ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん 作:幼馴染にされたネクパイ
夏は、トレセン学園のウマ娘にとって、特別な季節だ。
合同夏合宿があるから、という理由もあるが、多くのウマ娘は夏に大きく成長し、秋のレース戦線に挑んでいく。
参加は自由であり、まだ本格化を迎えていないウマ娘の姿もチラホラと。
皆、自分の将来を見据えて、トレーニングに励んでいる。
……が、ことブエナビスタに限っては、少々様子が違っていた。
「脚の調子はどう? ブエナ」
「うん、大丈夫。もうすっかり良くなったから、心配しないで、トレーナーさん」
砂浜を軽く流し終えたブエナを、“彼女”は心配そうに確かめる。
原因は、天皇賞・春の後に判明した、怪我が原因だった。
幸いにも軽度の疲労骨折であり、もう完治を宣言されているのだが、どうしても不安は拭えなかった。
二度目の宝塚記念と天皇賞・秋を視野に入れていたローテーションも、念のために変更。大目標であるジャパンカップのみに集中する事となる。
天皇賞の結果は三位という惜しい結果に終わったからこそ、万全を期したい。
「目指すはジャパンカップ……。今度こそ、勝とう!」
「うん!」
どんな結果に終わろうと、温かい応援をくれる人達が居てくれた。
天皇賞の後にはスペシャルウィークからも連絡が来て、まるで自分の事のように悔しがり、そして励ましてくれた。
貰った気持ちに報いるためにも、二人は決意を新たにする。
「盛り上がってるとこ悪いけど、ちょっといい?」
「あ……」
そんな二人……いや、“彼女”に、硬質な声が掛けられた。
スポーティーなセパレートタイプの水着。デニムボトムとジャケット、サンバイザーにサングラス。
いつ如何なる時でも“映え”を忘れない、ヴィルシーナのトレーナーである。
現役ウマ娘にも負けないプロポーションが、夏という季節感に引き立てられていた。
対するブエナと“彼女”も水着姿だが、ブエナは学園指定の物だし、“彼女”も極めて露出の少ないワンピースタイプなので、なんだか……こう……引け目を感じる。
別に、歩くだけでミホノブルブルボンボンする大胸筋は、関係ない。全くもって気にしていない。
着痩せするにも程があるだろ手加減してください、とか思ってない。
「顔、貸してくんない」
「……分かり、ました」
「と、トレーナーさん? その人は……」
くい、と顎で合宿所を示され、“彼女”は戸惑いながらも頷く。
その様子が気になり、加えて面識もなかったブエナは、思わず呼び止めていた。
もしや、合宿所の裏に呼び出してからの戦線布告とか……!
なんに対してかは分からないけど、同席した方が……。
「心配しないで。ほら、ヴィルシーナを担当してる、兄さんの同期のトレーナーさんだよ」
「あ、そうだったんですね。すみませんでした、お邪魔してしまって」
「……別に」
「すぐに戻るから。ちょっと待っててね」
ヴィルシーナのトレーナーはブエナを見ようとせず、そのまま“彼女”と歩いていく。
明確な拒絶。
老若男女問わず、誰からも好かれやすいブエナだったが、時にはそのこと自体を嫌がられてしまい、距離を置かれる経験もあった。
悲しいけれど、感情の問題は、仕方ない。
「嫌われちゃった、のかな……」
久しぶりの感覚に、少し意気消沈するブエナを置いて、視点は“彼女”の方へ。
人気のない宿舎の玄関に近いサロンで、二人は足を止めた。
「あの……“先輩”? どういった要件で……」
「っっっはぁあぁぁ超緊張したぁあああっ! ブエナちゃんカワイ過ぎぃいいっ!! サイン貰っときゃ良かったあああぁぁ……」
……が、唐突に、“先輩”と呼ばれたヴィルシーナのトレーナーが、クネクネしながら吠えた。
もう誰でも分かるだろうが、実はブエナの大ファンであり、あの対応は、ただ単に緊張していただけなのだった。
内心、「うっわぁ」と思ってしまったのは秘密だ。
「え、ええと……」
「ああゴメン、やっぱ実物を前にすると興奮しちゃってさ。……まぁ、その。久しぶり」
「……はい。お久しぶりです」
ともあれ、一応は気持ちも落ち着いたらしく、ようやく挨拶が交わされる。
そのやり取りから、旧知の間柄なのは理解できるけれど、わだかまりがある事も示されていた。
原因は、二人の過去の上下関係にあった。
「てっきり、避けられてるものだと思ってました」
「……避けてたよ。避けるよ、そりゃあ。先輩なのに、後輩に追い抜かれてんだもん。……カッコ悪いじゃん」
出会ったのは、トレーナー養成学校。
文字通りの先輩後輩という関係であり、何故か“ウマ“があった二人は、よく一緒に勉強をした。
……が、先にトレーナーの資格を得たのは後輩である“彼女”で、しかも初担当でトリプルティアラ達成という偉業も。
羨ましくて、妬ましくて、“先輩”である自分が恥ずかしくて。……ほんの少しだけ、誇らしくて。
まともに顔を見られそうにもなかったから、今まで対面するのを避けていた、という訳だ。
カッコ悪くなんてない、と否定するのは簡単だが、“彼女”は何も言わなかった。
今までそうしていた“先輩”が、こうして会いに来た理由があるはずだから。
それを証明するように、ヴィルシーナのトレーナーは深々と頭を下げた。
「恥を偲んで、お願いします。力を貸して下さい。ジェンティルドンナを、倒すために」
握り締めた拳が震えていた。
懇願するような声は、しかし、確かな決意と激情も秘めていて。
「どうしても、どうしても勝ちたいんだよ……! 最後のティアラだけは絶対に、ヴィルシーナに……っ!」
「私に、兄さん達を負けさせる手助けをしろ、と?」
「…………。知恵が必要なんだ。実際にトリプルティアラを達成した、トレーナーの」
ジェンティルドンナは、桜花賞とオークスを快勝した。快勝だ。
あれほど、あれほど過酷なトレーニングを重ねたヴィルシーナを、余裕すら感じる走りで置き去りにした。
決してヴィルシーナの素養が低い訳ではない。
ジェンティルドンナの成長曲線が、ヴィルシーナのそれを上回り、“彼”が余す所なく引き出した結果だ。
……ならば、こちらもヴィルシーナの潜在能力を引き出す……いや。引き上げる必要がある。
一人では無理だと思った。
誰かの助けが欲しいと思った。
真っ先に思い浮かんだ顔が後輩だなんて、恥ずかしい限りだけれど、それでも。それでも……!
「いつも、疑問でした。どうして私まで褒められるんだろうって」
対する“彼女”は、どこか上の空にも見えた。
思い出を振り返っているようで、その視界に、“先輩”は映っていない。
「一番に頑張ったのはブエナで、私はちょっと手伝っただけ。
それなのに、まるで私の手柄みたいに言う人も居た。嬉しかったですけど、腑に落ちませんでした。
ブエナが……。あの子が私に、トリプルティアラを見せたかったから。だから頑張ってくれた。私も、あの子から貰った側なんです」
完璧では、なかったように思う。
今考えれば、もっと効率よく、もっと効果的なトレーニングがあった。
それでも結果を残せたのはきっと、ブエナが“彼女”を信じてくれたから。
“彼女”やファンの期待に応えたくて。ブエナ自身を通して、絶景を見て欲しくて。ただそれだけで、頑張ってくれた。
だから。だから、もう……。
「ジャパンカップへの準備がありますから、付きっきりでは協力できません。それでも良いのなら……」
「……っ! あ、ありがとうっ! ほん、ホントに、ありがとぉ……っ」
てっきり断られるかと思っていたので、思わず“彼女”の手を取り、涙ながらに感謝を告げる。
勝者であるジェンティルドンナもそうだろうが、挑む側のヴィルシーナも……そのトレーナーも当然、相当なプレッシャーに晒されている。……心細かったのだろう。
震える手を握り返しながら、“彼女”は思考する。
どうやって“彼”とジェンティルドンナに勝つか。
いつも前を歩いてくれて、やっと追い抜いたはずの背中を……。
再び前を行こうと、横並びになりつつある兄を、どう引き離すか。
そこに、ただひたすらに兄を愛する妹の姿は、存在しなかった。
同日。夜。
人っこ一人居ない、うらびれた海岸で。ランプ型のライトを頼りに、孤独な作業を続ける人影が一つ。
レンコン農家などがよく使う、胸まであるゴム長靴姿の“彼”だ。
「っふう……」
夏とはいえ、夜の海に腰まで浸かりながらの作業。
汗はかかないけれども、蒸れはするし海風が冷たいしで、思ったよりも重労働だった。
「そこで何をしているっ!」
「うぉっ」
そんな“彼”に向けて放たれる、鋭い声と懐中電灯の光。
年若い女性のそれに一瞬、体を硬直させるも、すぐに表情を崩す。
何故なら、聞き覚えのある声だったからだ。
「エナちゃんこそ、こんな時間に何してるんだ?」
「……分かっちゃいました?」
「声で分かるよ。聞き間違えるもんか」
「そっかぁ……。えへへ」
パチリ、とスイッチがオフになると、白飛びしていたブエナの姿が、月明かりに現れた。
体操服を着ていて、赤いブルマから伸びる素足は、白く眩しい。
……マズい。
あの一件以来、妙にブエナを意識してしまう。
脳内で般若心経を圧縮詠唱し、“彼”は煩悩を封殺する。
「少し寝苦しくて、散歩に来たんです。そうしたら、お兄さんが何かしようとしてるのを見つけて、ここまで来ちゃいました。ごめんなさい」
「そうか……。まだ体が暑さに慣れてないのかもね」
「だと思います。それで……お兄さんは何を?」
そんな“彼”の苦心も知らず、ブエナは遠慮なく近づいてくる。
反射的に逸らした視線の先には、砂浜の波打ち際が。
「コース作り、かな。古典的なトレーニング用の」
「コース作り……」
夏合宿で行われるトレーニングには、やはり海という環境を利用したものが取り入れられる事が多い。
中でも砂浜ダッシュや遠泳がポピュラーだが、他にも選択肢は存在し、“彼”はそのうちの一つを採用しようとしていた。
「秋華賞は激戦になる。どうにも、そんな予感が拭えないんだ。可能な限り、ジェンティルの能力を高める必要がある」
砂浜に立てた長柄のジョレン……潮干狩りで使う網状の熊手に手を預け、確かめるように呟く。
以前から分かっていた事だが、ジェンティルの潜在能力は凄まじい。
基礎能力が高いだけでなく、トレーニングで負荷を掛ければ掛けるほど、それは伸びていく。
身体能力のみならず、レース戦略に関するディベートでは“彼”が舌を巻く程の知識量であり、尚且つ、新しい知識をスポンジのように吸い上げる。
本人の気質も相俟って、どこまで伸び代があるのか見通しが立たず、空恐ろしく感じる時もあった。
が、そんなジェンティルでも……。そんなジェンティルだからこそ、秋華賞では油断できない。
出走する他15名、全てがジェンティルを警戒し、マークするだろう。
中でも脅威になると思われるのは、ヴィルシーナ。
二つのティアラを逃した今、彼女は死に物狂いでレースに挑むはず。どれほどの粘りを見せるか、想像もつかない。
……ならば。どんな状況だろうと揺るぎなく、万全の状態で戦える、土台を作り上げれば良い。
この夜間作業は、そのための下準備という訳だ。
「あの……。コース作り、手伝っても良いですか?」
「え? いや、悪いよ。こんな時間だし、濡れちゃうし……」
「お兄さんだってそうでしょう? こんな夜遅くに、濡れながらコース作りだなんて、風邪ひいちゃいます。何すれば良いですか」
ブエナの申し出はありがたいが、明日もトレーニングがあるだろうウマ娘に手伝ってもらうのは気が引けた。
そう思って遠慮する“彼”だったけれど、すでに靴を脱いで腕まくりをし、やる気満々。昔から、こうなったら絶対に引かないと知っている。
せめて、不必要に濡れないよう、浅瀬での作業を頼もう。
「石とか、踏んだら怪我する物を取り除いてるんだ。小さな物でも、徹底的に」
「なるほど……。みんなで使っている砂浜なら大丈夫ですけど、こういう場所だと残ってそう。ちょっと大変かも……」
「これ使って。シジミとかアサリを獲る道具なんだけど、いくつか予備も用意してあるから」
「わ。流石ですね、準備万端」
一旦砂浜に上がり、爪が折れた時のために買っておいた予備のジョレンを手渡す。
こうして、隠れてコース作りをする日々が始まり、合宿も折り返しを迎えた頃、ようやく満足のいく安全性を確保できた。
このお礼は、近くのレジャー施設での海の幸食べ放題で手を打った。
……いや、大丈夫、なはずだ。
ブエナは確かにスペシャルウィークを慕っているが、胃袋のサイズは違う……と思うし……違ってて欲しい……違ってないと破産するかも……?
それはともかく、コースが完成した翌日。
さっそく水着姿のジェンティルを連れて、トレーニングが行われた。
「今日の走り込みは、ここで?」
「ああ。ただし……下半身は海の中で、だ」
「……水中走行、という訳ですか。確かに負荷は増えそうだけれど……」
「やって貰えば分かる。意外に“来る”ぞ」
「まぁ。楽しみですわね」
腰から下を海へと潜らせ、不敵に微笑むジェンティル。
指定された距離は短く、内容としても、特段に珍しい訳ではないが、“彼”の言葉は含みがあった。
果たして、力強く駆け出すジェンティルだったが……。
「く……っ!? これは……!」
その表情は、すぐに歪んだ。
走っている最中、砂浜へと波が押し寄せて、横から体幹を揺さぶってくる。
ここまでは想像していたのだが、折り返しの目印まで半分といった頃合いで、唐突に反対側へと……海側へと強く押し出されたのだ。
危うく倒れ込むところをなんとか踏み留まり、ジェンティルは困惑しながらもダッシュを続ける。
「走りにくいだろう。コースの中に弱い離岸流があるんだ。そのせいで、強烈に揺さぶられる様な状態だ」
離岸流。
遠浅の海岸線に発生する、沖に向けた潮流であり、下手をすると海難事故にも繋がる現象だ。
この場所においては、流れを挟むように岩が点在し、その間に網を張る事で事故を防いでいる。投げる用の浮き輪も準備万端だった。
「っはぁ……はぁ……よく、見つけましたわね……!」
「たまたま、海に浮かんだゴミを見つけてな。拾おうとして追いかけていたら……という訳だ。せっかくの自然環境、利用しない手はない」
水中トレーニング自体は、重力などによる負担を軽減しつつ、確実に負荷をかけられる、安全なトレーニングとして広く知られている。
トレセン学園にも温水プールが設けられており、季節を問わずに利用が可能だった。一部生徒は、ダイエットにも利用するとかしないとか。
ところが、それらの整えられた環境と、今回のこれは、一線を画すレベルで違う。
一定間隔で襲いかかる横波。
それに慣れようとする体と意識を、逆サイドから殴ってくる離岸流。
加えて、下半身のみを海中に没することにより、上半身と下半身での感覚の差異まで発生する。
ただ真っ直ぐに走るだけでも苦労するほどの、極めて劣悪な走行状態を再現され、流石のジェンティルも息が乱れていった。
「よし、一旦休憩!」
「もう休憩を? まだ走れますわ」
「いや、ダメだ。このトレーニングでは必ず休憩を挟む」
それを見越し、“彼”は頃合いを見て息を入れさせる。
相変わらずの反骨心をむき出しとするジェンティルを、しかし強引にでも引き上げさせた。
不承不承といった様子だったが、用意されていたパラソルの下で、彼女はビーチマットに腰を下ろす。
予想以上に体力を消耗していた。
泳ぎには自信があったし、遠泳も十数kmならば余裕でこなせる。走るのも当然、人間の行うフルマラソンだって朝飯前だ。
だが、泳ぐのと走るのでは、そもそも体の使い方が違う。
それを組み合わせて、更なる悪条件を追加されただけで、こうも消耗の速度が違うとは。
自分がいかに“お上品”な走りに慣れていたのかを実感させられ、ジェンティルは内心で歯噛みする。
(よくもまあ、次から次へと……。本当に面白い人)
……しかし。
このトレーニングを通じて、どんな横槍にも動じない、揺るぎなきバランス感覚を得られたなら、間違いなくレースでの強みとなる。
秋華賞で予想される全包囲。最も警戒すべきは、“蓋”をされること。
横からの圧力で内ラチに押し込められ、恐らく前を行くヴィルシーナの後ろから抜け出すのは、難しい。
これを避けるには、どんな圧力にも屈せず、好位置をキープできるだけの体幹が必要。
そうして得られた強靭な体幹ならば、ジェンティルのパワーをロスなく地面に伝え、変換された推進力を余さず受け止められるだろう。
「脚に触っても?」
「……。どうぞ」
……と、すぐ隣に膝をついた“彼”が、そう尋ねた。
刹那、乙女としての抵抗感が顔を覗かせるも、先日のダンスレッスンであれだけ動揺していた人が、邪な感情で言うはずがない。
平然とした顔を作り、ジェンティルが了承すると、“彼”は躊躇いなくその膝関節に触れた。
じんわり。
温かな体温が伝わってくる。
「やっぱり、かなり冷えてる。この状態だと怪我が怖い。5分くらいマッサージするから、そのままで」
言うが早いか、ジェンティルの脚を抱えるようにして、足首や膝の関節を温めつつ、マッサージを施す“彼”。
いかに夏真っ盛りとはいえ、海水温は体温よりも遥かに低い。
そんな中で長時間の運動を行えば、筋肉は強張り、最悪の場合は低体温症の危険も……。
下半身だけではあるが、レース前の大事な時期。万が一を警戒するのはトレーナーとしての責務なのだろう。
「“貴方”、もうご存知かしら」
「何を?」
「妹さん、ヴィルシーナさんについたようですわよ」
ややあって。
ジェンティルは不躾に会話を切り出す。
ヴィルシーナのトレーナーと、ブエナビスタのトレーナーが組んだ。
この事実は、“彼”の耳にも届くほど話題となり、様々な憶測を呼んでいる。
兄妹不仲説。ブエナビスタとの契約解消の前段階。逆に、“彼”への担当トレーナー替え疑惑。
本当に、噂話が好きな人間が多い。
「知ってる」
「……それだけですの?」
「ああ。何も言うことは無い。……いずれ戦うべき相手だったからな」
「それは……妹さんと? それとも、ブエナさんも含めてかしら」
「…………」
マッサージを続ける“彼”は、ジェンティルの顔を見ない。
無表情に見える……が、ほんの少し。少しだけ、硬い。怒っている?
口さがない観衆への怒りか、それとも、触れたくない話題を振ったジェンティルへの怒りか……。
結局、“彼”は何も答えないまま立ち上がった。
「さぁ、マッサージは終わりだ。今度は本数を倍に、でも時計は変えずに。行けるか?」
「……ほほほ。わたくしを誰だとお思い? 当然ですわ」
挑戦的な眼差しと共に、差し出される手。
ジェンティルもまた、口角を釣り上げながらその手を取った。
もうすぐ、夏は終わる。
そして始まる秋には、誰もが勝利を望むレースが、待っている。
『オマケ 深夜に食べるカップ麺の美味しさは異常』
ぎゅるぐぅうぅ。
……と、盛大に腹が鳴った。
ジェンティルのための特別コースを作り終えた、その日の深夜。
“彼”は空腹に悩まされていた。
「ダメだ……腹が減って寝られない……。なんか食おう……」
時計を確認すると、時刻は1時。
明日もトレーニングがあるのだから、早めに寝ておきたいが、こうも腹の虫が騒いでは眠れやしない。
仕方なく、同室のトレーナーたちを起こさないよう、私物のバッグを手に部屋を抜け出す。
「こんな事もあろうかと……用意しといて良かった、カップ麺」
懐中電灯の灯りを頼りに、やかんでお湯を沸かしつつ、バッグを探る。
取りいだしたるは、日本が世界に誇る発明品、インスタントラーメンであった。
醤油、味噌、塩、カレー、シーフード。
念のために持ってきた物が、本当に役立つとは。準備していた過去の自分を褒めたい。
……と、その時。
廊下から人の気配が。
「ん? ……だ、誰か居るのか?」
「ひあぅっ」
反射的に懐中電灯を向けると、可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。
浮かび上がるシルエットは……見覚えがある。
短めの茶髪に、前髪を彩る太めの流星。
ヴィルシーナの妹、シュヴァルグランだ。
きっと、姉の付き添いで合宿に参加したのだろう。
「君は……シュヴァルグラン?」
「へ? ……ぼ、僕のこと、知ってるん、ですか……?」
「まあ、少し。ヴィルシーナから聞いてるよ。俺は──」
「あ、し、知って、ます。……ジェンティルドンナさんの、トレーナーさん……ですよね」
「ああ、うん。そっか」
「は、はい……」
「…………」
「…………」
気不味い沈黙。
お互いの名前は知っていても、実際に話すのはこれが初めて。何を話題にすれば良いのやら。
空気を読み合う時間がしばらく続いたけれど、そこで火にかけていたやかんが鳴り、お湯が沸いた事を知らせる。
慌てて火を止めるが、そうすると、キッチンに並べられたカップ麺も、シュヴァルに見られてしまい……。
「か、体に悪いのは分かってるけど、どうにも、腹の虫が騒いじゃってね。黙らせないと眠れそうになかったから……」
聞かれてもいないのに、言い訳を始める“彼”。
非常食としては優秀でも、アスリートの食事としては栄養バランスが偏っているため、妙な罪悪感が付きまとう。
きっとジェンティルに見られたら、顰めっ面でお小声を『ぎゅるぐぅうぅ』。
「……今のは……?」
「ち、違っ……!? これは、その……っ」
明らかにシュヴァルの方から聞こえた、腹の虫の鳴き声。
灯りで照らさずとも、シュヴァルの顔が真っ赤になっているのが分かった。
恐らく彼女も、空腹に耐えかねて起きてきた……のだと思われる。
育ち盛りのアスリートの卵なら、なにも不思議ではない。
……だったら。
「シュヴァル、って呼んでも?」
「……はい。大丈夫、です……」
「じゃあ、シュヴァル。……共犯者になってくれないか」
「共犯、者……?」
声を潜め、あえて悪聞こえする言葉を使い、“彼”はシュヴァルを堕落の道へ誘う。
「俺はどうしてもカップ麺が食べたい。でもトレーナーとしては見られたくない。だから、口止め料として予備のカップ麺を差し出す。一緒に、体に悪い物を食べようじゃないか」
「そ、そんな……僕は、別に……」
弱々しい否定が、秘めた食欲を如実に物語る。
空腹にうずく体は、きっと一押しするだけ容易く堕ちるだろう。
そんな彼女へと差し出されたのは、黄色いパッケージのカップ麺。
フレーバーは……カレー味。
「冷蔵庫に、とろけるチーズが入ってる」
「……っ!?」
「アッツアツのカレー味に乗っけて、とろけたチーズと麺を絡めて啜ったら、さぞかし美味しいだろうなぁ……」
「あ、あぁぁ、そ、そんなの、そんなの……っ!」
途端、シュヴァルの脳内に溢れる、かぐわしいカレーの香り。
早めに蓋を開けて(決して外さない)、小さくしたチーズを麺の上に乗せて、再び閉じて30秒。
とろけたチーズと、食べ頃の麺を絡めて、下品なのも構わず、音を立てて啜るのだ。
もう、無理だった。
完全に口の中が、カップ麺食べたいモードになってしまった。
抵抗なんて出来るはずもない。
「……ね、姉さんとヴィブロスには、黙っててくれますか……?」
「ああ。二人だけの秘密だ」
こうしてシュヴァルは、悪の誘惑に屈してしまう。
食堂。深夜。二人きりで、カップ麺を啜る。
背徳の味と、奇妙な一体感。
少し変わった形だが、これもまた、シュヴァルの青春の1ページ。
いつか、笑顔と共に語られる、思い出話なのだった。
ピコン! 『称号を獲得しました シュヴァルグランとの出会い』
今回の話と全く関係ないんですが、少し前にライブシアターでサンシャサンギョウちゃんの召喚に成功したんですよ。
最近のモブウマ娘は見た目もほぼ固有パターンで、特徴あって良いっすよねぇ。
フォトライブラリでも選べねぇかなぁ……。そしたら思う存分、立ち位置ゼロ(titi揺れベンチマーク)を眺められるのに……。
そんな訳で、いつもの如くtntnはirirしているので続きます(最近雑)。
次回、決着。