ルイーゼ・アウグスタ・シュヴァーベン・フリーデリーケ・フォン・プロシア
終戦より約10年ほどの時が過ぎた。
開戦のきっかけはハムエス半島へルーシー帝国が手を伸ばした事だった
雪原の大国に連綿と受け継がれた不凍港獲得という野望
新たなる領土獲得への渇望
その歴史を血で染めてきたヴァザンティン帝国は先人に倣い
その軍事力と国力で不遜にも食指を伸ばしてきたルーシー帝国を膺懲しようとした。
しかし帝国は気づいていなかったのだ
己の剣がどれ程脆く鈍で見掛け倒しなのかを…
累毘戦争の敗北により
ハムエス半島の大半を失い
欧州における版図は崩れ去った
近代化を急ぐあまり
帝国は列強から巨額の借款を重ね
港湾や鉄道は担保として差し押さえられ
主権は静かに削り取られていった
ベルン会議は滅亡を先送りしたに過ぎず
列強の線引きによって帝国の身体は切り取られていった
遂にはハムエス戦争で
かつての属州が刃を向け
帝国は欧州の全領土を失った
残されたのは
栄光の記憶と
取り戻すことのない時代への喪失感と切り分けられた国土であった。
帝国は今なお暗く
華々しい栄光の記憶に囚われていた
外務省の別館。
憲兵保全局第二課の作戦室へ、緊急通信が飛び込んだ。
アブデュルハミトの側近であるユースフ・チャヴシュが冷え切った声で報告した。
「アーミド近辺の不穏分子なのですが,どうやら流出した我が国の装備で武装しているようです」
「どれくらいだ?」
「使える人員がいるかどうかは不明ですが、最新式の戦車だそうです。
現地部隊に会計監査を実施した方がよろしいのでは?」
「鼻薬を嗅がされたクソったれの会計部の阿保共は首を縦に振らんだろう。
それに内心 “どうせ列強が守ってくれる”の一点張りだ。
強制捜査の準備をしておいてくれ」
アブデュルハミト・ヌーリ・ベイ・エルテュールルザーデは、遠くうっすらと見える租借地を見下ろした。
南の統一帝国特区。
大きく翼を広げた大鷲の紋章が翻り、 その下で統一帝国資本の巨大工場と路線上の機関車が煙を吐いている。
己の頼れる部下が部屋を去ると、
執務室に残されたのは、アブデュルハミトただ一人となった。
壁に貼られた地図には、
列強の租借地 が赤い線で区切られ、
その外側に、憲兵隊の管轄区域が島のように点在している。
アブデュルハミトは深く息を吐き、机に手をついた。
「……武装の流出か。
最新式の戦車まで出回るとは、もう笑えん」
ヴァザンティン国軍は慢性的な装備不足で、
ほとんどの部隊は小銃や機関銃でさえ型落ち品しか持たない。
最新式の戦車など、本来なら ――
皇帝親衛隊及び一部「精鋭部隊」しか配備されないはずだった。
それが、賊紛いの排外主義者の手に落ちた。
――どこかで、誰かが売ったのだ。
――そしてそれを黙認した者がいる。
ヴァザンティン帝国では珍しいことではない。
珍しくないからこそ、深刻だった。
アブデュルハミトは窓の外を見る。
うっすらと見える南に広がる 統一帝国の租借地。
祖国の空を帝国の帝国軍租界警備特戦隊所属のウルズ型魔導飛行駆逐艦が我が物顔で航行し,
その下には、あいも変わらず統一帝国資本の巨大工場が活発に黒い吐息を吐いてる。
――“大国” が支配する都。
――彼らの庇護の下、ヴァザンティン帝国の官僚は堕落しきっている。
そんな街を、保全局の憲兵たちは毎日守っている。
罵声と石を反吐をたっぷりと浴びながら。
背後の扉が叩かれた。
「失礼いたします」
憲兵第2課特別行動隊隊長オスマン・エフェンディ・バルカンルと眼鏡を掛けた優男—ユースフが入ってきた。
「排外主義の群衆が首相官邸へ押し寄せています。
“安保条約調印式が官邸で行われる” という情報が流れた模様です。」
窓の外では微かに演説の声が聞こえる。
「諸君これは『強制された平和』である!」
「憎き敵国との安保条約を受け入れて何が自由か!!」
そうだ
売国奴どもめ!
恥を知れ!
ヴァザンティンに自由を!
独立を!
「満員御礼か…
まったく。
実に不思議なことだ
公式発表にて調印式の会場は議会と公表しておいた筈なのだがな……
どこの阿呆が官邸だなどと吹き込んだ?」
アブデュルハミドが窓から聞こえる罵詈雑言を聴きながら言った。
不名誉な平和など、くそくらえ!
大ヴァザンティン帝国万歳!
安保反対!!
裏切り者を吊るせ!
外国の豚どもを追い払え!
安保反対!!
「ここでやるって欺瞞情報渡した先は軍の一部だけなのですがね、まさか本当にお客さんが来るとは」
オスマンのぼやきに対しアブデュルハミドはカットした葉巻に火をつけ 優雅に味わってから宣った。
「我が国の文化水準も堕ちたものだ。
こんな下らん筋書きで札止めか」
オスマンは心外そうな顔をした。
「私の脚本 それほど単純でしたか?」
「手垢まみれのヘボ脚本も良いところだろう」
オスマンは窓の外をチラと眺めて言った。
「観客に合わせましたから……
教養も知識もあまつさえ,知性の欠片もない国益を損なう底抜けの間抜け共です。
筋書きは分かりやすいぐらいが丁度いいのです」
アブデュルハミドは左手で額を押さえる。
「愛国無罪と叫ぶ馬鹿が多すぎるわけか」
ユースフが笑いを漏らして言う。
「戦中を思い出します
間抜けに限って自分だけはヘマをしないで真実を掘り当てると目惚れるものでそのくせに我こそは真の愛国者と自称する………………。
最近それを治療する特効薬が発見されたらしいですが」
「本当か?
大発見じゃ無いか,まさかバカにつける薬があるとは!」
オスマンが目を輝かせ、驚きの声を上げる。
ユースフは微笑みで返した。
「いえもっと安上がりです
鉛玉で十分だとか,軍医いわく死体は戯言を口にしないと」
「そいつは素晴らしい!
では機関銃の掃射で薙ぎ払いましょう!
衝撃と畏怖が、豚共を打ち砕いてくれるでしょうから」
火力は、戯言を宣うアホ共を精神的にも物理的にも粉砕し得る素晴らしい物だ。
それにどれほど頑なに幻想を信奉しようとどれほど幻想が正しく,素晴らしかろうと、世界は『思い通り』には動かないのだ。
少なくともこの3人はそう戦争という教師に思い知らされた。
「こんなお粗末な演目に喜んで参加する連中だ。
道化である自覚すら無いままに踊るにしても,
全くどこまで無様に、踊り続けるのか」
オスマンが表情を引き締める。
「無粋極まりますが
下郎どもが下手なりに踊るのであれば…。
経験者として戦争の手ほどきをしてやらねばなりますまい」
数台のトラックが官邸の前に停まる。
「可哀想に
素人相手にこれでは虐殺だな
後で軍務省に何と言われることやら」
オスマンは心外そうに眉を顰めた。
「狂人一味が総元締めでいらっしゃるのになんというお言葉」
「はぁ、平和になったはずがどうしてこうなる…」
アブデュルハミドは葉巻を灰皿に置き ため息を吐いた。
オスマンは踵を返しながら言った。
「閣下は相変わらずでいらっしゃる
頭と心は別ですよ
愛と平和でも一生訴えますか?
舞台に向けて西洋らしく夜会服でオリーブと白鳩にワインと白パンでも用意すればよかったのでしょうか?」
官邸の錬鉄門を吹き飛ばし、一台のトラックが官邸前へ突っ込んだ。
荷台からは小銃を振り回す暴徒が次々と飛び降り、混沌の叫びとともに官邸へ殺到する。
官邸前に停車したトラックからも、小銃等の雑多な小火器を片手に暴徒が官邸に押し寄せようとしていた。
「銃弾を撃ち尽くした後試してみたまえ
…捕虜を取るのを忘れるなよ」
「はっ!愛国を騙る似非愛国主義者共を叩き潰して参ります」
「期待しているよ」
オスマン・エフェンディ・バルカンルとユースフ・チャヴシュが去ると、
作戦室に残されたのは、アブデュルハミト・ヌーリ・ベイ・エルテュールルザーデただ一人となった。
左手をポケットに突っ込み灰皿に灰を落とした葉巻を味わい,アブデュルハミドは独りごちる。
「それにしてもやはりモグラが軍の中枢にいるか
戦争に名誉と誉れを求める懐古主義はあの戦争で死に絶えたと思っていたのだが、愚か者共め…
『強制された平和』でも平和は平和なのだぞ」
葉巻を燻らせながら,鉛のように重い声を吐き,租界に目を落とす。
アブデュルハミドの声は、怒りというより“疲れ”が滲み出ていた。
軍内部の誰かが、
条約反対派を焚きつけるために仕掛けたのだ。
――だが、その余波で死ぬのは民衆だ。
――そしてクソの後始末を押し付けられるのは、保全局の憲兵たちだ。
それにしても全く,情報部門も『動物』に汚染されるとなれば深刻極まりない
「いつの世も目的の崇高さに救われるのは己だけだ。
それを動物どもは知らぬようだがな」
葉巻が呼吸の都度赤く灯る。
虚空の記憶に吹きかけた紫煙が,自罰と共に零れた。
次の戦争はいつ起こるかわからない。
死んでいった者達に罵倒されるかもしれない。
残された者たちは我々を軽蔑し,憎み,恨み,憎悪する事もあるだろう。
しかし次の戦争こそは犠牲を生まないまま終わらせなければならない。
それこそが死んでいった者達へのせめてもの誠意だ。
私はどの様な対価を支払ってでも,我らが祖国の為に鐘を鳴らさなければならないのだから。
外では、古びた魔導飛行船が
ヴァザンティンの薄曇りの空をゆっくりと横切っていく。
12月14日 文章一部改変しました。