蛇 ~教唆するモノ~ 作:トル
『少女は追われた。
当たり前だ。罪無き人を殺したのだから。
少女は逃げた。
当たり前だ。罪無き人を殺してしまったのだから。
少女は
三日三晩で足らぬほどに、
この世の果てまで届かんがほどに。
世界を呪った。
自身を呪った。
永き時をかけて、少女は呪い嘆き続けた。
悲嘆の果てに、空虚となっても少女は生きていた。
食わずとも飲まずとも、飢えながらも少女は生きていた。
それも男の呪い。
男は容易に死なぬ強大な存在を作り出したのだから。
少女の身体が容易に死を選べぬ強さがあったのも不運だったろう。
少女の心に壊れてなおわずかに正気を取り戻す強さがあったのも不運だったろう。
それから少女は呪われた生を生きてゆくこととなる 』
『運悪く時代がそうだったのか、
時代がそうだったから少女は呪いを受けたのか。
どちらにしても、時代は彼女にとって最悪な歓迎を示した。
たとえ少女が全霊を注ぎ吸血衝動を抑えることに成功していようとも、
少女を呪った世界は少女に優しくなかった。
最初は困窮が少女に立ち塞がる。
少女が目的もなく辿り着いた辺鄙な村は、少女を迎え入れることはなかった。
十の少女では仕事など期待できるはずもなく。
働けぬ者を養えるほど村に余裕はなかった。
続いて欲望が少女を襲う。
無情に追いたてられた少女が次に訪れた村では、少女を受け入れる男がいた。
少女はその優しさに喜び泣いたが、その夜には再び絶望の涙となる。
男は少女の体を強引に求めた。
それが男が少女に期待した仕事だった。
男は卑しく笑いながら押し倒したが、少女が反抗の加減を知らなかったことは幸か不幸か。
男は上下ふたつに裂かれ、少女はあらためて己の力を知る。
罪の意識と恐怖で村を逃げ出した少女は、暫くは獣を食って過ごした。
それが化物である己の生き様なのだと暗く淀んだ瞳で理解して。
生きた獣に喰らい付くことに躊躇いを覚えなくなった頃、少女は狩人と出会う。
狩人は少女を行き倒れと思い、己の村に連れ帰ることにする。
少女は狩人を信じてなどいなかったが、十の子供に孤独は過酷すぎた。
わずかな温もりが、狩人の腕を払う意気を失わせた。
狩人の村はそれなりに裕福だった。
だからこそ少女を受け入れる余地があったし、狩人の心にも余裕があった。
狩人の妻は少女を可愛がり、明らかに凄惨な経験をしたと思しき少女に村人は優しかった。
言葉少なに話す少女に、大人も子供も笑って促した。
人々の温もりは少女の心をわずかに癒し、少女にかすかな希望を与えた。
月を過ぎ、年を越え、少女は村に馴染んでいった。
極限まで擦り切れていた心もいくらかは癒え、少女は少しだけ笑顔を取り戻した 』
『けれど。
少女の姿は年を経ても変わることなく。
少女の油断と不注意で時折見える、少女に不釣合いな怪力や強靭性。
それは村人達に疑心を与えることとなる。
時代は少女に逆の意味で適合した。
時は信仰と欲望が蔓延り、死と暴力が限りなく身近な戦乱の世。
神の敵たる魔女を、人々は恐れた。
宗教家が伝える魔女の恐怖は、人々の根底まで根付いていた。
信仰に従う聖職者は、信仰に順ずるため魔女の断罪を求めた。
信仰を道具とする愚者は、自己の為に生贄となる魔女を求めた。
信仰をまとわりつかせた人々は、自己の安全のため魔女を恐れた。
人ならざるものの気配を秘めた少女が、贄とならぬはずがなかった。
優しかった村人の目が恐怖と憎悪に濁り、
成長したかつて共に遊んだ子供達は気味悪がり、
少女を受け入れたはずの狩人と妻ですら少女に怯えた。
時代に満ちていた信仰が、少女が掴みかけたものを奪い取った 』
『神明裁判というものがある。
魔女は人と姿が変わらぬ。
人の敵でありながら人に擬態するおぞましきもの。
その化けの皮を剥ぐためにはどうするか。
神に問えば良いのだ、と信仰者達は結論を出した。
人は神に守られる。魔女は神に仇為すもの。
答えは神が教えてくれる、と。
魔女の疑いをかけられた女がいた。
他の女より美しく若々しいと。
魔の力によるものではないかと。
では神に問うてみよう。
重石をつけて水に沈めよ。
魔女でなければ神が守り、女は生き残るであろう、と。
結果、女は魔女だったのだと認定された。
水の底に放置され、美しかった顔は膨れ腐り忘れ去られた。
魔女の疑いをかけられた男がいた。
他の者より裕福だと。
魔の力により不当に得ているのではないかと。
では神に問うてみよう。
首に縄をかけ、台座の上から落とせ。
魔女でなければ神が守り、男は生き残るであろう、と。
結果、男は魔女だったのだと認定された。
男の死骸は見せしめとされ、男の財は教会が回収した。
そして少女もまた神明裁判によって裁かれた。
十字架に
魔女でなければ神が守り、少女は生き残るであろう、と。
少女は炎に包まれながら、全てを呪った。
少女を化物にした男を。
少女を殺そうとする人々を。
少女を受け入れることのない世界を。
少女を救うことのない神と呼ばれるものを。
そして少女は、炎に焼かれながらも苦痛に叫ぶだけで死ぬことのない自分が、
それほどの化物なのだと泣き叫びながら理解し。
最強種たる己の本来の力を、初めて正しく解放するに至った 』
『目覚めた少女は世界を駆けた。
神の信仰者に追われ、甘言の毒を幾度も味わい、
そして殺そうとしてきた者を殺し返すうちに少女の名は知れ渡る。
信仰のために少女を殺そうと追う聖職者がいた。
賞金のために少女を殺そうと襲う賞金稼ぎがいた。
復讐のために少女を殺そうと誓う名もなき人々がいた。
そしてその全てから逃げて、隠れて、殺して生き延びる。
少女の悪名がさらに広く、強く、知れ渡る。
そして正義の魔法使いも、悪を裁くべく動き出す。
化物を殺す
逃げても逃げても追ってくる。
少女から彼らを襲ったことなどなかった。
だが彼らは自身の仇敵のごとく少女を憎み、殺しにかかった。
なぜなら少女は「悪」であり、悪は問答無用に滅ぼすべきものだったがゆえに。
少女は傷付き、恐怖し、死にかけながらも。
必死に生き抜こうとした。
襲い来た魔法使いを捕らえその術理を調べ、
身を隠しながら魔法を身につけ、
次々と起こる襲撃で実践していった。
人々が青春を謳歌し輝く歳の頃には、
少女は逃げ隠れ戦い殺し生き残る術を血と泥と涙に
人々が労働を知り汗を流す歳の頃には、
少女は正義という言葉を憎悪しながら炎や氷から身を守る術を模索していた。
人々が家庭を持ち穏やかに笑う歳の頃には、
少女は色のない顔で捕らえた敵を拷問していた。
人々が老いて己の成果を次代に託す歳の頃には、
少女は数多の敵を相手に冷笑していた。
人々が代を重ね、その様相を変えていこうとも。
少女の死と暴力の世界は、どこまでも続いた。
国々が移り変わり、世界の法が変わろうと。
少女は悪と呼ばれ続けた。
いずれ少女は己の罪を認めた。
若き頃は全てを嘆き恨んだ少女であったが。
積み重ねた罪が。
踏み越えた死が。
憎悪が恐怖が絶望が悪意が。
少女の心を踏み固めた。
そして少女は、「悪」を名乗る。
いくら時を経ようとも、その姿は少女なれど。
彼女の重ねた年月は、少女を一人の魔女にした 』
『……さて、少年よ。正義を志す若者よ。
「悪」とは果たして何なのだろうかね?』