ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん   作:幼馴染にされたネクパイ

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ジューンブライドの裏側で

 

 

 ビューティードリームカップ、ミューズオーディション。通称BDC。

 稀代のファッションデザイナー、ビューティー安心沢が主催するファッションショー兼レースイベントであり、ウェディングドレスをモチーフとした勝負服を得る為、そのモデル……ミューズとなるべく、様々な課題をクリアしていく。

 多くのウマ娘達が憧れてやまない、参加倍率も超絶に高いイベントだが……。

 

 

 

「わたくしに、BDCへのオファーが?」

「ああ」

 

 

 

 思いもよらぬ申し出を聞かされ、ジェンティルは驚いた。

 最近では珍しい、二人きりでのミーティング。それが一段落したタイミングだった。

 

 

 

「オファーと言っても、安心沢さん本人からじゃなくて、大会運営部からだけどな。有力なウマ娘には漏れなく声を掛けてる……って感じだと思う」

「でしょうね。家の事業の都合で面識がありますが、あの方からオファーを出すなんて、よっぽどの事がないと」

「一応、その“よっぽど“は達成してるはずだぞ。七冠バさん?」

「……あら、そうでしたわね。過ぎた事ですので、すっかり失念していましたわ」

 

 

 

 苦笑いする“彼”と、したり顔で返すジェンティル。

 もはや恒例となったやり取りは、勿論、彼女の達成した偉業に起因する。

 去る三月。オルフェーヴルと相対した大阪杯にて、ジェンティルは見事に勝利を収めた。

 ジャパンカップをまぐれ勝ちを評した人々も、これには手のひらを返すしかなかった。

 

 レース後のオルフェーヴルとのあれこれに関しては、別の機会に譲るとして。これでジェンティルはG1を七勝した。

 生ける伝説、シンボリルドルフの記録と並び、誰も破った事のない、ルドルフの壁に挑む挑戦権も得た。

 今、日本のレース界はジェンティルの一挙手一投足に注目している。

 BDCの運営としても、無視するという選択肢はなかったのだろう。

 

 

 

「今年は例年とは違った趣向があるから、ひょっとしたら興味があるかもと思って、とりあえず資料を貰っておいた。読んでみないか?」

「……内容も確かめずにお断りするのは失礼ですし、良いでしょう」

 

 

 

 郵送してもらった資料を手渡すと、ジェンティルが目を通し始める。

 内容を要約すると、主役となるモデル……ミューズだけでなく、ミューズメイドと呼ばれるサポーターの参加が必要とされるようだ。

 恐らく、ブライズメイドを由来とする決まりだと思われた。

 

 

 

「なるほど。今回は己個人だけではなく、サポートをする人物の力量も問われると」

「そうらしい。事実上、二人ペアでの攻略になるんだろう」

 

 

 

 舞台となるのは大型客船。

 具体的な課題は伏せられているが、屋内で実施可能なものに限られる。

 ミューズメイドの参加を義務付けた事からも、ギミック多めな課題が予想された。

 力こそ至上と信じるジェンティルからすると、少し窮屈に感じられたものの……。

 

 

 

「そういえば、ヴィルシーナさんは参加するのかしら」

 

 

 

 ふと、可愛らしい後輩の顔が目に浮かぶ。

 レースで負けるつもりは毛頭無いけれど、先日のバレンタインの一件もあり、こういった方面では非常に手強い強敵であることは明白。

 その動向が気に掛かった。

 

 

 

「さぁ……? 問い合わせるか、当人に聞いてみないと、なんとも……。どうして気になったんだ?」

「なんとなく、ですわ」

 

 

 

 のほほん、と聞き返してくる唐変木。

 なんだか悔しいので絶対に説明なんてしてやらないが、注意すべき相手は他にも居る。

 ここは自分で動くべきだろう。

 

 

 

「とりあえず、断る方向で話を進めていい……のか?」

「……少し時間を頂ける? 考えてみますわ」

「そう、か。分かった。まだ返事するまでには余裕があるし、ゆっくりでいいから」

 

 

 

 とりあえず返事は保留……ということで、話はまとまった。

 となれば、次にすべきはトレーニング。

 次走である宝塚記念に向けて、遊んでいる暇はない。

 

 ……それはそれとして。

 

 

 

(ジェンティルも年頃って事か。……ジェンティルの花嫁姿、ねぇ)

 

 

 

 一応は婚約者候補でもある訳だし、“彼”はなんとなく、ウェディングドレス姿のジェンティルを想像してみた。

 やはり色は白だろうか。それとも意表を突いて、勝負服と同じような黒いウェディングドレス?

 どちらにしても、とても美しいに違いない。

 そして、自信満々にドレスを着こなす彼女の、その隣に立つのは……。

 立つのは…………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……。ジェンティルさんは、まだ参加するか検討中なのですね」

 

 

 

 翌日。

 多くのウマ娘で賑わうカフェテリアに、ヴィルシーナは居た。

 目の前に座る同志……“彼”との妹談義をするためである。

 一時期は顔を合わせることも控えていた分、なんの気兼ねなく会える今が、とても幸せに感じられた。

 話も弾んで、話題は妹達だけでなく、ヴィルシーナ本人にも移っていく。

 

 

 

「君は参加するみたいだな。理由を聞いても?」

「……今の私を表現する、良い機会だと思いましたので。それに、ウマ娘であれば、ビューティーさんの勝負服に憧れるのは、ある意味で当然ですわ」

 

 

 

 ジェンティルが大阪杯を勝ってしばらく。ヴィルシーナも、念願の勝利を飾った。

 エリザベス女王杯から続くティアラ路線、シニア級のG1、ヴィクトリアマイル。

 ジェンティル不在という事実を殊更に残念がる声が、まとめて吹き飛んでしまう程の熱戦を繰り広げ、名実共に女王を名乗るだけの誇りを示したのだ。

 永遠の二番手……なんていう二つ名も、もう過去のものである。

 

 

 

「そうか。やっぱりヴィクトリアマイルで、大きく成長できたみたいだね。…………ああぁ、現地で応援したかったなぁ」

「ふふ、もう何度も聞きましたよ? 嬉しいですけれど、そこまで、ですか?」

「そりゃあそうだよ! 同志がようやく勝利を掴んだ場面に立ち会えなかったんだから。映像は見させてもらったけど、画面越しだと、こう……分かるだろう?」

「……そうかも、知れませんね」

 

 

 

 仕事で都合をつけられず、現地での応援を見送った“彼”は、大仰にその悔しさを語る。

 ヴィルシーナとしては、誰よりも(なんと両親よりも)早くお祝いのメッセージをくれた事だけで、十二分に嬉しかったのだが、こうして何度も「直接お祝いしたかった!」と言われると、くすぐったさが勝ってしまう。

 だから……という訳ではないが、こほん、と一つ咳払い。話題を変えてみる事に。

 

 

 

「あ、あのっ。ところで……。参考、参考までに、意見をお伺いさせて頂きたいのですがっ」

「そんなに畏まらなくても。何を聞きたいんだ?」

 

 

 

 これからする質問のせいで、妙に緊張しているヴィルシーナ。

 実を言えば、今日はこの質問をするのが目的でもあった。

 それは勿論、BDCに関する内容で……。

 

 

 

「ビューティーさんの勝負服は、ウェディングドレスをモチーフにしています。

 こういう形ではありますが、お相手の必要な服をデザインして頂くのに、イメージが掴み辛くて……。

 だ、男性からすると、一般的にどんなドレスが好まれるのかを、聞かせて欲しいんです」

 

 

 

 ……というのは建前。

 この機に乗じて“彼”の趣味嗜好を把握し、今後に活かしたいのだ。

 なんの今後か? それは乙女の秘密である。

 

 なお、周囲で様子を伺っている野次ウマ娘達は、「い、意外と大胆っすね」「お姉ちゃん頑張れー!」「覗きは良くないってば……(チラチラ)」と口々に呟いている。

 ほぼ身内と友人なのは気にしない方が良いだろう。

 

 

 

「うーん……。ウェディングドレス……。結婚相手に着て欲しいドレス……。ううむ……」

 

 

 

 噂話とは、得てして当人には届かないもので。

 衆目を集めているなんて露にも思っていない“彼”は、腕組みをして悩み始めた。

 しかし、それが数分も続くと、期待より不安が大きくなってしまう。

 

 

 

「……あの? 答えにくいようでしたら……」

「いや待ってくれ! 考えるから! ドレス……ヴィルシーナの……むうう……!」

 

 

 

 思わず、質問を取り消そうとするヴィルシーナ。

 だが“彼”は引き下がらず、真剣な眼差しを向けてくる。

 あまりのその熱量に、今度はソワソワさせられて。

 

 ……もしかしたら。

 本当にドレスを選んでくれる時が来たら、こんな風に悩んでくれるのかも。

 

 ところが、不意に“彼”は、意気消沈したように肩を落とす。

 

 

 

「ごめん……。何も、良さそうな案が思い浮かばない……」

「……そう、ですか……。それは、私にウェディングドレスは、まだ早いという……」

「違う、逆なんだ」

「逆……?」

「よっぽど奇抜な物でもない限り、どんなドレスでも着こなせるだろうから、これっていうものが出てこなくて……。センスが無いと、こういう時に困りものだな……」

「…………ん゛ん゛っ。あ、ありがとうございます」

 

 

 

 望んだ答えを得られないかと思ったら、予想外の方向から褒め言葉が投げられた。

 避けられなかった(避けるつもりがなかった?)ヴィルシーナは、これによりデッドボール。満塁から押し出しで一点獲得である。

 緩みそうになる頬を引き締めるのに、ちょっと変な声が出てしまったのが難点か。

 

 と、そんな時。

 カフェテリアに設置されたテレビ画面から、気になる声が発せられた。

 

 

 

『ここで速報です! 当番組宛に、BDCへの参加者からメッセージ映像が届きました! ぜひご覧ください!』

 

 

 

 いわゆるワイドショー的な番組なのだろうが、今回の特集は、やはりというかBDCに関するもの。

 女性アナウンサーが笑顔で紹介した映像に映っていたのは……なんと、ヴィルシーナの同期のウマ娘。

 その破天荒っぷりで知らぬ者のない、ゴールドシップであった。

 

 

 

『ピスピース! みんな大好き第四の壁突破済みウマ娘、ゴルシちゃんだZO! 今年のBDC、なんとこのゴルシちゃんも参加してやっからな? 盛り上がるのを楽しみにしといてくれ!』

 

 

 

 わざわざ勝負服を着込んで撮影したらしいゴールドシップ、通称ゴルシは、昨年度の三冠路線で活躍した二冠ウマ娘であり、常識破りな言動で周囲をかき回す、いわゆるトリックスターのようなウマ娘である。

 それがあまりにも“アレ”で、ファンも多ければアンチも多いという、実に厄介な存在でもあるのだが、ことイベントなどに関しては本気で取り組み、全力で楽しもうとしてくれるため、盛り上げ役としては最適解かも知れない。

 そして今回は、ゴルシのストッパーとなりうるウマ娘も隣に立っていて、存在感を放っていた。

 

 

 

『んで今日はな、アタシと一緒にBDCに参加する危篤な違った奇特なメンバーも紹介するぜ! ドゥルるるるるるる……じゃんっ!! ………………ほら自己紹介!』

『え、あ、はい。フェ、フェノーメノで、あります。非才の身ではありますが、この度、ゴルシさんの付き添いで参加させて頂く次第であります。よろしくお願いいたします!』

 

 

 

 フェノーメノ。

 跳ねっ毛のロングヘアに、警察官をイメージした勝負服。真面目な口調からも分かる通り、織り目正しい性格の彼女は、今年の天皇賞(春)を勝利した、確かな実力を持つステイヤーである。

 実はジェンティルのジャパンカップにも出走していて、路線こそ違えど、ヴィルシーナとジェンティル、ゴルシとフェノーメノは同期という扱いになる。

 特に、暴れるゴルシと止めるフェノーメノ、という構図はお茶の間でも人気を博しており、そういった意味でも注目を集めそうだ。

 

 

 

『というか、仲間を奇特扱いは酷いであります。ミューズメイドなんて、自分には似合わないとは思いますが、もう少し言い方を……』

『ん? なに言ってんだマメちん。ミューズメイドはゴルシちゃんだぞ?』

『は?』

『repeat after me、ゴルシちゃんisミューズメイド。マメちんat ミューズ候補。OK?』

『ゴルシちゃんいず…………はぁああっ!? ど、どういう事でありますかっ!?』

『どうもこうもがんもどきも無いってばよ。ほれ、申請書』

 

 

 

 差し出され紙面を確認し、フェノーメノは愕然とする。

 そこには確かに、見慣れた名前が、自分の筆跡で書き込まれていた。

 しかし、書き込んだ欄が逆。一体なぜ?

 

 おかしい。

 絶対に場を混沌の海へと突き落とすだろうゴルシを、どうにか抑えようと参加したはずが、いつの間にかミューズ候補に。どうしてこうなった。

 自分でも何を言っているか分からないが、なんと言うか、たぬきに化かされたような気分である。

 あと、がんもどきは何処から来たのか。韻は踏んでいるけども。

 

 

 

『じ、自分が、ミューズ候補としてエントリー? そ、そんなバカな……っ』

『大丈夫だってマメちん、自信持てよ。お前は絶対、磨けば光る逸材だ。この機会に、世界にお前の輝きを見せつけてやろうぜ』

『ゴルシさん……』

 

 

 

 震える肩に、ポン、と乗せられる手。

 優しく励ましてくれるゴルシの表情は、普段の茶化した様子からはかけ離れていて、本気で言っているのだと、思わず信じたくなった。

 厳つい表情が由縁で子供に嫌われるあまり、自分に女性としての自信がないフェノーメノには、その言葉が救いに思えたのだ。

 

 が、それはそれ、これはこれ。

 

 

 

『本人の意図しない目的に勝手に名前を使うのは、純然たる違法行為でありますっ! そこに直れっ!!』

『という訳で、アタシとマメちんの応援よろしくなー! あーばよー!』

『待゛ち゛な゛さ゛い゛っ!!!!!』

 

 

 

 捨て台詞と共に画面外へ消えていくゴルシを、猛然と追跡するフェノーメノ。

 もはや鉄板のオチに、女性アナウンサーが満面の笑みで締めくくる。

 

 

 

『いやー、いつも通りの破天荒っぷり! どんなイベント展開になるのか、今から楽しみです!』

「……な、なんか、途轍もない波乱が繰り広げられる予感がする……」

「奇遇ですね……私も、不安になってきました……」

 

 

 

 笑い声で包まれるカフェテリア。

 そんな中、ゴルシに振り回される未来を予想してしまい、二人は頬を引き攣らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、BDCに参加しようと思うんです」

 

 

 

 同日、夜。栗東寮。

 すっかり夜も更け、「髪を梳かせて貰えませんか?」というブエナに甘えて、しばらく。

 雑談が途切れたタイミングで、彼女はジェンティルにそう打ち明けた。

 

 

 

「そうですか。今年はミューズメイドとの参加が義務付けられているようですが?」

「あ、ご存知なんですね。一応、当てはあると言いますか……。お願いするのはこれからなんですけど」

 

 

 

 滑らかな髪を、ブエナの櫛が優しく梳いていく。

 参加しようと思ったきっかけは、その当て……トーセンジョーダンからの推薦が理由だった。

 いわゆるギャルっぽい言動やファッションセンスとは裏腹に、天皇賞(秋)のレコードホルダーでもあるウマ娘だ。

 幾度か同じレースを競った事もあり、友人としても縁深い間柄なのだが、つい先日、一緒にお弁当を食べている時に、BDCに興味があると言ったところ……。

 

 

 

『いいじゃん、出なよ! ビューティーさんの勝負服着たブエナちゃん、想像しただけでもめっちゃ映えんもん! アタシに出来る事なら、ガチでサポートするからさ?』

 

 

 

 ……と、言ってくれたのである。

 ひょっとしたら、お世辞だったのかも知れないけれど。

 それでも、この機会を逃したら、一生後悔してしまうような気がした。

 だから、明日にでもジョーダンにミューズメイドをお願いし、参加申し込みをするつもりだった。

 

 

 

「ジェンティルさんは、どうなさるんですか?」

「内容は把握していますが、どうするかは思案中ですわ」

「もし参加なさるなら、ライバルですね。ヴィルシーナさんも参加するみたいですから、頑張らないと!」

「ヴィルシーナさんが?」

「ええ。ヴィブロスちゃんと一緒に参加するそうですよ。『お姉ちゃんのサポート楽しみなんだぁ』って教えてくれました」

 

 

 

 まだヴィルシーナの参加を知らなかったジェンティルは、ここで自分が“また”出遅れたのを悟る。

 彼女の狙いは勝負服だけではない。勝負服を着た自分を、“彼”に見せつける事だろう。

 ウェディングドレスをモチーフにした、勝負服。

 これを見て、自分が隣に立つ姿を意識しない男は、居ないに違いない。

 

 ちなみに、ブエナとヴィブロスの仲が良いのは、実現しなかった海外遠征……実は参加権を得ていた、ドバイのレースが理由である。

 海外に渡航し、ドバイで走るか。それとも、同時期に国内で開催される天皇賞(春)にエントリーするか。直前まで悩み続け、ブエナは天皇賞を選んだ。

 しかしながら、初の海外遠征への未練も確かに残り、少し溜め息を溢していたのを、ドバイマスター・ヴィブロスに嗅ぎつけられ……といった具合いだ。

 

 

 

「ブエナさんは……ウェディングドレス姿を見せたいお相手が、居るという事ですわね」

「はい。ジェンティルさんも、そうですよね?」

 

 

 

 閑話休題。

 変わらず髪を梳くブエナに、ジェンティルは問う。

 そして、当たり前のように、予想通りの返事が。

 

 なぜ、彼女はこんなにも、寄り添おうとするのだろう。

 あえて明言しないけれど、ジェンティルもブエナも、ヴィルシーナも。胸に秘めた想いは同じはず。

 だと言うのに、まるで背中を押しているように思える素振りまで。

 

 甘く見られている?

 いや、ブエナに限ってそれはあり得ない。

 レースという厳しい世界での浮き沈みを知っているからこそ、油断だけはしないはず。

 だから、尚のこと不思議で仕方なかった。

 

 

 

(わたくしは……。どうすべき、なのかしらね)

 

 

 

 あくまでも優しい、慈しみすら感じる手付きに眠気を誘われながら、ジェンティルは考える。

 財閥令嬢としての自分。

 レースを走る競技者としての自分。

 ただの、少女としての自分。

 重きを置くべきはどれなのか。どうするのが、正解なのか。

 

 答えなんて、分かっているはずなのに。

 悩んでいる時間すらも、尊いものであるかのように。

 ジェンティルは、切ない思考の海へと、身を投じていく。

 

 

 

 

 

 だが。幸せな時間は、長くは続かなかった。

 

 

 

「それでは、坂路に行ってきますわ」

「分かった。計測の準備はできてる。いつでも良いぞ」

 

 

 

 数日後のトレーニング中。

 いつものようにアップを終えた後、予約してあるコースへと向かうジェンティルだったが、歩き始めてすぐ立ち止まってしまう。

 

 

 

「……どうした?」

「靴に違和感が。蹄鉄がズレたかも知れませんわね」

「ああ、なるほど。すぐ調整しよう」

 

 

 

 右足を軽く上げ、自らの足を訝しんでいる。

 ウマ娘の履くトレーニングシューズには漏れなく蹄鉄が装蹄されており、これは足への負担軽減と同時に、怪我の防止、グリップ力の向上など、さまざまな効果がある。

 易々とは外れないよう、専用の道具がないと外せないようになっているのだが、ジェンティルほどの力があると、靴の方に限界が来ることも多く、実際、これまでにも蹄鉄がズレたり、外れてしまうことがあった。

 そのため、トレーニングには装蹄用具も持ってきている。

 ところが……。

 

 

 

(ん……? おかしい、どこも……)

 

 

 

 脱いだ靴を確かめてみるも、蹄鉄はしっかりとしていた。

 緩みもズレもなく、念のため内側も確認するけれど、問題らしい問題が見当たらない。

 

 嫌な予感がした。

 重く、冷たい気配が、背筋を登ってくる。

 

 それを気のせいだと思いたくて、“彼”は一度、靴から蹄鉄を外し、改めて装蹄する。

 慣れているはずの作業なのに、どうしてこんなに、緊張するのか。

 

 

 

「装蹄し直した。確認してくれるか」

「ええ、どうも」

 

 

 

 不安を悟られぬよう、平静を装って靴を差し出す。

 受け取ったジェンティルは、さっそく履き心地を確かめるのだが……。

 

 

 

「……妙ですわ。違和感が、消えない」

 

 

 

 地面を踏み締める足が、段々と浮ついていく。

 目の前で作業を見ていたのだから、装蹄を間違えた可能性もない。

 という事は、問題はジェンティル自身にある、ということ。

 

 

 

「ジェンティル。トレーニングは中止だ。病院へ行こう」

 

 

 

 大急ぎで装蹄用具を片付け、有無を言わせぬ様子で“彼”は言う。

 大袈裟な……と、一瞬だけ思うジェンティルだったけれど、今はレース前の大切な時期。石橋を叩いて渡るくらいで丁度良い。

 何より、素人判断で重大な疾患を見逃せば、今後の競技者人生に関わるのだから。

 

 

 

「分かりました。手配をお願いします」

 

 

 

 保健医を通じて外出許可を貰い、二人はタクシーで病院へと向かった。

 精密検査の結果、得られたものは……残念ながら、吉報ではなかった。

 

 

 

「足首の付近に、炎症の兆候が見られます」

 

 

 

 レントゲン写真と合わせて、医師の説明がなされる。

 それを聞いている間、“彼”の心中は荒れ狂っていた。

 なぜ。どうして。

 こんな事があって良いはずがない。

 タチの悪い冗談であって欲しい……。

 

 

 

「まだ程度は軽いですが、今と同じ強度のトレーニングを続ければ、確実に故障に繋がるでしょう。万全を期すなら、レースも控えた方が良いかと……」

 

 

 

 だが、どんなに願っても、無慈悲に現実が突きつけられる。

 かつて懸念していた問題が、いざこれからという時期に、顕在化してしまった。

 ジェンティルの有り余る“力”を危険視し、早くから体のケアを重視して来たが、それも限界があった、という事だろう。

 健やかに育ち、成長し続けたが故の弊害か。

 

 あるいは、去年からの激戦で、無意識のうちにダメージを抱えてしまっていた可能性も。

 秋華賞、ジャパンカップ、大阪杯。

 それ以前のレースでは、余力を残して勝利するほどだったジェンティルも、これらのレースでは、間違いなく、確実に全力を尽くして勝利を得た。

 特に、あのオルフェーヴルを相手取るとなれば、限界を越える負荷があったとしても、不思議ではない。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 帰りのタクシー内は終身無言だった。

 掛けるべき言葉も、話し合うべき内容も分かっている。

 ……けれど。けれども。

 少しだけ、心の準備をする時間が欲しかった。

 

 程なくして、学園に戻った二人。

 トレーナー室で向かい合うジェンティルへと、“彼”は断腸の思いで告げる。

 

 

 

「宝塚は回避しよう」

 

 

 

 出走予定だった、宝塚記念の回避。

 万全の状態で挑んでも、勝てるかどうか。それがレースだ。

 オマケに今回は、ゴールドシップとフェノーメノも出走する。

 無理をして勝ちに行くより、怪我のリスクを回避する方が、妥当な選択。

 

 

 

「今から治療に専念すれば間に合う可能性もあります。早計では?」

「治療に専念すればその分、調整は難しくなる。いや、最悪の場合、ほとんど出来ないだろう。そんな状態で勝てるほど、レースは甘くない。分かっているはずだ」

 

 

 

 それでも、諦め切れないのだろう。

 らしくもなく食い下がるジェンティルを、あくまで冷静に説得する。

 宝塚記念に賭けていた彼女の気持ちは、痛いほど理解できたから。

 

 

 

「“ルドルフの壁”を超えたい気持ちは、理解できる。俺だって悔しい。でも、ここで勝ち星に固執するのと、ジェンティルのこれからのレース人生、どちらが大事かは、言うまでも無いはず。堪えてくれ……」

 

 

 

 G1を7勝。

 シンボリルドルフの打ち立てたこの記録に、並んだ者は居ても、超えた者は居ない。

 だからこそ期待が寄せられて、ジェンティルも意気込んでトレーニングしていた。

 それが無に帰す。

 多くの人々が失望し、“彼”自身、トレーナーとしての管理責任を問われるかも知れない。

 しかし、記録を塗り替える代わりに未来を失うだなんて、それこそあり得ない。

 ここは回避が最善のはず。

 

 だと言うのに……。

 

 

 

「いいえ。分かりかねますわ」

「ジェンティル……?」

「きちんと言葉にしてくださらないと、納得できません。わたくしを思い留めるだけの言葉を、“貴方”の口から、聞かせて頂戴」

 

 

 

 尚もジェンティルは、諦めを拒絶した。

 ……いや、本当は分かっているはずだ。

 分かっているから、自分を納得させるために、最後の一押しが欲しいのか。

 

 軽く息を吐き、ゆっくり、大きく吸い込む。

 きっとこれは、“彼”自身にも必要な行為。

 これからも同じ道を歩み、同じ気持ちを共有するための。

 

 

 

「前人未到の栄光よりも、君の……ジェンティルの未来の方が大切だ。俺達にはまだ次がある。宝塚は、回避しよう」

 

 

 

 ジェンティルから一ミリも目を逸らさずに、その赤い瞳を見つめながら、“彼”は断言した。

 諦めざるを得ない悔しさも。気づけなかった自分への不甲斐なさも。ジェンティルを案じる気持ちも。

 何もかも、包み隠さず見てもらえるように。

 

 やがて、部屋に小さな溜め息の音が響いた。

 “彼”を見つめ返す瞳には、悔しさが滲みながらも、どこか満足げな……矛盾した感情が見えた。

 

 

 

「分かりました。この夏は治療を優先します」

「ありがとう。治療の間にもできるトレーニングは用意する。退屈はさせない」

「あら、頼もしいですこと。……言質、取りましたわよ?」

 

 

 

 こうして、ジェンティルドンナは、初夏のトゥインクルシリーズから、一時離脱を余儀なくされた。

 やはりルドルフの壁は厚いか。

 会見会場はざわめきに揺れたが、今後の出走予定の発表により、覆る。

 天皇賞(秋)。そして、二度目のジャパンカップ。

 天皇賞で壁を破り、ジャパンカップで前人未到の連覇を狙う、強気なローテーション。

 まだ、時代の流れは途切れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケその一 そろそろジェンヴィルドンシーナの新衣装お願いします!』

 

 

 

『い、以上、フェノーメノで、ありました。ご清聴、ぁあ、ありがとうございました……っ!』

 

 

 

 ジェンティルの緊急会見からしばらく。

 何事もなかったかのように時は過ぎ、世間の関心はBDCへと移っていた。

 それはトレセン学園内も、そして、当のジェンティル達も同様であり、カフェテリアで中継を楽しむくらいには、心の余裕を取り戻していた。

 

 現在、画面に映っているのは、今年のミューズに選ばれたウマ娘。

 勝負服への想いを綴った手紙を読み上げる、トップバッターのフェノーメノである。

 特徴的な跳ねっ毛をしっとり目に整え、露出を抑えつつ、華やかなレース飾りで格調高さを演出しながら、淡い紫色のドレスで目を惹きつけていた。

 手紙の内容も、今はこの勝負服に相応しいとは思えない事、でも、いずれ相応しい自分になるという事を宣言するピュアっピュアな内容で、ファンの皆は悶絶していた。

 

 加えて、アグネスデジタルが尊死した。

 既に本日8度目である。

 

 

 

「途中でゴールドシップがイベントを乗っ取った時はどうなるかと思ったけど、無事に終わって良かった……」

「改造したロボットに乗ったまま爆発四散する姿は、見事でしたわ。きっと無傷なのでしょうけれど。……さて。次はヴィルシーナさんね」

「ああ。どんな勝負服なんだろうな」

 

 

 

 口にこそ出さないが、ジェンティルは、ヴィルシーナの新しい勝負服を楽しみにしていた。

 好敵手と認めた相手の華々しい姿を見れば、少しは鬱屈した気も紛れるだろうと、そう思ったから。

 しかし、その予想は良い意味で裏切られた。

 

 

 

『“貴方に勝つのは私”。この勝負服(ドレス)に賭けて、誓うわ!』

 

 

 

 想いを綴るはずの手紙を破り捨て、宣言するヴィルシーナ。

 それをジェンティルは、戦線布告であると同時に、彼女なりのエールと受け取った。

 

 貴方は怪我なんかに負けない。負けるはずがない。

 だって、貴方に勝つのは私なのだから。

 だから早く、必ず、戻って来て。

 

 ヴィルシーナの瞳が、そう言っているような気がした。

 確かに、目は口ほどに物を言うらしい。

 なお、デジタルはリスキルされている。

 

 

 

「…………。うふふ」

 

 

 

 思わず、笑みが溢れる。

 脚も疼いて仕方ない……けれど、ここは我慢。

 医師の許可が下りるまでは、“彼”の用意したトレーニングで、気を鎮めねば。

 

 

 

「最後はブエナさんね。見終わったら、トレーニングの準備を」

「…………」

「……トレーナー?」

 

 

 

 おかしい、返事がない。

 振り向いて見ると、“彼”は画面に釘付けとなっていた。

 妹……ヴィブロスに戯れつかれ、優美に微笑むヴィルシーナを見て、ポカンと口を開けたまま呆けていた。

 

 ミューズに選ばれたヴィルシーナは、端的に言って美しかった。

 青を基調とした、花柄のロングドレス。

 ショール越しのデコルテラインに映える、胸元のブローチ、

 シニョンに結い上げた髪を飾るのは、艶やかなティアラと清楚なイキシアの花。

 そのまま結婚式を挙げても問題ないほど、麗しい花嫁姿だった。

 ジェンティルから見ても、少し嫉妬するくらいに。

 

 

 

「……ほほほほほ」

 

 

 

 思わず、また笑みが溢れる。

 周囲の皆が、そのプレッシャーに後退りするほどの、微笑みが。

 

 幸か不幸か、“彼”は全く気づいていない。

 ジェンティルは、担当外のウマ娘に見惚れてしまう不届きもの(うわきもの)へと、ゆっくり手を伸ばして……頬を優しく優しく、子猫でもあやすような手付きで、抓った。

 

 

 

「いっだ!? 痛、痛いっ、ジェンティル! 痛いって!!」

「だらしのない顔をしていたから、引き締めて差し上げていますのよ。ありがたく思いなさい」

「いや伸びるっ! 顔が伸びるって! いだだだだっ!?」

 

 

 

 抓ったままの状態で、“彼”を引きずっていくジェンティル。もうBDCの事は頭から抜け落ちていた。

 流石に復活しそうもないデジタルの横を通り過ぎ、強制的にカフェテリアを後にするのだが、この行動が“彼”を救う事になるとは、誰も思わなかっただろう。

 ラストを飾る最後のミューズ……。

 ブエナビスタの花嫁姿を見たら、きっと今以上の醜態を晒していたに、違いないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケその二 “貴方”への手紙』

 

 

 

 ずっと隣に居てくれた、お姉ちゃんとお兄さんへ。

 

 この手紙をどう書くのか、とても悩みました。

 お父さんとお母さんに向けて書こうかとも思いました。

 けど、このドレスはあくまで勝負服。

 レースでの自分を飾るもので、まだ、本物じゃないから。お二人に向けて書こうと思います。

 

 

 出会った時の私は、とても小さくて、二人に守ってもらうばかりでした。

 私の方が速く走れるようになっても、それは変わらなくて。

 隣に居る時も、離れている時も。ずっと優しく、見守ってくれました。

 

 泣き虫な私を慰めてくれたり。

 時には一緒に泣いてくれたり。

 厳しいトレーニングも、負けて苦しい状況でも。

 “貴方”の助けがあったから、真っ直ぐに進んで来られました。

 

 

 今、“貴方”の目に、私はどう映っていますか。

 

 

 “貴方”の後ろを着いて回っていた、小さなぶうちゃん。

 トリプルティアラを達成した、ブエナビスタ。

 それとも……。

 

 

 答えは今じゃなくても大丈夫です。

 今はまだ、答えを聞くのが少し怖いから……。

 でもきっと、このドレスが勇気をくれる。

 “貴方”の答えを受け止めて、その隣に立ち続ける、勇気を。

 だから、その時が来たら……。

 

 

 私の全力(きもち)、受け止めてね?

 

 

 






 BDCを見た視聴者からのご意見の抜粋。

 一番ピュアなのがフェノーメノとかさぁ。新境地をありがとうございます!
 ヴィルシーナさん、勝つってレースでだよね? なんか他の情念が込められてる気がするんだけど……。
 ブエナちゃんのあれもうプロポーズやろ。お姉ちゃんだかお兄さんとやらはちゃんと責任取れんのか? 取らんかったら処すぞ? 処すぞ?


 という訳で、本作におけるBDC「拝啓、波真珠の私より」でした。
 なんでこういう形にしたかですが、理由は単純。そうしないと……留年した一流さんを出さないといけないからです! 最低でも二十歳のJKとか可哀想だろそんなのぉ!!(なおストーリー第二部)
 前にも言いましたけど、スイーピーも育って使い魔とのイチャコラ(スイーピー視点)に夢中なので、どうせならシーナちゃんの同期とブエナも出したれ、って感じです。じゃないと今後出番無しになるし。

 ブエナちゃんの勝負服を省いたのは、irirするtntnに正直に妄想したら、若干のセンシティブ感が出てしまったからです。
 清楚系でも正統派でも生き恥ウェディングでも、どうぞ、皆さんのお好みのドレス姿を当てはめて下さい。機会があれば描写するかも? 完結後とか。
 あ、ピサちゃんは引きました。あんな天使に駄目人間にされたい人生だった。


 次回、あの日に見た花火。
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