総動員というパンドラの箱を備えた国家が総力を上げて殴り合い,その成果に何が保証されるというのか?
まして銃は剣より人殺しに優れるというのに。
帝国は戦争を売らずに戦争の道具を売れば良いのだ。
統一帝国戦争経済研究所所長 エルベルト フォン シューゲル
ようやく、エレオノーレはぬるくなった紅茶に手を付けた。
美しいマイセンに注がれたそれは、かつては芳醇な香りを放っていたはずだが、今や熱を失い、ただ苦渋に満ちた帝国の現状を象徴するかのように沈殿している。
軍と政府はその信用を失いかけ、帝国を破滅へと誘う馬鹿どもが、ヴァザンティンという名の「瀕死の病人」の上で上演しているのは反吐が出るような三文芝居に過ぎない。
さらに言えば、この腐敗した舞台に敗北を重ね,食い詰めたルーシー連邦が首を突っ込めば今度こそヴァザンティンは息絶えるだろう。
それは欧州の均衡が崩壊し、忌々しき戦争の時代が再臨することを意味していた。
だが、エレオノーレ・フォン・ハイドリヒという女は,貴族は,絶望に酔い痴れるほど感傷的ではない。
悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出し、楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。そして真のリアリストは、その両方を見据えた上で、最も「高く売れる」道を選択するものだ。
今の戦争が供しうるものは、ただ血と苦しみと涙あるのみだというのに。
アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオン。
かつての英傑たちが兵士と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、華々しい会戦を以て国の運命を決する――。
断言しよう。そんな「ロマンチックな戦争」はもうこの時代から消滅した。
列強随一の精強を誇る帝国軍で武装をしているとはいえ高度に工業化した貿易立国である統一帝国が、最大の取引相手であるルーシー連邦やアルビオン連合王国、フランソワ共和国と戦争をすること自体、帝国に多大な損害を齎す,少々過激な見方をすれば国家に対する反逆に等しい。
取引先との関係を悪化させるだけでも帝国は不利益を被る。
まして戦争など起こしても、喜ぶのは新大陸のカウボーイか、東方の薄汚い共産主義者だけなのだ。
ヨーロッパは未だ剣と伝説の世界に浸っている。
貴族という階級が戦争によって権勢を失う未来。
あるいは、かりそめの勝利を得たとしても、疲弊した民衆の怨嗟を一心に受ける未来。
それだけは、絶対に避けねばならない。
戦争によって権勢を失う。
或いは権勢を保持したとしても民衆の怨嗟を一身に受ける未来だけは、避けねばならない。
統一帝国が『破滅的』な全面戦争に巻き込まれなければ、エレオノーレは,貴族制は未だ延命と,上手くいけば生まれ変わりを行うことができる。そのために誰を確保するべきなのか。誰が何を知っているのか、情報を集める必要があった。
「しかし、大規模な麻薬密売となると、ヴァザンティンのどこまで根が伸びているのでしょうか。もし過激派にまで金と麻薬が流れているのだとすれば、恐ろしいことでございますね」
エレオノーレが探るように言葉を向けると、皇太女ルイーゼは一口お茶請けの菓子を食べてから応じた。
「全くだ。コンラート伯から聞いたことだが、近頃はルーシー連邦もヴァザンティンに食指を伸ばしている。
エレオノーレ侯、あの国は今や『瀕死の病人』…。
いや,世界の『火薬庫』と言ったほうが正しいやも知れん。それも、極めて短い導火線付きのな」
エレオノーレはその言葉に内心で深く頷いた。的確な比喩だ。
火薬庫とは、爆発するか否かが問題なのではない。
誰が、いつ、どこで、その導火線に火を近づけるか――それだけが問題なのだ。
外務尚書コンラート伯が諜報部を動かし、金と諜報員を大量に現地へ送り込んでいる理由もそこにある。表向きはエルヴォルト伯の尻拭い。だが実際には、「火種」の特定と「導火線」の切断である。
当初、エレオノーレはこの件を「ヴァザンティンにおける不要な不始末」程度に捉えていた。だが、見通しが甘すぎたらしい。
動きが予想以上に早く、規模も大きい。
統一帝国において、平民将官が無派閥であることはあり得ない。
軍の主流派であり、皇太女の牙城である中立派,および攻勢派の目が届かぬ隙間に、澱みのように溜まった勢力。
主戦派の目的が「ヴァザンティンへの戦乱の誘致」であるならば、実行犯に選ばれた平民将官は、まさに「切り捨てても問題のない駒」として選別されたのだろう。
政治的な後ろ盾を与えるフリをして、いざとなれば全責任を負わせて始末する。使い捨てる人材としては、これほど申し分ない存在はない。
「外務省の動きが、随分と早いようですね」
揺れる炎を映すエレオノーレの瞳は、その美しい色彩とは裏腹に、氷のような冷静さで皇太女の出方を探るように言った。
「コンラート伯は優秀な御仁だからな」
ルイーゼの答えは簡潔だったが、その背後には明確な政治的意思がある。
コンラート家とヴィッセル家には過去に深い因縁がある。
かつて、ヴィッセル家全盛の時代に不遇を託囲っていたコンラート家にとって、皇位継承を争うヴィッセル家の当主率いるルードヴィヒ派は、不倶戴天の敵に他ならない。
さしずめ、敵の敵は味方。コンラート伯は自らの陣営の安泰のため、そして貴族として仇敵に味方するなど有り得ないが故に皇太女の側に立つことを選んだ。
さして驚く様な事ではない。
とはいえ、使い所の難しい情報だ。
ハイドリヒ侯爵家の一門や派閥に与する家は外務省高官には殆ど居ない、当然ルイーゼ皇太女にその動きは露見する。
皇太女が宣伝省,軍部の主流派に強い影響を持っている事,そして国務省の一部,外務省の一部にもその影響力を保持している事は周知の事実だ。
と言うのもルイーゼ皇太女の設立した宣伝省と外務省の関係は極めて近い。
当然外務省の内部にも緻密に根を張り巡らせているだろう、独自に動こうとしても軽率に接触することはできない。
もちろん、ルイーゼ皇太女もそれがわかっているからエレオノーレの前でこの話をしたのだ。
自分が外務省にも十分な影響力を持っていること,そして自らの陣営に外務省を完全に引き入れていることを誇示するために。
しかしハイドリヒ侯爵家はただ諂い、追従して歓心を得ようとするだけの従属者ではなく,同盟相手として、自家の立場を確立してみせなければならない。
功績という引換券を要求する特等席にハイドリヒ侯爵家が居座り続けるにはどう策を組み立てるべきか。
全く,無性に愛娘を抱きしめたくなるが,生憎とマリアは家にいる
「……何はともあれ、火薬庫の導火線を切り取らねばなりませんね、殿下」
「あぁ、平穏なヴァザンティンがいきなり倒れるのは困る」
フッと笑って、ルイーゼもカップを手に取った。
平穏。
その言葉の重みをエレオノーレは反芻する。平和が訪れた際、最も良い席に陣取れるように、今のうちに盤面を整えねばならない。
エレオノーレの脳内で、帝国の政治地図が鮮やかに書き換えられていく。
現在、均衡を保つ勢力図を左右する鍵は、コルネリアス帝の改革を生き延びた中小の地方貴族たちにある。
彼らはかつての領地に強い政治的影響力を保持しているが、その維持のためには大規模公共投資や企業誘致を司る「国務省」との関係を断つことができない。
大貴族のような独自パイプや大規模資本を持たぬ彼らにとって、国務省は生命線だ。
かつてハーフェンシュタイン侯が目指した「国土の均一な発展」の恩恵を受けた彼らは、本質的には平和の受益者である。
しかし現国務尚書のベルグホーフェン侯爵は門閥派でありながら、実務を担う官僚組織を完全に統制できているわけではない。
その結果、行き場を失った地方貴族たちは、親皇太女派、反皇太女派、あるいは中立派という状態で四散五裂していた。
故にエレオノーレは確信している。
間違いない,これら中立派の大部分は必ず動く,それも「反戦」の旗印の下に。と
彼らは自家の権勢を維持することに腐心をしているが故に理解している。
戦争という名の割に合わない博打が自らの家の権力基盤をいかに容易く破壊するかを。
彼らが望むのは、旧領の開発と自家の存続。
ルイーゼが「平穏」を保証し、今と変わらず国務省を介した利益供与を提示すれば、浮いていた中立派は雪崩を打って皇太女派へ合流するだろう。
そうなれば、皇太女派閥は圧倒的な勢力となり、玉座への道は確固たるものとなる。
対して、ルードヴィヒ派はどうだ。
彼らが取り込んだのは、時代に取り残された没落貴族や、過激な主戦論を唱える将校たちだ。
軍部は現在、ルイーゼ派の統制派及び条約派が要職を独占している。
その強固な牙城から弾き出され、冷遇されているヴィッセル家ゆかりの軍人たちや少数派が、ルードヴィヒを担ぎ上げて「強き帝国」を叫んでいるに過ぎない。
彼らには多数派閥に比べて連帯もなく、共通の理念もない。
ただの「不満分子の吹き溜まり」である。投資先としての将来性は、皆無と言ってよかった。
健気なルードヴィヒを陰に陽に応援して差し上げようではないか。
皇太女の反応を鑑みるに馬鹿の爆弾は腹の中で爆発させるに限るらしい。
思考を巡らせるエレオノーレに、ルイーゼが不意に、しかし穏やかなトーンで問いかけた。
「そういえば、マリアは元気か?」
「元気でございます、元気すぎて困るくらいに。
私にとってマリアの笑顔ほど素晴らしい宝物はございません」
「それは良い事だな。私も世界一素晴らしいエーリッヒと過ごす時間を大切にしていたいものだ。
全ての策謀を忘れ、ただ笑い,草木や獣を愛で、季節の味わいを楽しみ、時には家族で遠出をする」
愛しい我が子達がいつまでも笑顔でいられる世界を作るために、手を惜しむつもりはない。
時には邪道に手を染めることもあるだろう。悪人の謗りを受けることもあるだろう。
しかし純血は常に勝利せねばならない。
「そのような日々を過ごしたいものです。
…それにしても全く,政治とは伏魔殿の如しに御座います。
恐ろしい怪物がひしめきあって、陰謀の糸を手に互いに踊りながら笑っている。恐ろしくて近寄りがたいのに、どこか美しいものでございます」
「近寄りがたい? よく言うものだ、まったく」
ハイドリヒ侯爵家
帝国貴族家で最も成功し続けた、あるいは失敗を避け続けた偉大な貴族家。
分家は諸侯クラスだけでも同じハイドリヒの名を有する家が十四家、エルデン男爵家やアクデス子爵家、ヴォルデン伯爵家等名を変えて独立した家及びその分家は十家、帝国騎士号を有する有象無象の下級分家は恐らく一〇〇家は下るまい。
一族の者の総数は数千人に及ぶ。
本家に使える陪臣すら最古参であるイルベリン従士家を筆頭に中堅門閥貴族家に匹敵する権勢を誇る名家が三家も存在する。
帝室には劣るものの,これに匹敵する権勢を持つ大貴族なぞほんの十数家程しか存在しない。
数多の高位官職に一門を抱え,度重なる婚姻により多くの家を同盟、従属下におき、権勢を誇る姿はまさに大貴族の一角。
帝室には及ばぬ物の帝国門閥貴族の頂点と呼ばれるに相応しい権勢を誇っていると言える。
その当主たちが欠かせなかったことは一つ。
水を高く売るならば、砂漠で売るのが一番いい。
「ところで殿下,ルードヴィヒ派に属する者を中心に地方貴族由来の将校や青年将校達が騒いでいる様で御座いますね。
彼らが申すには『帝国は弱腰ではなく,強き帝国でなければならない』と」
エレオノーレはルイーゼの目を見つめつつ、泰全とした表情でそう返した。
ルードヴィヒ。
ヴィッセル家と皇室の血の入り混じった出来損ないの皇族。
皇位継承権第2位のいわばルイーゼ皇太女のライバルだ。
ただ、ヴィッセル家は過去の所業から蛇蝎の如く嫌われている,特に有力貴族家の大半を占める一部の歴史ある大貴族たちや門閥貴族達に。
故に皇族の血が流れてはいるものの存在感は薄い家だ。
ルードヴィヒも派閥を築いているが元々積極的に行動できていない。
それに地方貴族主体ではあるものの,豊かな諸侯だけでなく,時代の流れに乗り損ねた結果食い詰めた没落貴族,さらには主戦論者や軍拡主義者まで派閥に居る為,元々派閥内に強い連帯がある訳でもない。
そしてルードヴィヒ本人は優秀でもなく,無能でもないどこにでもいる凡人である。
「ルードヴィヒが主体ではあるまい? 誰だ」
元々ルードヴィヒは主体性を持って政治を動かすタイプではない。
これまでの人生で大きなことを画策した経験など一度も無いにもかかわらず、このタイミングで大きく権謀をめぐらせ,しかも博打を打つとは考えづらい。
「ザミエル侯にございます」
「あの家は中立だと思っていたが。…………ヴィッセル家と深い仲の家だからか?」
「はい」
だが現在のザミエル侯爵も派手好みではあれど強い野心や政治的手腕に長けている訳ではない。
だが動機はある。
彼はルードヴィヒの叔父だ。そしてザミエル侯爵家は建国以前からの名門貴族であり宮中28家にも名を連ねる程だ。
しかし過去の所業により,繁栄と権勢を保てず今や爵位の高さに対して実権を欠いた家でもある。
ザミエル候爵家は本来ならば政権中枢で実権を握ってもおかしくない立場だ。
だがザミエル侯爵家は大貴族でありながら,ヴィルヘルム2世及びヴィルヘルム3世の時代にヴィッセル家に近しい家だった。
帝国貴族は血縁を大事にする。
血の紐帯で固く結ばれた親族の頼みを袖にする事をしないが,同時に親族の仇を決して許さない。
ここで重要になってくるのは軍内派閥の動きだ。
現在,亡き皇后ツィツェーリエの実兄にしてルイーゼ皇太女派に与しているエーデルシュタイン候の一派が武門八将家の取りこぼしている帝国の軍部の要職を独占しつつある。
その中で,かろうじて派閥を形成していたヴィッセル伯爵家を軍務や政務に関わる立場から事実上追放した事は、次は我が身やもしれぬ,と軍内の少数派達に大規模な反皇太女派の形成をもたらした。
皇帝もこの動きに対して沈黙を保っており,敢えてエーデルシュタイン候に権力を集中させ、政府と軍を統括させて、ルイーゼ皇太女への帝位継承に伴う混乱を最小限に抑えようとした現皇帝の意向があると囁かれている。
特に軍はルイーゼ皇太女が士官学校を卒業し,その学友達が派閥に参加している事もあって軍部はルイーゼ皇太女派閥の牙城であり,ここを崩す事はルードヴィヒ派の悲願だ。
とはいえ何事にも限度と言うものがある。
軍内に於いて無敗の神話に胡座をかき無節操なまでの拡張主義を掲げる主戦派に接近したザミエル候は節操という物を忘れたらしい。
ルードヴィヒ派はかつてヴィッセル家に親しく,冷遇されていた一部の門閥貴族や地方貴族達と密かに結び、若手の将校や一部の武官貴族らが提唱していた『繁栄を享受し確固たる地位を築いた帝国の更なる繁栄こそ、次代の帝国軍が担うべき責務』こそ帝国の取るべき道であるとし、現状維持・平和重視の指針に反対の論陣を張った。
軍部に派閥を持つ為に皇太女派に属していない者達を使わざるを得ないのは分かる。
しかし欧州の平穏を掻き乱して,資源を食い潰す戦争をして,彼らが何を得るつもりなのか一度でいいから問いただしたい程だ。
没落せず,高位の貴族となれば大概は政治的派閥や軍事派閥を持っているか、そうでなくとも有力な影響力を持っている。
しかしザミエル侯は大規模な独自の政治勢力を持たない。
爵位こそ高いが,頼みの綱は皇位継承権を持ち,甥でもあるルードヴィヒとの関係のみ。
大貴族であるにも関わらず過去の所業から他の家から未だ白眼視され,徐々に家が衰退しているこの状況に不満を抱いてもおかしくはない。
宮中28家とは思えぬほどに零落しつつある侯爵家の事を考慮すればむしろ当然だ。
ただ、実態として政治的な力を持たず,若手将校や足並みの揃わない貴族達を束ねるほどの人望や胆力も無い現ザミエル候アルフレート。
そのような人物が果たして独力でルードヴィヒ派閥に影響力を持ちうるものか。
「ザミエル侯は大した人望家らしい」
「——殿下のご慧眼、心服いたします。恐らく裏に何者かが潜んでおります」
ルイーゼの言葉に込められた皮肉をエレオノーレは正確に理解している。
ハイドリヒ侯爵家は秘密警察と深い繋がりを持つ家だ。
その勢力は暗部御三家の一角であるケール=ブラウシルト伯爵家すら凌ぐ程。
「どこだ?」
「おそらくアルビオンで御座います。まだ調査中ではございますが」
「左様か」
想像は付く。帝国の政治中枢を混乱させることを望み、かつその能力を持つ存在は大陸には存在しない。
巨大な人口も、広大な領土も持たぬ彼らにとって、海外領土と交易路は自らの生命線である。
海上輸送路の要衝を数多く抱えるヴァザンティンに火種をばら撒く此度の一件はさぞ彼らの肝を冷やすことだろうが。
帝国の進む先の最大の障害はフランソワではない。
フランソワだけならばまだやり易い。が,彼の島国から見て帝国は強くなり過ぎたらしい。
しかし確かに欧州大陸を実質的に支配下に置く,欧州経済を牽引する軍事強国の誕生。まさしく安全保障の悪夢だろう。
このまま帝国が安寧を享受し続けることを、誰よりも懸念し,恐れているのはアルビオンしか居ない。
島国はいつも、大陸の事柄に首を突っ込みたがる。
巨大な領土を持たぬ彼らにとって、大陸に強力な覇権国家が誕生することは安全保障上の悪夢だ。
古代ロムリアより続く苦渋の歴史が彼らを衝き動かすのだろうが、しかし彼らもそろそろ火遊びを止めるべきだろう。
エレオノーレは静かに立ち上がった。
「殿下」
ルイーゼのどこまでも澄んだ瞳がエレオノーレを捉える。
暖炉の火が爆ぜ、その音だけが不自然なほど大きく響く。
「我が血にかけて,殿下に勝利を」
皇太女に一言言い残しエレオノーレが立ち上がると、ルイーゼは微笑んだ。
薄く笑みを浮かべ、柔らかく、快活に。
だが、細まった眼孔から覗く銀灰の玉は密やかに女を射貫く。
エレオノーレ・エリザベート・フォン・ハイドリヒ。
帝国の闇に蠢く魔女、真の純血。真の貴族。真に貴族を憂う者。
優雅で,美しく,残酷で獰猛に笑うエレオノーレは実に悍ましく、雅で、天使のように純粋で,悪魔のように美しかった。
中立派は、必ず動く。
それも大多数が皇太女の方へと。
今後の動静を左右する切り札をエレオノーレは我が物とした。
戦争が割に合わないことを、彼らは理解している。
国務省の統制が取れていないが故に中立的であった地方貴族達をルイーゼが取り込めれば、急速に勢力を拡大しているルードヴィヒを十分に押さえ込むことができる。
盤面を皇太女に優勢な状態のままに維持し、そのままルイーゼというプレイヤーに自らを大駒として供し,ルードヴィヒを排除。
どれほど汚い手を使ってでも、勝利は完璧なものにしなければならない。
そのためにはやらなければならないことは山ほどあった。
今度も勝つのはハイドリヒ侯爵家だ。
「では失礼いたします,殿下」
ルイーゼは鷹揚に頷いた。
「ではまたな,エレオノーレ」
透徹した理性を感じさせる言葉だった。
エレオノーレは優雅に一礼を返すと扉の向こうへ消えた。
「おや、雨ですか」
付き人を従え,雨粒を弾くガラス窓が奏でる音色に耳をすませながら、エレオノーレはベルン王宮を後にした。
暗雲は広がり、しばらく雨は止みそうになかった。
そしてエレオノーレは激怒した。
並びの良い歯はギチリと嫌な音を立てる。
殺気立てば自然と足は早くなる。
赤黒い奔流が胸郭の内で押し寄せる。
荒波の如く全てに攻め寄せる。
獣の如く無秩序に荒々しく透徹とした知性が彼女の獣性を高めていた。
簡単な勢力相関
過激派 ←ーーーーーーーーーーーーー→ 穏健派
帝国陸軍 主戦派 攻勢派 統制派 中立派
帝国海軍 艦隊派 条約派 中立派
政治派閥 ルードヴィヒ派 ルイーゼ皇太女派 中立派