蛇 ~教唆するモノ~ 作:トル
『やあ、こんばんは』
『まだ迷っているようだね。
いや、自分の決断を胸を張っては誇れないといったところか。
ああ、それでいいとも。
迷いながら道を決めることは悪いことではない。
自分が、ある面では正しくないことをしている自覚を持ち
自分が絶対に正しい存在というわけではないということさえ
理解していれば、それでなんの問題もないさ。
……まだ君には、自身の「悪」を認める余裕はないようだけれど』
『落ち着きたまえ。君の父親とて通った道だ。
そうだとも、父親の考え方というものも知りたくはないかい?
そう、まずは聞くことだ。
小言を言わせてもらえば、近くにいる相手に大声で反論するのは
いささか格好悪いことだよ?』
『まあ、実はあの馬鹿の場合は悩んだり迷ったりはほぼなかったがね。
やつは難しいことを考えるくらいなら
敵を殴りとばして事態を解決しようとする男だったから。
まあ男として最も大事な場面では随分悩んでいたけれど。
ああ、なんでもないさ。結局そのときも考えることを放棄してたしね。
ただ君はつい考えてしまうだろう?
やつが気分で生きて気付いたら突破していたような壁でも、
君は考え抜いた果てに突破するべきだと私は思うよ』
『そうだね、もともとやつの話をするという話でもあったし、
やつがそれなりに大きく関わった、とある賞金首の話をしよう。
そして君の考えを聞かせてくれ。
……そんなに嫌そうな顔をするな。
たしかに前回の話と主題は似たようなものだが、最終的にはやつの話になる。
それに今の君に役立つ話さ』
『
──────────それは夜闇の物語。
その名を聞けば民は怯え、
その名を聞けば兵は震え、
母は泣く子を黙らせよう。
それは人に害為す者。
それは人に仇為す者。
何処からとも無くやってきて、
罪無き人を喰らってく。
何処へとも無く去ってゆき、
追う人々も喰らってく。
その牙
か弱き娘の首を穿つ。
その爪
強き勇者の首を裂く。
闇が空の灯火を覆い、
氷が大地の息吹を奪う。
それは人に害為す者。
それは人に仇為す者。
それは娘を喰らう鬼。
それは父をも殺す闇。
悪しき
出遭うことなかれ、
触れることなかれ、
争うことなかれ、
知ることなかれ、
されども許すことなかれ。
それは人に害為す者。
それは人に仇為す者。
どうか天よ。
どうか光よ。
どうか炎よ。
どうか世界よ。
彼の者に滅びを与え、我らを守り給え──────── 』
『───────恐怖をもって謳われるほどに、その化物は殺し抜いた。
数え切れぬほどの兵を殺し、長く永く生き抜いた
いや、その化物の恐れられた理由はそんなものではない。
鍛え抜かれた兵の集団を相手にしても
一方的な殺戮を可能とするほどの強さではあったが、
それが恐怖の中心ではなかった。
その化物は、人を食う。
人を殺し。
人を喰らい。
殺そうとする人をも食う。
幾度も幾度も、化物を討伐しようと人は動いた。
だが化物はその人々をも殺し、喰らった。
殺すたびに化物の首には賞金がかけられ、
それを狙った者達もまた化物の餌となった』
『知っているだろう?
そう、吸血鬼、さ。
君はこの化物についてどう思う?
……深く考えることはない、素直に思ったことを言ってくれたまえ』
『それが自然な感情だね。自分を食う存在は怖い。当たり前だとも。
人を殺すこと、そして食うことは悪いこと。「悪」だね。それもそうだ。
だからこそその吸血鬼は世界規模で最高額の賞金首となった』
『──────さて。ではもうひとつの、夜闇の物語だ』
『
────あるところに少女がいた。
少女はそれなりに恵まれ、それなりに苦難もある、
ごく普通のありふれた生を送っていた。
そこにはかけがえのない平穏があり、
ささやかなれども幸福が満ちていた。
父を慕い、母と笑い、少女は素直に生きていた。
だが、とある狂気が理不尽にもその平穏を奪った。
それは少女の
狂った男がいた。
自身の知を盲信し、追求し、果てに狂った男だった。
男は強大な力を自らの手で作り出すことを求めていた。
男が少女を選んだ理由は知れない。ただ少女は選ばれた。
男はその狂気のもと、罪無き少女に呪いをかけた。
その呪いは強大なもの。
狂いながらも才に溢れた男が全霊をもって刻んだ呪禍。
男の目指した全ての通りに狂いきった祝福。
少女に抗う術などありはしなかった。
何が起きたのか、正しく知るものは既にいない。
その呪われ狂った夜のことなど、知りたがる者は居はしない。
少女が目覚めたときには、少女は血に濡れていた。
少女の血ではない。
少女が
少女が掌に持ち、
少女の腹を満たしている者達の血。
その者達は、かつて
少女は元来から
少女にとっては聡すぎた。
自身が何に、一体何をしたのかを理解してしまえたのだから。
少女の絶望と悲嘆が、世界を震わせた。
男はそれを見下ろしながら大声で哂った。
成功だと。流石は己だと。
狂いきった哂いが、少女の世界に響き。
少女の憎悪と狂気が、男を殺した 』
『理不尽に全てを奪われ、元凶を殺してしまった少女。
千々に乱れた心のまま、少女はただ人の居る場所を目指した。
それはわずかに少女に残されたかつての繋がりでもあった。
しかし人に出会ったときこそ、少女が全てを失ったのだと知る時だった。
それは呪いだった。
それは祝福だった。
それは狂気だった。
それは絶望だった。
男が少女に刻んだモノは、男が死してなお少女から理不尽に奪い続けた。
少女は食べてはならぬものを食べた。
食べることしかできなかった。
男の呪いは、少女にそれを食べさせた。
少女は人を見たとき、血を