そこは、巨大な円形劇場のようだった。
突き抜けるような青空。天を穿つ白亜の巨塔がそびえ立ち、その足元には石造りの巨大都市がすり鉢状に広がっている。
俺は足を止め、その威容を見上げた。
「……迷宮の上に蓋をして、その上に都市を築いたか」
塔を中心に広がる円形都市。
行き交う住人は人間だけではない。犬や猫の耳を持つ者、子供のような外見のまま成熟した者。
骨格レベルで異なる多種多様な亜人種が、当然のように闊歩している。
どうやらこの世界は、俺の想像以上に混沌としているらしい。
俺は雑踏に紛れ、情報を探るべく歩き出した。
まずは換金だ。大通りに面した、神殿のような巨大な石造りの建物が目に入る。
多くの武装した人間が出入りし、窓口で何かの手続きや換金を行っているのが見えた。
(……あそこが、この街の管理中枢か)
だが、俺は入口を一瞥しただけで、即座に踵を返した。
身分証なしの俺が、あんな管理された組織を正面突破するなど愚策だ。
身元の確認を求められれば詰む。それに、戦闘力皆無に見える男が怪物の素材を持ち込めば、出所を怪しまれる。
光があれば、必ず影がある。
俺は華やかな大通りを外れ、建物の影が濃く落ちる裏路地へと足を向けた。
道が狭くなり、周囲の清潔感が失われていく。
貧困と犯罪の匂い。どこの世界であれ、権力の目が届きにくいスラムの空気感というのは変わらない。俺は換金できそうな非合法な店を探し、奥へと進んだ。
だが、どうやらこの界隈の住人たちは、俺が考えている以上に鼻が利くらしい。
「──おい、待ちやがれよ」
背後から、下品な呼び止め声。
振り返ると、三人の男たちが立っていた。一人は巨漢の獣人。残りは剣とナイフを下げた人間の男。
装備は薄汚れているが、その眼は飢えた獣のようにギラついている。
「その服、いい生地使ってんじゃねぇか。どこの貴族様のお忍びだぁ?」
「迷子なら案内してやるよ。身ぐるみ全部置いていけばなァ!」
ナイフを持った男が、脅すように空を切る。
典型的なゴロツキ。思考も手口も低俗極まりない。
だが、今の俺にとっては──これ以上ない
「……そうか。ならば案内してもらおう」
俺はゆっくりと顔を上げ、フードの奥から彼らを見据えた。
両目の瞼を見開く。
「あ? オイ、なんだ……その眼……」
巨漢の獣人が、不自然に硬直する。
俺の瞳孔の奥で、深紅の鳥のようなシンボルが、不死鳥の如くその翼を広げた。
「俺の質問に全て答えろ。──その後、仲間を連れて速やかに立ち去れ」
シュイイイイィィン──!!
脳髄を直接震わせるような、鋭く高い共鳴音。
紅い紋章が俺の両目から羽ばたき、男たちの神経回路を蹂躙した。
カチッ。
「……了解、シマシタ」
先ほどまでの殺意と嘲笑が嘘のように消え失せ、リーダー格の獣人は糸が切れた操り人形のように直立不動の姿勢をとった。後ろにいた二人も同様だ。抵抗する間もなく、
俺は静かに尋問を開始した。
「ここはどこだ。この街はどういう仕組みで動いている」
「……ここは、迷宮都市オラリオ。中心にあるダンジョンを管理する、世界唯一の都市デス」
「管理している組織は」
「ギルド……そして、天から降りた神々デス」
神、だと?
荒唐無稽な単語だが、ギアスに掛かった人間は嘘をつけない。
この世界では神が実在し、権力を持っているということか。
「神が統治しているのか?」
「イエ……神々は『ファミリア』を作り、我々人間に『
神が
なるほど。あの少女や、ミノタウロスと戦った少年の異常な力も、その「恩恵」とやらによるものだと推測できる。
「お前たちの所属はどこだ。なぜ冒険者でありながら強盗まがいの真似をする」
「ソーマ・ファミリア……。金が要るんデス。神酒(ソーマ)……主神がお作りになるあの酒を飲むために、金が……」
獣人の目が、欲望と狂気で濁る。
神が作った酒に依存し、理性を失って金を求める集団。
信仰心ではない。これは、ただの
「オラリオ……神が酒で人を支配しているのか。面白い」
俺は冷ややかに嗤った。
どうやらこの世界の神は、高尚な超越者などではない。人間と同じ欲望に塗れた、悪質なプレイヤーのようだ。
「最後だ。この近くで、身分証なしで素材を買い取る店を教えろ」
「……この先の路地を右、突き当たりの鉄扉デス。ドワーフがいマス」
「十分だ。行け」
俺が告げると、男たちは無言で回れ右をし、足を引きずるように去っていった。
彼らが正気を取り戻した時、ここでの記憶は欠落しているはずだ。
俺は教えられたルートへ向かう。
路地の突き当たり。重厚な鉄扉の店。
看板には天秤と剣の粗雑な絵。
俺は躊躇なくその扉を押し開けた。
カラン、と乾いたベルの音が鳴る。
店内は薄暗く、埃と古い油の臭いが充満している。
カウンターの奥には、髭を長く伸ばした男が座っていた。身長は低いが、横幅のある筋肉質な体格。先ほどの獣人が言っていたドワーフの特徴と一致する。
老人は、濁った眼だけで俺を品定めした。
「……何だ、その服は。どこぞの貴族様が何の用だ」
「商談だ」
俺は無言のままカウンターに近づき、懐から怪物の角を取り出し、無造作に置いた。
「これを買い取ってほしい」
老人の眉がピクリと動く。
彼は無言で角を手に取ると、ルーペのようなもので断面や硬度を確認し始めた。
「……ミノタウロスの角か。根元からへし折られてやがるが、モノは悪くねぇ」
老人は鼻を鳴らし、鋭い視線を俺に向けた。
「だが、お前さんがやったわけじゃねぇな? その細腕じゃ、剣を振るうのも怪しい。……それに、その顔だ」
ドワーフは俺の顔を指差して、意地悪く笑った。
「苦労を知らねぇ、整ったボンボン顔だ。……死体漁りか? それとも盗んできたのか?」
鋭い。
身分証なしでの買取を求めた時点で、まともな入手経路でないことは相手も承知している。だが、舐められれば足元を見られる。
「詮索はするな」
「ハッ、強がるねぇ。だが、出所の知れねぇ品を買い取るリスクは安くねぇぞ」
老人はカウンターを指で叩き、威圧的な態度を取った。
買い叩くつもりか、あるいは俺の正体を探るつもりか。
どちらにせよ、これ以上の問答は時間の無駄だ。
俺は両目の瞼を見開いた。
「……では、取引といこう」
シュイイイイィィン──!!
本日二度目の
紅い鳥が羽ばたき、ドワーフの強固な自我へ干渉する。
「この角を適正価格で買い取れ。……その後、今日ここに『俺がいた』という事実を忘れろ」
「……あぁ、分かった」
老人の瞳から光が消え、機械的な動作でカウンターの下から革袋を取り出した。
「相場通りの買取だ。3,000ヴァリス」
「商談成立だ」
俺は革袋を受け取り、足早に店を後にした。
ギアスが解ければ、彼は「誰かから角を買い取った」という事実と、手元の角、そして減った金庫の中身だけを認識する。
脳が勝手に「顔の思い出せない客」を捏造し、俺という個人の記憶は欠落するはずだ。
これで足はつかない。
路地を出て、大通りへ戻る。
まずは、ゴロツキ共にも目をつけられたこの格好をどうにかしなければならない。
俺が着ている黒衣は、ブリタニアの品格を感じさせる上質な生地で作られている。加えて、この整いすぎた顔立ちだ。スラム街では「私は金を持ったカモです」と宣伝して歩いているようなものだ。
俺は露店が並ぶ一角で古着を扱っている店を見つけ、くすんだ灰色のローブを購入した。
代金は800ヴァリス。
3,000ヴァリスという金額がこの世界でどれほどの価値を持つかは不明だが、衣服一着でこの値段なら、大金持ちになれたわけではなさそうだ。
俺はその場で黒衣の上から灰色のローブを羽織り、フードを目深に被って顔を隠した。
ショーウィンドウに映った自分の姿を確認する。
中の上質な黒衣は隠れ、顔も見えない。
どこにでもいる、しがない魔導士か旅人。
これで少なくとも、外見だけで狙われるリスクは減った。
日は傾き始めている。
オラリオの空が
俺は人波に逆らわず、安宿が集まる区画へと足を向けた。
「一泊いくらだ」
俺は目についた木造の宿に入り、カウンターの主人に尋ねた。
「一泊300ヴァリスだ。ただし8人部屋の
主人は面倒くさそうに答える。
俺はロビーを一瞥した。
黒ずんだ床。充満する酒と汗の臭い。
そこには質の悪そうな冒険者たちがたむろし、新入りの俺を値踏みするような視線で舐め回している。
(……論外だ)
鍵のかからない部屋で、素性の知れない荒くれ者たちと雑魚寝をするなど、自殺志願者のすることだ。不死身とはいえ、寝ている間に身ぐるみを剥がされるのは御免だ。
俺は無言で踵を返し、宿を出た。
「野宿の方がマシだな」
外の風は冷たいが、あの劣悪な環境よりは幾分か清潔だ。
腹が減った。
そういえば、ここに来てから何も食べていない。
大通りの端に、屋台の列が見える。香ばしい油の匂いに釣られ、俺はその中の一軒に足を止めた。
「はい、いらっしゃい! 揚げたてのアツアツだよー!」
すり潰した芋を揚げたスナック──「ジャガ丸くん」という看板が出ている。
見た目はコロッケに近い。
「そこのお兄さん、どう? ボクのおすすめは断然『小豆クリーム味』だけど!」
声をかけてきたのは、ツインテールの売り子だった。
……奇妙な少女だ。
顔立ちは幼い十代半ばに見えるが、その身体つき──特に胸部の発育が、骨格に対して明らかに不釣り合いだ。
(
俺は昼間のゴロツキどもから聞き出した情報と照らし合わせる。
成長しない種族だとしても、この質量バランスは物理的に矛盾している。
童顔に巨乳。一種の奇形か、あるいはこの世界特有の進化系統なのか。
街中で見かけた
真面目に考察してみたが、答えは出そうにない。
「……普通のでいい。塩味を頼む」
「えー、美味しいのに。わかってないなぁ。じゃあ塩ね! 30ヴァリスだよ!」
少女は不満げに頬を膨らませながら、紙包みを渡してきた。
俺は代金を支払い、早々にその場を離れた。
背後から「毎度ありー!」という元気すぎる声が聞こえたが、振り返ることはなかった。
熱々の揚げ物を一口かじる。
サクッとした衣と、ホクホクした芋の食感。
単純な塩味だが、空腹の身体には悪くない。
俺はジャガ丸くんを頬張りながら、人通りの少ない区画へと足を向けた。
その時だった。
脳の奥底、神経のネットワークが、小さく共鳴した。
「……ん?」
痛みではない。
誰かに呼ばれたような、あるいは見えない糸が微かに引かれたような感覚。
「……少年か。近いな」
俺は何気なく、シグナルが指し示す方向を見上げた。
街外れの高台。夜の闇に沈む、崩れかけた教会のシルエットが見える。
少年とのパスは、そこから繋がっていた。
雑草に覆われた石段を登りきると、その廃墟はあった。
古びた石造りの教会だ。
屋根の半分は崩落し、ステンドグラスがあったであろう窓枠は空洞になっている。壁には蔦が這い回り、長期間放置されていることは明白だ。
俺は周囲を警戒しながら、教会の裏手へと回った。
正面から入るのはリスクが高い。雨風をしのげる場所は、浮浪者や犯罪者の
見上げた屋根の上なら、誰の目にもつかない。
問題は、そこへ登る手段だ。
俺は崩れかけた壁の出っ張りに手をかけ、身体を引き上げた。
「くっ……!」
腕が震える。
指をかけた石が崩れないか確認し、足を滑らせないように慎重に、かつ無様に這い上がる。
身体を持ち上げるだけで一苦労だ。かつてはナイトメアフレームで戦場を駆けたこの俺が、生身ではこの体たらくだ。
数分後。
俺は肩で息をしながら、なんとか屋根のてっぺん──崩れずに残っていた
「……ふぅ」
呼吸を整え、顔を上げる。
視界が開けた。
眼下には、夜の帳が下りたオラリオの街並みが広がっている。
無数の魔石ランプの光が星屑のように瞬き、その中心には白亜の巨塔が月光を浴びて青白く輝いている。幻想的な光景だ。だが同時に、神々が人間を使役し、欲望のままに管理する都市でもある。俺の目には、そこが巨大な
俺は目を閉じ、意識を集中させる。
脳の奥底で繋がっている、微弱なシグナル。
反応は、この教会の敷地内──おそらく地下付近から感じられる。
「……灯台下暗し、とはこのことか」
あの少年も、この廃墟を拠点にしているらしい。
偶然か、それとも契約による引力か。
どちらにせよ、監視対象が手の届く範囲にいるのは好都合だ。彼がどう変化し、どう動くか。それを観察する特等席としては悪くない。
「今夜はここを仮宿とするか」
俺は灰色のローブを毛布代わりに身体に巻きつけ、屋根の影に身を潜めた。
硬い屋根の感触。身体の痛み。冷たい夜風。
それらを受け入れながら、俺は懐の革袋に触れた。
中身は2170ヴァリス。
この世界での全財産であり、装備を整えればすぐに消える程度の
これから先のことを考えると、あまりに心もとない。
だが、始まりとしては悪くない。
情報は得た。資金も作った。そして、この世界に一石を投じる「可能性」も見つけた。
盤面は整いつつある。
「……フッ」
俺は夜空にそびえる巨塔を見上げ、口元を緩めた。
未知の世界を旅し、新たな理を知る。
C.C.への土産話くらいにはなるだろう。
「明日は少し、面白いことになりそうだ」
俺は静かに目を閉じた。
異世界での最初の夜が、更けていく。