休憩室という場所には、たまに妙な会が発生する。
誰かがお菓子を持ってくれば試食会。
新商品を買ってくれば感想会。
そして暇と話題と口の悪い人間が揃えば。
「田部君って、今まで一番ヤバかった客ってどんな人なんすか?」
クレーマー体験談を聞く会が始まる。
「一番っすか?」
昼休憩。
珍しく私と中嶋さんと田部君の休憩が被っていた。
ちなみに田部君は、さっきまで売場でお客さんに電動ドライバーの説明をしていた。
「棚を二、三個組むくらいなら、こっちで十分だと思いますよ。高い方が当然パワーはありますけど、そこまで使わないなら勿体ないんで」
「でも安い方で大丈夫?」
「その用途なら俺は大丈夫だと思います。ただ、今後DIYを続ける予定があるなら上のモデルでもいいかもしれないっすね。予算もあると思いますので、ご一考までに」
そんな感じである。
押し売りもしない。
客の用途も聞く。
予算も考える。
商品知識もある。
おまけに品出しも早い。
田部君は、普通に仕事ができる。
普通のお客さん相手なら。
「この前の丸ノコの人よりヤバいのいるん?」
中嶋さんが弁当を食べながら聞いた。
「いますよ」
即答だった。
「即答なんだ」
「むしろあの人、中の下くらいっす」
「クレーマーにランク付けすんな」
「いや、働いてたら勝手に付きますって」
「何基準なん?」
「話の通じなさ、要求のヤバさ、拘束時間、危険度とか」
「査定項目しっかりしてんなぁ」
嫌な人事評価である。
「ちなみに鍵の人は?」
「Cくらい」
「ランクまであるんすか」
「俺の中では」
「一番上は?」
「S」
「ゲームみたいにすんな」
「SSもいますよ」
「増やすな」
私が止めると、田部君が笑った。
「じゃあ、そのSクラスの話聞きたいっす」
「何人かいますけどねぇ」
「何人かいる時点で嫌やわ」
「一番笑えるのは、脚立の人かな」
「笑えるんだ」
「今なら」
その言い方、当時は笑えなかったやつだ。
「前にサービスカウンターで、『この店で買った脚立が危ないから返品しろ』って言われたんすよ」
「はい」
「持ってきたの踏み台でした」
「まあ、名称間違えるくらいならあるんちゃう?」
「ウチの商品じゃなかったです」
「終わったやん」
開始数秒で終了した。
「じゃあ他の店で買ったやつ?」
「多分。少なくともウチでは扱ってない商品でしたね」
「それ説明したら終わりじゃないんすか?」
「俺もそう思ったんすよ」
田部君がおにぎりの包装を剥がす。
「『こちら当店の商品ではないので、返品はお受けできません』って普通に説明しました」
「うん」
「そしたら、『でもお前らも同じようなの売ってるだろ』って」
「……ん?」
「俺もそうなりました」
「どういう意味?」
「似た商品を売ってる以上、ホームセンターにも責任があるらしいっす」
「何その業界全体責任制」
怖い。
その理屈が成立すると、全国のホームセンターが全国の踏み台に対して責任を負うことになる。
「で、その踏み台から落ちたらしくて」
「怪我したん?」
「腰打ったって」
「それは災難やけど……」
「『治療費払え』って言われました」
「何でウチが!?」
「俺も聞きましたよ」
「なんて?」
「『なんでウチが払うんすか?』って」
「直球やなぁ」
「だって分かんなかったんで」
そこは分かる。
「そしたら、『お前らが危険な商品を売ってるからだろ』って」
「でもその商品、ウチの商品じゃないんすよね?」
「はい」
「禅問答?」
「俺も途中から何の話してるか分かんなかったです」
田部君が普通におにぎりを食べ始める。
「まだ続きますよ」
「まだあんの?」
「治療費の次に、ここまで来たガソリン代も払えって」
「何で!?」
「『お前らのせいでわざわざ来たんだから』って」
「自分から来たんやろ!」
「はい」
「高速使ってたら高速代も?」
「多分請求されてたんじゃないっすか」
「ホテル泊まってたら宿泊費もいけそうっすね」
「エチュっち、それもう旅行やん」
「だからエチュっちで……合ってます。いや合ってるけど何か腹立つな」
最近、自分でも何が正解か分からなくなってきた。
「で、その人が『責任者出せ!』って」
「店長呼んだんすか?」
「呼ぼうとはしましたよ」
「“とは”?」
「その前に『お前じゃ話にならん!』って言われて」
「ああ」
嫌な予感がする。
「『じゃあ話にならないまま帰ってもらっていいっすか?』って言いました」
「言ったんすか?」
「はい」
「アホやん」
中嶋さんが即答した。
「いや、だって俺じゃ話にならないんでしょ?」
「理屈はそうやけど!」
「本人が言ったじゃないっすか」
「そこを拾わんでええねん」
これである。
田部君は普通の接客では、下手な社員より丁寧だったりする。
でも理不尽な相手に対しては、何故か言葉の額面を一字一句受け取って真正面から反撃する。
というか反逆する。
客が無茶を言い始めた瞬間だけ、接客業という巨大な帝国に一人で反旗を翻しているように見える時がある。
たまにルルーシュかと思う。
残念ながらギアスは持っていないので、相手は普通に言うことを聞かない。
「結局どうなったんすか?」
「店長来て説明して、その人帰りましたよ」
「納得したん?」
「してないっす」
「ですよね」
「『本部に言うからな!』って」
「あー」
「で、本部に行きました」
「行ったんかい」
「俺名指しで」
田部君は慣れた口調で言った。
「田部君、本部クレーム多すぎやろ」
「俺からクレーム入れてるわけじゃないっすからね?」
「でも多分、店で一番やろ?」
「店長曰くそうらしいっす」
「不名誉な一位だなぁ」
ちなみに田部君は、仕事ができる店員に店側から定期的に渡される白いバッジを持っていない。
白いバッジ。
接客や知識、勤務態度なんかを見て、優秀な店員に贈られるちょっとした称号みたいなものだ。
給与の査定にも多少影響するらしい。
田部君は、仕事だけ見れば多分とっくに貰っていてもおかしくない。
でも胸元にはない。
理由は今聞いた話で大体分かる。
「勿体ないっすよね」
私が田部君の名札を見る。
「何が?」
「白バッジ」
「ああ」
「普通に仕事できるのに」
「別にいらないっすよ」
「給料上がるかもしれへんのに?」
中嶋さんが聞く。
「欲しくないとは言ってないです」
「欲しいんやん」
「でも、バッジ欲しいから無茶苦茶言ってくる人に『仰る通りです』って言う気はないっすね」
「極端やなぁ」
「無理なもんは無理でしょ」
そこだけ聞けば、本当に真っ当なので困る。
「じゃあ脚立の人が一番ヤバかったんすか?」
「いや」
田部君の返事が少しだけ変わった。
「一番嫌だったのは別ですね」
「どんなん?」
「怒鳴らない人」
「怒鳴らない?」
「はい」
田部君がペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「返品か何かで揉めた人だったんすけど、その人ずっと静かなんすよ」
「静かなクレーマー?」
「声も普通。別に台も叩かないし」
「それだけならまだマシそうやけど」
「途中から俺に、『仕事何時まで?』って聞いてきて」
中嶋さんの箸が止まった。
「……それ嫌やな」
「その次に『車どこ停めてる?』」
「うわ」
「『帰り一人?』」
「それは笑えないっすね」
「でしょ」
さっきまで笑いながら聞いていた空気が、少しだけ変わった。
怒鳴る人間は怖い。
でも、仕事が終わる時間。
自分の車。
帰り道。
そういうものを静かに確認される方が、別の怖さがある。
「田部君、その時は何て返したん?」
「何も答えてないですよ」
「煽らんかったんや」
「俺、別にクレーマー見たら条件反射で煽ってるわけじゃないですからね?」
「え?」
「何その『え?』」
「いや……」
ちょっとだけそう思っていた。
「さすがに危ないと思ったんで、店長呼びました。警備にも話通して、その日は高瀬さんと一緒に帰りましたよ」
「ちゃんとしてる」
「俺を何だと思ってるんすか」
「理不尽特攻兵」
「やめてもらっていいっすか?」
「でも怖かったんすね」
「そりゃ怖いっすよ」
田部君はあっさり言った。
「怒鳴ってる人ならまだ何考えてるか分かるじゃないですか。怒ってんな、って」
「まあ」
「静かにそういうこと聞いてくる人の方が、何するつもりか分かんないんで嫌です」
それは、少し分かる気がした。
「その人、それ以来来なかったん?」
「来ましたよ」
「来るんかい!」
中嶋さんが即座に突っ込んだ。
「一ヶ月後くらいに普通に」
「何しに?」
「買い物」
「普通に?」
「普通に」
「田部君に何か言った?」
「『これどこ?』って」
「怖っ」
「俺も普通に案内しました」
「案内したんすか?」
「その時は普通のお客さんだったんで」
あ。
そこなんだ。
田部君は、一度揉めた相手だから嫌うわけじゃない。
前回どれだけ理不尽でも、今日普通に買い物をしているなら普通に接客する。
ただし今日また無茶を言えば、今日も反逆する。
恨みを引きずらないという意味では、むしろ切り替えが早いのかもしれない。
「それで『ありがとうございました』って帰りましたよ」
「感情どうなってんの、その人」
「知らないっす」
田部君が笑う。
「接客業ってそういうの多いですよ」
「深いこと言ってるようで何も解決してない」
「解決する仕事じゃないですからね」
確かに。
「他にもあるん?」
中嶋さんが聞いた。
「ありますよ」
「まだあんの?」
「全然」
「じゃあ次、一番長時間拘束されたやつ」
「四時間半」
「聞く前から嫌になった」
「あと店の前で寝た人とか」
「何で?」
「警察呼ばれた人とか」
「何したん?」
「返品した商品をまた買い戻そうとした人とか」
「意味分からん」
「ランキング形式でやります?」
「やらんでええ」
「第三位から」
「だからやらんでええって」
その時。
『業務連絡です。レジ応援可能な方、二番レジまでお願いします』
店内放送が流れた。
中嶋さんが時計を見る。
「あ、休憩終わりや」
「私もっす」
「俺もですね」
三人で立ち上がる。
「じゃ、続きはまた今度」
「まだやる気なんすか」
「ネタならありますよ」
「ネタって言うな、実話やろ」
そう。
そこが一番嫌なところである。
幽霊。
呪い。
怪談。
普通、怖い話にはどこか作り話かもしれないという逃げ道がある。
でも接客業の休憩室で語られる怖い話には、それがない。
全部誰かが実際に対応した客で。
そしてその人は今もどこかで普通に買い物をしている。
「エチュっち、行くでー」
「はいはい。あとエチュっちで合ってます」
「今日は訂正せえへんの?」
「もう疲れたんすよ」
休憩室の扉を開ける。
売場から聞こえてくる声。
レジの音。
店内放送。
いつものコーインズホームだ。
私はレジへ向かいながら思った。
怖い話というのは、夜に聞くものだと思っていた。
接客業では昼休みに聞ける。
しかも、続編まである。
勘弁してほしい。