「岸本さん。なにか知らないかしら? ウワサとかは聞いてない?」
岸本はこの街――夜刀神区においては顔が広い存在だ。
まずはスケスケ女について話を聞いてないか、キリエは聞くことにした。
「ウワサは聞いておりますが、それだけですな。僕に、それ以上のことは分かりませんよ」
閉店時間を過ぎたカフェの中で、2人はコーヒーを飲みながら話している。
「岸本さんが知らないとなると、聞き込み調査と……あとは妖怪の情報屋ね。この街だと、夜の神社にいるわ」
「こちらでも、私のほうで、知り合いを当たってみます。図書館には行かずともよいでしょう」
岸本は言いながら、友人たちにL◯NEをした。
内容は、最近のオカルト雑誌や新聞から、めぼしい情報をピックアップして、PDFで送ってほしいというものだ。
「ありがとう。助かるわ岸本さん」
「いえいえ。……もし、あのパンデミックがなければ、世紀末にオカルトブームは終わっていたでしょう。情報源が多いのは、ある意味でアレのおかげ、などと言ったら不謹慎ですかな?」
西暦2000年のパンデミックと、ゾルマ教なるカルトによる大規模テロ。
恐怖の大王が世界を滅ぼすという予言は、的中したのだと大騒ぎになった。
オカルトブームはずいぶんと息が長くなり、陰謀論は新しいテロまで誘発するような、国際的な社会問題に発展している。
「……さて。こうなると、私の方は丑三つ時に情報屋のところに行く、という感じになるわね」
「となれば、時間まで私とマ◯カーでもいたしますか?」
「あら、いいわね。……と、言いたいけど、私のほうでも今から聞き込み調査がしたいわ。収穫があるかもしれないし」
キリエはそう言いながら、店の更衣室へ行ってしまった。それから、白いブラウスに、紺色のロングスカートの服に着替える。
「……楽しみだわ。アイリスもきっと、動いている。久々に、あの子の隣で戦えるなんて、夢みたいね」
キリエは無邪気に笑いながら、恍惚感で頬を染める。
「でも、あれね。たぶん、アイリスは今回の相手と相性が悪い。あの子のことだから、負けないとは思うけど……。この程度で諦めたりしたら、許さないから」
アイリスが、勝つとこを諦めて折れるなんて、そんなことは決して許さない。
彼女は、最後まで信念のために戦い続ける女でなくてはいけない。
どんなアイリスでも受け入れるなんて、綺麗事を言うつもりは毛頭ない。
でも、キリエはこんなふうにも思ってしまう。
今の、自分への憧れを隠せなくなったアイリスも、『可愛い』と。
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「貴様が、例のスケスケ女か」
人間の悲鳴を聞きつけたアイリスは、路地裏で妖怪の女に相対していた。
その女は、黒いコートを着た、半透明な霊体の女だ。
「来ちゃった、ね? でも、残念。遅い。食べちゃった」
「こいつの魂は俺が食っちまったぜ! ギャハハハッ!」
胸に穴の開いた死体を手に掲げながら、霊体の女はそう言った。
彼女の足元から聞こえる、男口調の同じ声は、なんなのだろうか。
「ねぇ、影の、私。どう、する?」
「んん? いや、こいつ強そーだし逃げようぜ?」
「うん。そう、する」
スケスケ女はアイリスに背中を向けると、壁を走って登り始めた。
ここは、ビルの隙間にある路地裏。壁を走って登れる妖怪にとっては、上方向にも逃走経路がある。
「――させると思うか?」
アイリスは、スケスケ女にとってはまるで瞬間移動のような速度で回り込む。
最初から、逃げられるはずはない。本当に、そのはずだった。
「……なっ?」
スケスケ女が、まるでそこが水面であるかのように、壁の中に沈んだ。黒い闇の波紋が壁に広がる。
それだけなら、霊体だからすり抜けたで済む話だ。しかし、アイリスにとって信じがたい事に――
敵の気配そのものが、完全に消えた。
「どこへ行った。壁をすり抜けたのではない、ということか?」
さっき、スケスケ女が通り抜けた壁を触れる。冷たい壁には、今は何もない。
あの程度の妖怪が、自分から完全に隠れることなど不可能だ。
瞬間移動か? いや、それは違う。恐らく、何かを媒介にした、より高度な移動能力。
本人か、種族固有の能力で『アタリ』を引いたのだろう。うらやましい限りだ。
「なあ、知ってるか? 夜の闇は、でっかい影なんだぜ?」
「今は、決め手、ない。だから、見逃す。……これあげるね」
上の方から、濡れた何かが落ちてくる。
とっさにキャッチしたそれは、こぶし大の、肉の塊だった。
それは、血の滴る、人間の心臓だった。
「……っ!」
アイリスは、拳を震わせながら、心臓の持ち主の元へ歩み寄る。
「……すまない」
胸の穴のところに心臓を置き、彼女は手を合わせた。
夜の闇は、巨大な影。何かを媒介にする移動能力。
ああ、なるほど。敵の種族は『影女』だ。
1度、情報屋を当たるべきかと、アイリスは考えた。
その時だった。アイリスの目の前で、一瞬だけ夜の闇の一部が黒い粒子に変わり、奇妙な人型に変化した。
その瞬間、スケスケ女に似た気配を、彼女は感じる。しかし、奇妙な影法師は、また瞬時に霧散した。
「やはり、貴様はそうか」
厄介だ。今回の敵とは、相性が悪すぎる。キリエの連絡先を貰っておくべきだったか?
一瞬でもそう思った自分が、アイリスは憎らしかった。
アイリスさんが自分を否定してくれてる限りは好きでいてくれるキリエさん。
自分に対して憧れと否定の両方の感情を持ってくれてる姿が「可愛い」んだろうけ。