頷いた。

 

「限定グッズの取引があるという場所を探していたら、急に声をかけられて……。断ったら、追いかけられてしまって」

 

「なるほどねぇ」

 

縢は、倒れている男たちへ目を向けた。

 

「しかし、限定グッズの裏取引ねぇ……。本当に、何でも売ってるんだな」

 

「はい。ブラックマーケットでは、普通のお店では手に入らないものも売られていますから」

 

ヒフミは、今度は落ち着いた口調で答えた。

 

「もちろん、全部が安全というわけではありませんけど……」

 

「そりゃそうだろうな」

 

縢は苦笑した。

 

「……じゃあ、ヒフミちゃんは、この辺りに詳しいんだな?」

 

「はい!ある程度なら!」

 

「だったら、私たちを案内してほしい」

 

シロコが口を開いた。

 

「え?」

 

ヒフミが目を瞬かせる。

 

「ブラックマーケットを」

 

「……あっ」

 

ヒフミは、そこでようやく、彼女たちがここへ来た目的を尋ねていなかったことに気づいたらしい。

 

少し考えたあと、真剣な顔で頷いた。

 

「分かりました!私でよければ、お手伝いします!」

 

「助かる」

 

シロコが短く礼を言う。

 

「ありがとな、ヒフミちゃん」

 

縢も頭を下げた。

 

「ただし、今度は危ない連中に絡まれないようにな。何かあったら、無理せず逃げる。いいな?」

 

「は、はい!」

 

ヒフミは元気よく返事をした。

 

こうして、ヒフミを加えた七人は、ブラックマーケットのさらに奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらが、ブラックマーケットの中心部です」

 

ヒフミの案内で進んでいくと、先ほどまでとは比べものにならないほど多くの商品が並ぶ一帯へ出た。道幅は広くなっているのに、人の数も、露店の数も、目に見えて増えている。

商品の種類も、さらに雑多になっていた。電子機器、銃器、装甲部品、出所不明のデータ端末。中には、何に使うのか想像すらつかないものまである。

店の奥では、武装した者たちが何やら書類を確認していた。別の場所では、複数のロボットが木箱を運び込み、その周囲を警備員らしき人間が取り囲んでいる。

 

一見すると、ただの市場だ。

だが、よく見れば、普通の商店街とは明らかに違う。

人々は周囲を警戒しながら歩き、店主たちは客の顔を確かめてから商品を見せている。取引の内容を聞き取られないよう、声を潜めて話している者もいた。

ここでは、何を売っているかだけではなく、誰が買っているかも重要なのだろう。

 

「……ここまで来ると、本当に何でもあるな」

 

縢が呟く。

 

「はい。表では扱えないようなものも、ここなら取引されています」

 

「なるほどねぇ」

 

縢は周囲を見回しながら、警戒を怠らないようにしていた。

珍しいものに興味を惹かれるのは相変わらずだが、先ほどの一件で、この場所が単なる珍品の展示場ではないことは十分に理解できた。

 

「先生、あまり離れないでくださいね」

 

ノノミが念を押す。

 

「分かってるって」

 

「本当かしら……」

 

「お前、俺のこと何だと思ってんだ?」

 

「ちょっと目を離すと、すぐ変なものに興味を持つ大人」

 

「否定できねぇのが腹立つな……」

 

そのやり取りを聞きながら、ヒフミは小さく笑った。

しかし、次の瞬間。

 

「あ……」

 

彼女の足が止まった。

 

「どうした、ヒフミちゃん?」

 

縢が声をかける。ヒフミは、通りの向こう側をじっと見つめていた。

 

「あれ……」

 

彼女の視線を追う。その先には、黒い現金輸送車が一台停まっていた。

 

見覚えのある車体だった。

車両の側面には、カイザーのロゴが刻まれている。周囲には大型の警備用ロボットが立ち並び、武装した警備員たちが厳重に警戒していた。

 

「……カイザー?」

 

ノノミが、驚いたように呟く。

 

「どうしてこんなところに……?」

 

縢は、すぐには答えなかった。現金輸送車の後部扉が開かれ、警備用ロボットが周囲を確認している。

 

その動きには無駄がない。

ただの輸送車ではない。運んでいるものを奪われないよう、相応の警備体制が敷かれている。

やがて車両はゆっくりと動き出し、ブラックマーケットのさらに奥へと進んでいった。

 

「見てください!」

 

ヒフミが指差す。

 

「向こうに、何か建物があります!」

 

輸送車の進む先には、周囲の建物とは明らかに規模の違う巨大な施設があった。

外壁は黒く、窓は少ない。正面には大きな出入口があり、その周囲には武装した兵士たちが配置されている。

さらに、施設の脇には大型の機械兵器まで並んでいた。

 

「……あれ、銀行ですよね?」

 

セリカが眉をひそめる。

 

「そう見えるな」

 

縢は目を細めた。

 

「でも、ずいぶん厳重じゃねぇか。銀行ってのは、普通こんなに物騒なもんなのか?」

 

「いえ……少なくとも、私が知っている銀行は、こんな感じではありません」

 

ヒフミは不安そうに答えた。

 

「もしかして……カイザーの銀行かもしれません」

 

「カイザーの?」

 

「はい。カイザーと関係の深い施設は、ブラックマーケットの奥にもいくつかあるんです。詳しいことまでは分かりませんけど……」

 

「……なるほどな」

 

縢は黒い現金輸送車を見つめた。その車両は校門前で見たものと同じだった。

毎月のようにアビドスへやって来て、彼女たちが必死に集めた金を受け取っていく車。

その金が今、目の前の建物へ運び込まれようとしている。

 

彼女たちが汗水垂らして稼いだ金。

学校を守るために、日々の生活を切り詰めてまで集めた金。

それが、あの黒い建物の中へ消えていく。

 

もちろん、金の流れそのものは債権者が利息を受け取るという契約上の行為なのだろう。

だが、その契約が本当に正当なものなのか。

利息の計算は適切なのか。

そもそも、アビドスに対して課せられている借金には、どのような経緯と条件があるのか。

その根拠を確かめなければ、何も始まらない。

 

縢は、知らず知らずのうちに拳を握っていた。

 

「……なあ、ヒフミちゃん」

 

「はい?」

 

「銀行には、何がある?」

 

「え……?」

 

「金だけか?」

 

ヒフミは少し考え込んだ。それから何かに気づいたように目を見開く。

 

「……取引記録、ですか?」

 

「ん。そういうこと」

 

縢は頷いた。

 

「金を預けたり、貸したり、返したりしてるなら、何かしら記録が残ってるはずだ。借金の契約書も、利息の計算もな」

 

「……確かに」

 

シロコが銀行を見つめる。

 

「カイザーがアビドスから、どうやってお金を取っているのか。それが分かれば……」

 

「借金そのものを覆せるかもしれない、ってことですね」

 

ノノミが言葉を継いだ。

 

「少なくとも、今の状況を変える手がかりにはなるかもしれません」

 

「そういうことだ」

 

縢は腕を組んだ。ただし、問題は記録があるかどうかだけではない。

あの建物に入る方法。中に保管されている情報を確認する方法。

そして、それを手に入れたあと、どうやってカイザーに対抗するのか。

 

考えなければならないことはいくらでもある。

 

「……しっかし、どうすっかねぇ」

 

縢は小さく息を吐いた。

 

「無闇に手を出したら、どんな報復が待ってるか分かんねぇ。何しろ、腐っても向こうは債権者だ。こっちが下手に動けば、学校にまで何をしてくるか……」

 

「……ん」

 

シロコは、黙ったまま銀行を見つめていた。その目には、迷いよりも強い決意が浮かんでいた。

 

「……あの銀行を襲おう」

 

「…………」

 

ヒフミの顔が固まった。

 

「えっ」

 

セリカも、思わず声を上げる。

 

「ちょ、ちょっと待って!何でそうなるの!?」

 

「銀行強盗……ですか?」

 

ヒフミの声は、かすかに震えていた。

 

「そう」

 

シロコは真顔だった。

 

「記録を手に入れるには、それしかない」

 

「いやいやいや!」

 

縢が慌てて割って入る。

 

「だから言っただろ!俺は教師だぞ!?生徒が銀行強盗をしようとしてたら、止めなきゃならねぇ立場なんだよ!」

 

「でも先生」

 

シロコが、まっすぐ縢を見た。

 

「このまま何もしなければ、アビドスはなくなる」

 

「…………」

 

「私たちは、この学校を守りたい」

 

その声に、冗談めいた響きはなかった。

シロコは本気だった。

ノノミも、セリカも、ホシノも、通信越しのアヤネも。

ヒフミでさえ、戸惑いながらも、彼女たちがどれほど追い詰められているのかを理解し始めていた。

 

この学校がなくなれば、彼女たちの居場所もなくなる。

毎月の利息を支払うために働き続けても、未来は見えない。

何かを変えなければならない。その焦りが、シロコをここまで追い詰めているのだ。

 

縢は、しばらく黙っていた。

教師としてなら、答えは決まっている。

銀行強盗など、認められるはずがない。

止めるべきだ。

生徒たちが危険なことをしようとしているなら、なおさらだ。

 

しかし、ただ「駄目だ」と言って終わらせるだけで、彼女たちの問題が解決するわけでもなかった。

ここで無理やり引き返させたところで、シロコたちは別の方法を探すだろう。

それが、もっと危険な方法であったとしても。

 

「……ったく」

 

縢は頭を掻いた。

 

「分かった」

 

「先生?」

 

「俺も行く」

 

「……!」

 

シロコが目を見開く。ヒフミも、驚いたように縢を見上げた。

 

「勘違いすんなよ」

 

縢は、全員を見渡して言った。

 

「銀行強盗を肯定したわけじゃねぇ。俺は最後まで反対だからな」

 

「じゃあ、どうして……?」

 

ヒフミが尋ねる。

 

「お前らだけで行かせたら、もっと大変なことになるからだよ」

 

縢は、もう一度銀行を見た。

 

「教師として、生徒が犯罪に手を染めるのを黙って見てるわけにはいかねぇ。だったら、俺が責任持って付き合う」

 

それは、賛成の言葉ではなかった。彼女たちの選択を、無条件に認めたわけでもない。ただ、危険な場所へ向かおうとする生徒たちを、一人で行かせることができなかった。

 

「……先生」

 

シロコが、静かに呼ぶ。

 

「ん?」

 

「ありがとう」

 

「……礼を言うところじゃねぇだろ、これ」

 

縢は苦笑した。

 

「まったく……本当に、手のかかる生徒ばっかりだな」

 

「先生も大変ですねぇ」

 

ノノミが微笑む。

 

「誰のせいだ、誰の」

 

「ふふっ」

 

いつものような軽口が交わされる。けれど、彼女たちの視線は、すでに銀行へ向いていた。

その先に何が待っているのか。どれほど危険なことになるのか。

まだ、誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、しばらく後。

 

ブラックマーケットの一角にある路地裏で、縢は目の前に並べられた衣装を見つめていた。

 

「…………」

 

黒い布地。覆面。そして、見覚えのある奇妙な衣装。

縢はゆっくりと顔を上げた。

 

「……なんだよ、これ」

 

「覆面」

 

シロコが答える。

 

「見りゃ分かるわ!」

 

「銀行強盗だから」

 

「正論で殴るな!」

 

縢は頭を抱えた。

その少し離れたところでは、アビドスの4人が準備を進めている。シロコは覆面を確認し、ホシノは銃の準備を緩い表情で行い、ノノミは必要な道具を並べ、セリカはどこか納得のいかない顔で周囲を見回していた。

 

そして、ヒフミはというと。

 

「……あの、皆さん?」

 

一人だけ、状況についていけていなかった。

 

「私、そもそも銀行強盗に参加するなんて、一言も……」

 

「ヒフミさん」

 

ノノミがにっこりと微笑んだ。

 

「はい?」

 

「これ、被ってくださいね☆」

 

そう言って差し出されたのは、茶色い紙袋だった。

 

「…………え?」

 

ヒフミの動きが止まる。

 

紙袋には、目の位置に合わせて穴が開けられている。どう見ても、即席の覆面だった。

 

「えっ、あの……? ノノミさん?」

 

「はい、どうぞ♪」

 

「ど、どうぞって……!」

 

「覆面がないと、顔がばれちゃいますからねぇ」

 

「そ、それはそうですけど! そういう問題じゃなくて!」

 

ヒフミは紙袋とノノミの顔を交互に見た。助けを求めるようにシロコへ視線を向ける。

 

「シ、シロコさん! 私、トリニティの生徒なんですけど……!」

 

「ん。知ってる」

 

「知ってるなら、なおさらです!」

 

「大丈夫。覆面水着団の一員なら問題ない」

 

「覆面水着団!?」

 

聞き慣れない単語に、ヒフミの声が裏返った。

 

「ま、待ってください! 私、そんな団体に入った覚えは……!」

 

「今から入る」

 

「今から!?」

 

「ヒフミちゃん、似合うと思いますよ?」

 

ノノミが、いつもの柔らかな笑顔で追い打ちをかける。

 

「紙袋が……ですか!?」

 

「いえ、リーダーが☆」

 

「リーダー!?」

 

ヒフミは完全に混乱していた。何がどうなって、そんな話になったのだろう。

自分はただ、ペロロ様の限定グッズが裏取引されているという噂を聞いて、ブラックマーケットへやって来ただけなのだ。

そこで怖い人たちに追いかけられて、助けてもらって、案内を頼まれて。

 

それだけだったはずなのに、いつの間にか銀行強盗の話に巻き込まれ、挙げ句の果てには、謎の団体のリーダーにされそうになっている。

 

「……あの、私、帰っても……」

 

「ファウスト」

 

シロコが、唐突に口を開いた。

 

「……え?」

 

「ヒフミのコードネーム。ファウスト」

 

「えええええっ!?」

 

ヒフミの悲鳴が路地裏に響いた。

 

「な、なんでですか!? どうして私なんですか!?」

 

「似合うから」

 

「またそれですか!?」

 

縢が思わず声を上げた。

 

「お前ら、さっきから何でもかんでも『似合うから』で済ませようとしてねぇか!?」

 

「先生は似合ってる」

 

「俺の話はしてねぇよ!」

 

シロコは平然としている。ノノミは笑顔のまま紙袋をヒフミへ差し出し続けていた。

そして、ヒフミはというと。

 

「で、でも……!ファウストって、そんな……私には……!」

 

「ヒフミさん」

 

ノノミが、ほんの少しだけ声の調子を変えた。

 

「はい……?」

 

「覆面水着団のリーダーが必要なんです」

 

「…………」

 

「それに、ヒフミさんは私たちを助けてくれましたし、ブラックマーケットにも詳しいですし……」

 

「それは、案内を頼まれたからで……!」

 

「ね?」

 

「ね、じゃないですぅ……!」

 

ヒフミの声には、もはや泣きが入っていた。縢はその光景を眺めながら、こめかみを押さえた。

 

(……なんで銀行強盗の準備が、こんな学芸会みたいになってんだよ)

 

しかも誰も止めようとしない。いや、止めるべきなのは自分なのだろう。

教師として。

大人として。

しかし、目の前で繰り広げられている光景があまりにも予想外すぎて、どこから突っ込めばいいのか分からなくなっていた。

 

「……なあ、ヒフミちゃん」

 

「は、はい……!」

 

「嫌なら、無理に被る必要は…」

 

「先生」

 

シロコが縢を見た。

 

「銀行強盗だから」

 

「お前はちょっと黙ってろ!」

 

「……ん」

 

シロコは素直に口を閉じた。だが、ヒフミは紙袋を見つめたまま、困り果てていた。

断りたい。できることなら、今すぐトリニティへ帰りたい。しかし、ここで自分だけ逃げ出していいのだろうか。

アビドスの生徒たちは、学校を守るために必死になっている。その事情を知ってしまった以上、何も知らないふりをして帰るのも、どこか後ろめたかった。

もちろん、だからといって銀行強盗に参加していい理由にはならないのだが。

 

「……うぅ……」

 

ヒフミは、ついに観念したように紙袋を受け取った。

 

「……わ、分かりました……。でも、本当に少しだけですからね……?」

 

「ありがとうございます、ファウストさん!」

 

ノノミがぱっと笑顔になる。

 

「ファ、ファウスト……」

 

ヒフミは、まだ納得していない顔で紙袋を被った。目の穴から、困りきった瞳だけが覗いている。その姿を見て、シロコが満足そうに頷いた。

 

「……うん。これでリーダーが決まった」

 

「決まってません! 私、まだ納得してませんからね!?」

 

「ファウスト、出撃準備」

 

「話を聞いてくださいぃ……!」

 

「……おいおい」

 

縢は、とうとう頭を抱えた。

 

「本当に大丈夫なのかよ、これ……」

 

誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で?」

 

縢は、改めて目の前の衣装へ視線を戻した。

 

「俺は、これを着ろって?」

 

「うん」

 

シロコが答える。縢は衣装を手に取った。

この形。

この色合い。

そして、妙に見覚えのあるデザイン。

 

「……先生?」

 

「これ……前にも着なかったか?」

 

「着た」

 

即答だった。

 

「なんでまた俺なんだよ!」

 

「似合うから」

 

「理由になってねぇ!」

 

渋々着替えることになった縢は、深いため息をついた。

 

 

 

数分後。

路地裏に、妙な沈黙が落ちていた。

美しさと上品さが宿る白銀のツンツンした髪に、血のように赤い瞳。異常に白い肌に、スラリとした容姿。学生服なのに神秘さを感じさせるオーラ。

 

「…………」

 

「…………」

 

そこに立っていたのは、某最後のシ者のコスプレをした縢秀星だった。本人は、心の底から不本意そうな顔をしている。

 

「……笑えよ」

 

ヒフミだけが、紙袋の下から目を輝かせた。

 

「す、すごいです!先生、似合ってます!」

 

「……お前は本当にいい子だな……」

 

縢は、心底救われたように呟いた。

 

「でも先生、どうしてそんな衣装を?」

 

「俺が聞きてぇよ……」

 

「ファウスト」

 

シロコが呼ぶ。

 

「は、はいっ!?」

 

紙袋の中から、ヒフミの声が裏返った。

 

「リーダーとして、先生に指示を」

 

「えっ!?わ、私がですか!?」

 

「うん」

 

「む、無理です!私、リーダーなんて……!」

 

「大丈夫。ファウストならできる」

 

「その信頼、どこから来るんですかぁ……!」

 

ヒフミの様子を見ながら、縢は覆面の下で遠い目をした。

 

(……もう、何でもいいから早く終わってくれ)

 

そう思いながらも縢は手元に持っているシッテムの箱を操作する。銃撃から身を守るバリアを展開できるのだが、その設定をいじっていた。

すると八角形のオレンジ色の光が広がり、縢の周囲に防壁が展開された。

縢は、目の前の光景を見つめた。

 

「……これ…なんか見覚えある」

 

「…ATフィールド全開」

 

「本人だぁ……!」

 

あまりの完成度に見惚れてるホシノの声が路地裏に響いた。

 

「……えっと、皆さん準備良さそうですし、その…覆面水着団、出撃……?」

 

ヒフミが、おそるおそる口にする。

 

「ん。出撃」

 

「……うぅ、もうどうにでもなれです……!」

 

こうして、覆面水着団のリーダー・ファウストは、本人が完全に納得しないまま誕生した。

その隣には、渚カ〇ルの衣装を着せられた縢秀星。

そして、いつもの調子で準備を進めるアビドスの生徒たち。

 

「……ったく。後で説教だからな、お前ら」

 

縢は、メイクという覆面の下でため息をついた。

 

「ん」

 

シロコの返事は、実に軽かった。

 

「絶対分かってねぇだろ……」

 

それでも6人は歩き出す。目指す先は、カイザーの銀行。その向こうにはアビドスの未来を左右するかもしれない記録が眠っている。

そして、本人の意思とは裏腹にリーダーへ祭り上げられた少女は、紙袋の穴から前を見つめていた。

 

「……ペロロ様……。私、いったい何をしているんでしょう……」

 

小さな呟きは、誰にも届かなかった。

銀行の扉が開かれようとしている。アビドスの未来を賭けた、最初の襲撃が始まった。




お疲れ様でした( ᐡ. ̫ .ᐡ )
縢くんは覆面の代わりにコスすることになりました。予定調和。

滞っててごめんなさい、モチベ復活気味だったりするのでぼちぼちあげてきます…遅くはなるけど

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