血・鉄・権謀   作:帝国軍司令部付研究監査群

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一切の例外なく軍は規律に支配されなければならない
統一帝国初代憲兵総監カール・レオポルト・グリューベル・フライヘア・フォン・ベルゲンハイム



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最後にこの会議内容の総括と主戦派の思惑も掲載しておりますので、よろしければご一読ください。


ラウナハトの純正律

統一暦一九一九年七月末、統一帝国 帝都ベルン

帝都の冷ややかな空気の中に、「ベルン宮」西苑に配された帝国軍総司令部庁舎は歴史と気品を感じさせる威容を誇っていた。

室内は程よく暖められ,しかし窓外の陽光はバーガンディ色に染め上げられ金彩装飾の施されたドレープカーテンに遮られ、室内には重苦しい感情が漂っている。

 

 

舞台は,ベルン宮殿西苑 統一帝国陸軍参謀本部第三会議室。 

 統一帝国の誇る秩序と知性の牙城たる参謀本部,その一角である。

 

 

上質な樫材を贅沢に使ったネオ・ルネサンス様式。

臙脂色の絨毯が敷かれた会議室には落ち着いた色合いの漆喰壁と灰色の大理石が配され、そして一際目を引くのは黒大理石で作られた豪奢な暖炉。

 

 

壁には輝かしい勝利の一幕を描いた巨大な油絵が飾られ、統一帝国の栄光を無言で主張していた。

 

飴色の艶を湛えるウォールナットの長テーブルには、黒檀のインク壺と象嵌の羽ペン置きが規律正しく配置されている。

クリスタルシャンデリアの柔らかな光の下、背もたれには単頭の大鷲が精巧に彫り込まれ,座面には絹の真紅のクッションを用いた椅子には暗紺色の生地に金色のダブルボタン,真紅の縁取り,黄金色の飾緒が目を引く華麗な軍服に身をつつんだ帝国陸軍の首脳たちが沈黙のうちに座していた。

 

 

その沈黙の中に淡々と告げる声のみが響く。

それは参謀本部付副官レルゲン大佐の無機質な報告であった。

「……以上が現状把握、および報告されたヴァザンティンにおける不祥事の詳細であります」

 

彼の言葉が消えると、室内の重圧はさらに増した。

テーブル上のワイングラスは注がれてから久しいリースリングを湛え,表面には結露の雫がびっしりと張り付いている。

 

しかしそれを口にする将官は誰一人としていない。

「我が方から送り込んだ情報部は現地の非協力的態度により業務の遂行に著しく支障をきたし、さらに現地憲兵将校六名――それも佐官一名を含む人員が”病死”。

……はっきり申し上げましょう,現地総督府は、もはや機能不全状態です」

 

淡々と事実を突きつけたのは、参謀本部戦務次長ゼートゥーア大将であった。

帝国のみならず欧州においても最上位に位置する名門公爵家。

それも直系の血筋を引き実力・血筋・教養を兼ね備え,軍部のみならず帝国政界に絶大な影響力を持つこの英才は柱時計の振り子が時を刻む音が二桁に達した頃、議場へと大きな一石を投じた。

 

 

会議室の空気は一層重々しくなる。

 

誰もが腕を組み、苛立ちの表情で目を閉じて沈黙した。

決して現地の腐敗を甘く見ていたわけではない。

かつて欧州を席巻した覇権国たるフランソワを二度降し,並び立つもの無き欧州の覇者として数多くの精兵と知勇に優れた将校団を擁する統一帝国軍。

 

その中でも輝かしい勝利と伝統に彩られた帝国の藩屏たる帝国陸軍は決して家柄のみの無能が出世できる様な軟弱な組織ではない。

 

だがアドリアノープルにおける予算の不足に伴う現地調達と、それにより生じた利権は現地の帝国軍に深刻な腐敗と不祥事を生み出す温床となった。

そして、それを憂慮した本国が人員を送り込み、早急な解決を目指した結果が”これ”だ。

 

 

「まさか、これほどとはな……」

本国から派遣された佐官すら”暗殺”されるなど、未開の“非文明国”ならばともかく列強国の軍組織,それも栄えある帝国軍の内部で起こるなどにわかには信じがたい。

それは軍という組織の管理能力を根底から揺るがす程の重大な危機であった。

 

「……問題は御前会議において、この失態をどう言い繕うかだ」

参謀本部政治軍務局長ヴァッサーブルク大将が、鋭い眼光を巡らせながら呟いた。

 

 

「外務省と秘密警察は、これ幸いと介入を進めようとするでしょうな」 

情報総局副司令官クーデンハイム少将が憂慮を多分に含んだ声で深く同調する。

 

 

「それどころの話ではあるまい」 

情報総局司令官ブラーデン=ラウゼン中将の忌々しげな声が響く。

「交通の要衝である以上アドリアノープルの権益を狙う輩などいくらでもいる。

この件がアルビオンのジョンブル共か、フランソワのカエル喰いにでも漏洩すれば、帝国の信用は失墜し,利権は大いに脅かされかねん。

………この醜態は近年稀に見る深刻な失態だ。我ら全員の首が飛ぶことすらあり得るぞ」

重なり合う様に部屋に満ちる声は苦渋な響きを伴って諸将に現実を突きつける。

 

ゼートゥーア大将は、モノクルの奥の双眸を静かに細めた。

彼はテーブルの上に置かれた書類を指先で叩いた。

表紙には、目も醒めるような鮮やかな緋色で【極秘】と押印されている。

 

「幸い、こちらにも弁明の余地はあります。

一つは、此度の不祥事の元凶が、平民上がりの一部の兵卒と将校らによる独断専行であったという点。

そしてもう一つ――情報が正しければ、これには本国の貴族が関与しているという点です」

 

「うむ……ヴィッセル、か」 

ブラーデン=ラウゼン中将が、微かに不愉快さが滲み出るような低い声で呟いた。

最も歴史ある帝国貴族においてこの名を聞いて不快にならぬ貴族なぞ中々見ないものではあるのだが。

 

「はい。現地で合成麻薬の密売ルートを構築し、軍の兵站網を私物化した不逞分子。

彼ら,つまり主戦派将校の背後にはヴィッセル家の関与が認められます。

つまり、これは単なる“軍の規律弛緩”ではなく、本国の中枢を、ひいては軍を巻き込む“卑劣な政治的陰謀”なのです」

 

ゼートゥーアの狙いは明白であった。

軍の無能を露呈させるのではなく、

軍は「政治的陰謀の被害者」として振る舞い、あくまでも被害者という立場に居座る。

当然のことながら軍の失態という事態も「本国の貴族による、国益の毀損すら厭わぬ卑劣な謀略」であるならば、話は全く変わってくる。

 

 

「……なるほど、なるほど」 

クーデンハイム少将をはじめとした数名の将官は些か安堵を含んだ表情で頷いた。

 

「単に不祥事を収束できなければ我ら軍部の無能が糾弾される。だが、相手が国家の根幹を揺るがす『大逆の徒』であれば、責任は軍のみに在らず、か」

 

「えぇ、その通りです」

ゼートゥーアは表情一つ変えず、冷淡に肯定した。

 

「御前会議において、我々は後手に回る必要はありません。

むしろ、この機密書類を元に声高く主張すべきです。『軍は、宮廷の政治に由来する国際的な犯罪工作を、身を挺して食い止めようとしていた。

現地の抵抗がこれほど激しいのは、軍組織外部からの不当な干渉によるものだ』と。

そうすれば、外務省や秘密警察の介入を限定的なものに抑え、こちらが主導権を握る余地も創り出せるでしょう」

 

 

「しかし、ゼートゥーア大将」

ヴァッサーブルク大将はなおも懸念を隠さなかった。

「あの『金髪の処刑人』や外務省の狐どもが、我々の用意した『真実』を額面通りに受け取ると思うかね? 

軍の不祥事を『自浄作用を喪失した軍の改革』にでも転嫁されれば、最悪の場合秘密警察には際限のない全権が与えられかねん。

その大鎌が、ヴィッセルを足掛かりとして主戦派に、ひいては陸軍の深部にまで届かないという保証がどこにある?」

そこには一言無言の思惑が含まれていた。

『この件は宮廷政治に深く関わるが故に軍が巻き込まれかねない』,と。

 

 

「一つ間違えれば――火を消すために、より巨大な大火を呼び込むようなもの、か」 

ブラーデン=ラウゼン中将が、一言僅かな警戒を含むようにぽつりと言った。

しかし運命は勇者を好む。

運命は臆病者の味方をしない,つまり何もなさねば敗北は深く喉元に突き刺さるという事は誰しもが理解していた。

 

ゼートゥーアは白手袋の指先で書類を静かに裏返した。

「ヴァッサーブルク大将、ご懸念は尤もです。

しかし、我々に残された選択肢は多くありません。

このままヴァザンティンの醜態を『軍の規律弛緩』として処理すれば、国軍の権威は失墜し、植民地の管轄権は完全に剥奪されるでしょう。

なればこそ、此度の件は『国家の根幹を揺るがす政治的陰謀』でなければならないのです。

外部の介入を逆利用して事態の収束を図った上で、こちらから出口政策を提示し、最終的な主導権を手放さなければ、致命傷にはなり得ません」

 

部屋には再び重苦しい沈黙の帷が降りた。

やがて恰幅のよい身体に立派なカイゼル髭を蓄えた、陸軍総司令部長官シュリルヴァルツ上級大将が、静かに沈黙を破った。

「……ふむ。では御前会議における陸軍の方針としては、損失の原因は本国の政治干渉にあり、現地の不祥事は不可抗力であった、という総括で良いか?」

『異議なし』

将官たちの声が低く、しかし一様に重なって響いた。

「宜しい」 

上級大将は一言だけ告げた。

「では御前会議における方針は決定した。諸将は各自、解散してくれ」

 

号令とともに諸将が椅子を引く音が、一斉に響いた。

彼らは書類と、それ以上に重い思惑を懐に抱え、一人また一人と退室していった。

 

席に残るのは陸軍総司令部長官、情報総局司令官、参謀本部戦務次長の三名だ。 

  

「……どうですかな、公爵。

 やはり次期皇帝はルイーゼ殿下に?」 

  

 異様なほどの静けさが漂う会議室、その沈黙をゼートゥーア大将が最初に破った。 

  

「……恐らくは。更に近頃は外務尚書を務めておられるコンラート伯と秘密警察長官のハイドリヒ侯とも親しくされているご様子ですな」 

「ではやはり?」 

「えぇ,そういう事でしょうな」 

 

  難しそうな表情を浮かべる参謀本部戦務次長。

彼は軍のみならず多方面に影響をもち,帝国における有力派閥であるゼートゥーア派の首魁であり帝国の暗部に君臨する3家の貴族であるハイドリヒやブラウシルト,ヴァルベルグにも引けを取らぬほどの情報をその手中におさめていた。

 

 

 更にルイーゼ皇女と士官学校における皇女の学友達に対してゼートゥーアは士官学校において教鞭をとった恩師の1人である。

歴史ある武門の出であり、実質的な軍令を司る皇帝直属の参謀本部にて出世街道を邁進する彼にとって軍が宮廷の権力闘争に巻き込まれる事は、実に憂慮すべき事態である。

 

 

周囲を潜在敵国に囲まれる帝国は内乱を起こす余裕も隙もあってはならない。

将官が政治に関与する事は否定しないがあくまで軍という組織は常に政治的中立を保たなければならないのだ。

その苦労を思えばこのような渋い表情も致し方ない事だ。  

 

ゼートゥーアは溜息を呑み込み顔色ひとつ変えずに、シュリルヴァルツの言葉に無言で頷いた。

「ルイーゼ殿下の即位が現実味を帯びるにつれ、主戦派の焦燥も極まっている。

今回のヴァザンティンの失態を、彼らが単なる軍の管理責任として切り捨てるか、それとも殿下に近しい我らの失脚を狙うための『毒杯』として利用するか……」

ブラーデン=ラウゼン中将が、すっかり飲み頃を逸したリースリングを優雅な仕草で一口飲み、そして低く唸った。 

 

「奴らにとって、軍の自浄能力の欠如はすなわち我らの指導力の欠如と直結する。

宮廷闘争を利用したつもりかも知れぬが,彼奴等は帝国が常に外圧に怯えた歴史を忘れたらしい。……いっそ、切り捨てるべきか」

「切り捨て、か」 

保守よりの攻勢派重鎮として知られるシュリルヴァルツ上級大将は、鋭い視線をドレープカーテンの隙間から微かに覗く窓外の昏い空へ向けた。

 

 「ヴィッセルは主戦派の首魁だ。あれらを今この機会で完全に処断すれば、動揺は必至だ。内のみならず諸外国に至るまで帝国軍が弱みを晒したと取られかねぬ。

しかし、それを放置すれば帝国軍そのものが宮廷政治の生贄となる……」

 

 

「ご心労、お察し致します」 

「この儂が消えれば卿も軍務尚書への道が開けよう?中立派として漁夫の利を狙っておるのだろうて?」

 

シュリルヴァルツ上級大将の言に上品に肩を竦めてみせるゼートゥーア大将。

「これは心外な事です。確かに私は中立派に属してはおりますが、それは職務に精励するためです。私にとって重要なのは栄えある帝国軍の存亡であってそれ以外に関心は無いのです。

同じく帝国軍に所属する身としてその点,御二方との協調は可能と愚考致しますが?」

 

 「なんともまぁ臆面もなく弁舌を振るう参謀本部次長な事だ」 

「頭が回る、と言って欲しいものです」 

「ほざきおる」

悪びれもせずに自論を語るゼートゥーア大将に両将は鼻を鳴らす。

しかしその声も柱時計が刻む時を知らせる時報の音に押し流されていく。

今後の命運を大きく左右するであろう御前会議の時刻は、刻一刻と迫っていた。

 

「いずれにせよ、次期皇帝の座がルイーゼ殿下に傾くとなれば、軍の均衡は劇的に変わる。

保守派とて女性皇帝を否定しているわけではないが……問題はルイーゼ殿下が引き連れるであろう『革新』の嵐だ」 

 

ブラーデン=ラウゼン中将が、自身の所属する統制派の動向を頭に浮かべながら、値踏みするような視線をゼートゥーアに注いだ。

 

「ええ,現軍務尚書リッテンシュルス伯の元に集う保守派ーー変革を望まず上層部にしがみつき,もはや偉大で“あった”先達への反発は、我々のみならず軍内部の若手士官の間に於いても限界に達しています。

殿下が玉座に就かれたとき、我らが失脚していれば彼らは一気に軍の主導権を奪いに動く事でありましょう。

しかし、我らはそれによる軍組織の急激な先鋭化だけは防がねばなりません」 

 

ゼートゥーアの言葉に対して同意の首肯を返すとシュリルヴァルツ上級大将が懐に手をいれる。

そして盾と黒狼の紋章が描かれ精巧な彫金装飾が施された純金製の懐中時計を取り出すと文字盤に目を落とした。

 

時刻は確実に、帝国の命運を決する会議の始まりを告げようとしている。

伽藍とした空気と気品を漂わせる会議室の扉は水門の如く堅く閉じられた。




主戦派の思惑
1.帝国を不可逆的な「拡張・介入路線」へと引きずり込むことで、本国の慎重派や皇太女派が「現状維持や外交的妥協」を選べない状況(既成事実)を強制的に作り出そうとしていました。
2.指導部が弱体化した隙に、または「規律の立て直し」という大義名分のもとで、より強硬で主戦論に傾倒した勢力を軍の中枢(および宮廷)へ送り込み、帝国の国家方針を「総力戦・世界覇権路線」へと一気に舵を切らせる。


この話の総括
陸軍が処分できない理由

主戦派を処罰すると、主戦派を支持する若手士官の暴走のリスクを高め,また過剰な粛清は軍の弱体化を招く。
ゼートゥーアの作戦

「汚職」を「政治的陰謀」にすり替え、外部組織の介入から軍を守る。




金髪の処刑人は秘密警察長官ハイドリヒ侯爵のことを指しています。
外務省の狐は外務尚書コンラート伯爵のことを指しています。
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