血・鉄・権謀   作:帝国軍司令部付研究監査群

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知らぬ者を信じる者は優れた事だが,信じられぬ者を信じる事ほど愚かな事はない。
そして帝国に馴染まぬ者は傲慢な者で,傲慢な者は信じられぬ者である。

統一帝国秘密警察長官兼ハイドリヒ侯爵家当主
エレオノーレ・エリザベート・フォン・ハイドリヒ保安大将



貴方に捧ぐコンツェルト

空は澄み渡り,雲一つない晴天の中少年達がヴァザンティン帝国憲兵保全局第2課 本部から解き放たれようとしていた。

 

「少尉,ちょっとこれをリリースしてきてくれ」

地下牢にて凄まじい帝国の闇を改めて見せつけられたアルサラーンの口から思わず戸惑いが零れた。

「えっと…処刑命令でしょうか?」

猿轡を噛まされ,縛られた少年たちがプルプルと目を見開いて震えている様子を見て,オスマンはこれ見よがしにため息を吐くと呆れた目線を向けた。

アルサラーンがどう思って居るのかは大体わかるが,何も憲兵保全局は飢えた犬ではないのだ。

どの相手をいつ噛み殺すかについての分別は当然備えている。

「やれやれ 釈放だよ,釈放。

お子様には恐怖を植え付けて教育してやっただけで十分だ,自由にしてやれ」

 

「例の保安将校殿には?確認せずとも?」

 

至極どうでも良さげにオスマンは答えた。

 

「ご自由に」

 

それを見て試されていると気付いたアルサラーンは参謀本部より派遣された保安将校にも情報共有をしておこうと心に留めた。

 

 

その時ちょうどホールのドアが開かれる。

 

「来客です。

オスメト軍曹と……」

オスマンは穏やかな笑みを作ると,勇者を出迎えた。

「待っていたぞ,ようこそ軍曹」

 

軍曹とハグを交わし,肩を叩く。

そしてアルサラーンに顔を向けた。

 

「少尉 例の釈放組だが早めに出しておいてくれ。

こんなめでたい日だ,ゴミは早めに捨てておきたい」

 

アルサラーンは敬礼をするとそそくさと数名の少年達を街中へ放り出しに行った。

 

オスマンはそれを眺めた後に懐から兵隊タバコを一本差し出す。

 

「取りあえずケナトルの下についてくれ。

期待しても?」

 

問いかけと思えない問いかけにオスメトは右手を心臓のあたりに当てて穏やかに,そしてしっかりと答えた。

 

 

「働きで証明できれば」

 

「義務を果たした勇者はこれだから良い!

ひとまずはここに馴染むように」

 

豪快な笑みを浮かべたオスマンに兵隊タバコを受け取ったオスメト軍曹は歴戦の兵卒の笑みを久方ぶりに取り戻せた。

 

 

「はっ!」

オスメトはタバコを口に咥え,精悍な笑みと敬礼を返す。

 

 

オスマンは一人頼れる勇者を手に入れた。

 

 

 

ーーーーーー

ヴァザンティン帝国憲兵保全局第2課 本部 酒保近くの廊下

 

煙草の箱を買い溜めした一人の兵士が財布を覗いて諦観のため息を吐いていた。

「はぁ…。

ほんと最近は給料が紙くずになって辛い……」

 

そこに同じく煙草を四箱買いに来ていたオスメトが声をかけた。

 

「おや 准尉殿も?」

 

「そうですよ。

…月31万に特技手当が7万。

勤務手当と危険手当が別途7万で月収45万アクチェです。

出動手当は別といってもこの金額で何を買えと?」

 

「普通に買えば兵隊煙草でひと箱が安くても5万はしますからね……。

全く世知辛い世の中ですね」

 

 

「えぇ,ほんと酒保が公定価格通りでよかったですよ……」

 

煙草の入った箱をトントンと叩いてから買いたての煙草を一箱開け,一本咥えてマッチの火を使う。

早速一本吸い始めた准尉はぼやきながら返答した。

 

 

 

国が給与を満足に払えない。

そして軍に勤める公務員という特性上,兵隊は賄賂の受け取りや,物資の横流し等の汚職に手を染めるか犯罪行為に加担する他に道はない。

最もバレる心配はない。

バレても監査官まで買収して仲間にして仕舞えば良いのだから。

最もそんなことが横行しているヴァザンティン帝国軍だが,その実兵士が贅沢をしたいが為では無くそんな事をしないと生きていけないという辺り全く笑えない現実であった。

 

 

全く笑えない話題について辛気臭そうにしている男二人の前に,参謀本部より出向してきた保安将校と任官したてのアルサラーン少尉が話しながら近づいていた。

 

「ですから関係性の薄い子供を拘束し続ける理由が……」

 

「事後報告でよいと!共同調査で?」

 

 

「小官は実行者です。

判断を下す立場には…」

 

くってかかる階級が上の上位者にアルサラーンは申し訳なさそうに返すことしか出来ない。

 

「貴官を咎めても仕方ないか……。

よろしい了解した。

オスマン少佐に改めて......」

 

 

その時大尉に准尉の肩章を付けた兵士が贅沢にも煙草をふかしているのが目につく。

准尉という事は兵卒上がりの下士官が嗜好品を楽しんでいるのである。

給与が生きてけるか怪しい程に低い筈の下士官がである。

 

鼻につくその独特の臭いを嗅いだ大尉は思わず黙り込んだ後に,羨ましい心と妬ましさを抑えながらぽつりと呟いた。

 

「……保全局は実にお大尽な事だな」

 

「大尉殿?」

 

「いや何,このご時世だからな。

少々口元が寂しくてね」

 

大尉は歩きを止めずに自虐混じりの苦笑いを新人士官に向けた。

 

その顔にはほのかに哀愁が漂っている。

 

 

准尉が大尉に声をかけた。

「あぁ大尉殿もヘビースモーカーですか」

 

大尉の足がスッと止まる。

 

「金欠には勝てんのでいまやちびちびとな…」

 

准尉は黙って懐から取り出した煙草の箱の口を大尉に差し出した。

大尉は遠慮がちに箱から頭を見せる煙草を眺める。

 

「准尉,気持ちはありがたいが……構わないのか?」

 

「大尉,大丈夫です」

 

筒状の携帯灰皿に指で持てなくなるほど短くなった煙草を入れて蓋を閉める。

そして親指を丁度一人の兵士が訪れている酒保に向けた。

「そこの酒保,定価で売ってくれます」

そして二本目の煙草にマッチで火を付けた。

 

「……………あるところにはあるもんか」

ゆっくりとした呼吸で煙を吸い…………大尉は煙と共に呆れ声を出した。

 

というわけで廊下の隅で,のんびりと低温で紙煙草を燃焼させ,風味を楽しみながら3人の男達は一息ついていた。

 

 

凄まじい量の煙と臭いに涙が出そうになるのを堪えながらアルサラーンは先達の会話に混じる。

「ところで准尉。

その………なぜそんなに煙草を?」

 

まさか横流しだろうか。

暇さえあれば煙草を吸っている印象のある准尉にアルサラーンは疑問を持った。

 

新人士官の問いかけにプカプカと煙草を吸いながら准尉は答える。

「チェーンスモーカーでして。

吸えない時に備えて吸いだめを,と」

 

そして箱から本日16本目になる予定だった煙草を差し出した。

 

「どうです少尉,あなたも」

 

アルサラーンも紙煙草は8回程吸った事がある。

 

差し出された紙煙草を受け取り,准尉から火を貰うと煙草の煙を吸い込んだ。

 

そして

 

 

 

………きっつ!?

 

 

「けほっ けほっ」

 

勢いよく吸い込んだ煙を吐き出した。

 

 

オスメトが微笑ましい物を見る笑顔でアルサラーンを見た。

「ああ アルサラーン少尉殿。

それは味よりもニコチンの酷いやつでして,慣れていないときついでしょうな」

 

初めてこれを吸った時を思い出して大尉と准尉と軍曹は微笑ましい物を見る笑顔で微笑んだ。

 

アルサラーンは苦笑いで返すしかなかったが。

 

「………ご馳走になった。

オスマン少佐にいれる苦情は増えたがね」

 

「ええと,何かご不満が?」

 

「正直思うところはある。

パラノイアに付き合う身となればな」

 

「モグラの件ですか」

 

准尉に頷く。

 

「オペラ座のような対内防諜部門が騒ぐのは理解する。

だが痛くもない腹にメスを突っ込まれてはな,恨み言の一つもあるぞ」

 

軽く嫌味を返された准尉ーーイスマイル・フェヴズィはニコリともせずに煙を肺に吸い込んだ。

 

 

そして眠たげな目尻の下がった目の中にどんよりと曇り切った眼を飼っている准尉は盛大に煙を吐き出した。

「准尉風情にはなんとも,モグラが居るのであれば吊るすしかありませんが」

 

 

「准士官にまで教育が徹底か,流儀と文化の違いを感じるな」

 

「えっと,どういうことでしょうか?」

 

2本目の煙草に火を付け楽しんでいた軍曹が人差し指を立てて答える。

「少尉殿 防諜部門と情報部門の違いですよ」

 

 

 

次いで大尉が補足した。

「うちは情報を『搾り取る』のが仕事だ。

情報を『抜かれない』ようにする防諜屋とは感覚が違うのだろうな」

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

二人は街中を真っ直ぐ走る大通りの少々閑散とした中を歩いていた。

 

「……憲兵保全局は世間との感覚が違いすぎるな」

 

「まぁ はい。

少し感覚がずれているのは分かります」

 

「少し?」

 

大尉は周囲を見渡した。

 

ちょうど少年の物売りが立っている。

 

箱売りとバラ売りの2種があった。

 

最も商品ラインナップは兵隊向けの紙煙草の上,一種類しか無いが。

 

2名の軍人が兄に話しかけているのを見て少女が少年の後ろへ駆け寄る。

 

「いくらだね?」

 

「こっちのバラ売りは一本,四千六百アクチェ。

この列の箱は7日前に仕入れた物で,九万七千アクチェ。

この4箱は十万アクチェだけど昨日仕入れたから一番美味しいよ,軍人さん!」

 

「なら昨日仕入れた物を一箱頼む」

 

「十万アクチェだよ」

 

大尉は懐から財布を出すと紙幣を16枚取り出した。

 

「十万か……外で買うとこのざまだ」

 

アルサラーンは何も返さなかった。

「憲兵保全局は特務らしく金満だが世間は違う。

情報部といえどその資金力には抗えん」

 

実際に参謀本部所属の大尉はそこらの兵卒とは比べ物にならない給与を受け取っているとはいえ,十万アクチェは少額とはいえない出費である。

 

 

「ただそれで横槍をとなるとな……」

 

 

外の,しかし煙草の値段ではあるが常識をまざまざと見せつけられたアルサラーンはなんともいえない苦笑いで答えた。

 

 

「難しい時代だな,つくづく思い知らされてならない」

大尉は諦観を持って空を見上げる。

 

空は曇りなくどこまでも蒼い。

 

空は変わらない。

帝国は敗北者に堕ちているというのに。

 

「ではな,少尉。

失礼するよ」

 

片手で一箱の安い兵隊煙草を持ったままそういうと大尉は首都の中心部へと去っていった。

 

 

 

暫くして大尉は参謀本部にて業務報告を行なっていた。

 

「拷問の濫用。

金の出所も不透明。

いくら特務とは言え,憲兵保全局第2課は余りにも逸脱が過ぎます」

 

丁寧に糊付けされた制服を身に纏い,靴も鏡の如く丁寧に磨き上げられたオーダーメイドの高級品。

更には品の良いモノクルをも身につけた参謀総長は無感情に返答した。

 

 

「ふむ問題だな,それは」

「ならばこその疑問もわきます」

 

参謀総長はようやく手元の書類から目を目の前に立つ大尉へと向けた。

 

「何故我々は合同調査を求められ挙句受け入れる羽目に?

本当にモグラがいる可能性は?」

 

報告を受けている参謀総長の目が卓上に重ねて置いた手に向けられた。

 

「モグラによる情報編洩の可能性。

真剣に検討するべきではありませんか?」

 

若く澄んだ瞳が参謀総長の顔をじっと見つめる。

 

 

 

 

「憲兵保全局の連中のせん妄に毒されたのかね?大尉」

 

 

 

 

「奴らは狂ってはいます。

ですがその嗅覚までをも侮るべきでしょうか?」

語気が強まり,真摯で熱意の籠った訴えが男二人だけの執務室に響く。

 

参謀総長は目の前の男に呆れ果てた様子で目を細めて大きくため息を吐いた。

「連中の証言を全て信じる気かね?

奴らは自らを『優れた猟犬』だと自負しているつもりの様だが,モグラと騒ぐのは連中だけなのだぞ。

君も参謀本部に属する以上は十分に承知しているとは思うがね,部内を無用に疑えば相互不信で情報部が壊れかねん。

組織はパズルと違い,壊れたらまた同じ人員で同じ物を組み直せないのだよ」

 

大尉と目を合わせながら,しかし大尉の訴えを聞き入れる様子も無く,興味もやる気も無さげな上官の様子に大尉は不満を口にする事もなかったが,しかしその内心は釈然としないものを抱えていた。

 

 

「情報操作で権限拡大を図るのは特務機関の常套手段だ。

真に受けすぎるな,大尉」

参謀総長は大尉に一つ助言を授けると話を終わらせようと心中に結論を出した。

 

「ですが 閣下」

 

「ともかく引き続き連中の捜査とやらに同道しておけ。

暴走しそうであれば牽制しろ」

 

参謀総長は無造作に空を払うかのような手つきで大尉に退室を促した。

 

「っ……了解いたしました」

頭を下げた大尉の顔はどの様な様相なものか。

彼の心内はきっとやり切れぬ義憤に燃えているに違いないのだろう。

 

大尉を下がらせた後,参謀総長は黒に金縁の装飾が施された受話器を手に取って,ダイヤルに目を向けて一人呟いた。

 

「モグラ,か。

    全く…………煩く吠えることだ」

 

そしてダイヤルを幾度か回して電話を繋げた。

「保安将校が煩い。

中々誤魔化すのには苦労しそうだ。

………ところで憲兵保全局の監視はどうだ?」

 

 

 

「何?……釈放された者がいる?

保全局の狂犬どもめ,子供の心の弱さを突くか。

卑怯な連中め」

 

 

参謀総長はその目をジロリと受話器に注いだ。

「子供だから慈悲をかけろと?

論外だ,処すに任せよう」

 

受話器を戻すと机の引き出しに手をやる。

 

 

 

 

純銀製の磨き上げられ,傷一つないシガレットケースに収められた舶来品の葉巻達から目に留まった一本を丁寧に選び抜く。

 

 

 

パンチカッターの円形の刃を葉巻のヘッドに優しく押し当て,左右に回転させながら少し押し込み,その後に純銀製かつ精緻なアラベスク模様の施されたヴェスタ・ケースからマッチを一本取り出して口に咥えた葉巻の頭に慎重に火を付ける。

 

参謀総長は深く,溺れる様に濃い葉巻の煙と自らの感情を深く,深く,吸い込んだ後に天井を見上げながらゆっくりと,ゆったりと吐いた。

 

 

 

 

「あの小僧め,楽はさせてくれんか」

 

卓上に腕を組むと,虚空を見つめてゆっくりと,長く葉巻を燻らせながら重い,とても重い声を紫煙と共に虚空に溶かし込んだ。

 

 

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