ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん   作:幼馴染にされたネクパイ

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トリプルティアラの栄光と弊害

 

 

 

「トレーナーさん、なんだかご機嫌だね?」

「えっ」

 

 

 

 ブエナビスタが指摘すると、“彼女”は驚いたようにタブレット端末から顔を上げた。

 

 

 

「参ったな……。顔に出ちゃってた?」

「うん。すっごく嬉しそうで、私まで笑顔になっちゃう」

 

 

 

 11月のトレーナー室は暖房をつけたばかりで、まだほんのり温かい程度なのだが、“彼女”がそれはそれは嬉しそうに微笑んでいるお陰で、寒さなんて全く感じられない。

 少なくとも、ブエナにとってはそれ程に温かく思える笑顔なのだった。

 

 

 

「実は……トリプルティアラ達成のご褒美に、兄さんが料理を作ってくれるの。ほら、この前のパーティーは皆でだったから、今度は家族だけで、って」

「お兄さんが? そっかぁ。トレーナーさん、お兄さんのこと大好きだもんね?」

「そ、そんな事は……あるけど……」

 

 

 

 去る10月某日に行われた、ティアラ路線最終戦、秋華賞。

 これに見事な勝利を収めたブエナビスタは、史上三人目のトリプルティアラを頂くウマ娘となった。

 同時に“彼女”も、史上二人目の、初担当でトリプルティアラを達成させた超有望トレーナーとなった訳だが、二人の望んだ物は、実に質素な……家族との小さな祝宴だった。

 

 幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしていたため、この祝宴も、二家族が集まって開かれた。

 二人の好物ばかりをテーブルに並べて、ケーキなども用意して。

 最後の方はアルコールの入った大人達が、泣きながら「おめでとう」を何度も何度も。

 心温まる、とても優しい光景だったが、それとは別にお祝いという事は、あの日並んでいた料理以外の好物を用意するのだろうか。

 

 

 

「お兄さん、何を作ってくれるの? リクエスト、したんでしょ」

「……笑わない?」

「笑わないよぉ。それとも、内緒にしたいとか」

 

 

 

 恥ずかしそうに、タブレットで顔を半分隠しながら、“彼女”は躊躇いがちに答える。

 

 

 

「カレーライス……」

「カレー?」

「上に、ハンバーグと半熟の目玉焼き、乗せたやつ」

 

 

 

 言われて、ブエナは想像してみた。

 大きな皿に盛られたカレーライス。

 その上に大きなハンバーグをドン!

 オマケに半熟の目玉焼きをプラスして、トロッと溢れ出す黄身が、ルーとのコントラストを描き出す。

 

 そして、それを前に満面の笑みを浮かべる「お姉ちゃん」。

 顔は美人系で、肩に流した黒髪が色っぽさを醸し出す、格好良い「お姉ちゃん」が、お子様ランチのようなカレーを、子供みたいに喜んで。

 

 可愛い。

 思わず抱き締めたくなる絶景(対ブエナ特効)に笑みを浮かべてしまうと、それを似合わないとでも思ったのだろう、“彼女”は慌てて言い訳し始める。

 

 

 

「こ、子供っぽいって分かってるけど、子供の頃から、兄さんのご褒美って言ったら、これだったし……」

「ううん、そんな事ないよ。いいなぁ、凄く美味しそう! 私も、頑張った甲斐があるよ。……良かったね、お姉ちゃん」

「……うん!」

 

 

 

 花が咲いたような笑顔は、幼い頃のまま。

 どんなに格好良く成長しても、この笑顔だけは変わらなくて。

 とても安心すると同時に、やっぱり釣られて笑ってしまうブエナだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します。トレーナーさん、今日のトレーニング……トレーナーさん!?」

 

 

 

 翌日。

 午前の授業を終えたブエナを迎えたのは、トレーナー室で真っ白に燃え尽きる“彼女”だった。

 チーン、という仏壇鐘の音が聞こえて来そうな有り様に、ブエナは大急ぎで駆け寄る。

 

 

 

「ど、どうしたの!? 何があったのトレーナーさん!」

「……ブエナ……」

 

 

 

 肩を揺すられ、ようやくブエナの存在に気付いたらしい“彼女”は、虚ろな瞳を向ける。

 絶望。

 幼馴染みであるブエナですら、かつて見たことがないほどの、深く暗い感情。

 知らず、鼓動が早まっていく。

 

 

 

「に、兄さんが……兄さんが……っ」

「お兄さん? お兄さんに何かあったの? ……まさか、病気、とか……それともお仕事で何か……?」

 

 

 

 最悪の状況を、脳が勝手に思い浮かべてしまう。

 実は不治の病を患っていた?

 仕事で何か重大なトラブルが?

 なんにせよ、“彼女”がここまで取り乱すだなんて、相当に重大な事件があったのだろう。

 固唾を飲んで、言葉の続きを待つ。

 

 

 

「兄さんが……お……お……」

「お?」

「……お見合い、するかもって……」

「…………へ?」

 

 

 

 お見合い?

 ……お見合い?

 男の人と女の人が、結婚するためにする、あのお見合い?

 

 強張っていた肩から、急速に力が抜けていった。

 要は、常にツーショ写真を持ち歩き、緊張した時にはそれを抱きしめる位にブラコンを拗らせた“彼女”が、兄離れを拒んで駄々をこねているだけ、のようだ。

 

 

 

「え、ええと……それって、良い事なんじゃ……」

「全然良くないよっ!!」

「きゃっ」

「あっ、ごめん。つい声が大きく……」

 

 

 

 急に色を取り戻した“彼女”が言うには、会社から紹介されたお見合いなのだとか。

 親会社の親会社の親会社の、そのまた親会社である超大企業の社長令嬢が、かなり大規模に婚約者を探していたらしく、その枠が解放されたので、応募してみないか? と打診されたらしい。

 

『立派に成長した姿を見られた事だし、そういう選択もありかな、と思って』

 

 そう言った兄に対し、その場では取り繕えたものの、後になってボディブローの如く響いてしまい、今に至っている……ようだ。

 まぁ、幼い頃から自分の世話を焼いてくれて、どんな時もそばに居てくれて、トレーナー養成学校への受験などでもサポートしてくれた、大大大好きなお兄さんが結婚を考えていると言うのだから、ショックを受けるのは理解できるが……。

 

 

 

「相手は大企業の社長令嬢だなんて……。きっと、なんの苦労もなく、蝶よ花よと育った箱入り娘だよ! 兄さんを任せられるわけないよ!」

「ううん……。でも、相手が箱入り娘さんなら、色んな苦労を知ってるお兄さんは、上手に支えてあげられそうだよね」

「……ど、どんな性格してるかも分からないし! 相性が悪かったら、結婚生活の先行きが!」

「お見合いって、そういう部分を確かめるためにするものじゃないの?」

「…………うう、うちは平凡な一般家庭だし、上流階級お嬢様とは、育ちが違い過ぎるし……」

「会社を通じたお見合いなんだよね? なら、家族構成とか来歴とか、ある程度は把握した上で打診してるんじゃ……」

「ぶ、ブエナぁ……。ブエナはお兄ちゃんが取られてもいいの……?」

「え。あ、そ、そういう訳じゃ、ない、けど」

 

 

 

 正直なところ、あまり接点のなかった人物なので、どう反応していいか、分からない。どちらかと言うと、自分の親にも近い存在だ。

 あまりにも“彼女”が悲しそうで、なんとなくそんな気分にはなってしまうけれど、涙目で幼児退行する程ではなかった。

 

 

 

「じゃあ、お姉ちゃんはどんな人になら、お兄さんを任せられるの?」

「…………」

 

 

 

 何の気なしに聞いてみると、“彼女”は黙り込んで考え出す。

 そうしていると、理知的な表情が美しい顔立ちと相まって、まさに才媛といった様子なのだが、考えている内容は、愛しい兄に相応しいお嫁さんの条件。

 微笑ましいのやら、呆れてしまうやら。

 

 

 

「まずは、お料理が上手な事、かな」

「うん、大事だよね。美味しいお料理を作ってもらえると、心もお腹も満たされるもんね」

「それから、家計簿とかもしっかりつけて欲しいし、こまめにお掃除とかできる気配りもできて欲しいし……」

「うんうん。そういうところがしっかりしている人だと、安心できるよね。特にお掃除とかは、サボるとすぐ埃が溜まっちゃうもの。私も気をつけてるかなぁ」

「……後は、人柄? 円満にご近所付き合いできる人、が……」

「なるほどー。お兄さん、普段は家を開けることが多いって言ってたもんね。その分、ご近所さんと仲良くしたり、時間が空いた時に地域活動に参加できるよう、色んな事を知っておけると良いんだね」

 

 

 

 述べられた条件は、意外にも至極真っ当な……。言い換えれば、誰もがそう望むだろう内容だった。

 当てはまる人物は少ないだろうけれど、こんな条件をつけるのも愛ゆえ。

 実際のところ、“彼”を本気で愛している人が現れたなら、止めたりはしない……はず……恐らく……きっと……多分……だと良いなぁ……し、信じてるよ……?

 

 

 

「……ふむ……」

「ん? お姉ちゃん?」

 

 

 

 だんだん不安になっていくブエナを、当の“彼女”はしげしげと見つめていた。

 顎に手を当て、何か思い浮かべるように目を閉じ、そしてまたブエナを見ては、納得したように頷いて。

 

 

 

「ねぇ、ブエナ」

「うん。どうしたの」

「うちの兄さん、貰ってくれない?」

「え。貰うって……」

「……ブエナビスタさん。私の兄さんと結婚して下さい!」

「………………ぅえええええっ!?」

 

 

 

 唐突すぎる申し出に、驚きの叫びが響き渡る。

 結婚という単語に驚いたのはもちろん、こんな形で人生初のプロポーズをされるなんて、予想外にも程があった。

 いや、成立しないのは置いておき、プロポーズされるのは結構嬉しいんですけど、その対象がズレてるのも問題と言いますか。

 

 

 

「ななな、何言ってるのお姉ちゃん!? 私と、お兄さんが、け、けけけ、結婚、だなんて……っ」

「妹の贔屓目を抜きにしても、良い物件だと思うんだ。安定した仕事してるし、お酒もタバコもギャンブルもしないし、家事だって万全! 確かに年は離れているけど、仕事柄、体は鍛えてるから健康そのもの。どうかなっ?」

「どうって……ほ、本気なの?」

「言ってて気付いたんだけど、ブエナにだったら安心して兄さんを任せられるかなって。今なら私のお姉ちゃんになる権利もついてくるよ!」

「うっ」

 

 

 

 ニッコニコな“彼女”に言われ、ブエナはつい想像してしまった。

 自分を「お姉ちゃん」と呼ぶ“彼女”を。

 普段は大人っぽい“彼女”が、ちょっと恥ずかしそうに甘えてくる姿を。

 具体的には、ブエナ自身が脳内で思い描いていた甘え方を、“彼女”に置き換えただけなのだが……。

 

 

 

『おはよう、ブエナお姉ちゃん』

『お弁当作って来たんだ。一緒に食べよう?』

『ブエナお姉ちゃん、眠い? 膝枕してあげよっか』

『久しぶりに、一緒にお風呂入ろ。背中流してあげる!』

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 いい、かも……。

 

 

 

「……っは!? な、何言ってるの! 自分を景品みたいに扱うのはダメでしょ!」

「おおぉ、良いねー。今のお姉ちゃんっぽい! これは確定かな?」

「だから……んもうっ! お姉ちゃんっ!!」

 

 

 

 正気に戻ったブエナが叱るも、全く堪える様子がない。

 そんなこんながありつつ、今日もまた平穏な一日が過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(どうしよう。時間、早過ぎちゃった)

 

 

 

 日曜日。

 多くの人々が行き交う駅前に、ブエナは居た。

 

 

 

(おかしくない、よね? ううう、男の人とデートなんて初めてだし、緊張してきちゃった……)

 

 

 

 慣れない待ち合わせに、なんとなく前髪をいじって、弧を描く白い流星を整える。

 結局、あれからも“彼女”の攻勢は続き、ついにはこうしてデートする事になってしまった。

 もちろん相手は、“彼女”のお兄さん。

 どうやら、あちらに対してもゴリ押ししたらしく、何度か怒られた……と笑っていた。それでも止めずに押し切ったあたり、本気、なのだろうか。

 私、まだ中等部なのに。

 

 ちなみにブエナは今、変装している。

 勝負服のイメージとは逆の寒色系で服装をまとめ、いつものリボンの編み込みもしていない。

 ポニーテールに髪型を変えた上で、ウマ娘用の小さな帽子と伊達メガネをかければ、パッと見でバレる事もないだろう。

 

 以前から人気の高かったブエナだが、トリプルティアラを達成した事もあり、現在はアイドルグループのセンター並みの超人気。そのまま駅前に立っていたら、あっという間に大騒ぎである。

 ただし、溢れ出る美少女オーラは隠そうとしても隠し切れず、周囲のナンパ男達は皆、声をかけるタイミングを見計らっていたりする。

 

 

 

「……“エナちゃん”、お待たせ」

 

 

 

 そんなブエナへと、ごく自然に呼びかける声があった。

 慣れない呼ばれ方は、しかし再会の合言葉。

 振り向いた先では、スーツ姿の男性が笑顔を浮かべている。

 お姉ちゃんの、お兄さん。

 ブエナより一回り以上歳上だが、溌剌とした雰囲気のおかげか、若々しい印象である。

 

 

 

「えー、この度は、妹が大変ご迷惑をお掛けして……」

「ええっ!? あ、頭を上げてください。迷惑なんかじゃないですから! ね?」

 

 

 

 挨拶するなり、頭を下げる“彼”。

 無理矢理にデートへ連れ出されたと思っているようで、笑顔から一転、本気で申し訳なさそうだった。

 

 

 

「“あいつ”は、普段は真面目で聞き分けがよくて、物分かりがいい子だったけど、昔から変なスイッチが入る時があったから。今回もそうなんだろう?」

「あ〜……。そんな事……も、なくはないかも、です」

「やっぱり」

 

 

 

 ここ最近の“彼女”の奔走を思い出し、二人揃って苦笑いを浮かべてしまう。

 普段はそれこそ、ブエナが理想とするお姉ちゃんそのものである“彼女”だが、その反動ではっちゃける時も、たまにはあるのだ。

 それがまた親近感を強くするのだが、何はともあれ、今はデートである。

 

 

 

「ええと、“あいつ”が立てたプランにそって行動して、各チェックポイントで写真を送るんだっけ」

「はい。一人で回ったりしないよう、二人それぞれ送って欲しいそうです。ツーショだとなお良し! ……だとか」

「なんて周りくどい……。こんな事に頭を使わなくても良いだろうに……。本当にごめんね、貴重な休みを、こんなオジさんと過ごすなんて」

「そんな風に言わないでください。確かに、押し切られちゃった感はありますけど、本当に楽しみにしてるんですよ。お姉ちゃんのお兄さんなのに、今まであまり接点がなかったから。お兄さんを知る良い機会ですし」

「お兄さん、か」

 

 

 

 不意に、“彼”は寂しそうな表情を浮かべた……ように見えた。

 が、それはブエナの緊張をほぐすための演技だったらしく。

 

 

 

「いつの間にか、そんな風に気を遣えるくらい成長してたんだね……。本当に、立派になったね……。オジさん嬉しいよ……っ」

「お、お世辞とかじゃないですから! ほら、行きましょう?」

「っははは、そうだね。時間が勿体ない」

 

 

 

 わざとらしく涙を拭う“彼”の背を押し、ブエナは歩き出す。

 まずはウィンドウショッピングをしつつ、予約してあるイタリアンレストランで昼食の予定だった。

 意外にも、道中の二人の間に会話は尽きない。

 

 

 

「いきなりではあったけど、実はこちらとしても有り難かったんだ。最近の“あいつ”の様子とか、君の方がよく知ってるだろうから」

「様子って、お姉ちゃんのですか」

「うん。学生の間はさ、色んな面でサポートできた。でも、社会人になってからは、ちょっと距離がね……」

 

 

 

 もっとも、その内容は主に“彼女”の事なのだが。

 今度こそ、本当に寂しそうな笑みを浮かべる「お兄さん」。

 業界最大手の警備会社に勤める“彼”と、現役ウマ娘を担当するトレーナーでは、生活時間がまるで違う。

 連絡もLANEなどで済ませる事が多くなり、寂しさを覚えていたのだとか。

 なんだかんだ、この人もシスコン気味である。

 

 

 

「じゃあ、いっぱいお話できますね。“トレーナーさん”としての、お姉ちゃんのこと。色んな事がありましたから」

「それは楽しみだ」

「まずは、そうだなぁ……。あっ、そばまんじゅう味の新作を巡って、ナカヤマさんと犬ゲームした話とか!」

「犬ゲーム……え、なにそれ。知らない」

 

 

 

 目を丸くするお兄さんへと、ブエナは得意げに、“彼”の知らないお姉ちゃんの姿を語る。

 学園生活での話。トレーニング中の話。レース前のやりとり。

 時々、共通の思い出話も交えて、和やかな時間は過ぎていった。

 それが少々毛色を変えたのは、レストランでの食事を終え、食後のデザートとして、クレープを食べ歩きしている時だった。

 

 

 

「そういえば、なんだけど……」

「……? 何か気になることでも? あ、一口食べます?」

「ありがとう。気持ちだけ貰っておくよ。最近、色んな数値が気になって……ってそうじゃなく」

 

 

 

 中性脂肪とか悪玉コレステロールが……と、逸れそうになった話を戻し、“彼”は言いづらそうにしながらも続ける。

 

 

 

「“あいつ”さ、その……どう、なのかな。人間関係というか、ええと……彼氏、とか……」

「えっ。彼氏……ですか」

 

 

 

 ブエナの知る限り、全くそんな気配は無いのだが、やはり細かい機微が分からないようで、“彼”は妙に慌てていた。

 

 

 

「いやっ、口出しするつもりは無いんだよ? でも、親代わりとしては、やっぱりちょっとだけ気になるというか、最低限、人としてまともな男と、清い交際をして欲しいというか……」

 

 

 

 親代わり。

 そう、この兄妹の両親は、ブエナと知り合う直前に亡くなっている。

 そもそも、ブエナの家の隣へと引っ越して来たのも、悲しい思い出に染まってしまった生家を離れるためだったのだ。

 幼い頃のブエナは、事情を知らないまま、お姉ちゃんに甘えてばかりだった訳だが、そんな環境にも関わらず、どこまでも優しくしてくれたお姉ちゃんが、やっぱり大好きなのである。

 

 そして、そんな“彼女”を、高校に通いながら育て上げたお兄さんの事も、もちろん尊敬している。

 ……とはいえ、お互いの理想の恋人に対して、同じ事を言い出す姿には、どうしても笑顔を禁じ得ないのだが。

 

 

 

「エナちゃん?」

「ごめんなさい。だって、お姉ちゃんと同じような事を言い出すから、おかしくって。やっぱり兄妹なんだなぁって」

「同じって……ああ、お見合いの話、聞いたんだ」

「はい」

 

 

 

 今回のデートの発端である、“彼”へのお見合い話。

 どうやら、あまり乗り気でもなかったらしく、その表情は苦々しい。

 

 

 

「実を言うと、断り辛いから受けただけで、たぶん成立しないと思うよ。そもそも、相手方とは住む世界が違い過ぎる。まぁ、間口は広くしてます、っていうポーズじゃないかな」

「そんなこと。お兄さんだったら、玉の輿に乗れちゃうかも」

「ははは。そうなったら、悠々自適な隠遁生活の始まりかな。……いや、結局、仕事は辞められないだろうな。もう働いてないと落ち着かない」

 

 

 

 “彼”は笑いながら、クレープの最後の一口を頬張る。

 どんな気分、なのだろう。

 自分の青春より、妹を育てる事を優先して、それが当たり前になってしまった。

 そのおかげで今のお姉ちゃんが、ひいてはブエナが存在するのだから、“彼”の選択を否定なんて出来ないけれど……。

 もっと、自分自身を優先しても良いのに。

 どうしても、そんな風に思ってしまうブエナであった。

 

 しかし次の瞬間、優しい「お兄さん」の横顔が、張り詰めたものに一変した。

 

 

 

「エナちゃん。そのままで聞いて。前を向いたまま、振り向かずに」

「え? は、はい」

「レストランを出た辺りから、誰かに尾けられてる」

「……えっ!?」

 

 

 

 思わず振り返りそうになり、けれどなんとか踏み留まる。

 尾行? 一体誰が、なんのために?

 頭を悩ませるブエナの疑問に、“彼”の硬質な声が答えた。

 

 

 

「相手は一人。技術もお粗末。三流のゴシップ記者って所かな。たまたま鉢合わせて、裏取りしようとしてるんだろう」

「そ、そんな事まで分かるんですか?」

「職業柄ね。邪魔されるのも嫌だし、撒こうか。次の曲がり角で路地に入って、合図をしたら走ろう。いいかい」

「分かりました。……ふぅ……」

「あ、本気で走らないでね? 流石に、現役のウマ娘には追いつけないからさ」

「……ふふふっ、はい。お兄さんについて行きますね」

 

 

 

 急転直下の逃走劇に、知らず緊張していたのが、“彼”の戯けた口調に解れていく。

 胸によぎった不安も、日常から非日常へと足を踏み入れたような、ちょっとドキドキするシチュエーションに早変わり。

 これが大人の余裕、かぁ……。

 

 

 

「行くよ!」

「はい!」

 

 

 

 大きな背中を追いかけ、住宅街の細道を行く。

 ジョギングより早く、全力疾走よりは遅い速度。

 基準となるのは人間の速度で、ウマ娘ならば小走りに等しい程度だが、尾行を撒くには十分だろう。

 ……でも。それより気になるのは。

 

 

 

(あれ……? 前にも、こんな事があったような……)

 

 

 

 不意に感じた、奇妙な既視感だった。

 誰かから逃げる、というシチュエーションに対してではなく、誰かの背中を追いかける、この感覚。

 簡単に思い出せるのは、幼い日にお姉ちゃんとした追いかけっこ。

 出会った頃は追いかけていて、いつからか追い越してしまった背中。

 

 

 

(お姉ちゃんとの思い出を重ねちゃってる、のかも。お姉ちゃんのお兄さん、だもんね)

 

 

 

 兄妹だけあって、二人の雰囲気はとてもよく似ている。

 思い出の数は、お姉ちゃんの方が断然多いけれど、ひょっとしたら一緒に遊んだ事も……あったのかも知れない。

 とても懐かしくて……ほんのり切ない、既視感。

 

 数分、そんな感覚に身を任せていると、いつの間にか走る速度は緩まっていた。

 近所の公園だろうか? 見覚えがある。

 付近を確認してみるが、怪しい人影も無さそうで。

 

 

 

「もう大丈夫そうだね。休憩しようか」

「はい。……お兄さん、凄いですね。ぜんぜん息が乱れてない」

「エナちゃんこそ。さすが、トリプルティアラの女王様だね」

「あはは。はい! お姉ちゃんと一緒に、たっくさんトレーニングしましたから!」

「そっか。“あいつ”ももう、立派なトレーナーだもんなぁ」

 

 

 

 むん! と両腕に力こぶを作ってみせるブエナと、それを見て微笑む“彼”。

 穏やかなデートの一幕は、しかし、この時間に終わりを告げるものでもあった。

 

 

 

「残念だけど、お邪魔虫も湧いたし、今日は早めに切り上げようか」

「え。でも、お姉ちゃんのプランはまだ……」

「事情を説明すれば納得するさ。オジさんとしては、可愛い女の子とのデートを邪魔されて、不本意だけど。すんごく不本意だけど!」

「……ふふ、もう。お兄さんったら。じゃあ、またデートしなくちゃですね。今度はバレないようにしなきゃ」

「うーん……。エナちゃんはオーラが隠しきれないから、もっとガッツリ変装しなきゃいけないかも……っと、繋がった。もしもし、俺だけど」

 

 

 

 ブエナの安全を気遣いつつも、大仰に残念がって見せるのは、「ブエナの人気のせい」という後ろめたさを感じさせないため、だろう。

 お姉ちゃんに電話する“彼”の横顔を、ブエナは静かに見つめる。

 

 

 

(なんていうか……やっぱり大人、だよね)

 

 

 

 お姉ちゃんとだって歳は離れているのだから、そのお兄さんである“彼”とは、もっと離れていて当たり前。人生経験も豊富だ。

 頼り甲斐を感じさせる言動すら二人は似ていて、なんというか……安心できた。やっぱり異性というより、家族という感覚が強い。

 “彼女”が望むような、愛し愛される関係とは、かなり離れてしまっている。

 ……お姉ちゃん、残念がるかなぁ。

 

 

 

「気をつけて帰って来て、だってさ。今日は、寮じゃなくて家に帰るんだっけ?」

「あ、はい。外泊届けを出したので、今週末は実家に」

「なら、帰り道も一緒だね」

「ですね。もうちょっとお話できそう」

 

 

 

 話もそこそこに、二人は歩き出す。

 “彼”は今もあの家……ブエナの生家のお隣に住んでいて、今週末はお姉ちゃんも帰省中。だから「帰って来て」なのだ。

 公園を出てしばらく進めば、すぐ見慣れた道が現れるだろう。

 お姉ちゃんに手を引かれて歩いた、懐かしい家路が。

 ……と思ったら、公園の出口に見慣れないワゴン車があった。はちみーの移動販売車だ。

 

 

 

「お、はちみー。走ったせいで喉乾いたし、寄って行かない? 奢るからさ」

「良いんですか? じゃあ、ご馳走になっちゃおうかな。ありがとうございます」

「いえいえ。デートしてくれたお礼だよ」

 

 

 

 早速、短めの列に並び、二人分のはちみーを注文する。

 後ろにも家族連れが並んでいて、場所を考えれば盛況なようだ。

 そして、はちみーを手に販売車を離れようとした時、それは起こった。

 

 

 

「えへへ、わーいはちみー! ママありがと……わっ!」

「きゃっ」

 

 

 

 後ろに並んでいた母子の家族連れ……その男の子が、はちみーに喜んで駆け出し、何かに躓いて転んでしまったのである。

 しかも運悪く、持っていたはちみーは、ブエナの靴に向けてひっくり返って……。

 

 

 

「大丈夫かい、エナちゃん?」

「は、はい。でも私より……」

 

 

 

 不幸中の幸いというか、濡れてしまったのは片方だけだが、ブエナは男の子の方が気掛かりだった。

 地面に伏せたままのその子は、最初、何が起きたか分かっていないようだったけれど、やがて目元に涙が溜まっていく。

 

 

 

「すみません! うちの子が失礼を……!」

「あ……うう……ごめん、なさい……。おねえちゃんのくつ、ぬれちゃった……」

「ううん、お姉ちゃんは大丈夫。痛いところはない?」

「ない……。でも、はちみー……ううう……っ」

 

 

 

 お母さんに抱き起こされながら、唇を噛み締める男の子。

 どうやってその悲しみを慰めようかと、ブエナが考えているうちに“彼”が動く。

 

 

 

「えらいっ!」

「ふぇ?」

「本当は、ママに買ってもらったはちみー、飲みたかったよな。でも、それよりも先にお姉ちゃんに謝れた。カッコいいぞ」

「そ、そう……かな……?」

「そうだとも。そんなカッコいい君には、これをあげよう! まだ飲んでないから、たっぷり入ってるぞー」

「あ、はちみー!」

「そんな、悪いですっ。彼女さんの靴を汚してしまった上に、はちみーまで頂くなんて……」

「いいんですよ。せっかくのお母さんとのお出かけが、嫌な思い出になったら悲しいじゃないですか。あと、彼女じゃなくてですね……」

 

 

 

 男の子に向けて大きく笑いかけ、買ったばかりのはちみーを差し出す。

 お母さんは遠慮するけれど、笑顔を取り戻した男の子の姿に、同じく笑顔に戻っていく。

 笑い合う母子の姿を見て、ブエナの胸中には温かい感情が芽生えていた。

 お見合いとか結婚うんぬんはさて置き、“彼”だったら良い父親になってくれそうだと、そう思えた。

 だからこそ、お姉ちゃんの親代わりも務められたのだろう。

 

 

 

「ごめんエナちゃん、勝手に話進めて。早く足を洗おう。肩貸すから、掴まって」

「はい」

 

 

 

 何度も頭を下げるお母さんと、いつまでも手を振る男の子を見送った後は、はちみー塗れになってしまったブエナの足の処理。

 公園内に戻って、水道で足と靴を洗い、ベンチに座って“彼”に足を拭いてもらう。

 有無を言わさぬ甲斐甲斐しさは、ちょっとしたお姫様気分を味わわせてくれた。

 

 

 

「うーん……。時間が経って靴に滲みちゃってるか……。後でクリーニングに出さないと」

「ですね……。でも大丈夫、家はすぐ近くですし、そのまま履いて帰れます」

「ダメ。絶対ダメ。靴擦れでもしたら大変だ。有馬、出るんだろう? 万が一があったら、“あいつ”に合わせる顔がない」

 

 

 

 濡れてしまった靴と靴下を手に、“彼”は頑として譲らない。

 ティアラ路線を走り終えたブエナだが、更なる栄光を求める声に応え、年末の一大レースイベント、有馬記念に出走予定だった。

 確かに、この寒風が身に染みる時期に、濡れた靴下を履き直して足を冷やすのも良くないし、かと言って素足で靴を履いたら、靴擦れが怖い。小さな傷からでも、細菌が侵入したりしたら事である。

 どうしたものか……と考え出すブエナの前で、“彼”は跪いて背中を向ける。

 

 

 

 

「ほら、背中に乗って」

「え? でも……」

「君が言った通り、家も近いし、おぶって帰るくらい大丈夫だよ。あ、嫌だっていうなら別だけど。“あいつ”を呼んで、迎えに来てもらう方がいい?」

「いえ、そんな。お姉ちゃんも今頃、お家でゆっくりしてるかも知れませんし……。じゃあ、お願いします」

 

 

 

 よく考えれば、“彼女”は今日一日、家でワクテカしながらブエナのデート写真を待っていただけなのだし、迎えに来させるくらいは問題ないと思われる。

 しかしそこは気遣い屋のブエナ、余計な負担は掛けまいと、大人しく背負われる事にした。

 そして、おずおずと“彼”の背中に体を預けた瞬間、再びブエナを既視感が襲った。

 

 

 

(あれ? なんだか、これも懐かしい……?)

 

 

 

 “彼”が立ち上がる時の浮遊感。

 一気に高くなる視点。

 歩く時の揺れ。

 これら一つ一つに、覚えがあった。でも、詳しい事が思い出せない。

 いや、流石に子供の頃、誰かに背負ってもらった事はあるだろう。

 ブエナが父親に、おんぶをねだった事だってあったはず。

 ……でも。

 

 

 

(ううん、お父さんとは違う気がする。それに……)

 

 

 

 この横顔を、知っている気がした。

 肩越しにブエナを振り返り、笑いかけてくれる、この横顔を。

 けれど。けれども、思い出せない。

 確かに、この距離感を覚えているのに。何かに上書き保存でもされてしまったかの様に、復元できない。

 

 

 

(お兄さん。お姉ちゃんの、お兄さん)

 

 

 

 奇妙な既視感に苛まれるブエナは、しかし同時に、“彼”の背中が与えてくれる安心感もあり、何も言えないまま、大きな歩幅に揺られ続ける。

 肩に頭を預けてみると、一定のリズムが眠気を誘い、やがて意識は溶けていく。

 不思議なほど、心地良い微睡みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほら、こ──よく──るだ──?』

『わぁ……! す──ね、お──ちゃん!』

 

 

 

 







 ちょっと他人行儀なブエナちゃんからしか得られない栄養、あると思います!

 今年の実装残り枠を鑑み、アルヴさんの今年中の実装は無しか……と地味にモチベが削れていた所、唐突に存在しない記憶を流し込まれて幼馴染みにされてしまったので描きました。
 サイゲ君さぁ、最近ギャルゲー展開に味しめてない? そういうの凄く良いよもっとちょうだい。
 例によって見切り発車ですので、完結したら前作と統合して短編集みたいな感じにするかも。
 とりあえずリビドーの赴くまま気の向くままに、ゆっくりめのペースで続けます。
 次回、お兄さんのお見合い。


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