ブエナビスタのお姉ちゃんのお兄さん   作:幼馴染にされたネクパイ

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二度目の春

 

 

 春。誰もが待ち望む、開花の季節。

 それを間近に控えた3月は、あるものにとっては締めくくりの時期でもあり、またあるものにとっては、戦いを予感させる時期となる。

 だが、現役ウマ娘とトレーナーがすべき事は変わらず。

 

 

 

「はぁぁあああっ!!」

 

 

 

 トレーニングコースを駆けるヴィルシーナにとっても、そうだった。

 1600m、右回り──桜花賞を想定した走りを終え、乱れた呼吸を整えながら、駆け寄ってくるトレーナーに尋ねる。

 

 

 

「はぁ……はぁ……! トレーナーさん、タイムは……?」

「自己べ更新! いい具合いに仕上がって来てるよ! さっすがアタシの愛バ!」

「……もう。あまり、おだてないで下さい」

 

 

 

 大きく歯を見せての笑顔に、ヴィルシーナは苦笑いしつつも、嫌な気分ではなかった。

 ティアラ路線の初戦、桜花賞は4月に開催される。

 文字通り、桜の季節に、桜の女王を決めるために戦う訳だが、言葉の華やかさと裏腹に、結果を左右するのは、流した汗の多さ。

 普通のウマ娘なら根を上げる強度のトレーニングを続けた成果は、しっかりタイムに表れていた。

 

 

 

「いやぁ、でも実際さ? これだけのトレーニングをしっかりこなして、自分の力に出来るっているのはズゴイ事なんだよ。もっと自分を褒めていこーよ!」

「いいえ。油断は禁物です。最後の最後まで、詰めていきます……!」

「そぉ……? もちろん付き合うけど、キチンと休憩も取らなきゃダメだかんね? はい、水分補給ー!」

「ありがとうございます」

 

 

 

 スポーツドリンクのボトルを受け取り、しかし褒め言葉は受け流すヴィルシーナの脳裏に浮かぶ、“あの”背中。

 地力が高い癖に、成長曲線まで急カーブを描くジェンティルドンナを、確実に打ち倒すには、まだ……足りない。ギリギリまで調整を続けて、やっと届くかどうか……。

 悔しいけれど、それが現実。ならば受け止め、差を埋めるだけ。

 

 

 

「そう言えば、なんだけどさ」

「はい。なんでしょう」

「……えっと」

 

 

 

 やっとドリンクに口をつけるヴィルシーナに、トレーナーは何故だか、言葉を濁らせた。

 いつもはとにかく正直で、歯が浮くような褒め言葉でも遠慮なく言い放つのに、珍しい。

 思わず小首を傾げていると、彼女は意を決したように口を開いた。

 

 

 

「ヴィルシーナさ……。“あいつ”と……ジェンティルドンナのトレーナーと……つ、付き合ってんの……?」

「ブッッッッッ!?」

「んびァ!?」

 

 

 

 二口目のドリンクが、ヴィルシーナの口から噴射される。

 流石に回避できず、トレーナーも顔面で受け止めてしまった。

 

 付き合う……付き合う……? 私と“彼”が……恋人……!?

 

 

 

「ゲホッ、ゴホゴホ……ッ! ななななななな、何を言うんですかいきなり!?」

「だ、だって、なんかそういう噂がさぁ……うへぇビッチョリ……」

「あっ。ご、ごめんなさいっ、私ったら、なんてはしたない……!」

 

 

 

 ようやくスポドリを噴射した事に気付き、慌ててトレーナーの顔をタオルで拭う。正確には、メイクが崩れないよう、押し当てて水分を吸わせる形だ。

 なお、トレーナーの聞いた噂は間違っており、実際には兄と姉の会を見たウマ娘が、「アレってさ、まるで付き合ってるように見える……けど、ただの妹自慢大会だよね」と言ったのを、早とちりしているだけである。

 妹スキー定期。

 

 

 

「そうですか。あの集まりを見られていたんですね……。でも、“彼”とはそういった関係ではありません。ただ純粋に、同じく妹の居る立場の者として、談笑しているだけです」

「……けど。けどさぁ、じゃあアレは? バレンタインの時期にさ、明らかにチョコっぽいの貰ってたじゃん!」

「うっ。そ、それも見ていたんですか……!?」

「だって気になったんだもん……。担当が、他のトレーナーとめっちゃ楽しそうにしてるとかさ……。羨ましくて、妬ましくて……」

 

 

 

 しゅん、となるトレーナーに姉モードが刺激されつつも、ヴィルシーナは頭を抱えた。

 よもや、そんな噂が流れているだなんて。

 “彼”は良い人だ。

 妹さんへの想いも然る事ながら、細やかな気遣いもしてくれるし、何より感性が近く、話していてとても楽しい。

 ……けれど。恋人というのは、その。まだ早い気がするのである。

 

 余談だが、この早とちりが誤解だと判明する日は、ついぞ訪れなかったらしい。

 なんだかんだ、似た物同士なのだろう。

 

 

 

「あれは、妹さんへのバレンタインチョコの、試作品を頂いただけです。レシピを変えるかどうか、悩んでいるとの事だったので」

「へぇー。じゃあ手作りだったんだ。料理するなんて知らんかった……」

 

 

 

 思い返すのは一ヵ月ほど前。バレンタインも間近に控えた、兄と姉の会にて。

『他人の手作りのお菓子って、君は食べられるかい?』という“彼”の問いに、顔見知りであれば……と、無難に返した事がきっかけだ。

 

 なんでも、昔から妹さんへとバレンタインチョコを用意していたのだが、トレーナーになってからというもの、栄養学に基づいた、より健康的なレシピに変えるべきだろうか……と悩んでいるようだった。

 とりあえず、試しに作ったらしい新レシピのチョコを味わいつつ、ヴィルシーナは「変わらない方が嬉しい事も、あると思いますよ」と所感を述べる。

 自分のために色々と考え、工夫してくれるのは、確かに嬉しい。

 けれども、年に一度の特別な日。今まで通りの、いつもの味が食べられないというのは、少なからず残念に思ってしまうのでは? と思ったのだ。

 

 結局のところ、バレンタインにはいつものレシピのチョコを用意して、ついでに新しいレシピの物も少し用意し、食べ比べてもらおう……という形に落ち着いた。

 一応、試作品とはいえチョコを貰ってしまったので、ホワイトデーにお礼を……と申し出たが、あくまで試作品だからと辞退された。

 そのかわり、来年はお互いに義理チョコならぬ、同志チョコを用意しようと約束した。どんな物をプレゼントするか、今から考えておかねば。

 

 

 

「あまり“彼”とは話さないんですか? せっかくの同期ですのに」

「ん〜……。つーか“あいつ”、同期ん中でめっちゃ浮いてるんだよね。かなり歳上だし、初の担当が“あの”ジェンティルドンナで、しかも去年の会見! 見てて『うわコイツ怖っ』ってなったもん」

 

 

 

 それはさて置き、話の主題は“彼”そのものへと移る。

 トレーナーが語るには、業務連絡程度なら普通に話せるが、親しい友人は居なさそう……という印象だとか。

 遅咲きのトレーナーは珍しくないけれど、その一年目で超有望株のウマ娘と契約。

 しかもそれが超絶お嬢様なのに、年末年始の3連戦だなんて無茶ローテを組んで、苦言を呈す記者達も意に介さず、3連勝という結果を突きつけた。

 

 妹は妹で、初担当の幼馴染みウマ娘とトリプルティアラを取っているし、「コイツら化け物かよ」というのが、それぞれの同期の共通見解だ。

 なまじ結果を出しているだけに、近寄りがたいのである。

 

 

 

「“彼”はそんな人じゃ……。とても優しくて、家族想いで。話しやすい方ですよ? トレーナーさんも、実際に話せば分かると思います」

「そうかなぁー? でも、あんま仲良くなるのもなぁー。ぶっちゃけライバルな訳だし」

「それは……」

 

 

 

 今まで擁護していたヴィルシーナも、それを言われては何も返せなかった。

 ヴィルシーナと、“彼”の担当であるジェンティルドンナは、同じものを──トリプルティアラを目指しているのだから。

 

 4月の桜花賞、5月のオークス、10月の秋華賞。3つのティアラからなるトリプルティアラを達成したのは、過去に“3名”。

 名高き血筋を証明した、メジロラモーヌ。電撃引退が物議を醸した、スティルインラブ。そして、先に挙げたブエナビスタだ。

 次に名を連ねるのは一体誰なのか、多くが期待を寄せている。

 

 その筆頭と目される、ヴィルシーナとジェンティルドンナの衝突は必至。

 元より良好な関係ではないが、今さら馴れ合うのもまた不可能。

 兄と姉の会だって、クラシック級では控えめになるだろうと、二人で残念がっていた。

 

 

 

「華の女子学生なんだもん、いっぱい友達作って、恋愛だってしていいと思う。

 ……でも、レースの勝者は一人だけ。誰かと分け合う事なんて、できないんだよ」

 

 

 

 いつになく真剣で、重いトーンの声。

 トレーナーの表情も硬く、普段は軽い言動の彼女が、どれだけ本気で臨んでいるのか伝わってくる。

 ああ、この表情だ。

 この表情を信じて……信じたくて、ヴィルシーナは担当契約を結んだのだ。

 

 

 

「心得ています。女王として、ティアラを戴くのは私。あの方には絶対、譲りませんわ……!」

「……いいじゃん、その表情。めちゃカッコいい。トリプルティアラ、いったるぞぉー!」

「はいっ!」

 

 

 

 いつもの調子に戻ったトレーナーだが、ヴィルシーナとしては背筋を正される想いだった。

 来るべき春。

 この人と共に、桜のティアラを、必ず……!

 

 まぁ、それはそれとして。

 

 

 

「……でも、トレーナーさん? 私、まだ恋愛には興味ありませんので。全力を注ぐのは、レースと妹達だけになるかと思いますよ」

「えーほんとー? それはそれで寂しくなーい? どんな男が好みか、とかくらいはあるっしょー? ほらほら言っちゃいなよー」

「な、ないです、そんなのっ! ほら、トレーニングを再開しましょう!」

「はーい。じゃあ次は……」

 

 

 

 休憩を終えた二人は、真剣に、けれど同時に和気藹々と、トレーニングへ向かう。

 今はまだ蕾である少女が、花咲くのはいつになるのか。

 果たして、三女神の祝福を得られるのか。

 未来は誰にも、分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オマケという名の本編 しゃるうぃだんす?』

 

 

 

 3月。

 学期末であるトレセン学園は、様々な意味で盛り上がる。

 廊下に貼り出されたポスターも、それを証明する一つであった。

 

 

 

「リーニュ・ドロワット……。もうそんな時期か」

 

 

 

 ジェンティルと連れ立って、屋内のトレーニングルームへと向かう途中、“彼”は感慨深く呟いた。

 春のファン感謝祭と同時期に催される、区切りのダンスイベント。

 主役は主に卒業生となるが、基本的には参加自由の、華やかなイベントである。

 

 

 

「あら。ダンスに興味が?」

「そういう訳じゃないさ。みんな楽しそうだなと思って」

 

 

 

 忙しそうに準備に走り回るウマ娘は、出走レースなどの合間を縫って時間を捻出しているはずだが、表情はとても明るく、リーニュ・ドロワット──ドロワを楽しみにしているのが伝わってきた。

 このイベントの特徴は、ペアを組む相手……デートを選ぶという手順にある。

 自分に相応しい相手、自分をより輝かせてくれる相手を、時にはレースで勝負してでも勝ち取り、たった一夜、咲き誇る花のように踊るのだ。

 

 

 

「そういえば、“貴方”は踊れるのかしら」

「いいや、ほとんど踊れないけど。そもそも、踊るような機会なんて、一般人にはそうそうないよ」

 

 

 

 ジェンティルの何気ない問いに、“彼”は正直に答える。

 ドロワで踊るダンスの種類に制限はないが、基本的には社交ダンスにおけるスタンダード、いわゆるワルツが選ばれる事が多い。

 トレセン学園においては必須科目であるダンスも、“彼”の学園生活ではフォークダンスくらいしか縁がなく、社会に出てからも触れる機会は無かった。

 全く踊れないという訳ではないけれど、人前で披露するには相応の時間が必要だろう。

 

 ごく一般的な成人男性の返答であろうが、しかし。

 隣を歩くジェンティルは、わずかに眉を寄せるのだった

 

 

 

「由々しき問題ですわね」

「へ。なんで?」

「よく考えてごらんなさい。“貴方”はわたくしのトレーナーで、わたくしは社交界にも顔を出す機会があります。そして、今後もっと増えるでしょう」

「……え、まさか……」

 

 

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けるジェンティルの生家は、その勢力を様々な方向に伸ばしている。

 中でも、政財界の人物との繋がりを得るには、大規模なパーティーも開かれた。

 そこでは文字通りの社交ダンスが踊られる場合も多く、ジェンティル自身も経験がある。

 

 そんなジェンティルのトレーナーが、踊れない。

 恐らくは今後、パーティーに出席させられる機会も出てくるだろう“彼”が、踊れない。

 これは問題だ。克服すべき課題だ。

 であれば、やる事は一つ。

 

 

 

「特訓、しましょうか」

 

 

 

 にっこり。

 優しく(獰猛に)微笑むジェンティル。

 “彼”の頬を、冷や汗が伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──8、9、9、9、9、10。そこまで」

「っっっはぁぁあああ……!」

 

 

 

 やっと、ようやく、どうにかこうにか、10へと到達したカウントに合わせ、“彼”は崩れ落ちた。

 ジャージに着替え(させられ)、午後のトレーニングを潰して行われているのは、スクワットでの体力チェックである。

 普段と立場を入れ替えて行われるこれは、トレーニングルームではなくダンススタジオ……壁が鏡張りになっている部屋で敢行されている。

 他にもダンス練習に勤しむウマ娘達が居たが、ジャージ姿のジェンティルが顔を見せた瞬間、モーセの十戒が如くスペースが開いた。

 そのスペースで行われたのが“彼”のスクワットだったので、今度は「何してんだろ?」といった感じで見られている。だいぶ恥ずかしい。

 

 

 

「な、なんでダンスの特訓で、こんな……」

「一見、軽やかで優雅に見えるダンスも、実際は体力勝負。最低限の運動能力がないと、話になりませんわ。これなら合格でしょう。本音を言うと、もっと鍛えたいところですが」

 

 

 

 息を整える“彼”に、ジェンティルは含み笑いを向けた。

 最初は普通にカウントが進んだのに、2セット目では途中でストップさせながら5分。3セット目になるとカウントダウンまで交えつつの10分。

 スパルタンなトレーナーの素質まで持ち合わせる担当に、心の中で慄く“彼”であった。

 キチンと人間向けに手加減している辺りが、尚のこと怖い。

 

 

 

「クールダウンが済んだら、さっそく始めましょうか。まずはわたくしが男性役(リード)をしますから、流れに身を任せて頂ければ、すぐに慣れますわ」

「……本当にやるのか?」

「当然。それとも、貴婦人からのダンスの誘いを袖にすると?」

「う……」

 

 

 

 もはや断れる雰囲気でもなく、“彼”はジェンティルトレーナーの指示に従う事にする。

 やっと立ち上がれるまで回復した後、基本のステップを見せて貰ってから、いよいよ練習が始まった。

 

 

 

「さぁ、手を」

「…………」

 

 

 

 両腕を広げ、少し背を逸らすような体勢で、“彼”を待つジェンティル。

 ペアダンスの練習なのだから、ペアを組むのは当然なのだが、どうしても“彼”は躊躇ってしまう。

 右手を女性の背中に回し、左手は重ね合わせ、二人の体を平行させる。

 文字にするなら容易いこれを、実際に自分がするとなると、妙に恥ずかしさが勝ってしまう。

 

 

 

「もっと体を寄せて。離れ過ぎよ」

「え、もっと? ……こ、こうかな」

「……全く。このくらいですわ」

「──ッ!?」

 

 

 

 呆れた、といった溜め息が消える間も無く、ジェンティルとの距離が詰まる。

 勢いがついたせいか、大胸筋が“彼”の胸板に押し当てられた。

 大胸筋。そう、大胸筋である。

 例えそれが、「むにゅん」とか「ぷにょん」などといった擬音が似合う程に柔らかくとも、あくまで大胸筋。間違いなく大胸筋なのである。

 コンプライアンス違反は発生していないので、どうか御安心いただきたい。

 

 しかし何故だろうか。

 単に大胸筋を押しつけられただけだというのに、“彼”の全身は石のように硬直し、動けなくなってしまった。

 

 

 

「……ちょっと。そんなに体に力を入れたら」

「ごめんタンマちょっと離れてジャスタモーメンっ」

 

 

 

 かと思えば、逃げるようにジェンティルから距離を取り、スタジオの隅で正座。

 壁に向かって大きく深呼吸し始める。

 

 

 

「スゥぅぅぅぅ……ハァァぁぁぁ……色即是空……空即是色……六根清浄……六根清浄ぉぉぉ……」

 

 

 

 きっと、藁にも縋る気持ちなのだろう“彼”は、修行僧が唱えそうな言葉をブツブツと。

 普段はしないワードチョイスだった辺り、本当に余裕がないようだ。

 再び立ち上がったのは、しっかり1分ほど経過してからだった。

 

 

 

「おほん。も、もう大丈夫。……だと思う」

「……“貴方”、意外と初心ですのね」

「しっ、仕方ないじゃないか! そういう事に、縁遠い人生だったんだ……」

 

 

 

 ここまで大きな反応をされれば、流石に誰でも分かる。“彼”は女性に慣れていない。

 学生時代から妹第一生活を送り、就職してもそれは変わらず、支えてくれるような物好きな女性も現れなかった。夜の店にも興味を持てなかったのだから、仕方ないか。

 それに、だらしなく鼻の下を伸ばされるよりは、照れてドギマギされる方が、ジェンティルとしては好ましい反応だった。

 歳上の“彼”に対して、可愛らしいという感想を抱くくらいには。

 

 

 

「こういった事は、とにかく数をこなして慣れるしかありませんわ。続けましょう」

「わ、分かった……!」

 

 

 

 ひとまず、“彼”の女性遍歴は置いておくとして、今の課題はペアを組むのに慣れること。

 まずはジェンティルに慣れてもらい、最低限、ステップを踏める程度にならねば。

 という訳で、練習を続ける二人だったが……。

 

 

 

「……由々しき問題ですわね……」

「……面目ない……」

 

 

 

 なんと30分経っても、“彼”の反応は変わらなかった。

 一応、ステップは踏めるのだが、まだまだ慣れておらず、不意に動きが乱れ、触れ合う面接が増えた瞬間、体が硬直してしまうのだ。

 これにはジェンティルも困ってしまい、周囲のウマ娘達の視線も、「ジェンティルさん凄いもんねぇ」「しょうがないよねぇ」と、生暖かくなって来ている。

 ……まぁ、“彼”の反応が面白く、時折、わざと当てに行ったのも悪かった……かも知れないが。

 

 

 

「いっそ、専門のレッスンを受けて貰った方が早そうですわね」

「いやいやいや、そこまでする時間も金も無いし……今は桜花賞に集中しないと。ダンスの練習はこのくらいに……」

「そうはいきませんわ。むしろ、今でないと時間を取れないかも……。わたくしをエスコートする役目を、他の殿方に譲るというのであれば、ここまでにしますが」

「うぐ……」

 

 

 

 ちょっと意地悪な言い方をすると、“彼”もまだトレーナーとしての……いや、男としての矜持を捨てていなかったようで、口をつぐむ。

 よほど信頼できる相手ならば別だろうけれど、特に理由もなく、ただ踊れないからと誰かにエスコートを任せてしまうのは……少々、寂しい。

 ここは“彼”に奮起して貰いたいところだが……。

 

 

 

「話は聞かせて貰ったわ!」

 

 

 

 そんな時、唐突にダンスルームへと乱入者が。

 鼻息荒く入ってきたのは、“彼”の妹……ブエナビスタのトレーナーであった。

 

 

 

「お、お前、いつから見てた!?」

「じゃすたもーめん、の、だいぶ前から?」

「ほぼ最初からかよ暇人め……!」

「そんな事より、兄さんのダンスレッスンの相手、私が連れて来ましょう!」

「は? なんで?」

「いいから任せて! しからば御免!」

 

 

 

 言うが早いか、一目散に駆けていく“彼女”。

 思わず顔を見合わせ、二人そろって困惑するばかりだ。

 

 

 

「……妙なテンションでしたわね」

「嫌な予感がする……」

 

 

 

 普段は真面目でしっかり者だが、時々、変な風にはっちゃける癖を持つ“彼女”が、張り切っている。

 最近は大人しくしていたからこそ、不安が隠せない。

 しかしながら……。

 

 

 

「お、お待たせしました……!」

「あの……? お兄さんが大変だって聞いて来たんですけど……?」

 

 

 

 たった数分で“彼女”が連れてきたのは、逆にとても不安そうな顔をするブエナビスタだった。

 休養日に自主練していた所を、ほとんど説明無しで連れて来られたのだから、不安になるのも当然だ。

 そんなブエナに、“彼女”はヒソヒソと耳打ちする。

 

 

 

(いい? ブエナ。このピンチを打開するには、状況を利用するのが大切だよ)

(ピンチって……どういうこと? そもそも、今の状況がよく分からないのに……)

(ジェンティルドンナをよく見て)

(ジェンティルさんを……?)

 

 

 

 全くもって事態が把握できないまま、言われた通りにジェンティルを見やる。

 上下を学園指定のジャージに包み、ただ立っているだけの彼女だが、風格があった。

 それだけでなく、ブエナでも羨ましくなるほどの、抜群のプロポーションはとても隠しきれず、着飾れば当然、皆の視線を浚うだろう。

 

 

 

(あの超火力を、ダンスレッスンという面目で押し付け続けたら、流石の兄さんだってルパンダイブ不可避だよ! 既成事実を作られたら、そこで試合終了なんだよ……っ!)

(ちょ、超火力? ルパンダイブ? え? 既成……えっ?)

 

 

 

 ブエナは困惑したまま、“彼”とジェンティルの間で視線を右往左往させる。

 とりあえず理解できたのは、二人がダンスレッスンをしていた、ということ。

 時期を考えると、リーニュ・ドロワットの練習だろうか?

 

 ……“彼”と、ジェンティルが、ダンス。

 …………背中に腕を回して。手を握り締めて。体を、密着させて。

 ………………あれ。なんでだろう。また胸が、ザワザワする。

 

 

 

「なぁ、もしかしなくても、レッスンの相手ってエナちゃんか? 嫌がってるみたいだし、無理強いは良くないぞ」

「い、嫌じゃないですっ!!」

「へっ」

「……あ。その……私で、お役に立てるなら……頑張ります!」

「……そ、そうかい?」

 

 

 

 気がつくと、声を張り上げていた。

 ブエナ自身も驚いているが、周囲のウマ娘も「おやおやぁ?」「これはもしやぁ?」「面白くなってきやがったぜぇ……!」と目を輝かせだしていた。

 一方でジェンティルは冷静に、ブエナが適切な練習相手かを確かめる。

 

 

 

「ブエナさん、ペアダンスの経験は?」

「ドロワに出るお友達の練習に付き合って、何度か……」

「であれば、基本は問題なさそうですわね。申し訳ありませんが、“彼”のお相手をお願いします」

「……分かりました」

 

 

 

 鷹揚にかまえるジェンティルと、少し表情の硬いブエナ。

 相対する様は、まるで龍虎図。

 言葉では言い表せない緊張感が漂っていた。

 

 

 

「それじゃあ、お兄さん。よろしくお願いします」

「お、お願いします」

 

 

 

 ブエナは“彼”の前に立ち、腕を広げる。

 “彼”は……少しだけ戸惑うように視線を彷徨わせ、やがて覚悟を決めたか、ブエナの背中に腕を回し、そっと手を握った。

 

 

 

「右手の位置が高いですわ。もっと下……肩甲骨の辺りを意識なさって」

「あ、ああ」

「慣れる事が優先ですので、背は逸らし過ぎないように。体幹を整えて、視線は進む方向へ。用意……始め」

 

 

 

 細かい指示を受けた後、スタジオに流れ続けている音楽に合わせて、ブエナ達はステップを踏み出した。

 “彼”は左脚の予備歩から右脚、左脚と踏み出し、左脚へと右脚を近づけつつ、体の向きを変える。

 ブエナはそれに合わせて、予備歩、左脚、右脚と下がるようにして、右脚へと左脚を添える。

 ナチュラルターンと呼ばれるこれを、90度角に曲がりながら繰り返すのが、ボックスというペアダンスの基礎練習である。

 

 意外にも、“彼”のステップは淀みなく、単純なステップの繰り返しではあったが、しっかりと踏み込めていた。

 むしろ、違和感を覚えたのはブエナの方で。

 

 

 

(……あれ? この視点も、前にどこかで……)

 

 

 

 前は、いつだっただろうか。

 ……そうだ。クラシック級の冬に、“彼女”の計画したデートの時。

 あの時と同じような既視感を、また覚えたのだ。

 とても近く、正面から“彼”を見上げる、この距離感を、知っている。

 

 

 

(でもなんだか……表情が違うような……? 照れて、くれてる……のかな……)

 

 

 

 ただ、今回は明らかに違うと感じた部分があり、それは“彼”の表情だった。

 進む方向を見ながらも、頬が緊張感に強張っているような……。

 もしそれが、ブエナに対しての、照れだったなら。

 もし、そうなら。

 ……重ねた手が、むず痒い。

 

 

 

「お兄さんの手、おっきいね」

「そ、そうかな。エナちゃんも……あの頃に比べると、成長したね。背が高くなったし、歩幅も無理なく合わせられるようになってる」

 

 

 

 少し余裕が出てきたらしく、ブエナの声にも返事をくれた。

 “彼”が言うあの頃とは、何時の事だろう?

 出会ったばかりの頃……だと小さすぎる。

 トレセン学園に入学してからでは、もう疎遠になっている。

 それまでの間の思い出が、何故だか、希薄だった。

 

 

 

(私、なんで忘れちゃってるんだろ。……思い出したいなぁ)

 

 

 

 何か大きな出来事があれば、覚えているはずなのに。

 “彼女”との……お姉ちゃんとの思い出は、鮮明に思い出せるのに。

 この差が、もどかしくて……悔しくて。

 そんな事を考えていたからだろう、ブエナのステップが乱れてしまった。

 

 

 

「あっ」

「……っ!?」

 

 

 

 ぽすん、と“彼”の胸に収まるブエナ。ステップも完全に止まってしまう。

 ブエナは気づいていないが、背後では“彼女”が「ナイスブエナ!」とガッツポーズを取り、観客のウマ娘も「キター!」と小さく歓声を上げ、ジェンティルの頬はわずかに引き攣った。

 時が止まったような、停滞。

 音楽だけが流れ続ける中、ジャージ越しの体温を感じていたブエナは、ようやく“彼”の腕の中から抜け出す。

 

 

 

「ご、ごめんなさ……お兄さん?」

「…………」

 

 

 

 が、見上げる“彼”は、顔面蒼白だった。

 まるで、この世の全てに絶望したかの様な、悲しい表情。

 

 

 

「──俺は」

 

 

 

 呟く声も、寒さに震えて聞こえるほど。

 一体どうしたのか、ブエナが心配になったのも束の間。

 

 

 

「俺は最低だぁぁあああっ!!」

「ちょっ、兄さん!? どこ行くのっ?」

 

 

 

 一転して顔を真っ赤にした“彼”は、ダンススタジオから逃げ出した。

 周囲から「あー……」と残念そうな声が上がり、このシチュエーションコント……もとい、ダンスレッスンも、終了の気配を伺わせる。

 

 

 

「ど、どうしよう、私が失敗しちゃったから……?」

「いいえ。ブエナさんのせいではありませんわ。……本当に、困った人ですこと」

 

 

 

 どこまでも純粋なブエナは、“彼”の逃走理由を察せず、不安げに狼狽えて。

 それを慰めるジェンティルはというと、大きく溜め息をつきながら、どこか楽しそうにも見えるのだった。

 

 






 あれれー? おかしいぞー? 本編よりもオマケの方が長くなってる気がするー。
 ……筆が乗ったんじゃい仕方ねぇべさ!!

 あの反応でお分かりだと思いますが、あえてここで、明言させて頂きます。
 お兄さんは童貞です。彼女居ない歴=年齢です。
 そんなお兄さんが、ジェンティルさんみたいなボン! キュッ! ボン! なプロポーションを「当ててんのよ」された上、今まで妹として扱ってきた子の育ち具合いをラッキースケベされたら、そりゃあキャパいでしょうよ。
 余談ですが、お兄さんはこの後、某カワイイの伝道師のお兄ちゃんに弟子入りし、煩悩退散の術を学んだとか。
 でもなー。それで耐えられるの卒業式の夜までだと思うんだよなー。場合によってはその前に逆ウマぴょいされそうな気もするなー。でもまーいっかー。

 という訳で、じぇんちるさんやブエナちゃんの大胸筋を「当ててんのよ」されたくてtntnがirirするので続きます。
 次回、夏本番。

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