「越中さん」
「はい?」
「プラスドライバーって、一種類じゃないんですか?」
午後二時。
レジ前の商品を整理していた私は、隣に立つ水野さんを見た。
十九歳。大学生。
コーインズホームに入ってまだ日が浅い、新人アルバイトである。
真面目で、言われたことはちゃんとメモを取る。
分からないことはちゃんと聞く。
非常に偉い。
私なんて最初の頃、分からないことの半分くらいは「まあそのうち覚えるだろ」で流していた。
「急にどうしたんすか?」
「さっきお客様に聞かれたんです。『プラスの二番どこ?』って」
「ああ」
「二番って何ですか?」
「二番です」
「だから、その二番が何なのか聞いてるんです」
「水野さん、結構ツッコミ強くなってきましたね」
「越中さん相手だと必要かなって」
成長が早い。
「先っちょのサイズっすよ。確か」
「プラスにサイズあるんですか?」
「ありますね」
「全部同じじゃないんですか?」
「違うみたいっす」
「みたい?」
「私、工具担当じゃないんで」
ホームセンターで働いていると勘違いされるが、ホームセンターの店員だからといって、店にある商品全部に詳しいわけではない。
むしろ全部に詳しかったら怖い。
工具。
木材。
園芸。
インテリア。
電材。
日用品。
ペット用品。
その他諸々。
この店にある商品の説明書を全部読んでいたら、多分定年の方が先に来る。
「じゃあ、こういう時どうするんですか?」
「詳しい人に聞きます」
「誰です?」
「今日は……高瀬さんいるはずっすね」
「高瀬さん?」
「DIY担当の準社員さんです。工具とか資材なら、あの人に聞けば大体どうにかなります」
「準社員?」
「ああ、そこからっすか」
水野さんが頷く。
「社員さんとは違うんですよね?」
「違います。社員ではないけど、フルタイムに近い感じで働いてる人ですね。専門担当持ってる人も多いっす」
「じゃあ、バイトより詳しい?」
「人によりますけど、高瀬さんは詳しいっすよ」
「田部さんより?」
「……」
難しい質問だった。
「種類が違うんすよね」
「種類?」
「田部君は何か聞いたら答え返ってくるのが異常に速いんですけど、高瀬さんは一回余計に確認する感じっす」
「どっちがいいんですか?」
「だから場合によるんすよ」
そう言いながら工具売場へ向かう。
途中、ちょうど台車を押していた田部君と遭遇した。
「田部君」
「はい?」
「プラスドライバーの二番って何すか?」
「先端のサイズっす」
「ほら」
「何がほらなんですか?」
水野さんが田部君を見る。
「一番と二番で違うんですか?」
「違いますよ」
「何が?」
「大きさ」
「何で?」
「ネジの大きさ違うからじゃないっすか?」
「何でネジの大きさ違うんですか?」
「そこから?」
田部君が止まった。
「何に使うネジかで必要な太さとか違うでしょ」
「じゃあ二番買っとけばいいんですか?」
「何に使うんすか?」
「例えば家のネジ」
「家のどこの?」
「普通の」
「普通のネジって何すか」
始まった。
ホームセンター店員が最も困る単語。
普通。
「普通のプラスネジです」
「だからサイズがあるって話してるじゃないっすか」
「あ」
「家具とかでよく見るのは二番多いですけど、小さいネジなら一番とか使います。もっと小さいのもあるし」
「じゃあ合ってないの使ったら?」
「ネジ舐めます」
「舐める?」
「頭潰れます」
「ネジって舐めるんですか?」
「舐めます」
「舐めないですよね?」
「舐めますって」
水野さんの顔が完全に混乱している。
新人の頃はこうなる。
専門用語を説明してもらったら、その説明の中に新しい専門用語が出てくる。
ゲームでチュートリアルを進めるたびに知らないボタンが増えていく感じに近い。
「じゃあマイナスは?」
「はい?」
「マイナスドライバーは一種類ですよね?」
田部君が一瞬黙った。
「いや」
「え?」
「マイナスもサイズありますよ」
「……え?」
水野さんが本気で固まった。
「ありますよ」
「マイナスにも?」
「あります」
「何が違うんですか?」
「先端の幅とか厚み」
「幅?」
「三ミリとか、五・五ミリとか、六ミリとか。厚みも違います」
「番号じゃないんですか?」
「プラスみたいに一番二番って覚える感じとはちょっと違いますね。商品にもよりますけど、刃先の幅と厚みで見ます」
「……」
水野さんが売場のマイナスドライバーを見る。
「今まで全部同じだと思ってました」
「まあ見た目は全部マイナスですからね」
「だって学校とかで『マイナスドライバーの何番使って』って言われないじゃないですか」
「まあ」
「マイナスドライバーはサイズなんて覚えなくていいのに、プラスだけ一番とか二番とか覚えるんだと思ってました」
田部君が止まった。
「……ああ」
少し離れたところから、高瀬さんの声がした。
「それはまあ、勘違いするかもな」
振り返ると、作業用エプロンのポケットにメジャーを差した高瀬さんが立っていた。
「高瀬さん」
「聞こえてた」
田部君も少し考えている。
「確かにマイナスって、一般の人が刃幅まで意識して買うこと少ないか」
「ですよね?」
水野さんが急に勢いを取り戻した。
「なのにプラスだけ『二番です』って急に番号出てきたら、プラスだけ種類あると思いません?」
「まあ、それは分かる」
高瀬さんが頷く。
田部君まで頷いた。
「うん。それなら勘違いするか」
「やっと分かってくれた!」
「でもマイナスもサイズありますからね」
「そこは増やさなくていいです!」
「事実だから」
「知識が増えるたびに覚えることも増える!」
非常に正しい悲鳴だった。
高瀬さんは近くの商品棚からプラスドライバーを二本取った。
「これが一番。こっちが二番」
並べて見せる。
「あ、本当だ。ちょっと違う」
「ネジ側の溝にもサイズがあるから、基本は合ったものを使う。合わないやつで無理に回すと滑りやすい」
「それでネジが舐める?」
「そう。溝が潰れて回せなくなる」
「なるほど……」
「マイナスも同じで、溝に対して先端が細過ぎたり厚みが合わなかったりすると滑りやすくなる。だから本当は合ったサイズを使う」
「本当は?」
「家で適当に一本使ってる人も多いから」
「ああ」
「ただ、ちゃんと使うなら合わせた方がいい」
水野さんが今度はマイナスドライバーを一本取った。
「これ、六って書いてあります」
「それは刃幅六ミリ」
「百って?」
「軸の長さ百ミリ」
「数字二個あるじゃないですか!」
「あるね」
「プラスより増えた!」
「増えたんじゃなくて、元からある」
「知らない方が幸せだった」
私は笑った。
「工具売場向いてないかもしれないっすね」
「まだ入って数日です!」
「それもそう」
水野さんが商品棚を見る。
プラスドライバー。
マイナスドライバー。
精密ドライバー。
六角。
トルクス。
差し替え式。
ラチェット式。
電動用ビット。
長い。
短い。
太い。
細い。
何故、ネジを回すという行為だけでこんなに選択肢があるのか。
「私、ホームセンターのバイトってレジと品出しくらいだと思ってました」
「私も最初そう思ってました」
「覚えること多くないですか?」
「多いっすよ」
「これ全部覚えるんですか?」
「全部は無理っす」
「え?」
「だから担当がいるんですよ」
水野さんが高瀬さんを見る。
「高瀬さんは全部分かるんですか?」
「DIY関係ならある程度は」
「全部?」
「全部ではないよ」
「高瀬さんでも?」
「新商品も出るし、メーカーによって違うし、使い方によっても変わるからね」
意外そうな顔をする水野さんに、高瀬さんが続ける。
「分からない時に適当なこと言わない方が大事」
「ああ……」
「分からなかったら詳しい人呼べばいい。新人ならなおさら」
「はい」
良いことを言う。
さすが本職。
隣で田部君が商品を棚へ戻していた。
「田部君も分からない時、人呼ぶんすか?」
「呼びますよ」
「意外」
「俺を何だと思ってるんすか」
「大体何聞いても即答する人」
「分かることなら答えますけど、分からないこと適当に答えたら面倒になるじゃないっすか」
そこはちゃんとしている。
「例えばどんなの分からないんです?」
「化粧品」
「工具の話してるんですけど」
「じゃあ聞き方変えてくださいよ」
この男はこういうところがある。
その時だった。
「あのー、すみません」
一人の男性客が、三十センチほどの木の板を手にこちらへやってきた。
板の端には小さな金具が付いている。
「はい」
高瀬さんと田部君がほぼ同時に返事をした。
「これ、外れなくなっちゃったんだけど」
田部君が受け取って見る。
どうやら棚か何かに使っていた部品らしい。
金具を固定しているネジが二本。そのうち一本だけ、十字の溝が完全に潰れて丸くなっていた。
「あー、舐めてますね」
高瀬さんも覗き込む。
「結構いってるな」
「他のは外れたんだけど、これだけ全然駄目でさ。ドライバーでやってたら余計グチャグチャになっちゃって」
水野さんが私を見る。
私も水野さんを見る。
「……舐めた?」
「舐めたっすね」
「本当に舐めるんだ……」
今日習った知識が、五分で現物になった。
教育環境としては優秀な職場かもしれない。
「これ、もう無理?」
客が聞く。
田部君がネジの頭を横から確認した。
「少し頭出てますね。これなら掴めると思います」
「ペンチで?」
「こういうの専用のありますよ。見本あるんで、試してみます?」
「試せるならお願い」
田部君が売場から見本品を持ってくる。
その隣に並んでいる商品のパッケージを、水野さんが読んだ。
「……ネジザマス?」
「はい」
「ネジザマス?」
「そうです」
私も横から見る。
確かに書いてある。
《ネジザマス》。
潰れたネジの頭を掴んで回すための、ペンチ型の工具らしい。
そしてパッケージが妙だった。
フリフリのドレスを着た、いかにもお嬢様という女性が描かれている。
ただし、やっていることは全然お嬢様ではない。
潰れたネジ頭を工具でがっちり掴み、全身を使うような勢いで思いっきり回している。
髪はなびき、ドレスの裾まで舞っていた。
ネジ一本外す絵にしては躍動感があり過ぎる。
「……何すか、このお嬢様」
「ネジ外してるんじゃないですか」
田部君は見本品の先端をネジへ合わせながら答えた。
「それは見れば分かるんすけど」
水野さんは返事をしなかった。
パッケージをじっと見ている。
「水野さん?」
「……この絵」
「はい?」
「なんか見たことある気がする」
今度は顔の辺りへ近づける。
「知ってる絵師さんかも……」
「工具のパッケージで絵師当て始まったんすか?」
「いや、違うかもしれないですけど」
そう言いながらも、視線がパッケージから離れない。
「めちゃくちゃ力強くないですか?」
「固いネジなんじゃないですか」
「ネジ一本に対する気合いじゃないですよ」
工具のパッケージというより、宿敵との最終決戦だった。
客も笑う。
「すごい絵だな」
「多分この人、『回してやるザマス!』って言ってます」
水野さんが言った。
「商品にない設定作らないでください」
田部君はそう言いながら、見本品の先端を潰れたネジ頭へしっかり噛ませた。
その横で。
「……でも、可愛い」
水野さんが小さく呟いた。
「何か言いました?」
「何も言ってません」
「今、可愛いって」
「言ってません」
「言いましたよね?」
「田部さん、接客中ですよ」
「逃げた」
「接客してください」
何故か急に強かった。
田部君は少し首を傾げながら、客の板へ視線を戻した。
「こうやって頭を掴んで、ゆっくり回します」
ぐっと握り込み、そのまま力を掛ける。
「あ」
固まっていたネジが、ほんの少し動いた。
「回った」
客が身を乗り出す。
田部君が握り直してもう一度回すと、今度ははっきりとネジが動いた。
「あ、いけますね」
何度か回していくうちにネジが浮き、最後は田部君が指で摘まんで外した。
「取れました」
「おお、すげえ」
客が板を見る。
さっきまで外れなかった金具が、今は普通に外れていた。
「これ良いね」
「今回みたいにネジ頭が出てて掴めるやつなら使いやすいですよ。完全に埋まってるやつとか、掴むところがないものは難しいですけど」
「いや、これ買ってくわ」
客は棚から《ネジザマス》を一つ取った。
「また同じことやりそうだし」
「できれば次は、ドライバーのサイズ合わせて舐めさせない方がいいですけどね」
「はは、確かに」
田部君が外したネジを見る。
「このネジも交換した方がいいですよ。頭もう使えないんで」
「ああ、これも売ってる?」
「ありますよ。現物あるんで合わせられます」
「じゃあ頼むわ」
田部君が外したネジを持って、少し先のネジ売場へ向かう。
私と水野さんもついていった。
水野さんは一度だけ振り返った。
ネジザマスの棚を見る。
ほんの一秒くらいだった。
「どうしたんすか?」
「何でもないです」
「お嬢様?」
「違います」
聞いてないことまで否定された。
◯
ネジ売場には小袋に入ったネジのほかに、一個ずつ選んで買えるバラ売りのネジも並んでいる。
「ネジって一本でも買えるんですか?」
水野さんが聞いた。
「種類によりますけど、バラ売りありますよ」
「知らなかった……」
田部君は持ってきたネジを見ながら、売場の商品を確認する。
「太さはこれですね。長さもこれで大丈夫そうです」
「同じやつ?」
「元のとほぼ同じですね。取り付ける場所もさっき見た感じなら、これでいけると思います」
「これいくら?」
客が値札を見る。
「……二十六円?」
「一本ですね」
「安っ」
思ったより大きな声だった。
「ネジってこんな安いの?」
「この辺のバラ売りなら、そんなに高くないですよ」
「じゃあ三個買っとくわ」
「一個しか使わないですよ?」
「また舐めるかもしれないだろ」
「舐めないようにしてくださいよ」
「予備だよ予備」
「ならまあ」
客がネジを三本取った。
一個二十六円。
三個で七十八円。
ネジザマスを買う決断より、ネジ三本を買う決断の方が圧倒的に速かった。
「じゃあ、これに合うドライバーは?」
「このネジなら二番ですね」
田部君が答える。
水野さんが反応した。
「あ」
「何?」
客が水野さんを見る。
「いえ、今日ちょうど二番を覚えたところで」
「そうなの?」
「はい。プラスドライバーに一番と二番があることを、さっき知りました」
「店員さんでも知らないんだ」
「新人なので!」
水野さんが即座に訂正した。
「今はもう知ってます!」
「じゃあ二番で合ってる?」
「……」
水野さんが田部君を見る。
「何で俺見るんすか」
「最終確認です」
「合ってますよ」
「二番です!」
「急に自信出たな」
客が笑った。
「じゃあ二番も一本買ってくわ」
「ありがとうございます」
ネジザマス。
交換用のネジ三本。
プラスドライバー二番。
外れないネジ一本を持ってきただけだったはずなのに、帰る頃には随分と装備が充実していた。
「助かったよ。ありがとう」
「いえ」
「今度は舐めないようにやるわ」
「押し付けながら回してくださいね。サイズ合ってても、浮かせて回すと潰しやすいんで」
「分かった」
客は三十センチほどの板を片手に、《ネジザマス》と二番のドライバーをカゴへ入れ、バラ売りのネジ三本を持ってレジへ向かっていった。
水野さんは、その背中を見送った。
「……越中さん」
「はい?」
「今日、私が覚えたこと言っていいですか?」
「どうぞ」
「プラスドライバーにはサイズがある」
「はい」
「マイナスドライバーにもサイズがある」
「はい」
「でもマイナスは一番二番じゃなくて、幅とか厚み」
「はい」
「合ってないサイズを使うとネジを舐める」
「はい」
「舐めたネジを掴んで回して外す工具がある」
「はい」
「ネジザマス」
「そこだけ商品名まで完璧っすね」
「あと、ネジは一本二十六円」
「そこも覚えたんすか」
「安かったので」
「値段は変わるかもしれないから覚えなくていいっすよ」
「じゃあネジザマスだけ覚えます」
「何で一番大事な二番が消えるんすか」
「二番も覚えてます!」
「お嬢様の顔は?」
「多分一生忘れません」
「やっぱ気に入ってるじゃないですか」
「絵柄が気になっただけです」
「可愛いって言ってましたよね」
「聞こえてたんですか?」
「普通に」
「忘れてください」
「ネジザマスより先に?」
「そっちは忘れません」
「何で工具の商品名の方が守られるんすか」
水野さんは答えなかった。
代わりに、少し離れたネジザマスの棚をもう一度だけ見た。
必要な知識ほど覚えるのに時間がかかる。
どうでもいい名前ほど、一発で脳にこびりつく。
ホームセンターで働き始めて数日。
水野さんが最初に完璧に覚えた工具の商品名は、
ネジザマスだった。
ついでに、バラ売りのネジが意外と安いことと。
妙に気になる、パッケージのお嬢様まで覚えた。
まあいい。
一個ずつ覚えていけばいいのだ。
この店の商品を全部覚えようとしたら、多分卒業の方が先に来る。
……まさかこの時は。
そのお嬢様をきっかけに、水野さんが妙な方向へ商品知識を伸ばすことになるとは思っていなかった。