死がふたりを分かつまで 作:自棄ノ原
シリーズ「夜のオルクセン王国史」完結編。
翌日。
ディネルースは意を決し、自分とグスタフのことをアンファングリア旅団員に告げた。ぶっきらぼうに事実だけを並べて。
「――と、まあ、つまり、そういうことになった」
旅団幹部一同は一瞬呆然としたが、すぐに歓声をあげた。
「おめでとうございます、旅団長!」
「快なり、快なり!」
「やったあ、やったあ!」
「兵隊にも教えてもいいですか!?」
不安は大きくなかったが、やはり受け入れてくれた――と、ディネルースは安堵した。
「ああ……私たちは家族のようなものだからな。旅団内だけだぞ」
すぐに大宴会となった。旅団員たちは互いに抱き合い、泣き笑い、果てもなく飲んだ。入れ替わり立ち替わりディネルースのもとに来ては、祝い事を述べる者もあり、何故か号泣して抱きついてくる者もあり。
大騒ぎの夜となった。
やがて宴は果て、皆がそれぞれの宿舎に帰った――とは建前で、多くの部下たちがそのまま街に繰り出しただろうと、ディネルースには分かっている。
肩を組み、がなるように旅団歌を歌い、あるいはその歌詞を変えた戯れ歌で旅団長の慶事を祝いつつ、騒がしい部下たちは去った。
残ったのはディネルースとイアヴァスリルのふたりだけである。ふたりで少しだけ飲み直したい気分だった。言い合わせることもなしに、互いにそう了解していた。氏族は違っても、長い付き合いで、姉妹同然に心が通じている。
「やれやれ、まあ、喜んでもらえてよかったよ」
「喜びますとも。もちろんですよ」
軽く打ち合わせるグラスの中身は、ティリアンで買い求めた火酒。懐かしい故郷の味である。
「いや、実は少し案じていたんだ。何せ、やっぱり種族が違うし……生まれの国も違う。だいたい、神話時代でもあるまいに、闇エルフが結婚なんてな」
「みんな安心していますよ。これで胸を張ってヴァルダーベルクに帰れると。やっぱりオルクセンが、新しい故郷なんだと」
ディネルースは頷いた。イアヴァスリルが語った皆の心情は、グスタフが狙い、期待した通りだった。
それなのにイアヴァスリルの眉間の辺りには影が落ちている。隠せぬ憂いがあった。
「どうした?」
「……姉様」
参謀長は、グラスの中身を揺らしながら、しばらく躊躇っていた。ディネルースがじっと待っていると、やがて言った。
「……国王陛下とは、よく話し合われましたか?」
ディネルースは苦笑しつつ安心した。イアヴァスリルの懸念は今更な心配であった。
「大丈夫だよ、ヴァスリー。私も心配だった……今でもだ。まさか私が、国王に嫁いで妃になるなんてな。人間の童話に出てくるお姫様みたいじゃないか。はなはだ似合わない。でも、そうしたいと思ったんだ」
「ええ……姉様のお気持ちは……でも私達は、姉様は闇エルフなんですよ。オークとは身体が違うのです」
ディネルースは少しむせた。この真面目なヴァスリーが、と意外に思いながら応じた。
「分かってるよ。そりゃ、いくらか困難はあったが、ええと、何とかなるものなんだ。私達の身体は頑丈にできてる。その……時間と気持ち次第というか」
ヴァスリーは顔を真っ赤にしつつ、怒ったような、悲しむような顔をしている。
「そ、それは良かったです……けれど……そうではないのです」
「うん?」
イアヴァスリルは膝の上の置いた両の拳を握りしめ、彼女をぐっと見据えた。
「子供はどうなるのです」
その一言で、ディネルースの頭は真っ白になった。その単語の意味を理解することも難しい。呆然としている彼女を見て、イアヴァスリルは嘆息した。
「話し合って、いないではないですか……」
そう言われても、ディネルースの思考は鈍い。
「子供……?」
種族を越える恋をしてなお、彼女が闇エルフの常識に囚われていた。彼女ら種族にとって子供とは、白銀樹の根元に自ずから発生するものだ。
「子供……私とグスタフの?」
牡と牝、男と女が結ばれたなら、多くの者が望み、期待するのは、子供に決まっている。まして王と妃の間ならば。しかし闇エルフにとって、それは異種族のお伽話でしかなく、我が身のこととは到底思われない。
幾度となくグスタフと身体を重ねても、その可能性はディネルースの思考の埒外にあった。子を授かる兆候などなかった――というより、何が妊娠の兆しなのかも知らない。
ディネルースは救いを求めるように尋ねた。
「闇エルフとオークで子供はできるのか? いや、そもそも私達は……私の身体は妊娠できるのか?」
夜風が窓ガラスを叩いている。
イアヴァスリルは絞り出すように言った。
「無理ではない……と思います」
「本当か!?」
「まだ男のエルフがいた時代には、我ら種族も男女で、その、子を成したと」
「伝説の話じゃないか。それもエルフ同士の」
「大昔、オークに攫われて慰み物にされたエルフの話もあります。オークの子を産まされたと」
「千年も前の昔話だ……そんなの、あてにできるものか」
ディネルースはしきりと首を振った。すっかり酒精は抜けている。彼女の手をイアヴァスリルが握った。
「そうなのです。姉様。でも結婚するというのは、そういう期待を集めるということです。陛下も……いいえ、まわりの全ての者が、そう望みます、きっと。そのとき辛い思いをされるのは」
「ヴァスリー……」
何を言うこともできなかった。イアヴァスリルは立ち上がり、そんな彼女をそっと抱きしめてくれた。
「話し合ってください。陛下と。まだ婚約は公表されていないのでしょう? 今ならまだ……止められるかもしれません」
「そんな……そ、そんな」
やめる。結婚をやめる。
想像もしなかった選択肢があるという、その衝撃が心の奥底に達すると、じわじわと視界が滲んできた。
悲しみと、戸惑いと、そして何より強い衝動が湧き上がってくる。
「嫌……」
口に出すと、視界はますます滲んだ。
「落ち着いて、姉様。何事も姉様のお心のままになさって。ただ、決めてしまう前に話し合った方がと……」
冷静な助言は、もうディネルースの耳に入らない。
胸の奥から込み上げる激情が全身を満たし、沸騰し、破裂させんばかりだ。
思い描いた未来が幻に終わるかもしれないという。
彼と結婚しない。
その方が良いのかもしれないという。
初めて体験する恐怖に、彼女は叫ぶしかなかった。
「嫌だっ!」
思いは声となり、涙となって、溢れに溢れて止まらない。
「嫌だ、嫌だぁ!」
子供のように泣き喚くディネルースを、イアヴァスリルも泣きながら抱きしみ続けた。二人の涙が枯れるまで、ずっとそうしていた。