ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん   作:幼馴染にされたネクパイ

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想い焦がれて、夢、破れ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 ナカヤマフェスタは、大きく溜め息をついた。

 いつものように、分の悪い賭けに負けた訳でもなければ、種銭が尽きた訳でもない。

 原因は……目の前に居る、一人の少女だ。

 

 

 

「……なぁ、ブエナ」

「はい。どうしたんですか、ナカヤマさん」

 

 

 

 たまたま廊下ですれ違っただけの彼女を、ナカヤマは反射的に呼び止め、今に至る。

 ブエナは笑っていた。

 いかにも「いつも通りです」といった笑顔が、張り付いていた。

 きっと、縁の薄い人間なら見破れない、完璧な笑顔だった。

 

 ナカヤマはブエナと、特別に親しくはない。

 危なっかしい所を見ていられず、何度か助けた事がある程度で、ブエナの様子に違和感を覚えたのも、普段から他人の表情の裏を読む癖があったからだ。

 だから、どうしても気になってしまう。

 何をそんなに我慢しているのか。

 

 

 

「お前は……あー、っと……」

「……? 変なナカヤマさん。……あ」

 

 

 

 ……が、気の利いたセリフが出てこず、視線を泳がせている所に、誰かが通りかかった。

 ブエナの瞳が一瞬、揺れる。

 その先には、“彼”が立ち尽くしていた。

 今や時の人でもある、ジェンティルドンナのトレーナーが。

 

 

 

「こんにちは、お兄さん。お仕事お疲れ様です」

「あ、ああ。こんにちは……」

 

 

 

 これまた、いつも通りな挨拶。

 “彼”の方がよほど戸惑っていて、その落差が奇妙な空気感を作り出していた。

 

 

 

「ごめんなさい、次はダンスレッスンなので、そろそろ行きますね。また後で」

「うん、頑張って」

「ありがとうございます。それじゃあ」

「…………」

 

 

 

 ぺこり、と頭を下げてから、離れていくブエナ。

 背中を見送る中で、どこかホッとしてしまうのは、ナカヤマ自身に為す術がないと、分かっているからだろう。

 この異常事態を治められるのは、恐らく、元凶の片割れのみ。

 

 

 

「おい、アンタ。……分かってんだよな」

 

 

 

 祈るような気持ちと、不甲斐ない自分への苛立ちが混ざり合った結果、圧をかけているようにも聞こえる言い方になってしまった。

 内心、「やっちまったか?」と焦るナカヤマだったが、“彼”はと言えば、苦虫を噛み潰し、丹念に味わされている……といった顔付きで。

 そのまま、何も返さずに行ってしまう。

 

 

 

「あ、おい! ……ったく、どいつもこいつも……」

 

 

 

 遠ざかる背中を追う気にもなれず、頭を掻きむしる。

 なんとなく窓の外を見上げれば、憎らしい程に晴れ渡る空が広がっていた。

 

 

 

「頼むぜ、お兄さんよ。こんな終わり方、誰も望んじゃいねぇだろ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ、気の早い太陽が傾き始める頃合い。

 とある事情でトレーニングが全休となり、書類仕事に没頭していた“彼”を、訪ねる人影があった。

 当然というか、それは意気消沈した妹で……。

 

 

 

「ブエナが、去年のブエナに戻っちゃってるみたいなんだ。……ううん、むしろ去年より酷くなっちゃってるかも」

 

 

 

 こうして相対するのは、随分と久しぶりに感じられる。

 ジャパンカップ以降、顔を合わせるのは気が引けていた。

 

『ジェンティルドンナがオルフェーヴルを下し、無敗六冠達成!』

 

 もう一週間以上経つのに、ワイドショーやニュースサイトでは取り上げられ続け、取材攻勢はひっきりなし。

 加えて、秋華賞までは行儀の良かった取材陣が地下バ道まで押しかけたため、勝利の祝福すらできない始末だった。

 

 

 

「話は、普通にできるんだよな」

「うん。でも、いつも笑ってる。ずっと、笑ってる」

 

 

 

 ……だから、また見過ごしてしまった。

 いや、本当は目を逸らしていたかった……のかも知れない。

 自分が選んだ道の、結果から。

 

 

 

「やっぱり、私じゃ駄目なのかな。終身契約とか言っておいて、情けないよね」

「おい、そんな言い方は」

「……ごめん、私も参ってるね、きっと」

 

 

 

 自罰的な物言いは、恐らく、ブエナの進退に関わる問題が原因だろう。

 ウマ娘の全盛期は短い。対するトレーナーは経験を積むほどに育成に幅が広がり、より多くの道を示す事ができるようになる。

 つまり、最近の負けはブエナのピークアウトが原因で、今後を考えるなら他のウマ娘を担当すべき、という声が上がっているのだ。事実、サブトレーナーとしての誘いを幾つか受けている、らしい。

 

 どんな結果になろうとも、決して手を離さないと誓った二人に。

 皆が皆、別れを突きつける。

 

 

 

「とにかく、兄さんも気にかけてあげてくれると助かるかな。それじゃ……」

 

 

 

 寂しそうに笑う“彼女”を見て、しかし、何も言えない。できない。

 呆然としたまま、しばらく。

 もう仕事をする気も失せていた。

 トレーナー室を出て、当て所もなく歩いて。

 行き着いた先は、暮れなずむトレセン学園の片隅だった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 そこには、とある名物……の、ような物がある。

 単なる大きな樹の切り株なのだが、中は空洞になっていて、いつからか、胸に抱えきれなくなった想いを吐露する場所として、人知れず使われていた。

 その大樹のウロに誘われ、“彼”は膝を下ろす。

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 わなわなと体が震え、込み上げる感情が拳を握らせる。

 やがてそれは、切り株の淵に全力で叩きつけられた。

 

 

 

「あの子たちを傷付けてどうすんだよっ、この、大馬鹿野郎っ!!」

 

 

 

 悔やんでも悔やみきれない情動が、暗闇に消えていく。

 分かっていたはずだった。

 覚悟していたはずだった。

 だが。だがしかし。

 目の前で二人が、声にならない叫びをあげているようで、胸が苦しい。

 

 

 

「騒がしいぞ、痴れ者が」

 

 

 

 不意に、威厳に満ちた声がぶつけられた。

 普段なら思わず背筋が伸びそうなそれの主は、オーラと勇ましい髪、二重の意味で金色を纏う、オルフェーヴル。

 ジェンティルが下した、かつての王だ。

 いつもは付き人(扱いされている生徒)を引き連れているが、今は一人のようだった。

 

 

 

「なんとも、湿気った顔よな。とても勝者には見えぬ」

「…………」

 

 

 

 ゆったりとした歩みで、オルフェーヴルは“彼”を見下ろす。

 事実、何も知らない人間に配役を任せれば、どちらが勝者を演じるか、火を見るよりも明らかだろう。

 

 

 

「ブエナビスタと、そのトレーナーも、相当に堪えていると聞く。アレの“力”、貴様の手にも負えぬか」

「……随分、お喋りじゃないか。道化師に鞍替えか?」

「ふっ。単なる暇潰しよ。付き合うが良い」

 

 

 

 いい加減、尊大な態度に腹が立ち、“彼”も嫌味で返すのだが、オルフェーヴルの反応は意外にも穏やかだった。

 かなり珍しい対応に思える。一体、どういった気紛れなのやら。

 けれども、丁度良い相手かも知れない。

 彼女ならば、この場で見聞きした内容を、誰かに溢すような不作法は、しないだろうから。

 

 

 

「分かっているつもりだった……。でも、分かっていなかった。傷つけるために、勝負をしている訳じゃなかったのに、実際には……っ」

 

 

 

 そんな気持ちが、誰にも言えなかった感情を……ジェンティルにすら隠し通した秘密を、明かさせる。

 ジャパンカップ前の会見で語った想いは嘘ではない。

 ジェンティルの勝利がブエナに影を落とす事も、理解していた。

 が、どんなに理解し、覚悟した所で、自らの手を傷付ける痛みが消える訳ではないのだ。

 むしろ、覚悟したからこそ、跡が残るような深さになってしまった。

 

 何故。

 何故こんなにも、レースは厳しい。

 

 

 

「貴様は、勘違いしているな」

「勘違い? 何を……」

「なぜブエナビスタだけを気にかける? なぜ貴様は彼奴を……ヴィルシーナを気にかけないのだ」

 

 

 

 言われて、ハッとする。

 確かに条件は同じ……。ヴィルシーナだって、ジェンティルに散々に心を折られ、今は静養中と聞く。

 だと言うのに、“彼”はヴィルシーナを心配していない。

 時間はかかるかも知れないが、彼女のトレーナーの支えがあれば、必ず立ち上がれると、ごく自然にそう思っていた。

 どうして……?

 

 

 

「その滑稽さに免じて、特別に、余が言ってやろう。貴様は──“ブエナビスタを信じていない”」

 

 

 

 ズブリ、と。

 胸にナイフが突き立てられた。……気がした。

 呼吸は荒く、浅く。

 鼓動も早くなり、耳の奥がゴウゴウとうるさい。

 

 

 

「そ、そんな事はない! 知った風な口を……!」

「知らずとも、見れば分かるから言っている。

 会見では大層な事を言っていたが、その実、いつまでも子供としてしか見ておらぬ。

 躓いたら、手を差し伸べずにはいられない。例え無様に泣き濡らしながらでも、いつかは立ち上がれると、信じられぬのだ」

 

 

 

 頭が勝手に、過去の記憶を思い描く。

 ブエナがまだ、自分を「ぶうちゃん」と呼んでいた頃の記憶。

 妹とブエナ、3人で公園に出掛けて、はしゃいだブエナが転んでしまった。

 土で汚れた顔を上げ、ジワジワと込み上げる涙。

 二人で慌てて駆け寄り、口々に「大丈夫!?」「どこかケガしてない!?」と声を掛けると、途端にブエナは涙を引っ込めて、嬉しそうに笑ってくれるのだ。

 

 その思い出を、否定されたような気分だった。

 あの笑顔にはなんの価値もないと、言われているように、聞こえた。

 奥歯が、軋む。

 

 

 

「それは、君の……オルフェーヴルの理論だ」

「む……?」

「みんながみんな、君のように強くはない。心が折れてしまう時だってある。そんな時に手を差し出して、何が悪いと言うんだ!」

「その果てにあるのは、憐れな傷の舐め合い。貴様の担当は、そういった馴れ合いを一番に嫌うであろうに」

「馴れ合い、だと……?」

 

 

 

 間違えようのない、明確な隔意がそこにあった。

 オルフェーヴルは素晴らしいウマ娘だ。

 その才も然る事ながら、立ち居振る舞いは紛う事なき王であり、多くの人々を導くに足る器なのだろう。

 だが、王としてしか立ち得ないという欠点もある。

 どれだけ導く事が出来ても、その道行きから落伍してしまった者に、手を差し伸べられない。

 何故なら、脚が止まってしまうから。脚が止まれば、今度は他の多くが迷ってしまうから。

 

 

 

(誰かに手を差し伸べるのが、馴れ合いだと言うなら)

 

 

 

 いつの間にか、腹が決まっていた。

 馴れ合いと呼ばれようと、傷の舐め合いと言われても、関係ない。

 誰かが心を痛めていて、その痛みに寄り添いたくて手を差し伸べるのを、無様だと笑うなら笑えばいい。

 

 

 

「俺は、認めない。そんな理屈、認めない。覚悟しておけ、オルフェーヴル」

 

 

 

 孤高の王が持つ事はない“力”があると、証明しよう。

 それを以ってジェンティルを更に高みへと押し上げ、今度こそ。

 

 

 

「その傲慢、俺とジェンティルが必ず打ち砕く」

 

 

 

 完膚なきまでに、倒す。

 

 知らず、“彼”は立ち上がっていて、見下ろす側とされる側が入れ替わっている。

 付き人達が聞いたら、さぞかし大騒ぎしてくれそうな挑発を受け、オルフェーヴルも獰猛に笑う。

 

 

 

「はっ。飼い犬は飼い主に似ると言うが……。その表情、貴様達は確かに似合いだな」

 

 

 

 既に空は赤く、端から紫色のカーテンが迫っている。

 煮えたぎる激情に似合いの、燃え上がる世界で。

 この時初めて、オルフェーヴルは“彼”を単なる添え物ではなく、“アレ”の手綱を握る強大なハンドラーと認識した。

 

 

 

「よかろう。貴様の驕り、余が手ずから躾てやる。楽しみにしているがいい」

 

 

 

 睨み合いは、どれだけ続いただろうか。

 どちらからともなく、二人は互いに背を向け、自分の居るべき場所へと歩き出す。

 “彼”は、その手を取ると決めた少女の元へ。

 そしてオルフェーヴルは、影から見守り続けていた、小柄な姉……ドリームジャーニーの元へ。

 

 

 

「良かったのかい、オル。敵に塩を送ってしまって」

 

 

 

 ジャーニーは不思議で仕方なかった。

 妹が他所のトレーナーに興味を示した上、あまり似つかわしくない振る舞いをしてまで、その背中を押すだなんて。

 あのまま放っておけば、少なくとも大阪杯で戦うべき相手は、ジェンティルドンナ一人で済んだのに。

 

 

 

「……姉上」

「なんだい」

「たとえ姉上でも、余を見くびるのは許さぬ」

 

 

 

 ゆるりと細められる、オルフェーヴルの目。

 心臓の弱い人物が晒されたなら、即座に病院へ運び込まれるであろう、途方もない重圧。

 しかしそれも、ジャーニーにとっては少し拗ねているようにしか見えない。

 彼女もまた、筋金入りの妹スキーなのだから。

 

 

 

「済まなかった。やっぱりオルは、どこまで行ってもオルだね」

「ふん。知れたこと……。体が冷えた。茶が飲みたい」

「すぐに用意するよ」

 

 

 

 やはりジャーニーの見立ては正しく、身長差のある姉妹が、並んで歩いていく。

 誰にも邪魔されぬよう。ゆったりとしたペースで。

 これが二人にとっての、有意義な過ごし方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん、どこに連れていくの?」

「内緒。いいから着いてきて」

 

 

 

 ブエナが強引に連れ出されたのは、もう間もなく日が落ちるという時間だった。

 こんな風に手を引かれて歩くなんて、随分と久しぶりだ。

 まだ上手く走れない頃から、こうして手を引いてくれていた。

 

 そうして辿り着いたのは学園の屋上で。

 そこには、“彼”の後ろ姿が。

 

 どくん。

 

 

 

「……お兄、さん?」

「ごめん。どうしても君と話したかったから、連れてきて貰ったんだ」

「そ、そうなん、ですか。……えっと、何か、聞きたいことでもあるとか……?」

 

 

 

 夕陽と月明かり。

 二つの光に照らされた“彼”の表情は、いつにも増して精悍であり、直視する事が難しい。

 が、そんなブエナの心中を知らずか、遠慮無しに近づいて来て。

 

 どくん。どくん。

 

 

 

「君を知りたい」

「……え」

「俺の知っているエナちゃんではなく、まだ知らない……“ブエナビスタ”の本心を」

 

 

 

 どくん。どクン。ドクン。

 

 胸の痛みが、その性質を変えていく。

 この高鳴りは、嬉しくない。

 その私を、知って欲しくない。

 

 

 

「何も、隠してなんか……」

「隠し事をしている時の顔くらい、分かるよ。笑顔で誤魔化そうとする癖も」

 

 

 

 声色は穏やかだったけれど、どうしてだろう。

 大声で怒鳴られるよりも、何倍も強く、叱られている気分になった。

 反射的に後ろを向いて、校内への入り口に立ち塞がる、“彼女”の姿を確かめる。

 ふぅ……ふぅ……と、勝手に呼吸が細くなっていく。

 

 

 

「なんで、そんなこと言うの……? なんでそんな、いじわるするの……」

「無視したくないんだ。どんな顔の君でも、それがあのレースで生まれたものなら、受け止めたい」

「やだ」

 

 

 

 考える前に答えていた。

 いや、考えるまでもない事だから、かも知れない。

 何度も、何度も。

 小さく首を横に振り、震えた声を重ねる。

 

 

 

「やだ。いや。だって、嫌われちゃう。見せたくない……」

「そんなはずない。君を嫌うなんて」

「ウソ!」

 

 

 

 爆発は、ブエナ自身にとっても唐突だった。

 出すつもりのなかった大声が、ついでとばかりに、涙まで引き出して。

 

 

 

「だって私が一番、今の私が嫌いなのに!」

 

 

 

 必死になって隠して来た、自己嫌悪までをも、流れ出させる。

 

 

 

「私、頑張ったよ……? 去年あんな事になって、それでも応援してくれる人が居てくれて、だから頑張った。でも、勝てなかった……」

 

 

 

 応援の声を重く感じて。

 それを隠して走って、結果は進路妨害。

 それでも尚、応援してくれる声は尽きず、その声に支えられて走り続けた。

 

 なのに、勝てない。

 きっとファンの人々は、勝ち負けになんて拘らないだろう。

 結果が出なくとも、ブエナの走る姿が好きなのだと、言ってくれるのだろう。

 

 ……じゃあ、私の気持ちは?

 そんな貴方達だから、ただ喜んでもらうだけじゃなく、勝利をあげたいと思ってしまうこの気持ちは、余計なもの?

 応えたいのに応えられない、このもどかしい気持ちは……無視しなきゃ、いけない?

 

 そんな風にも、考えたのに。

 

 

 

「それだけじゃ、なくて……。思っちゃったの……。“仕方ないよね”って。ジェンティルさんやオルフェさん相手なら、負けても仕方ないって、少しだけ思っちゃった……」

 

 

 

 ジャパンカップでの、最終直線。

 早めに仕掛けたジェンティルを追い、ブエナと、そしてオルフェもギアを上げた。

 正真正銘、全身全霊だった。

 肺の痛みも、心臓の苦しみも気にせず、ただただ駆けて、駆けて、駆けて……少しずつ、二人の背が、遠ざかっていく。

 

 霞む視界の中、オルフェに追い上げられるジェンティルが、ゴールラインに到達する前。ブエナの脚は速度を緩めていた。

 もう届かない。後ろからリードは取れた。三位は確実。

 なら、いいか……と。

 この二人相手に、十分だよね? ……と。

 

 あれだけ応援してもらって。

 こんなに走らせてもらって。

 それなのに、決着がつく前に……諦めて、しまった。

 いつの間にか、負け癖がついてしまっていた。

 

 

 

「こんなんじゃ、皆の気持ち、背負えない……。私にはもう、応援してもらう資格ない……! こんな私……弱い私なんか、大っ嫌い!!」

 

 

 

 声が途切れると同時に、ブエナは膝から崩れ落ちる。

 かつて、ジェンティルからも認められた強さを持つウマ娘は、もう存在しなかった。

 今ここに居るのは、何度負けても諦めなかったからこそ、いつしか勝利の意義を見失い、道に迷ってしまった、幼い迷子。

 

 

 

「エナちゃん」

 

 

 

 “彼”はブエナの近くに膝をつき、迷いながらも声を掛ける。

 が、両手で顔を覆い、イヤイヤと首を振るだけ。

 

 このままではいけない。

 聞いてほしい事がある。

 無理やり話をさせてしまった分、届けなければいけない想いがある。

 

 なら、変えなければ。

 自分自身も、ブエナ本人も。

 変えようとしてこなかった認識と、在り方を。

 

 

 

「……“ブエナ”」

 

 

 

 今まで意識して避けて来た、“彼女”からの呼び名。

 ピクリ、と小さな体が震え、恐る恐る、顔が上げられていく。

 “彼”は……優しく微笑んだりは、していなかった。

 ただ、どこまでも真っ直ぐに、ブエナを見つめていた。

 

 

 

「俺を、見ていてくれないか」

「……え……?」

 

 

 

 何を言われているのか理解できず、小首を傾げるブエナ。

 どんなに成長し、年齢を重ねても、こういった仕草は変わらなかった。

 変わって行かねばならない今、この事実がとても、愛おしい。

 

 

 

「辛かったら休んだっていい。君が背負えないって言うなら、俺がその想いを持っていく。だから、見ていて欲しい。俺達が作る景色を」

 

 

 

 これは宣誓だ。

 かつて諦めた夢を、違う形で叶えさせてくれた、二人への恩返し。

 そして、夢に破れ、迷路に入り込んでしまった二人を、今度は自分が。

 

 

 

「あの日、君がスペシャルウィークのレースを見て、目を輝かせたみたいに。

 見ているだけで、思わず走り出したくなるような景色を、作り出す。

 もう一度……。いいや、あの時以上に、君のその目を輝かせてみせる。

 だから見ていてくれ。君が見ていてくれるなら、きっと成し遂げられるから」

 

 

 

 誰もが目を輝かせ、心を躍らせて、深く記憶に刻まれる景色。

 きっと、人はその景色を、絶景──ブエナビスタ、と呼ぶ。

 特別な想いを込めて、そう呼ぶのだろう。

 

 

 

「ズルい……ズルいよ、こんな……」

 

 

 

 止まりかけていたはずの涙が、また溢れ出す。

 だが、それは冷たい気持ちからの涙ではなく……。

 

 

 

「こんな時ばっかり、そんなにカッコイイ事、言うなんて、ズルいよ……っ」

 

 

 

 驚き。安心。喜び。期待。

 色々な感情が混ざり合い、昂った感情に任せて、ブエナは“彼”の胸に縋り付く。

 もう、我慢する理由はなかった。

 

 

 

「う、うぅ、ぁ……うわあぁぁあああ……!」

 

 

 

 それこそ、子供のように泣きじゃくるブエナの背を、優しく撫でる。

 その背後、黙って見守ってくれていた妹を見やれば、“彼女”もまた声を殺して泣いていた。

 後で、あちらも撫でてあげるべき、だろうか。……大人にだって、たまに甘やかされたい時も、あるだろうから。

 

 

 

「ブエナ、寝ちゃった?」

「うん。やっぱり、辛かったんだな……」

 

 

 

 泣き声が寝息に変わる頃には、もうすっかり夜となっていた。

 起きる気配のないブエナを、“彼女”は苦労しながらも背負おうとする。

 

 

 

「俺が運ぼうか?」

「ううん、私が背負ってく。これだけは譲れないよ」

 

 

 

 心配になってそう言う“彼”だったが、返されたのは強気な笑顔。

 どんな状況でも、トレーナーであり続けようとする姿勢は、流石の終身契約か。

 

 

 

「本当は、私が諦めちゃってたのかも……」

 

 

 

 校内へ戻ろうという瞬間、不意に溢れた言葉。

 心に迷いを抱えていたのは何も、ブエナだけではない。

 

 

 

「私はブエナの背中を押しただけで。トリプルティアラを取れたのも、ブエナ自身の力で。……だから、私の力じゃもう、勝たせてあげられないんだって」

 

 

 

 これは、トレーナーに付き纏う問題でもある。

 才能に溢れたウマ娘を担当すると、「ウマ娘に勝たせてもらったトレーナー」という誹りが、必ずどこからか投げられるのだ。

 それが事実である場合もあれば、単なる妬みの場合も。

 これから先、“彼”にも間違いなくぶつけられる言葉であり、そうなってはいけないという自戒の警句とする他にない。

 

 

 

「私も見てるから。兄さんのこと。昔から、そうだったみたいに」

「……ああ」

 

 

 

 “彼”は自分の胸を叩き、力強く頷く。

 ……やっぱり、兄さんなんだなぁ。

 また先を行かれた寂しさと、またその背中を追えるという、安心感。

 柔らかい笑顔を浮かべ、“彼女”は今度こそ校内へ。

 

 すると、思わぬ人物に出会した。ジェンティルドンナだ。

 屋上への階段脇に立っていたジェンティルは、ブエナの頬に残る涙跡を確かめると、無言のまま一礼した。

 “彼女”も、その気遣いを無駄にしないよう、目礼だけで通り過ぎる。

 

 重なり合う背中を見送った後、ジェンティルが屋上へ。

 予想していなかったらしく、“彼”は驚いていた。

 

 

 

「ジェンティル? どうしてここに……」

「ブエナさんの声が聞こえたからですわ。……ようやく、泣けましたのね」

 

 

 

 かたや取材、かたや実家の業務で、ジャパンカップ以降は共に忙しく、すれ違いが続いていた。

 そんな中、ジェンティルは学園を留守にする時間もあり、ブエナを気にかける暇が無かった。

 異変自体には気付いていたが……ジェンティルには、きっと何も出来なかっただろう、とも思う。

 ブエナの心を解くには、適切な距離感を持つ人物が必要だったのだ。

 ジェンティルほどに遠くなく、“彼女”ほど近過ぎない、誰かが。

 

 自分の勝利が原因となって、思う所はあったけれど、それ自体を悪い事とは考えていない。

 敗北に心を砕かれるのは向上心の証。きっとブエナはまた強くなるはず。

 折れず、曲がらず、歪まない強さがあれば、何度も折られ、捻じ曲げられようと、必ず元に戻る強さもある。

 たった一つの強さしか……美しさしかない世界なんて、酷くつまらないに違いない。

 

 

 

「なんにせよ、ちょうど良い。少し時間を貰えるか」

「構いませんが」

「じゃあ……手を」

 

 

 

 手を……?

 ひとまず、求められるがまま左手を差し出すと、“彼”はうやうやしくそれを取り、キスをした。

 ああ、そうか。

 これはやり直しだ。

 あの日、取材陣に邪魔されてしまった、ジャパンカップ勝利の、祝福。

 

 

 

「今ここで、改めて誓う。俺の持ちうる全てを賭して、ジェンティルを高みに押し上げる」

 

 

 

 繋いだ手を離さず、言葉は続く。

 緩く、しかし確実に込められる“力”が、夜風にも負けないほど、熱い。

 

 

 

「だから、見せてくれ。まだ誰も見た事のない光景を。誰も至っていない高みからの、絶景を」

 

 

 

 聞き覚えのある言い回しは、かつて、まだトレーナーですらなかった“彼”が焚べた、情熱という木炭の残滓。

 ……いや、少し違う。

 以前より高い熱を放つそれは、鉄をも焼き溶かす、コークスにも通じる熱量で。

 

 

 

「元より、そのつもりですわ。あの日、“貴方”と契約した時から、変わらずに」

 

 

 

 自然と、ジェンティルは微笑んでいた。

 “彼”はこの熱で、またジェンティルを鍛えようというのだろう。

 王から招かれた場所(おおさか)で、勝利の杯を飲み干せるように。

 とても、楽しみだ。

 

 ……まあ、それはそれとして。

 

 

 

「それと、もう一つだけ。こういった場合のキスは、音を立てるだけで良いのです。実際に唇を触れさせると、むしろ失礼に当たる場合もありますから、注意なさること」

「うっ。そ、そう、だよな。つい……。慣れない事をするもんじゃないな……」

「わたくしが初めてで、良かったですわね? 他の方には黙っておきますから」

「そうしてくれると助かる」

 

 

 

 ちょっとした不作法を指摘すると、一気に格好を崩した“彼”は、照れくさそうに笑う。

 締まらない終わり方だが、伸び代があると考えるなら、これもまた良し。

 幸いにも、この些細な失敗を見ていたのは、夜空に浮かぶ月だけだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケその一 貴婦人と乙女の間』

 

 

 

 “彼”から大いに遅れた祝福を受けた後、ジェンティルはまた学園を離れた。

 実家の業務……社長令嬢としての、見合いの準備のためだ。

 

 ジャパンカップを終えて増えたのは取材の量だけではなく、熱烈なラブコールもかなり増えた。

 今までは個人個人で対応して来たが、純粋に数が増え過ぎたので、複数人との合同で済ませる必要が出て来たほどである。

 

 何より、問題なのは。

 彼等の提示する“力”に、全く興味を持てなくなってしまった事だった。

 

 

 

(確かに、より多くの財を集めるのも、“力”ではあるけれど)

 

 

 

 リムジンに揺られながら、考える。

 己の父が有する“力”と、同質の“力”。

 決して軽んじる訳ではないのだが、何故だろう。

 “彼”が注ぎ込もうとする熱量に比べると、酷く野暮なものに思えてならない。

 

 

 

(少しは、慣れてきたのだと……思っていたのに)

 

 

 

 なんとなく、左手を確かめてみる。

 重ねた指の逞しさ。

 触れた唇の柔らかさ。

 それらがずっと、そこに残っている気がして。

 

 気がつくと、左手を顔に寄せていた。

 無意識のうちに。

 手の甲を、自分の唇へと、合わせるように。

 そして、触れるまであと数mmという所で、正気に戻る。

 

 

 

(っ、わたくしは、何を)

 

 

 

 なんて、はしたない真似をしようと。

 自分の行動が信じられず、ジェンティルは強く瞑目する。

 その間も、ずっと。

 左手の甲は、そこだけハチにでも刺されたかのような、不思議な熱を帯びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケその二 ブエナビスタさんがアップを始めました』

 

 

 

「骨折?」

 

 

 

 翌日。

 昼食前にトレーナー室へ呼び出されたかと思えば、“彼”は右手をギブスに包んでいた。

 なんでも、昨日までのブエナの現状について、憤懣やる方ない想いを大樹のウロにぶつけ、手痛い反動を受けたらしい。

 昨日はアドレナリンが出ていて何も感じていなかっただけで、今朝方、激しい痛みに飛び起きて病院に駆け込んだ所……こうなったとか。

 全治一カ月で済んだのは、不幸中の幸い、なのだろうか?

 

 

 

「何をしているのかしら、全く……」

「申し訳ない……」

「まぁまぁ。半分は私達のせいみたいなもんだし、兄さんがやらかした分は、私がサポートするから。許してあげて?」

 

 

 

 こんな状態では、ろくにトレーニングの準備も出来ない。

 そこで“彼女”がサポートを買って出て、一時的なチームアップで対処しようという事のようだ。

 それ自体は特に問題ない。

 “彼女”であれば、兄の意思を十全に汲み取り、トレーニングに反映してくれるはず。

 気になるのは……なぜだか大きなバスケットを持って佇む、ブエナの存在である。

 

 

 

「それは理解しましたが……ブエナさん、それは?」

「これですか? サンドイッチ、作ってきたんです。片手だと、ご飯を食べるのも大変だと思って。良かったら、ジェンティルさんも一緒に」

 

 

 

 言われてみれば、なるほど。

 確かに利き腕がギブスで固められては、満足に食事も摂れない。それを気遣っての事のようである。

 こうして、なし崩し的にランチミーティングは始まった。

 

 

 

「わざわざありがとう、エナちゃん。本当に助かるよ」

「ううん、ここくらいはさせて欲しいな。それより……もうブエナって呼んでくれないの?」

「へ。い、いやあれは、ちょっと、格好つけたかっただけで……」

「ふふふ。冗談」

 

 

 

 …………。

 

 距離が、違う。

 以前から……。特にダンスレッスンした頃合いから、ブエナと“彼”の距離感に変化が起きた事は感じていたが、今回はより顕著に見えた。

 まるで、自身のトレーナーである“彼女”にそうするようでいて、微妙に、違う。

 それほどに大きな心境の変化がブエナに訪れ、それは“彼”によってもたらされた……という事なのか。

 

 

 

「お、美味い! 卵が大きめに切ってあって、好きだな、これ」

「本当? 良かったぁ……。あ、こっちも自信作なんだよ。はい、あーん」

 

 

 

 ………………。

 

 にしても、これは。

 ジェンティルなど見えていないかの如く、ブエナは“彼”にべったりだ。

 対する“彼”は流石に恥ずかしいようで、頬を引き攣らせており。

 まぁ、そうなるでしょう。

 だらしない顔してないでさっさと断りなさい。

 ほら早く。

 

 

 

「えっと……その……」

「あーん」

「じ、自分で食べられるから……」

「あーん!」

「うう……」

「……食べてくれないの?」

「た、食べ、ます……っ」

 

 

 

 ギリィイイイッ……と、音を立てて軋んだのは、一体なんだろう。

 ジェンティルの口の中から聞こえた気もしたが、それより問題なのは、担当の目の前で、他のトレーナーの担当とイチャつく軟弱者(うわきもの)である。

 なんてみっともない。

 確かにブエナの「あーん」の威力は絶大だけれど、そのくらい耐えて貰わねば困る。

 後でしっかりたっぷり問い詰めなければ。

 ……と、内心荒ぶるジェンティルに対し、“彼女”がニヤニヤと笑いかける。

 

 

 

「いやはやぁ、仲良きことは美しき哉、ってねぇー? 私も食べさせてあげようか、ジェンティル?」

「結構ですわ」

「まぁまぁまぁまぁ遠慮せず」

 

 

 

 ハイライトの消えた目で塩対応されても、“彼女”はめげない。

 それどころか、肩を組む勢いで顔を寄せ……耳元で囁く。

 

 

 

(レースで勝てたからって油断してると、あっという間に置いてかれちゃうよ)

(……っ!)

 

 

 

 驚き、目を見張るジェンティル。

 微笑む“彼女”の眼差しは強かで、自信と活力に満ち満ちていた。

 その指し示す先には、甲斐甲斐しく世話を焼くブエナの姿。

 往時の柔和さを取り戻したルームメイトに、どうしてかジェンティルは、ジャパンカップ時の何十倍ものプレッシャーを感じたのだった。

 

 なお、この日の午後の室内トレーニングにて。

 ジェンティルは機材を立て続けに十個も損壊し、二週間の出禁を食らったとか。

 乙女心とは、かくも難しいものなのである。

 

 

 






 作者からのお知らせ。
 インフルに罹りました。tntnがピクリともしなくてマジ卍。みんなはちゃんとワクチン打とうね。
 今回の話を描き上げる前にうつされたので、ちょっと推敲に自信がありません。
 誤字脱字など見つけたら報告オナシャス! あ、今まで報告してくれた方々もアリガトナス!
 まだ療養中ですし、感想へのお返事も少し遅れると思いますが、復調したら必ずしますんで、どうかご勘弁を。こんなに嬉しくない休みは久々だぁ……。

 次回、ヴィルシーナ(色んな意味で)死す!? デュエルスタンバイ!
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