ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん   作:幼馴染にされたネクパイ

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隠せぬ情熱。秘されるべき想い。

 

 

 

 2月も間近に迫ったある日。

 ブエナはトレーナー室にて、真剣な顔をした“彼女”と向き合っていた。

 纏う空気がピリリと張り詰め、それだけ本気であるというのが伝わってくる。

 ……のだが。

 

 

 

「それでは……。『バレンタインに兄さんへガチ目のチョコを送ってブエナを意識してもらおう作戦』の、具体案模索会議を始めます」

 

 

 

 その口から放たれた言葉は、絶妙に気の抜ける内容だった。

 休日にわざわざ「大事な話があるの」と呼び出されて、始まったのがこれ。

 どう反応すれば良いのか分からず、ブエナはとりあえずアルカイックスマイルで誤魔化している。

 

 

 

「トレーナーさん。なんでこんな、レース前の作戦会議みたいなノリなの?」

「ふ……。昔の偉い人は言いました。Love is War, つまり、恋は戦いだからだよ! がっつり胃袋を掴んで、そのまま握り潰す勢いで行かないと!」

「それだとお兄さん死んじゃうよ……」

 

 

 

 とうとう我慢出来なくなり、大きな溜め息が溢れてしまう。

 本当に、お兄さん関係となると、すぐ悪ノリしちゃうんだから……。

 呆れるブエナに対し、けれど“彼女”は唇を尖らせる。

 

 

 

「というか、ブエナがいけないんだよ? 去年の暮れにデートしたっきり、何もアクションしてないでしょ」

「それは……だって、何をすれば良いか、分からないし……。お出掛けも、今はもう難しいから……」

 

 

 

 昨年末にブエナが出走した、有馬記念。

 残念ながら、ドリームジャーニーという小柄なウマ娘に先着されたのだが、その懸命な走りが人々の心を打ち、今やレース界だけに留まらず、お茶の間のアイドルといった扱いを受けていた。

 年明けに初詣へ行こうにも、あっという間に人集りが出来る始末で、とても大変だった。

 そんなブエナが、昨年のように男とデートなんてしようものなら……。考えたくもない大炎上祭りが開催される事だろう。

 

 

 

「だからこそ、こういうイベント事を利用しなきゃ。今までみたいに、私の分のついでに用意するだけじゃ、いつまたお見合いなんて考え出すか……!」

 

 

 

 今回の“彼女”の提案、そんなブエナの現状を慮って……だけではないのだが、間を取り持とうという気持ちは本物だった。

 何故なら“彼女”は、兄の見合いが失敗したと思っているからだ。

 正直なところ、顔も名前も知らない相手方に対して「その目は節穴かっ!!」と、兄の良さを懇々と説教したい程なのだが……。

 実際にして手のひらドリルされても困るので放っておき、この隙にブエナと兄の仲を進展させたいのである。

 

 なお、フラれたと思われている兄の方はというと、妹よりも歳下であるジェンティルと見合いをした、という事実が妙に後ろめたいので話したがらず、それを勘違いされているだけ。

 実はあの後も何度かデート(in武道場)を重ねていたりする。

 

 

 

(でも、考えてみれば、お兄さんにも毎年渡してたんだよね、チョコ。お兄さんからも貰ってたし……)

 

 

 

 そんな事とは露にも思わぬブエナは、過去のバレンタインを振り返っていた。

 始まりは幼い頃。

 大好きなお姉ちゃんが、お兄さんにチョコを渡すのを真似したくて、母にほとんど作って貰ったチョコだった。

 自分で作れるようになってからは調子に乗ってしまい、作り過ぎたチョコマカロンタワー(6台)を、お兄さんや自分の家族まで動員して食べ切った……なんていう失敗談も。

 

 そして、ブエナがチョコを用意するのに合わせて、二人もチョコを用意してくれた。

 お兄さんに至っては、就職してからもこれを続けてくれた。忙しかっただろうに。

 それを思えば、たまには豪華にしてみるのもアリ……かも?

 

 

 

「そういえば、お兄さんの好きなお菓子って私、知らないや……」

「あー、好きなお菓子はあるんだけど、それを手作りは難易度が高過ぎるかな」

「そうなの?」

「だって兄さんの好きなお菓子、バウムクーヘンだから」

 

 

 

 バウムクーヘン。

 ドイツ発祥の伝統菓子で、卵やバターなどを入れて作った生地を、回転させた木の棒に何度も塗り重ねて焼き上げる。切り分けた時の年輪模様が特徴だ。

 日本では専用の焼き上げ機械を使い、様々なアレンジもされて普及しているが、ドイツでは作れる職人がどんどん少なくなっているのだとか。

 つまり、それだけの手間と時間と技術を必要とする訳で。

 

 

 

「うん、無理だね……」

「だよね……。かと言って、市販のバウムクーヘンにチョコをかけるとかは、もう私がやっちゃってるから、目新しさが無いし」

 

 

 

 チョコをかけたバウムクーヘンというのも、コンビニお菓子などで多く見かける商品だが、それ故に馴染みがある。むしろ、“彼”が好き好んで買っているかも知れない。

 せっかくのバレンタイン。

 どうせ作るのなら、記憶に残る物にしたい。

 とはいえ、下手な考え休むに似たり。ここは、プロの助けを借りるべきだろう。

 

 

 

「うーん……。ねえ、トレーナーさん。ドイツ繋がりで、お菓子に詳しい人に相談してみない?」

「ドイツ繋がりで、お菓子に詳しいっていうと……あ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でしたら、シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ、なんていかがでしょう?」

 

 

 

 場所を移し、カフェテリア。

 呼び出しに快く応じてくれた、艶やかな黒髪のウマ娘……エイシンフラッシュは、そう言って人差し指をピンと立てる。

 

 

 

「スポンジ生地にチョコレートを混ぜたケーキで、キルシュヴァッサーという、サクランボのブランデーを生地に染み込ませるのが特徴です。具材としても、お酒に漬けたサクランボを使う場合があるんですよ」

「わぁ……! さすがフラッシュさん。お父さんがマイスターなだけあって、凄く詳しいんですね」

「はい。父が作ってくれたお菓子は、どれも美味しくて。全て記憶に焼きついています。もちろん、作り方も」

 

 

 

 フラッシュの父親の職業はパティシエ。しかも、ドイツ特有の職人制度の頂点である、マイスターの称号を持つほどの人物である。

 その娘であるならば……と相談してみた所、良さそうな意見を提示してくれた。

 

 

 

「ブエナさんのトレーナーさんのお兄さん……。長いので、以降は私もお兄さんと呼ばせて頂きますね。お兄さんは、アルコール類をお好みでしょうか?」

「付き合いで飲む事はあっても、自分から飲む事は見たことない、かな」

「でしたら、あえてキルシュヴァッサーは使わず、生クリームに刻んだサクランボを混ぜて、食べた時に香る程度に留めた方が良いかも知れません。今、レシピを書き出しますね」

「よろしくお願いします……!」

「ありがとうございます、フラッシュさん。わざわざ手伝って頂いて」

「どういたしまして。祖国のお菓子を好きだと言ってくださる方へのチョコ作り。こちらの方こそ、手伝わせて頂いて光栄です」

 

 

 

 深々と頭を下げる二人に、たおやかに微笑むフラッシュ。

 その間にもペンは動き続け、あっという間にレシピが書き上がった。

 内容を読み直し、問題無いのを確認すると、ファインダー式のメモ帳からページを外して、“彼女”へ。

 

 

 

「……よし。こちらがレシピになります」

「ありがとう! じゃあ、後はこれを私達で材料を用意して──」

「お待ちください。そのレシピは、あくまでお兄さん用に調整した、いわば亜種。本場の味を知らずして、アレンジだけをするなんて言語道断です」

 

 

 

 喜び勇んで、買い物に走ろうとする“彼女”を、フラッシュが呼び止めた。

 厳しい表情が物語るのは、マイスターである父の仕事を見続け、その後ろ姿を心から尊敬する少女の、生真面目さ。

 

 

 

「え、ええと……つまり……?」

「まずは、私の作ったシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを食べて頂き、その後に、アレンジレシピの作成にも参加させてください。実際に作ってみて、さらに調整を加えたいのです」

「そんな、そこまでして頂かなくても……」

「いいえっ。ブエナさんには、いつも寮生活でお世話になっていますから。この機会に是非、恩返しをしたいのです」

 

 

 

 グッと拳を握り、ふんす、と意気込む。

 単なる思いつきで相談したというのに、そこまでして貰うのは心苦しい……けれど、この様子だと簡単には引き下がらないだろう。

 ブエナは“彼女”と顔を見合わせ、同時に笑う。ここは、フラッシュの好意に甘えてみよう。

 助けになりたいという気持ちを無碍にするなんて、それこそ失礼だ。

 

 

 

「よろしくお願いします、フラッシュ先生!」

「ブエナ共々、お世話になります!」

「ふふふ。はい、頑張りましょうっ」

 

 

 

 三者三様の笑顔が揃い、早くもスケジュール合わせの話し合いが始まる。

 今年のバレンタインは、いつも以上に気合いが入りそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃。

 貸し切り状態の、とあるウマ娘用の練習コースにて。

 

 

 

「お待たせ致しました」

 

 

 

 体操服に着替えたジェンティルドンナは、自分を待っていた背広姿の背中へと呼びかける。

 振り返ると、その背広の人物……ブエナのトレーナーの兄は、まず頭を下げた。

 

 

 

「ありがとうございます。不躾なお願いに、わざわざ応じて頂いて」

「構いませんわ。わたくしの実力の真偽、確かめたいのでしょう?」

 

 

 

 貴方の走っている姿を見てみたい。

 

 前回のデート(という名の格闘訓練)の終わり際、“彼”は何気なくそう言った。

 同意の上と言えども、大の男を好き放題に放り投げまくっている手前、そのくらいは良いだろうと思い、今日に至る。

 何より、ジェンティルの走りを見た“彼”がどんな反応をするのか、気になっていた。

 

 

 

「慣らしも終わりましたし、コースを一周……1800mでよろしくて?」

「お願いします」

 

 

 

 準備体操と、軽い慣らし走行を終え、スタート位置に立つ。

 “彼”も側へとやって来て、ジェンティルをしかと見つめる。

 ……不意に、小さな笑いが込み上げた。

 

 

 

(見られているのは同じなのに、不思議なものね)

 

 

 

 例えば、政財界との繋がりを強める為に出席したパーティーでの、出席者達の視線。

 例えば、父に命じられて設けた見合いの席での、婚約者候補達の視線。

 例えば、学園内でトレーニングをしている際の、同級生達の視線。

 例えば、街中ですれ違う、見知らぬ男達の視線。

 

 ジェンティルに向けられる視線の多くは、負の感情を伴うものが多かった。

 嫉妬や羨望。野心。畏怖。情欲。

 不快に思っても真正面から受け止めて、跳ね返してきた。それが強さの証明でもあるから。

 しかし、“彼”からはそれらの不快感がない。

 目を皿のようにして、上から下まで見られているというのに。

 

 とても、不思議だった。

 

 

 

「合図をお願いします」

「はい。では、用意…………スタート!」

 

 

 

 声に合わせて、体を前へ。

 脚に力を込めれば、一気に景色が動き始める。

 

 少しでも空気抵抗を減らす為、ウマ娘の走行姿勢は、人間に適した走行姿勢よりも前傾していた。

 それを、人間ではあり得ない筋力をもって、前へ前へと押し出していく。

 

 カーブでの重心移動は丁寧に、スピードのロスを最小限に留める。

 やがて迎えた最終直線で、ジェンティルは──

 

 

 

「フンッ!!!!!!!」

 

 

 

 全力を振り絞る。

 芝の地面が砕け、速度はより一層速く。

 瞬く間に数百mを駆け抜けて、“彼”の前も過ぎ去った。

 

 緩やかに速度を落とし、前髪の乱れを整えながら、歩いてスタート位置に戻る。

 ジェンティルを迎えたのは、穴が開くかと思うほどに強く、熱の込められた眼差し。

 

 

 

「さぁ、ご意見をどうぞ。物申したいと顔に書いてありますわよ?」

 

 

 

 今までにジェンティルの走りを見た人間は、そのほとんどが賞賛するばかり。

 確かに資質の高さは自負する所だが、家の力を恐れて弱点を指摘できないのでは意味がない。

 しかし、“彼”ならば……。

 

 

 

「些かならず、もったいない、ですね」

「……もったいない?」

 

 

 

 予想通りに、予想外の言葉が紡がれる。

 もったいない……という事は、何か無駄になっている部分がある、という事だろうか。

 “彼”がコースの中へと移動するので、ジェンティルも続く。

 立ち止まったのは、ジェンティルがスパートを掛けた辺り。

 

 

 

「ジェンティルさんの力を受け止めきれず、地面が砕けてしまっている。そのせいで、走っている際の上体のブレが大きくなっていました。走りにくかったのではありませんか」

 

 

 

 深く抉れ、剥がれてしまった芝を手に、“彼”は指摘を続けた。

 ……確かに、言われた通りだ。

 地面が砕け、足が沈み込んだ瞬間、わずかにバランスは崩れた。

 けれど、ジェンティルにとっては慣れたもので、すぐに立て直せたはず。

 たった一度、走りを見ただけでそれを見抜いた……?

 

 

 

「ジェンティルさんの力は凄まじい。しかし、それに任せ過ぎている。

 地面が砕けるということは、推進力にできる以上の力を込めてしまっているということ。これは明らかなロスだ。

 加えて、脚への負荷も考えないと。いくら普通の人間より頑丈とはいえ、このパワーでは限界がある。長く現役生活を続けたいのならば、早くからケアを考えた方がいい。

 地面が砕けないギリギリの力加減を覚えて、余剰だった分を他に……。姿勢制御や重心の固定に割り振る事ができれば、走りはもっとよくなるはず。

 そのためにすべきは……」

 

 

 

 いつの間にか口調まで砕け、それでも“彼”は止まらない。

 具体的なトレーニング内容に始まり、それで得られる効果や、効果が出なかった場合・薄かった場合の代替案、などなどなど……。

 その口ぶりはまるで、本物の……ウマ娘のトレーナーのようで。

 

 

 

「“貴方”、何者? これまでの意見、全て理に叶っている。妹さんが本職とはいえ、“貴方”自身も門外漢とは思えませんわ」

 

 

 

 会話が途切れたタイミングで、今度はジェンティルが指摘する。

 ただの警備会社の平社員とは思えない知識量。

 それを即座に、実践可能なレベルのトレーニングに応用する機転。

 経歴と実態の矛盾が、ジェンティルすらをも不気味と思わせた。

 

 しばしの沈黙。

 やがて、“彼”は諦めたかのように空を仰ぐ。

 

 

 

「夢が、あったんだ」

 

 

 

 始まったのは、自分語り。

 一人の男が抱え続けた、ジレンマ。

 

 

 

「ウマ娘のレースに魅せられた者なら、誰もが一度は抱く、子供染みた夢。

 それを自覚した時、自分はもう、それを諦められるくらいには大人だった。

 そして側には、代わりに夢を叶えてくれる存在が居た」

 

 

 

 主語を省略する語り口は、それがジェンティルになら伝わるだろうという、信頼か。

 はたまた……後ろめたさのせいか。

 

 

 

「でも、あの子達が偉業(トリプルティアラ)を達成した時、真っ先に湧き上がったのは喜びでも、賞賛でもない。独りよがりで、身勝手な……醜い嫉妬だった」

 

 

 

 三つのティアラと戴く少女と、その隣に並び立つ存在。

 それを見て、見せつけられて、胸を掻きむしりたくなる衝動が、“彼”を襲った。

 

 どうしてあの場に、自分が居ない。

 あの光景を、特等席で見たかった。

 なんで、諦めてしまったんだ。

 

 

 ……“お前”が、“お前”さえ、居なければ。

 

 

 これが。こんなにも醜い、薄汚い感情が。

 決して誰にも聞かせられない、聞かせたくない、本心。

 

 

 

「そうして、分かったんだ。自分が諦めたふりをしていただけだと」

 

 

 

 “彼”は、知らず握りしめていた拳を開き、手のひらを見つめる。

 赤く残った爪痕が、諦めようとしていた気持ちの重さを。

 それでも手放せなかった渇望の強さを、物語っていた。

 

 

 

「見たい光景がある。まだ誰も見た事のない光景を、誰よりも近い、特等席で……! 君なら……君とだったらそれが──」

「お待ちになって」

 

 

 

 勢い任せに、思いの丈をぶつけようとする“彼”を、ジェンティルは押し留めた。

 それでは駄目。

 それでは、いけない。

 その先に待つ言葉が分かるからこそ、認められない。

 

 

 

「その話をするのに、この場は相応しくありませんわ。そして、まだ“何者でもない貴方”と、する話でもない」

 

 

 

 明確な拒絶。

 “彼”は顔を歪め、音が聞こえそうなほど歯噛みする。

 また拳が強く握られて、放っておけば手のひらを破ってしまいそう。

 

 ああ……。本気、なのだ。

 “彼”は本気で、わたくしを。

 

 ならば、整えなければならない。

 場を。

 装いを。

 そして、“力”を求めうる資格を。

 

 

 

「約束を致しましょう」

「……約束?」

「来るべき春。相応しい場所での、再会の約束を」

 

 

 

 今までに倣うように、ジェンティルも主語を省略した。

 それで通じると、分かっているから。

 

 

 

「その時までに、“真新しい貴方”とお成りなさい。相応しい資格を得なさい。まずは、それからよ」

 

 

 

 警備兵の役目は、貴婦人の周囲を守ること。

 隣に立つなら、また違う役目を担わなければ。

 

 全てを語らないまま、ジェンティルは目でそう語る。

 果たして、それは“彼”の胸に届いたらしく……。

 

 

 

「分かった。約束しよう。……また、春に」

「ええ。春に」

 

 

 

 二人は頷き合い、ここに約束は成された。

 契約ではなく、約束。

 子供染みて聞こえるそれは、しかし未来を予感させた。

 今まで誰も見たことのない──絶景を。

 

 

 

「家の者に送らせます。では、ご機嫌よう」

 

 

 

 優雅に一礼すると、“彼”も礼を返し、背を向ける。

 その背中が見えなくなってから、ようやくジェンティルは頬を緩めた。

 

 

 

「……ふふふ。うふふふっ」

 

 

 

 よもや、“彼”の中にあのような激情が潜んでいようとは、思いもよらなかった。

 褒められる類いのものではないけれど、“彼”はそれを……負の感情をも糧に奮起している。

 かつて父が、そうしたように。

 

 父のようになれるとは思わない。なれるはずがない。

 だがきっと、それでいい。

 ジェンティルが望むのは、父の分身ではなく、“何か”を勝ち取りたいと渇望する者なのだから。

 

 

 

「春を待ち遠しく思うなんて、いつ以来かしら」

 

 

 

 時の流れは万物に等しく、早める事も、遅らせることも叶わない。

 だからこそ、一瞬の輝きは尊く美しいのだろう。

 やがて、春は来る。

 全ての蕾が待ち望む、開花の季節が。

 

 ああ早く。

 早く、走りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケ バレンタイン当日のブエナちゃんとジェンティルさん』

 

 

 

「ブエナさん、今日は一段と上機嫌ね。何か良いことでも?」

「えっ。そ、そうでしょうか?」

 

 

 

 夜のトレセン学園。

 寮での夕食を終え、部屋に戻ったジェンティルは、同じく戻ったばかりのルームメイトにそう尋ねた。

 学年がそもそも違うので、丸一日、ブエナと一緒に居た訳ではないが、少なくとも朝は普通だったように思う。……いや。若干、ソワソワとしている風にも見えた、だろうか。

 それが明らかに上機嫌となっているのに気づいたのは、ジェンティルがトレーニングを終えて、寮に戻ってから。

 日常的に顔を合わせているジェンティルでなくとも、きっと誰でも気づくくらいには、ご機嫌だった。

 

 

 

 

「……実は、食後にチョコを食べようと思っているんですけど、それが楽しみで……」

「ああ、そういえば今日は……。良かったですわね」

「はいっ!」

 

 

 

 縁遠いイベント……というより、今年になってから一層距離を置きたくなったイベントなので、意識から外れていた。

 恐らく、ブエナの大好きなお姉ちゃん……「トレーナーさん」から貰ったのだろう。

 一方的に送りつけられるのではない……。なんの下心もなく、ただ喜んで欲しくて。ただ感謝を伝えたくて、チョコを贈り合う。なんとも愛らしい。

 

 ブエナは満面の笑みでジェンティルに頷くと、机の引き出しに入れておいたらしい、包装された細長い箱を取り出す。

 包装紙が破れないよう、丁寧に包みを開けて。

 中から現れたのは、大粒のホワイトチョコレートだった。

 

 

 

「へぇ。ホワイトチョコですのね」

「そうなんです。お兄さん……私のトレーナーさんのお兄さん、渾身の失敗作です」

「……失敗作?」

 

 

 

 満面の笑みに似つかわしくない、失敗作という表現に、思わず首を傾げるジェンティル。

 聞くところによると、今年のバレンタイン、ブエナは担当トレーナーとチョコケーキを合作し、“彼女”の兄と贈りあったのだとか。

 今や時の人であるブエナの安全に配慮して、トレーナーを介しての受け渡しになり、それが夕方に届いたらしい(お姉ちゃんからのチョコは今日のおやつだった)。

 

 ちなみに、ブエナの人気は学内でも凄まじく、友チョコを渡したいウマ娘が溢れ返っているため、寮長によって制限が設けられていたりする。

 一つ。贈るチョコは量を少なめに、保存が効く物を選ぼう。

 二つ。直接渡したい気持ちも分かるけれど、必ず寮に預けるように。

 三つ。上記を守れなかった子には、お礼の一言メッセージカードは無し。

 これらの制限がしっかり守られているおかげか、大きな混乱もなく、平穏無事にバレンタインを迎えられたのである。

 

 

 

(人気があり過ぎるというのも困りものね。にしても、まめなこと。……わたくしには何も無いのに)

 

 

 

 今さら思い出すが、“彼”はブエナとも親しいのだった。

 妹の担当ウマ娘なのだから、チョコを贈ったとしても、不思議はない。むしろ自然なこと。

 …………ほんの少し。小指の爪がささくれているのと同じ程度には、引っかかるけれど。

 一応は、お見合いをした仲なのだし。

 何かあってもおかしくはないはず、なのだけれども。

 それはそれとして、失敗作……?

 

 

 

「まだ私がうんと小さかった頃の話なんですけど、その頃のお兄さんは、まだお料理が得意じゃなかったみたいで。

 トレーナーさんにねだられたチョコ作りを、盛大に失敗しちゃったらしいんです。

 それで、残った材料をどうにか掻き集めて形にしたのが、このチョコなんです。

 だけど実際に食べてみたら、意外に美味しくて。トレーナーさんの毎年の恒例になったんですよ。

 私はオマケで貰っちゃってるだけ、ですけどね」

 

 

 

 懐かしそうに思い出を語るブエナは、しかしどこか、いつもと雰囲気が違っていた。

 大人びている……。上の空……。物憂げ……?

 その胸中は想像するしかないが、思いを巡らせるジェンティルの眼前に、チョコの箱が差し出される。

 

 

 

「ジェンティルさん。お一つ、いかがですか?」

「え……? ……遠慮しておきますわ。そのチョコはブエナさんに贈られた物でしょう」

「ふふふ。こんな事もあろうかと、多めに作ってくれたみたいなんです。なので、遠慮なくどうぞ。はい、あーん」

 

 

 

 流石に、誰かへのバレンタインチョコを貰う訳には……と首を振るジェンティルだったが、ブエナは笑顔のまま、一粒つまみ上げて。

 

 

 

「……いえ。わたくしは」

「あーん」

「ですから、ブエナさん」

「あーーん」

「…………」

「あーーーん!」

 

 

 

 何故だろう。今日はやけに押しが強い。

 正直に言うと、味は気になる。

 あの約束をしたからには、春まで関わる事も無いのだし、この機会を逃すのも勿体ない気がした。

 ……我ながら、随分と“彼”を気に掛けているという事実が、奇妙だった。

 

 

 

「……では。一つだけ、頂きます」

「はい! じゃあ改めまして、あーん」

 

 

 

 あーんをするのは絶対ですのね……。

 

 抵抗する気も起きず、大人しくチョコを食べさせてもらう事に。

 噛み締めた瞬間に感じたのは、芳醇なカカオの香りと、マカダミアナッツの歯応えだ。

 

 

 

「あら? 意外と……甘さは控えめですのね」

 

 

 

 ホワイトチョコといえば、まろやかな甘み……という先入観があったせいか、強めの苦味に少し驚いた。

 大人向けの甘みと苦味に、バニラの香り、ナッツの歯触りが加わって、結構な食べ応えもある。

 

 

 

「そうなんです。普通のホワイトチョコとは違う特別感があって、美味しいんです!

 ……と言っても、小学生の頃は、まだこの美味しさが分からなかったんですけどね。

 今思うと、一時期のお兄さん、お腹とお顔がプニっとしていた時期があって。きっと、たくさん試作してくれたんだろうなぁ」

 

 

 

 成功した物ならともかく、失敗作のレシピなんて、わざわざ記録していなかったはず。

 素人が、自分の味覚だけでこの味を再現するのは、非常に骨が折れたに違いない。

 

 世界を探せば、きっとこれよりも美味しいチョコはあるだろうし、レシピを渡したなら、ジェンティルの家のお抱えパティシエが、より完璧な逸品に仕上げるだろう。

 でも、それでは再現できない“何か”が、このチョコには込められている気がした。

 多分このチョコレートは、このままでいい。このままがいい。

 

 ……ところで。

 どうしてブエナは、まだジェンティルを見つめているのか。

 その瞳が、『もう一つどうですか?』と言っている気がするのは、何故なのか。

 本当に、この子ったら……。

 

 

 

「……もう一つだけ、頂いても良いかしら?」

「はいっ。一つだけと言わず、一緒に食べましょう! あ、ホットミルク、用意しますね。このチョコにすっごく合うんですよ」

「でしたら、わたくしが。せめて、その位はさせて下さいまし」

 

 

 

 どうにもブエナのおねだりには弱く、二人でチョコを頂くことに。

 期せずして、“彼”からのバレンタインチョコを受け取ったジェンティルだが、その微笑みはいつになく、穏やかなものだった。

 

 

 







 ブエナちゃんやジェンティルさんを始めとするお牝馬のおブルマ姿にはいつもおtntnがおirirするのでツヅキデス(ミシリミシリ)。
 え? ヒロインはブエナちゃんじゃないのかって?
 何を仰るウサギさん。もちろんブエナちゃんはヒロインですが、ヒロインが一人とは言ってませんから。じぇんちるさんのヒロインぢからに震えろ。

 次回、春来たる。

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