ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん   作:幼馴染にされたネクパイ

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真夏の特訓

 

 

 

 夏は、トレセン学園のウマ娘にとって、特別な季節だ。

 合同夏合宿があるから、という理由もあるが、多くのウマ娘は夏に大きく成長し、秋のレース戦線に挑んでいく。

 参加は自由であり、まだ本格化を迎えていないウマ娘の姿もチラホラと。

 皆、自分の将来を見据えて、トレーニングに励んでいる。

 ……が、ことブエナビスタに限っては、少々様子が違っていた。

 

 

 

「脚の調子はどう? ブエナ」

「うん、大丈夫。もうすっかり良くなったから、心配しないで、トレーナーさん」

 

 

 

 砂浜を軽く流し終えたブエナを、“彼女”は心配そうに確かめる。

 原因は、天皇賞・春の後に判明した、怪我が原因だった。

 幸いにも軽度の疲労骨折であり、もう完治を宣言されているのだが、どうしても不安は拭えなかった。

 二度目の宝塚記念と天皇賞・秋を視野に入れていたローテーションも、念のために変更。大目標であるジャパンカップのみに集中する事となる。

 天皇賞の結果は三位という惜しい結果に終わったからこそ、万全を期したい。

 

 

 

「目指すはジャパンカップ……。今度こそ、勝とう!」

「うん!」

 

 

 

 どんな結果に終わろうと、温かい応援をくれる人達が居てくれた。

 天皇賞の後にはスペシャルウィークからも連絡が来て、まるで自分の事のように悔しがり、そして励ましてくれた。

 貰った気持ちに報いるためにも、二人は決意を新たにする。

 

 

 

「盛り上がってるとこ悪いけど、ちょっといい?」

「あ……」

 

 

 

 そんな二人……いや、“彼女”に、硬質な声が掛けられた。

 スポーティーなセパレートタイプの水着。デニムボトムとジャケット、サンバイザーにサングラス。

 いつ如何なる時でも“映え”を忘れない、ヴィルシーナのトレーナーである。

 現役ウマ娘にも負けないプロポーションが、夏という季節感に引き立てられていた。

 

 対するブエナと“彼女”も水着姿だが、ブエナは学園指定の物だし、“彼女”も極めて露出の少ないワンピースタイプなので、なんだか……こう……引け目を感じる。

 別に、歩くだけでミホノブルブルボンボンする大胸筋は、関係ない。全くもって気にしていない。

 着痩せするにも程があるだろ手加減してください、とか思ってない。

 

 

 

「顔、貸してくんない」

「……分かり、ました」

「と、トレーナーさん? その人は……」

 

 

 

 くい、と顎で合宿所を示され、“彼女”は戸惑いながらも頷く。

 その様子が気になり、加えて面識もなかったブエナは、思わず呼び止めていた。

 もしや、合宿所の裏に呼び出してからの戦線布告とか……!

 なんに対してかは分からないけど、同席した方が……。

 

 

 

「心配しないで。ほら、ヴィルシーナを担当してる、兄さんの同期のトレーナーさんだよ」

「あ、そうだったんですね。すみませんでした、お邪魔してしまって」

「……別に」

「すぐに戻るから。ちょっと待っててね」

 

 

 

 ヴィルシーナのトレーナーはブエナを見ようとせず、そのまま“彼女”と歩いていく。

 明確な拒絶。

 老若男女問わず、誰からも好かれやすいブエナだったが、時にはそのこと自体を嫌がられてしまい、距離を置かれる経験もあった。

 悲しいけれど、感情の問題は、仕方ない。

 

 

 

「嫌われちゃった、のかな……」

 

 

 

 久しぶりの感覚に、少し意気消沈するブエナを置いて、視点は“彼女”の方へ。

 人気のない宿舎の玄関に近いサロンで、二人は足を止めた。

 

 

 

「あの……“先輩”? どういった要件で……」

「っっっはぁあぁぁ超緊張したぁあああっ! ブエナちゃんカワイ過ぎぃいいっ!! サイン貰っときゃ良かったあああぁぁ……」

 

 

 

 ……が、唐突に、“先輩”と呼ばれたヴィルシーナのトレーナーが、クネクネしながら吠えた。

 もう誰でも分かるだろうが、実はブエナの大ファンであり、あの対応は、ただ単に緊張していただけなのだった。

 内心、「うっわぁ」と思ってしまったのは秘密だ。

 

 

 

「え、ええと……」

「ああゴメン、やっぱ実物を前にすると興奮しちゃってさ。……まぁ、その。久しぶり」

「……はい。お久しぶりです」

 

 

 

 ともあれ、一応は気持ちも落ち着いたらしく、ようやく挨拶が交わされる。

 そのやり取りから、旧知の間柄なのは理解できるけれど、わだかまりがある事も示されていた。

 原因は、二人の過去の上下関係にあった。

 

 

 

「てっきり、避けられてるものだと思ってました」

「……避けてたよ。避けるよ、そりゃあ。先輩なのに、後輩に追い抜かれてんだもん。……カッコ悪いじゃん」

 

 

 

 出会ったのは、トレーナー養成学校。

 文字通りの先輩後輩という関係であり、何故か“ウマ“があった二人は、よく一緒に勉強をした。

 ……が、先にトレーナーの資格を得たのは後輩である“彼女”で、しかも初担当でトリプルティアラ達成という偉業も。

 羨ましくて、妬ましくて、“先輩”である自分が恥ずかしくて。……ほんの少しだけ、誇らしくて。

 まともに顔を見られそうにもなかったから、今まで対面するのを避けていた、という訳だ。

 

 カッコ悪くなんてない、と否定するのは簡単だが、“彼女”は何も言わなかった。

 今までそうしていた“先輩”が、こうして会いに来た理由があるはずだから。

 それを証明するように、ヴィルシーナのトレーナーは深々と頭を下げた。

 

 

 

「恥を偲んで、お願いします。力を貸して下さい。ジェンティルドンナを、倒すために」

 

 

 

 握り締めた拳が震えていた。

 懇願するような声は、しかし、確かな決意と激情も秘めていて。

 

 

 

「どうしても、どうしても勝ちたいんだよ……! 最後のティアラだけは絶対に、ヴィルシーナに……っ!」

「私に、兄さん達を負けさせる手助けをしろ、と?」

「…………。知恵が必要なんだ。実際にトリプルティアラを達成した、トレーナーの」

 

 

 

 ジェンティルドンナは、桜花賞とオークスを快勝した。快勝だ。

 あれほど、あれほど過酷なトレーニングを重ねたヴィルシーナを、余裕すら感じる走りで置き去りにした。

 決してヴィルシーナの素養が低い訳ではない。

 ジェンティルドンナの成長曲線が、ヴィルシーナのそれを上回り、“彼”が余す所なく引き出した結果だ。

 ……ならば、こちらもヴィルシーナの潜在能力を引き出す……いや。引き上げる必要がある。

 

 一人では無理だと思った。

 誰かの助けが欲しいと思った。

 真っ先に思い浮かんだ顔が後輩だなんて、恥ずかしい限りだけれど、それでも。それでも……!

 

 

 

「いつも、疑問でした。どうして私まで褒められるんだろうって」

 

 

 

 対する“彼女”は、どこか上の空にも見えた。

 思い出を振り返っているようで、その視界に、“先輩”は映っていない。

 

 

 

「一番に頑張ったのはブエナで、私はちょっと手伝っただけ。

 それなのに、まるで私の手柄みたいに言う人も居た。嬉しかったですけど、腑に落ちませんでした。

 ブエナが……。あの子が私に、トリプルティアラを見せたかったから。だから頑張ってくれた。私も、あの子から貰った側なんです」

 

 

 

 完璧では、なかったように思う。

 今考えれば、もっと効率よく、もっと効果的なトレーニングがあった。

 それでも結果を残せたのはきっと、ブエナが“彼女”を信じてくれたから。

 “彼女”やファンの期待に応えたくて。ブエナ自身を通して、絶景を見て欲しくて。ただそれだけで、頑張ってくれた。

 だから。だから、もう……。

 

 

 

「ジャパンカップへの準備がありますから、付きっきりでは協力できません。それでも良いのなら……」

「……っ! あ、ありがとうっ! ほん、ホントに、ありがとぉ……っ」

 

 

 

 てっきり断られるかと思っていたので、思わず“彼女”の手を取り、涙ながらに感謝を告げる。

 勝者であるジェンティルドンナもそうだろうが、挑む側のヴィルシーナも……そのトレーナーも当然、相当なプレッシャーに晒されている。……心細かったのだろう。

 

 震える手を握り返しながら、“彼女”は思考する。

 どうやって“彼”とジェンティルドンナに勝つか。

 いつも前を歩いてくれて、やっと追い抜いたはずの背中を……。

 再び前を行こうと、横並びになりつつある兄を、どう引き離すか。

 そこに、ただひたすらに兄を愛する妹の姿は、存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。夜。

 人っこ一人居ない、うらびれた海岸で。ランプ型のライトを頼りに、孤独な作業を続ける人影が一つ。

 レンコン農家などがよく使う、胸まであるゴム長靴姿の“彼”だ。

 

 

 

「っふう……」

 

 

 

 夏とはいえ、夜の海に腰まで浸かりながらの作業。

 汗はかかないけれども、蒸れはするし海風が冷たいしで、思ったよりも重労働だった。

 

 

 

「そこで何をしているっ!」

「うぉっ」

 

 

 

 そんな“彼”に向けて放たれる、鋭い声と懐中電灯の光。

 年若い女性のそれに一瞬、体を硬直させるも、すぐに表情を崩す。

 何故なら、聞き覚えのある声だったからだ。

 

 

 

「エナちゃんこそ、こんな時間に何してるんだ?」

「……分かっちゃいました?」

「声で分かるよ。聞き間違えるもんか」

「そっかぁ……。えへへ」

 

 

 

 パチリ、とスイッチがオフになると、白飛びしていたブエナの姿が、月明かりに現れた。

 体操服を着ていて、赤いブルマから伸びる素足は、白く眩しい。

 ……マズい。

 あの一件以来、妙にブエナを意識してしまう。

 脳内で般若心経を圧縮詠唱し、“彼”は煩悩を封殺する。

 

 

 

「少し寝苦しくて、散歩に来たんです。そうしたら、お兄さんが何かしようとしてるのを見つけて、ここまで来ちゃいました。ごめんなさい」

「そうか……。まだ体が暑さに慣れてないのかもね」

「だと思います。それで……お兄さんは何を?」

 

 

 

 そんな“彼”の苦心も知らず、ブエナは遠慮なく近づいてくる。

 反射的に逸らした視線の先には、砂浜の波打ち際が。

 

 

 

「コース作り、かな。古典的なトレーニング用の」

「コース作り……」

 

 

 

 夏合宿で行われるトレーニングには、やはり海という環境を利用したものが取り入れられる事が多い。

 中でも砂浜ダッシュや遠泳がポピュラーだが、他にも選択肢は存在し、“彼”はそのうちの一つを採用しようとしていた。

 

 

 

「秋華賞は激戦になる。どうにも、そんな予感が拭えないんだ。可能な限り、ジェンティルの能力を高める必要がある」

 

 

 

 砂浜に立てた長柄のジョレン……潮干狩りで使う網状の熊手に手を預け、確かめるように呟く。

 以前から分かっていた事だが、ジェンティルの潜在能力は凄まじい。

 基礎能力が高いだけでなく、トレーニングで負荷を掛ければ掛けるほど、それは伸びていく。

 身体能力のみならず、レース戦略に関するディベートでは“彼”が舌を巻く程の知識量であり、尚且つ、新しい知識をスポンジのように吸い上げる。

 本人の気質も相俟って、どこまで伸び代があるのか見通しが立たず、空恐ろしく感じる時もあった。

 

 が、そんなジェンティルでも……。そんなジェンティルだからこそ、秋華賞では油断できない。

 出走する他15名、全てがジェンティルを警戒し、マークするだろう。

 中でも脅威になると思われるのは、ヴィルシーナ。

 二つのティアラを逃した今、彼女は死に物狂いでレースに挑むはず。どれほどの粘りを見せるか、想像もつかない。

 ……ならば。どんな状況だろうと揺るぎなく、万全の状態で戦える、土台を作り上げれば良い。

 この夜間作業は、そのための下準備という訳だ。

 

 

 

「あの……。コース作り、手伝っても良いですか?」

「え? いや、悪いよ。こんな時間だし、濡れちゃうし……」

「お兄さんだってそうでしょう? こんな夜遅くに、濡れながらコース作りだなんて、風邪ひいちゃいます。何すれば良いですか」

 

 

 

 ブエナの申し出はありがたいが、明日もトレーニングがあるだろうウマ娘に手伝ってもらうのは気が引けた。

 そう思って遠慮する“彼”だったけれど、すでに靴を脱いで腕まくりをし、やる気満々。昔から、こうなったら絶対に引かないと知っている。

 せめて、不必要に濡れないよう、浅瀬での作業を頼もう。

 

 

 

「石とか、踏んだら怪我する物を取り除いてるんだ。小さな物でも、徹底的に」

「なるほど……。みんなで使っている砂浜なら大丈夫ですけど、こういう場所だと残ってそう。ちょっと大変かも……」

「これ使って。シジミとかアサリを獲る道具なんだけど、いくつか予備も用意してあるから」

「わ。流石ですね、準備万端」

 

 

 

 一旦砂浜に上がり、爪が折れた時のために買っておいた予備のジョレンを手渡す。

 こうして、隠れてコース作りをする日々が始まり、合宿も折り返しを迎えた頃、ようやく満足のいく安全性を確保できた。

 このお礼は、近くのレジャー施設での海の幸食べ放題で手を打った。

 ……いや、大丈夫、なはずだ。

 ブエナは確かにスペシャルウィークを慕っているが、胃袋のサイズは違う……と思うし……違ってて欲しい……違ってないと破産するかも……?

 

 それはともかく、コースが完成した翌日。

 さっそく水着姿のジェンティルを連れて、トレーニングが行われた。

 

 

 

「今日の走り込みは、ここで?」

「ああ。ただし……下半身は海の中で、だ」

「……水中走行、という訳ですか。確かに負荷は増えそうだけれど……」

「やって貰えば分かる。意外に“来る”ぞ」

「まぁ。楽しみですわね」

 

 

 

 腰から下を海へと潜らせ、不敵に微笑むジェンティル。

 指定された距離は短く、内容としても、特段に珍しい訳ではないが、“彼”の言葉は含みがあった。

 果たして、力強く駆け出すジェンティルだったが……。

 

 

 

「く……っ!? これは……!」

 

 

 

 その表情は、すぐに歪んだ。

 走っている最中、砂浜へと波が押し寄せて、横から体幹を揺さぶってくる。

 ここまでは想像していたのだが、折り返しの目印まで半分といった頃合いで、唐突に反対側へと……海側へと強く押し出されたのだ。

 危うく倒れ込むところをなんとか踏み留まり、ジェンティルは困惑しながらもダッシュを続ける。

 

 

 

「走りにくいだろう。コースの中に弱い離岸流があるんだ。そのせいで、強烈に揺さぶられる様な状態だ」

 

 

 

 離岸流。

 遠浅の海岸線に発生する、沖に向けた潮流であり、下手をすると海難事故にも繋がる現象だ。

 この場所においては、流れを挟むように岩が点在し、その間に網を張る事で事故を防いでいる。投げる用の浮き輪も準備万端だった。

 

 

 

「っはぁ……はぁ……よく、見つけましたわね……!」

「たまたま、海に浮かんだゴミを見つけてな。拾おうとして追いかけていたら……という訳だ。せっかくの自然環境、利用しない手はない」

 

 

 

 水中トレーニング自体は、重力などによる負担を軽減しつつ、確実に負荷をかけられる、安全なトレーニングとして広く知られている。

 トレセン学園にも温水プールが設けられており、季節を問わずに利用が可能だった。一部生徒は、ダイエットにも利用するとかしないとか。

 ところが、それらの整えられた環境と、今回のこれは、一線を画すレベルで違う。

 

 一定間隔で襲いかかる横波。

 それに慣れようとする体と意識を、逆サイドから殴ってくる離岸流。

 加えて、下半身のみを海中に没することにより、上半身と下半身での感覚の差異まで発生する。

 ただ真っ直ぐに走るだけでも苦労するほどの、極めて劣悪な走行状態を再現され、流石のジェンティルも息が乱れていった。

 

 

 

「よし、一旦休憩!」

「もう休憩を? まだ走れますわ」

「いや、ダメだ。このトレーニングでは必ず休憩を挟む」

 

 

 

 それを見越し、“彼”は頃合いを見て息を入れさせる。

 相変わらずの反骨心をむき出しとするジェンティルを、しかし強引にでも引き上げさせた。

 不承不承といった様子だったが、用意されていたパラソルの下で、彼女はビーチマットに腰を下ろす。

 

 予想以上に体力を消耗していた。

 泳ぎには自信があったし、遠泳も十数kmならば余裕でこなせる。走るのも当然、人間の行うフルマラソンだって朝飯前だ。

 だが、泳ぐのと走るのでは、そもそも体の使い方が違う。

 それを組み合わせて、更なる悪条件を追加されただけで、こうも消耗の速度が違うとは。

 自分がいかに“お上品”な走りに慣れていたのかを実感させられ、ジェンティルは内心で歯噛みする。

 

 

 

(よくもまあ、次から次へと……。本当に面白い人)

 

 

 

 ……しかし。

 このトレーニングを通じて、どんな横槍にも動じない、揺るぎなきバランス感覚を得られたなら、間違いなくレースでの強みとなる。

 秋華賞で予想される全包囲。最も警戒すべきは、“蓋”をされること。

 横からの圧力で内ラチに押し込められ、恐らく前を行くヴィルシーナの後ろから抜け出すのは、難しい。

 これを避けるには、どんな圧力にも屈せず、好位置をキープできるだけの体幹が必要。

 そうして得られた強靭な体幹ならば、ジェンティルのパワーをロスなく地面に伝え、変換された推進力を余さず受け止められるだろう。

 

 

 

「脚に触っても?」

「……。どうぞ」

 

 

 

 ……と、すぐ隣に膝をついた“彼”が、そう尋ねた。

 刹那、乙女としての抵抗感が顔を覗かせるも、先日のダンスレッスンであれだけ動揺していた人が、邪な感情で言うはずがない。

 平然とした顔を作り、ジェンティルが了承すると、“彼”は躊躇いなくその膝関節に触れた。

 じんわり。

 温かな体温が伝わってくる。

 

 

 

「やっぱり、かなり冷えてる。この状態だと怪我が怖い。5分くらいマッサージするから、そのままで」

 

 

 

 言うが早いか、ジェンティルの脚を抱えるようにして、足首や膝の関節を温めつつ、マッサージを施す“彼”。

 いかに夏真っ盛りとはいえ、海水温は体温よりも遥かに低い。

 そんな中で長時間の運動を行えば、筋肉は強張り、最悪の場合は低体温症の危険も……。

 下半身だけではあるが、レース前の大事な時期。万が一を警戒するのはトレーナーとしての責務なのだろう。

 

 

 

「“貴方”、もうご存知かしら」

「何を?」

「妹さん、ヴィルシーナさんについたようですわよ」

 

 

 

 ややあって。

 ジェンティルは不躾に会話を切り出す。

 ヴィルシーナのトレーナーと、ブエナビスタのトレーナーが組んだ。

 この事実は、“彼”の耳にも届くほど話題となり、様々な憶測を呼んでいる。

 兄妹不仲説。ブエナビスタとの契約解消の前段階。逆に、“彼”への担当トレーナー替え疑惑。

 本当に、噂話が好きな人間が多い。

 

 

 

「知ってる」

「……それだけですの?」

「ああ。何も言うことは無い。……いずれ戦うべき相手だったからな」

「それは……妹さんと? それとも、ブエナさんも含めてかしら」

「…………」

 

 

 

 マッサージを続ける“彼”は、ジェンティルの顔を見ない。

 無表情に見える……が、ほんの少し。少しだけ、硬い。怒っている?

 口さがない観衆への怒りか、それとも、触れたくない話題を振ったジェンティルへの怒りか……。

 結局、“彼”は何も答えないまま立ち上がった。

 

 

 

「さぁ、マッサージは終わりだ。今度は本数を倍に、でも時計は変えずに。行けるか?」

「……ほほほ。わたくしを誰だとお思い? 当然ですわ」

 

 

 

 挑戦的な眼差しと共に、差し出される手。

 ジェンティルもまた、口角を釣り上げながらその手を取った。

 もうすぐ、夏は終わる。

 そして始まる秋には、誰もが勝利を望むレースが、待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケ 深夜に食べるカップ麺の美味しさは異常』

 

 

 

 ぎゅるぐぅうぅ。

 ……と、盛大に腹が鳴った。

 

 ジェンティルのための特別コースを作り終えた、その日の深夜。

 “彼”は空腹に悩まされていた。

 

 

 

「ダメだ……腹が減って寝られない……。なんか食おう……」

 

 

 

 時計を確認すると、時刻は1時。

 明日もトレーニングがあるのだから、早めに寝ておきたいが、こうも腹の虫が騒いでは眠れやしない。

 仕方なく、同室のトレーナーたちを起こさないよう、私物のバッグを手に部屋を抜け出す。

 

 

 

「こんな事もあろうかと……用意しといて良かった、カップ麺」

 

 

 

 懐中電灯の灯りを頼りに、やかんでお湯を沸かしつつ、バッグを探る。

 取りいだしたるは、日本が世界に誇る発明品、インスタントラーメンであった。

 醤油、味噌、塩、カレー、シーフード。

 念のために持ってきた物が、本当に役立つとは。準備していた過去の自分を褒めたい。

 

 ……と、その時。

 廊下から人の気配が。

 

 

 

「ん? ……だ、誰か居るのか?」

「ひあぅっ」

 

 

 

 反射的に懐中電灯を向けると、可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。

 浮かび上がるシルエットは……見覚えがある。

 短めの茶髪に、前髪を彩る太めの流星。

 ヴィルシーナの妹、シュヴァルグランだ。

 きっと、姉の付き添いで合宿に参加したのだろう。

 

 

 

「君は……シュヴァルグラン?」

「へ? ……ぼ、僕のこと、知ってるん、ですか……?」

「まあ、少し。ヴィルシーナから聞いてるよ。俺は──」

「あ、し、知って、ます。……ジェンティルドンナさんの、トレーナーさん……ですよね」

「ああ、うん。そっか」

「は、はい……」

「…………」

「…………」

 

 

 

 気不味い沈黙。

 お互いの名前は知っていても、実際に話すのはこれが初めて。何を話題にすれば良いのやら。

 空気を読み合う時間がしばらく続いたけれど、そこで火にかけていたやかんが鳴り、お湯が沸いた事を知らせる。

 慌てて火を止めるが、そうすると、キッチンに並べられたカップ麺も、シュヴァルに見られてしまい……。

 

 

 

「か、体に悪いのは分かってるけど、どうにも、腹の虫が騒いじゃってね。黙らせないと眠れそうになかったから……」

 

 

 

 聞かれてもいないのに、言い訳を始める“彼”。

 非常食としては優秀でも、アスリートの食事としては栄養バランスが偏っているため、妙な罪悪感が付きまとう。

 きっとジェンティルに見られたら、顰めっ面でお小声を『ぎゅるぐぅうぅ』。

 

 

 

「……今のは……?」

「ち、違っ……!? これは、その……っ」

 

 

 

 明らかにシュヴァルの方から聞こえた、腹の虫の鳴き声。

 灯りで照らさずとも、シュヴァルの顔が真っ赤になっているのが分かった。

 恐らく彼女も、空腹に耐えかねて起きてきた……のだと思われる。

 育ち盛りのアスリートの卵なら、なにも不思議ではない。

 ……だったら。

 

 

 

「シュヴァル、って呼んでも?」

「……はい。大丈夫、です……」

「じゃあ、シュヴァル。……共犯者になってくれないか」

「共犯、者……?」

 

 

 

 声を潜め、あえて悪聞こえする言葉を使い、“彼”はシュヴァルを堕落の道へ誘う。

 

 

 

「俺はどうしてもカップ麺が食べたい。でもトレーナーとしては見られたくない。だから、口止め料として予備のカップ麺を差し出す。一緒に、体に悪い物を食べようじゃないか」

「そ、そんな……僕は、別に……」

 

 

 

 弱々しい否定が、秘めた食欲を如実に物語る。

 空腹にうずく体は、きっと一押しするだけ容易く堕ちるだろう。

 そんな彼女へと差し出されたのは、黄色いパッケージのカップ麺。

 フレーバーは……カレー味。

 

 

 

「冷蔵庫に、とろけるチーズが入ってる」

「……っ!?」

「アッツアツのカレー味に乗っけて、とろけたチーズと麺を絡めて啜ったら、さぞかし美味しいだろうなぁ……」

「あ、あぁぁ、そ、そんなの、そんなの……っ!」

 

 

 

 途端、シュヴァルの脳内に溢れる、かぐわしいカレーの香り。

 早めに蓋を開けて(決して外さない)、小さくしたチーズを麺の上に乗せて、再び閉じて30秒。

 とろけたチーズと、食べ頃の麺を絡めて、下品なのも構わず、音を立てて啜るのだ。

 もう、無理だった。

 完全に口の中が、カップ麺食べたいモードになってしまった。

 抵抗なんて出来るはずもない。

 

 

 

「……ね、姉さんとヴィブロスには、黙っててくれますか……?」

「ああ。二人だけの秘密だ」

 

 

 

 こうしてシュヴァルは、悪の誘惑に屈してしまう。

 食堂。深夜。二人きりで、カップ麺を啜る。

 背徳の味と、奇妙な一体感。

 少し変わった形だが、これもまた、シュヴァルの青春の1ページ。

 いつか、笑顔と共に語られる、思い出話なのだった。

 

 

 






 ピコン! 『称号を獲得しました シュヴァルグランとの出会い』

 今回の話と全く関係ないんですが、少し前にライブシアターでサンシャサンギョウちゃんの召喚に成功したんですよ。
 最近のモブウマ娘は見た目もほぼ固有パターンで、特徴あって良いっすよねぇ。
 フォトライブラリでも選べねぇかなぁ……。そしたら思う存分、立ち位置ゼロ(titi揺れベンチマーク)を眺められるのに……。
 そんな訳で、いつもの如くtntnはirirしているので続きます(最近雑)。

 次回、決着。

 
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