死がふたりを分かつまで 作:自棄ノ原
シリーズ「夜のオルクセン王国史」完結編。
ベレリアント戦争は終結した。
エルフィンド女王エレンミア・アグラレスが無条件降伏の受諾を宣言したのだ。女王が籠っていた拠点ディアネン市を重囲していたオルクセン軍将兵は、降伏受諾を聞き、いたるところで喝采をあげた。
ディアネン市の北西方面に警戒線を張るアンファングリア旅団将兵も、無論、例外ではない。
白エルフによって故郷を破壊され、母樹を切り倒され、危ういところで絶滅を免れた彼女達にとって、復讐が果たされた瞬間であった。
「勝った! 勝った!」
「やった……やり遂げたんだぁ!」
「ざまあみろ、白エルフども、はは、ははは」
「ようやく、これで……」
帰れる、と言いかけて、誰もが顔を見合わせた。
エルフィンドを滅ぼしても、彼女達の村が、白銀樹が復活するわけではない。殺された数万の同胞が生き返るわけではない。
やがて闇エルフの誰かが、ぽつりと言った。
「帰ろう……ヴァルターベルクへ」
すぐに大勢が唱和し始めた。
「ヴァルターベルクへ!」
「私達の……故郷へ!」
そのような声が自然に沸き起こったのを聞いて、ディネルース旅団長は安堵した。
国王グスタフと恋仲になり、彼こそ帰るべきところと思い定めた彼女ならずとも、もはや闇エルフなら誰にとっても、オルクセン王国こそが新しい故郷となったのだ。
ディネルースは旅団司令部一同を呼び集め、「おめでとう」と一言だけ言って、皆でありあわせの盃を干した。深い感慨は、胸の内だけに秘めている。
――ああ、これで終わった。やり遂げた。もうエルフィンドに用はない。何もかも終わったんだ……。
しかし、何も終わってはいなかった。
否、終わりの後には、必ず始まりがあるのだと、数日のうちに思い知らされることになった。
ディアネン市の広場の一つで、オルクセン軍法務官が淡々と文書を読み上げている。
「第一七師団所属、陸軍少尉――、兵長――、軍曹――、上等兵――、同じく――、同じく――。伍長――、一等兵――、同じく――、以上、総員二十七名」
呼ばれたオーク達は、皆が後手に縛られ、目隠しをされている。
憲兵たちに引きづられ、一頭、また一頭と、地面に突き立つ柱に括り付けられていく。
「……以上の者は、過ぐる五月十六日、ディアネン市近郊の民家に徒党をもって押し入り、銃剣をもって脅迫し、白エルフの婦女三名を拉っした。
彼女らを天幕宿舎に連れ込み、集団をもって暴行を加えては、ことごとく失輝死に至らしめた」
それは占領政策の開始期に起こった犯罪のうち、最も凄惨な事件だった。
「かかる罪状は、オルクセン軍の軍規を蹂躙し、かつ風紀を紊乱し、かつ軍の名誉を毀損し、かつ光輝ある一大戦捷に犯罪の汚泥を塗り、かつまた公明正大たるべき占領政策に対して内外の不信を惹起すること甚だし。
占領軍軍法会議は、厳正なる審議の結果、陸軍刑法の定めるところにより、被告全員の銃殺刑が至当なりと判決した。
よって占領軍司令官、総軍法務官並びに占領軍法務官の立ち合いのもと、これを執行する」
法務官が読み上げを終わると、銃殺隊指揮官を命じられたオークの中尉が号令した。
「銃殺隊、前ェ!」
臨時編成の銃殺隊は、実に百名近い。今ひとつ揃わない行進で入場すると、所定の位置で整列した。横隊をつくり、二十七本の柱に括られた、二十七名の死刑囚に向かい合う。着ている軍服はどちらも同じである。
「打ち方用意ッ!」
銃を扱うザッという音が広場に響く。すると、聞き慣れた音に反応し、目隠しをされた囚人達の半分ほどが泣き叫び始めた。
「助けて、助けて!」
「殺さないで! 家族が待ってるんです」
「ああ、嫌だ、嫌だ……国に帰してください!」
それに対して大喝を加えたのは、異例にも立会者の中で最上位の将軍。占領軍司令官に任命されたばかりの、アロイジウス・シュヴェーリン上級大将であった。
「何をしておるか! 死ぬ時くらい、軍人らしくせぬか!」
その声を聞き、囚人達の反応はむしろ強まった。
「シュ、シュヴェーリン閣下! なにとぞ、なにとぞ」
「慈悲を、お慈悲を!」
「我らの親父のために働きました! アルトリアでも、ネニングでも!」
「仲間を何名も助けたんです。勲章だってあります。こんなの間違ってる!」
シュヴェーリンはその一切を無視し、銃殺隊に命じた。
「早くやれ。よく狙え」
その冷徹な指示が広場を制圧した。ごく僅かな者だけが、その指示に秘められた一片の慈悲を読み取った。
「構えっ!……撃てェ!」
斉射の轟音は、広場どころか、ディアネン市全体に轟くほどだった。無数の鳥が驚いて飛び立った。
「打ち方やめ! これより確認する」
幾名もの下士官たちが囚人たちに走り寄り、一頭一頭を改めていった。死にきれていない者にとどめを指す拳銃の音が次々に響いた。
やがて下士官達の報告を受け終えると、指揮官はシュヴェーリンのもとに来た。
「報告します。全員死亡しております」
「ご苦労だった」
シュヴェーリンは彼の隣で脂汗をかいている白エルフに言った。
「ディアネン市長。改められよ」
この場で椅子を与えられた唯一の白エルフは、真っ青な顔を震わせた。
「いいえ、閣下。十分です。私は……」
「改められよ。小官とともに」
「……はい」
白エルフを引き連れて、シュヴェーリンは一頭一頭の死体を自ら確認していった。
白エルフはますます顔色を無くしている。吐き気を紛らわせるためでもあろうか、シュヴェーリンに尋ねた。
「閣下、この者らの遺族には、なんと……?」
「無論、ありのままを」
「……左様でございますか」
やがて確認を終えると、シュヴェーリンは記者達によく見える位置に市長を立たせた。がたがたと震えている市長にむけ、占領軍司令官は深々と腰を折って頭を下げた。
「閣下! お直りください、どうか」
「そのまま受けられよ。背筋を伸ばして」
「……」
数限りなくカメラが焚かれた。
その写真は軍広報に載り、また一般の新聞にも載った。一般誌では話が大きくなっており、激怒したシュヴェーリンが自ら銃殺隊を率いた、ということになっていた。
全軍は粛然とし、特に将軍たちは青ざめて、規律の引き締めに奔走した。
ディネルースは、その知らせを軍報で知り、また新聞でも読んだ。そして暗澹とした。
「とっとと食い殺させろ、白エルフども!」と、開戦前には思っていた彼女だったが、その復讐心はどこかへ発散してしまった。
今はただ、やり遂げたという思いと、やり切れないという気分が重なり、彼女の心に層雲を為している。
――エルフィンドは……いや、エルフは、これからどうなるのか。
そう思わざるをえない。グスタフは白エルフの種族的誇りを破壊し、社会構造を一変させるつもりだ。
悲惨な事件の被害者たちだけでなく、エルフィンドという国、エルフという種族が数千年に渡って築いてきた文化と社会そのものが、オルクセン王国によって組み敷かれ、犯されて、力づくで別のものに変えられようとしている――と、そのような構図を思わずにはいられない。
連想の赴くまま、グスタフと身体を重ねて随喜する自分自身を想起してしまい、慌てて迷妄を振り払った。
(私は違う。自分の意思だ)
それは間違いない。公にはできない関係だが、彼女にやましい気持ちや、後ろめたさはない。まして、自分を卑下などしていない。
しかし、である。
また数日を経て降伏式典が終わると、ディネルースはアンファングリア旅団第二連隊を率い、エルフィンドの王都ティリアンに進駐することになった。
女性のみの闇エルフで構成された彼女の旅団は、治安任務においても有用だと期待されたためだ。
久方ぶりに訪れた王都ティリアンで、彼女の憂いは一層深まった。騎乗して眺める街並みはエルフの国のものだが、路上にはオルクセン軍の将兵が我が物顔で闊歩している。
警備にあたっている者もいるが、休暇中で遊びに出ている者も多い。街ゆく白エルフは顔をふせ、オークやドワーフにさっと道を開ける。商人ならば、せいぜい媚態を浮かべて、オルクセン兵からその日の糧を得ようとする。
占領下の風景である。エルフの都は、既に国が滅んだかのように精彩を欠く。
(誰もが私のように幸福なわけじゃない。街を見れば……)
夕暮れが近づいた街路は徐々に雰囲気を変じさせている。辻々には濃い化粧を施した白エルフが立ち、休暇中のオークやコボルト、ドワーフの裾を引いている。
オルクセン軍は公娼施設をティリアンまで前進させており、私娼は禁じている。しかし、そんな指令に関わらず、春をひさぐ者も、それを買う者もいる。
私娼の多くは元エルフィンド軍の将兵であり、敗戦によって職を失った者達だという。生活のため、自ら選んだ道とはいえ、戦って自軍を倒した敵兵に買われる内心は、どのようなものであろう。
辻々に立つ女の姿を見れば、華やかなドレスの片袖がだらりと下がっていたり、松葉杖で身体を支えている者もある。哀れといえばこれほど哀れな話はなく、雄敵に敬意を払う軍人の嗜みからしても、全くやり切れないところだった。
私娼相手ならばと、まともな女とは扱われず、様々な非道を施された者もあるという。違法な商売をしているために、客に無体なことをされても、彼女らはティリアン市警や占領軍憲兵隊に保護を求めようとしない。そこに付け込んでのことという、聞くに耐えない風聞が幾らもあった。
エルフィンドは、いや、エルフという種族はどうなるのだろう――と、とっくに捨てた故国の行く末を思わずにはいられなかった。
――やはり、グスタフは正しい。そうすべきなんだ。私は。
彼女が思い出すのは、幾日か前の出来事である。
その事が、白と闇のエルフという種族、オルクセンという国、そしてディネルース・アンダリエルの未来を、決定的に変えてしまうはずなのだ。